第19話 百物語の午後4
「では記念すべき第一話、題して『屋根に立つモノ』だ。これは、オレが飲み会で聞いた話なんだが、不思議なことにどこで誰に聞いたかよく思い出せない」
抑えた声で天城部長が語りだした。
「ある人物、ここはAさんとしておこう。Aさんは、幼い頃から人には視えない不思議なものが視えたそうだ。彼が小学生のときの話だが、学校帰りに住宅街を歩いているとき、ふと奇妙な胸騒ぎを覚えた。何かあるのかと、周囲を見回してみたけれど何もない。だが、何気なく空を見上げたときにソレは視えた。ある住宅の屋根の上に、モヤモヤとした黒い雲のようなモノがかかっていたらしい」
蒼白い光で満たされた部屋の中、エアコンの作動音が妙に大きく聞こえる。
「その黒い雲のようなモノに不吉なものを感じたAさんだが、周囲の友達には全く視えていなかったようなので黙って家に帰ったそうだ。その晩、黒い雲がかかっていた住宅で火事が発生した。Aさんは、黒い雲のような存在が気にかかったが、気のせいだと自分に言い聞かせたそうだ。だが、同じようなことはたびたび起こった」
いつもはのんびりとした雰囲気の天城部長だが、今は怪談らしいくしようと低い声で話している。
「あるときは、古い民家の上で骸骨のような薄ぼんやりしたモノが浮かんでいた。Aさんは、ソレと目が合いそうになって慌てて逃げ帰ったそうだ。後に、その家では死人がでたらしい。恐ろしくなったAさんは、祖母に相談することにした。やさしい祖母は、Aさんの話をいつも否定することなく聞いてくれるからだ。怯えるAさんに祖母はこう言った『悪いことや不吉なことが起こる前は、前兆として家の屋根に徴が現れることがある。それは特別な人にしか視えないのだけど、ソレと決して目を合わせてはいけないよ。なぜなら、ソレは認識した者のところへやってきて災いを齎すから』とね」
お婆さんか、そういえばこの家に住んでいた人はどういう人なのだろう。
「祖母の話を聞いたAさんは、以後、何か気配を感じても屋根を見上げないことにした。はじめの頃こそ、得体の知れない恐怖を感じることもあったが、次第に屋根の上に気配を感じることはなくなったという。そして、十数年の月日が経った」
終わりかと思ったが、天城部長の話はまだ続くようだ。あるいは、これからが本番なのかもしれない。
「Aさんは就職し、祖母が亡くなってからは小学生の頃の不思議な体験を忘れていた。ある日、Aさんは仕事を終えてアパートに帰ってくると妙な気配を感じた。天井から、いや、さらに上に何かが居る気がしたのだ。それは、カラカラとかチリチリとでもいうような、音のような振動のような気持ちの悪いものだったらしい。Aさんは、ねずみなどの小動物が屋根裏に居るのかと考えたが、気配はもっと上からしているような気がする。当時、Aさんの住んでいたアパートは2階建てで、彼は2階に住んでいたのだ……」
そこで、天城部長は意味ありげに言葉を切った。
「不意に、Aさんは祖母に聞いた話を思い出した。それと同時に、幼い頃に感じた恐怖も蘇ってくる。もしかすると、自分の頭上には何かおぞましいモノが佇んでいるのではないかと。そうなると、急に頭上が気になりはじめた。アレが災いの前兆ならば自分に降りかかるのだろうか、いやアパートだから自分の部屋の上に居るとは限らない。そもそも、一体何が屋根の上に居るのだろうか」
天城部長は僕たちの顔を順番に見て、ニタアと笑った。普段なら笑って流せる演出なのだろうが、蒼白く照らされた部長の顔はまるで別人のように見えた。いつもならツッコミを入れる高瀬先輩も黙って話を聞いている。
「せめて、アレが自分の部屋の上かそうでないかを確かめたい。Aさんは、そう思って部屋の外に出た。外は既に真っ暗で、生暖かい風が吹いている。アレに気づかれないようにそっと確認しなくてはならない、Aさんは足音を忍ばせながらアパートの玄関を出た。そのとき、Aさんの頬にパラパラと何かが当たった。雨だった」
ふう、と天城部長は安心したように息をついた。
「どうやら断続的に降っていた雨の音を何かの気配と勘違いしていたらしい。気が抜けたAさんは、強い雨になるのだろうかと、空を見上げた。そのとき、Aさんの視界に、屋根の上にいたソレが目に入った。暗い夜空を背景に、ぼろぼろの着物をまとった老婆がAさんの部屋の上に立っていたのだ。思わず声をもらしてしまったAさんに、屋根の上に佇む老婆の首がカクリと動いた。夜の闇よりなお昏い老婆の瞳が、Aさんの目をしっかりと捉えたのだった。以後、何があったのかを、Aさんは決して語らなかったそうだ」
語り終えた天城部長の顔が、ふっと闇に沈んだ。青いスティックライトとはいえ、なかなかの雰囲気である。
「しまった、オレは最後に1話語る予定なんだった」
天城部長は、照れたように言うとスティックライトを点灯させた。声の調子もあって、せっかくの雰囲気がいつもの緩いものに戻ってしまったように感じる。
「Aさんは決して語らなかった、というわりにはやけに細かいところまでわかっているんだな。……いや、こんなことを言うのは無粋か」
高瀬先輩は、細かい部分を指摘しようとして止めた。僕もそこは気づいていたのだけれど、怪談のお約束というヤツである。
「一番手としてはなかなか良かったんじゃないですか。オーソドックスですけれど、この手の話は自室で1人で居るときなんかに思い出してジワジワと効いてくるタイプですね」
「うっ、永瀬君って怖いことを平然と言うんだね。今がお昼で本当によかった。夜中だったら、1人で帰るのが怖いかも」
小幡さんが両手で体を抱くようなしぐさをする。
「いやいや、これこそが怪談会の醍醐味ってヤツさ。よおし、川北、次を頼むぜ。くれぐれも」
「わかっています。UFOネタは封印しますよ」
川北は天城部長の言葉をさえぎって言った。百物語で語られるのは、幽霊話だけでなく不思議な話や因縁話でもよいそうだが、UFOや政府の陰謀関係はやめてほしいものである。
「これは自分が高校生のとき、友人の父親が体験したという話ですね。以後、父親ということで、Fさんと呼称します」
F、ファーザーのFということだろうか。川北の性格なのか、律儀に仮名を設定するようである。
「Fさんはエンジニアで、関東の某地方へ単身赴任することになりました。住居は、会社側が用意してくれたアパートだったのですが、現場を見たFさんは嫌な予感がしたそうです」
「ほほう、川北には珍しく土地の因縁話か?」
天城部長が問いかけると、川北は静かに首を振った。
「いいえ、嫌な予感というのは現実的な問題だったのですよ。そのアパートは交差点のすぐそばにあったのですが、交通事故が起こりやすそうな立地に見えたそうです。アパートは緩やかな丘の上にあったのですが、交差点がちょうど丘の頂点あたりに位置していたらしいんですよ」
「それだと、何かまずいの?」
ピンとこない僕が質問すると、川北はしばらく考え込む素振りをしてから口を開いた。
「車を運転することを想像してみてほしいのだけど、丘の上の交差点で信号が赤になったら停止しなくちゃならないよね。でも、緩やかな坂を登るために、知らず知らずの上にアクセルを踏みすぎていて、停止できないってことが起こるらしい。他にも、交差点が丘の頂点近くにあるから、対向車が丘で隠れてしまってわかりにくいっていう難点もあるんだ」
「ああ、わかるわかる。夜だと対向車のライトが眩しかったりで、峠とか丘って意外と怖いんだよな」
車を持っている天城部長は、うんうんとうなずいた。
「と、いうこともあってFさんは交通事故を心配していたのです。ある日、仕事が終わったFさんは、アパートへと向かっていたのですが、例の交差点の周りに人だかりが見えました。道路脇には、大破したバイクと前面が大きく凹へこんだ乗用車が停まっていて、即座に事故が起こったのだわかったそうです。周囲の人の話し声から、どうやら交差点を右折しようとした車にバイクが突っ込んでしまったことがわかりました」
「そういう事故のとき、バイクの方は悲惨だよなあ」
高瀬先輩が顔をしかめると、川北は神妙にうなずいた。
「どうもバイクに乗っていた人が跳ね飛ばされて重傷を負い、もう少しで救急車が到着するという話でした。薄暗くなってきた空の下、遠くから救急車のサイレンが響いてきます。怪我人の様子はわからないけれど、病院に搬送されれば大丈夫かな、とFさんが思ったときでした。周囲に、全身の毛が総毛立つような恐ろしい咆哮が響きわたったのです。Fさんは、野生動物が雄叫びを上げているのかと勘違いしたのですが、それは人間の悲鳴でした。凄まじい音量で『痛い痛い』という叫んでいたのです。救急車が到着する直前に、悲鳴はぷっつりと消え、あたりの人々も黙り込みました」
川北の口から出た凄惨な状況に、僕たちも黙り込んでしまう。
「後日、Fさんはアパートの隣人から事故について聞きました。バイクに乗っていて亡くなったのは若い学生で、衝突によって身体がちぎれかかるほど怪我を負って、ほとんど即死だったそうです。事故からしばらくすると、事故現場の交差点には花やジュース、お菓子などがお供えされるようになりました。亡くなった学生は、友人が多かったらしく長い間、お供えが絶えることがなかったそうです」
「まさか、そこで終わりじゃないよな。信号機の設置について、工学的な見地から改善が必要だ、とか言って」
天城部長が問いかけると、川北はスティックライトを振って否定した。ううむ、このライトは振ってしまうと、百物語がコンサート会場っぽくなってしまうな。
「しかし、事故から一ヶ月たち、数ヶ月が過ぎるころには、事故現場を訪れる人は居なくなってしまいました。供えられた花は萎れて朽ちていき、お菓子などはカラスによって食い荒らされて、どことなく荒んだ雰囲気が漂っています。Fさんは、それを気にしつつ交差点を通って会社に通っていました。Fさんは、きれいに掃除した方がいいのかな、と思ってはいたのですが、関係者ではないので遠慮することにしたのです」
道を歩いていると、道路脇に花が手向けてあるのを見ることがある。大抵はきれいに整えられているのだが、あれは誰かがきっちりと作業をしているのだろうか。
「ある日のことです。低気圧が接近するということで、天気の悪い日でした。Fさんは、幸いことに休日だったのでアパートでゆっくりと過ごしていました。夕方になると、普段なら明るい時間帯にもかかわらず薄暗くなって、風と雨が激しくなってきます。特に風が強く、ビュービューと吹く風の音は、まるで誰かの悲鳴のように聞こえます。Fさんが、気味悪く思っていると玄関の方から、微かな音がしました。それは金属をこするような、キィキィとかカリカリという嫌な音だったと言います。不審に思ったFさんが玄関に向かってみると、それはドアの下の方から聞こえくるのがわかりました」
蒼い闇のなかで、誰かがゴクリとつばを飲み込んだ音が聞こえた気がした。
「Fさんは事故の話を思い出しました。身体がちぎれかけて、ほとんど即死だったというバイクの若者。そこでFさんは、おかしなことに気づきます。ほとんど即死だったのなら、あのとき聞こえた恐ろしい叫び声は何だったのだろう。あのときは、野次馬がたくさん集まっていて救急車が来る直前だったのだから、事故から時間が経っていたはずです。あの『痛い』というよりも『いだぁい』と聞こえた叫びは自分にしか聞こえなかったというのでしょうか。そんな、ことを考えているうちに、ドアの向こう側から聞こえてくる音は徐々に激しさを増していきます」
この話、けっこう怖いかもしれない。
「Fさんは、意を決してドアを開けることにしました。下から聞こえてくる音に、身体がちぎれかけていたという若者の姿が脳裏にちらつきましたが、Fさんはエンジニアです。設計に非科学的な要素が入る余地はありません。どんなに不思議であっても、必ず明確な原因があるのです。Fさんは、ノブを握りました」
みんなが川北に注目する気配がする。
「ドアの向こうから、荒れ狂う風と雨が吹き付けてきました。Fさんの足元になにかまとわりつくものがあります。……それは、朽ちた花束でした。ぼろぼろになった包装紙と、茎だけなった花が金属のドアにあたってカサカサと音をたてていたのです。翌日、Fさんは交差点をきれいに清掃し、ビールをその場で飲み干しました。以後、Fさんが転勤するまで事故は起こらなかったそうです」
語り終えた川北がスティックライトを消すと、誰かが息をついた気配がした。
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