第6話 肝試し 廃屋探検2

 いつの間にか、車は閑静な住宅街を走っていた。同じような規格の住宅の中に、ぽつぽつと昔ながらの瓦屋根が混ざっている。西の空はまだ明るいものの、東の空には確実に夜の気配が忍び寄りつつあった。

「このあたりに心霊スポットなんてありましたっけ。聞いたことがないのですが。それとも、田舎の誰もいないような神社とか祠を見に行くってことですか」

 僕はこの手の話が好きなので、友人やネットでちょくちょく情報を仕入れているのだが、今向かっている方向には何もなかったはず。

「この前な、地元の情報が集まるネットの掲示板で気になるものを見つけたんだ。賑わっていない掲示板でな、書き込みの数も少ないんだが、こういうところにこそ掘り出し物があるんじゃないかと思ってな」

 心霊スポットに掘り出し物という表現はどうなのだろう。

「で、どんな物件なんだ。スマートフォンの表示だと、郊外の畑や森に囲まれている場所みたいだが」

 高瀬先輩が、いぶかしげにたずねる。

「オレたちが行くのは、その寂しい場所に建っている廃ビルさ。何でも、2階の窓に首を吊った男の幽霊が浮かび上がるらしい」

「幽霊の件はともかく、どうしてそんな場所にビルを建てたのです?ビル自体、本当に存在するのでしょうか」

 川北が、外の景色を眺めながら天城部長に質問した。なるほど、確かに現地に行ったら建物自体が無いという可能性もある。

「ああ、ビルっていう表現は大袈裟だったな。掲示板によると、3階建ての小さなものらしい。なんでも、バブル経済の頃に開発計画があったらしいんだな。それで、例のビルには開発会社の事務所が入っていたみたいなんだが、文字通り泡となって弾けたってわけさ」

「バブル経済っていうことは1990年代で、ええと、けっこう昔の話ってわけですね」

 ざっと20年以上は経過していることになるのだろうか。

「いいや、廃ビルになったのは10年ぐらい前らしい。バブルは弾けたが負債は残ったわけだから、事業の整理とかレンタルオフィスとかで使われていたようだ。それでも、にっちもさっちもいかなくなって、経営者の男性が2階で首を吊ったって話だな。その男性の霊がときおり現れて、開発が中断した土地を恨めしげに見下ろすってのが、オレが仕入れた情報だ」

 ふうむ、怪談としてはわりあいオーソドックスなものに感じる。この話が、限られた地元住民の間だけに伝わっていたというわけか。

「他には何か逸話とかないのか。その話だけだと、怪談というよりも事業に失敗した気の毒な話に感じるな。バブル景気の頃に、踊ったヤツなんて当時の日本には一杯いただろうに」

 高瀬先輩があまり興味のなさそうな口ぶりで言う。そういえば、先輩は経済学部だった。


「いやいや、掲示板には続きがあったんだよ。例のビルは心霊スポットとして知られるようになって、若い男女数人が探検に行ったそうだ。彼らがビルの中を恐る恐る探索していると、2階のオフィスから人の気配がした。驚いた若者達は、一目散に逃げ出したのだが、1人の女の子が転んで逃げ遅れてしまった。暗闇の中で女の子に近づいてきたのは……同じく肝試し目的できていたガラの悪い連中だったんだ。そいつらは、酒が入っていたのと肝試しで興奮していたこともあって……」

 そこで天城部長は口ごもった。なんとなく話の展開が読めたのだが、部長は助手席の小幡さんを気にしているのだろう。

「ええと、まあ……女の子はひどい目に遭っちゃうんだ。夜が明けて、女の子がいないことに気づいた若者たちは、恐る恐るビルに向かう。そこで、彼らが目にしたものは、天井からぶら下がっていた女の子の姿だったという話だな。うん」

「怪談というか、嫌な話ですね。結局のところ人間が一番怖いっていうパターンは反則というか、後味が悪いなあ」

 僕は正直な感想を言った。こういう怖がらせ方は好みでない。やはり怪談の主役は、人ならざる存在であるべきだと思うのだ。

「そんなところに肝試しに行くのは、危険ではないのですか?存在しない幽霊はともかく、犯罪者は実在しますからね」

 川北がもっともな意見を言った。いや、幽霊を存在しないと言い切るのは賛同しかねるが。

「大丈夫……なんでしょうか?」

 小幡さんは、若干不安そうである。僕たちなら、小幡さんを置いて逃げたりはしないが、なんとなくシチュエーションが似ているのが嫌な感じである。

「うーん、それは大丈夫だと思う。多分、若者が肝試しに行ったという部分は作り話だ」

「どうしてそう思われるのですか?」

 大丈夫と言う天城部長に、小幡さんが不思議そうに小首をかしげた。

「廃ビルになった経緯はともかく、後半の肝試しの部分は作り話だと思うんだ。だいたい、そんな事件があったら、もっと有名になっているはずなんだ。ところが、この手の話にアンテナを張っているオレが知ったのは、その掲示板を見てからだった。しかも、その掲示板ですらも大した反応はなかったんだ。地元の噂が集まる掲示板だから、見ているのは地元の人間が多いはず、本当に事件が起こっていたのなら話題になってないとおかしい」

「言われてみれば不思議ですね。本当なら、少しぐらいは大学でも噂話になっていてもおかしくはないのに」

 小幡さんは何やら考え込んでいるようである。僕も、思い当たることがないか記憶を探ってみたが特に何もなかった。友人の中には、地元出身も何人からいるのに、それらしい話すら聞いたことがない。

「幽霊が実在するかどうかは置いておいて、この手の廃屋を探索する際に危険なのは、生身の人間であることにかわりはない。部長として、廃屋探検の心得でも説明しておいた方がいいんじゃないか」

 高瀬先輩が話題を変えると、天城部長は大きくうなずいた。   

「そうだ。1年生のために、レクチャーしとかなくちゃな」 

  

「さて、これからオレたちは首を吊った男の霊が現れるという廃ビルに行くわけだが、注意しなくてはならないことはわかるかね」

 かしこまった口調で天城部長が説明を始めた。

「第一に、現場を荒らしたり物を持ち帰ったりしないということだ。いくらぼろぼろの建物であっても、管理者がいるわけだから、決して迷惑をかけてはいけない。心ない人たちの行為によって、有名な心霊スポットが完全に閉鎖されたり取り壊されたりするケースがあるが、まことに嘆かわしい。オレたち不思議探究会のメンバーは、あくまで物件を見せていただくという謙虚な気持ちを忘れないようにな」

 天城部長のことだから、どんなことを言い出すのかと思ったが、真面目な話だった。僕たち1年生は黙って耳を傾ける。

「第二は、安全対策だな。オレたちが見に行くような建物は、老朽化した物件が多いから、怪我に気をつけなくてはならない。腐った床を踏み抜いたりガラスの破片で思わぬ怪我をすることがあるから、慎重に行動すること。丈夫な靴や軍手なんかの着用が望ましいが、今回のように準備していないときは無理をしない。これにつきるな」

「安全面といえば、思わぬ存在との遭遇というのもあるんじゃないか。さっきの天城の話でもあったろ」

 高瀬先輩が口を挟んだ。つまり、他の人間と出会うというケースだろう。

「うん、廃墟探検なんかで意外と怖いのが、人と出会うことだな。同じような目的のグループなら問題はないんだが、変にちょっかいを出したりしてはいけない、廃墟探検という非日常な場にあって、知らないうちに気持ちが高ぶっていることがあるから些細なことがトラブルに繋がりかねない。驚かせてやろうなんて、もってのほかだ」

 なるほど、確かに心霊スポットで知らない人間に驚かされるというのはいい気がしない。雰囲気が台無しである。

「あと気をつけなくてはいけないのは、住んでいる人間だな」

「え、どういうことですか?廃墟ですよね」

 高瀬先輩の発言に小幡さんが驚いたような声を出した。

「廃墟には、ときおり人間が生活しているような痕跡が見られることがある。どういった理由があるのかわからないが、隠れ住まなくてはならないわけだから、下手にかかわらない方がいいのは言うまでもないな。ただ、そういう人は、人と出会うことを避けることが多いから、こちらから探しに行くようなマネをしなければそうそう危なくはないだろう」

「もしかして逃亡中の犯罪者……なんでしょうか」

 小幡さんは不安そうに自分の腕を抱いた。

「わからん、世間から隠れて生活しなくてはならない事情がある人かもしれない。ただ、電気も水道もない廃墟で、犯罪者が潜み続けるというのは無理があると思うがな。まあ、滅多にあることじゃない」

 どうやら心霊スポット探検には、霊以外にも注意しなくてはならない存在が多いようである。

「あと、大事なことがある」 

 高瀬先輩があらたまった口調で話しはじめた。

「さっきから俺たちは、肝試しや廃墟探検とかいろいろな言い方をしているが、結局のところ、ほめられた行為ではないからな。もちろん、鍵が掛かったところや立ち入り禁止と明示されているところには入らない。入れるようならば、ちょっと中を見せてもらうという程度だが、これだって管理者の許可を取らないかぎりは違法だからな。わかってるよな、天城」

「それはわきまえているさ。オレたちは社会の常識にはとらわれないが、社会のルールやマナーはきちんと守る。厳密に言ったら、肝試しもアウトなんだが、そこは常識の範囲内でやるということで……。まあ、今回だってビルは施錠されているだろうから、周りを見るだけで終わると思うぜ」

 いい加減な発言が多い天城部長ではあるが、このあたりはしっかりしている。……と思う。まあ、部長が好奇心に負けて暴走しようとも高瀬先輩がストップをかけてくれるだろう。案外、いいコンビなのである。

「で、小幡さんはどうする?無理に参加する必要はないぞ。誰かの物件を面白半分に肝試しするようなことはしたくない、というなら車で待っていればいい。むしろ、そっちの方が人として正しいのだからな」

 高瀬先輩が、助手席の小幡さん質問を投げかけると、ややあってから彼女は口を開いた。

「いろいろと配慮されているんですね。わたしは、肝試しって聞いて単純にちょっと面白そうだっていうことしか考えていませんでした。むしろ、気を引き締めて参加させていただきます」

 よかった。やっぱり1人ぐらいは女の子が参加してくれた方が楽しいのは事実なのである。それにしても、天城部長も高瀬先輩も意外とよく考えているな、と思う。変なサークルといっても、伊達に先輩をやっているわけではないようだ。

「天城、正面に見えているコンビニに車を止めてくれ」

「うん、トイレか」

「いや、目的地だ」

 高瀬先輩の誘導に従って、天城部長はコンビニの駐車場に車を進入させた。 

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