第5話 肝試し 廃屋探検1

「今日はここまでにしましょう。次回までに、教科書の指定された範囲に目を通しておいてください。では、よい週末を」

 そう言い残すと、担当の教授はどこか軽やかな足取りで講義室を出ていった。今日は金曜日で、さきほどのが最後の講義である。僕は、バイトに行くという友人と別れて講義室を出た。


 ずいぶんと日が長くなってきたなあ、と思いながらキャンパス内を歩く。

 金曜日の夕方ということもあって、大学内には浮かれたような空気が漂っている。おそらく、みんなは週末への期待に胸を膨らませているのだろう。さっさと帰宅する者、部活やサークルへ向かう者、友人たち騒ぐ者などみんな足取りは軽い。

 僕はというと、習慣かあるいは惰性のように不思議探究会の部室へと足を向けた。サークルで使っている部屋のことは部室と呼んでいいのだろうか。サークルと部活では違うような気もするのだが、天城部長はどっちでもいいじゃん、と適当なことを言う。そもそも、天城先輩は、リーダーよりも部長の方が響きがいいという理由で部長を名乗っている。まあ、メンバーが男4人だけのマイナーなオカルトサークルなのだから、別に気にする必要もないのだが。

 大学の裏手にあるグラウンドでは、野球部がランニングをしていた。いかにも青春、充実したキャンパスライフという感じである。ならば、僕が参加しているサークル活動は何なのだろう、とぼんやり考えていると背後から呼びかけられた。

「永瀬くん、だよね。これからサークルに行くの?」

 振り返ると、小幡さんがトテトテと歩いてきた。

「うん、今日は特に何かがあるってわけじゃないけれど、週末だから顔を出しておこうと思って」

 僕が減速しつつ、小幡さんに並ぶ。

「そうなんだ。えっと、ちょっと遊びにいっても迷惑じゃないかな?」

「いいと思うよ。天城部長なんて、このところ新鮮なネタがないってぼやいていたから」

 実のところ、僕としては大歓迎だったのだが露骨にそれを表現するのはためらわれたので、何でもないように装った。それにしても、小幡さんは入会するつもりになったのだろうか。いや、それなら「遊びにいく」という表現は使わないか。ここは、下手に聞くより曖昧なままにしておいた方が良いような気がする。

「小幡さんは、この前どうしてうちのサークルに来たの?ええと、うちのサークルってあまり人がこないところにあるから不思議だと思った、という意味だけど」

 僕が所属する不思議探究会は、大学の敷地の端にひっそりとたたずむ旧クラブ棟の中にある。

 初めて見たときは、備品を保管する倉庫か使っていない建物かと思ったものだ。実態は、怪しげな有象無象のサークルを押し込んでおくためのものだったのだが。ちなみに、健全で普通の学生たちが加入するサークルは、きれいな新クラブ棟を利用している。

「あそこからね、こっそり外に出られるの」

 小幡さんは、きれいな指を伸ばして、敷地の端に設置されてあるフェンスを示した。

「ちょうど木の陰になっているところに穴があいているの。普通に大学の北側に出ようと思ったら、遠回りをしなくちゃいけないから、あそこを使うと便利なんだ。知っている人だけがこっそりと使っているのだけど、この前は、あの建物は何かなって気になったから」

「ああ、そういうことか。ふうん、それにしてもあんなところから出入りできたなんて」

「あっ、永瀬君、このことは内緒だよ。あまり広まっちゃうと、きっと修理されちゃうから」

 いたずらっぽく笑った小幡さんは、人差し指を唇の前に立ててみせた。この前と違って1年生同士のためか、ずっと打ち解けた雰囲気である。僕としては、もう少し一緒に歩いていたかったがすぐに旧クラブ棟に到着してしまった。


「失礼しまーす」

 扉をノックして声をかけると、中から「ほーい」とも「へーい」とも聞こえるいい加減な返事が聞こえてきた。おそらく、僕だけだと思っているのだろう。

 遠慮なく扉を開けると、天城部長はこちらを見もせず、古いテレビの画面にかじりついている。高瀬先輩と川北は黙って本を読んでいた。不思議探究会のごく日常的な風景である。

「おう、よく来たな永瀬。ちょうどいいものが手に入ったんだ。直視すると精神に異常をきたすという呪いの仮面を撮影したビデオなんだ、一緒にみよう……って、えええ」

 天城部長が小幡さんの姿を見て、悲鳴のような驚きの声をあげる。そんなことで、呪いの仮面のビデオを見ることができるのだろうか。

「あっ、お邪魔します。ちょっと時間が空いたので遊びにきたのですが、良かったでしょうか」

「いいよ、いいよ。我が不思議探究会は求める者はすべて受けれいるのがモットーだからね」

 テレビを消すと、天城部長は椅子に座り直した。

「まさか、本当に遊びに来るとは。いや、別に悪いといっているわけじゃないが……」

 高瀬先輩は読んでいた本を閉じると、素っ気ない口調で言った。本の表紙には「ベトナム戦争 密林に消えた勝利と栄光」とある。おそらく何かの講義の課題なのだろう。川北は小幡さんをのことを目を丸くして見ていたが、軽く頭を下げると、そのまま読書に戻った。科学雑誌のようだったが、彼の場合は趣味なのかレポートのためなのか判別が難しい。各自が好きなことを勝手にする。いつもの不思議探究会である。

「今日は、どういった活動をするのですか?」

 至極もっともな疑問を小幡さんが口にした。実のところ、このサークルの活動の大半はこうして部屋で適当に過ごしているだけなのである。だが、せっかく小幡さんが遊びにきてくれたのだから、何とか印象をよくしたいものだが。

「いや、特に予定はない。もう少し時間をつぶしたら、食堂でメシを食って帰るだけだ。講義終了直後は、混んでいるからな」

 あっさりと高瀬先輩が言い切る。そこはもう少し言いようというものがあるだろう、何もなければ小幡さんが帰ってしまうではないか。

「自分も同じですね。ゆっくりと本が読みたかったので寄っただけですから」

 川北よ、お前もなのか。何とかせねばと考えを巡らせていると、天城部長が椅子から立ち上がって言った。

「こらこらお前たち。健全な大学生が、せっかくの金曜日を無為に過ごしてどうする。しかも、小幡さんが来てくれたんだぞ」

「そ、そうですよね。ここは、……ええと、とにかく何かしましょう」

 僕はここぞとばかりに天城部長に同調したが、肝心な具体策が浮かんでこない。

「ときに小幡さん、これからの予定空いているのかな?」

「ええ、今日は特に用事はないのですけれど……」

 勢い込んでたずねる天城部長に、小幡さんは若干ひきながら答える。

「よし。じゃあ、アレだ。暇を持て余した大学生がするという定番のアレをやろう」

「アレって何ですか?変なことじゃないですよね」

 何だか僕も心配になってきた。

「変なことなんてないさ。大学生数人が集まって盛り上がったら、することは一つしかない……肝試しだ」


 クラブ棟を出た天城先輩は、大学の裏手にある草原を真っ直ぐに歩き始めた。僕たちは戸惑いながらも、あとをついていく。

「えっと、一体どこへ行くんですか。このまま進んでも海岸にでるだけですよ」

 僕たちが通う観浦みうら大学は海のそばにある。別の大学に通う友人に話すと、羨ましがられるのだが、実態はそれほどありがたいものではない。防波堤の奥には、ささやかな砂浜が広がっているのだが、波が荒く水深が急に深くなるので遊泳禁止である。初めて見たときはそれなりに感動したが、すぐに飽きるというか慣れてしまった。

「こんなこともあろうかと、今日は車で来たんだよ」

 振り向きながら天城部長が自慢げに言った。

「どうせ、遅刻しそうになって慌てて車を使ったんだろ」

 冷ややかな口調で高瀬先輩が返す。大学は車通勤を禁止しているのだが、こっそりやる学生はあとをたたず、大学裏の海岸を駐車場代わりにしていると聞いたことがあった。

「すごいのですね。高かったのではないですか?」

 小幡さんが感心したように言うと、天城部長は上機嫌で答えた。

「なあに、この前に友人の紹介で古いのを安く手に入れたんだよ。これで不思議探究会の機動力は大幅アップってとこだ。何とかが翼を得たって感じかな」

「浮かれるのはいいが、事故にだけは気をつけろよ」

 高瀬先輩が釘をさすように言った。  


 意外、と言ったら失礼になるが天城部長の運転は丁寧だった。

「このまま、まっすぐ進んで交差点を右折。あとは大学通りの道を20分ほど北上だ」

 僕の隣に座った高瀬先輩がスマートフォンを見ながら天城部長に指示を出す。ちなみに、助手席は小幡さんが座っている。本来は、ナビをやる高瀬先輩が座るべきなのだろうが、女子が男子と密着するのは好ましくない、という部長の一声で男子3人は後部座席に詰め込まれることになった。

「いつもこんな風にして、出かけているのですか?」

「いいや、普段は行動にうつす前にあれこれディスカッションしているよ。今日は、思い立ったら即行動ってのをやってみようと思ったんだ」

 運転席の天城部長は何だか格好をつけた言い回しをする。助手席に女の子が乗っているので、得意になっているようだ。

「ところで永瀬よ。肝試しというか怪談の定番シチュエーションといったら何を連想する?」

「定番ですか……」

 不意に話しかけられた僕は、少し考え込む。

 怪談の定番といっても、様々なバリエーションがある。例えば、田舎にやってきた若者が決して立ち入ってはならないという場所に踏み込んで怪異に遭遇するというケース。または、建物や住居自体に何かしらの因縁があって呪いが降り掛かってくるケースもある。それ以外にもいくつも思いつくので、定番といえるものが何なのか答えるのは難しい。

「あっ、もしかして、部長が言う定番というのは、飲み会で盛り上がった学生達が心霊スポットに肝試しに行くというものですか」

「お、正解。さすがは不思議探究会の怪談担当だな。実によろしい」

 今の僕たちの状況から推理してみたのだが、見事に正解したようだ。ところで、僕はいつから怪談担当になったのだろう。「コンパなんかで浮かれた学生が、勢いで心霊スポットに行ってひどい目に遭うってのは、怪談話の定番だな。でも、定番のわりには、それを実際に実行したやつって意外に少ないと思うんだな。だから、これからそれを検証してみようって趣旨なんだよ」

「面白そうですね。わたしも、そういった席で怖い話を聞いたことはありますが、実際に行こうってなったことはないです。それで、どこに行くのですか。このあたりだと、県境の廃ホテルが有名らしいですけれど」

 助手席で小幡さんが首をかしげながら言った。県境のホテルの話は有名で、観浦大の学生なら大半は知っているのではないだろうか。

「ふっふっふ。それはオレが今から説明しよう。廃ホテルも魅力的ではあるが、有名すぎるからな。そんなものは凡人たちにまかせておけば良いのだ」 

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