第12話 製品は所有者の幸福のために存在する。


 イソタケ市の南に広がるミツハ湖には、その東西に展開する山脈や森林から多数の河が流れ込んでいる。そのうちの一つ、ツラナギ川はイソタケ市から最も近い川だった。と言っても実はこの川、普段は水無し川で、雨季にのみ姿を現す。しかし、地表の川が枯れている時期でも地下を伏流水が流れており、北部を中心に乾燥した荒地の多いイソタケ周辺において、稀有な緑の帯を周囲に形成していた。


 その帯状の緑地がミツハ湖畔のそれと合流する一画に、一際鬱蒼と茂るこんもりとした森があった。それこそが、美津葉稲荷神社――禾熾がサクに指定した、葛葉の根城の一つである。しっかりとした鎮守の杜に囲まれ、普段は周辺農地の豊穣を約束する穀物の神として祭られている、ごく普通の神社だ。この神社の勧請が、アキツ政府を介した葛葉の手によって行われたと知る地元民は、神職を除けば極限られていた。


 陽光を遮るように重なり合う樹木の間に、地元民から寄贈された無数の稲荷鳥居が緋の回廊を作っている。その、正しく異界に吸い込まれそうな光景の奥、美津葉稲荷神社の社殿最奥部に禾熾は居た。誰のこだわりなのか、床にはしっかり畳が敷いてあり、壁も漆喰である。


「しかし一体、此処を作った奴はどんな偏執狂だ。本国の文化財じゃあるまいに、木造、漆喰、畳敷きに、挙句の果ては木格子の座敷牢と来たら、どんなテーマパークかと思うぜ」


 畳の上に胡坐をかき、うんざりとした様子で頭を振るのは山寺貫一――「金狐の禾熾」率いる一隊(規模としては一班)の「良識」その人だ。人目に触れる表側はともかく、関係者以外立ち入り禁止のこちら側まで純和風で貫いてある様子に、いささか退き気味の様子である。ちなみに、山寺の言う「本国」とは、アキツの旧宗主国日本の事だ。


「うはは、まあ中に入ってるのが金髪ヤンキーとアーリア鼠じゃ、折角の趣も台無しだけどなー」


 そのすぐ横で、場違いに朗らかな笑い声と共に格子の奥を見下ろすのは、性悪な山寺の上司だ。その顔は相変わらず白狐の面で覆われている。格子の奥には、三日前にキール電子部品店から引きずって来たホルツとアルノーが拘束されており、恨めしげに禾熾を見上げていた。慎重派のホルツはともかく、せっかちで思ったことは全て口から出るアルノーまで沈黙を守っているのは、ただ単に物理的に口を塞がれているからである。


「何か言いたそうだな、ヤンキー。ブラオの根城を残らず吐くってんなら、外してやってもいいぜ?」


 塞がれた口の中で何事か悪態をついたらしいアルノーに、邪な愉悦のこもった声で禾熾が尋ねる。言葉の内容とは裏腹にその声音はまるで、アルノーの失言を期待しているかのようだ。この三日間で散々痛めつけられた身体にそれが沁みたのか、アルノーが顔を歪めて身を捩った。その有様に呆れのこもった溜息をつき、山寺はいい加減上司を宥めようとじじむさい掛け声と共に立ち上がる。


「もういいだろ、隊長殿。ツクヨミの本拠地がどれかは分かったんだ、地上のデカイ拠点は元々大体把握しとるワケだし、これ以上そいつ等から聞ける事もなかろうよ」


 アキツ地上と違い、ツクヨミは葛葉の目が行き届かない特殊地域だ。そのためブラオ商事のツクヨミ拠点――アキツ支店の本拠地と目されていた場所の正確な所在は葛葉のDBデータベースに存在せず、目の前の捕虜達から聞き出す必要性があったのだ。もうその用事は済んだ、と肩を竦める山寺に、振り返った禾熾が無邪気な仕草で首を傾げた。


「じゃあ殺ってもいいか」


 がっくりと肩を落として山寺は頭を振る。


「違うだろうがっ! 両方とも連邦の惑際指名手配が回ってる。勝手に殺さず連邦に引き渡してやれよ」


 年少組は既にツクヨミへと向かって先発している。無邪気に凶悪な隊長殿のお目付けを、この二日間一人でやっている山寺はいささかげんなりした声で上司を窘めた。わざと選んでいるとしか思えない絶妙な単語で、この凶暴な妖狐の神経を逆撫でしまくった阿呆ヤンキーに未練は無い――どころか、その度に流した冷や汗の量を思えば、三枚に卸しても釣りが来る、と山寺自身も思ってはいる。しかし、相手が「あの」連邦の惑際指名手配犯である事を考えれば、惑際政治にも関わる問題として慎重にならざるを得ないのだ。大雑把で能天気な所のある上司の代わりに、何かと心配するのが副官としての山寺の仕事でもあった。


「ちえー、ケチ! やい、テメーら、連邦サマのおかげで命拾いしたな! 一生感謝してありがたーく牢に入れっての! 特に金髪!! テメェは次アキツに来やがったら、そん時はそのムカつく舌からまず刺身にしてやっから覚悟しとけよっ」


 子供っぽく人差し指を突きつけて禾熾が宣言する。それで気が済んだらしい寛大な上司に安堵の溜息をついた山寺は、檻の中のはた迷惑な命知らずをさっさとアキツから追い出すべく、引渡し先へと連絡を取った。ちらりと見遣った先で、ホルツという名の色黒の男が安堵の溜息をつく。


『ヤンキーじゃねぇ、テメェこそ真っ黄色のヒヨコみたいな頭しやがって、遺伝子操作の作りモンなんじゃねぇのか、コラ。スカした格好してんじゃねぇよ、その面の下はどんな不細工ヅラだ、遺伝子いじってわざわざ不細工にしてやがんのか、あぁ?』


 そんな暴言を初っ端から吐いて、禾熾の逆鱗に触れたアルノーが殺されかかるのを、身を挺して庇ったのはホルツだ。苦労性の気配を滲ませている詐欺犯に同情めいたものを覚えつつ、山寺はその安堵したらしい様子を眺める。アルノーは連邦よりも先にまず、かの詐欺犯に感謝するべきだろう。


「けどさー、イチイチ指名手配っての確認してたらツクヨミのブラオ基地ぶっ潰すのだって手間じゃんか。てか、あのCMドールとかファイルまで手配かかってても知らねぇし。とっつぁんからの命令だぜ、『フルーセンのドール開発関連資料は全て根こそぎ持って帰れ』って」


「事故で勝手に死ぬ分までは責任は問われないって話だ。ゴネないでくれよ、隊長殿」


 やはり不満は残るらしい上司の駄々を適当にあしらう。ルーカス・エリクソンの暗号ファイルの復号鍵があの少年型CMドールならば、ファイルの中身はそのCMドールに関する事である可能性は高い。殆ど惑際社会に発表されて来なかったフルーセンのAHM研究の内容を知るための重要な資料として、ドール本体も出来るだけ無傷に近い形で葛葉本部まで持ち帰るよう、命令が下されるのは当然のことだろう。問題は、どうやってあのドールを穏便に手に入れるか、だった。


「ドールの方はあんたに任せるが……『パーツ狂のアサキ』と言ったら、結構その道では有名な技術者のようだぜ。アサキ・E・キールなんて人間はこの国には存在しない事になってやがるし、『元』が誰なのかも綺麗に誤魔化されてる」


 加えて、あれだけの高級CMドールを維持管理する能力・財力を持っているとなれば、裏に何がしかの黒幕組織が控えていてもおかしくは無い。


「それにあの顔だぜ、ヤマさん。他人の空似っつーのもまあ、無くはねぇけど。しかしアレでCMドールの扱える技術者ってのは出来すぎだろ」


 革手袋を嵌めた右手の人差し指を立てて、禾熾が付け加える。アサキとの初対面の日、年長組二人がアサキを見るなり一目散に店から逃げ出したのは、実はアサキの態度の悪さに怯えたからではない。彼女があまりにも似ていたのだ。葛葉が、禾熾たちが探し続けているターゲットに。


「……やっぱ早まったんじゃねぇのか、アンタがあのCMドールに『挨拶』したのは」


「うっ……! だ、大丈夫だって、ヤマさん。――勘だけど」


 どう考えてもその場のノリだったとしか思えない上司の行動を思い返し、山寺は深々と溜息をついた。


「やれやれ。じゃあ俺らはその、隊長殿の第六感に命運を委ねるしかないわけだ」


 皮肉っぽく返してから、おや、と山寺は思いなおす。それでは丸っきり……。


「そーそー。そんなん丸っきり普段と変わんねーじゃん」


 思っていたことをそのまま言われて、がっくりと山寺は項垂れた。この上司の、狐の第六感という奴は全く以って侮れないのだ。


「でなけりゃあ、殆ど勘とノリと勢いで行動するアンタがこんなに……」


 有名になれるほど実績を積み上げられるワケは無い――不意に面を上げた禾熾の、人の悪そうな含み笑いを耳にした山寺は、そう最後まで言い切ることが出来なかった。




***




 アシハラ市から山ほどパーツを抱えて戻ってからというもの、アサキは風呂と睡眠以外の殆どの時間を、作業部屋となっているガレージで過ごしていた。オイルや揮発性有機溶剤の気化分子――つまりは臭いが充満する部屋の中に、盆に載せた昼食を運んできたサクは溜息をつく。平気か否か、臭いへの慣れ云々のレベルではなく、此処で一日の大半を過ごすのは主の健康を脅かすのではないだろうか。そう危惧して何度か注意したのだが、アサキからは全く以って何処吹く風の返事しか返ってこない。


「アサキさん、昼ごはんです」


「ああ、そこに置いてくれ」


 コンピュータのディスプレイを睨みつけたままアサキが返事をする。かれこれ一週間、このやり取りを繰り返してきたサクは「了解」とだけ返して、指示通り傍らの乱雑に書籍や光学記憶媒体が詰め込まれたラックの上に盆を置く。そしてそのまま踵を返し、出入り口へと向かった。本来はかなり広い筈の建物だが、どの方向を向いても「だだっ広い」空間というものが存在しない事に、いつもの事ながらサクは呆れる。


 大型乗用車が四、五台は入りそうなガレージの中は衝立で何区画かに区切ってあり、その衝立に沿って大小様々な配線・配管が縦横に這いずり回っている。その間を埋めるように、所狭しとドールパーツが、ある物は吊り下げられ、ある物は山積みにされ、ある物は比較的真面目に収納されていた。それを見ながら、己の主が「パーツ狂」と呼ばれるのは全く以って誇張でも何でもない、とサクはしみじみ思う。それくらい、そのかき集められたAHM関連パーツの量と種類は半端なものではないのだ。


 その上、それが「人型機械」の部品である故に、相応の割合で人間の四肢の形をしたものが部品の山の中には混じっているのだから、この光景を見た者がその所有者に「狂」の一字を付けて呼びたくなるのは無理からぬことだった。――これで自分の適合パーツが、いちいち調達しなければ無いものが大半というのだから、己の希少さ加減には呆れすら覚えるサクである。


(だけど、パーツは沢山……軽く五十台はドールが組み立てられそうなくらいあるくせに、ウチの中で稼働中のドールは僕だけなんだよな……)


 アサキはあくまで「パーツ狂」なのであり、完品のドールにはあまり執着が無いらしい。誰からか依頼を受けて組み立てる事はあれど、組み立てたドールは全て手放してしまい、手元には残さない主義のようだった。


「おい」


 とりとめも無い事を考えながら出口へと歩いていると、珍しくアサキがその背中に声をかけた。振り返ると、盆を片手にアサキがサクの方を見ている。


「何ですか? アサキさん」


 ここ数日は作業をしながら食べやすいよう、手づかみで食べられる物を出すようにしている。(無論、お手ふきもつけている)イカの天むすびに添えておいた、温野菜とエビの湯葉巻きをつまんで口に放り込みながら、アサキは続けた。


「この前の調整から、何か変調はないか」


「あ、はい。特別異常はありません」


 久しくなかった料理への小言かと身構えていたサクは、内心安堵しつつ答える。なにしろ湯葉なぞという食べ物の存在自体、知ったのは昨日の昼間買い物に出た時だった。店先にて、美味しい食べ方として紹介されていたレシピが、「手づかみで食べられる野菜のおかず」という条件に適合したため買ってみたのだ。


「腕も問題なさそうだな」


「はい」


 作業が一段落ついたのだろう。椅子を反転させ、ディスプレイに背を向けた状態でアサキは食事をしている。一応箸も持ってきてあるのだが、使う気は無いようだ。


「……何だ」


 黙々と手づかみで食べるアサキを見ていたサクを、怪訝そうにアサキが見遣る。


「あ、いえ。湯葉、どうですか?」


「ふん、悪くないな。確かアボガドを入れても美味かったはずだ。タレはもう少し濃くてもいい」


 色々と注文が飛んできたが、アサキの「悪くない」は褒め言葉の部類だ。半月の付き合いでそれを把握したサクは素直に喜んだ。


「良かった。じゃあ今度はアボカドも買ってみます」


 弾んだ声で答えたサクに、ふん、と鼻を鳴らして椅子を回転させたアサキは、サクに背を向けてしまった。その背中に、サクは問いを投げる。


「HPドール、直りそうですか? パーツは揃ったんでしょう?」


 アシハラで、アサキはサクの腕の破損パーツと、壊れているメルキュール家のHPドールのパーツも揃えて来た筈だ。


「ああ、そうだな……明日辺りには起動試験が出来るはずだ」


 思案しながら、といった様子でアサキが答えた。既に盆の上の食器は空だ。ついでなのでそれを回収して帰りながら、しみじみとサクは呟く。


「じゃあ、僕がこうやってメニューを考えるのもあと少しですね……」


 互いに背を向けたままであったため、その言葉にアサキが何か反応を示したのか、サクからは確認する事が出来なかった。






 AHMはオートマチカル・ヒューマノイド・マシンの略であり、邦訳すれば自律人型機械となる。元々は二十年前にForefront Space Planets Federation(宇宙最前線惑星連邦)が開発・実戦投入した自律人型戦闘機、略称AHCMがベースになっている。この当初開発時に連邦軍とAHCMを共同開発したアストライア・リブラー社は今日でもAHM製造・販売のトップ企業であり、元々は戦闘機として開発されたAHCMを『AHM』として一般普及させた最大の功労者とも言えた。


 このアストライア社の努力もありAHMは全宇宙に家庭電化製品として瞬く間に普及したが、その技術の出自には多くの謎がある。まず以って問題であるのは、二十年前、AHCMの第一号機であるLM-0000の設計書とAHCMのコア技術である、ハイブリッド方式の電算技術を紹介した論文が同時発表されるまで、このAHCM技術は影も形も無かったと言っても過言ではないということだ。この設計書と論文を最初に発表したのは連邦軍の研究機関であるが、驚くべき事にその研究チームの中には、アキツ出身の人物が存在する――。


「『――彼の名は蓮条潔貴れんじょうきよたか。著者が教鞭をとるアシハラ工業大学に籍を置いていた事のある人物だ――』か。ふう、内容としては興味深いけど、マスター=ルーカスの研究内容に触れてある部分までは遠そうだな」


 フィリアが読み終わった件の本『AHCM・自律人型戦闘機――アンドロイドに見る夢と現実――』をめくりながら、サクはげんなりと呟いた。本文中に直接ルーカスの名が出てくるわけではないが、ルーカスらが書いた論文を参考にした記述は何箇所か出てくる。それを繋げてどんな内容の研究をしていたのか類推したいのだが、なかなか上手くいかない。参考文献として挙げられている論文自体を当たってみようとも試みたのだが、残念ながらフリーネットワークからアクセスできる所には公開されていなかった。仕方が無いので最初からちゃんと読んでみようと、冒頭部を開いているところなのだ。


 もしかしたらこんな本を読むよりも、葛葉の狐が指定した稲荷神社に行ってみる方が早いのかもしれない。ちらりとそんな考えが、統合制御回路の片隅をよぎる。サクは定位置と化している、キール電子部品店カウンターの上に広げていたAHCMの入門書を閉じた。実は、あの日の襲撃についてアサキに報告した際、サクは禾熾が指定した美津葉稲荷神社の事には触れていない。


(美津葉神社に行くなら、僕一人でだ。それから後、どうするかは決めてないけど……もうこれ以上、アサキさんやフィリアに迷惑をかけるわけにもいかない。ブラオにしろ葛葉にしろ、狙っているのは僕だ。確かに僕はCMドールだから護衛にもなるけど、それ以上に危険を呼び込みすぎる……。)


 葛葉との接触を機に、サクはアサキらと縁を切るつもりだった。そんな勝手がドールである自分に許されるとは思っていない。アサキが聞けば怒るだろう。


(でもこれ以上、他の人たちを危険に巻き込みたくないんだ。マリカも、フィリアも僕と関わった為に命の危険にまで晒される羽目になったんだし……。二人とも、僕とさえ関わらなければ、銃口なんてモノとは無縁でいれたはずだったのに――)


 ドールは人間の幸福の為に存在する。しかしそれは、適切な場所で、適切な用法で使われた場合の事だ。本来の存在意義、存在するべき場所から逸脱してしまえば、逆に不幸を呼び込んでしまう存在になるのだ。一連のゴタゴタでサクはそう痛感していた。


(僕はこんな、一般人の間に居ていい存在じゃない。アサキさんには悪いけど……今アサキさんがやってるはずの、HPドールの修理が終わったら、此処を出よう)


 狐面の男にいいようにあしらわれた悔しさもあり、葛葉を頼るのは癪だった。しかし、兵器であるサクがあるべき場所としては、キール電子店よりも遥かに適切な筈だ。無論、選択肢としてブラオ商事は論外である。


 店は今日もヒマだった。人気の無い店内を見渡してサクは頬杖をつく。今はまだ家事という仕事があるが、これでHPドールが復活してしまえばサクの役割なぞ此処に座っている事だけになる。それすら、サクが来る前はアサキがやっていた事なのだろう。


(あーあー、なんだかなあ、もう……)


 明日にはHPドールの起動試験が出来るという。もしそこで問題なくHPドールが稼働すれば、その日のうちにこの家を出るつもりだった。その為には、明日までに主電源も予備電源もフルに充電しておく必要がある。店のACアダプタからこっそり電源をとりつつ、最後になるかもしれない店番をサクはしていた。


 ガラス張りの出入り口から見える外は曇り、強くなり始めたらしい風が、正面の街路樹を揺らしている。夜からは雨が降り始めるだろう、と気象予報情報が流れていた。


 イソタケに、嵐の季節がやってきたのだ。




***




 翌日は朝から雨だった。これからイソタケが向かうのは雨の季節だ。乾燥した土地柄のイソタケにとってそれは恵みの季節ではあるが、むしろ嵐の季節と表現した方が適切なほど、頻繁に暴風雨が吹き荒れる。加えて、日長はかなり短くなるゆえ人々は家に篭りがちになるらしい。そんな季節になってしまえば、店にも客は(今にも増して)来ないであろうし、アサキも追ってはこないだろう。


 HPドールの起動試験は問題なく終了したらしい。店番と家事のため、サクはその場には立ち会わなかったが、昼食時、久しぶりに食堂に顔を出したアサキがそれを告げた。彼女はそれからシャワーを浴び、店番はサクに押し付けたまま自室に引っ込んでしまっている。「寝る。夕飯まで起こすな」と言っていたから布団にもぐりこんでいるのだろう。


 温め直せばすぐに食べられるよう、夕飯を作り置きしたサクは、いつものように店舗へ出る。しかしカウンターには座らず、そのまま店の出入り口を目指した。


 観音開きの扉を押し開けると、雨粒混じりの風が顔を叩いた。


 灰色の雲に覆われ、薄暮のように暗い空を見上げる。


 ポケットの中の通貨カードの存在を確かめ、サクは店内を振り返った。人間の居ない空間を、白い明かりが煌々と照らしている。一昔前のポップスが静かに流れていた。


「……ありがとう、ございました」


 無性に何か言わねばならない気分になり、誰も居ない空間に向き直る。丁寧に、頭を下げた。当然、返る言葉はない。


『サヨナラ――言葉になんて、ならない想い。遠ざかる街並み、一緒に幸せ紡いだ場所が霞んでく――』


 代わりに、転調したポップスの歌詞を音声回路が拾う。嫌な歌が流れてるな、とサクは苦笑いした。


「お元気で」


 そう言って店に背を向け、扉を押し開けていた手を離す。


 そのまま二、三歩踏み出せば、歌はすぐに風雨に紛れ、途切れて消えた。

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