第16話 距離とは移動にかかる時間のことである。



「何いいいぃぃぃっ!? 暗号化ファイルを持ち出せないだと!?」


 コンクリートマイクの傍受内容を確認していたマキノが悲鳴を上げたその数分後。今度は、そのマキノから報告を受けた山寺が悲鳴を上げた。場所はアシハラ市近海に浮かぶ「惑星アキツ第一軌道エレベータ『天の浮橋』」(ちなみに第二エレベータは存在しない)の海上アンカー基地――通称「浮島」である。


 単機で美津葉へやって来たファイルの復号鍵・サクを回収、電源を切ってアシハラの葛葉拠点に預けた後、山寺と禾熾はツクヨミへ向かうべくこの浮島へ来ていた。搭乗予定だったシャトルの出発時刻まではあと十五分弱。妙齢の女性に変身した暢気者の隊長殿が、ひやかしに入っていた土産物屋からようやく出てきた頃合いだった。時刻は正午まであと一時間数十分といったところで、ツクヨミ上の年少組とは時差がある。これは、ツクヨミが一日を二十四時間と設定して動いているのに対し、アキツの一日は二十七時間ある都合であった。


 現在、大多数の地球型惑星・宇宙間の昇降は「軌道エレベータ」と呼ばれる長大なエレベータで行われている。アキツの場合、静止軌道上に浮かぶ巨大ステーション「アマハラ」と海上アンカー基地「浮島」を高強度チューブで繋ぎ、そのチューブの中をリニアモーターシステムで昇降する「鳥船」と呼ばれるシャトルで、人や物資をやりとりしていた。静止軌道ステーションが高天原で、軌道エレベータの通称が天の浮橋、間を走るシャトルが天鳥船などと言えば、どれだけ天孫降臨気取りでアキツに降りたのか、などという突っ込みが聞こえて来そうなところだが、アキツ開発計画の当初から、アキツ関連の通称名は全て日本神話からとる、と決めてあったのだから仕方が無い。


 この軌道エレベータ、最低でも高度五百キロメートル地点にある低軌道ステーション「浮橋」までは途中下車できない。そこまでならば片道せいぜい一時間程度とはいえ、往復と待ち合わせ時間も含めればかなりの時間ロスになるところだった。このまま手ぶらでツクヨミへ上がっても、目的のファイルを持ち出す事が出来ないというのでは、上がる意味もない。


 ちなみに余談だが、イソタケ・アシハラ間が最短でも四時間、更にアシハラから浮島までが航空機の接続が良くて三時間、加えてとりあえず「宇宙」と呼べる静止軌道ステーション「アマハラ」まで一日半、合計二日弱かかるのだから、なんとも宇宙というのは遠い所である。しかし、このイソタケ・アマハラ間の総距離が約四万キロメートルに対し、その後のアマハラ・ツクヨミ間は三十八万キロメートルあるのに一日半もかからない。実際の距離はともかく、心理的な距離でいえば、イソタケ・アマハラ間よりもアマハラ・ツクヨミ間の方が近いのである。


『なんでも、ファイルと入れてあった媒体の両方に細工がしてあったらしくて、ファイルを開いた途端、媒体からコンピュータの方にファイルがコピーされて媒体側は自動削除、暗号化を解除しなければファイル移動も出来ないらしいんですよ。そんなのをよりにもよってゴツいサーバマシンで開いちゃったみたいで、ヤクザさん達。クライアントマシンの方なら抱えて帰りも出来るかなーと思うんですけど、サーバはちょっと危険ですよね』


 ゴツいサーバマシンと言っても今時、身の丈ほどの大きさは無いかも知れない。しかし、敵も非合法組織である。部外者に閲覧されては非常に困るデータを山ほど抱えているはずの連中の、サーバのセキュリティが甘いとは考えづらい。最悪、ネットワークから切り離した途端にサーバそのものが綺麗サッパリ初期化されても不思議はないのだ。困惑がありありと伝わる声で報告するマキノに、山寺は頭を掻き回して問うた。


「と、言う事はだ。あの胡散臭いCMドールをそっちまで持って上がらなきゃならんという事か?」


『多分……そうなりますよねぇ』


 横で聞き耳を立てていた上司が、自分の携帯を取り出して誰かと連絡を取り始める。恐らくはCMドールを預けてきたアシハラ拠点へかけたのだろう。


「分かった。とりあえず隊長殿と相談して、復号鍵を持って上がる算段をつける。また連絡をするから待機しといてくれ」


 ファイルの件の他に、瀬山というアキツ人幹部を取り込んだ事等報告を受け、山寺はそう指示を出して通話を切った。とかく青年姿の素顔を晒す事を嫌い、人前に出るときは大抵女になっている(そうでなければ面やサングラスなどで顔を隠す)上司に向き直り、目顔で命令を仰ぐ。上司は、綺麗に爪を整えた右手に携帯を弄びつつ、軽く肩を竦めて言った。


「その鍵なんだけどさあ。何か、どうやってもマスター権限が書き換えられないらしいぜ?」


 再び山寺が悲鳴を上げたのは、言うまでもない。




***




 愛車でくつろぐアサキの携帯が鳴ったのは、イソタケ・アシハラ間を結ぶ超々高速道路――HHWハイパーハイウェイと呼ばれる全自動運転制御道路に飛び乗ってから三時間半後、あと一時間もすれば昼になるという頃だった。アサキは矢のように流れる車窓の景色から、助手席に放ってあった、忙しなく鳴動する携帯へと視線を移した。


 彼女が座っているのは、いつもの無骨なピックアップ型ジープの運転席だが、その手はハンドルにかかっておらず、足もペダルに乗っていない。このHHW上では、車両は全てHHW側のシステムと交信しながら自動運転され、運転手の仕事はない。よって今電話をとっても危険運転とはならないのだが、ディスプレイに表示された見知らぬ番号に、アサキは黙殺を決め込む。


 現在アサキの愛車は、HHWを一路アシハラへ向かっている。昨晩仕掛けておいた探知機が、深夜、ほんの僅かな間だけ信号を捉えたからだ。その移動方向の先にはアシハラ市があった。此処から先は殆ど賭けだ。幸いにしてその賭けには勝ったらしく、ほんの数分前のログに、アシハラ方向からの信号確認履歴が残っている。


 しつこく着信音を鳴らしていた携帯が不意に黙り込んだ。ようやく諦めたかと手に取った携帯のディスプレイには、留守録ありとの表示が出ている。留守録を入れてくるような知り合いは、取引のある同業者を含め大抵番号が登録してある。全く知らない番号からのメッセージに首を傾げつつ、アサキは再生ボタンを押した。


『よお、こいつを聞いてんのは、アサキとか言うイソタケのドール屋で間違いねぇな?』


 軽やかな女の声が、声音に似合わぬがさつな口調で問いを紡ぐ。面食らって瞠目するアサキの反応を見ているかのように、声は得意げに続けた。


『こっちはお宅のCMドールを預かってる者だ。ついてはそのドールの事でちょっと相談したい事があってな。悪りぃんだがこの番号にかけ直してくれ。直接お伺いするには、ちとこっちも立て込んでてな。素直なご協力をお願いするぜ』


 軽妙な調子での「お願い」だったが、相手を考えればこれは脅迫にも等しい。万が一「直接お伺い」されてしまえば、そのまま誰にも知られず蒸発することも、悪くすればこの世から消えてしまうことも極あっさり出来てしまうだろう。


「相談したい事、か」


 端末をいじり、先ほどの着信番号を呼び出した状態で、アサキはため息をついた。相談内容は大体予想がつく。しかし、相談されたところで相手が望む答えを、アサキは持っていない。……サクのマスター権限は、アサキが入手した時点で既にロックされており、その解除はアサキ自身にも不可能だったからだ。しかも、マスター権限にロックがかかっており、変更が不可能なことについて、当のサク本体は無自覚なのである。


 サクのマスター権限がロック状態にあることは、最初にサクをメンテナンスした時から、既にアサキは知っていた。サク本体がその事に何の疑念も持っておらず、また、己のタイプコードすら間違えていた事から、相当厄介な細工が仕掛けられているであろう事も予測出来ていた。タイプコード――すなわち、「己が『何の為に存在する』ドールであるか」を忘れる事など、常識で言えばありえないのだ。更に、『誰の為に存在する』ドールであるかを規定するマスター権限に関してロックがなされており、その事にサクが無自覚であることも、異常としか言いようのない状態であった。


 発信ボタンの上を親指がさ迷う。押下してしまえば、第一ラウンドの始まりだ。アキツ一面倒な連中を何とかかわして、望む結果を引きずり出さねばならない。サク本体はその制御不能ぶりを遺憾なく発揮して勝手に出て行ってしまったが、アサキにはサクの事を諦めるつもりは毛頭なかった。


「我ながら、危なっかしい真似をしている自覚はあるんだが、な……!」


 言いながら、爪にエナメルの一つも塗られていない無造作な親指で、アサキは発信ボタンを押下した。


 一秒前後の空白。その後、呼出し音が鳴り始めた。


 自嘲と緊張、そして高揚に、歪に口の端が吊り上がる。乾いた唇をちろりと舐めて湿らせた。フロントガラスの向こう、正面遥か先を睨みすえるその表情を見る者があれば、恐らく「肉食獣のような獰猛な笑み」と評しただろう。


『もしもし。アサキ・E・キール本人か?』


 呼出し音が二度ほど繰り返された後、相手が電話を取った。何処か雑踏の中らしいざわめきをバックに、低く男臭い声が至って平静な声で問う。電話を取ったのは、先ほどかけてきた女ではないようだ。


「そうだ。そちらは葛葉の闇刺……ということで間違いないな? 私のドールが世話になっているようだが――」


『ああ。単刀直入に訊く。あんたがこちらに寄越したCMドールは、現在我々が預かっている。あれのマスター設定のロック解除方法を教えろ。素直に従ってこのままCMドールを我々の手に委ねれば、今後この件に関して、我々はあんたへの詮索・干渉は行わない』


 詰まるところ、このまま素直にサクを差し出せば、一般人のくせにCMドールを所持・利用していた事に関して不問とする、という意味だ。公的組織でもないはずの連中に言われる筋合いのことでは無いとも言えるが、そこはそれ、ことに「葛葉」という組織が関わった場合、アキツ内では暗黙の了解というものである。


「判った。マスターロックの解除だな……」


 耳に押し当てた携帯端末のスピーカー部分から、わずかに洩れ聞こえる相手の周囲の音。その中にアサキは、駅構内のようなアナウンスを聞き取った。相手はどうやら、葛葉の拠点に腰を落ち着けて電話をかけてきたわけではないらしい。


「協力は約束する。アキツでお前たちを敵に回したいと思うほど私も命知らずではないつもりだ。だが、どうすればいい? 口頭で説明する自信はないんだが……」


 指示を乞う形で探りを入れてみる。直接サクを触れたらしめたものだ。自分が捕縛されるリスクは覚悟しなければならないが、虎穴に入らずんば虎子を得ず、というやつである。返答はすぐには来ず、一呼吸分ほど会話に空白ができた。


『――仕方ないな、では此方に……浮島に来てもらおう。ターミナルビルの第三ゲート前に来い。所要時間はどの程度だ?』


「了解した。……そうだな、航空機の接続が良くて五時間といったところだ」


『では、十七時までに来い』


 必要最低限の事だけを確認し、通話は一方的に切れた。軽く息をついて、アサキは通信切断中と表示された携帯端末の画面へ視線を落とす。


「浮島……か。月にでも持っていくつもりか? アレを」


 どんな事情かはアサキの知るところではないが、どうやら相手は、これから根城に帰って落ち着こうとしているわけではないらしい。葛葉の本拠地は、一般人が生活するには過酷過ぎ、開拓もされていない「人類不可住地域アネクメーネ」と呼ばれる、いわゆる未開の土地の何処かであるというのが定説だ。(ちなみに、現在人間が住んでいる「人類可住地域エクメーネ」は陸地の二割程度である。)もしかしたら、ルーカス・エリクソン博士の遺した「遺品」とやらを取りに行くのかもしれない。


「どちらにしろ、あのターミナルの中で私を確保して、命令に従わせる自信があると言う事だ……全く、面倒な相手だな」


 不特定多数の人間の目がある中に呼び出し、その場で速やかにアサキを捕らえるなり、命令に従わせるなりする手立てを持っているという事だ。他の連中ならばともかく、「葛葉の闇刺」が相手となれば、その方法などアサキが想定しても殆ど無駄に近いだろう。何故なら、彼ら「闇刺」と呼ばれる葛葉の実働部隊は全員、何らかの特殊能力――一般には超能力やPSIサイと呼ばれる力を持っている。それは、アキツで一般に流布する通説の一つであったが、真実とみてほぼ間違いないだろう。


(現にサクの切断された右腕……あの切断面はただの刀ごときで出来るものではない……)


 狐を名乗る闇刺に襲われた際、日本刀の小太刀のようなもので切りつけられた、とサクは言っていた。実際、かろうじてキャッシュに残っていた戦闘時の、サクのアイカメラが撮った画像データに映っていたのも、不鮮明ではあるが只の刀のように見えた。しかし、実際の切断面は高速のダイヤモンドカッターでも当てたかのように、一つの引き攣れもない完璧なものだったのだ。切られた方は、超高性能の防刃防弾繊維と、粘性剛性共に申し分ない最高級の軽量合金で出来た、特上クラスのCMドールであったのに、である。よほど敵の手にしていた武器が特殊なものだった可能性もあるが、正しくあれは、「人間業ではない」という類のものだった。


 アサキはポケットを探り、煙草の紙箱を取り出す。一本咥えてしばし躊躇い、結局火を点けてシートに身を預けた。一気に煙が車内に充満し始める。HHW上の車両は時速約三百キロメートルで走行している。そんな速度で窓など開けては危険なので、HHWでの自動走行中は窓が開けられないようになっているのだ。空調を車内循環から外気取り込みに変えて溜息をつく。


「面倒と言えば、まあ、あのポンコツ自体面倒極まりない物体だがな……」


 基本的にドール=AHM自律人型機械は「モノ」である。


 モノである以上、動作する限りは誰か所有者が居り、その動作の結果は所有者の責任となる。誰にも責任の取れない状態で放置される事などあってはならないし、ペットのような「生き物」と違い「機械」なのだから、そのような状態で動作する事自体があってはならない。万が一、所有者の存在しない状態で誰の命令もなく動くドールがあるとすれば、それは「暴走している」と見做され、その責任は暴走を許す設計を施した開発・製造者か、改造した者がいるならば改造者のものとなる。


 この辺りの厳格さは、AHM産業に携わっている人間ならば誰しも承知の事であった。単にAM型のドールを購入して楽しむだけのエンドユーザーにはそこまでの徹底した認識は無いのかも知れないが、――だからこそ、サクはアサキの元まで辿り着いたとも言えるが、AHM技術者の端くれであるアサキにしてみれば、サクは常識はずれもいいところの状態なのである。


 現在のサクの状態から、実際にはどういった状況なのかある程度予測は出来るが、正確なところはアサキにも分からない。何と言ってもエリクソン博士はこの世におらず、フルーセンという国もこの宇宙にはもう存在しないのだ。運が良ければ、例のエリクソン博士の遺品とやらに、そのヒントがあるかもしれないが。


(とりあえず、あいつは恐らくフルーセンのドールではない。内部パーツが、連邦製のものが殆どだったからな。しかも、だいぶ古い型のものだ……製造後二十年とはさすがに言わないかもしれんが、AHCMとしてもかなり初期のタイプだろう。フルーセン滅亡が十四年前の事だから……辻褄が合わなくもない。とすると、奴もルーカスを仮マスターとした二重底ドール――いや、それだけでは説明がつかないな。出会い頭の状況からして、不慮の出来事でプログラムエラーを起している可能性が高い。それと、恐らくルーカス・エリクソンは敵CMドールである事は知っていたはずだ。でなければわざわざタイプコードまで偽って箱入りにしたりはしないだろう……ええい、憶測だけでは埒が明かん)


「……そんな危ないドールにわざわざ武器を詰め込んだ自分の馬鹿さ加減も、なかなか救い難いところだが……」


 煙草の先端で捩れる灰を、灰皿に叩き落して呟く。この日も重たい曇天の空がアキツにのしかかっており、後方へ流れる景色も薄暗い。変り映えのない乾いた荒野の、岩くればかりが続く光景を見るともなしに眺めながら、アサキは軽く目を伏せて自嘲した。


「一応、安全弁も用意してはあったが……早まったかな」


 自分の命令を聞かない、そして誰の命令を聞いているのかさっぱり分からないCMドールに武器を仕込んだのだ。最悪、再起動した瞬間に殺されても不思議はない。それだけは避けられるよう手は打ってあったが、我ながら無茶をしている自覚はあった。CMドールが欲しかったというのもある。手に出来れば強力な自衛手段となりうる上に、大変興味深いからだ。だがその、ドールとしてはあまりに複雑な、そして不可解な有様に好奇心をそそられた部分は大きい。これはもう、「パーツ狂のアサキ」とまで呼ばれるマッドなAHM技術者としてのサガというものだった。


 短くなった煙草を、随分混み合っている灰皿に無理矢理押し込んで前方を見遣る。


 市街地と荒野を隔てる山並みの向こうに、朧に霞むアシハラ市街地が見え始めていた。

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