第18話 百物語の午後3
土曜日の午後、僕は自転車に乗って天城部長の下宿先へと向かった。
エアコンの効いた室内から外に出ると、真夏の熱気が体を包む。直射日光が当たると、みるみる体温が上昇していくのがわかるぐらいだ。暑さの問題を別にすれば、海のレジャーが似合う素晴らしい天気なのだが、僕が向かうのは百物語の会場である。
外の暑さにエアコンの効いた室内が恋しくなったが、自転車を漕ぎ出すと、風のおかげでいくらかましになった。毎年、夏になるたびに暑くなってきているような気がするが、ここは海沿いなのでまだ涼しい方らしい。
僕が住んでいる
駅前の広場は、この暑さにもかかわらず大勢の人でにぎわっていた。中でも子供たちは特に元気である。買い物か、海にでも連れて行ってもらうのだろうか。
線路を超えて住宅地に入ると、人の往来が急に少なくなった。新築されたばかりの家やおしゃれな外観のお店が並ぶ通りをすぎると、住宅の中に瓦屋根の古い家が混じり始める。駅から離れるにつれて、新しい住宅と古い住宅の割合が入れ替わっていくようだ。
ついには、瓦屋根の住宅の間に草地や畑が出現するようになった。それほどの距離を移動したわけではないのだが、けっこう街の雰囲気がかわるものなのだな、と感心する。自転車を停め、スマートフォンで地図を確認すると目的地はもうすぐのようだった。
来た方向を振り返ると、高い駅ビルの向こうに入道雲が浮かんでいるのが見えた。夏だな、と実感する。
天城部長の借りている家は、板塀に囲まれた2階建ての日本家屋だった。
簡素な門から中をぞいてみると、家屋の入り口まで敷石が敷かれ、庭には梅や楓などの樹木が適度な間隔で植えられていた。広さはそれほどでもないのだが、配置が良いのか不思議と奥行きが感じられる。年季のはいった瓦の建物は、古いというよりも、年月や風雨によく馴染んでいる、という印象を受けた。
こんな家なら夏休みに何日か泊まってみたいな、と思いながら門をくぐると玄関脇に、人がしゃみこんでいるのに気づいた。青い作業服のようなものを着ていたので、庭師の人なのだろうかと思ったが、近づいてみると高瀬先輩である。
「こんにちは、もう来ていたんですね。何をしているのですか?」
「ああ、天城のやつに準備の手伝いをさせられていたんだ。今は、それも一段落してミニトマトの手入れをしている」
高瀬先輩が体をどかすと、白いプランターに植えられたミニトマトが赤い実をつけていた。
「おっ、もう来たのか永瀬。感心感心」
顔を上げると、玄関のところに天城部長が立っていた。部長は、格好をつけるためか青い作務衣を着ていたが、あまり似合っていない。世俗の欲を捨てられない生臭坊主のようなうさんくさい外見である。
「今日はお世話になります。ええと、すごくいい建物ですね、夏休みに遊びにきた古き良き日本の家って感じです」
お世辞でもなく正直に感想を口にすると、天城部長はまんざらでもない顔になった。
「だろ。知り合いなんかは、古い一軒家を借りても手がかかるだけだって言ったけど、オレは手間をかけるだけの価値があると思っていたのさ。不思議探究会の部長たるもの、住居にも気を使わなくてはならんのだ」
「御大層な御託は結構だが、庭木も、このミニトマトだってちゃんと手入れしろよ。枝が伸びすぎているぞ」
高瀬先輩は話しながら、ミニトマトの枝をハサミで切った。
「お、おい、切り過ぎじゃないか。せっかく枝やら葉っぱを伸ばしているのに可哀そうだろ」
「枝が伸びすぎると、トマトの実に栄養が十分に行き渡らないからな。人間の都合とはいえ、適度に手を加えてやらないときれいに育たないものだぞ」
剪定が終わったようで、高瀬先輩は立ち上がった。ミニトマトのプランターの隣にはアサガオの鉢があって、僕は小学生時代の夏休みの宿題を思い出す。アサガオが伸ばしたツルの奥には、縁側が見えた。
「この家、縁側があるんですね。へえ、中は畳敷きかあ、いいなあ」
近寄って見てみると、黒く落ち着いた色あいの木材からは良い香りがする。あわせて、室内からは畳のいぐさの匂いがかすかに感じられてどこか懐かしい気分になった。
「どうだ、大したもんだろ」
「ええ、やっぱりいいですね。手がかかるとはいえ、僕の住んでいる学生アパートが味気なく感じてしまいますよ」
縁側から庭を眺めてみると、樹木が良い感じに植えられているのがわかる。カサリと微かな音がしたので、見上げると茶色い羽をした鳥が枝から飛び立っていった。飛んでいった方向を目で追うと、家の横にトタン屋根の簡素な建物が目に入る。
「部長、あれは何ですか?物置みたいですが」
「ふふ、さすが永瀬よ。よく気づいた。あれは、家の持ち主から何度も念を押されているのだが、あそこは決して立ち入ってはいけないんだ。なんでも、使わなくなった井戸が中にあって……」
「また、しょうもないでまかせを言う。ただの物置だろ。ついさっきまで、散らかっていたものを必死に中になおしていただろうが」
高瀬先輩が肩をすくめると、天城部長は頭をぽりぽりと掻いた。まあ、部長らしい冗談である。ふと、縁側の下の部分に、お菓子や饅頭が入っているような平たい箱が落ちていることに気づいた。物置に入れるときに落としてしまったのかもしれない。拾ってあげようかと考えていると、門の方から声が聞こえてきた。
小幡さんと川北が、門のところから家の庭を興味深そうに眺めていた。僕たちの姿に気づいた2人はこちらにやってくる。
「いい天気ですね。怪談日和っていうのがあるのかわかりませんが、楽しみです」
小幡さんは、青いワンピースに白いサマーカーディガンが羽織っている。清楚な装いで、麦わら帽子やひまわりが似合いそうな格好だ。
「部長さんから、服装はなるべく青いものを選ぶように言われたのでこの格好にしたんですが、大丈夫ですよね」
「うんうん、いいんじゃないか。みんなの服装を青くするだけでも、けっこう雰囲気が出るよなあ」
天城部長は至って気軽な調子で小幡さんの服装を褒める。僕も、よく似合っていると言いたかったが、なんだかわざとらしい気がして結局言い出せなかった。
「木造建築というのも、悪くないですね。耐久性に難があるようなイメージがありましたけど、思っていたより頑丈そうです」
家を眺める川北は、青いジーンズにグレーのTシャツという僕とよく似た格好をしていた。彼の着ているTシャツには「Project Blue Book」の文字と円盤のような図形が印刷されていたが、天城部長が求めていた青とはこういうものではないだろう。ちなみに、プロジェクト・ブルーブックとはアメリカ空軍による未確認飛行物体の調査計画のことである。
天城部長に招かれた僕たちは、家に上がらせてもらうことにした。
八畳ほど部屋の中央にちゃぶ台が置いてあって、ヤカンとコップのっている。
「ま、暑かっただろうから麦茶で休憩しつつ、オレの説明を聞いてくれ」
天城部長はヤカンから麦茶を注ぐと、僕たちにすすめてくれた。コップは4つだけで、どうやら部長本人は飲まないようだ。
「お前たちのことだから心配はしていないが、この家はオレがきちんと管理することを条件に借りているわけだから、変なことは禁止だぞ。百物語は隣の部屋でやるんだが、関係のない部屋は、見るぐらいならいいけど、荒らしたり物を持ち出すようなことはやめてくれよ」
「部長さんは、飲まないのですか?」
コップが4つであることに気づいた小幡さんが気遣うように質問した。
「ああ、オレはさっき飲んだし家の中に居たから、喉は乾いていないんだ。えっと、注意事項の続きだが、2階に上がるのは遠慮してくれ。上には息子さんたちの部屋があるんだが、そこはプライベートだからな。まあ、オレは依頼されて、空気を入れ替えるためにときどき立ち入っているんだがな」
僕たちがうなずくと、天城部長は満足したようだった。いい加減に見える部長だが、しめるべきところはしめる男なのである。
「よし、じゃあ始めるか」
天城部長は、立ち上がると隣の部屋に通じるふすまに手をかけた。
隣は、先ほどと同じような畳の部屋だったが、部屋の中央には座布団が5つ置かれていた。部屋の四隅には、テレビや本棚、衣装掛けなどが寄せられており、どうやらここは天城部長が私室として使っている部屋のようである。
「意外と、と言ったら失礼ですけれど、きれいな部屋ですね」
小幡さんが、縁側から差し込む日差しに目を細めた。縁側の外には、楓の葉が緑色の美しい葉をつけている。この部屋は、トタン屋根の物置の隣にあるようだった。
「実のところ、オレは整理整頓が苦手なんだが、いい家に住まわせてもらっているとそうも言ってられないからな。あっ、高瀬よ、雨戸を閉めるの手伝ってくれ。ちょっと立て付けが悪いんだ」
天城部長と高瀬先輩は、縁側に向かうと何やらガタガタ作業を始めた。
ガラガラと音を立てて雨戸が締め切られると、真夏の昼だというのに急速に暗くなった。
先ほどまでは、天井の照明がついていることに気づかないほどの明るさだったが、今はそれがないと真っ暗になりそうだ。外から聞こえていた鳥の声なども聞こえにくくなって、今が何時かわからなくなりそうである。
「明かりはどうするんですか?行灯やロウソクを使うのは難しいと思いますが」
僕が質問すると、天城部長は部屋の隅においてあった鞄から何かを取り出す。それは、工事現場の警備員が持っている赤い棒状のライトをコンパクトにしたようなものだった。
「ロウソクはあるんだが、火事が怖いからな。代わり、このスティックライトを使う」
天城部長がライトを操作すると、スティックライトが青い光を放つ。
「へえ、悪くなさそうですね。何だかコンサート会場みたいな感じもしますけど」
「ああ、これはアイドル同好会から借りたものだから大事に扱ってくれよな。何でもアイドルグループのメンバーごとに色が決まっているらしくて、ちょうど青のライトがあるっていうんで借りてきたんだ」
手渡されたスティックライトをよく見ると、女の子の名前らしき文字が貼り付けられていた。だが、それを見ないことにすれば便利で良いかもしれない。百物語では、行灯を使うのが正式な作法らしいが、百の怪談を語っている間、油が持つのだろうか。ロウソクを使う場合も、燃え尽きないのか疑問である。
天城部長が天井の照明を消すと、部屋の中は真っ暗になった。いや、完全な暗闇というわけではない。雨戸が古くなっているせいか、隙間から外の光が漏れている。それでも、スティックライトを点灯させると室内が蒼白く照らし出され、雨戸からの光は気にならなくなった。
「よし、悪くない雰囲気だな。雨戸を閉め切ったから、エアコンを強くしたけど、寒かったら言ってくれよな」
「怪談を語る順番は、どうするんですか?」
僕たちは、天城部長から怪談を1つ考えてくるように言われてきただけで、細かいことは何も聞いていない。
「順番はオレが指定する。最初と最後がオレで、川北、高瀬、小幡さん、永瀬の順でやってもらう。やっぱり雰囲気を盛り上げたいからな。心霊現象否定派の2人は、最初にやってもらう」
「あのう、雰囲気を壊すような話はしませんよ。自分もそこは、わきまえています」
川北がスティックライトを振りながら言った。どうでもいいが、やはりスティックライトを振ってしまうとコンサート会場のように見えてしまう。
「ふうん、じゃあ期待させてもらうとするか。では、このオレが記念すべき1話を語らせてもらおう」
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