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第13話 別の言語同士を厳密に翻訳するのは不可能。


 禾熾がホルツ・アルノーを締め上げて聞き出したブラオ商事のツクヨミ本拠地。その正面を遠目に見下ろすホテルの一室に、中身の薄そうな小ぶりのショルダーバッグを提げた、十代後半の少年が入った。カジュアルだがすっきりとした印象の服装は、一大娯楽・商業地区であるこの地へ遊びにやってきた旅行者に違いないと思わせるものだ。


「あ、ハル。おかえりー」


 同室に滞在している彼の相棒――マキノの声が、部屋の窓際からのんきにハルを迎える。


「どうだ? 動きは」


 窓際に貼り付くマキノの背中に向かって尋ねると、マキノは監視目標である五階建ての商業ビルに双眼鏡と視線を向けたまま「今日の入場者54人、退場者17人、入場者のうち三日以内の再入場が28人。退場者のうち入場三時間以内の退場が14人。毎日見る奴が19人。ちなみに女性は3人だけ」と返してきた。


「……昼間の常駐人数は多く見積もって40人前後か。三階は?」


「今日も全く動きなし。それよりさあ、やっぱ一回入っとくべきじゃない? その方が敵も欺きやすいし」


「無謀だろ。一応建設当初の図面と警備システムの契約内容は写してきたが、警備システムの方は絶対に自前のものに変えてあるんだ。侵入した途端警報が鳴っちゃ目も……」


「違う違う。そっちじゃなくて、あっち。グレゴリー・パークに遊びに来た事になってんじゃん、俺達。グレゴリー・パークの中を知らないのは、良くないと思うんだよなぁ」


 大真面目に答えたハルに笑って、双眼鏡を覗いたままのマキノがベッドヘッドの並ぶホテルの壁面を指差した。


 此処はツクヨミ内部、エリアE‐19‐1。通称グレゴリー王国と呼ばれる、「大人も子供も夢の世界を満喫! 街ひとつ丸々テーマパーク&カジノ」がキャッチフレーズの巨大アミューズメントパークに隣接した商業地区である。マキノが示した方向には、その巨大娯楽王国のうち、(未成年者入場可の)テーマパーク区域があった。ちなみにもう一方のカジノ区域は十八歳未満入場禁止である。


「止せよ……後で隊長に恨まれるぜ、多分」


 監視交代のためマキノから双眼鏡を取り上げながら、ハルは溜息をついた。恐らく、隣に居るのが隊長であってもマキノと同じ事を言うのであろう、そう容易に想像できたからである。



***




 イソタケの市街地からおよそ六十キロメートル離れた場所に、農作地に囲まれて美津葉稲荷はある。その前にサクが立った頃には、辺りの景色は既に明度を下げ始めていた。風雨の中、最寄りの停留所からの道のりを傘も差さず歩いてきたサクは、濡れて額に貼り付いた前髪を払うと、暗がりに浮かぶ紅い鳥居の回廊を見上げた。鬱蒼と茂り社殿を覆い隠す鎮守の杜は既に曇天を切り取る闇となり、緋の鳥居回廊はその中に吸い込まれるように上へと続いている。アイカメラを高感度モードに切り替えることもしないまま、しばしサクがその様子を眺めていると、不意に真上から声が降ってきた。


「よお、何か面白いもんが見えるか?」


 頭上に視線を移すと、白い狐の面が鳥居の上にぽっかりと浮かんでいる。カメラの感度を上げてみるとそれは、暗い色のレインコートを着込み、狐の面を被った男だった。


「いえ、別に……」


 あんた以外には、と発声はせずに付け加え、サクは再び回廊の奥へと視線を戻した。静かな雨音と、風に木々がざわめく音に混じり、抑えられた、しかし実に愉快そうな笑い声が続いて頭上から降り注ぐ。


「ご指定通り来ましたよ。教えてくださるんでしょう? 色々と」


「まあな。けど此処じゃ雨がうるさいし、上がってくれや」


 抑揚を殺しすぎて不貞腐れたような声音のサクの問いに対し、軽やかに狐が答える。道案内でもするつもりかと再度見上げた鳥居の上で、狐はふわりと闇に溶けて消えた。


「正しく妖怪、だな」


 呟く声は、やはり不機嫌そうに響く。それを集音用の内蔵マイクで拾ったサクは、嫌そうに眉を顰めた。



***



 入り口から三本目の鳥居に仕込んである監視カメラが、逢う魔が時の来訪者を映し出している。社殿深部の山寺はその映像を見詰め、理解を諦めたように軽く頭を振った。あれが、機械人形だというのだから世も末である。平気で鳥居の上に乗る罰当たりな上司の妖怪ぶりに付き合う間に、大概の事には動じなくなったつもりでいた。しかし、目の前の画面に映った少年が金属と樹脂で構成されていると言われたところで、寒々しい冗談としか思えない。


「きた、来た、来たってのよー、ホントにさー」


 実に嬉しそうな声が背後で歌い、罰当たりな妖怪上司が戻ってきた事を知らせる。


「此処まで案内するわけじゃないんだろう。前へ出るのか?」


 濃紺のレインコートを丸めて板間に放っている上司に確認すると、おう、と簡潔な返事が返ってきた。


「俺、説明とかヘタクソだしさ、ヤマさんよろしく頼むぜ!」


「おい、隊長殿……」


 気軽に言い放つ上司を、山寺は眉を顰めて呼び止める。


「何だ、説明係は嫌か?」


 さっさと前――拝殿へ出て行こうとしていた金髪頭が振り返り、白狐の面が斜めに傾いだ。出で立ちの異様さと仕草の素直さがなんとも妙な雰囲気を作り出しているが、そんな事はこの際どうでもいい。


「そうじゃなくてだな。そもそも、あのドールにあれやこれや説明する必要があるのか、本当に。無駄な事はせずに、さっさと相手の電源を落としちまう方がリスクは低い」


 良くある事とはいえ、不可解な行動に出ようとする上司を、これも毎度の事と内心嘆息しつつ、渋い顔で山寺は諫めた。しかし、当の上司は立ち止まったまま、困ったように金の髪をかき回す。


「んー、けどさあ、『教えてやる』って約束しちまったし。約束反故にしたら暴れるんじゃねえ?」


「例え暴れても、あんたならどうにかなるだろうが」


 実際、一度禾熾はあのCMドールの捕縛に成功している。その後予想外の反撃があったとはいえ、それでもあの時、あのCMドールをそのまま持って帰る事も可能だったのだ。


「まあ、そうかも知んないけどさ。やっぱ、筋は通しといた方がよくね? 何となく」


 全く以って毎度の事ながら、意味不明の返答を山寺に返した上司は、そのまま拝殿へと姿を消した。



***



 アサキが目を覚ました時には既に日は落ち、レースカーテン越しの外光しか光源のない室内は、薄闇に浮かぶ影絵の世界になっていた。寝起きで力の入らない身体を布団から引きずり出し、時刻を確認して部屋を出る。二階の自室から出て階段を降りても、家の中は妙に暗く静まり返っていた。灯りの洩れる方向を目指して歩くと、母屋から飛び出た渡り廊下の先に、開け放した引き戸と電子部品店内が見える。


 店の手前――廊下の引き戸のすぐ向こうにあるカウンターに座っているシルエットが、妙に小さく丸い。店番を命令しておいたドールのものではなさそうな人影に眉を寄せ、アサキは店へ近づいた。そもそも、既に夕飯の支度をしているはずの時間であって、店は閉めていなければならない。HPドールの修理が終わったとはいえ、本格稼働は明日以降だとあの(ある意味)ポンコツCMドールには伝えてあったはずだ。見つけ次第叱り飛ばす用意をしながら、アサキは人影の正体を確認した。


「AHCMは『心』を持つか。その問いに対する答えは『イエス』であると言える。何故なら、彼らは――此処ではAHCMを便宜的に、三人称を使って呼ぶ事とする――ニューラルネットワーク回路を有し、その内部に『情動』と呼べる原則的で、表現として許されるならば『本能的な』感情を内蔵しているからだ。無論その中央に存在する目的、すなわちAHCMの存在意義は『生存と自己増殖』ではない。その意味で彼らは……」


 カウンターの椅子に座り込んだ童女がその混乱を表すかのように、滝の勢いで専門書を暗誦している。その手元には、なにやら手書きされたチラシが置かれていた。

『突然すみません。お世話になりました。夕飯は台所にあるので温め直して食べてください』


「…………っ、ぁあのポンコツがあああぁぁぁっ!!」


 びくっ。


 吼えたアサキに反応して、専門書の暗誦が一旦停止する。そして三秒後、さらに勢い良く流れ出したそれに、アサキは片手で額を押さえた。




***



 鳥居回廊を上りきり境内に入ると、サクは一旦足を止めた。ネットワーク接続切断の注意情報が下位回路から上がってきたからだ。どうやら無線通信を妨害するジャミング装置が設置してあるらしい。見かけこそ宗主国の伝統を受け継いだ宗教建築だが、実際には葛葉の活動拠点として機能している施設なのだろう。一応警戒モードに切り替えておいた各種センサが、この他にも様々な監視機器の類を感知していた。


 サクの立つ石畳の正面には鈴、賽銭箱を間に挟んで、開け放たれた拝殿が暗い口を開けている。先程の狐の言を「拝殿に上がれ」という事なのだろうと解釈したサクは、再びゆっくりと歩を進めた。


 びしょ濡れになった靴を脱ぎ、板間の拝殿に上がる。感度を上げたアイカメラに映ったのは、黒一色の装備を身につけた男二人だった。片方は先程の狐面だが、もう一方にも見覚えがある。


「――あなたは、確か先日……」


「流石に容姿を記録されてたか。ああ、一度客としてキール電子店にはお邪魔した。あん時はまさか、お前さんがドールだなんぞとは夢にも思わんかったがな」


 若い金髪の女と二人連れで来店した事のある、熊一歩手前男が軽くおどけて見せる。


「僕もまさか、こんな物騒なご職業の方とは思いませんでしたよ」


 狐面は熊男にこの場を任せるつもりなのか、一歩下がった立ち位置のまま、腕を組んで沈黙を守っている。悪びれた様子のない熊男に減らず口を返しながら、サクは軽く周囲を確認した。


「さて、本題だが……その前に。もう既に気付いているかもしれんが、この神社の境内には無線通信を遮断するためのジャミング装置が設置してある」


 その事は先程確認済みであるため、サクは頷いた。自身のCMドールとしての機能をフルに使える状態ならば、妨害を掻い潜る手段があるかもしれないが、現状ではそんな本格的な軍事機能を使えるような環境は、物理的にもソフトウェア上も整っていない。


「問題ありません。本題に入ってください」


「……そうか。隊長殿、いいんだな?」


「おう、ヨロシク」


 一旦狐へ振り向いて最終確認をしたらしい熊男は、狐の軽い返事に眉を寄せると、諦めたような表情でサクに向き直った。


「さて、まず何から話すべきかね……。とりあえず、ブラオ商事という組織だが、こいつらは元々は連邦――宇宙最前線惑星連邦の片隅に巣食ってた連中だ。新規開発惑星の利権やら資金やら転がしてでかくなった、不動産業と金貸し業の得意な奴らさ。そしてルーカス・エリクソン博士。彼は今は亡きフルーセン共和国のAHM技術者で、連邦から第一級指名手配を受けている人物だった……」




***




 会話によって、完全な意思の疎通を成立させる事はとても難しい。


 この上司の下について以来、再三思い知らされた事実を反芻しながら、瀬山はそっと胃を押さえた。ことに、互いの母国語が異なる場合などは尚更である。


「ですから、アキツ上でAHMの不法取引に手を出す事のリスクは……」


 渋い顔をして絞り出した瀬山の言を払いのけるように、目の前の上司が木製デスクを叩く。上に乗っていたガラスの灰皿を叩き落としてけたたましい音を立てながら、大仰な身振りで何事かまくし立てた。独語訛りの強い、スラング混じりの連邦系英語でがなりたてられても、生まれてこのかたアキツを出た事のない瀬山には一割も聞き取れない。


 茶色い髪を振り乱した十も年下の上司は、一通り瀬山を罵ると、憮然とした様子で革張りのパーソナルチェアに身を預けた。それを見計らって隣の相棒が「通訳」を始める。


「“止めなさい。貴方の恐怖について、私は何の興味もありません。もしも貴方がこれ以上、『カツヨウ』という宗教についての言及を止めず、事態の正確な把握と解析を怠り続ける場合、私は貴方に対して希望ある未来と尊厳ある地位を保証し続ける事ができません”」


 専用機(同時通訳専用のHPドールなるものがこの世には存在する)とは異なり、まるで学生のノートに書かれた和訳文だが、相手の発言の主旨を汲むのに問題はない。もっとも、通訳などなくても大体の意味など分かってしまう程度には、似たようなやり取りはこれまで幾度も繰り返してきているのだが。


 チェアにふんぞり返ったまま不機嫌を露にしていた上司が、バージュナを見て何事か皮肉を言った。言った内容は分からずとも、その表情と語調が明らかに皮肉っている。


「“そのドールは大変優秀ですね。少なくとも、そのドールは、一度禁止した内容については決して間違いを犯しません。それはとても重要な事です。貴方はそう思いませんか?”」


 瀬山の報告を遮ってこの上司が怒鳴り散らす事はこれまでもよくあった。その際、上司が怒鳴り終えた後で、途中になっていた瀬山の報告をバージュナが連邦英語に翻訳すると大変間が悪く、最悪の場合再び上司の怒りに火をつけてしまう事があったのだ。(ちなみに、上司の方もアキツ邦語はサッパリである)その事態を避けるため、「どちらかの発言をもう一方が遮って発言した場合、特別に指示があるまでは遮られた方の途切れた発言の続きは翻訳しないこと」とバージュナには命令してあるのだ。


「…………ああ、そうだな」


 唐突に面倒になり、瀬山は投げ遣りに同意して退出する。バージュナは言葉の意味は訳しても、語調や言い回しのニュアンスなどまでは訳さない。敬語で喋ろうが、ぞんざいな言葉を使おうが、全て丁寧なコモン・イングリッシュに訳されると思えば、丁寧な言葉遣いをするもの最早億劫だった。


(別の言語を完璧に翻訳するってのは、そもそも不可能なんだろうしな)


 背後に厭味を通り越して芝居がかったほど大仰な溜息を聞きながら、瀬山は事務室の扉を開ける。言語が違うという事は、物事の認識・思考回路そのものが違うと言う事だ。そう読んだのは何処だったか。


(てことは結局、言葉を覚える気が無いって時点で、こっちの事を理解するつもりも無いって事だ。ま、お互い様だがな)


 要するに、翻訳機を挟んだところで、結局何の意思の疎通も出来ていないに等しいのかもしれない。そんな不毛な結論だけを得て、瀬山は部屋を後にした。

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