第2話 タダより高いものはない。


『予備電源での起動を行いました。主電源の残量がありません。至急バッテリーの状態を確認してください』


 起動と同時に内部警告が平板な音声で通知する。マスター=ルーカスがこの平板な電子音声を嫌ったため、サクのシステム通知は音声出力されないよう設定されている。しかしサク自身には聴覚回路を経由して通知されるため、ほとんどその電子音声に叩き起こされた気分でサクは目を開けた。はっきり言って不快である。


「――パーツとしては総額でせいぜい八十万かそこらだろうが。ぼったくるのも大概にしろ」


 低く脅すような女の声が頭上から聞こえた。女性の手らしきものが後頭部の辺りに触れている。おそらく聞こえた声の主であろう。


「バラす前提で買うんが間違っとるんじゃ。じゃったら他を探せばええじゃろうが」


 苛立ちを多大に含んだ男のだみ声が少し遠くから反論する。光量が低いため高感度モードに切り替わったアイカメラが映したのは、薄汚れた少女型ドールの顔のアップだった。電源は入っていない様子にも関わらず、焦点の合っていない一対のアイカメラが真正面でサクを見返している。


(……もしかして僕、無造作に箱に詰められて売られてる……?)


 しかも、上で買取の商談をしている女は、買った後自分をばらすつもりであるらしい。サク単体を買い取るつもりなのか、サクが入っている容器ごとのつもりなのかは定かではないが、サクが買取内容に含まれているのは確実だろう。


「――ちょっ、冗談じゃない!」


 思わず悲鳴を上げて跳ね起きる。力を込めた四肢が、柔らかく丸みを帯びた物体の弾力を感知し、自分がドールの山の上に乗っていることを統合制御回路に伝えた。それに統合制御回路が、恐らく『嫌悪感』と呼ぶべき応答を返す。反射的に舌打ちして、サクは下敷きにしたドールを蹴りコンテナから脱出した。


「ああっ!? 動いたで!」


「……ほう。予備電源でも生きていたか?」


 怒鳴りたいのか驚いているのか分からない男のがなり声と、さしたる感慨もなさそうな女の感想を背に走り出す。人間の群れを掻き分けながら、サクは全力で小汚い裏路地を駆け抜けた。




***




 顔見知りの売人から中古ドールを買い叩いている最中だったアサキは、その目当てのドールが突然再起動して逃げ出しても動じず交渉を続ける。


「随分と変わったドールのようだな。普通予備電源なぞ付いていないが」


「そっ、そうじゃろう、ありゃあ凄いで。まだシステムも生きとるし、やっぱり二百五十万以上の価値はあるじゃろうが!」


 動くなどとは夢にも思っていなかったらしい売人の男(鑑定屋、という通り名で呼ばれているが、アサキから見ればその鑑定眼はほぼ節穴である)が唾を飛ばしてボルテージを上げる。正直五月蝿い男だが、値札をつける鑑定眼はともかく、良いものを拾ってくる嗅覚についてはアサキも一目置いていた。今回逃げ出したあのドールも、どうやら中々ない珍品のようだ。


「まあ、面白い機体ではあるようだが……しかしお前、どうやってアレを回収するつもりだ? 予備電源なんぞそのうち落ちるだろうが、この街の只中に転がったドールが、マトモにお前のところまで戻ってくると思うのか?」


 ふん、と笑ってアサキは鑑定屋を見遣る。此処はドール裏流通の中心地だ。自分たち以外にもドールに明るい人間は多く居るし、そういった連中が素直に持ち主(といっても目の前の連中も正規の持ち主ではないが)を探して返してくるとは思えない。


「――っ、おいカッツ、あのドールをはよ回収してこい!」


 そこまで頭が回っていなかったらしい鑑定屋が、頭に血が上ったまま怒鳴る。それにカッツと呼ばれた相棒の男が、困惑したように眉尻を下げた。


「無茶苦茶ゆうなや、こんな人ごみん中で、どっち行ったかも分からんのに」


 既に市が立ち始めてから一時間近く経過している。周囲の店でも客が商品の物色を始め、この裏路地を通る人の量も(狭いことも十分影響しているのだが)真っ直ぐ歩くのは困難なほどになっていた。逃げ出したドールの姿もすでに人ごみの向こうに消えている。


「全くだな。しかもカッツが居ない間に他の客が来たらどうするつもりだ。担いで帰らせるのか、そのドールを」


 腕組みをしたまま、コンテナに積まれたドールを顎で指してアサキが言い加えた。こういった露天市では現物即納が基本である。ドール本体のような大きな物を扱う場合は、どうしても二人以上の人出が必要だった。


「何が言いたいんなら」


「私があのドールを回収する。百四十万で手を打て」


 十二分にあの脱走ドールを回収する自信のあるアサキは、そう宣言した。鑑定屋はしばし押し黙る。おそらく脳内で、忙しく損得勘定の算盤を弾いているのだろう。


「……ちっ、ええじゃろう。その代わり先払いじゃ。百四十万払ってから行けや」


 やがて、まるで脅迫するかのような低い声で鑑定屋が唸った。鑑定屋の言葉に仕方がない、と頷いて、アサキは通貨カードを取り出す。鑑定屋の差し出したカードリーダに通して百四十万の金額と暗証番号を打ち込んだ。


「これでいいな」


 アサキがカードリーダを返すと、カードリーダの繋がる携帯端末から明細を出力した鑑定屋が、その明細を手渡しながら頷いた。


「まいどあり。ま、せいぜい百四十万円回収できるようがんばれや」


 起動可能な(しかも予備電源搭載の)ドールとしては決して高い値段ではなかったが、この街で紛失したドールを回収する事の難しさを良く知る鑑定屋は、それなりに機嫌よくアサキを送り出した。





***




 自分でもあるとは知らなかった予備電源が、残量警告を鳴らし続ける。予備だけあって大した容量はないのだろう。走るなどというエネルギー消費の大きい行動だったせいもあり、起動からものの五分程度経っただけで警告残量になってしまった。


 人の増えてきた表通りの、ショーウィンドウに手を突くようにして足を止める。顔を上げればショーウィンドウのガラスから、地味な顔立ちの少年がサクを見遣っていた。旧宗主国の多数派民族(というより殆ど単一民族に近かったらしいが)であった日本民族、及びその混血は、アキツにおいても大多数を占める。


 その日本民族を始めとする東アジア系黄色人種の、平均ど真ん中を取ったようなサクの容姿は、印象に残るほど崩れてもいないが特別際立ちもしない。ことに似たような顔の多いアキツの中では、十人の人間がサクを見たとして、八人か九人はサクの顔を二日で忘れるであろう、そんな特徴のなさっぷりを誇っていた。


 AM型ドールの容姿性格は、ある程度規定の枠はあるものの購入主の希望によりカスタマイズできる。通常市販される、大量生産型AMドールの容姿はパターン化されており、そのどれもが美しく出来ているが、(同じ人形を持つのであれば見目麗しい方が良いと思う人間が殆どだからだ)特注できるほどの金か、自分で製作・改造するだけの技術があればどれだけ趣味に走った容姿にしようと持ち主の勝手である。


 サクの初代マスターは、サクのメンテナンスも業者に頼まず自分でやっていた。彼のようにマスター自身がある程度AHMに詳しいのであれば、サクのような一般需要は見込めないドールを自分の思い通りに作ることも容易なのだ。


(だからって、ホントなんでこんな風に作られたのかなぁ、僕は……)


 初代(と思われる)マスターと別れて以後、何度となく繰り返した問いが頭を掠める。容姿もさることながら、サクは性格のほうも良く言えば人間的、悪く言えば地味でインパクトや魅力のない設定になっている。普通AM型に付加される、特徴的な「キャラクター」が存在しないのだ。


 普通、AM型ドールは購入され、最初に起動する段階で持ち主によって「キャラクター設定」がなされる。家庭用コンピュータに接続し、そのドールの背景設定や性格のタイプなどを決めていくのだが、これは漫画やアニメなどといったライトフィクションの登場人物のように抽出・類型化された項目をチェックボックス形式で選択していく作業になる。


 プライドの高い美青年が好きならば、好みの容姿の美青年型ドールを購入して、性格項目の「プライドが高い」にチェックを入れればいいのだ。人間に近い存在をパートナーとする、というよりも、お気に入りのキャラクターを三次元に持ち出している、と言った方が適切であろう。


 そんな中で、容姿もその辺りの人間となんら変わりなく、性格は面白みが無い上に、中古品ゆえかバグで性格設定の変更が出来ないサクに対して、前マスターであるマリカが示した反応は、「AMドールを」求めた十一歳の少女として至極マトモな反応だった。サクもその事は重々承知しているので、あまりマリカやメリッサに対して恨み言を言うつもりはないのだ。


 げんなりとショーウィンドウに映る己と見詰め合うサクの背後を、明確な目的地のある足取りで人々が行過ぎる。八つ当たり承知で、恨みがましくそれらの人々をガラス越しに見遣っていたサクの視界に、恐らく今、最も見たくない光景が飛び込んできた。


(マリカ! と、ラセウス……っ)


 仲の良い兄妹のように並んで、楽しげに通りを歩いているのは、まごうかたなきサクの前マスターと、サクの後釜である。此処はほぼ間違いなく、マリカの住んでいる街ではない。何ゆえ彼女が新しいドールとのデートにこの街を選んだのかなど、サクの内部データベースを参照した所で分かるはずも無いが、マリカが現在、この街でのデートをこれ以上は無いくらい満喫しているのは、ガラス越しの横顔からでも十分過ぎるほど伝わった。


(惨めだ……)


 マリカたちに気付かれないよう、更に背中を丸めて俯く。こんな所で発見されて、何故ここに居るのかなどと尋ねられたら目も当てられない。「電池切れ起こした所を闇業者に拾われて、挙句買い叩かれてパーツにばらされそうになった所を逃げてきた」などと惨め極まりない現状を告白するくらいならば、もう一度全力疾走で逃げてやる。そうバッテリー残量警告を無視して決意しながら、サクはマリカとラセウスが通り過ぎるのを待った。


 表通り同士が交わる大きな交差点に設置された、巨大スクリーンが映画の予告を流している。例によってガラスに映るそれを、上目遣いにボンヤリとサクは眺めた。

 どうやら颯爽と宙を舞うヒーローは、普段は普通の、冴えない男であるらしい。正体を隠したスーパーヒーローだ。マスター=ルーカスと共に暮らしていた頃に良く観ていた映画とは随分趣が違うが、興味をそそられてついサクは見入った。


(あー、僕にも実はああいう特殊能力があったらなー……って、ああ、駄目か。普通の人間の男は、冴えないながらも生存権があるけれど、冴えないAMドールに存在する価値はないんだよなぁ……)


 人間を含めた生物は、生存する事そのものが存在意義のようなものだけれど、自分たち人間による被造物は、「誰かの為に」存在しなければならない。「それ」が存在する事で、誰かが何がしかのメリットを享受するのでなければ、その存在に意義などなく、打ち捨てられて当然。それが『被造物』であるということだ。


 いっそマリカとラセウスのデートでも見守って、楽しくやっているのを見物しようか。そして、そんな事をしている間にさっきの女にでも見つかったら、その時は潔く諦めてパーツにでもなるか。そんな投げ遣りな結論に達して、サクはだいぶん遠ざかったマリカとラセウスの背中を追った。


 予備電源の残量など知った事ではない。もう予備電源が尽きるまでに主電源を充電するアテもないのだ。バッテリー切れで再び行き倒れたらそれまで、その時はどうせ、二度と起動することもないだろう。


(むしろもう二度と起動したくない……)


 正しく自暴自棄の状態で、再びサクはよれよれと歩き始めた。




***




 サクの先代マスターであるマリカ・シューレストは、五日ほど前に新しく手に入れた青年型AMドール『ラセウス』と共に、ブティックや雑貨屋、カフェなどが立ち並ぶ表通りを歩いていた。イソタケ市という名のこの街にマリカは初めてやってきたのだが、案内してくれたラセウスが言うところによると、惑星開拓当初から工芸を中心として発展した街らしい。今でも様々な珍しい工芸品が街のあちこちで売られているらしいので、ラセウスと今日一日、色々なものを見て廻る予定だった。


(ふふっ、工芸とかちょっと年寄り臭いかと思ってたけど、カワイイお店がいっぱいあるし。ほんとラセウスって最高。あたし、運がいいのねー)


 そんな事を考えながら、にたにたと緩む顔で隣のラセウスを見上げた。眩しい銀の髪がさらさらと風になびき、同じく銀の睫毛に縁取られた切れ長の碧眼が、優しくマリカを見下ろす。繋いだ手に少し力を込めると、ラセウスはにっこりと微笑んで手を握り返してくれた。連休であるのに母親が仕事で、一人退屈を持て余していたマリカを、ラセウスはこの街まで連れ出してくれたのだ。


 ラセウスと初めての秘密を作るのが楽しくて、母親には内緒で昨晩出てきてしまったのだが、きっとこのお土産の小物入れで許してくれるだろう。手にした土産の紙袋を前後に揺らしながら、マリカはこっそりと心の中で母親に謝った。


 たった十一歳の子供がAMドールを持つ。それは社会的に決して推奨されている事ではなかったが、子供たちの間では、この「AMドールを持つ」というのがある種のステータス、学級内での自慢話の種になっていた。


 ドールを持っているということは、親が裕福だったり子供に甘いという象徴でもあり、高級なドールを持っているほど周囲の級友たちから尊敬される。マリカの通う学校は比較的富裕層の子女が通う所でもあり、マリカ以外の級友たちは、大抵ドールを持っていて、持っていないマリカは馬鹿にされたり、憐れまれたりと悔しい思いを随分してきた。


 三ヶ月前、常々ドールが欲しいと駄々をこねていた自分に母親は、『サク』という名の少年型ドールを持って帰ってくれた。しかしこのドールはどうにも容姿が冴えない上、性格も口煩くうざったくて、とてもではないが級友たちに自慢できるような代物ではなかったのだ。


(宿題しろとか、好き嫌いして夕飯残すなとか、ドールっていうよりガミガミ屋の先生が家にも居るみたいでやってらんなかったんだもん……しかもビシッっとしてるんじゃなくて、なんかこう歯切れが悪いっていうか、気弱っていうか……ほんっと、冴えないドールだったよねー……しかも性格設定が変えられないんだもん。ほとんど壊れかけのポンコツじゃない)


 近くでそのサクが人生(?)の最期を覚悟しているとも知らず、散々な感想を心中で述べる。家に送られてきたダイレクト・メールの懸賞に気まぐれで応募したところ、A級AMドールのラセウスが当たった事もあり、ラセウスが来た次の日にはサクを母親に処分してもらった。今頃どうなっているかは知らないけれど、きっとゴミ処理場にでも行ってしまったのだろう。そんな勝手な想像でサクの人生を現実よりも一足先に打ち切って、マリカは前方に見えた可愛らしい外装の喫茶店に目を留めた。


「あっ、ねえラセウス。あのお店入ってみたい! ね、一緒に入ろう?」


「ええ、いいですよ。行きましょう、マスター=マリカ」


 優しくてマリカに甘い設定にしたラセウスの、その言葉に満足げに笑って、見栄っ張りで少々わがままな少女マリカ・シューレストは喫茶店へと足を向ける。


(そうだ、サクみたいなのを引いちゃったときに言う言葉思い出した。『タダより高いものは無い』って言うのよね)


 先日語学の時間に出てきた日本語の諺を思い出し、うんうんと頷いた。サクは母親が知人から無償で譲り受けた、いわゆるお古だった。その辺りもマリカは気に入らなかったのだ。


 しばらく歩いたところで、ふと思い出したようにラセウスが足を止める。何であろうかと見上げたマリカを見下ろして、ラセウスは少し困ったような表情で言った。


「ああ、マリカ。忘れていた。この店もいいけれど、今日君を是非とも案内したい店がこの近くにあったんだ。そっちでは駄目かな?」


 ラセウスのその言葉に、今日の為にきっちり下調べをしていてくれたと感動して、マリカは喜んで頷く。


「えっ、そうなの? 行く行く! 早く言ってよー。どんなところ?」


 はしゃいで繋いでいた手を離し、恋人のようにラセウスの腕に抱きついたマリカは、そのラセウスの内部制御が、たった今切り替わった事に気づく筈もない。


「うん、ちょっと奥まってて、隠れ家みたいなところなのだけどね……」


 そう言いながら近くの細い路地に入るラセウスに、何の疑問も無く付いていったマリカは十分後、悲鳴を上げながら必死で来た道を逃げ戻る事になる。


 正しく『タダより高いものはない』事を身をもって思い知りながら。




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