第9話 正確なものほど予測しやすい。


 フィリアを片腕で抱き上げたまま、サクはホルツに銃口を向ける。対するホルツは手足を拘束され、銃弾を避ける術もないまま険しい表情でサクを見返していた。


「もう一度聞きます。あなた達は何者で、何故僕のマスターを知ってるんですか? そして、何故こんな真似を」


「……ルーカス・エリクソンは一時期、俺たちブラオ商事に所属していた。俺たちは――」


 渋々、と言った様子で喋り始めたホルツを、その言葉半ばで何者かが昏倒させた。


 気絶したホルツの頭が床を打つ、重い音が響く。その横に、突然無音で何者かが降り立った。爪先から首元まで黒一色の装備に身を固めた異様な風体が、その人物の特殊性を物語る。しかし何より強烈に目を引くのは、その貌だろう。


 否、その人物の貌を隠す、白狐の面だ。


「こっから先は俺が解説してやるよ」


 狐が、その面の下からそう言った。少しくぐもった声は若い男のものだ。反射的に銃口をその面に向けて、サクは低く尋ねた。


「……あんたは?」


 静かで無駄のない動き、それを実現するだけの筋力、ほんの僅か見た相手の動作から、サクのシステムがその尋常で無さを次々と弾き出す。これだけガラスが散乱した中で、狐面がガラスを踏む音は一切していなかった。


「俺の事はまた追々な。それよっか、こいつ等の事が知りてぇんじゃねえの? 本人からぐずぐず喋らすのも面倒くせぇから、俺がちゃきちゃきっと教えてやるよ」


 からからと、明るい(より正確には能天気な)声で狐が言う。反論しようとサクが口を開くよりも早く、狐は続けた。


「こいつ等は、さっき名乗ってたがブラオ商事。最近になってアキツに進出してきた、まあ所謂、マフィアとかヤクザとか呼ばれる犯罪組織だ。んで、エリクソン博士との関係は、どうも博士が一時期ブラオに厄介になってたみてえだな。けど博士はブラオから抜けちまい、ここで死んじまった。博士を追ってたブラオの連中はアキツにやって来て、やっとこさ博士の所在を掴んだが時既に遅しってやつで、もう博士は亡くなった後だっだんだよ。そんでこいつ等は、博士の遺品に目をつけたのさ。お前はそれで狙われたの」


 大振りなジェスチャー付きで滔々と語られた内容は、にわかには信じ難いものだった。しかも相手が胡散臭いとなれば尚更である。内容的にも話し手も、二重に不愉快な話にきつく眉根を寄せて、サクは押し黙る。


 内容の正否を判断するには情報源が怪しすぎる。しかしそれ以上に、その情報源に対してサクに内蔵された各種計器と、それを統括するシステムが引っ切り無しに警告を送っていた。――明らかに危険な人物である、と。


「にしたって、随分人間臭いドールだよな、お前。目の前で腕から銃が生えててもまだ疑っちまうぜ」


 一瞬だった。


 目の前に狐面が迫り、顎をとられて上向かされる。同時に銃身を出した左前腕も掴まれ、背中に押しやられた。


 動きは見えていた。しかし、右腕のフィリアを落とすわけにも行かない、そう躊躇したため対処が遅れた。その、一瞬の躊躇いの間に狐面は窓際からの五メートルを詰めた。


「――――!!」


 こいつは人間か。それを疑わせるデータが他にも次々と上がってくる。


 体温、心拍、二酸化炭素排気量、どれをとっても常人の半分程度だった。何故動いていられるのかの方が不思議な位、代謝が低い。


「……あんたこそ、人間ですか。そのほうがよっぽど怪しいでしょ」


 鼻先が面に触れるような距離で睨み上げて言い返す。間近で、ふっ、っと笑う吐息が聞こえた。


「ははっ、流石にいいセンサー積んでるみてぇだな。――その子を降ろせ。サシで勝負しようや。もしテメェが俺に勝てたら、俺の事から連中が狙ってる博士の遺品の事まで含めて、全部洗いざらい喋ってやる。もし俺が勝ったら……そうだな、俺がお前の所有者になる。どうだ?」


 愉悦を多分に含んだ、艶のある声が降ってくる。戦闘が楽しくて仕方が無いといった声音だった。面の下で舌なめずりでもしていそうな声、と言えば的確だろうか。


 言葉ばかりは提案の体を成しているが、実質それは強制である。この状況下から、反撃なしに抜け出せるとは到底思えない。おまけに割られた窓の外に、眼前の狐以外の生体反応が三つもあった。恐らくこの狐の仲間だろう。


「フィリアを逃がす時間を」


「勿論だ。一般人を傷つける趣味はねぇよ。おーい、この子を保護してやれ。このドールの流れ弾もぶち当たらねぇようにな」


「了解」


 若い男の声が二つ唱和するのと同時に、窓から影が飛び込む。


「人質にするつもりですか」


 まさか敵の手にフィリアを委ねるわけにはいかない。唸るようにサクは問うた。フィリアは大人しくサクに抱き上げられていたが、まだ落ち着いてはいないらしくブツブツと何事か呟いている。


「そうも取れるな。けど、てめぇがそうやって抱いたまんま、何とかなる状況だと思うか?」


 答えは否だ。狐だけならばフィリアだけを逃がす価値もあるが、近くに他に二人もいたのでは、八歳の少女一人を走らせる事は出来ない。そもそも、パニックに陥って殆ど石化しているフィリアが、こちらの指示を聞いて走ってくれる保証もなかった。


 彼女はとても「予定外の事態」を嫌う。こんな、非日常極まりない事態への対処は不可能に等しいのだ。彼女を守る為には、サクが手足となって逃げてやるしかない。だがサクの各種計器は、目の前の狐は少女を片手に抱いて戦えるような、生半可な相手ではないと告げていた。


 こういう時、電算機の弾く計算結果は呪わしいほど容赦がない。しかし、狐がフィリアを傷つけない保証があるか、という問いには『回答不能。判断には情報が不足』とエラーが返るだけである。それでも判断を仰ぐマスターが不在である以上、無理矢理にでも結論を出さなければならない。


「無理かもしれませんね……でも、無理だからって、諦められる状況でもありません!」


 言うと同時にCMシステムを起動する。


 瞬間、左脚が向こう脛に仕込まれたブレードを射出しながら跳ね上がった。胴を下から狙った刃が、咄嗟に抜き放たれた狐の刀とぶつかって火花を散らす。解放された左腕をすぐさま突き出して二、三発牽制に連射し、狐が二、三歩後退すると同時に、そのままフィリアを胸に抱き込んで右にターンして扉を目指す。


 CMシステムへの命令は「フィリアの安全を最優先で確保し、この状況を脱出する」である。部屋の出入り口は右背後約三メートル。しかしサクのすぐ後ろはフィリアの読書机と椅子、そして本の山が阻んでいる。ブレードを出したままの左足で床を蹴り、半端に出ている椅子を踏み台にして扉の前に降り立つ――予定だった。


 弧を描いて空を裂いたナイフが椅子の背もたれをすり抜け、ゴブラン織りを踏んだ右足に命中する。


 重い衝撃が右踝に響いた。


 全体重が一点にかかった所を強打され、重心がずれて上体が傾ぐ。


 平衡を保てず床に落下する中で身体を捻り、サクは右腕にフィリアを抱え込んだまま、左手を軸に前転して着地した。椅子の背もたれが床へと伸ばす左腕を掠め、先程食い千切った袖が引っかかってシャツが派手に裂ける。その反動で崩れるバランスを何とか補正し、両足が揃ってカーペットを踏んだ、次の瞬間だった。


 ――ふと、目の前が翳った。


 着地し、視線を上げた先に狐が立っている。


 逃げる間もなく頭髪を掴まれ、宙吊りにされた。


 右肩に衝撃が走る。警告が走り、右腕の回路が切断された事を伝えた。制御も駆動力も失った右腕がだらりと垂れ下がる。腕の中、サクの首にしがみついていたフィリアを、狐が攫った。


「やめろっ……!」


 フィリアを抱えた相手を攻撃する事が出来ず、CMシステムが沈黙する。


「何もしないっての。えーと、なんて名前だっけ、お前。おしおし、怖かったなー」


 飄々とした様子で、狐がフィリアをあやすように抱き上げる。フィリアは最早、暴走する余力も無いのかただただ石化していた。


「ああ、その首輪、アンダーの留め具だったのか。ナルホド、ボディがこんな頑丈じゃ、暴れてる間に服だけ千切れて素っ裸になっちまうもんな」


 袖から襟元まで裂けて、片身になってしまったTシャツの下を見とがめて狐が言った。狐の言うとおり、サクはTシャツ・ジーンズの下に、自分の表皮と同じ繊維で出来た黒のアンダーを着ている。アンダーと言っても仕込み武器の射出を邪魔しないよう、上は胸部を必要最低限覆う程度であるが、摩擦や衝撃に弱い普通の服がボロ雑巾になって、戦闘中裸になってしまうのを防ぐ為だ。しかしまさかこんなに早く、必要になる日が来るとは想定外であった。


 狐に宙吊りにされたまま、サクは残った左手で髪を掴み上げている狐の右手を掴んだ。そのまま握り潰すように力を込める。すると、あっさりと狐はサクの髪を離した。おまけに縄抜けの要領で親指の関節を外し、サクの手の中に皮手袋だけを残して距離を取る。


 これで完全にフィリアと引き離された。


「マキノ、ハル、今度こそ頼むぜ。――なかなかいい暴れっぷりだな。ま、相手が俺じゃなきゃ成功したと思うけどな!」


 あっはっは、と得意そうに狐が笑った。これだけ容赦なく攻撃を仕掛けながら、これだけ屈託無く笑える人間もそうは居まい。暴走したラセウスに通じる気味の悪さに、サクは眉根を寄せる。


「お、表情が戻ってるってことは、CMモード解いたな? さっきまでモードチェンジしてたろ、全然表情無くって、いかにもCMドールだったかんな」


 サクの表情に反応して、狐が嬉しそうに声を上げた。そのふざけた態度に段々と腹が立ってくる。


「さて、と。仕切り直してもう一戦、にはちょっと時間食い過ぎちまったし、右腕逝ってるお前と遊んでも面白くなさそうだかんな。でもまだお前、大人しく俺の物にもなってくれそうにねえし……この辺でひとまず撤収すっか」


 表情を険しくするサクにはお構いなしで、あっけらかんと狐が言う。フィリアは既に狐の手下らしい少年たちに引き取られているが、どうやら連中に、彼女に危害を加える気がないのは本当らしい。ちらりと見遣った視線の先で黒髪と栗色の髪の少年が、暴走気味のフィリアに困惑している。


「――最後に一個、教えてやんよ。CMプログラムはノイマン型電算回路で動く。ノイマン型電算機は正確だ。絶対迷わねえし、間違わねえ。……って事は裏返せば、だ。『同じ状況では必ず同じ選択をする』って事だよ」


 ノイマン型電算回路とは今で言う「電算機」として最も初期に考案され、爆発的に普及した電算回路である。普段「電算機」と言う場合、大抵このノイマン型電算回路を用いた物を指し、その特徴は曖昧なものが苦手で、きっちりと数値化されるものが得意なことであった。経験学習を得意とするニューラル回路と異なり、入力された数値には何時いかなる時も同じ演算を施すのだ。


「つまりは、至極、読みやすい」


 低く、狐の言葉が響いた。


 頭に血が上る、ってのはこういう感じですかね。ぼそり、とサクはそう呟いた。フィリアの安全が保証されていれば遠慮の必要はない。あのふざけた狐面を叩き割って、ツラだけは必ず拝んでやる。そう心に決めて床を蹴る。下層システムががなり立てる警告を黙殺して、只の合金と樹脂の塊と化した右腕を左手で毟り取ると、それを力任せに投げつける。驚いたらしい狐が咄嗟に避けた、その方向に向かって跳躍し、左腕の銃身を棍棒代わりに振り下ろした。それを狐の刀が受け止めるや、ブレードが露出したままの左脚を振り上げ腹を狙う。そちらも狐の刀に受け止められ、押し戻されて体勢を崩す、一瞬前。


 あらん限りの駆動力で右足を踏ん張り、片足で跳躍する。


 頭一つ分高い位置にある狐面に狙いを定め、その顎目掛けて頭突きを繰り出した。


 下から弾き飛ばされて、狐面が宙に舞う。ぱさり、と軽い音を立ててカーペットの床に落ちた。


 間近で、猫のように縦長の瞳孔を持った深紅の眼が瞠目していた。


 それに向かって、ざまあみろ、と笑ってそのまま身体を投げ出す。受け流すようにサクを放った狐が、どさりと床に沈んだサクを見下ろした。


「……ビビった」


 正直な感想なのだろう。頭突きに掠められた顎をさすりながら、狐が呟く。


「ふん、他人の家に入るなら、帽子の類は取ってきっちり顔を見せるのが礼儀というものだ…………と、今の僕のマスターなら言いますね、きっと」


 アサキの口真似をしてそう言い、片腕だけになったサクは身体を起こした。初めて見る相手の顔は、眦のきつい紅眼が印象的な、端整に整ったものだ。その深紅の眼と黄味の強い正しく黄金の髪が、鮮烈な対比をみせている。


「――っ、ははっ、おー、そりゃいいマスターだな。確かにコワそーな姉ちゃんだったけど。ったく、いいな、お前。気に入ったぜ、さっきのは良かった。……CMプログラムじゃ俺には勝てねぇ。俺に勝ちたきゃ、『修行』しな」


 にやっ、と鋭い犬歯を見せて、狐が笑う。吊り上がったアーモンド形の眼が細まり、益々猫を連想させた。


(あー、誰かに似てるな。どっかで見たぞ、この顔……)


 全く同じ顔ではなかった気がするが、何処かで印象のそっくりな顔を見ている。そんなどうでもいい事を考えながらサクは口を開いた。


「僕を盗んで帰るんじゃなかったんですか? 全く、もう今更嘆く気にもなれません。好きにして下さい。フィリアの安全さえ保証してくだされば文句は言いませんから」


 一度目は死に別れ、二度目は廃棄され、三度目は壊されて盗まれたとなれば行く所まで行った感じだろう。なるようになれや、と、サクは溜息をつく。オマケに最も長く可愛がって貰った初代マスターは、どうやらヤクザ関係者らしい。まだまだ、平穏という言葉とは縁がないようだと、無能AMドールをやっていた頃を心底サクは懐かしむ。


 そんな自棄も多少混じりながら、しかしそれ以上に、此処に自分が在る事で、アサキやフィリアに迷惑をかけるべきではない、とも思い始めていた。


「んー、まあ、さっきのが及第点って事で、攫うのはナシにしてやるよ。あのおっかねぇマスターにヨロシクな。それと、俺は禾熾。『葛葉は金狐の禾熾』だ。俺とゆっくり話す気になれば、ツラナギ川のミツハ湖河口にある、美津葉みつは稲荷神社に来い。んーじゃあな!」


 だが、予想外に狐――禾熾はあっさりと退き、上機嫌に言うだけ言って踵を返す。


「おし皆、帰るぜー」


 そう言って手袋の外れた右手をひらひらと振る。その五本の指からは、肉食獣のような鉤爪が生えていた。


「あ、そーだ。手袋返して。それねぇとすぐその辺をバリバリにしちまうんだよ、俺」


 そんなの知った事か、とケンカをする気力もなく、サクは起き上がって手袋を拾うと禾熾に向かって放った。禾熾が片手で鮮やかにキャッチする。


「サンキュー。んじゃ、またな」


 今度は手袋をひらひらと振りながら、上機嫌で禾熾が視界から消えた。


「だだだ大丈夫? ねえ、えーっと、フィリアちゃん、だっけ。おーい、帰って来てー」


 困り果てた様子で、石化したフィリアの相手をしていた栗色の髪の少年が、戸惑ったように禾熾の消えた窓とフィリアを見比べた。


「行こう。俺達じゃどうしようもない」


 あっさりとそう言い置いて、黒髪の少年が禾熾の後に続く。


「あ、待てよ。じゃ、じゃあ……お邪魔しましたー」


 栗色頭の少年も慌ててそれに倣い、一瞬後には嵐の後のような部屋と、フィリアとサクだけが残された。黒尽くめの侵入者達は、ものの見事に気配も何も一瞬で掻き消えている。ブラオ商事の刺客(?)達も、いつの間にやら消えていた。恐らく禾熾たちが回収して帰ったのだろう。


「……フィリア、ごめんね。大丈夫?」


「AHCMの最大の特徴はハイブリッド方式の電算処理であるが、基本的にノイマン型の電算処理を下層に、ニューラルネットワーク型の電算処理を上層に配置してある。古典型の大容量DBと、優秀な曖昧解釈・連想学習が出来るニューラルネットワーク型思考回路を融合させる事で、人間以上の記憶力とそれに基づく臨機応変で迅速的確な判断が実現したのだ。この事と、各種センサ、カッコ、カメラ、マイク、圧力感知装置などの入力装置、カッコ閉じる、の軽量化・高性能化によりAHCMは無気味の谷を克服し、人間に近く、また人間より優れた知的活動を行える存在へと進化した。しかしこの事は六百年以上も前からサイエンスフィクションの世界で警告され続けていた――」


「フィ、フィリアっ、ごめん、ごめんってば……。落ち着いて、ねえ、お願いだよ」


 大丈夫な筈も無いフィリアは、延々と本の続きを暗誦し続けている。最も安心出来るはずの自室を荒らされ、挙句やっと見慣れた筈の世話役ドールがトゲトゲのボロボロになっているのだから当然であった。


 果たして一体、何をどう何処から片付ければフィリアが落ち着いてくれるのか途方に暮れて、サクは武器をしまいながら深い深い溜息をついた。

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