精霊魔術師ですけれど何か文句がおありでしょうか?

四葉夕卜

   

準々男爵令嬢ジュリア・シーザー

第1話 私は私だった



 私は私だった。


 右田葵であった私はとある事件に巻き込まれて死に、ジュリア・シーザーになった。

 普通であれば混乱するだろうし、取り乱して大騒ぎするのかもしれないけど、私であった右田葵は、私であったジュリア・シーザーの元へと戻ってきただけだと感覚で分かった。


 おそらく、なんらかの理由で魂が二つに分かれ、私と私は離れ離れになっていたんだと思う。


 右田葵であった私は死んだというのに心の痛みは感じないし、すんなり現実を受け入れている。この予測が真実だと心のどこかで確信していた。


 ベッドからゆっくりと身体を起こし、右手を上げ、続いて左手を上げてみる。


 自分の身体に違和感をおぼえず、すんなり動かすことかできた。

 上げた両手を目の先に下ろすと、枝のように細い手首が寝間着の袖からのぞいた。指先は骨が浮き上がり、動かすと薄い血管が形を変える様子が見える。


「細い……」


 日本にいた私は健康体そのもので、スポーツジムでインストラクターをやっていたため、標準体型だった。


 この世界の私はかなり痩せている。

 棒きれのような身体だ。


 日本の知識が丸ごと乗り移った私は、この事実に危機感を覚えた。

 ジュリアと融合した記憶を探ると、どうやらこの身体は太りにくく、痩せやすい体質らしい。お酒が入ったチョコレートケーキで酩酊したことからも、肝臓があまり強くないと予想できる。


 加えて、私のシーザー家は貴族の中でも最下層にあたる“準々”男爵だ。準男爵ではなく、準々男爵。土地は与えられず、世襲もできず、国から年に一度金貨十枚の給金があるだけの、一代限りの貴族。二百年前に愚王が作ったその場しのぎの爵位で、もちろん爵位の最下位。商店街で個人店を経営している一般市民のほうが裕福だ。準々決勝みたいな爵位、やめい、と愚王にはツッコミを入れたい気持ちになる。


 しかも私のお父様は現在病気を患っており治療費が非常に高額であった。

 すなわち、私の家はものすごく貧乏だ。


 貧乏ということは食うにも事欠くということで、必要なカロリーを摂取できない。痩せ型のタイプは自分で思っているより多くの食事を必要とする場合が多く、過去にジムでそういった会員の女の子を多く見てきた。ジュリアである今の私は十六歳なのでまだまだ育ち盛りだ。食事問題は早々に解決しないと将来に関わる。


 ひとまず現状を自分の目で確認するため、考えを打ち切った。

 春先の朝にふさわしい肌寒さを我慢し、布団を押しのけてベッドから下りる。

 立ち上がってヒビの入った姿鏡の前に立った。


「紺色の長い髪に、黄金の瞳」


 鏡には紺色のストレートヘアを肩にのせた、ぱっちり二重の少女が立っていた。


「身長は一五五……六ってところね。体重計はないけど、この感じだと三◯キロ代前半かもしれない。胸もぜんぜんない……」


 健康診断をうけたら確実に、痩せすぎ、と診断される体型だ。

 年季の入った木製のクローゼットを開けて萌黄色の簡素なワンピースを取り出し、寝間着を脱いで肌着の上から着込んだ。


 だぼだぼのワンピースのせいでさっきよりもやせっぽっちに見える。


 それでも、今の気分は最高だった。

 春先に吹き抜ける爽やかな風のような気分だった。


「あー、あー。私は元日本人、右田葵。今は準々男爵令嬢、ジュリア・シーザー」


 せっかくなのでいつぞや映画のワンシーンで見た、無線の発信っぽく発声練習をした。


「私は私です。生まれ変わった気分です。いつも感じていた虚無感が一切ありません。これが本当の私なのです。繰り返す、これが本当の私なのです」


 思っていることを口に出すとスッキリするのは世界共通だ。この場合は異世界共通といったほうが正しいかもしれないけれど。


「右田葵であった私は思いやりがなく、短気で、気の利かない女でした。その代わり、気が強くて押しも強く、負けず嫌いでした。どこか欠けている人間だと担任の教師に言われたときは落ち込みましたけど、仕事は一生懸命がんばりました」


 右田葵であった自分の性格を分析し、彼女であった自分自身に哀悼の意を捧げるつもりで声に出す。


「ジュリア・シーザーであった私は引っ込み思案で、押しに弱く、いつもべそべそ泣いている内気な女の子でした。その代わり、他人の気持ちを多く汲み取れる優しい子で、感受性が豊かでした。そのせいで多くの損もしましたが、彼女は内気で優しい少女だと周囲からは認識されました。しかし、どこか虚しい気持ちに捕らわれており、自分が本当の自分ではないような気がしていました。いつも自分に自信がありませんでした」


 ジュリアが常に感じていた虚無感を口に出した。

 鉛のように重かった心がさらに軽くなり、背中に羽が生えたような気がした。


「私達は、ようやく自分になれました。今ならどんなことでもできそうです」


 ジュリア・シーザーである私と、右田葵である私は二人で一人だった。

 私と私、ジュリアと葵は融合し、本来の姿に戻った。


「以上――交信終わり」


 記憶は統合され、性格までもが混ざり合っているみたいで少し変な感じもするけど、どっちの人格も死んでおらず、それがかえって心強い。一人ではできなかった合理的な考え方や、感じることができなかった感情が、今では補完し合って脳内で渦を巻いている。こうして呼吸をしているあいだも私達は混ざり合って一人の人間になっていく。


 怖くない。

 つらくもない。

 感じていた虚しさはどこにもない。


 また離れ離れになることのほうがどれだけ恐怖か分からない。


 自身の片割れを失った状態で生きていた今までの十数年が、思い返せばただの苦行に思えてならなかった。


 よく耐えてきたな、私……。


「年齢は……違うんだよね」


 右田葵は十九歳だった。一方、ジュリア・シーザーは十六歳だ。

 二人が融合したので、私の本当の年齢は三十五歳ということになるのだろうか。ただ単に合計するのも何か違う気がする。


 現在の意識は日本人であった葵に引っ張られているような感覚があるけど、肌に感じる空気や部屋の匂いなどを敏感に感じているのがジュリアだと思うと、一概にそうとも言い切れない。葵だった私は、風を切ってセンチメンタルな気分になんてなったことがない。


 なんだか表現するのが難しい感覚だ。絵に描いた自分を二枚重ね合わせたというのが正しい気がする。


 とにかく、違和感がないならそれでいい。

 私は楽観的に考えて自室のカーテンを開けた。


 二階建ての窓からは道行く人々が行き交っており、太陽の光が生命を祝福するように燦々と降り注いでいる。朝の光を浴びた私は、溢れ出てくる多幸感に涙が流れてきた。


「あったかい」


 心が、身体が、温かかった。

 なぜ私は二人に分かれて生きてきたのだろうか?


 そのことが疑問になって空中をさまよう。


 もう二度と私が分裂しないように、その理由と原理について探る必要がある。

 そして本当の自分になったからには――


「幸せになりたいな」


 何をやっても思いやりがないと、オトコ女扱いされてきた日本の私。

 何をやっても目立たず地味で、陰気な女だと言われ続けてきたこの世界の私。

 いつも独りぼっちで友達のいなかった両方の私。


 これからの私は違う。


 何事にも前向きで、日本という異世界の知識を持つ、明るい女だ。

 どんなことが起きてもめげずに立向かう勇気を手に入れた。


 幸せをこの手に引き寄せ、目の届く範囲でいいので、知り合った人々を幸せな気持ちにさせる、そんな素敵な女性になりたい。


 そのために、必要な知識を葵とジュリアの記憶から導き出していると、不意に背後から声がした。


『…………み…………君…………』


 振り返って自分の部屋を見回してみる。

 簡素なベッド、長年使ってきたせんべい布団、お父様がまだ元気だった頃に作ってくれた手作りの勉強机。それ以外は何もない。念のためベッドの下も見てみたが、誰かが隠れているとかそういったホラー的なこともなかった。


 なんだろう。空耳?


『……目を………凝らして……ボクを……』


 音に集中すると、やはり微かに声が聞こえてくる。少年のような中性的な声が、耳元でささやいている気がして、思わず両耳を手で覆い隠した。


 ちょっとだけ怖かったのでしばらく耳を塞いだ姿勢でいると、ぼんやりと空中で何かが発光していた。淡い、普段なら見逃してしまう微量な光だ。


『……もっと…………目を…………凝らして………』


 目を凝らす?

 両手を耳から離して胸の前に置き、じっと空中に浮かんでいる光らしきものを見つめてみた。このまま言葉を聞かずに部屋から出ることも考えたけれど、胸の奥がざわめいており、どうにも放っておくのは憚られた。


 それこそ私は穴が開くくらい真剣に空中の何かを見つめ続ける。

 心なしか光が大きくなってきたような気がする。


 やがて微かな光ははっきりとわかるくらいに輝き、チカチカと明滅して、ポンと音を立てた。


「ひゃっ」


 ……びっくりなどしていない。たまたま声が出てしまっただけだ。うん、音が出るなんて思わなかったから。


『やっと………見つけてくれたね………』

「あなたは……」


 虹色に輝く羽を背につけた、手のひらサイズの少年が浮かんでいた。


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