第3話 昔話の宝物は大抵一見みすぼらしい。



 きゃっきゃと楽しそうに、ラセウスに飛びつきながらマリカが細い路地に消えた約十分後。その路地の先から派手な爆発音が響いた。


「なっ――!?」


 流石にそんな路地までストーキングすればばれるだろう。そんな懸念からマリカの尾行は断念しつつも、怪しげな場所に消えたマリカが心配で、路地の見える辺りから離れられなかったサクは驚いて路地の方へ駆け寄る。


 このイソタケ市は表通りこそ落ち着いた工芸の街のふりをしているが、二つ三つ通りを奥に入ればとてもカタギとは言えない連中の巣窟であることは、つい先ほど実地で体験してきたばかりである。


 メリッサなどはお気楽に、サクを家から少し離れた場所のゴミ捨て場に置いて帰ってしまったが、本来AHMというものはその存在の特殊さ、犯罪に利用された時の社会的影響度の大きさから、廃棄するときの処分方法や購入、譲渡時の規定が事細かに決まっている。そのAHMを露天陳列して、まるで産直野菜市場のように売り買いしているのだからどう考えてもマトモではない。


「マリカ!? マリカーっ!」


 もうもうと煙と砂埃が舞う細い路地に飛び込むと、精一杯声を張り上げて前マスターの名を呼んだ。たった三ヶ月の付き合いで、決して自分を歓迎してくれたマスターではなかったとはいえ、相手はまだ十一歳の女の子である。まだ甘えたい盛りであると同時に思春期にも足を突っ込んで、不安定ゆえに気難しい少女のわがままは、困りはしたけれど憎むべきものではなかった。こんな所で、予備電源残り僅かの自分よりも先に一生を終えてしまうなど論外である。


「くっそ、冗談じゃないぞ」


 苛立たしげに呟いて目を眇める。煙塵に霞む視界で何か動く影がないかと必死に探していると、何やら派手に物が崩れる音が響いた。続いて、奥から少女が助けを求める声がかすかに届く。


「マリカっ!」


 更に続けて小規模な破裂音が響く中、何の躊躇いもなくサクは煙塵の只中へと飛び込んだ。




***




 鑑定屋と別れ、此処まで運転してきた自家用のピックアップ型ジープに乗り込んだアサキは、そのカーナビゲーションを改造して作ってある特製AHMレーダーを乗り込むなり起動して、周辺一キロメートル以内で活動しているAHMの座標を表示させた。そのAHMを表す光点の中で、ひときわ早く歩行者用通路を移動するものを見つけ、それを追う。


 ドールが走っているだけにしては随分な速度で移動していたそれは、数分経つとある一点で止まって動かなくなった。おそらく予備電源の残量が危うくなったのだろう。それもそのはずで、あれだけの速度で騒ぎを起さず(つまりは結構な数居るはずの他人を撥ねず)に移動するには相当な性能とエネルギーが要る。そんな使い方をしては一般的なAMドールの主電源でも十分はもたないだろう。いや、それ以前に普通のAMドールにそんな芸当が出来る機能は付いていない。


「ふん、どうにもこうにもマトモなドールじゃないな、これは」


 楽しそうに唇を舐めて湿らせると、煙草を一本咥えてアサキは駐車出来るスペースを探す。目標の動きは大人しくなったし、幸いにして乱暴な運転をせずとも追いつけた。あとはとっ捕まえて持ち帰るだけである。どんな違法改造をされたドールで、ばらせばどんなパーツが出てくるか楽しみで仕方が無い。


「外見はド地味に出来ていたが、『舌切り雀』にしろ何にしろ、昔話に出てくる価値あるものは、大抵一見みすぼらしいもんだ」


 教訓としては大間違いな事を機嫌良く言いながら、パーキングに向かってアサキはハンドルを切った。視界の端には先ほど逃げ出した少年型ドールの後姿がある。


 どんな悪路も走れそうな大型タイヤの無骨なジープが、パーキングに向かって億劫そうに歩道の縁石を越える。座席でなく、露天の荷台になっている後部が軽そうに振れた。


「!」


 駐車券を受け取ろうと発券機の前で停車した次の瞬間、車の窓をびりびりと震わせて爆発音が響いた。


 さっきのドールが爆発でもしたか、と驚いて振り返ると、件のドールは血相を変えて何か叫びながら、煙を吹く路地へと入っていく。


「ちっ、何か色々と起きるじゃないかっ!」


 忌々しげにも、何処か楽しげにも見える様子で舌打ちしたアサキは、ギアをバックに入れるとアクセルを踏み込んで、ジープを急反転させドールの消えた路地へと突っ込んだ。




***




 マリカの声を頼りに灰色の世界に飛び込んだサクは、再び彼女の名を呼びながら左右を見渡す。幾分煙塵は晴れてきていたが、何処かに隠れたらしいマリカの姿は見えない。と、不意に、後ろから凄まじいブレーキ音と共に一台のジープが突っ込んできた。新手か、と咄嗟に身体の重心を下げて振り向く。


「おい、何があった」


 しかし運転席のウインドウを降ろして顔をのぞかせたのは、先ほどサクの買取交渉をしていた女である。煙草を咥え、秀麗な眉を僅かに寄せて横柄な口調でそうサクに尋ねた。


「よく、分かりません……ただ、僕の前マスターがこの奥に」


 正確な状況は全く分からない。分かっているのは、マリカが此処で起きた事件に巻き込まれている、という事だけだ。


「ふん、どういった事情かは知らんが、お前の所有権は既に私にあるからそのつもりでいろ」


 ゆるゆると車を前進させ、サクの横に並べながら女が言った。はは、とサクは苦笑する。パーツ換算で算盤を弾くなどという、サクにとっては物騒極まりない真似をしていた女だったが、どうやら問答無用でサクを攫って行く気はないらしい。


「はは、了解です。でも十一歳の女の子ですからね。新しいドールと一緒にこの奥に入ったんですが――」


 言いながらサクは、未だ煙る前方を見遣った。炎は見えないが、どこかで火の手は上がったのだろう。爆発と、それに続く破裂音。テロであってもおかしくない状況に、サクの不安はいや増す。


「そのドールというのは、これだろうな」


 車内の何かを指しながら、女が言った。覗くとカーナビゲーションらしき地図を映した画面に、いくつか光点が点滅している。現在地を示す三角の印と重なるように一つ、その正面からこちらに移動している点が一つ明滅していた。女が指したのは、そのこちらへゆっくりと向かってきている点だ。


「AHMの座標ですか? じゃあこれが僕か……」


 現在地の三角印と重なる光点を指してサクは呟いた。


「そういうことだ。来るぞ」


 女の言葉に正面を注視する。たしかラセウスという名の青年型AMドールが、果たして姿を現した。マリカを連れていないか、と期待してサクはその背後を注視するが、残念な事にラセウス単品である。


 マリカに何が起こったのか尋ねようと、サクは一歩前へ出る。同じようにラセウスの姿を捉えた女が、隣で軽い感嘆の声を上げるのが聞こえた。


「ほう、今日は随分と面白いドールばかり当たるな」


 どういう意味か疑問に思ったが、それよりもマリカの事が優先である。マリカと共に行動していた彼ならば、何があったのか把握しているはずだ。


 マリカの安否を尋ねようと、ラセウスと相対して口を開きかけたサクに、ラセウスは真っ直ぐ右腕を伸ばしてきた。何事かと伸ばされた右手に視線を向ける。


 否、こちらに向けられた右腕の先端に手はなく、代わりに手首の部分からぽっかりと筒状のものが突き出ていた。細い煙が、その筒の先端からたなびいている。


「伏せろ馬鹿モンっ!」


 背後からの女の怒鳴り声に咄嗟にしゃがみこむ。急発進したジープがサクとラセウスの間に割って入った。


 無体を強いられたエンジンとブレーキが盛大に悲鳴を上げる。


 たたたたたんっ、と軽い破裂音が連続し、それに被さるように金属同士が高速でぶつかる様な甲高い音が、破裂音と同じ回数響いた。


「なっ……なんで。一体どういう事だよこれっ!」


 立ち上がりながら、サクは八つ当たり気味の問いを誰にともなくぶつける。


 下層回路は前後の状況から、ラセウスが右腕に仕込まれた銃を連射したのだと結論を出している。しかしそんな結論で満足するほど、サクの統合制御回路は安物ではない。何故マリカが懸賞で当てたドールであるはずのラセウスの腕に銃が仕込まれているのか。そして何故ラセウスはそれをこちらに向けてくるのか。そう、『状況把握には情報が不足』のエラーを出しまくっていた。


「違法品の改造ドールだ。しかも二重底システムときたもんだ。ふん、上物じゃあないか」


 そうサクの問いに返答するようにぼやきながら、何かを小脇に抱えた女がサクの側へ降車する。ジープの車体でサクを庇ってくれたのだ。


「あ、ありがとうございます」


 咄嗟に礼を言ったサクに、身を屈めてジープの陰に降り立った女は顔を顰めて忠告した。


「お前の代金は既に払ってあるからな。稼動する完品として払った値段だ、廃品になったら承知せんぞ」


「は、はいっ。――けど、燃料タンク大丈夫ですか?」


 あくまで自分の所有物を守っただけだ、といった風の女だが、ジープの方も被弾すればただでは済まない。特に燃料タンクに穴でも空けば、財産どころか自分が吹っ飛ぶはずだ。


「保証が無いから降りたんだ。前マスターとやらは見つかったか」


 軽く肩を竦めるようにして女が首を振った。マリカのことを尋ねられ、サクも同様に首を横に振る。


「いえ……あの、それ、何ですか? それと二重底システムって……」


 続けて女が抱えているものを指して尋ねる。いかにも手作りらしく、計器や制御盤らしき統一性のない形状の箱を、幾つものケーブルが繋いだ無骨な機械だ。何かの計測装置か発生装置のようだが、それ以上の予想はつかない。


「質問の多い奴だ。二重底システムというのは、マスター登録を本来のものとうわべだけの、二重に出来るシステムのことだ。うわべのマスターに従っているふりをしておいて、一定の条件を満たせば本来のマスターの命令に従い始める――いわば軍やら警察やらの潜入や、犯罪専用のプログラムだな。当然、家庭用AMドールが装備しているのは違法だ」


 だいぶ短くなった煙草を遠くに弾いて、女がジープから距離をとる。それに倣いながらサクはなるほど、と頷いた。


 マスター登録というのは、AHMの所有者がAHMのシステムに声紋を登録することである。AHMは声紋認証によって自分の所有者を認識し、あらかじめ設定されている義務と禁止事項に背かない範囲でマスター登録者の命令に従うのだ。義務と禁止事項はその国の法やAHMの用途によって異なり、それ以外のAHMの行動についての責任は、法的には所有者が全てとることになっていた。マリカのようにマスター登録者が未成年の場合は、法的責任は保護者が負う場合もある。


「つまり、ラセウスにはマリカ以外に本来の持ち主が居たわけですね」


「そういうことだ。そしてあの二重底ドールはどうやらタダのAM――アミューズメントタイプではなく、武器を仕込んである。まあ、武器を仕込まれたAMかAM偽装されたコンバットかは分からんが……これで利用目的が犯罪以外のほうが驚くな」


 くっく、と楽しそうに喉を鳴らしながら女は言った。


「本来の命令とやらは、お前の前マスターの抹殺か誘拐か……まあロクなもんじゃないだろうよ」


 闇商人に攫われたはずの自分と前マスターのマリカが同じ街に居て、しかもマリカがテロらしき爆発に巻き込まれた、などという事態だけで既に処理回路的にはお腹一杯だというのに、ラセウスまで事前情報と食い違いすぎる。そうサクの統合制御回路が悲鳴を上げていたわけだが、なるほど、予想外過ぎるとはいえここまで情報が集まれば、ある程度現状が推察できるというものだ。


 つまり、ラセウスはマリカに危害を加える目的でマリカに送られた違法ドールであり、おそらく今回、ラセウスは本来の目的を果たすためにマリカを此処まで誘導したのだろう。


「マスター=マリカ。何処にいるんだい? まだ案内したい場所まで着いていないよ。出ておいで。遅くなってしまう」


 妹に優しく呼びかけるそのままの口調でそう繰り返しながら、ラセウスが銃を乱射する。しかもジープの陰から垣間見えるラセウスは全くの無表情であり、これ以上は無いというくらいその言葉、表情、行動の組み合わせは不自然だった。同じ事を考えたのか、隣で女が呆れたようにため息をつく。


「ふん、まるで無気味の谷現象の教科書見本だな。そろそろ無気味を通り越して滑稽だ。しかし、十中八九誘拐目的だろうが、随分とお粗末なプログラムらしい。これでは標的も殺してしまうぞ」


 ああ、この感覚を「無気味」というのか、などと自分の回路の上等さに感心している場合ではない。先ほどまで声が聞こえたということは、マリカはこの近くに身を潜めているはずだ。乱射された銃弾がいつ彼女を射抜くかも分かったものではないのだ。


 幸いにしてジープの燃料タンクはまだ無事のようだが、ただ物陰で見ているだけでは埒が明かない。そうじりじりと移動を始めたサクを、片手を挙げて女が制した。見れば、抱えて出てきた無骨な装置を足元に設置している。


「待て。廃品になるなと言っているだろうが」


「ですが、このままでは……!」


「取り敢えず、あの邪魔なポンコツを止める。多分アレなら止まるだろう。お前も止まるだろうが気にするな」


 焦るサクに至極あっさりとそう言って、女は幾つか装置のボタンを押すと、一気に手元にあるツマミを捻った。




***




 時は三十分程度遡る。


 ラセウスによって怪しげな路地裏に連れ込まれたマリカは、最初こそ大人しくラセウスについて歩いた。しかし、どうにも雰囲気がおかしい、と不安になり、大通りから二つ目の角を曲がったところで足を止めた。


「ね、ねえラセウス。ほんとにこの先にカフェとかあるの? 全然、何もなさそうじゃない」


 再び繋いでいた左手に力を込めてそう尋ねる。マリカを見下ろしたラセウスは、にこりと笑った。


「ああ、大丈夫。間違いないよ」


 その言葉に安心し、手の力を緩めようとしてマリカは気づく。ラセウスの手が、びくともしない。


「あ、ラセウス、ちょっと左手痛いかな。離して?」


 しかし、それにラセウスは答えない。無言で、まるでマリカを引っ張っていくかのように早足で歩き始めた。


「ちょっ、ちょっと、ねえ、どうしたの? 待ってよ!」


 引きずられるようにして歩くマリカの問いかけが、次第に悲鳴に近くなる。強い圧迫感を感じる左手に、初めてマリカは「手を機械に挟まれているのだ」という恐怖を感じた。金属骨格の入ったドールの手でこのまま力を込められれば、自分の左手は無事では済まない。マスターの命令を聞き入れる受容装置や、力加減を制御する装置が壊れた瞬間、ドールは凶器になりうるのだ。


 左手を握り潰されるのではないか、という本能的な恐怖に、マリカは手を振りほどこうと反射的に暴れた。右手にぶら下げていた母親への土産も投げ捨てて、ラセウスの右手を振り回す。無我夢中で暴れていると、ぱかん、と音がしてマリカはしりもちをついた。しかし左手の圧迫感は取れていない。


 己の左手を見下ろせば、そこにはラセウスの手首から先が未だマリカ手を握ったままぶら下がっている。


「――っ! きゃあっ! やだっ!! やだっ!!!」


 完全に動転して左手を振り回す。それを無表情に見下ろしていたラセウスが、残るもう一方の手を座り込むマリカへと伸ばしてきた。眼前に近づくその手がとても恐ろしいものに見え、マリカは悲鳴を上げて後ずさる。


「どうしたんだい、マリカ。早く行こう」


 口調だけはにこやかにラセウスが近づく。その場違いさに突っ込む余裕も無く、マリカは必死で身体を起すと全力で逃げ出した。




***




 来た道を必死で逃げ戻るマリカを、相変わらず全く乱れない優しい口調で呼び止めながら、ラセウスが走って追いかけて来る。ドールの声はスピーカー出力で、そもそも走ったところで息が上がることも無いのが普通だ。普段の暮らしでは気にならない部分だが、こうなると無気味の一言に尽きた。


 意外に長い裏路地に、表まで逃げ切れないと判断したマリカは、横に伸びる別の細い裏路地に飛び込むと、目に付いたガラクタの山の中に潜り込んだ。そこには具合よく古い家電やコンテナ、廃材らしき板やシートが乱雑に積まれており、中に身を潜める空間はいくらでもありそうである。雨風やオイルで汚れたそれらに躊躇いも無く突っ込むと、ラセウスに見つからないように、と出来るだけ奥へ潜って、自分が潜り込むのに使った隙間を内側から塞いだ。


 息を潜めて様子を伺っていると、マリカを見失ったらしいラセウスが、壊れたオーディオのように全く同じ調子で同じ呼びかけを繰り返しながらマリカの隠れる路地の近くで立ち止まる。全く聞こえなくなった足音に、マリカは違和感を覚えてガラクタの隙間を覗いた。


 突然、爆竹が破裂するような音と共に、視界のなかで土煙がはねる。


 一瞬理解できなかったその現象が、ラセウスの乱射した銃によるものだと把握した次の瞬間、周囲のガラクタを震わせて、大きな爆発が近くで起きた。

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