第9話 肝試し 反省会1
金曜日の晩ということもあって、ファミリーレストランは賑わっていた。
僕たちは廃屋をあとにしてから、天城部長の車で大学近くまで戻ってきていた。僕は落ち着いていたつもりだったが、慣れない廃屋探検で緊張していたのかもしれない。気分が落ち着いてくると、自分がずいぶんと空腹であることに気がついた。
ファミリーレストランは、名前のイメージに反してお金に余裕のない学生の財布には厳しいのだが、今日は天城部長が持ってきたクーポン券のおかげで存分に楽しむことができる。みんなも同じ心境なのか、雰囲気は明るい。
「怪談の定番とは順序が逆でしたけど、これはこれで悪くはないですね」
僕が感想を口にすると、天城部長はオムライスを口に運ぶ手を止めた。
「逆ってどういうことだ?あっ、アレか。メシを食べていると盛り上がってきて、心霊スポットに行くっていう怪談のお約束の展開のことか。そうだな、確かに悪くない、ひと仕事終えたって感じだもんな」
「みんなと一緒に、いつもとは違う非日常的な体験をすると、距離が近くなった気がするよね」
小幡さんは、ほうれん草とベーコンのスパゲティをフォークに絡めながらご機嫌だ。いつもの男4人も悪くはないのだが、彼女がいると場の空気がぐっと華やいだものになる気がする。
「緊張からの緩和が良い作用をもたらしているかな。まあ、その……悪くないですね」
こんなときでも川北は理屈っぽい。そんな彼も、ピザとコーヒーを前にしてご満悦のようである。
「今日の肝試しは、天城にしては当たりじゃないか。いつもこんな感じだとありがたいんだがな」
「何を言っているんだ。オレたちはいつも実りある活動をしているだろう。以前にも……何だっけ?」
口ごもる天城部長を横目に、高瀬先輩はミニ丼セットのうどんをすすった。なんだかんだ言いながら、先輩も機嫌はよさそうである。
「ふふ、すごく興味があります。よかったら教えていただけませんか」
小幡さんは先輩たちのやりとりに笑みを浮かべた。彼女の笑顔をちらりと見て、やっぱり良いなあと思う。そのことをうまくく伝えたかったが、適切な表現が思いつかず、僕は黙って手元のハンバーグを切り分けることにした。
「おっ、いいね。それでは不思議探究会の華麗なる活動について、部長のこのオレが語ってしんぜよう。あれは去年、高瀬と2人で山深くにあるという幻の廃寺に行ったときのことなんだが……」
「さんざん道に迷ったあげく、寺に着いたときには草や泥だらけのひどい有り様で、居た人が悲鳴をあげて逃げていった話か」
「いや、あれは地図を担当していたお前の責任だろう」
「いいや、あれは天城が喉が乾いたってわめくから、わざわざ沢まで苦労して降りていくはめになったんだぞ」
僕は先輩たちの話を楽しく聞いたが、正直なところ自分たちが体験するのは遠慮したいというような話も多々あった。天城部長の思いつきに気をつけよう、僕は心の中で決意した。
「それにしても不思議でしたね、あのビルは」
食事が一段落したあと、小幡さんがぽつりと言った。
「不思議って、ええと、空き缶のトラップのこと?あっ、入り口の髪の毛もそうか。確かに気にはなったけれど、あれは誰かの悪戯ってことで結論が出たんじゃなかったっけ」
記憶をたどりながら言ってみたが、小幡さんは軽く首をかしげた。どうやら、完全には納得していないようである。
だが、あれは完全に人の手によるものだろう。いくら僕が怪談担当だといっても、今回は超自然的な力が介入する余地はないと思える。
「実はわたし、ビルにあった色々な仕掛けは、部長さんが事前に仕込んでいたのかなって疑っていたんです」
「ほほう、そうきたか。それで、根拠は?」
やらせを疑われた天城部長だが、なぜか嬉しそうな表情である。
「入り口のドアノブにあった髪の毛ですね。わたしは、心霊現象を完全に否定するってわけじゃないですけど、いくらなんでも、あれは作為的すぎるなって思いました。そう思うと、肝試しについても、ずいぶんと唐突に行くんだなって怪しく思えてきたんですね……」
天城部長との付き合いの少ない小幡さんがそう思うのは、無理ないかもしれない。だが、部長はいつだって行き当たりばったりなのである。
「でも、部長さんが車の中で、廃墟探検の心得を語っていたのを思い出して、そんなことをするかなって考え直しました。部長さんは、廃墟に悪戯をしたり、あらかじめ仕掛けをしておくなんて反対なんですよね」
「うむ、そのとおり。オレたちは、純粋な手段でロマンと謎を追求しているんだからな。でも、別の可能性を考えられないか」
意味ありげなことを言って、天城部長はコーヒーに角砂糖を入れた。
「いえ、思いつかないです」
「オレは、心霊スポットはありのままに観察するべきという主義だ。それに、他人の財産に悪戯するなんてもってのほかだと思っている。だが……あのビルがオレの持ち物だったとしたら」
「アホか、小さいとはいえあれぐらいのビルを所有できるぐらいの財産があったら、クーポン券じゃなくて全員におごれよな」
天城部長のたわごとは、高瀬先輩にばっさりと斬られてしまった。反応に困ったのか、小幡さんは苦笑いをしている。
「でも、途中からは高瀬さんのことが疑わしく思えてきたんです」
「俺か……いや、おかしな行動をとった覚えはないが」
意外だったのか、高瀬先輩は口元まで運んでいたカップをテーブルに戻す。
「2階への階段を登ったときです。高瀬さんは、空き缶トラップに引っかかりそうだった部長さんを制止しました」
「うん?いくら俺でも、天城が罠にかかるのを眺めて喜ぶような鬼畜ではない。それに、驚いた天城が後ろに転がり落ちてきて巻き込まれるのはごめんだ」
「ええと、そういうことではなくてですね、あの懐中電灯だけが頼りの暗い中で、よく糸に気づいたなって思ったんです」
確かに、僕だって糸が張られていると言われてもすぐには見つけられなかったほどだ。高瀬先輩は慎重な人だが、別に訓練された特殊部隊隊員などではない。
「どうしてあんな見つけにくいものに気づいたんだろうって疑問に思うと、最初から知っていたんじゃないかという可能性に思い至りました。でも、夕方にサークルのお部屋にお邪魔したときのことを思い出したんです」
僕と一緒に部室に行ったときのことか。特に変わったことはなかったと思うのだが。
「高瀬さんは本を読んでいましたね。タイトルからすると内容はベトナム戦争を扱ったものだったのでしょう。うろ覚えの知識なのですけれど、ベトナム戦争ではブービートラップが多用されたそうですから、そのことが頭にあったから張られた糸に気づいたんじゃないかって」
「いや、正直に言ってあの糸に気づいたのは偶然だ。だが、北ベトナム軍がトラップ使って米軍を苦しめたという部分は読んでいたから、意識しないうちにああいった仕掛けに敏感になっていたのかもしれないな。想像力が豊かすぎる気もするが、悪くない。面白い発想だと思う」
「そ、そうですか。ちょっと強引でしたね」
小幡さんは、想像力が豊かすぎると言われたせいか少し顔を赤らめた。
「結局のところ、ビルに仕掛けてあった悪戯について、俺と天城の嫌疑は晴れたということでいいのか?」
「はい。ただ、本気でお2人を疑っていたわけではありませんよ。でも、不思議ですよね。悪戯にしては手がかかりすぎていると思うんです。部長さんの話だと、掲示板には書き込みがほとんどないということでしたから、肝試しに来る人なんてほとんどいないはずなのに……」
改めて考えてみると、妙な話ではある。どこかの変わり者がやったということでも一応説明はつくのだが、どこか違和感があるのだ。
みんなも同じように思ったのか、テーブルの上を静寂が満たした。隣のテーブルから、家族連れの楽しそうな会話が聞こえてくる。ううむ、僕たちは金曜の夜に一体なにを議論しているのだろう。
「よし、ひらめいたぞ」
天城部長は、きょろきょろと辺りを見回したかと思うと、しゅたっと勢いよく右手をあげた。僕たちがあっけにとられていると、店員が近づいてくる。
「三種のベリーを添えた天使のふわふわパンケーキ一つお願いします」
店員が、軽くお辞儀をして去っていくと、僕たちのテーブルには、なんとも言えない空気が漂った。
「何をひらめいたんだ。自分だけ、デザートを食うってことか?」
高瀬先輩が、みんなの気持ちを代弁するかのように言った。
「オレがそんなことをするわけがないだろう。さっきの注文は、いわば景品だよ。これから行う天城杯のな」
状況を飲み込めない僕たちが、顔を見合わせていると、天城部長は得意そうに続けた。
「これからみんなには、さっき行ってきた廃ビルの謎について思う存分に議論してもらう。その中で、もっとも面白くロマンのある答えを思いついたものに、さっきの、ええと何とかパンケーキをやろう。もちろん、オレのおごりだ」
「えっ、いいんですか。すっごくおいしそう……あっ、これはわたしが食べられるって思い上がっているわけじゃないですよ」
小幡さんは顔を赤らめたが、目はしっかりとメニュー表に向けられていた。案外ちゃっかりした性格なのかもしれない。あるいは、慣れてきて地が出てきただけかもしれないが。
「質問なのですが、判定はどういって基準で行うのですか?それによって、戦略が変わってきますね」
川北が、メガネの位置を調整しながらもっともな質問をする。
「審判はオレな。部長だし景品代を出しているから問題はないだろ。ただし、オレの納得がいく答えが出ない場合は、景品は没収する」
要は自分で食べるってことか。まあ、天城部長は変わり者だが、パンケーキ食べたさにみんなの意見をことごとく却下するようなマネはしないだろう。……たぶん。
テーブルを囲むみんなは、既に考え始めていた。
僕も遅れは取らないように、慌てて今日の出来事を思い返す。僕としては、何が何でもパンケーキを食べたいというわけではないが、いいところをみせたいという気持ちがある。真剣な顔つきの小幡さんをちらりと見てから、僕は天城部長が喜びそうな仮説をだそうと頭を回転させ始めた。
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