第4話 高級品はその手入れにも金がかかる。


 しばらく続いていた銃声が、ぴたりと止んだ。


 銃を乱射しながら、マリカを完全に見失ったらしいラセウスが一旦奥に戻ったのを好機に、マリカは表まで逃げようとガラクタから這い出していた。しかし、這い出す際に派手にがらくたを崩してしまう。そこへ、誰かがマリカの名を呼ぶ声が聞こえたので、必死で返事をしたのだが、結局物音に気づいたらしいラセウスが引き返してきてしまった。


 それから結局、ラセウスとサク、それからサクの知り合いらしい女性のやりとりの間、マリカは崩れたガラクタの影に隠れていたのだ。


 唐突に静まり返った空間に、恐る恐るマリカは顔を覗かせる。そっとラセウスの方を見遣ると、銀髪の青年ドールは糸が切れたように地面に崩れ落ちていた。まだ動いたらどうしよう、と思いつつも、一刻も早くその場から逃れたくてマリカはラセウスの倒れ伏す路地に出る。




***




 ガラクタの山を越えたところで、からり、と頭上からコンクリート片らしきものが降ってきた。


 反射的に見上げた空が、何かで翳る。


 無数の亀裂を走らせながら傾ぎ、頭上に覆い被さるコンクリートの壁を、マリカは呆然と見詰めた。


「え……?」


 路地を構成していた建物の一つが崩れ、その壁が自分に向かって倒れ込んで来ているのだ。そう他人事のようにマリカは事態を理解する。ただ、手足は棒立ちのまま凍りつき、動かし方を忘れたらしくピクリともしない。


(どうしよう。潰されちゃう、よね……?)


 このまま此処にいればただでは済まない。それは感じながらも、正しく頭が真っ白の状態でマリカは立ち尽くす。


「マリカっ!!」


 悲鳴のような少年の叫び声とほぼ同時に、マリカは暖かくて柔らかい何かに抱き込まれた。




***




 AHMシステムを強制的に停止させるための、強烈なジャミング装置の出力を最大に上げたアサキは、ラセウスがシステムダウンして倒れたらしい音を確認してそのスイッチを切った。AHMはその複雑な内部システムから、ある特定周波数の電磁波に非常に弱いという構造的な欠陥がある。


 しかし日常でその周波数に当たる事はそう無い上に、ドールが一般普及してからはこの周波数の電波は各国で禁止されている。よってドールの使用に問題が出ることは殆ど無いゆえ、戦術としてのジャミングに晒される危険があるCMドールでもない限りはシールドなど施されていないのが普通だった。


「やれやれ、AMドールに武器を仕込んだだけの代物だったようだな」


 手に入れるならばどれだけランクが低くともCMドールの方が貴重であるが、相手をするとなればCMは厄介の一言に尽きる。ジャミングなどといった有名すぎる弱点を使った攻撃など、通用するはずも無いからだ。


 装置を置いたまま立ち上がったアサキの視界に、爆発でボロボロになった建物の陰から少女が顔を出す様子が映った。おそらくアレが、隣で停止している少年ドールの前マスターだろう。そう判断してアサキは少女に手招きをする。


 ふと、少女が空を仰いだ。


 つられて見上げた少女の頭上で、元々随分古そうな上に爆発で基礎にダメージを受けたのであろう、二階建ての粗末なビルが傾ぐ。


「おいっ! 逃げろ!」


 幸いにも建物ごと横倒しにはならないようだが(もしそうなればアサキのジープも潰されてしまうだろう)、一階の壁部分が崩落し、立ち尽くす少女の頭上へと倒れ掛かってゆく。さしものアサキも咄嗟に動けず、呆然としている少女をコンクリートの壁がぺしゃんこに押し潰す瞬間を、ただ見ているしか出来ない。――そう諦めた次の瞬間だった。


「マリカっ!」


 システムダウンしているはずのドールが、隣で悲鳴を上げた。


 驚いたアサキが隣を見遣る暇も無く、その少年ドールは恐ろしい速さで崩れ落ちる壁の下へと走る。ドールと少女の影が重なった次の瞬間、それらを覆い尽くして崩れたコンクリートが、もうもうと土埃を舞い上げた。地響きが身体を揺さぶり、埃混じりの風がアサキの長い髪を舞わせる。


「……コンバット、か」


 呟いて、アサキは呆然と立ち尽くす。


 予備電源、高速移動、そしてジャミングキャンセラー。これだけカードが揃えば十分である。あの少年ドールは間違いなく正規品のCM型――自律人型戦闘機オートノミック・ヒューマノイド・コンバット・マシンだ。一体何の都合でこんな所に転がっていたのかなどアサキに分かる事ではないが、軍の管轄を離れ、民間人が所持している時点で既に違法となる代物だった。


「しかも、随分高ランクらしいな……」


 その呟きには溜息が混じる。アサキはポケットから探り出した煙草を咥えた。


 晴れ始めた土埃の中で、瓦礫が動く。斜めに折り重なっていたコンクリート片が重い音を立ててひっくり返され、中から腕が突き出してきた。更に細かな破片を放り投げながら、少年ドールが顔を出す。その腕や顔は、薄汚れてはいるものの全くの無傷だ。骨格や表皮もかなり良い物で出来ている証拠だった。


「おい、まだ動けるか」


 煙草に火をつけ、ドールの近くに歩み寄るとアサキは尋ねた。


「ギリギリです。可動時間が五分を切りました」


 気絶しているらしい少女を抱きかかえてドールが答える。やはりと言うべきか、服はズタズタのぼろ雑巾状態だ。けほけほと吸ってしまったらしい土埃を排気しようとする姿がやたらに人間くさい。


「では一分でジープに乗れ。警察が来るぞ」


「? は、はい」


 呆けた顔で頷いたドールは、いそいそと瓦礫の山からの脱出を再開した。




***




「まず確認する。貴様の型番は何だ」


 サクにジープに乗れ、と指示を出した女は、ダウンしているラセウスを担いで荷台へ放り込んでから運転席に乗った。気絶しているマリカをサクの膝に乗せているため、サクの視界は殆どゼロである。


「ええと……知りません。すみません……」


 予想外の答えだったのだろう。しばらく気まずい沈黙が降りた。すっかりボロボロになったジープが発進する。


「――自分の型番を知らんだと?」


「はい。実は僕、何と言うか……記憶が無いんです。マリカの前のマスター、多分初代マスターだと思うその人のところで、一度故障してしまいまして。それでAHMとしての基本情報をすっ飛ばしてるんです。メンテはマスターがしてくださってたんですが、マスターでもこのロストデータは復元できなくて……」


 自分の型番を知らない事が異常なのだと今更気が付いて、慌てながら説明する。隣の女は呆れたように溜息をついてこう言った。


「なるほど、な。自家メンテナンスだけで済ませていたか。まあ、外に出せる代物ではないからな」


 そこで女は一旦言葉を切った。深呼吸一つ分の間の後、女が再び口を開く。


「……自覚がなさそうだから一応訊いてやる。お前、自分は何型の何級だと思っている?」


 自己認識が間違っている事前提のような問いかけに、戸惑いながらサクは答えた。


「へ? AM型の……CとかB級じゃないんですか?」


 マスターにはAM型として扱われていたし、HP型のような知識や能力は持っていない。AM型として特別上級能力も持っていないのでその程度だろう、と勝手にサクは判断していた。そのサクの返答を聞いた女が、やはりと言うべきか、ふん、と鼻で哂う。


「やれやれ、だな。教えておいてやろう。お前はCM型、しかも恐らくA級以上だ。B級C級のドールにそれだけ頑丈なボディや高性能なシステム、ついでに過剰なほどの人間偽装機能は付いていない」


 呆れたような、しかし何処か淡々とした声音で女が告げた。


「……こっ、コンバットドールっ!? 僕がですかっ?」


 思わず声が裏返る。


「ああ、そうだ。そんなにリアルに裏声の出せるような擬似声帯システムを持ったドールがこの世にどれだけあると思っとるんだ、馬鹿者」


 数あるドールと人間の相違点の中でも、発声システムの違いはかなり目立つ。それは、先ほど暴れていたラセウスの姿からも明らかな事だった。


「あ……」


「恐らくお前は敵地潜入型か何かなんだろう。それならばその特徴のない容姿も無駄にリアルな造りも納得がいく」


 外見への情け容赦の無いコメントが降ってきたが、それどころではない。


「でもじゃあ何で僕は……」


 目の前の相手に問いかけても仕方の無い問いが口をつく。何故民間人に所有され、しかもAM型として扱われていたのか。その答えを知るはずのマスター=ルーカスの情報を検索し始めた途端、予備電源が最後の電力を振り絞って内部警告を発し始めた。聴覚情報のみならず、視覚情報にすら警告が走るので目の前が真っ赤である。


「あ、すみません、電源が……」


 もう落ちます、と最後まで言い切ることが出来ないまま、サクのシステムは再び休止した。




***




 次に起動したとき、サクのアイカメラが最初に捉えたのは、業務用らしく素っ気無い電灯が張り付いた、見知らぬ天井だった。


「起動したか」


 上から、恐らく新しいマスターになるのであろう(このまま解体されなければ、である)女が覗き込む。


「……解体、しなかったんですか?」


 予備電源が落ちれば最早それまで、と覚悟した事を思い出し、少し笑ってサクは尋ね返した。


「こんな貴重品をばらせるか。だが、中は見せてもらったぞ。型番は消されていたが……JM‐9までギリギリ読み取れた。少年ジュブナイル・メイル型の9番代――間違いなく正規品のコンバットだ。腕や脚にも武器を装着できるスロットが仕込んである。武器らしきものは全て抜かれているがな」


 作業着らしい薄汚れた白衣(と言っても、最早殆ど白い部分などない)のポケットに手を突っ込んで、女が眉根を寄せる。サクのことを貴重品とは呼びつつも、眉間に皺を寄せ、火のついてない煙草のフィルターを噛んでいる様子は忌々しそうですらあった。


「そ、そうなんですか……じゃあ、ええと、マリカは……?」


「気絶したままで親に返しておいた。お前が瓦礫から庇ったくだりは誤魔化してあるからそのつもりでいろ。――そもそも、お前が正規品CM型である以上、所持した時点で処罰対象だ。今後縁は無いと思え。向こうにもそれとなく釘を刺しておいたからな」


「そう、ですか……」


 上半身を整備台の上で起こし、俯き加減にサクは返事をする。


 未だ自覚も無く現実味もないが、サクが上級CMドールであるのなら、その事が公的機関に知られただけで元所有者たちに咎が及ぶ可能性は高い。どうやら無用無能のドールではなかったらしいが、逆に自分はこんな所に存在してはいけない代物だなどと分かったところで、喜べるはずも無かった。


 床には、元ラセウスらしきドールのパーツが乱雑に寄せ集められている。


「あのドール、解体しちゃったんですね」


「ああ、武器をどう仕込んであるのか確認するつもりだったんだが、随分無理な作りをしていてな。電気系統がイカレかけていて、もう二度とそのまま電源を入れられる状態ではなかったからばらしてある。システムの方も修復不可能そうだ」


 床のパーツから正面にあるコンピュータディスプレイに視線を移し、女は片手をひらひらと振った。彼女の視線の先ではディスプレイが、「重篤なエラーが発生し、起動は不可能」という内容の警告を表示したまま停止している。稼動していた時点で既に暴走しているようだった事を思い出し、サクはなるほど、と頷いた。


「結局、何だったんでしょうか……何でマリカが……」


「大方、組織的誘拐犯にでも狙われたんだろう。中々に裕福そうな家の子供のようだし、身代金目的か、人身売買目的かは知らんがな」


 アキツは政治的には比較的安定した星だが、営利目的の犯罪組織はそれなりに多い。いわゆるお嬢様学校に通うマリカは、そのうちの一つにたまたま目をつけられたのだろう。


「それで、あの、僕をどうなさるおつもりですか?」


 廃品にするつもりはないらしいが、隠し持つのは我ながらリスクが高い。かと言って、型番の消されたような流出ドールを馬鹿正直に国に預けるわけにもいかない。そもそも、サクがこの国のドールである保証もないのだ。


「百四十万で上級CMドールが買えるなんぞ、滅多にある事じゃない。手放す馬鹿が何処にある。今日からお前は私のドールだ」


 当然のように、むしろ傲然と女は言い切った。もともと闇市場に顔を出すような人間だ。違法がなんぼのものぞ、という事だろう。


「了解しました。マスター……ええと、お名前は?」


 今更ながら、相手に名乗ってもいなければ名乗られてもいない事に気づく。


「アサキだ。アサキ・E・キール。マスター呼ばわりは不要だ。名で呼べ」


 相変わらず火の点いていない煙草を咥えたまま、新たな主が命令した。


「はい。僕は一応『サク』と呼ばれていました。呼び名を変更されますか?」


「いや、構わん」


「じゃあ、宜しくお願いします。アサキさん」


「ああ」


 ぺこりと頭を下げたサクに、鷹揚に頷いたアサキが、思い出したように口を開いた。


「――そうだ。随分消耗していた主電源用電池パックと、コンクリート崩落の時に痛めたらしい腕の骨格を交換しておいた。それから、お前のそのスロットに入る型の武器を一揃い買ったから後で装着してやる。しめて二千五百万強だ。その分は働いてもらうからそのつもりでいろ。……全く、高級品というのは維持費もかかるのが難点だな」


 至極あっさりとそう言ってのけて、アサキはくるりと背を向けた。すたすたと出入り口に向かって歩き始める。


「は……? 武器一揃いって……」


 唖然として、サクはその後姿を視線で追う。


「何をぼさっとしている。起動しているんだったらさっさと付いて来い。行くぞ、サク」


 僅かにサクの方を振り返り、細い片眉を吊り上げてアサキが命令した。


「は、はいっ。――ってちょっとアサキさんっ! あなた僕を一体ナニに使うつもりですかーっ!!」


 日常生活にCMドールも武器も必要ない。ふん、と息をついたきり何も言わずに部屋を出て行ったアサキを、慌ててサクは追いかけた。


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