第15話 隣の芝生が青く見えるのは、斜め横から見てるから。


 瀬山・ドニ・ウェズローは生粋のアキツ人である。組織の末端を除けば、ブラオ商事内部の中において、彼のようなアキツ生まれアキツ育ちの人間は希少であった。これはブラオ商事自体が別の宙系に本拠地を持つ惑外組織だからである。彼の直接の上司であり、ブラオ商事アキツ支部の責任者であるエメリヒ・オーケンもまた、「連邦」の端、欧州連合(EU)を旧宗主国に持つ宙域の出身だ。ブラオ商事自体がその宙域に端を発する組織であり、ブラオ商事幹部の大多数は、オーケンと同じく連邦系白人である。


 「それ見た事か、と笑ってやれれば気分もいいんだろうがな」


 昼間にも増してヒステリックな連邦系英語の暴風雨を浴びせられてきた瀬山は、人気のないラウンジのソファに身を投げ出すと唸るように呟いた。彼の上司が連邦本部から連れてきていた部下のうち二人、ホルツとアルノーが逮捕され、連邦政府に引き渡されたという情報が入ったのだ。それに機嫌を損ねた上司に、「自分一人だけ逃げてきたのか臆病者の役立たず」と謗られてきたのである。直接オーケンの指示を受けて動いていた二人と瀬山の間に、ろくな接点も無かったというのに、だ。


 消灯されて薄暗いラウンジの壁を見上げると、緑がかったバックライトに照らされて、デジタル時計の数字が午前二時四十七分をさしている。二十四時間経たない間に二度もあの理解不能の罵詈雑言の集中豪雨を受けると流石に堪える。しかも八つ当たりとしか思えない事柄ならば尚更だ。そうため息をつく瀬山の頭上から、バージュナが彼を覗き込んだ。


「マスター・瀬山、本日の帰宅はどうされますか?」


 既に時刻は深夜である。独り暮らしの自宅に帰る利点といえば、寝心地が多少良い事と、シャワーを浴びられる事だが、往復の手間と睡眠時間を考えれば面倒のほうが勝る。そう空ろな頭で考えた瀬山は、無言で首を横に振った。重い身体をどうにか起こしてテーブルを見遣れば、誰かが食べ残したピザが紙箱の中に残っている。思い返せば夕食をとった覚えが無かったが、夜更けに冷めたピザを食べる気になれるほどの元気もなく、瀬山はその紙箱の蓋を閉めてテーブル横のゴミ箱へ放り込んだ。


「了解しました。ではこちらでお休みになられますか」


 その確認に溜息のような声で是と返すと、瀬山は再びソファに身を横たえる。


「了解、身辺警護モードを継続します」


 そう淡々と言ったバージュナは、腕を枕に横になった瀬山に背を向けると、ラウンジの出入り口に向かって直立不動の体勢をとった。手を後ろで組み、仁王立ちになった正に警備員の姿勢である。多少の違法改造が施されているとはいえ、あくまで「瀬山のSCドール」であるバージュナは、常に瀬山に随伴し、瀬山を警護している。逆にそれ以外の事は、通訳の様に特別に命令されない限りは行わない。背後で丸くなっている主が寝冷えしそうな気温だとしても、指示が無い限りはブランケットを取り出してきてかけたりはしないのだ。その辺りがB級のB級たるゆえんでもある。


「なあ、バージュナよ」


 直立静止している相棒の背中に、瀬山はぼんやりと声をかけた。人型をしているが相手は機械人形、静止していれば気配などはあまり無いため、慣れてしまえば寝る時も気になりはしない。だからこの時瀬山がバージュナに話しかけたのは、特別、バージュナの気配が気になって眠れなかったからではなかった。


「はい、マスター=瀬山」


 背を向けたままの、少し遠い声が返る。


「俺は……そろそろ潮時かもしれん」


 非常に曖昧な言葉で、瀬山は現在の心境を吐露した。意味の解釈に時間がかかっているのか、バージュナからの応答はなかなか返って来ない。


「ボスは――オーケンの野郎は俺よりもお前が欲しくて俺達を拾った。そいつはまあ、とうの昔に分かってた事だがな……それでも他に行く当てもなし、仕方なしと思ってたんだが……」


 数年前、アキツのとある大手警備会社に勤めていた瀬山は、諸々の不運と愚かな選択が重なって道を踏み外した。結果、勤めていた警備会社の所有していたB級SCドール一体を奪い、追われていたところをブラオ商事に匿われて現在に至る。丁度その当時、アキツに進出したてであったブラオ商事にとって、生粋のアキツ人でアキツの事情に明るく、警備会社社員としてそれなりに経験を積んでいた瀬山は、重用に足る人物だった。よって瀬山は、ブラオ商事内でもそこそこ高い地位を得る事が出来たのだが、最初にブラオ商事が、瀬山とバージュナに関心を持ったのは、バージュナがその時点で違法改造SCドールだったからである。


 ルーカス・エリクソン博士を内部に取り込み、非合法AHM界に進出したブラオ商事だったが、十年前、そのエリクソン博士にまんまと逃げられた際、AHM関連技術のノウハウの大半を失ってしまっていた。そんなブラオ商事にとって、たまたま進出した辺境惑星でみつけたプログラム精度の高い改造SCドールは魅力的な研究対象に映ったのだろう。――少なくとも、(どうやら厄介払いよろしく辺境に飛ばされてきたらしい)瀬山の上司、エメリヒ・オーケンという男は、本部へ返り咲くための有効な手土産と判断したのだ。


 アキツへの左遷に屈辱を感じているらしいオーケンは、アキツそのもの、加えてアキツ人を酷く嫌っている。そのオーケンにとって、アキツ人のくせに支部内で発言権が大きく、本部への貢物として魅力的な違法改造SCドールを頑として手放さない瀬山は、甚だ目障りな存在なのだ。


「いい加減、くたびれた感じだな……。お前のマスター権限をオーケンに譲って、俺はブラオから出るつもりだ。明日の朝にでも、ボスにお前を渡そう。いいな」


「…………イエス、マスター=瀬山。しかし、マスターの言われる通り、私のマスター権限を有している事が、組織にとってマスターの価値であるならば、私を手放す事は、マスター=瀬山の身の安全に対して不利に働く可能性が懸念されます」


 目障り、かつ利用価値の無い人間を生かしておくほど、エメリヒ・オーケンという男は寛容に出来ていない。そして、それを許さないほど、瀬山が今身を置いている社会は人権意識が高くない。まず以って瀬山は、オーケンの手により抹殺されるだろう。

 しかし、瀬山は笑った。


「そいつをお前が心配する必要はないさ。どうせ、俺が死ぬときにはもう、お前のマスターは俺じゃない。……オーケンの野郎はお前の設定を更にいじりたがってる風だった。奴に渡しちまえばお前はもう、セキュリティ・ドールとすら呼べなくなるのかもしれんが……まあ、どっちにしろお前が気にすることじゃない。今日の心配を、明日まるで忘れても許される気楽な立場だ、そう思って深く考えるな。俺がお前のマスターである期間中、俺が安全に過ごせればそれでいいんだよ」


 励ますように、あるいは慰めるようにおどけた言葉には、どこかバージュナの「気楽な立場」に対する羨望の色が混じりこんでいた。その事を自覚して口元の笑みに苦みが混じる。


「俺も、ドールだったらもうちょっとは楽だったかね……」


 隣の芝生、というやつだろうか。隣の芝生が青く見えるのは斜め横から見てるからだ、そう言ったのは警備会社の先輩だったか。しかし羨むに事欠いて、ドールを羨んでどうするのか。そう自分で情けなくもあった。そろそろ本当に精神的な限界が来ているらしい。


 バージュナは何も言わない。SCドールとして進言しなければならない内容が無いからか、それとも、瀬山の言った事に対して、適切な返答を生成できないからか。両方かもしれないし、どちらでも構わない。瀬山はゆっくりと目を閉じた。




***




 ツクヨミ内部の「一日」は二十四時間である。


 この二十四時間という周期は人間たちの母星である地球の自転周期を模したものであり、その「日光」は人工光源であった。人間は普段、外界の一日が何時間で、何時が夜明け・日没だろうとお構いなしに照明を煌々と点し、遮光カーテンで陽光を遮って生活しているが、それでも周日リズムが「無い」という環境には耐えられない。そんな生物学的な事情と、省エネという二つの理由から、ツクヨミ内部の人工光源は、地球の、特に日本列島本州に当たる太陽光を真似て光の波長・照度を変化させる。詰まるところ夜になれば真っ暗になるし、夕刻・早朝は薄暗い。


 そんな、ツクヨミの人工「彼は誰時」――早朝の薄闇に紛れて活動する者があった。ハルとマキノである。二人は清掃員の制服を着込み、キャップを目深に被って、ブラオ商事ツクヨミ拠点のオフィスビル脇に――正確に言えば、オフィスビル脇のゴミ収拾場所に来ていた。


「おっ、あった、あった。意外とマメにゴミ出しするんだなぁ」


 そう、益体も無い事に感心しながら、マキノが可燃ゴミの袋からへしゃげたピザの紙箱を取り出す。冷えた食べ残し入りのそれは、ほんの三時間弱前に瀬山がラウンジのゴミ箱へと押し込んだものである。マキノはその紙箱を裏返すと、箱型に組まれたボール紙の隙間から、何やら針状のものを抜き出した。


「どれどれ、早速確認」


 嬉しそうにそう言いながら、ポケットから取り出した携帯端末に差し込む。端末に認識させたワイヤレスイヤホンの片割れを片耳に突っ込むと、もう片方をハルへと差し出した。マキノの傍らで、それとなく周囲を警戒していたハルがそれを受け取る。


「移動しよう。ここから向こうの路地に抜けるか」


 ハルが軍手を嵌めた指で、幅一メートルに満たないビル同士の隙間を指す。


「了解。ついでに三階のヤツもデータ回収しとこう」


「そうだな」


 頷きあった二人は、ブラオの拠点ビルと、隣のオフィスビルの隙間――路地と呼ぶのも申し訳ないような空間へ身体を滑り込ませた。


 彼らが標的としているビルは全階、嵌め殺しのミラーガラスにブラインドと、中の様子が分かりづらくなっている。しかし中でもその三階は、ブラインドの内側に、更に何か衝立の役割をするものがあるらしく、監視期間中、一切の明かり、人影、ブラインドの動きなどが見られなかった。どうやら空調の方は、昼夜問わずフル稼働している様子にも関わらず、である。その状況から、おそらく三階はサーバルームであろうと踏んだ二人は、この路地に面した三階外壁に、コンクリートマイクを仕掛けたのだ。あわよくば、中の会話を聞こうという魂胆である。


 目立たないよう奥に設置されたコンクリートマイクが拾った音は、一定の長さごとにデータファイルとして内部に保存される。それを定期的に無線通信で回収するのだ。


「……この瀬山って人、何か気の毒だよね」


 ピザ箱が聞いていたラウンジでの会話。それを適当に聞き流しながら、端末に繋いだ受信アダプタでコンクリートマイクと通信していたマキノがしみじみと言う。


「ブラオがアキツ進出するのに、随分活躍した人みたいだけどな、資料からすると」


 軽く溜息混じりにハルも同意した。二倍速・無言時間自動カットで再生される録音ファイルは、ちょっと間抜けな早口で瀬山とバージュナの会話を辿っている。これまで数日の間、盗聴や監視を行ってきたが、その中で分かったことの一つに、この瀬山という男の組織内での立場の悪さがあった。自分達「葛葉」の存在を信じ、恐れている生粋アキツ人の瀬山と、それを全く信じず瀬山を馬鹿にする他のブラオ組員の姿が垣間見えるにつけ、つい瀬山の味方をしてしまいたくなる若き葛葉の闇刺二人である。


「って、うわ、組織抜ける気だよ、あーあ……」


 無邪気に同情した溜息とともに、マキノが受信アダプタを仕舞う。


「こっちには好都合かもな。身の安全を保証する代わりに、こっちに引き入れられるかもしれない――――!!」


 三階の配管陰に仕掛けられたマイクを見上げて思案していたハルが息を呑んだ。


「どしたの? って、あれ、確か本人じゃね!?」


 つられて見上げたマキノも驚く。視線の先、四階辺りのトイレか階段の採光窓らしい、陰気な場所についた縦開きの小窓から、顔を出して煙草をくわえている草臥れた中年男。それは、事前に資料で確認してあった瀬山・ドニ・ウェズロー本人だった。


「丁度いい、交渉してくる」


 そう言い置き、瀬山の位置を確認しながら慎重に移動すると、ハルは作業着のポケットから取り出した鈎付きのロープをビルの壁面目掛けて投げた。かちん、と鋼鉄の鈎爪がビルの凹凸に噛む控えめな音がする。狙い違わず四階近く、瀬山からは死角になる位置からロープを垂らしたハルは、音も無くそのロープを登り始めた。




***




 昨夜は結局、殆ど眠れなかった。


 溜息と共に煙を吐き出しながら、瀬山は薄暗いビルの谷間を眺めた。三階と四階を繋ぐ陰気な階段室の踊り場、そこは、サーバルームである三階側が封鎖されている事もあり、瀬山以外の者がやって来る事は殆ど無い場所だった。ラウンジにバージュナを置いてきた瀬山は、もしかしたら己の人生で最後の平穏な夜明けになるかもしれない(もっとも、このストレスフルな状況が平穏と呼べれば、の話だが)その静かな時間を独り味わっていた。


 曇りガラスの入った小さな窓は外に向けて縦に開くようになっており、壁に対して直角になるまで開くとロックされる。その窓に預けてあった左肩を、不意に叩く者があった。


 誰かが階段を降りてくる音は聞こえなかった。驚いて振り返った瀬山は、更に仰天する。


「!」


 腕が、窓ガラスから生えている。しかも、その軍手を嵌めた手は、あろう事か振り返った瀬山の口をすばやく塞いだ。


 右手にもてあそんでいた煙草が、火種を灯したまま地上へ落下する。否、此処は遠心力による擬似重力を利用したドラム型の宇宙コロニー。遠心力に吹っ飛ばされて、壁面に張り付いただけだ。


 混乱した頭が、どうでもいい事を考察し始める。目の前の、非現実的な風景から逃避を始めたのだ。何とか頭を現実へ引き戻し、瀬山は脇に装着している拳銃のホルスターへ手を伸ばした。


「瀬山・ドニ・ウェズローだな?」


 窓から生えた腕――もとい、窓の外の人物が問うた。その声質から、若い男であろうと知れる。しかし、淡々としていながら、有無を言わさぬ落ち着いた問いは、相手が相当の場数を踏んだ、荒事のプロである事もまた物語っていた。


「今日、自分のSCドールを手放して、ブラオ商事を去ろうと決めている。理由は、アキツ人嫌いの上司と折り合いが悪いからだ……違うか?」


 知られている。全て。


 ぞくり、と背筋を悪寒が走った。銃把を握りかけていた手が止まる。目の前に写るのは、曇りガラスから生える腕。その向こう側には、伸びている腕を包んでいる袖と同じ、作業着らしいくすんだ色合いの人影。相手と自分を隔てている曇りガラスは、よく見れば、まるで灼熱の円盤でも押し当てられたかのように、腕の直径分だけ溶けていた。


(まさか、本物の……)


 瀬山の疑念を読み取ったかのように、口を塞いでいた軍手が外れる。相手の若い男は、ゆっくりと腕を窓から抜き取ると、その窓の穴越しに言った。


「俺達は、『葛葉』。アキツ随一の古株組織だ。――そう名乗って信じてくれるよな? あんたは俺達の事、散々気にして恐れてたんだから」


 笑みを含んだ問いかけ。間違いない、自分の事は――否、ブラオ内部の事は殆ど筒抜けなのだ。抵抗の意思をなくし、瀬山は両腕を脇に垂らした。もしもそうだとすれば、今やこの相手は、必ずしも己の脅威ではない。


「取引をしないか」


 葛葉の若い闇刺が言う。


「返答次第では平穏な……少なくとも、ここの連中に追われる心配のない明日を保証してやれる」


 闇に紛れて敵を刺す。「闇刺」と呼ばれる葛葉の実動部隊は、敵に回せばアキツ上最も恐ろしい相手であると同時に、アキツの少年少女にとって、(架空か実在かは別にして)憧れのヒーローでもあった。


「喜んで……ああ、俺もアキツ人だな」


 幼い頃、憧れてごっこ遊びをした相手に手を差し伸べられたという喜び。年甲斐もなく、また、単純に喜べるような状況ではないにも関わらず沸き立つ心に、瀬山は苦笑した。


 ……ちなみにこの時、瀬山の真下でもう一人の若き闇刺――マキノが小さく悲鳴を上げたのだが、その声は彼には届かなかった。

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