第2話 奇妙な雇い主
あまりの出来事に混乱してるけど、そう判断するしかない。でもそれはおかしい、私はここまで普通に歩いてきたんだから。そして勝手口の内と外の地面はきちんと繋がっている。こちらだけが傾いているわけではない。でも私の体にかかる重力は明らかに傾いている。壁に足をつけないと立っているのも結構大変なんだから。
外から私を見たら、きっと斜めに傾いて見えるだろう。まるでマイケル・ジャクソンのゼロ・グラビティだ。
「急にこうなっちゃってね、どうしましょう」
ホージティーさんは壁にへばりついたまま、呑気にそういう。聞きたいのはこっちの方だよ。
前代未聞の現象に襲われた私たちには、何をどうすることもできなかった。それでも何とかしないとと、思考を巡らせる。するとその時……
ブーン……
そんな音を立てて、台所の中央に人影のようなものが浮かび上がる。ホログラム、というのだろうか、立体映像が映し出された。年のころはハタチそこそこ。長身痩躯の青年だ。
「やあ、おはよう、メイド諸君。本日もお勤めご苦労である」
「ミスタ・ブルーリキッド!」
「坊ちゃん!」
私とホージティーさんは同時にその人物を呼んだ。この館の主で、去る大富豪の息子であるブルーリキッド氏。もちろんこの名もコードネームだ。私にふざけた名前を付けたのもこいつ。ホージティーさんは彼を幼少から知っているそうで、坊ちゃんと呼ぶ。
「あー、言いたいことは分かってる。この重力操作装置の異常を早く直せって言うんだろう?」
私たちの顔を見回して、作ったような困り顔でそんなことを言う。でも今おかしな単語が聞こえたぞ。
「は? 今なんと?」
「重力操作装置の異常。つまり重力を操作する装置の異常だ」
二度聞いても意味が分からない。なに? 重力を操作? 信じられない。けれどそれが本当なら、この状況は説明できる。
「修理作業は鋭意進行中だ。けど問題が一つあってね」
「どうかしたんですか?」
そう水を向けると、したり顔で話し出す。
「この作業は非常に集中力を使う精密な作業でね、いささか疲れてしまったんだ。そこで脳の糖分補給として、あま~いカフェオレを持ってきてくれないかな」
「あのですね、今こんな状況なんですよ」
さすがにあきれてしまった。だって私はまだゼロ・グラビティだし、ホージティーさんも壁に張り付いたままだし。
「できれば、その修理とやらを先にして頂けますか。そうすればカフェラテでもクリームフラペチーノでもお持ちしますよ~」
語尾を伸ばして印象を和らげようとしてみたり。
「つれないなあ、レモネードだからってもっと甘くてもいいんだよ」
「茶化さないでください、職場環境を整えるのも雇用主として――」
「レモネードちゃん」
私の語気が強まってきたところに、ホージティーさんが制止の声。
「坊ちゃん、かしこまりました。少しお時間頂きますが、カフェラテ、お持ちしますね」
「さっすがホージティーさん、話が分かる」
BL氏はパチンと指を鳴らしながらそういう。このボンボンめ。
「ですけど坊ちゃん、それを飲んだらきちんと元通りにしてくださいましね」
「もちろんだよ。それじゃ、頼んだよ~」
ヒュンッという音と軽薄な笑顔を残して、BL氏の映像は消えてしまう。
「ホージティーさん、彼を甘やかしすぎです」
「そうねえ、でもこの状況を何とかできるのは坊ちゃんだけだし」
「それは、そうなんですけど」
「それに坊ちゃんはあなたの雇い主でもあるのよ。顧客の要望に最大限に応えるのがハウスキーピングの初心であり極意、だっけ?」
「それも、そうなんですけど」
「じゃあ、チャチャっと作って、サッサと直させましょ」
「……ですね」
私の返事を聞くと、ホージティーさんは笑顔を見せて、「よっこいしょ」と壁から体を起こす。そして器用に移動して戸棚から小さなちゃぶ台を出してきた。それを、壁と床の合わせ目に斜めに置くと、天板が水平になった。
「うん、この上でやりましょ。ガスコンロは、斜めになってて危ないし……レモネードちゃん、あそこからIHのヒーターとケトルを取ってくれる? それから豆とミルはええと……」
さっきまで壁に張り付いてた人とは思えない手早さで動き出す。この傾斜のなかでその身のこなしはまるで、勝手知ったる自分の家のよう。いや、実際そうなのだけども。
その姿を見て、この人はやっぱりすごいと思う。
私は、自分の能力はかなり高いと思うし、客観的にもそう評価されてきた。その証明の一つが、国際ハウスキーピング連盟機構認定、
その私から見てもホージティーさんは、すごい。ほんわかしてて動きもゆっくりだけど、ただしそれは普通の人が見ればの話。
私くらいになると分かる。ホージティーさんの動きには無駄がない。かなり先のことまで予測して動いているはずだ。この屋敷の隅々までと、あのボンボンのことを知り尽くしているからこその、洗練された仕事。
それを見られただけで、ここに来た甲斐があったというものだ。もちろん、私の能力に見合う報酬が提示されればこそだったけど。あのボン助も金払いは良いし、それに加え才能もあるのだろう。この屋敷に詰め込まれたハイテクは、ほとんどすべて彼が生み出したものだというのだから。ある種、天才、なのだろう、けれどこんな場所に引きこもっていては宝の持ち腐れというものだ。
それはホージティーさんも同じで、この特殊すぎる環境に適応しているからこそのすごさなんだと思う。正直に言えば、もったいないって思う。もっと活躍できる人なのに。でもそう思うのは私のエゴだし、そこまで踏み込めるわけもないし、それでも職場として今のところ気に入ってるのも確かだ。
「さて、できたわね」
そうこうするうちにカフェオレが完成した。といっても、それが入っているのはカップではなく保温タンブラー。本来なら銀色のカートでカフェセットと一緒に運ぶのだけど、緊急事態だし仕方ないよね。私はタンブラーのベルトを右肩から斜めにかけた。
「じゃあ、行ってきますねホージティーさん」
「うん、大変だろうけどお願いねレモネードちゃん」
ホージティーさんのスマイルに癒されながら、この面倒な仕事に気合を入れる。
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