第10話 執事デュラス
ジュリアを見送った執事デュラスは準々男爵屋敷へと帰宅した。
大嵐が来たら一撃で吹き飛びそうな屋根を見て、デュラスはそろそろ修繕が必要だとひとりごちる。
「ただいま戻りました」
家長のレオン・シーザーへ聞こえるようにして帰宅を告げ、朝食で使った食器を洗い、レオン用の煎じ薬を一時間かけて作る。
本来であれば煎じ薬をそのまま薬師から買えばいいのだが、煎じ済みの薬だと値段が二割増しになる。家計が苦しい状況を考えると、自分で煎じて作ったほうがぐっとお得になるため、デュラスは時間をかけて薬師の知識を学び、ここ数年は屋敷で薬を飲める状態にしていた。
デュラスは慎重に分量を量り、薬を火にかけた。
使い古した小鍋がぐつぐつと音を立てる。
小鍋が吹きこぼれないように注意しながら、デュラスはカイゼル髭をひねり、ジュリアの姿を思い浮かべた。
かつて魔鉱石ハンターとしてパーティーを組んでいた、ジュリアの母親、メイリス・シーザー。ジュリアの紺色の髪と大きな瞳は瓜二つと言ってもいいほど彼女によく似ている。瞳の色はレオンゆずりの黄金色で、独特な色合いをしていた。
多大な恩義のあるメイリスとレオンの娘。
メイリスがこの世を去った今、デュラスにとってジュリアは守るべき大切な宝だ。
だが、人付き合いが苦手で優しすぎる彼女は、いつもどこか寂しげだった。紺色の髪を垂らし、部屋の隅で泣いているジュリアを見て、デュラスは何度も胸が締め付けられた。また、ジュリアは魔術ができない自分を責めていた。
レオンとデュラスで捻出した高額な学費も彼女には追い打ちになっていたようだが、父であるレオンはジュリアには才能があると固く信じ、彼女を見守るようにと常々言っていた。デュラスは余計な言葉はかけず彼女が寂しくならないように配慮した。
根を詰めるジュリアを見て、心が破裂してしまうのではと、デュラスは気が気ではなかった。
それゆえデュラスは、少しでも発散できればと、彼女が苦言を呈することのできる絶妙な不謹慎トーク技術を身につけた。「こらこら」とジュリアが自分を叱ることで、彼女の寂しさが紛れればという一心で、デュラスは軽口を叩き続けている。
そんなジュリアは、今朝変わった。
ジュリアらしい優しさは消えていないが、彼女になかった力強さのようなものがいつの間にか備わっていたのだ。
ジュリアの母親である、高名な魔術師メイリス・シーザーが言っていた言葉をデュラスはふと思い出した。
『この子は普通の子どもと少し違うわ。だから、いつの日か急激に成長するときが来るでしょう。もしそうなった場合、驚かないで受け入れてくれるかしら?』
ジュリアが変わることをメイリスはわかっていたらしい。
なんでもお見通し、と茶目っ気たっぷりに言うメイリスの顔を思い出して、デュラスは懐古にとらわれる。涼しげで、人に優しく、他人にも自分にも厳しいメイリスが今にも背後から現れそうだ。
デュラスは振り返った。
古いダイニングテーブルと修繕だらけの椅子がそこあった。
「故人に縋るは
詩人の言葉をぽつりとつぶやく。
ぐつぐつと煮えている小鍋に言葉は吸い込まれ、幻想も消えた。
きっかり三十分が経った。
デュラスは小鍋をコンロから鍋敷きの上へ移動させ、グールなど死霊魔物の傷を修繕する秘薬を棚から出した。
魔術瓶に入っている死霊抗体秘薬はほんのりと発光している。
魔鉱石
小さじ二杯分を煎じ薬へ落とし、銀の棒でゆっくりとかき混ぜる。
これを三十分続ければ飲み薬の完成だ。
一杯あたり銀貨十五枚。一万五千ラピスとかなりお高い。
デュラスは完成した飲み薬をレオンのいる寝室へと持っていき、ドアをノックして部屋に入った。
「レオン様、薬をお持ちいたしました」
「……助かる」
苦しげな表情でベッドから起き上がると、レオンが赤髪を無造作になでつけてデュラスを見た。
症状が重くなってかれこれ二年経つが、レオンの身体はわずかに衰えている程度だ。しかし、全身には絶え間なく痛みが走っているはずであった。
弱音を一切吐かないレオンの精神力と肉体の頑強さにデュラスは驚嘆し、そして彼がまだ生きていることを神に感謝した。
デュラスは音を立てないように枕元のテーブルに薬を起き、まずは水を飲ませた。
一口飲んで落ち着いたレオンが、口を開いた。
「ジュリアは……無事に行ったか……?」
「はい。元気なお姿で出発されました」
「……あの子が魔鉱石ハンターになりたいと言い出したのは運命なのだろう」
「そうかもしれません」
「止められるものでもないか……」
「反対するお気持ちはわかりますが、ジュリアお嬢様も一人で歩くべき年齢です。見守ってあげましょう」
「そうだな……」レオンは深く息をついた。「メイリスの言っていたことは本当だったみたいだ」
「そのようですね」
レオンが懐かしむように目を閉じた。
愛する妻メイリスの突飛な言葉を楽しんで聞いていたレオンにとって、ジュリアが明るく、言いたいことを言うようになったのは、疑問を抱くのではなく受け入れて当然の出来事だった。メイリスの発言はいつでも物事の核心をついていた。
「ジュリアはきっと、自分自身を見つけることができたんだろう」咳き込みながら、レオンが言った。「あの子が感じていた寂しさには、目に見えない何かが必要だったんだろうな。それが何なのか、俺にはわからんが」
レオンはもう一口水を飲み、デュラスに向かって口角を上げた。
「見たか、ジュリアの笑顔を? あの子はメイリスに似て美人だぞ」
レオンは今朝見せたジュリアの笑顔を思い出したのか、目頭を指で押さえた。
今までのジュリアを思って貰い泣きしそうになるも、デュラスはぐっとこらえてレオンの前に飲み薬を差し出した。
「そんなことでは天国にいるメイリス様に叱られますよ。まったく、天下に名を馳せた魔術剣士が聞いて呆れますね。さ、煎じ薬です。お飲みください」
「ああ……。歳を取ると涙もろくなってしょうがないな」
レオンがコップに波々注がれた薬を受け取った。
「あなたにはまだまだ生きてもらわねば困ります。ジュリアお嬢様のためと思って奮起してください」
「まかせておけ」
「さ、一気に飲んでください。苦いなど言わないでくださいね。ジュリアお嬢様にお叱りを受けますから」
「……それはそれでいいんじゃないか?」
レオンのとぼけた発言に、デュラスは思わずかつて仲間だったときのように噴き出した。
「何を言ってるんですか」
すぐに姿勢を戻し、お飲みくださいとレオンに催促する。
レオンは飲み薬を見て顔をしかめるも、躊躇せず飲み干した。
デュラスはコップを受け取ってお盆に乗せ、水を差し出すと、レオンは一息ついてから、苦味を消すようにゆっくり水を飲んだ。
「今頃、ジュリアは試験中か」
コップをデュラスに渡しつつ、レオンが窓の外を眺めた。
「さようでございますね」
「……心配だ」
「……心配ですね」
レオンとデュラスはジュリアが転んでケガをしないか、名前を答案用紙に書き忘れないか、迷子になっていないかなど様々な想像をしてしまう。
二人は彼女の合格を祈りつつも、とにかく元気な姿で帰ってくればそれでいいと思うのであった。
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