第14話 擦れ違ったまま成立する会話が一番厄介。


 「葛葉」という組織の存在は公には認められていない。しかしアキツに住む人間の殆どがその名を知っており、そのうちの何割かは実在を確信している。実在を確信する数割の人間の大半は違法行為に足を突っ込んだ、所謂裏社会の人間であり、彼らにとって葛葉は、彼らの社会の最上位に存在し、アキツの裏社会を統制する裏の政府にも等しい存在だ。


 もっとも、裏社会の人間と言ってもアサキのようにグレーゾーンを行き来しているような、有象無象の個人事業者にとっては、彼らは雲の上(というよりも闇の底)の存在であり、「実在はする」という程度の事しか確信の持てる事はない。あとは都市伝説に等しい化け物じみた噂だけである。


「全く、何処へ行ったんだあの馬鹿ドールは。全く以って滅茶苦茶だ。滅茶苦茶だがもっと厄介なのは、自分が滅茶苦茶だという自覚が全く以って無い事だ」


 ぶつぶつとぼやきながら、アサキは煙草のフィルタを噛んで歩く。急遽予定を早めて再稼働させたHPドールにフィリアを任せて、アサキは作業用ガレージへと向かっていた。色々と厄介なドールである事は覚悟していたが、ここまで挙動が予測の範疇外とは正直思っていなかった。怒りと苛立ちを覚えつつも、心の残りの半分を感動とも寒気ともつかない高揚感に支配されながら、ガレージに鎮座するドール開発管理サーバの画面を起す。


 コマンドを叩いてソフトウェアを立ち上げる。いささか長めの起動時間の後、車のカーナビ画面に出るのと同じAHMレーダーのマップが表示された。サクがCMドールである事を知ってから思い返せば、よくもまあこんなちゃちなレーダーで捕捉できたものだと、出会った当初を思い返して感心するアサキである。


 起動したソフトウェアを操作し、探査モードを切り替える。メルキュール邸を中心に表示されていたマップが一旦消え、「発信機の位置を確認しています」というメッセージが現れた。そのまま数分凍りついた画面が次に表示したのは、「発信機の存在が確認できません」という警告だった。


「……ちっ」


 電波が届かない場所に居るか、あるいは発信機そのものに気付いてそれをサク本体が除去したか。腕の修理の際にこっそり仕込んでおいた発信機も役に立たないのでは、サクの居場所をこちらから確認する事は出来ない。敵による強奪を懸念して仕込んだ発信機だが、まさか本人(?)の家出で捜索するはめになるとは思わなかった。そう頭をかき回すアサキである。


「こちらも無駄な可能性が高いが……」


 そう言いながら一応、とばかりにアサキは、携帯端末をのろのろと取り出した。サクへと向けて発信する。家出をしておいて通信を繋ぐ馬鹿も居まいが、録音メッセージくらいは残せるはずだ。せいぜい怒鳴りつけてやろうとアサキは深呼吸をした。あのドールの性格上、メッセージが残っていれば内容確認くらいはするはずだ。


『お客さまのおかけになった電話は、現在、電源が切られているか、電波の届かない場所にあるため、お繋ぎすることが出来ません』


 電子合成された女性の声がアナウンスする。AHM相手の通信を電話と呼ぶのもむず痒い。そう溜息をつきながらアサキは通信を切った。


 しかしこれで一つ、分かった事がある。わざわざ携帯端末を持たせているわけではない。実際に電波の届かないような場所に居るか、サク自身の電源が落ちているのでなければ、先程のようなメッセージにはならないはずである。発信機も沈黙していたという事は前者――無線通信不可能の場所にいる可能性が高いという事だ。


「葛葉……か」


 無線通信が出来ない場所など、人間の住む場所ではない。そう言い切れるほど無線通信網の発達したこのご時世である。地上から鉄塔を建てて通信基地にしていたような、宇宙大開拓時代より前の大昔ではないのだ、通信中継設備のない地下深くか、あるいはわざわざ通信妨害のシールドをしてあるような場所でなければこんな事にはならない。サクが通話・通信厳禁の格調高いクラシックコンサートにでも行っているのでなければ、残りの可能性は限られていた。(お高いコンサート会場はたまに、要塞並みの防音・通信遮断性能を備えていたりする。それだけマナーの悪い客が多いということか)


 葛葉は元々、AHM関連技術の管理(もっと言ってしまえば機密保持)を目的とする組織だった、という説がある。実際、現在でもアキツ上でのAHM流通は表裏合わせて一定の管理が為されており、そこには国家レベルの大きな力が働いている事は、イソタケの端で違法技術者をしているだけのアサキでも実感できていた。個人で細々と違法販売や違法改造をする程度ならお目こぼしをもらえるが、大々的にそれらを行う事は、たとえこの国最大の裏組織であっても不可能なのだ。その締め付けの度合いは、他の違法商品――ドラッグや武器類の比ではない。否、大規模な裏組織であればあるほど、そのAHM関連稼業への態度は「自粛している」としか見えないものだった。つまり、彼ら大組織のさらに上に、何者かが居て「手を出すな」と命令しているかのように見えるのだ。


 先日接触してきた事もあわせれば、葛葉がサクを捕捉している可能性は高いだろう。高級CMドールが一般民家に置いてあるのを、葛葉が見つけて放っておくとはアサキも思っていない。家出してフラフラ歩いているところを捕まったのか、自分から足を向けたのかは知らないが、厄介な事態である事に変わりはなかった。


「移動する際に通信が復活する可能性はゼロではない、か……それ頼みだな」


 今後、十五分ごとに発信機探索を行い、その結果を随時記録しておくようAHM探索ソフトウェアの設定を変更し、アサキはガレージを出た。




***




「――ルーカス・エリクソンとブラオ商事についてはこのくらいだ。あとは……俺達の事か?」


 尋ねられたサクは無言で頷いた。拝殿の中はすっかり暗くなり、高感度モードのアイカメラの画像もかなり荒くなっている。しかし目の前の熊男の目には、頷くサクがはっきりと映ったようで、男はサクを見たまま頷き返してきた。


 今しがた聞き終えた説明の冒頭、長い話になる、と言ってサクの正面に胡坐をかいた熊男は「ヤマト」と名乗った。その途端彼の後ろで狐面が、「えっ、ヤマさんの闇刺名ってそんなんだったの?」などと驚いていたので、普段から使っている名ではないのだろう。立ったまま聞くのも落ち着かない為、その「ヤマさん」の正面に正座したサクは、彼からブラオ商事とルーカス・エリクソン博士についての概要を静かに聞いた。


 元マスターであるルーカスの出身国と聞かされたフルーセン共和国について、サクは多くを知らない。たった今葛葉から聞いた内容によれば、おそらくサク自身もフルーセンのCMドールであり、ルーカスはその開発者ということになる。しかしサクの記憶は、アキツの首都アシハラ市の郊外、西洋骨董趣味の洋館の中から始まっていた。それ以前のルーカスが何者であったのかも、どういった経緯であの洋館で暮らし始めたのかもサクは今まで知らなかったのだ。


「俺達の組織の名は『葛葉』……肩書きをつければ、特殊傭兵組織・葛葉ってとこだ。肩書きにあるとおり、対外的には大規模には傭兵団――というより民間軍事会社のような事から、小規模には探偵のような事までやってる、サイズのでかい裏社会の何でも屋だな」


 「ヤマさん」が葛葉について、実にざっくりと説明をする。「実在不明の都市伝説的組織」と言われている割には、大きく商売をしている雰囲気だ。これまで自分のデータベースにあった情報から類推された組織の様子と異なる「葛葉」の姿を想像し、サクは軽く眉を寄せた。


「……存在自体を公にしない組織なのだと思っていましたが」


「ま、『対外的』と言っても、依頼内容自体が公になるような性質のものじゃないからな。顧客はまあ、表の顔がある連中も居れば、裏社会のみで生きてるような連中も居る。だが俺達の組織の存在意義……葛葉の本来の任務は他にある。正確にはもう殆ど過去形だがな」


「過去形かよ、ヤマさんひでぇなー」


 途中で狐が楽しそうに茶々を入れる。それに軽く肩を竦めて、「ヤマさん」が続けた。


「事実だろうがよ――で、その本来の任務だが、一言で言えば『AHM技術の漏洩防止』だった。アキツ建国以来、ずっとな」


「…………え?」


 サクがよほど酷い顔をしたのだろう。「ヤマさん」ことヤマトも、狐面こと禾熾もそれぞれに、呆れたような感心したような笑いを洩らした。


 しかし、サクには他に反応のしようが無い。AHM技術というのはたった二十年前に、アキツとは遠く離れた宇宙最前線惑星連邦(通称は単に「連邦」、あるいは頭文字でFSPF)が軍事目的で開発した技術がベースになっている。そう、朧ながら世の常識として知っていたし、つい先日、ルーカスに関する手がかりを得るために読んだ文献(フィリアに貸してもらった本)にもそうはっきり書いてあった。それが、建国約二百年になろうかという辺境惑星国家・アキツでずっと守られてきたと言われても困惑するだけである。


「全く、そんなリアルな反応をするドールが目の前にあって、それが国外で作られたってだけでもう、こっちとしては情けないのを通り越して笑える事態って事なわけだよ」


 ヤマトの説明はこうだった。


 アキツという星はそもそも、宗主国である日本で、ある特定の科学技術分野に携わっていた人々が中心となって開拓した惑星なのだそうだ。その特定分野というのが、当時で言うロボット技術――現在ではAHM技術と呼ばれている類のものだという。


「当時日本は国内に、他国と比べて相当高度なロボット技術を抱えていた。しかし、彼らはそれを、他国に知られ、奪われる事を極度に恐れたんだ」


 世界で最もロボット……特にアンドロイドと呼ぶべき人型ロボットの開発に熱心だった日本の科学技術者の多くには、ある種の信仰とでも呼ぶべき信念があった。母体となる国そのものには「宗教」という概念は薄く、様々な国から輸入された様々な宗教が、土着多神教共々広く、浅く取り入れられているような、国民の大多数が「自称無宗教」の国家であったというのに、である。


「……信仰、ですか」


 話の妙な雲行きに、サクはさらに顔を顰めた。全く以って話の方向性が見えない。


「ああ。まあ無宗教というより、原始的なアミニズム世界観を背負ったまま先進国の仲間入りをしちまったような国だったらしいからな……結局そういう『万物に魂が宿る』みたいな感覚が強いお国柄だったんだろう」


 すなわち、彼らは究極的には、魂の宿るアンドロイドを作ろうとした。そして、自分達が開発・製作したロボット達を単なる道具とは見ず、いわば「尊厳」のある、人類の良き隣人とすることを目指したのだ。


「その、『ロボットは人間の友達だ』的価値観……一説には技術を開拓した第一世代の連中が、幼い頃に見たアニメが原点だとか言われてるらしいが……ともかくその価値観がこの分野への他国参入を拒んだらしい」


「どういう事です?」


 元々は「葛葉」とは何ぞや、という話から始まったはずの説明は、今やアキツ建国すらすっ飛ばして、宇宙開発前史の日本まで吹っ飛んでいる。最早効率的な情報の入手は諦めて、この良く分からない昔話を大人しく聞くしかあるまい。そう観念したサクは、内部処理でブーブーと警告を垂れている回路を端から切っていった。どうせ帰りの時間を気にする状況でもない。


「他国の参入があれば、確かに技術の進歩速度は飛躍的に上がる。だが、その方向性は間違いなく百八十度逆に逸れる。それを恐れたのさ」


「はあ。方向性、ですか」


 オウム返しにサクが問うと、ヤマトは頷いて更に問いを返してきた。


「そうだ。そしてその危惧は何世紀も経った今頃になってど真ん中に的中した。お前さん、自分の正式名称を言えるか?」


「オートマチカル・ヒューマノイド・マシン。邦訳すれば自律人型機械……違うな、僕はCM型だから、自律人型戦闘機――そうか!」


 フィリアに借りて読んだ本の著者が、文中でしつこいくらいにこだわっていた「AHCM:自律人型戦闘機」という表現が、ふと浮かぶ。あの著者は導入部で語っていた。「AHM技術の基礎――原型を成すのはAHCM技術、すなわち兵器としての技術である」と。


 膝を叩いたサクに、さすが、とヤマトの人影が肩を竦める。最早高感度状態のアイカメラでも、それ以上の表情は読み取れない。


「正解、『戦闘機』だ。そいつはもう、人類の良き隣人とは言えない。人間に隷属する『機械』であり、他人の生命と安全を脅威に晒して相手を服従させるための『兵器』だ。それを、当時の技術者達は恐れた。そして……逃げ出したのさ、宇宙の果てへな」


 すなわち、その宇宙の果ての隠れ里がこのアキツだったのだ。


 極限まで人間に似せて造られた自律機械。ないしは、人間の意のままに動き、人間の生命を危険に晒すことなく複雑な動作をこなして任務を遂行するロボット。これらの技術は、軍需産業の者からすれば金の生る木に見えただろう。そして実際、アキツが数百年という歳月抱え込んできた「アンドロイド技術」は二十年前、「AHCM技術」……すなわち戦闘機の開発技術として華々しく宇宙デビューを果たしたのだ。


「そして俺達『葛葉』は、建国当時からアキツと共にあった。元々はAHM技術を守りたい技術者達が雇った番犬だったんだろう。守る対象自体が、存在する事すら知られるわけにはいかない極秘事項……となると当然、番人の存在も極秘だ。そうやって葛葉は、アキツ国政府の抱える正規軍とは全く独立し、その存在を星の裏側に隠したまま、だがアキツ国上層部と密接な関わりを持つ武装組織として発展しちまったわけだ。……これで納得か?」


 これで最後、とばかりに一気に話題の核心に触れ、ヤマトがサクに確認する。つまり、彼ら葛葉がサクにちょっかいをかけてくるのは、外国(しかも滅亡済みで情報の乏しい)で開発されたCMドールであるサクが、彼らにとって職務上価値のある資料だから、ということだろう。


「……正直、目眩がしますよ」


 額を片手で押さえ、サクは天を仰いで溜息をついた。既に拝殿は闇に支配され、悪天候のためかサクの高感度アイカメラをもってしても、ノイズだらけの荒い画像に、人影らしきわだかまりが映るだけである。それでも多分、目の前に座るAHM技術の番人たちにはこの大仰な仕草が見えているのだろう。呆れ返ってマトモな感想が出てこないほど壮大な(そして言ってしまえば馬鹿馬鹿しい)話への感想代わりのジェスチャーに、正面のわだかまりが再び笑う気配がした。


「まあ、あなた方の成り立ちと、僕を捕縛しようとする理由は何となく分かりましたが……良くこちらが見えますね」


「俺はそんなに見えちゃいないさ。生の目玉しか持ってないからな。隊長殿は見えてるんだろうが……」


「俺の目玉だってナマモノだっつーの。特別製だから良く見えるけど」


 じゃれあいのような和やかなやり取りの後、さて、と気を引き締める掛け声と共にヤマトが立ち上がった。


「とりあえず、約束どおりそちらの知りたい事は話したつもりだ。それでお前さんはこれからどういう行動に出る予定だ?」


 サクを見下ろす人影が、幾分厳しい声で尋ねる。つられて立ち上がりながら、サクはその問いの意味を吟味した。


「行動……と、言われましても。あなた方の指示に従うつもりで来たんですが」


「……それは、今、この場で完全にシャットダウンしろという命令でもか?」


 更に警戒を帯びた声音で、ヤマトが確認する。この場で完全シャットダウンをしてしまえば、あとは問答無用で葛葉の管理下に置かれる事になる。それで何の問題も無いのか、という確認のようだが、それを覚悟せずに此処に来た覚えは、サクにはなかった。


「ええ、問題ありませんが……」


 戸惑いつつも頷くと、何故かヤマトの心拍・血圧が一際上昇する。全身を緊張させたらしい生体反応に、サクは驚いて身構えた。


「あの、どういう意図の――」


「なるほど、既に全部筒抜けた後って事か」


 何処に筒抜けるというのか。どうやら何か根本的なところがさっぱり噛み合っていないらしい。そう気付いたサクはいささか慌てる。明らかに相手は臨戦態勢に近い。


「ちょ、ちょっと待ってください! 僕はあなた方に敵対するつもりはありませんし、不利益となるような情報の漏洩をするつもりもないですよ。そもそも、現在の僕の無線通信設定で、此処のジャミングをすり抜ける事はできません!」


 妙な誤解をされて、結局アサキらにまで咎が及んでしまえば目も当てられない。そう必死で弁明するが、何故弁明をしなければならない話の流れになったのか、サクにはいまひとつ理解出来ない。今まで成立していたように見えた会話は、どうやら擦れ違っていたようである。厄介な事に。


「そいつは馬鹿馬鹿しい嘘だな」


 それをヤマトは、冷たい一言で切って捨てた。まるで出来の悪い嘘をついた犯人を追い詰める探偵である。


「ドールの行動は全てマスターの意思によるものだ。よって『マスターにとって無意味な行動をドールが行う事はない』。お前さんの言った事は、この原理に反する」


 サクは、言葉を失った。

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