第6話 美味しいと思うものは人それぞれ。


「不味い」


 三時間の努力の成果を言下に切って捨てられ、がくりとサクは項垂れる。時刻は十九時丁度を指していた。キール電子部品店と隣接するアサキ・E・キール宅の食卓には、何やら重苦しい雰囲気が漂っている。


 秋分を過ぎ冬へと向かうこの時期の太陽は既に西へと沈みきり、食堂を照らすのは高価でエネルギー効率の悪そうな、アンティーク趣味の電灯だけである。


「……レシピは間違いの無い物ですし、材料、計量、調理法も間違わなかった筈です。何がどう御不満なのかお教えいただけますでしょうか」


 無駄に持って回った敬語でサクが尋ねた。どうしても声音が低く平板になってしまうのは御愛嬌だ。アサキは行儀悪く片肘をテーブルについて、形の良い指先で目の前の皿を弾いている。そこに並ぶのは、サクが苦労して作り上げた今晩の夕飯一汁三菜だった。和食を中心にした副菜と洋食を取り入れた主菜を盛り付けた和食器が、華美ではないが全般的に欧風を模している食堂の内装から明らかに浮いている。


「確かに一週間前よりは遥かにマシになった。一応、喰い物と呼べる物にはなったからな。だが、『おいしく』はない」


 元々HPヘルパー型ではないサクに、家事・介護機能は付いていない。学習機能は(高機能なやつを)搭載しているので学び、練習すればそれなりに出来るようになるはずだが、初代マスターの元で過ごした約十年間、そんな事をする機会は皆無だったので経験の蓄積もない。そんな訳でこの一週間、慣れない料理に悪戦苦闘しているのだが、その成果への主の評価は極めて低かった。


「……特別『不味い』と言われる程の物体ではないと思いますが。フィリアに食べさせていいですか?」


 一応口内についている味覚センサで味を確認して、サクはもう一人の同居人に用意した皿を持ち上げる。アサキのふん、という不満そうな鼻息を肯定と解釈し、サクは持った皿を、人形のように大人しくテーブルについている少女の前に置いた。時間は十九時四分。許容範囲内らしく、少女は無言で箸を手に取ると、黙々と夕食を口に運び始めた。


 フィリア、という名のその少女の年齢は八歳。砂色味を帯びた限りなく白に近い髪――いわゆるプラチナブロンドに、ごく薄い青紫色の目をしている。先天性白皮症(動物で言うアルビノ)ではないらしいが、極端な色素の薄さゆえそれに近い外見を呈していた。その生成り絹のような髪は背中の半ばまで伸ばされており、豪奢なフリルのついたドレスワンピース、幼いながらも端正な面立ちと相まって、フィリアを正しく「お人形」のように見せている。


 その、普通AMドールといったらこんなだろう、という見本のような(しかし実際には人間である)少女に箸は何とも似合わない。一体誰が用意したものなのか、和柄の兎がついた茶碗に桜模様の塗り箸を使う彼女を、微笑ましい気分でサクは見守る。


 このフィリア、実はこの家の家主であり、アサキにとっても大家であった。


 詳しい経緯はサクも知らされていないが、アサキはどうやら実質的なフィリアの保護と後見をする代わりに、フィリアの土地や財産を自由に借りられるという契約をしているらしい。


 アサキとフィリアが暮らすこの家や隣接している店や、アサキがドール関係の作業場に使っている倉庫も全てフィリアの所有する土地なのだ。そしてフィリアが財産の「所有者」である事からも分かるとおり、同居している彼女の親族は居ない。代わりに家事全般から法的手続きの代理まで、子供が独り暮らすに困らないだけの性能を備えたHP型ドールが居たらしいが、サクが此処に来る少し前にそのドールが壊れたのだという。


 現在そのHP型ドールは鋭意修理中らしいのだが、性能に比例して修理にも時間とコストがかかり即復帰とは行かないようだ。そんな都合もあり、サクは現在キール宅において(本来それ用の機能がないにも関わらず)HP型の真似事をやっているのだった。


「お前の味覚センサなんぞアテになるか。ふん……仕方が無いから今日はこれで我慢してやるが、満足したとは思うなよ」


 ひたすら無言で食べ続けるフィリアを見ていたアサキが、諦めたように捨て台詞を吐いて茶碗を手に取った。ちなみに、食卓に並ぶ料理が日本風なのはアサキの趣味である。


 サクの名誉のために付け加えておけば、サクが「喰い物ではない」物体を作ったのは最初の一回くらいであり、それ以降は紛いなりにも「料理」と呼べるものをきちんと食卓に供している。そして今夜テーブルに並んだ料理は「家庭料理」としてはなんら遜色ない物なのであるが、それでも一流HPドールの作る食事に慣れているらしいアサキの舌を満足させるには遠く及ばないようだった。


「了解、引き続き努力します……」


 それでも一応食べてもらえる事に安堵の息をつきつつ、サクはやれやれ、と自分も席についた。このマスターは気に入らなければ食事を取らず、煙草とコーヒーで誤魔化してしまうので厄介なのだ。時刻は十九時十二分。まだ、次の仕事には時間がある。


「店番をしている時間にでも勉強しろ」


「AHMエンジニアのくせに適当言わないで下さい。データインプットだけで出来る学習は既に済んでますよ。問題があるとすれば動作の力加減や、料理レシピに頻繁に出てくる『とろみがつくまで』とか『狐色になったら』とかいう曖昧表現です。ああいった指定に対する閾値定義ファイルなんて持ってないんで、経験学習するしかないんですよ」


 料理の動作の多くは抽象的な言葉で指定される。調味料の原材料に対する配合比やオーブンの温度と加熱時間など、具体的数値が記載されている内容に関しては間違いようがないのだが、こういった曖昧表現は電算機の実に不得手とするところなのだ。


『狐色』一つとったところで、様々な料理に使われ、かつ料理ごとにその色味は違う為一筋縄ではいかない。結果、学習機能を担っているニューラルネットワーク回路(生物の神経回路を模した電算回路で、経験の蓄積による学習を得意とする)に、いわゆる「数をこなす」事をさせないと良い結果を出力できない――すなわち、上手く料理が作れないのだ。


「ふん、ならば仮想学習用のプログラムを組んでやろうか? どうせ客は滅多に来ないんだ、暇潰しに練習すればいい」


「そんな事する時間があるなら、早く本業のHPドールを修理してください」


 アサキがいくら「不味い」といっても、アサキが「美味い」と表現する料理とサクの作る料理との間の成分比や硬度、粘性などに実は大した違いはない。サクのシステムで判断すれば「誤差の範囲内」と言って差し支えない程度のそれのために、いちいち仮想学習用プログラムを組むのは馬鹿馬鹿しい。別に、今後そんなプロ級の料理技術が自分に必要とも思えないので、サクはぴしゃりと断った。


「では練習あるのみだ。努力をしろ、努力を」


「はいはい」


 十九時十七分。二十五分になれば次の仕事に取り掛かる必要がある。文句を言う割にテンポ良く料理を平らげていくアサキを横目に、サクは時間を確認した。


「修理するにも交換部品が調達できん。……ああ、そうだ。その部品調達も兼ねて明日はアシハラまで行ってくる。早朝こちらを出るからそのつもりでいろ」


 アシハラとはアキツの首都であり、一週間前までサクの居た街でもある。アシハラ市と此処イソタケ市は高速道路をかっとばしても四時間の距離があり、日帰り行軍しようと思えば朝早く出る必要があった。


「僕もですか?」


「いや、お前はいい。フィリアの世話を頼む。店は閉めておけ」


「了解です」


 頷いてサクは再び席を立つ。アサキはいつの間にやらすっかり皿を空にしており、フィリアはあと五分程度で全てを食べ終わりそうだった。時刻は十九時二十分丁度。茶っ葉の入れてあった急須に、保温してあった熱湯を注ぐ。しばらく急須を揺らしてからそれぞれの湯呑に茶を注ぐと、緑茶の香りが室内に広がった。


 十九時二十四分六秒、フィリアが箸を置いて湯呑を手にした。スケジュール通りである。


「では、僕はお風呂の用意をしてきますね。――フィリア、八時十五分からお風呂だよ」


 フィリアは無反応のまま、静かに温めのお茶を飲んでいる。


 フィリアの世話をする――それは文字通り、幼い彼女の身の回りの世話をするという意味の他にもう一つ、「日常生活のスケジュール全てが毎日同じ」でないと情緒不安定になる彼女の為に、厳密にタイムスケジュールを管理してやる事を意味していた。


「変化」を極端に嫌うフィリアは毎日同じ時間に同じ動作を行う事を好む。それを実現させてやるには時間感覚の曖昧な人間よりも、時計を内蔵していて正確な時間管理が得意なドールの方が向いているのだ。更に言えば、普段殆ど他人に関心を示さないフィリアは、日々のルーチンワークをこなす以外は、大体周囲が何をしても無反応である。この無反応を気にせずに居られる点でも、ドールのほうが彼女の世話には向いているのかもしれない。


「あと五十分か。今日は私が先に入る。湯船すすいだら熱い湯を少なめに張れ。急げよ」


「……またそういういい加減な指示を。了解、五分後には入れると思います」


 こちらはその対極とでも言うべきか、日々の生活に規則性の「き」の字もない人種である。明日の朝が早い為今日は入浴が前倒しなのだろう。普段アサキの入浴は大抵深夜であり、ついでに言えばこの一週間、入浴時間帯が同じだった日は一日としてなかった。


(アサキさんとフィリア、足して二で割れば丁度いい……ってやつかなあ。風呂は摂氏四十五度程度のお湯を湯船の三分の一で……多分大丈夫だろ)


 本人が聞けば余計な世話と怒りそうな事を考えながら、マスターの下す適当な命令を的確に解釈したサクは風呂場へ消えて行く。アサキも風呂支度で自室に消えた後、フィリアがきっかり十九時三十分丁度まで茶をすすってから食堂を出て行った。




***




 深夜。北の荒野から舞い上がった砂塵によって紅く霞んだ月が、街を睥睨している。不恰好に腹の出た、あと数日で満月を迎えるその月――衛星名『ツクヨミ』は、元来白銀に光る人工天体だ。アキツを惑星改造する際の基地としても使用されたツクヨミは地球の月と大きさや公転周期、潮汐への影響などの条件が似るよう調節されている。しかし此処イソタケでは、日暮れと共に向きを変える風に乗って北から流れ込む赤い土埃によって、その冴えた白銀は鈍く昏い紅色に変わっていた。


 そのツクヨミのぼやけた紅光だけが照らす空間。イソタケの南に広がる巨大な湖、ミツハ湖に面する港の端に、一見、打ち捨てられた風情の倉庫群がある。その敷地の一画、古びたコンテナが積まれた集積場に禾熾は立っていた。闇に溶ける黒装束のなか、黄金の髪と白い肌、そして右手に提げた鈍色の刃だけが紅く浮き上がっている。


 彼が一歩足を踏み出すと、ぴちゃり、と湿った音が夜の静寂に密やかに響いた。それに怯えたように、引き攣った息遣いと後退る音が彼の正面から聞こえる。今、この空間で息をしているのは禾熾と、その目の前で恐怖に震えている中年の男だけだった。辺りには、濃密な血の臭いが漂っている。


「テメェで最後だ。知ってる事は、先に全部吐いた方が楽だぜ?」


 小首を傾げ、口端を吊り上げながら禾熾が更に一歩踏み出す。濡れたアスファルトが再び音を立てた。先程まで仲間だったモノから流れ出た液体を踏む足音に怯え、男が更に後退する。鈍い音を響かせて、その背が錆びたコンテナにぶつかった。折り重なる骸を踏み越えてやってくる金髪の死神に、足腰が砕けてずるずると座り込む。小刻みに鳴る歯の間から、裏返って震える声を何とか男は絞り出した。


「お、俺はしらんっ、俺はただの倉庫番だ。荷物の詳しい中身なんざ――っ!!」


 鉄板を殴る音が耳元で響き、男が言葉を飲み込んだ。男に覆いかぶさるようにしゃがみ込んだ禾熾がコンテナを殴りつけたのだ。瞠目した男の目に、形の良い唇が更に笑みを深めるのが映る。


「聞きたいのは、そういう内容じゃねぇっての。言ったろ? 『知っている事を話せ』」


 開いた口から覗くのは鋭い犬歯。最早それは犬歯などという控えめな物ではなく、はっきりとした「牙」だった。その口元から上方に逸らした男の視界に、男を見下ろす一対の眼が飛び込む。


 ツクヨミと同じ、深紅の双眸が彼を睥睨していた。その瞳孔は、猫のように縦に裂けている。


「ば、けもの……」


 思わず呟いた言葉に、異形の眼が細められる。左耳に直接流し込むように、禾熾が男の耳元で囁いた。


「そう、だぜ? 『葛葉の妖狐』――知らねぇなんて寂しい事言わないでくれよ?」


 多分に笑みを含んだ妖艶な声。ひやり、と冷たい手が右頬に触れる。白く、生者の物とは思えぬ冷たい手が愛撫するようにゆっくりと男の頬を滑り、その指先に伸びる鋭い鉤爪がじわりと男の頬に喰い込んだ。肉を引き裂く為の、野獣の爪だ。


 あまりの恐怖に男の意識が遠のきかける。それを食い止めるように、左耳の耳朶が灼熱の痛みを訴えた。思わずもれた悲鳴に、至近距離で妖狐が哂う。続いて血を啜る湿った音がその耳元で響き始め、頬を抉った冷たい手が男の喉下を辿って胸元へと差し入れられた。まさぐるように下りた冷たい手が、男の心臓の真上で止まる。


「人喰い化け狐に生きたまま心臓喰われたくなけりゃあ、早めに全部吐き出しちまいな。そうすれば、生きながら喰われる経験はしなくて済むかもしれないぜ」


 「葛葉の禾熾」――このアキツに暮らす、男のような人種にとって、知らずには通れない存在であった。異能者ばかりが揃う傭兵・暗殺集団と言われる「葛葉」の中でも異形の姿を持ち、その圧倒的な強さと残忍さで知られる化物。噂によれば遺伝子操作によって生まれた人ならざるヒトであるらしい。


「あ……う、な、俺、俺は……俺がきいてるのは、こいつらは全部電子部品だって事だけだ。だ、っから、丁寧に扱って管理も気をつけろって……」


 心臓の真上に爪を立てられ、男は酸欠のような荒い息のまま必死で舌を回す。


「そんだけか? 何の電子部品だとかも全然知らねぇのな」


「し、知らない、しらない! 助けてくれ、お願いだ、お、俺なんか殺して喰ったって面白くも美味くもね――あああああっ!!」


 懇願は途中で断末魔の悲鳴に変わった。禾熾の左手が男の胸元に沈み込んでいる。その埋まった左手を起点に暗い色の液体が男の胸を染めていくのを、くすくすと笑いながら禾熾が見下ろしていた。


「んなに謙遜すんなよ、美味いと思うもんは人それぞれだぜ?」


 ぺろり、と口端についた血を舐め取る。さらに裂いてしまった男の右頬を美味そうにねぶり上げた後、禾熾は右手の刃を胸に埋めた左手のすぐ横に突き立てると、一気に男の胴を引き裂いた。血のあぶくと共に、声にならない声を上げる男の四肢が大きく痙攣してから弛緩する。


「ん、うまい。イタダキマス」


 禾熾は刀を置き、裂いた胸に右手を突っ込んで肋骨を力任せに開くと、左手で握り潰した心臓を引きずり出し、愛しそうに口付けてから一気にかぶりつく。周囲に彼以外の生命の気配は存在しない。その凶宴を見るのは、クレーターによる陰影の代わりに人工の配管や建造物が紅と黒の幾何学模様を作る、無機的というにはあまりにも無気味なツクヨミのみであった。

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