第10話 肝試し 反省会2
テーブルの上には停滞した雰囲気が漂っていた。
いくつかの仮説が披露されたのだが、どれも天城部長の眼鏡にかなうものはなかったのだ。これは部長がケーキを惜しんでいるのではなくて、僕たち全員を完全に納得させるようなものがなかった、という理由もある。
先陣を切った小幡さんは「別のグループが肝試し説」を発表した。
これは、僕たち以外のグループがあのビルで肝試しをする予定で、そのグループの中の1人が事前に数々の悪戯を仕掛けていたというものである。たまたま、僕たちが先に入ってしまったので、不思議な状況が生まれたという説明だった。
この仮説に対して、天城部長の反応はまあまあといったところだった。しかし、高瀬先輩が肝試しだったらもっとそれらしい演出をするのではないか、と指摘した。ドアノブの髪の毛は良いとして、空き缶のトラップは明らかに人の手によるものだとわかってしまうから不適だというのである。どうせなら、2階の事務室に白っぽい服でも吊るしておいた方が盛り上がるだろう、と先輩は主張した。
部長は、高瀬先輩の指摘に同意し、小幡さんも説の弱点を認めて引き下がった。
2番手は「犯人は3階にいた説」の川北である。
これは、ビルの3階に悪戯を仕掛けた犯人が潜んでいたという衝撃の仮説だった。彼の主張は、数々の仕掛けは心理的なトリックのための布石だというものである。ビルに入ってきた人間の注意を1階や2階に集中させて、3階への興味を失わせるのがポイントだと彼は力説した。確かに、僕たちは2階まで探索したところで満足して、封鎖されていた3階へ行こうとは思わなかったのは事実ではあった。
だが、天城部長は「ひねくれすぎている」という理由であっさりと却下した。更に、高瀬先輩が「電気や水道が通っていないビルにこもるのは無理がある。トイレも使えないのに、バリケードまで作って3階に隠れるのか」と疑問を呈すると。川北はしぶしぶ降参した。
次に仮説を披露したのは僕であった。
僕は「実は監視されていた説」を唱えた。これは、入り口のドア付近や2階フロアの出口辺りにカメラが設置されていて、仕掛けに驚く侵入者たちを、何者かが見て楽しんでいたというものだった。自分たちの行動が見られていたというのは、ちょっと嫌な仮説であったが、他に思いつかなかったのだ。
天城部長は、僕の仮説についてしばらく考えているようだったが、川北が異議を唱えた。電気の通じていないビルに、監視カメラを設置するのは難しいのではないかという意見である。電源がとれないとなると、カメラに動体検知器を組み合わせるなどして、侵入者が来たときのみに作動するようにしないとバッテリーが持たない。しかも、暗闇での撮影となるので暗視機能は必須となる。そうなると、必然的にコストも手間もかかるわけで、現実的ではないという主張だった。
川北の主張を聞いた部長は、僕に向けて両手でバツ印を作った。
最後の高瀬先輩は、変人がやることに理屈や意味を求めても仕方がない、とだけ言った。ある意味、もっともリアリティがあったのだが、天城部長が納得するわけがない。
ということで、景品のパンケーキはテーブルにのせられたままになってしまったのである。
「結局、よくわからないままですよね。うーん、不思議」
頬を膨らませた小幡さんは、パンケーキに未練ありげな視線を送った。ファミリーレストランに似合わぬクオリティのパンケーキは、天城部長のぷよぷよのお腹に収まる運命のようである。
「上手く言えないけれど、ちぐはぐな印象を受けるんだよなあ。滅多に人のこないビルに、あんな仕掛けをする意味があるのかな。せっかく手間をかけるんなら、部長が見た掲示板に嘘の書き込みをして人を集めればいいのに」
僕が愚痴っぽく言うと、天城部長はお皿に伸ばしそうとした手を止めた。
「言われてみればそうだな。オレが言うのもおかしな話だが、あの掲示板の書き込みは量も少なかったし、内容だってそんなに魅力的じゃなかった。ふん、来てほしいのか来ないでほしいのか、はっきりしないな」
「あっ……」
小幡さんは何かを言いかけたが、黙って下を向いた。僕たちが怪訝に思っていると、彼女は自信なげな様子で語りはじめた。
「うまく言えないのですけれど、あのビルは滅多に人が来ないけれど、まったく来ないというわけでもなかった。ええと、わたしたちのような不特定多数の人間が肝試しに訪れる可能性もあったってことですよね」
「そりゃあ、そういうことのなるだろうけど。それが?」
僕が質問すると、小幡さんは少し考えこんだ。
「もしかすると、あの廃ビルは、あまり表沙汰にできないようなことに利用されていたのかなって思って」
「犯罪の類か?」
高瀬先輩が真面目な表情で言った。
「そこまでかは、わかりませんけれど。人が滅多に来ないビルに出入りしている人がいれば、普通は怪しまれます。でも、そこが心霊スポットなら、肝試しだって言い訳できるんじゃないかなって」
「考え方は面白いが、そんなところで行われる行為って何だろう?」
天城部長は、ちらりとテーブルの皿を見たが、小幡さんが言おうとしていることも気になるようである。
「あのビルで何かをするっていうよりも、取引でしょうか。大声では言えないような品物の……」
「薬物関連か、麻薬とは言わないまでも、それに類するようなモノの受け渡しの現場ってことか」
高瀬先輩が声をひそめて言った。ファミレスでするには、不適当な話題だと思ったのだろう。
「ええ、リスク回避のために、売り手が品物をビルのどこかに隠しておいて、買い手が肝試しを装って取りに来ていたとしたらどうでしょう」
「でも、隠すといっても、僕たちのように事情を知らない人間が入ってくる可能性もあるわけじゃない。偶然発見されたら大変だけど、隠すような場所ってあったかな?」
「それは……」
小幡さんが答えられずにいると、川北が口を開いた。
「1階のトイレが怪しいと思う。あそこは、床に黒い液体がまかれていたけれど、あれは奥に人を近づけさせないためじゃないかな」
「うーん、それも一理あると思うけど、それだと取引のたびに靴が台無しになるんじゃない?」
僕は、黒い粘着質な液体がトイレの床に広がっていたのを思い出していた。
「トイレの手前に、倉庫らしき場所があったのを覚えてる?あそこに、布やビニール袋のようなものが捨ててあっただろ」
「あったけど、それが?」
「あのビニール袋、もしかすると安価なシューズカバーだったのかもしれない。あれを使って物品を回収して、汚れた部分を布で拭いていた可能性がある。確認しておけばよかったな」
「シューズカバーって言うと、靴の上から履くやつだっけ。あれなら、いけるかな。目的の品物は、個室にあるトイレの貯水タンクにでも隠しておけば、知らない人にはまず気づかれないか」
口にしているうちに、僕は何だか妙なリアリティを感じはじめていた。
「でもよ、それだと2階の空き缶のトラップはなんだったんだよ。入り口の髪の毛も必要なくないか」
天城部長は納得していないようである。
「わかった……ような気がします」
静かに発言した小幡さんに、みんなの視線が集まった。
「あの廃ビルで違法な品物の取引が行われていたと仮定しましょう。まず、部長さんが見たという掲示板で怪談話を流して、肝試しの場所になってもおかしくないようにします。そうしておけば、ビルに出入りするところを見咎められてもなんとか言い訳できるでしょう。一方で、心霊スポットとして本当に有名になってしまっては困るので、掲示板の書き込みは控えておいたのだと思います」
「ふむ、筋は通っている。心霊スポットを捏造しておいて、そこを取引場所に使うというのは、面白い発想だ」
高瀬先輩は、腕組みをしながら頷いた。
「次に、取引の方法なんですが、わたしは2階の事務所にあったホワイトボードを使って、秘密のやり取りをしていたんじゃないかと思います」
「ホワイトボードって、あの「営業」とか「会議」とか書いてあるやつだっけ。磁石で社員の所在地をわかりやすくするっていう職場の工夫的な」
僕が思い出しながら言うと、小幡さんはこっくりと頷いた。
「発想は面白いと思うけど、なんでそんな面倒なことをするんだ。今の御時世だったら、メールなりSNSがあるだろう」
そう言って天城部長は、首をかしげた。小幡さんがやると可愛い動作なのだが、部長がやると困っているだけにしかみえない。
「証拠が残るのを嫌がったのだと思います。メールやSNSだと便利ですけれど、誰かが逮捕されたりしてスマートフォンやパソコンを押さえられたら言い逃れができません。ホワイトボードを使うやり方は原始的ですけれど、知らない人が見ても、意味がわかりませんから安全じゃないですか」
「なるほど、それも一理あるな。それに加えて、遊び心とでもいうのかな、秘密のやりとりでちょっとしたスリルを楽しんでいた可能性もあるな。あるいは、売り手と買い手はできるだけ接点を持ちたくなかったのか」
どうやら高瀬先輩は、この仮説に興味を持ち始めたようである。
「だが、欠点もあるな。いくら人がこない廃ビルだとしても、俺たちのような物好きが事情を知らずにやってきて、ホワイトボードを触ってしまう可能性がある。そうすると、メッセージがきちんと伝わらなくなってしまう」
「その対策が、ドアノブの髪の毛と空き缶のトラップだったのだと思います」
僕は、小幡さんが言わんとするところを考えてみたが、やはりわからなかった。
「入り口のドアを部長さんが開けたとき、張り付いていた髪の毛が切れました。あの髪は、人の出入りをわかりやすくするためのものだったのではないでしょうか。髪の毛が切れていたら、誰かが入った。そのままであったら、人の出入りはないということです」
そうか、僕は髪の毛が切れる様子を見て、封印を解いたみたいだ思ったが、ある意味それは正しかったのか。
「空き缶トラップについては、ビルに入ってきた人物が、事情を知っている人間かそうでないかを判別するためのものだったのだと思います。知らない人だったら、まず引っかかってしまいますから、空き缶が転がっていれば無関係の人が来たのだと判別できるのではないでしょうか。ひょっとすると、空き缶を元に戻しておく可能性もありますが、椅子の上にあった空き缶は複数でしたから、置き方にも法則があったのかもしれません。さすがに、知らない人が元通りに並べるのは無理なはずですから」
なんだか混乱してきたな。僕は頭の中で整理しながら、口に出してまとめる。
「ええと、まずは買い手かな。買い手の人がホワイトボードを使ってメッセージを残しておくってことだよね。帰り際に空き缶を設置して、入り口に髪の毛を貼り付けておく。売り手の人は、髪の毛の状態を確認して、切れているようなら中に入ってホワイトボードを確認する。あっ、このときに空き缶トラップが作動していなければ関係者が残したメッセージだから、それに応じて商品を1階のトイレに隠しておくってことか……」
ふと、僕はビルの周辺にコンビニの袋が散乱していたのを思い出した。あれは、ちょくちょく見回りに来ている人が捨てていったものなのだろうか。
テーブルは静まりかえった。みんなも小幡さんの仮説を検証しているのだろう。パンケーキを前に考え込む大学生のグループ、周囲から見れば僕たちの方が謎だと思われるかもしれない。
「よし、合格」
天城部長は、威勢のいい声を出すと、パンケーキのお皿を小幡さんの前に押しやった。
「やった。いいんですか。結構、穴がある説だと思うのですけど」
「いや、発想がいい。人が滅多に来ないが、たまに来てもおかしくはない、という心霊スポットの特性を利用した取引。なかなかのロマンだ」
天城部長に太鼓判を押された小幡さんは、待ってましたとばかりにパンケーキを口に運んだ。
「美味しい。すっごくふわふわで、ほんとにとろけそう……」
小幡さんは本当に嬉しそうな顔で、機嫌も上々のようである。天城杯の景品は、小幡さんの手に渡ったわけではあるが、これはこれで悪くないなと思った。ふと、川北が浮かない顔をしていることに気がついた。
「どうしたんだよ。そんなに食べたかったのかよ」
「いや、そうじゃない。少し気になることがあって……いや、まさかね」
川北にしては、歯切れの悪いセリフである。
「そんな言い方したら気になるだろ。どうしたの?」
「うん、小幡さんの仮説が正しいとしよう。……だとすると、自分たちは高瀬先輩が気づいたおかげで空き缶トラップを回避することができた。そして、帰り際に……」
「あっ」
そうだ、川北が磁石を全部「退社」のところに動かして帰ってきてしまったのだ。あれは一体、どういうメッセージになるのだろうか。
「ま、まあ、あくまでも仮説の話だし……」
「そうだよな。でも、あのビルには近づかない方が良い気がする」
僕と川北がひそひそ話をしている横で、小幡さんは幸せそうにパンケーキを味わっていた。
後日、天城部長は、例の掲示板を定期的にチェックしていたらしいが、新しい書き込みが増えることはなかったそうだ。たまたま、廃ビルを近くを通りかかったとき寄ってみると、建物の周囲には柵が作られており、立入禁止の表示がされていたということである。
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