第4話 奇妙な真実

 と、いうわけで。

 私はBL氏の研究室の扉にたどり着いた。ドゥムバを静止させ、四つん這いの状態から起き上がる。呼吸を整えてから、扉をノックした。

「カフェオレをお持ちしました」

「おお、ありがと。今開けるよ」

 中からそんな返事が聞こえ、扉は両側へスライドした。

「失礼します」

 そう声をかけてドア枠の角に足をかけた。傾いている今、ここが一番安定する。そういえばこの部屋は初めて入る。中を覗き込むと、一人で使うには十分に広い部屋だけど、怪しげな機材が所狭しと並び、壁は計器とモニターで埋まっている。

 その中央に確かにBL氏はいた。彼の椅子は斜面上でも静止し、座面は水平を保っていた。あれも発明なのだろう。

「やあ、意外と早かったね」

「今そちらに持っていきますね」

「いやいいよ、こっちから行く。これじゃあ歩きづらいだろうから」

 彼が言う「これ」とは、床が傾いていることか、部屋が散らかっていることか、あるいは両方なのかわからないけど、椅子を器用に動かして、こちらまで来た。

「わざわざすみません。では、こちらがカフェオレです」

「おや、タンブラーか。風情がないね」

「こんな状況です、ご理解ください」

「分かってますとも。うん、味はいいね」

 BL氏はしゃべりながら飲み始める。

「いい甘さだ。これを待ってたんだよ」

 そう言って私の目の前で一気に飲み干してしまうので、多少驚いた。

「さて、じゃあ直しちゃいますかね」

「是非、お願いします」

 是非、のところを強く言った。

「せっかくだからさ、レモネードさんも見ていきなよ」

「何をです?」

「作業だよ、重力制御装置の」

「はあ、そうおっしゃるなら」

「じゃあこっち来て」

 BL氏はそう言ってこちらに手を差し出す。

「ほら早く、つかまらないと危ないだろう?」

 こういう所作が洗練されてるのは育ちがいいからかな、なんて思った。

「では失礼して」

 私が手を握ると、BL氏はゆっくりと椅子を動かし、私を正面の大きなモニターの前まで導いた。

「椅子につかまってて」

 言う通り背もたれを握る。私の体重をかけても、椅子はずり下がることもなかった。

「いい椅子ですね」

「だろう? 全方位型安楽椅子、名付けてミス・マープルという」

 そこまで聞いてないんだけどなと思って聞き流していると、BL氏は何やら操作してモニターに映像を出す。

「これ、このお屋敷ですか?」

 映ったのはお屋敷の外観。

「うん、ドローンにつけたカメラの映像さ。さて、と」

 いつのまにかBL氏はVRゴーグルをつけてコントローラーを持っている。その指先の動きと共に映像も動く。

 映像はお屋敷の正面玄関から上昇し、ホールの上にあるテラスを映す。そこに設置されているのは、似たような機械が2基。その片方が煙を上げている。

「あとは、こいつをはめれば……」

 画面にロボットアームが写りこむ。その先には何かの部品を持っているみたい。

「えい、よし、よっと」

 数度のチャレンジののち、部品は納まったらしい。機械の各部が点滅し、少し間をおいて、一瞬体が浮き上がるような感覚がしてから、床が水平に戻ったのを感じた。

「わ、直った!」

「そりゃ直るさ、装置が直ったんだから」

「よかった~。ずっとあのままだったら辞めるところでしたよ」

「あはは、それは困るな。レモネードさんは有能なようだし」

「もらった分の仕事はしますよ、ええ」

 そう言って二人で笑い合う。

 急に褒められて少し驚いたけど、悪い気分じゃない。いやでもほんとに直ってよかった。あんな装置が本当に……でも壊れると大変なのね……って、え?

「え、おかしくない?」

 つい口に出して言ってしまう。

「なんだい、難しい顔して」

「え、だって、え、重力制御装置、でしたっけ、そのせいであんなことになったんですよね」

「そうだよ」

「でも今、壊れてましたよね」

「そうだね」

「壊れてるってことは、動いてないってことですよね」

「うん」

「じゃあなんで重力がおかしくなったんですか。壊れてたんでしょ。それが直って動き出したら、なんで重力が元通りになるんですか。逆じゃないですか?」

「そこに気づくとは、やはり天才……」

「もったいぶらないでください」

「OK、説明しよう。あの装置は、常に動いてたんだ。君がこの家に来る前からずっとね」

 そう言うと、BL氏は再びドローンを操作し始める。モニターをみるとドローンは高度をどんどん上げているようだ。

「ここまで上がると装置の影響はなくなる。どうだい?」

 そこには信じられない光景が映っていた。

「山の斜面にお屋敷が建ってる……」

 山の中腹、その一部が芝生の生えた広場になっていて、その中央に見慣れたお屋敷が建っている。でもそれは、傾斜した地面に対して垂直に、まるで生えてるみたいに建っているのだ。

「そう、つまりあの装置はもともと斜めだった床や地面に対して垂直に重力が働くようにするための装置なんだよ」

 逆、だったのだ。

 平らだった床が装置のせいで傾いたんじゃなく、

 装置が壊れたせいで、本来の状態、傾いた状態に「戻った」のだ。

「信じられない。だってお屋敷に向かう道は平らじゃないですか」

「それはね、さっき装置が2台あったのを見ただろう? あれは片方が屋外の重力制御を担当してる。そして壊れた方は屋敷の中の制御だ。そちらだけが壊れて、屋内が斜めに戻っちゃったんだな」

 それを聞いて、思い当たることがいくつかあった。

「もしかして、あの道がやたらと曲がりくねってて長いのは……」

「敷地外は平らだから、そこから屋敷までくるときの違和感を軽減するためだね」

「道の両側に壁があるのは……」

「見通しが利くと、土地が傾きが見えちゃうからだね。視覚は強いからね」

「じゃあ、このお屋敷が、豪華なつくりなのに平屋なのも!」

「敷地外の風景が見えると、土地が傾いてるのが分かっちゃうからだね」

「なんてこと……」

 私は知らずに、毎日坂を上り下りしていたのだ。一体何なのだこの男は。

「レモネードくん、君もこの事実を知ったのだし、もう僕たちの家族同然だ。これからもよろしく頼むよ」

 満面の笑みを浮かべてそんなことを、私は地面が崩れ落ちるような衝撃を受けているのに。

 人生には三つの坂があるという。上り坂、下り坂、そして【まさか】。そのまさかがこんな形で現れるとはね。私はこの経験もハウスキーパーとして糧にできるだろうか。いや、しなきゃならない。

 なぜなら、私はまだ上り始めたばかりだからな、この果てしなく長いハウスキーパー坂をよ!(涙目)

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メイド坂 荒霧能混 @comnnocom

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