第8話 肝試し 廃屋探検4

 さて、残るは階段である。このビルは3階建てのようだが、メインとなるのは男の霊が現れたという2階だろう。僕たちは、再び天城先輩を先頭にして階段を登っていく。

「こうやって一列で歩いていると、危ない目に遭いやすいのはどこだっけ。気がついたら最後尾のやつが消えてるとかあったよな」

 どことなく嬉しそうな口調で天城部長が言った。ちなみに、一番後ろを歩いているのは僕である。もしかすると、トイレ前で怖がらせるようなことを言ったのを根にもっているのかもしれない。

「僕だって、いまさらそんなお約束のパターンに驚きませんよ。伊達に怪談担当ってわけじゃないですから」

「むう、誰も怖がらないっていうのもつまらんなあ」

 天城部長は自分勝手なことを言いながら、階段を登っていく。2階のフロアに足をかけようとしたとき、高瀬先輩が急に声をあげた。

「待て、危ない」

 そう言って高瀬先輩は、天城部長の肩をぐっと掴んだ。

「えっ、おっ、おい、あ、危ないだろ」

 驚いたのか、天城部長の身体が後ろへと流れる。部長は、ぶんぶんと手を振り回してなんとか倒れないようにバランスをとり、後ろから高瀬先輩が支えて身体を止めた。

 後ろの僕たちは、ほっと胸を撫で下ろす。こんな階段で、一番先頭が倒れて落っこちてきたら大惨事である。

「驚かせて悪かった。だが、気になるものが見えてな」

 高瀬先輩は一番上の段にかがみ込むんで注意深く調べはじめた。一体どうしたのだろう、先輩は軽率な人ではないから、何もないということはないだろうが。

「……床から10センチぐらいのところに、釣り糸らしきものが張られている。何か反射したように見えたんだが、気のせいではなかったな」

「何だよそれ、いくらオレでも釣り糸ぐらいじゃ転ばないぞ」

「それが目的じゃないだろう。……釣り糸の端は、ぼろぼろの椅子に結び付けられているようだ。ほう、おまけに椅子の上には空き缶が積まれている。ふん、ご丁寧なこった」

 肩をすくめた高瀬先輩は、ゆっくりと糸をまたいで2階フロアに移動する。僕たちも注意深くあとに続くと、先輩の言う通り2階フロアの入り口に、糸を使った仕掛けがされていた。

 空き缶をのせた丸椅子が入り口の両側に置かれ、椅子の足に糸が張られている。古びた丸椅子は安っぽいパイプ製で、足も曲がっているので不安定そうだ。糸に気づかずに階段を上がると、空き缶が落ちて音が鳴り響くという寸法だろう。

 それにしても、高瀬先輩はこんな暗い中でよく気づいたものだ。

「ううむ、悪趣味なことをしやがるな。しかも、空き缶を3つも4つものせやがって。下手したら、驚いて階段から落ちかねんぞ」

 憤然とした様子で天城部長が言う。確かに、懐中電灯しかない暗闇の中で、不意に複数の空き缶が転がり落ちる音が聞こえたらパニックになりかねない。

「……なんだか不思議ですね」

「どうしてそう思うの」

 ぽつりと呟いた小幡さんに質問する。

「えっと、大した根拠はないのだけど、何だか変だなって思って。こういった仕掛け、ええと、トラップだっけ。こういうのを仕掛ける人って、ひっかかって驚く人を見て楽しむものなんでしょう。でも、ここだとトラップがちゃんと作動したかもわからないと思うの」

 いつの間にか、みんなが小幡さんを注目していた。

「あっ、いえ、根拠のあることじゃありません。ちょっと変だなって思ったぐらいで……」

「その疑問はわからんでもない。だが、こんな廃屋にわざわざトラップを仕掛けるヤツなんて相当な変わり者だろう。そんな人間のことだから、誰かが引っかかることを想像して愉悦にひたっているのかもしれん」

 高瀬先輩が忌々しそうに言った。うーん、嫌な犯人像である。

「あるいは、幼稚な嫌がらせでしょうか。廃屋探検に来たけれど、何もなかったので、腹いせに悪戯を仕掛けたと」

 川北が懐中電灯で階段付近を照らしながら言った。3階への階段は、積み上げられた机や椅子で通れなくなっている。ちょっとしたバリケードのようなもので、3階に行くのは無理だろう。

「まあ、オレも気にはなるけどな。でも、こんな暗くて埃っぽいところで話し合ってても仕方がないぞ。それより、メインの探索に行こうぜ。掲示板の情報によると、男の幽霊が窓に映るってのは2階なんだから」

 天城部長が、事務所らしき場所に通じるドアを指さした。ここは小さなビルだから、他に大きな部屋はない。おそらくあそこが、首を吊った男の霊が現れるという場所だろう。僕たちは話を中断すると、部長を先頭にドアへと向かった。


「開いているかな……よし、鍵は掛かっていないな」

 天城部長がもったいぶった態度でゆっくりとノブを回す。怖がりなわりに、変なところで余裕を見せようとする。

「あっあの、待ってください」

 小幡さんが、まさしくドアを開けようとする天城部長を止めた。

「おっ、どうやら小幡さんも怖くなってきたみたいだな。だが、ロマンと謎の追求のためには、このドアを開けなくてはならないのだ」

「い、いえ、そういうことじゃなくて、中に誰かが居るんじゃないかと思って」

「どういうこと?ああ、霊的存在を感じるってことか……」

「ち、違います。あの空き缶のトラップのことです。わたしたちは、あれを悪戯だと解釈しましたけれど、実は侵入者を知るためのものだとしたら……」

 小声ながら切迫した調子の小幡さんに、天城部長は固まったように動きを止めた。

「つまり、あの空き缶は鳴子みたいなものだってことか。知らずに入ってきた人間が触れると、音を出して警告するっていう」

「確証はないのですけれど、もしかしたら」

 天城部長は、ドアノブからそっと手を離すと、ゆっくりと後ずさりしながら僕たちに手で合図してきた。下がれ、ということだろう。だが、高瀬先輩はそれを無視してドアノブに手をかけた。

「大丈夫だろう。おそらく空き缶トラップは、侵入者を知るためのものじゃない。アレは2階フロアの入り口にあったが、あそこで侵入者に気づいても、逃げられないから意味がないと思う。強いていえば、窓から飛び降りることは可能かもしれないが」

「侵入者から逃げるのではなく、迎え撃つためのものかもしれません」

 川北が真剣な表情で言ったが、高瀬先輩は構わずドアノブを回した。

「なるほどね、その可能性もあるか。だが、大丈夫さ」

 高瀬先輩はにやりと笑うと、躊躇なくドアを開いた。


 部屋の中は、がらんとした事務所、元事務所のようだった。

 ブラインドが降ろされた窓からは、外の光が微かに入ってきている。部屋の隅には、使われなくなった事務用机と椅子が固めて置かれていた。

 僕たちは、部屋の入り口から中の様子をうかがってみたが、中に人が居るような気配はない。注意深く観察してみたが、隠れることができる場所もないようだ。

「ほら、大丈夫だろう」

 そう言って高瀬先輩は部屋の中へ足を踏み入れる。

「どうして誰もいないってわかったのですか?高瀬さんは、慎重な方だと思うので、何か根拠があるのでしょう」

 小幡さんが首をかしげながら質問した。

「このビルの入り口だな。入り口のドアに髪の毛が張り付いていたのを覚えているか?」

「ああ、部長がぶちぶちと切っちゃったアレですよね」

 僕が答えると、高瀬先輩は軽くうなずいた。

「そうだ。ドアを開けると髪の毛が切れてしまうんだ。だから、俺たち以外にビルの中に誰かがいる可能性はまずないだろう」

 なるほど、あの髪の毛は文字通りの封印だったのかもしれない。

「しかし、あの髪の毛はビルの中からでも細工できるでしょう。接着剤などで髪の毛をドアに貼り付けておいて、完全に乾く前に内側から閉めれば可能だと思いますが」

 川北が、しれっとした顔で恐ろしいことを口にした。そんなことを言われると、机の影が気になってしまうだろう。

「それは、確かに可能だ。しかし、まだ本格的な夏ではないとはいえ、この時期に閉め切ったビルにずっと潜んでいるのはかなり苦痛だろう。なにしろ、電気も水道もないんだからな。だから、俺たちのように、気まぐれにやってくる人間を待ち受けていたというのは非現実的だ。もう一つの可能性として、何らかの事情で身を隠さなくてはならない人物が潜んでいる場合が考えられるが、それなら小細工せずにドアを内側からロックしておけばいい」

「ああ、納得できました。つまり、わたしたちは、誰かの悪戯を深読みしすぎていたってわけですよね」

 ホッとした様子で小幡さんが言った。現金なもので、僕も高瀬先輩の説明を聞いて緊張がとけた気がする。幽霊の正体見たり、ってところだろうか。

「ついでに言っておくと、天城部長が掲示板で読んだ話も怪しいのかもしれませんよ」

 川北が天井を懐中電灯で照らす。

「ほら、この部屋の天井にはロープをかけられるようなところは見当たりませんよ。撤去されたのかもしれませんが、それらしい痕跡も見当たらないですね」

「いやー、そうだったのか。オレもちょっと怪しいな、とは思っていたんだ。はっはっは」

 天城部長が露骨にホッとした表情で笑った。実はこの人が、肝試しを一番楽しんでいるのかもしれない。


 部屋が安全だとわかった僕たちの間に、気が抜けたような雰囲気がただよった。

 みんなは、それぞれ部屋の中を見て回っている。先程までとは違ってずっと気楽な感じだが、これは緊張感が解けて好奇心が顔を出してきたのだろう。

「結構、職場の雰囲気が残っているものですね」

 僕は、壁のポスターを懐中電灯で照らした。「残業時間短縮」や「飲酒運転撲滅」の色あせたポスターが剥がれかけで残っている。ぼろぼろの部屋で、かつて人々が働いていた証のようなものを見ると、なんとも言えない気持ちがこみ上げてくる。

「ねえねえ、面白いものがあるよ」

 壁際で小幡さんが手招きしていた。何だろうかと近寄ってみると、小さなホワイトボードが壁に掛かっている。

 業務で使っていたのものなのだろう。ホワイトボードには大きなマス目が印刷されており「外回り」「会議」「在室」「退社」などの項目が書かれたまま残っていた。マス目の中には、500円玉ぐらいの大きさの赤い磁石がくっついていて、これには何やら人名らしき文字が書いてある。

「職場のちょっとした工夫よね。この磁石に人の名前が書いてあって、誰がどこに居るかわかるようにしてあるの」

「なるほど、よく考えているんだなあ。外回りのマスに『斉藤』の磁石があるから。『斉藤』さんは外回りに出かけてるってことだよね。それでもって、会社に戻ってきたら磁石を『在室』に動かすわけか」

「そうそう、きっと事務所で電話を受ける係の人の要望で作ったんだと思うよ。電話のたびに社員を探し回らなくちゃいけないって大変だから」

「ああ、なんとなくわかる。帰る時間も言わずに営業に行っちゃう人とか、肝心なときに姿が見えない人とかいたんだろうなあ」

 ホワイトボードには複数の磁石がくっついたままになっていた。「葉山」や「藤間」と書かれた磁石などは「外回り」のマスにくっついたままである。会社が急に潰れたから、これを片付ける余裕がなかったのだろうか。

「お、何か面白いものでもあるのか」

 天城部長の声に振り向くと、みんながホワイトボードの前に集まっていた。どうやら他に、見るべきものはなかったようである。

「これはですね……」

 小幡さんがちょっと得意そうに説明するのを、僕以外のメンバーが興味深そうに聞く。もはや、誰もが肝試しにここへ来たことを忘れているようだった。


「調べられそうなところはもう無いし、そろそろ帰るか」

 ホワイトボードを見ながらあれこれと語り合っていると、天城部長が言い出した。僕たちも、緊張感が抜けてきていたところなので素直に同意する。

「うむ、幽霊の話が眉唾ものだったのは残念だけど、ホレこんなものを用意してあるんだ」

 天城部長がポケットから取り出したのは、ファミリーレストランの割引クーポンだった。

「知り合いにもらったんだよ。夕食でも食べながら今日の反省会でもしようぜ」

 この提案に全員が賛成する。

「天城にしては、なかなか気が利いているな」

「なんだよ、その言い方だと普段は気が利かないみたいじゃないか」

「わたし、ちょうどそのレストランで食べたいメニューがあったんですよ。嬉しいなあ」

「ほら、小幡さんみたいに素直に喜んでくれるのが正しい反応なんだ。皆のものよ、オレに感謝せよ」

 先程まで肝試しの舞台だった部屋の空気が、一気に和んだものになる。それは良いのだが、怪談好きの僕としてはちょっと物足らない。

「ホラー映画だと……」

 おもむろに口を開くと、みんなが僕を注目する。

「こうやって油断しているところに、恐怖展開があるんですよね。例えば、あのホワイトボードを改めて見てみると……磁石がいつの間にが全て『在室』に集まっているとか……なんて」

「ひゃっ」

 可愛らしい悲鳴があがった方を向くと、小幡さんが口元を手で押さえていた。僕が思わずにやりとすると、小幡さんが無言で僕の腕をバシバシと叩いてくる。高瀬先輩と川北には効果はなかったようだが、天城部長は立ったまま硬直していた。「自分は、結構気になるんですよ」 

 川北は、つかつかとホワイトボードに近づくと何やら作業を始めた。

「何やってんの?」

 僕が近づいてみると、彼は磁石を移動させている。

「そろってないと気持ち悪いから、磁石を全部『退社』のマスに置いているんだ。退社には、帰宅するっていう意味と会社を辞めるっていう意味があったから、ちょうどいい」

 それはこだわるところなのだろうか。僕は疑問に思ったが、作業を終えた川北は満足そうな表情になった。

「そろそろ本当にここから出ようぜ。おっと、帰りに空き缶トラップに引っかからないように気をつけてな」

 部屋を出ようとする高瀬先輩に、僕たちは慌ててついていった。


 帰りは、嘘のようにあっさりと出口にたどり着いた。もともと小さな建物だったのだから、さっさと歩けば本当にあっという間である。幸いにして、出口のドアが開かないという、ホラー映画のお約束もなかった。

 ビルの外に出たあと、僕は名残惜しくなって2階の窓を見上げたが、男の霊の姿はなく、ただの寂しげなビルにすぎなかった。

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