第16話 百物語の午後1
「一体、何を企んでいるんですか?」
小幡さんは、扉を後ろ手で閉めるとにこやかな笑顔を浮かべた。
表情と口調は柔らかいが、探るような視線が僕たち男子4人に向けられている。見た目で勘違いしてはいけない、これは怒っているようだ。しかも、表面上はにこやかに装っている分、恐ろしい。
さきほどまで弛緩した雰囲気だった不思議探究会の部室に緊張感が走った。
「い、いやあ。やましいことなんて、ぜ、全然ないヨ」
説得力の全くない口調で天城部長が弁解したが、小幡さんは面白くなさそうな表情で黙るばかりである。こういった場合、怪しい人ほど「自分は怪しくない」などと意味のない言い訳をしてしまうのはなぜだろう。
「ところで、友人との買い物はどうしたんだ?バーゲンに行くって、張り切ってたろ」
高瀬先輩は、張り詰めた雰囲気を物ともせずに言った。
そう、小幡さんは今日、部室に現れるなり「お友達に買い物に誘われたから、行ってきますね。急に言われて困っちゃったんですけれど、彼氏とケンカしたらしくて気分転換したいってことだから、付き合ってあげようかなって」と、内容の割には上機嫌な口調で言うなり出ていってしまったのだ。
「キャンセルされました。途中で、お友達に彼氏から電話が掛かってきて、仲直りしちゃったんですよ。お店に行く途中、ずうっと彼への愚痴とか文句とかを延々と言っていて、わたしは同情して黙ってきいてあげていたのに」
「はっはっは、男と女の関係は複雑だよなあ。オレが思うに……あ、何でもないです。た、大変だったよね」
天城部長が何やらうんちくを語りそうになったが、その場にいた男3人は必死に目で制止した。怒っている女性の話をさえぎったり途中で異論を挟んだりするのは、危険である。
「……それで、お友達の話に同情したり一緒に怒ったりしていたのに、彼から電話が掛かってきた途端に態度が180度、いえ360度くらい変わって、わたしなんか不要みたいな感じになったんですよ」
「360度だと、一周して元の位置に戻るから何も変わってないのでは……あっ」
理系の川北としてはつい口を挟んでしまったのだろうが、途中で自分の失策に気づいたようだ。彼とて、怒っている女性につまらない揚げ足とりをすることの危険性は認識しているだろう。
「つまり360度というのは事態が甚だしいことのたとえで、180度の正反対を超える何かだったということかな。あっ、ぐるっと回るといえばコペルニクス的転回ともいえよね」
川北が謎の言い訳をすると、黙って頬を膨らませていた小幡さんは話を再開した。
「お友達は彼からの電話が終わるなり、わたしを置いてさっさと帰っちゃたんですよ、幸せいっぱいって感じで。しばらく道端でぼんやりしていたんですけれど、急に虚しくなって買い物はやめることにしました。買い物は楽しみだったはずだけど、何だかケチがついてしまったような気がして」
「そういうことってあるよね。ちょっとしたことなんだけど、気分が台無しになってしまうみたいな。ええと、それでこっちに戻ってきたと」
僕は、できるだけ同情しているように見えるだろう表情を作って話す。
「ええ、それで部室の前まで戻ってきたら、中で盛り上がっている気配がするじゃないですか。何だろう、面白いことでも見つけたのかなって、気分がちょっと持ち直したんですね。でも、わたしが扉を開けたら、みなさん急に黙ったじゃないですか。……やましいことがあるみたいに」
小幡さんは、鞄をボフッと床に置くと、自身はすっと椅子に腰掛けた。まるで、これから取り調べを始めると言わんばかりである。
椅子に座った小幡さんは、じっと僕たち4人を順番に見ていき、天城部長のところで視線を止めた。彼女は、黙って部長を見つめ続ける。うん、いい選択だ。僕たち4人の中だったら、部長が一番ぼろを出しやすいだろう。
「おっ大げさに考えすぎだって、オレたち男4人で話をしてたら、ちょっと盛り上がりすぎただけだよ。それで、ええと、急に小幡さんが来たから、なんとなく恥ずかしくなって黙ったというわけさ」
案の定、天城部長はプレッシャーに負けて話し始めた。
「ふうん、それにしては全員がピタッと話をやめたように感じましたけれど」
「そ、それは偶然だよ。ほら、急に会話が途絶えるってことがあるじゃないか。アレだよあれ」
「その現象は、確か外国では『天使が通る』って表現するのだったと思います。けれど、それとは関係ないでしょう。わたしの顔を見て、しまったという感じで話すのをやめましたよね?」
小幡さんはため息をつくと、軽く腕組みをした。
「わたしは、皆さんが人がいないところで悪口を言ったり陰口を叩いたりするような人ではないと思っています。だから、余計に気になるんですね。一体、何の話をしていたんですか。……まさか、いかがわしい事じゃないでしょうね?」
「い、いや、そんなことはない。オレたちは心身ともに健全な大学生だ」
天城部長は慌てて否定したが、反応が明らかに早すぎた。
「ずいぶんと必死に否定するのですね。そもそも普通の話をしていたのだったら、内容を教えてもらえませんか」
「うっ……」
狼狽する天城部長の様子はおかしくもあったのだが、このままでは僕たち全員が誤解されかねないので助け舟を出すことにした。
「部長、ここは正直に話しましょう」
「えっ、いや、それは」
僕は煮え切らない天城部長をほうっておいて、小幡さんに向き合う。
「実は、僕たち4人で百物語をやろうって相談をしていたんだよ」
「百物語って、怪談を何話も語り合うっていう、あの百物語?」
「そうだよ、季節も夏だしちょうどいいかなって」
小幡さんは、きょとんとした表情になったが、それもわずかな間で、すぐにいぶかしげな表情に戻った。
「ええと、だったら別にわたしに隠す必要はないんじゃないの。やっぱり、何かよからぬことを……」
「待って、事情についてはこれから話すよ。聞いてもらえば、おそらく納得してもらえると思う」
僕は小幡さんに、少し前の出来事を説明することにした。
友人と買い物に行く、と言って小幡さんが出ていくと、残された男4人は急速にだらけ始めた。
彼女もだいぶ馴染んできたようではあるのだが、僕たちとしてはいくらか気を使ってはいるのである。もっとも、その気遣いが有効なのかどうかはわからないが。
「ふあぁ、なんか面白いことないかなあ」
天城部長は、椅子からずり落ちそうなだらしない体勢であくびをした。女子の目がなくなった途端に、この体たらくである。
「お前が部長なんだから、こういうときは自分から率先して提案しろよ」
高瀬先輩は冷たく言うと、読んでいた本に目を戻した。本の表紙には「再考 ニューネッシーの正体 あれは本当にウバザメだったのか」とある。どこに隠していたのだろう、小幡さんが居たときにはなかった気がするが。
「部長、なら天体観測でもしましょう。この前、近くの山で謎の光が目撃されたらしいですよ。正体は、流れ星か火球らしいですが、もしかすると本物が見つかるかもしれません」
川北が珍しく勢い込んで発言した。ううむ、彼のUFO熱は大したものである。
「天体観測ねえ、でも、山の上ということは登山しないといけないだろう。今は暑いし、虫だって多いからなあ。できれば、もうちょっとお手軽なやつがいい」
「お手軽って、その辺にUMAが居たり怪奇現象が発生したりするわけないだろ。心霊スポットにしても、大抵は人里離れたところにあるからな」
「むう、でもよう高瀬、この暑さじゃなあ。だいたい、汗だくになりながら幽霊を探しに行くってのも風情がないよなあ」
ふうふう言いながら天城部長は扇風機を自分の近くに引き寄せた。この不思議探究会の部室がある旧クラブ棟には、エアコンなんて上等なものはない。部長のようにだらけすぎるのはどうかと思うが、僕だって炎天下に心霊スポットめぐりをしたりUFOを探すために山登りなんて勘弁願いたいところである。
だが、扇風機一つの部屋の中で、男4人で無為に過ごすというのは、あまりに悲惨である。何か良い方法はないだろうか、できれば汗をかかないもので。
「部長、ここは先人の知恵にならいましょう」
「お、永瀬よ。何か案があるのか?」
「ええ、この季節に室内でお手軽にできる面白いことっていえば、百物語ですよ」
僕が提案すると、天城部長は椅子からずり落ちかけていた体を元に戻した。
「百物語っていうとアレか。怪談を語るたびにロウソクの火を消していって、百話を語り終えたあとに本物の怪異が現れるっていうやつだよな」
「はい。これなら、大した準備もいりませんし、何かが起こるかも、という風にわくわくできますよ。百物語って名前はよく聞きますけれど、実際にやった人の話はほとんど聞いたことがありませんから、不思議探究会の活動としてはふさわしいのではないでしょうか。しかも、夏の風情が感じられますよ」
「風情か、うむ、いい響きだな」
腕組みをした天城部長は、うんうんとうなずく。風情というキーワードか部長の琴線に触れたのかもしれない。
「でもさ、実際のところ百話を語るって無理があると思うんだけど。1話3分としても、全部で300分で5時間だ。いつから始めるかにもよるけど、終わるころには夜が明けていそうだけど」
川北が現実的な懸念を口にした。
「まあ、それはそうだね。でも、百物語は江戸時代に流行った庶民の娯楽なんだから、律儀に百話やる必要はないと思うよ。百っていうのも、数が多いことの例えかもしれないし、僕たちがやるときは現代的なアレンジを加えればいいんじゃないかな」
「ふうん、百物語ってのは庶民の娯楽だったのか。俺は、百話語り終えたあとに起こるっていう怪異の方がメインで、儀式みたいなものを想像していたぜ。さすがは怪談担当、詳しいな」
高瀬先輩は読んでいた本を脇に置くと、感心したように言った。怪談担当が名誉なことかどうかはわからないが、褒められて悪い気はしない。
「そもそも百物語というのはですね、ええと和漢なんたらっていう本に詳しくのっているそうなんですが、江戸期に流行した怪談会の様式なんですよ。最初は、お城の警護の任にあたった武士が夜に暇つぶしに始めたとか、武士の度胸試しにやっていたという説がありますが、それが庶民の間に娯楽として広まったそうなんです。夏場に手軽に涼もとれるし、お金もかかりませんからね。百物語は俳句の夏の季語にもなっているそうですから、昔の人々にとって身近なものだったのでしょう。あっ、明治期になってからも、あるお金持ちが百物語を催したことが文豪の森鴎外の小説にも取り上げられていますね」
「へえ、なかなか洒落ているんだな。面白いじゃないか」
心霊現象懐疑派の高瀬先輩に面白いと言ってもらえて、僕は得意な気分になった。
「うむ、これこそ我が不思議探究会でやってみるべきだな。ええと、百物語のやり方というか作法ってどうだっけ。怪談が百個とロウソクがあればいいのか」
天城部長はすっかり乗り気になったようである。
「作法というか、厳密な決まりはないようですよ。よく行われていたのは、新月の夜に、青い紙を張った行灯を用意して、怪談を語り終えたあとに一つづつ消していくやり方ですね。ただ、行灯を用意するのが大変なので、ロウソクで代用することも多かったそうです。他には、参加者は青い服を左前にして着るとか、怪談を語り終えたあとに鏡をのぞいてみるなんていうのもあります」
「鏡をのぞきこむっていうのは、何の意味があるの?」
川北が首をかしげなから質問してくる。
「鏡に何か映っていないか、確認するっていう度胸試しだったみたい。他には、外の祠に御札を取りに行くっていうパターンもあったらしいよ。要は、怪談会を盛り上げるための趣向の一つだね。まあ、これを全部取り入れるのは無理だろうから、今の時代にあったやり方をすればいいんじゃないかな」
「なるほどな、いいじゃないか。オレたち不思議探究会にふさわしいやり方でアレンジしてやってみようぜ」
天城部長が力強く宣言すると、他のメンバーも首を縦に振った。
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