第8話 人を見た目で判断するのは危険。


 午前九時十八分。アルノーがフィリアの部屋の窓を蹴破ったその時、サクは台所で料理の練習をしていた。練習と言っても前述の通り、既に「料理」と言える程度の物を作る事は出来るようになっており、それ以上繊細な味の良し悪しはサクの口内センサでは測る事が出来ない。そのため味見役なしでの練習に意味はない可能性は高いが、とりあえず他にする事を思いつかなかったのである。


「味はともかく見た目を改善するのに、包丁の扱い位は練習する価値がある筈だしね」


 などと呟きながらジャガイモの皮を剥いていく。剥き終えたジャガイモは既にボウル二山を超えており、昼食もおやつも夕食もイモが占拠するのは確実だ。野菜貯蔵庫に沢山あったので遠慮なく失敬してきたが、「練習しろ」と言ったのだからアサキも怒りはすまい。片手間に、アサキにセットアップしてもらって使えるようになった無線ネットワークにアクセスし、内部でジャガイモを使ったレシピを検索しながら、サクはひたすらイモの皮を剥いていた。


 そのサクが異変に気づいたのは、無論、窓が割れた際の盛大な物音によってである。尋常でない破壊音に即座にイモを放って台所を飛び出したサクは、破壊音の発生場所を探して首を巡らせた。


『非常事態発生とみなし、非常警戒システムを起動します』という内部アナウンスと同時にアイカメラの赤外線探知機能、音源定位システムも作動する。


 ガラスを踏み割る高周波の音の他、荒々しい足音と成人男性の声を内蔵マイクが拾った。普段ならばノイズとして切られるレベルのそれらを警戒態勢に切り替わったシステムが拾い、その方角と概算距離を弾き出す。同時に邸内の三次元マップが呼び出されて音源がどの部屋に当たるか提示した。


「フィリアの部屋じゃないか!」


 西欧の豪邸風にデザインされている割にはこぢんまりとしたこの家だが、それでも総二階で大人十人程度がゆったり住める位の大きさはある。サクはスリッパを脱ぎ捨てると、水周りの集約されている家の西側からフィリアの自室がある南東の端まで約二十メートルを一気に走り、重厚な木製扉を跳ね開けた。


「フィリアっ!」


 入り口から部屋を見渡すサクの正面に、砕け散った窓ガラスを踏む男が二人。二人が拳銃を構えているのを視認し、咄嗟に左手前の読書机で動きを止めているフィリアを背中に庇う。窓の破壊音を聞いてからここまで、タイムは零分四十三秒七であった。弾丸のように飛び込んできたサクに驚いて、侵入者たちが構えを崩した。勢い任せに開けた扉が盛大に抗議の声を上げている。蝶番がいかれたかもしれない。


「テメェ何者だ! ここんちの奴か!? 大人しくそのドールを渡しやがれ!!」


 どのドールだ、と一瞬戸惑っている間に、そう叫んだ白人系の男が発砲した。見た目は主演級の映画俳優だが、中身はどうやら斬られ役に近いらしい。しかし狙いは正確で、乱射とはとても呼べない精度でサクの脚を狙う。着弾の衝撃で少しバランスを崩しながら、サクは眦を上げて抗議した。


「『何者だ』はコッチの台詞です! 何なんですか、いきなり!」


 相手の射撃精度が高かったおかげで、弾は全てサクのボディに当たった。その事に安堵しながら、サクはアサキの手によって「再導入」されて以来、一度も触れた事のなかったCMコンバットシステムを起動する。内部アナウンスがシステム起動を告げ、サクのペルソナ(被覆人格――AHMの統合制御システムのうち、人間相手にコミュニケーションをするための「人格」プログラムをこう呼ぶ)から身体の制御権がCMシステムに移行した。普段経験学習を積んでいるニューラル回路から別回路に制御が移るため、感覚としては「体が勝手に動く」状態になる。


「だぁら、そのAMドール渡せっつってんだよクソガキが。怪我したくねぇだろ? なあ。ひ弱そうなツラしやがって、金持ちのボンボンはよ、大人しく次のお人形をママにねだりな、このモヤシ!」


 二枚目顔を見るも無残に崩して凄みながら、白人系の男が盛大にサクを罵った。隣ではアーリア系の小男が、かすかな硝煙の薄膜を透かし見るように目を細め、怪訝そうに眉を顰める。


「お、おいアルノー。変じゃないか? さっきお前、ちゃんと当てたよな?」


 しかしアルノーと呼ばれた白人系は相方の言葉を全く耳に入れず、口汚く罵詈雑言を吐くのみだ。普段通りに感情プログラムが働けば大変な緊張と危機感を覚えるはずの場面で、己の冷静さに奇妙な感覚を覚えながらそうサクは敵を観察する。身体感覚のフィードバックが人格ペルソナの方へ入力されないため、人間で言うところの「現実感が無い状態」に近いのだろう。


 「フィリアの安全を確保しながら敵を無力化、ただし殺人は禁止、周囲の破損防止に配慮する」と大まかな行動方針を決定すればあとはCMシステムが勝手にボディを動かす。一週間前にこれでもか、とアサキに詰め込まれた高価な武器の群れから最適な物が選定され、それを行使しての制圧プログラムが生成、実行される過程が内部でアナウンスされた。アイカメラの照準がまずアルノーに合わされ、必要データが叩き出される。続いて、内部から選定された武器を押し出すべく左掌の中央が開口した。


「くそ生意気なガキだなちくしょう、ナメやがって本当の痛みってもんを教えてやるよ、てめぇみてえな平和ボケして危機感の薄いクソガキは一度痛い目見たほうが将来の為ってもんだ、ええおい、何か言えっつってんだ」


 こちらが何を言う間もする間もないまま、自己完結的にぶち切れたアルノーが今度はサクの胴体を狙って銃を連射する。焦った様子で制止する相方のアーリア系の声も空しく、乾いたけたたましい音が室内に響いた。流石に硝煙が可視光視界を阻む。


「フィリア、お願いだから此処から動かないでね。大丈夫、すぐ終わるから」


 普段であれば頭か肩を撫でてやるところだが、今は身体が思い通りにならない。幸いにしてフィリアは暴れだす様子などは見せていないが、背後からなにかぶつぶつと引っ切り無しに呟く小声が聞こえる。これは既にスイッチが入っているな、と考えながら、言葉だけでフィリアを宥めてサクは床を蹴った。


 約五メートルの距離を一足飛びで詰めて左掌をアルノーの腹部に押し当てる。超速の制動で凄まじい摩擦力を受けた床の絨毯が、サクの足の裏で悲鳴と煙を上げた。腹部接触と同時にサク自身の駆動に使われている電力の一部が左掌に集まり、青白い光と共に弾ける。


 高出力の電流を喰らったアルノーは痙攣して仰け反ると、一瞬で失神しくずおれた。


「なっ……! おまえっ――」


 一瞬で移動したサクに目を剥いて、アーリア系が叫ぶ。それを右手に持ったままだった包丁を首筋に当てる事で制して、サクは慎重に相手の顔を窺った。アイカメラが取り込んだ相手の容貌を無線ネットワークにて検索・照合すると、遠く離れた星系の指名手配リストの顔画像と一致する。


「ホルツ・シュタイナー。連邦所属BF38星系第5惑星国家『ユミット』から惑際指名手配が出ている、『ブラオ商事』の組員ですか……」


 確認するように呟きながらも、その右手は滞りなくホルツの手にある拳銃をむしりとり、左の掌から伸びるワイヤーでその両手を縛り上げる。サクの左掌に仕込まれていたのは、ワイヤー型電気銃スタンガンだったのだ。素性を言い当てられたホルツが顔色を変え、唇をわななかせながら言葉を絞り出した。


「……て、てめえがエリクソンのドールか……こ、こ、コンバットだってのか?」


 サクは更に、ホルツの武装や通信手段など一切を引き剥がして遠くの床に放る。


「そうらしいですね。CMシステムを起動させたのは初めてみたいなもんですが、それなりに優秀みたいです。人もドールも見た目で判断するのは危険ってことですよね、きっと。――それで、あなた方は一体僕に何の用です? マスター=ルーカスとブラオ商事に何か関係があったんですか?」


 ホルツの言葉に聞き捨てならない単語を発見し、語気を強めてサクは尋ねる。まさかこの状況で初代マスターの名を聞く事になるとは、正直青天の霹靂だった。そんな驚きの感情に関係なく、サクのボディは手際よくホルツを拘束すると足払いをかけて床に転がし、今度は失神しているアルノーを縛り上げる。


 敵の制圧が完了し、フィリアの安全が確保されたとCMシステムが判断し、そこで身体の制御権が人格ペルソナへと戻ってきた。足の裏や左手の発熱警告、バッテリ残量の変化も入力され、思考回路にノイズが一気に雪崩れ込む。


「…………」


 ホルツは何とか上半身を捻り起して押し黙った。簡単に色々と教えてはくれない様子だが、そのサクを見る目は恐怖の色に染まっている。生身の人間がCMドールを前にして(目の前でその尋常でない能力を見せ付けられ)、平気で居られるはずはないのだ。なんといってもCMドールは、「殺戮人形キリングドール」と蔑称されることもある戦闘と殺戮の為に作られた機械で、しかも勝手に動く。


 闖入者はこの二人だけらしく、近くに別の生体反応は見当たらないが、もしもの場合を考えて、まずサクはフィリアの元へ走り寄った。読書机とセットの、ゴブラン織りの布を張った瀟洒な椅子の上で石化しているフィリアを、発熱していない右手でよいせと抱き上げる。


 情緒不安定になると動きが完全にフリーズしてしまうフィリアは、抱き上げても腕を回すなどの反応はしない。左手でそっと、フィリアの腕を自分の首に回させ、ふわふわと広がるボリュームのあるスカートを纏めるようにして、自分の前腕にフィリアを腰掛けさせた。


「大丈夫、フィリア。もう終わったよ。すぐ元通りにしようね」


 あやすように揺すり上げながらそう言うも、硬直しているフィリアは反応しない。ぶつぶつと呟く声が先ほどよりも音量を上げている辺り、まだまだパニックの真っ最中なのだろう。だんだんと明瞭になってきた呟きはホルツの耳にも届いたようで、彼はサクへの恐怖に加えて、フィリアへの薄気味悪さも顔に表してこちらを見ている。


「AHMはオートノミック・ヒューマノイド・マシンの略であり、邦訳すれば自律人型機械となる。元々は二十年前にFSPF、フォアフロント・スペース・プラネッツ・フェデレイション、カッコ、宇宙最前線惑星連邦、カッコ閉じる、が開発・実戦投入した自律人型戦闘機、略称AHCMがベースになっている。この当初開発時にFSPF軍とAHCMを共同開発したアストライア・リブラー社は今日でもAHM製造・販売のトップ企業であり、元々は戦闘機として開発されたAHCMを『AHM』として一般普及させた最大の功労者とも言えるであろう。このアストライア社の努力もありAHMは全宇宙に家庭電化製品として瞬く間に普及したが、その技術の出自には――」


「ふぃ、フィリア! フィリア!! 落ち着いて、落ち着いて、ね?」


 八歳の少女の可憐な声が、電子音声よろしく平板なまま滝のように流れ落ちる。段々と音量上がって行くそれを何とか止めようと、サクは慌ててフィリアの背中を撫でた。


 今彼女が延々と吐き出しているのは恐らく、先ほどまで読んでいた本の内容だろう。この少女は普段殆ど全く喋らないが、何かの刺激で恐慌状態に陥ったり癇癪を起すと、こうして今までにインプットしてきた内容を放出し始めるのだ。これは、彼女が今までに読んだ本の内容は全て一字一句違えずその脳内に格納されているという事でもあった。


「……そいつは、人間か?」


 その異様な光景に思わず、といった様子でホルツが尋ねた。それに首肯してサクは答える。


「ええ、僕の現マスターの大家です。……それで、あなた達とルーカス・エリクソンの関係は? それと、まさかマリカを誘拐しようとしたのも、あなた達だってんじゃないでしょうね」


 続けて尋ねながらTシャツの左袖を食い破って腕をむき出しにする。CMシステムを起動しないまま、前腕のスロットに内蔵されているサブマシンガンを露出させ、その銃口をホルツへと定めた。フィリアの部屋をホルツもろとも蜂の巣にする訳には無論いかないが、自分が原因で年端も行かぬ少女達を危険な目に遭わせたとなれば黙っては居られない。


(何をしてでも、ある限りの事全てを聞き出してやる――!)


 そう決意するサクのペルソナが示す感情は、「怒り」と呼ばれるものだった。




***




 禾熾をはじめとする葛葉の四人は、ミツハ湖畔の例の廃倉庫を爆薬で吹っ飛ばして後、すぐにこのキール電子店へと向かった。夜明け前には店舗と居宅、車庫らしきもの全ての周囲を検分し、行動の邪魔になりそうな監視装置の類は全て無効化してある。


 鉄格子と植え込みに囲まれたこの(邸宅と呼んでも差し支えのなさそうな)家の四方にそれぞれが張り込んで観察していたのだが、電子店の店主が早朝外出してしばらくしてから、ブラオ商事の下っ端らしき二人組が南東の出窓下に張り付いた。それを確認し、四人が出窓が見える生垣の陰へ集合すると、隊長である禾熾が指示を出す。


「連中を吊るして聞き出すのも悪くないが、せめて狙ってるモンが分かるまでは観察してみようぜ。アレで意外に訓練されてりゃ厄介だ」


 アジト一つ丸々消してやったのだ。あるいは暗号ファイルどころの話ではなくなるかと禾熾は思っていたのだが、予想に反して(似非CMドールの応援無しでも)ブラオ商事はキール電子店に手下を送り込んできた。それ程ブラオがファイルを重要視しているのであれば、送り込まれた人間もそれなりである可能性が高い。


(とか、そこまで考えたワケじゃねーけど、何となく動きたくないっつーか、観察してた方が面白そうっつーか……ま、狐の第六感ってやつ?)


 などと至極アバウトな理由で静観の指示を出した禾熾だったが、結果としてその勘は見事的中する。ものの二時間もブラオの二人組を監視していると、連中の会話からその目的がドールである事が知れ、更にその数分後にはなんと、そのドールとはCM型である事まで判明した。


 無論、ブラオの連中が狼藉を働く場合にはそれを阻止するつもりで待機していたのだが、ブラオの一人が窓ガラスを蹴破ってから助けが正義のヒーローよろしく部屋に飛び込んで来るまでに、ものの一分もかからなかった。見ていたから分かるのだが、二人目のブラオの男が室内に降り立つのと部屋のドアが凄まじい音を立てて跳ね開けられるのはほぼ同時だったのだ。あれでは、ブラオの連中も禾熾たちも何をするヒマもない。


「すっかり出るタイミングを逸しちまったな。どうするよ、隊長殿」


 アルミサッシがすっかりひしゃげて床に落ち、吹きさらしになった出窓を離れたところから覗きながら山寺が指示を仰ぐ。指示を仰ぐなどという可愛げのある雰囲気の問いではないが、禾熾よりも十歳以上年上の山寺は禾熾に敬語を使おうとはしない。禾熾もその辺りは全く頓着していないので、ぱっと見ではどちらが上司か分からないのが常であった。


「んー、けどまあ、あーいう事情なら挨拶しとかねぇワケにもいかねえだろ。おし、ちょっくらあのCMドールに挨拶して来んぜ」


 予想を超えた急展開に沸き立つ心を抑え切れず、出窓へ近寄った禾熾の背中で、部下達の呆れた声がする。


「わー、先輩楽しそーですねー」


 これは大体禾熾の味方をしてくれる、ワンコロ系のマキノである。


「俺達は此処で見学っすか?」


 ぼそりと尋ねるのはクールと表現するより冷めている、と言ったほうがしっくり来る態度のハルだ。二人とも弱冠十六歳ながらも、葛葉の中でも過酷な任務の多い禾熾によくついて来てくれる優秀な人材だった。


「あのCMドールの相手は俺がする。けど、別に見学ならもうチョイ近くでもいいんじゃね?」


 幸いにして昼間の住宅街などと言うものは閑散としており、特にこの家は立派な生垣に囲まれている為少々自分たちが動き回った所で人目にはつかない。四人でどやどやと乗り込んでも問題ないだろうと、禾熾はそう判断した。無残な出窓の向こうでは、ブラオの連中を己の仕込み武器で拘束した少年型CMドールが、家の住人らしき(あるいは彼のマスターかもしれない)少女を抱き上げて銃口を男たちに向けている。その表情と言動から怒りに燃えている事が知れた。


「けど、随分人間臭いドールですね」


 感心した様子で言うマキノに、何とも言えない気分で禾熾は生返事を返した。その心情を代弁するように山寺が肩を竦める。


「人間臭いってレベルかね。俺達はいっぺん、すっかり騙されたんだ。アレでドールだなんざ詐欺だぜ」


 昨日電子店の方に客として入った時の話である。あの時は本当に、只のアルバイト以外には見えなかった。禾熾にも、山寺にも、だ。


「CMとしては相当高ランクって事っすか」


 確認するようにハルが尋ねる。華やかさが売りのAM型と違い、CM型で、特に少年型や女性型のものは禾熾たちがするような隠密任務――敵地潜入しての情報収集や暗殺に用いられる場合が多い。その為、いかに人目につかず、不自然なところ無く人間を演じられるかはそのドールの性能として重要な部分なのだ。


「そういうこった。あんな超高性能ドールに関連した暗号ファイルなら、益々逃すわけには行かなくなったな」


 ハルの確認を山寺が肯定した。背後にそんな会話を聞きながら、禾熾は館へと向かって歩く。その背中に山寺が声をかけた。


「ほどほどにしてくれよ、隊長殿」

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