第7話 肝試し 廃屋探検3

 あたりはいつの間にか暗くなっていた。西の空に、かすかに夕日の名残が見えるくらいである。

 コンビニの周囲は古い民家が点在しているぐらいで、あとは畑や林ばかりという寂しい雰囲気の場所だった。大学から車で数十分というところだが、ずいぶんと田舎に来たように感じられる。

「目的地のビルまでは少しあるんだが、駐車スペースがあるかわからないから、ここに停めさせてもらった方がいいだろう」

 高瀬先輩は車のトランクを開けると、中から懐中電灯を取り出してみんなに配る。

「まあ、少々歩くっていうのも雰囲気がでていいかもな。メンバーは部長であるこのオレの指示に従うようにな、何かしら出ても取り乱すんじゃないぞ」

 懐中電灯を受け取ると、天城部長は先頭に立って歩きだした。僕たちはその後ろをぞろぞろとついていく、なんだか遠足みたいである。


 今まで車で来た道から、細い横道に入ると周囲は一気に暗くなった。明かりとなるものは、古びた街灯と遠くに見える民家だけで、夜本来の暗さを思い知らされる。周りの畑や草むらからは虫の鳴き声が聞こえてくるが、僕たちが近づくとピタッと止まってしまう。

「それらしい雰囲気になってきましたね」

「うむ、だが周囲の迷惑になってはいけないから、はしゃいだり大声を出したりするのは厳禁だぞ。まあ、近くに人は住んでいないようだが」

 周囲を確かめるようにしながら、天城部長は先頭をゆっくり歩いて行く。真っ暗な道を、虫の鳴き声に誘われるようにして進んでいくというのは、なかなか悪くない。肝試しや怪談の面白さの一つは、こういった非日常を味わうことではないかと僕は感じている。

「どうやら噂のビルは実在したようだな。天城の見た掲示板の情報というのも、全てが嘘というわけではないらしい」

 高瀬先輩が、懐中電灯の明かりを道路から離れた方へ向ける。明かりの伸びた方向には、3階建ての小さな建物があった。

 何の飾り気もない直方体の建物で、何かの事務所兼住宅という感じである。周りは、元は畑か水田だったと思われる草原で、ところどころ低木が生えている。いかにも寂しそうな雰囲気だ。

「どうしてこんなところを開発しようと思ったのでしょう?素人目から見ても無謀だと思うのですが」

 川北が、周囲を見回しながら言った。

「こんなところだから、かもしれないな。安く土地が買えるから、開発が成功すれば地価も上がって大儲けと思ったのかも。掲示板の情報だと、何だかヤバイ筋からもお金を借りたらしくて引くに引けなくなったらしいぞ」

 ある意味、こちらの方が怖い話でもある。


 数分後、僕たちは目的のビルの前に立っていたが、そこは嫌な雰囲気の場所だった。

 嫌な空気といっても、それは霊的なものではない。ビルの前は、かつては駐車場として使われていたのか、砂利が敷かれているのだが、そこにはコンビニのビニール袋やタバコの吸い殻が散乱していた。

「ううむ、けしからんな。社会人としての基本的なマナーはもちろんだが、心霊スポットへの敬意が感じられん」

 珍しく天城部長が憤慨している。ちらりと様子をうかがってみると、小幡さんはどこか不安そうだ。

「どうする?変な連中に出くわす前に、さっさと帰るか?」

「でも、せっかく来たんだしなあ。ビルの周りを一回りしてみないか。幸い車はコンビニに置いてあるから、誰かがやってきても、その辺の暗がりでやり過ごせば大丈夫だろう」

 高瀬先輩の問いかけに、天城部長は肝試し続行を主張した。僕たち1年生3人は、お互いに顔を見合わせたあと、部長にうなずいてみせる。僕たちだって柄の悪い連中は気になるが、もう少し肝試しを楽しみたい気分もあった。

 それにしても、心霊スポットにやってきて、自分たちと同じ目的でやって来る人間を警戒しなくてはならないというのも皮肉なものである。

「じゃあ、こっそりと行くとするか」

 天城部長は小声で言うと、慎重な足取りでビルの玄関へと向かった。


「窓はブラインドが降りています。2階の窓に幽霊が、というのは作り話なのでしょう」

 見上げながら川北が言った。そうだ幽霊のことを、すっかり忘れていた。僕としては、霊体なんだからブラインド越しに見えてもおかしくないんじゃないか、と思ったが絵的に映えないので黙っておく。

 ビルの入り口は両開きの扉だったが、取っ手のところにチェーンがぐるぐると巻きつけられていた。

「完全に封鎖されているな。だとすると、天城が読んだ掲示板の話はやはり創作だったのかもしれん。いや、肝試しをする連中に困った管理者が最近になって入れないようにしたのか」

 高瀬先輩が足元を照らすと、空き缶などのゴミが散らばっているのがわかる。建物自体は、あまり老朽化していないように見えるのだが、ゴミのせいで荒んだ印象を受けた。

「窓も割れていませんし、思っていたよりもきれいですね。不気味といえば不気味ですけれど、心霊スポットというほどでもないかな」

 小幡さんは周囲を見回してから首をかしげた。確かに、いわくつきの場所に行ったときのような、全身がぞわぞわするような感じはない。

 僕たちは、しばらくビルの玄関にとどまって、2階を見上げてみたりしてみたのだが、特に何も起こらない。

「ううむ、掲示板の話はこのビルを見て思いついた創作なのかもしれんな。まあ、せっかく来たんだ。ビルの周りを一周して、何もなければ帰ろう」

 天城部長はやや残念そうに言った。


 ビルの外壁はところどころひび割れ、ツル状の植物が絡みついていた。建物の裏側にまわると、街灯の光も届かなくなり真っ暗になった。

「おっ、裏口らしきドアがあるな」

 先頭を歩いていた天城部長が、懐中電灯で照らしながらドアに近づいていく。そして、何気なくドアノブに手をかけた。

「うん、鍵が掛かってない?って、うわああ」

「うるさいな。何を中学生みたいに騒いでいる」

 高瀬先輩があきれたように言うと、天城部長は熱いものに触ってしまったかのように手をぶんぶんと振った。虫でもいたのだろうかと、僕はドアノブに懐中電灯を向けてみた。

 光によって浮かび上がってきたのは、ノブに絡みつく海藻のようなもの。いや、これは人の髪の毛のようだ。しかも、結構長い。ノブに巻き付いた髪は、ドアの隙間にまで伸びていた。まるで、何かが出てくるのを扉を閉めて防いだようにも見える。

「悪戯でしょうか?たとえ誰かが髪を挟んでしまったとしても、このような状態にはならないと思います」

 川北が落ち着いた様子で言うと、近づいて調べはじめた。冷静に考えれば彼の言う通りなのだが、気持ち悪くはないのだろうか。

「悪趣味なヤツもいるんだ。しかし、こんものがあると建物の中が気になるな……」

 そこまで言って高瀬先輩はバツが悪そうな顔になった。なんとなく、みんなは顔を見合わせたが、どうやら考えていることは同じらしい。

「よし、ここは中の様子を探ってみようじゃないか。オレたちは、ドアに悪戯がしてあったから、念のために中を確認することにしたんだぞ。決して面白半分に、人さまの建物にずかずかと入るわけじゃない、ということにしよう」

 天城部長が調子のいい事を言ったが、今回は誰も反対しなかった。みんなも、ちょっとは肝試しに期待しているのだろう。

「では、失礼してっと。うわ、気持ち悪いな」

 先頭に立った天城部長が扉をゆっくりと開けると、張り付いていたのか、髪の毛がぶちぶちとちぎれていく。

「封印を解いてしまったって感じですよね」

「こ、これ、永瀬よ。そんな縁起でもないことを言うんじゃない」

 どうやら天城部長は、結構な怖がりのようである。


 ビルの中は、カビの匂いとむっとする熱気がこもっていた。ドアを閉めると、外で鳴いていた虫の声が遮断されて一気に静かになる。懐中電灯で照らされた廊下はホコリが積もっていたが、思っていたよりはきれいだった。

「人が出入りしているようですね」

 小幡さんがしゃがみこんで、廊下についた足跡を見つめている。

「管理者が見回りしているとも思えないから、オレたちと同じ目的のヤツがときどき入っているみたいだな。まずは、玄関の方に行ってみるか」

 天城部長に先導されながら、暗くカビ臭い廊下を注意しながらゆっくりと歩く。

 懐中電灯の明かりだけの空間に、自分たちの足音だけが響くという状況は、怖くもあるが同時に気分が高揚するのも事実である。ときどき無性に背後が気になってしまうのだが、怖がりだとは思われたくないので、なんとか我慢する。

 1階の事務所へとつながる扉があったが、施錠されていた。

「あと行けそうなのはどこだっけ。トイレと2階への階段ぐらいか。まずは、1階を全部見ておくか」

 小声で言う天城部長に、みんなは黙ってうなずいた。今のところ何の変哲もない廃ビルではあるのだが、それでも大声をだしてはいけないという雰囲気を感じる。うっすらと感じる恐怖か、あるいは無断で立ち入っていることに罪悪感か。


 トイレの手前に「倉庫」と表示された扉があった。天城部長は、少し迷ったあと倉庫の扉に手をかける。

 懐中電灯の光の中に浮かび上がってきたのは、年代物のパソコンやコピー用紙の箱などである。事務用の備品と不用品をまとめて置いていたのだろう。

「部屋の隅に、何かが捨てられていますね。これは、ウエスかな」

 川北が照らした方を見ると、汚い布切れが積まれていた。近くには、ビニール袋らしきものも散乱している。

「ウエスって、工場とかで汚れを拭くときに使う布だっけ?」

「ああ、実験室なんかでもよく使うよ。それにしても、この布はわりと最近に捨てられたように見える。あとから、誰かが持ち込んだのかな」

 僕の質問に答えた川北は、布とビニールのかたまりに近付こうとする。

「やめておいたほうがいいんじゃないか。ここが廃墟になってから捨てられたということは、ロクでもないもんだろう。捨てる場所に困った、有害な薬品や廃棄物を拭き取ったものかもしれん」

 高瀬先輩の言葉に、川北はぴたりと動きを止めた。

「そうですね。不用意に触るのはよしておきましょう」

「うむ、現場を荒らさないのは廃墟探索の鉄則だからな。あとは、特に何もないようだ。出よう」

 川北は、しばらく古い型のパソコンを名残惜しそうに見ていたが、僕たちについて部屋から出た。


「トイレといえば、怪談やホラー映画でだと定番の恐怖ポイントですよね」

「永瀬よ、嫌なタイミングで嫌な話をするんだな」

 僕が何気なくふった話題に天城部長は顔をしかめた。別に怖がらせるつもりはなかったのだが、部長はビクビクしている。

「じゃあ、ここは永瀬が先行してくれ。怪談好きのお前なら、何かあっても心構えができているだろう」

 僕は、天城部長の言葉に肩をすくめると先頭に立った。トイレは、男性用と女性用に別れていたので迷わず男性用へと足を向ける。 

「あっあの、わたしは、このままついていってもいいのでしょうか?」

 小幡さんが困ったような声を出した。なんだろう、と思ったが男性用トイレのマークを見て彼女の意図に気づく。

「いいんじゃないかな。まさか、誰かが入っているなんてことはないだろうし」

「そ、そうかな。じゃあ、これは肝試しだから……。あっ、でもみなさんが女子トイレに入るのは禁止ですよ」

 女心は複雑である。だが、廃墟とはいっても男たちが女性トイレに入っていく姿はいろいろとアウトな気がしたので、男たちは黙ってうなずいた。


 少々緊張しながら扉を押し開けると、そこは標準的なトイレだった。一見、大学にあるトイレと大して違いはないように見えたのだが、一つだけ大きく異なるところがある。

「なんだか臭うな。とは言っても、トイレにつきもののアレの臭いじゃなくて薬品ぽいのか」

 安全だとわかったのか、天城部長が僕の後ろからトイレを覗きこむ。

「って、何だあれは……」

 トイレのタイルには、真っ黒な液体が広がっていた。見た感じはどろりとしていて、粘着質な液体のようである。それは入り口から、トイレの中ほどまでを覆っていて、とても進めそうにない。

「このビルが使われていたのが10年前だとすると、配管が逆流したとかではなさそうだな。これも誰かが不法投棄したのかもな」

 懐中電灯で液体を照らしながら高瀬先輩が言った。

「まったく、心霊スポットはゴミ捨て場じゃないのにな。トイレの個室が気になるが、そこへ行ったら確実に靴が犠牲になるから諦めよう」

 そう言うと天城先輩は、さっさと外に出てしまった。

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