第11話 キャンパス裏のミステリーサークル1

 この間の肝試しが終わってからも、小幡さんはたびたび顔を出すようになった。

 最初の頃、僕たちは部室をきれいに掃除したり真面目な活動をしたりしようと努力していたのだが、いつの間にか普段どおりに戻っていた。小幡さんも、特にそれを気にした様子もなく、ふらっと来てふらっと帰っていくのであった。

 彼女は、いつもにこにこしていて親しみやすい性格をしているのだが、どこかつかみどころのなさも感じさせた。親しくなるのは簡単なのだが、ある一定以上はなかなか近づけないと言ったらいいのだろうか。あるいは、これは僕が意識しすぎているのかもしれないが。


 講義で小幡さんの姿を見かけることもあった。

 彼女と僕は学部が違うのだが、1年生なので同じ教養の授業をとっていることがあるのだ。遠くから見かけた彼女は、たいてい女子数人のグループで行動していた。社交的な性格らしく、通りかかった学生たちに挨拶したり笑い合ったりしていて、友人も多いようだった。

 しかし、どうして彼女のような女の子が「不思議探究会」なる怪しげなサークルに関わろうと思ったのだろうか。入っている僕がいうのもなんだが、変な男たちが世の不思議について語り合ったりするだけという、何の生産性もないサークルである。彼女なら、もっと大学生らしい楽しそうなサークルが、いくらでも歓迎してくれるだろう。不思議だ。そういえば、彼女は「不思議」という言葉をよく使ったが、僕にとっては彼女自身が不思議であり謎である。

 講義室の隅から、ぼんやりと小幡さんを眺めていると、それに気づいた友人が言った。

「ああいう子いいよなあ。なんとかお近づきになりたいもんだ」

 どう答えるか迷ったが、僕は黙って友人に頷いてみせた。



 6月の半ば、梅雨時にしては珍しく、よく晴れた日のことである。

 僕は、講義が終わったあと、何気なく不思議探究会へと足を運んだ。せっかくの好天なのに他にやることはないのか、と思わないでもなかったが、もはやこれは習慣になっていた。大学生らしいキャンパスライフってなんだろう、と愚にもつかないことを考えながら歩いていると、前方をとことこ歩いている女の子の姿が目に入る。

「小幡さん、今日も部室に顔を出して行くの?」

 僕は、不自然にならない程度の早足で距離をつめながら声をかけた。

「うん。永瀬くんもこれから行くんだよね」

 小幡さんは、僕の横に並ぶとふわっとした笑顔を浮かべた。現金なもので、彼女と教授たちの噂話やら単位を取りやすい授業について他愛のない話をしていると、幸せ気分になってくる。もしかすると、これが楽しいキャンパスライフというやつかもしれない。

 だが、それは不思議探究会のドアを開けるまでの話だった。


 目の前に不思議な光景が広がっていた。

 古びた扇風機をまるで恋人のように抱きしめる天城部長、その前にドライバーを持って立ちふさがる川北。一体、この人たちは何をしているのだろうか。

「あ、ちょうど良かった。小幡さんに永瀬、コイツを止めてくれ」

「何をやっているんです、何を」

 天城部長は、ちらりと僕たちの方を見たが、すぐに川北に向き直った。

「川北が、この扇風機ちゃんを分解するって言うんだ。せっかく健気に涼しい風を送ってくれているのに、再起不能になったらどうするんだよ」

「人聞きの悪いことを言わないで下さい。少し異音がするので、分解して清掃するだけですよ」

 工学部だからか、川北はちょっとした機械に詳しい。そのおかげで、部室の隅でホコリを被っていたビデオなどが息を吹き返したのだ。しかし、彼は修理というよりも、機械を分解して内部構造を見るのが趣味なようで、部長の危惧はわからないでもなかった。

「川北くんは、機械に詳しいから任せていいんじゃないですか」

 小幡さんは、にこやかに言うと、定位置にしている窓際の椅子に腰掛けた。彼女もずいぶんと、このサークルに馴染んだようである。

「ほら、小幡さんも言ってます。この扇風機、古いスイッチの構造が気になっているんですよ。だいたい想像はつくのですが、せっかくだから確認したいので」

「いや、目的が違うだろう。この扇風機ちゃんが駄目になったら、どうやって夏を乗り切るんだ。ほれ、永瀬も何とか言ってくれ」

「うーん、僕たちがやるよりは大丈夫なんじゃないですか。川北がビデオを直してくれたおかげで、部室の古いビデオを使えるようになったわけですし、任せましょう」

 僕と小幡さんの応援を得た川北が、ドライバーを片手に扇風機に迫る。見ようによってはホラーと言えなくもないが、天城部長がかばっているのが扇風機なので滑稽なだけだ。川北が扇風機に手を伸ばそうとしたところで、部屋の扉が開いた。

「何やってんだ、お前ら」

 やってきたのは高瀬先輩だった。

「た、高瀬よう。川北が扇風機を分解するのを止めさせてくれ」

「別にいいじゃないか、俺も扇風機の羽がカクついているのが気になってたんだ」

「ほら、部長以外のみんなが良いと言っています。それに、他にやることもないでしょう」

「いや、そうだ。オレたちには、議論すべき謎があるだろう。ええと……」

 天城部長が助けを求めるように僕たちを見たが、そんなネタを持ち合わせていない僕は黙って首を振った。小幡さんも、ちょっと申し訳なさそうな顔をしてから首を振る。

「なあ天城、この前に何か騒いでいなかったか?」

 意外にも、高瀬先輩が天城部長を助けるような発言をした。

「お、そうだ。ちょうど、川北向けの面白い話があるんだ。しかも、この大学での話だぜ」

「自分は、心霊とか怪談なんていうものには興味ありませんよ」

「いや、そうじゃない。お前、UFOとか好きだったろ。大学の裏手で見つかったんだよ……ミステリーサークルが」

「本当ですか、ぜひ聞かせてください」

 川北はドライバーを道具箱にしまうと、ひょいと椅子に腰掛けた。


「初歩的なことなのですけど、ミステリーサークルって、ええと、作物とかが円形に倒れる現象のことですよね」 

 小幡さんがおずおずと質問した。考えてみると、誰もがオカルト的な現象について知識をもっているわけではない。僕だって、彼女と同じぐらいの認識である。普通の人は、ミステリーサークルと言ったら推理小説などの研究会を指すのだと思うのかもしれない。あるいは、活動が謎である僕たちのサークルだってミステリーサークルと呼べなくもないだろう。

「おおむねそれで合っていると思うよ。そもそも、ミステリーサークルという言葉に明確な定義があるかもわからない。日本では、ミステリーサークルと呼称することが多いけれど、海外ではクロップサークルと呼ぶこともあるみたいだね。クロップは、穀物や作物の意味だから、クロップサークルの方が実態をよく表しているともいえる」

 メガネを少し持ち上げながら川北が説明した。彼はUFOや宇宙人絡みになると、饒舌になるのだ。

「ミステリーサークルって有名だっけ、昔に流行したらしいけど。最近、何かあったという話は聞いたことがないなあ」

 僕が疑問を発すると、川北は少し考えたのちに口を開いた。

「そうだね。穀物が円形に倒れるという現象は昔からあったみたいだけれど、いわゆるミステリーサークルが有名になったのは1980年から1990年にかけてのことだよ」

「意外と短いんだなあ。一夜にして穀物畑に謎の模様ができるっていうインパクトに比べると、寿命が短いというか」

 川北の話が本当だとすると、たった10年のブームである。オカルト的な現象をまとめた本やネットなどには、大抵のっているから、もうちょっと歴史があるものだと思っていたのだが。

「ふうん、面白そう。わたし、ミステリーサークルって名前を聞いたことがあるぐらいで全然知らなかったから。あっ、不勉強ですみません」

 なぜか小幡さんは謝ったが、むしろ知らない方が普通である。

「うむ、ここはせっかくだから川北よ。ミステリーサークルについてざっと説明してくないか。オレは、部長だからだいたいは知ってるけど。だいたいは」

 天城部長は適当なことを言って川北に説明を任せたが、彼は気にした様子もなく話し始めた。


「自分としても細部まで知っているわけではないので、こういった解釈もあるという程度に聞いてください。ミステリーサークルが最初に話題になったのは、1980年代のイギリスと言われています。ある日、農家の人間が畑を見回りに行くと、小麦が円形に倒れているのを発見しました。前日までは異常がなく、現場には足跡も見つからなかったこともあって、奇妙だと話題になったそうです。また、出現した円は非常に精巧であり、小麦の倒れかたも無理に力を加えたようではなく、きれいに曲がっていたことも、この現象の不思議さに拍車をかけたといえるでしょう」 

 ああ、そんな話だったな、僕は川北の話を聞きながら思い出す。

「その後、ミステリーサークルは、テレビや新聞などに取り上げられて有名になっていくわけですが、出現する模様もどんどんと複雑になっていきます。初期は単なる円形のものが多かったのですが、徐々に幾何学模様や文字らしきものなど、より複雑なものになっていきました。あたかも……」 

「上達する、習熟したかのように、かな」

 意味ありげな口調で、高瀬先輩が言った。

「ええ、こうして有名になったミステリーサークルですが、どうやって発生するのか、あるいは作られているのかは謎でした。自然現象説や人間の悪戯説、そして宇宙人説ですね。たった一晩で、誰にも見られずに複雑な図形を小麦畑に描くのは、宇宙人の仕業ではないかというものです」

 ついに、川北が執着する宇宙人が出てきたわけだが、彼の口調は淡々としていた。まあ、さすがの彼もミステリーサークルが宇宙人が作ったものだとは思っていないのだろう。

「わっ、ミステリーサークルって思っていたよりもすごいんだね」

 驚いたような声がしたので目を向けると、小幡さんがスマートフォンの画面をしげしげと眺めていた。

「どんなものか気になったから、画像検索してみたけれど思っていたよりもきれい。オカルト的な現象っていうよりも、穀物畑を使ったアート作品みたいなのかな。でも、これがどうして短期間しか流行しなかったの?」

「端的に言うと、人間の仕業であることが分かったからです。ある人物がミステリーサークルは、自分で作ったと告白しました。理由は悪戯で、話題になるのが面白くてどんどん複雑な模様に挑戦したり自然現象には見えない図形をあえて作ったりしたそうです。ですが、あまりに話が大きくなりすぎたので名乗り出た、という話だったと思います」

「結局、人間がやったことなんだ。でも、全部その人がやったわけじゃないでしょう?」

 小幡さんはスマートフォンの画面を見ながら、軽く首をかしげた。

「ミステリーサークルが有名になるにつれ、便乗する人も多くなったようです。中には、専門的な知識をもつ人が集団でやったケースもありましたし、農家の方も話題作りのために作ってもらったケースもあったそうですよ。なにより、ブームとして盛り上がっていたものの、世間の人も内心では人間の仕業でないかと疑っていたんでしょう。例の告白のあとは、話題は下火になって、ミステリーサークルも発見されることは少なくなってしまったということです」

 一気に話すと、川北は残念そうにため息をついた。僕にも経験があるのだが、興味を持って調べてみると、実はたいした話ではなくてがっかりするということがある。特にオカルトや都市伝説ではこの傾向が顕著であり、好きな人ほど懐疑的になるということも少なくないのだ。

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