第5話 自分で起き上がるなんて


「自分で起き上がるなんてどうしたの!?」


 私が問いただすと同時に、デュラスがお父様に肩を貸してダイニングの椅子に座らせた。デュラスは仏頂面ではあるが、心配している心情が手に取るようにわかった。


「ジュリアの楽しげな声がふと聞こえてな。一人で動けると思ったんだ……。デュラス、水をくれ」


 お父様は肩肘をテーブルに乗せ、溜め息を吐くようにつぶやいた。

 デュラスが井戸から組んできた新鮮な水を水瓶からすくい、木製のコップに移して音もなく差し出した。


 それを受け取ると、お父様は喉を鳴らして一気に飲んだ。


「すまん、助かった」

「お父様、一人で起きちゃダメじゃないの」

「おお……おおおっ……ジュリア……」


 お小言を言う私を見て、お父様はなぜか感極まったのかすがりつくようにして立っている私の腰を抱きしめ、平べったいお腹に顔を埋めた。


「お、お父様っ?」

「ジュリア。今日のおまえは母さんにそっくりだぞ……。どんな心境の変化があったのか分からないが、おまえが元気だと力が湧いてくるような気がするよ」


 そこまで言ってお父様は私のお腹から顔を離し、抜け落ちた忘念が呼び覚まされたかのような悲しげな表情になると、すぐに気持ちを切り替えて、宝物を見つけたみたいな目を私に向けてきた。


 傾国の美女とまで謳われた今は亡きお母様、メイリス・シーザー。


 お父様は平民の身分にも関わらず、他国の貴族令嬢であったお母様の美しさと芯の強さに惚れ込み、お母様に求婚するために貴族になったという。半ば駆け落ち同然で結婚した二人は幸せであったが、もともと身体の強くなかったお母様は私を産んだ三年後に死んでしまった。


 デュラスの話では、才女であったお母様は自分が長く生きられない身体だと知っており、無理をして私を産んだのは人並みの幸せを得たかったことと、お父様の血筋を絶やしてはいけないという強い使命感のためだそうだ。


 お母様もお父様にずいぶんと惚れ込んでいたらしく、二人がこのボロ屋敷に住んでいた頃は、それはもう甘い雰囲気が常に漂っていてデュラスは胸焼けがして仕方なかったらしい。私は幼かったため、二人が仲良さそうに話している記憶がぼんやりと残っているだけだ。


「俺のことは気にせずに、しっかりと勉学に励むんだ」


 お父様は弱々しい手つきで私の右手を握った。


「この世には目に見えるものと、見えざるもの、その二種類しか存在しない。俺が愛したメイリスの娘であればその両方に自然と感覚が向くだろう。おまえが魔術の勉強を懸命にやっているのは分かっているよ」

「……はい」


 高名な魔術師であった母とは違い、ジュリアは魔術も勉強もダメダメだった。

 私は心配をかけてしまったこと、期待にこたえられなかったことで心苦しい気持ちになり、思わず顔を伏せてしまった。


 そんな私を見て、お父様はいたわるように頭をなでてくれる。お父様はいつでも優しかった。


「俺は死なない。ジュリアが結婚するまで死んでたまるものか。婿となる男に一太刀浴びせねば気が済まん」

「レオン様、婿殿にあなたの一太刀を浴びせたら治癒魔術をかける時間もなく死んでしまいます」


 デュラスがさもおかしげに注意を入れた。


「おお、それはそうだな」

「ですが、お気持ちは分かります。僭越ながら、ジュリアお嬢様がご結婚される際はわたくしめも婿殿にこの拳をご祝儀として献上することにしましょう」

「名案だ、デュラス」

「まだまだ錆びついておりません故、どうぞ威力のほど、ご期待ください」


 そう言ってデュラスは目にもとまらぬスピードで拳を繰り出して空気を裂くと、恭しく執事の礼をした。


 前々から思っていたが、どうも二人は過保護すぎる気がしないでもない。相手すらいない状態で婿にワンパンチご祝儀を入れると息巻いているのも、私がいかに二人に愛されているかのいい証拠だ。ちょっと恥ずかしいけど。でも、愛されているとを感じられて嬉しいので、何も言わないでおく。


 それよりも、もっと大事なことを伝える必要があった。

 反対されても進路については押し通さないといけない。


「おほん」軽く咳払いをして、盛り上がる二人を見つめた。「お父様、デュラス、進路についてお話しがあります」


 私の真剣な態度を見て二人は会話をやめ、こちらを見た。

 姿勢を正して前に立つ。背の高いお父様は座っていても立っている私より目線が少し低いぐらいだ。


 お父様の優しげな黄金の瞳と、デュラスの静かな灰色の瞳が何度か瞬きした。


「進路がどうしたんだい?」


 お父様が椅子に深く座り、呼吸を整えた。


「ジュリアは帝国貴族学校に行くんだろう。学費について心配しているのか? それなら大丈夫だ。お父さんが金を稼いでくる。何も気に病む必要はない」

「……私は、お父様が心配なの。もう無理はしてほしくない。それに、帝国貴族学校は貴族の子息令嬢が互いの顔色をうかがいながら勉学をする、政治的な意味合いの強い学校だわ。準々男爵令嬢の私が行っても、きっとうまく馴染めないと思う」

「それはそうかもしれない。しかし、ジュリアにはいい婚約者を見つけてほしい。帝国貴族学校へ行けばきっと良縁にめぐりあえる。それに、父さんの古い友人も講師として在籍しているから便宜は図ってくれる」

「……学費が……高すぎるよ」


 政治的な面をのぞけば、進路の選択肢としては悪くない。高水準の学問を学べるというのは間違いないのだ。


 ただ、学費が高い。

 超と付け足したいぐらい高い。


 帝国貴族学校の学費は――年間で金貨40枚。つまり、400万ラピス。


 これはない。ホントにない。金貨40枚もあれば家族五人が一年は暮らしていける金額だ。一方、我が家の収入は準々男爵の年俸が金貨10枚。大赤字で台所は火の車どころか火の大型ダンプカー状態だ。大爆発まったなしだ。


「学費400万ラピスは高すぎるよ。現実的じゃない」

「そんなことはないぞ。今に病気も治るから、父さんにまかせなさい」

「お父様……今にも倒れそうだわ」

「なあに、本気になればこんなのなんでもないさ。グールが千体来ても倒せるぞ」


 娘の行く末を案じているお父様の意思は固いのか、目が真剣だった。お父様は無茶を押し通すことのできる人だ。多分、放っておいたら本当に学費を稼いできてしまう。もし、そんなことをしたら、今度こそ死んでしまう。


 デュラスを見ると、私と同じことを考えているのか表情がこわばっていた。

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