第2話 虹色の二枚羽
虹色の二枚羽、尖った耳、端正な顔立ち、小さな体躯――
その姿は教科書や図鑑に載っている、誰しもが知っているけれど誰も肉眼で見たことのない、精霊そのものだった。
この世界では精霊の存在は信じられているし、実際に存在を確認することはできる。
ただし、確認するといっても、
唯一、例外があるとすれば『精霊魔術師』だ。
精霊魔術師は精霊と直接契約することによって、
日本のサブカル的な解説をするならば、無詠唱で魔法が唱えられる、といった感じだろうか。
また、精霊魔術師であれば、
ジュリアの記憶によれば、この国には精霊と契約している現役魔術師は現在いない。ゼロ、皆無、とされているのだけれど――
『君……ボクを手に、のせてよ……そろそろ限界なんだ……』
精霊さんが咎めるようにして上目遣いで見てくるので、私はすぐに両手で皿を作った。
ふわふわと浮いていた精霊さんは具合が悪そうに寝そべった格好のまま落ちてきて、私の両手の中に収まった。こたつでみかんを食べながら特番を見ているお父さんみたいな姿勢であった。
『
青白い顔で精霊さんが言った。
オパールのような輝きの瞳が、私をとらえた。吸い込まれそうだ。
「
『ふぅん……無理はないか』
精霊さんは一息ついて起き上がると、私の手の中であぐらをかいた。
『君の存在はずっと希薄だったからね。ボクが何度呼びかけたって聞こえた素振りがなかったもん。でも、今は違うんだね』
「ええ、そうなの。今は違うの。私は私になったんだよ?」
嬉しくってつい弾んだ声で精霊さんに言った。
彼は私の声を聞くと、無邪気に微笑んで羽を動かした。朝日に反射する羽が虹彩を作って淡く光った。
『私が私? なのはよくわからないけどさ、君は笑っているほうがよほど綺麗だよ』
「そ、そう。ありがとう」
あまり褒められたことがないから頬が熱くなった。急にそういうことを言わないでほしい。
『水晶女王に言われて君のところに来たんだけどね、二年くらい気づいてくれないから途方に暮れたよ、ボク』
「え、二年も私の近くにいたの?」
『そうだよ〜』
「それは……気づけなくてごめんなさい。えっと、それで、何か理由があって私の近くに……?」
『やだなぁ、そんな悲しい顔しないでよ』精霊さんがびびび、と虹色の羽を揺らして白い歯を見せて笑った。『そりゃあアレだよ。君と契約するためだよ』
今、この精霊さん、なんと言った?
まさかとは思うが、契約、と言ったのではないか?
契約と言えば契約だ。あの、契約だ。
精霊と契約したら、もちろん精霊魔術師となる。
精霊魔術師は国を代表するような超高名な魔術師にしかなれないと言われている、あの魔術師であって、神話とか童話とか伝記とか吟遊詩人の歌とか、色々なところでみんなに知られる存在だ。
『君、大丈夫かい。目が回ってるみたいだけど?』
精霊さんが浮かんで、私の頬を思い切り引っ張ってくる。
「ごふぇん。らいじょうふ」
『アハハッ、変な顔』
私の変顔に満足したらしく、精霊さんが両手を頬から放してまた私の手のひらに座った。
『じゃ、契約しようよ』
無邪気な表情で精霊さんが両手を広げた。
何度見ても綺麗な顔と、美しい二枚羽、吸い込まれそうなオパール色の瞳だ。
「本当に……いいの?」
『いいよ〜』
「ノリが軽くないかしら」
『ノリ? みんなこんな感じだよ?』
「そうなんだ」
『でも不思議だね。君ったら昨日までしょぼくれていて魔力が固まっていたのに、今はそよ風みたいに爽やかな魔力が君のまわりを回っているよ。二年間頑張って君に気づいてもらおうとして疲れたけど、君に触れていたら元気になったしね』
「気づけなくてごめんね……」
二年も私のそばにいてくれた精霊さんに申し訳ない気持ちがあふれてくる。
『ああ、いいんだよ。別にそんな退屈だったわけじゃないし』
軽い調子で精霊さんが手を振った。人間くさいその仕草に、なんだか可笑しくなって笑みがこぼれた。
「わかったわ。契約しましょう」
私は深くうなずいた。
『わーい。じゃあボクに名前をつけて。ボクがそれを認めれば契約成立だよ』
「名前をつければいいだけなのね」
こくり、と精霊さんがうなずいた。
名前なんてつけたことがないから困るな。二人分の記憶をたどってもいいアイデアは浮かんでこない。どうしようか。
『カッコよくて、オシャレで、それでいて色を感じるような名前がいいなぁ』
「ハ……ハードル高いね?」
『えへん』
両手を腰に当てて得意顔をされた。全然威張るところではない。でも、可愛いから許しちゃうって気持ちにコンマ二秒でなった。
両手を皿にしたまま、窓の外を見てみる。
いつもと変わらない帝国都市郊外の街並みが、今は違って見えた。
そういえばさっき水晶女王に頼まれて、と言っていたな。水晶……色を感じる……よし。
「決めた。あなたの名前は虹のレインボーから取ってレイよ。ちょっとありきたりかもしれないけど――」
『虹?! 虹の名前なのかい?! いいよいいよ、ボクはレイ! レイだよ!』
精霊さん、レイが私の手のひらから飛び上がり、くるくると空中で回転してピタリと止まり、ポーズを取った。鼻高々、といったおすまし顔だ。
すると、私とレイの胸元が明るく輝いて光が糸のように伸びて繋がり合うと、もう一度発光して粉雪みたいに散った。
「これで契約完了?」
『そうだよ〜』
レイはフィギュアスケート選手みたいに空中を滑走しながら嬉しそうに飛んでいる。
「喜んでくれてよかった」
『水晶の精霊は虹色が大好きなんだよ』
「レイは水晶の精霊さんなのね」
『あれ? 言ってなかったけ?』
「今初めて聞いたよ」私はレイが飛んだ道筋に残る光の残滓を目で追った。「それで、聞きたいことがいっぱいあるんだけどいいかな?」
『ふぁっ……なぁに?』
レイは飛び回るのをやめると、急に眠たそうに目をこすって、私の簡素なワンピースのポケットに滑り込んだ。
「あら、眠いの?」
『うん。急に眠くなっちゃったよ、ボク。起きたら色々お話ししようね』
「ポケットの中で寝たらあぶなくないかしら」
うっかり転んだりしたらレイを踏み潰してしまうかもしれない。葵は運動神経がよかったけれど、ジュリアはあまり得意ではなかった。魂が融合したらしい今なら平気だと直感で感じても、無茶はするべきではない。
『大丈夫だよ〜。ボクは他人には見えないし、ポケットに物を入れてもすり抜けるからね』
「それならよかった」
ジュリアであった繊細さのせいか、平気と聞いても心配になってしまい、両手でレイの入っているポケットを包み込んだ。
『ねえ……君は魔術を使えるようになったよ……』
「……本当に?」
『ふぁぁ…………うん、本当だよ』
「……」
レイと契約して使えるようになったら嬉しいなと思っていた。でも、心のどこかで自分が魔術を使えるとは思えなかった。
私、ジュリアは魔術がまったく使えなくて、お父様が無理をして学費を捻出してくれた帝国魔術師学校でもビリの成績だった。座学もぼろぼろ、いいところなしだ。
私が私になった今となれば理由がよくわかる。ジュリアの地頭力はこの帝国内でも上位に入るが、魔術は失敗が怖くて
私、頑張ったよな。たくさん勉強もしたし、魔術の練習も怠ったことはない。毎日必死になって勉強して、
でも、やっぱり、魔術を使いたかった。
成績不良で卒業したことがお父様に申し訳なくて、ずっと部屋で泣いていた。
病気でつらいのに、魔物の討伐に出かけたお父様のあの背中が、今でも忘れられない。あんなにも私のことを思って、身体に鞭打って学費を稼いでくれたのに、成績が一向に上がらなかった自分が不甲斐なくて、歯がゆかった。どれだけ努力しても報われなかった。
部屋にある手作り勉強机に近づいた。
机の上に置いてある杖を手に取り、大きく深呼吸をして、前方に構える。
失敗したらどうしようと弱気なジュリアが顔を出すが、自分には勇気があるんだと言い聞かせる。
リラックスした姿勢を取り、祈るような気持ちでゆっくりと
「――【
ふっ、と身体から何かが抜けたような気がした。
一秒を待たず、安物の杖の先から、ふわりと光がこぼれた。
小さな光だったけれど、たしかに光の魔術が成功した証だった。
食い入るように杖の先で輝く光を見つめていると、手が震えて胸のうちから熱いものが込み上げてきた。やがて光が消えると、朝日が部屋とワンピースを照らした。
『今まで毎日練習していたもんね……?』
レイがポケットから顔を出して、眠そうにしながらも笑ってくれた。
『ジュリア、よかったね。君はこれからも色んな魔術を使うんだよ。今の魔術はその第一歩だね』
レイの優しい言葉にぐっと胸がつまった。
『あとで他の魔術も試してごらんよ? ね?』
「……うん」
『泣き止んだらリビングに行きな。もうご飯ができている頃だから、ね』
「……ゔん」
とめどなく涙があふれて、瞳が熱かった。
私は、生まれて初めて一つのことを達成した。
満たされた充足感は、過去の自分を認めているような気がして、校舎裏でひっそり
「……レイ……ありがとう………」
『ボクは寝るよ。またあとでね〜』
「……おやすみ」
『あっふ……』
ポケットに潜り込むと、レイはあくびをして眠った。
涙を袖で拭きながらそっとポケットの口を開けてみると、そこにはたしかにレイがいるような気がした。でも、肉眼では確認ができない。そこにいるけど見えない。彼がポケットに入っても大丈夫と言っていた意味がわかった。
「あとがとう、レイ……」
しばらく魔術を使えた余韻にひたり、ぼんやりと窓の外を眺めた。これから新しい私の人生がはじまるような気がして、自然と笑みが浮かんでくる。今の自分は泣き笑いみたいな、おかしな顔になっていることだろう。
よし。いつまでこうしていても仕方がない。
建設的に考えよう。時間は有限だ。
ワンピースの袖で涙をふきふきしつつ、魔術が使えるなら自分の進路は決まったな、と頭の中で道筋を立て、今後やるべきことについて考えた。
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