第5話
数年前、成績が良く母親に可愛がられていた弟を二歳年上の兄が妬んでバットで撲殺するという悲惨な事件があった。
兄弟の片方だけの出来が良いと、もう片方が
海と陸の両親は愛情は十分注ぐけれど、こと勉強に関しては徹底的に放任主義。
というより本気で子供の勉強には興味がなかったようにも見えた。
実際、海は一度も塾にも行かず女子が入れる最難関の中高一貫校に入学したが、それは地元の小学校に非常に教育熱心な先生がいて、公立でいいと言う両親を説き伏せ、教材を勧め、入学金や学費など全ての費用が全額免除の特待生として合格したからだった。
しかし後々考えてみると、海の場合それほどの難関校に通わなくとも普通に地元の中学から公立高校を経て、同じようにあっさりと京帝大学に合格したであろうことは誰の頭にも簡単に想像できたのだが。
高校三年の夏、誰も彼もが受験一色になって目の色が変わっていく中、所属していた演劇部の後輩に請われて連日顔を出し脚本を書き、
そんな天才的な姉が大学へ進学した年、陸は十一歳。いくら両親が比べないとはいえ、さすがに自分との差を理解できないほど陸も馬鹿ではなかった。
子供の頃から、これほどのレベルを見せられ続けていると、なにくそ俺だって!となるのはなかなか難しい。
町のスイミングスクールでタイムがそこそこ早いからといって、オリンピック選手相手に本気で勝とうとは思わないのが普通だろう。
ただ、陸も血は争えず決して愚鈍ではなかった。
いつも程々に勉強しては大阪でトップクラスの公立高校に入り、また程々に勉強して関西ではトップクラスの私立大学の法学部に合格した。
一般的に見れば陸の経歴も決してコンプレックスを生むようなものではないはずだ。
だが田舎や昔からの下町は人と人の繋がりが強く、どこそこの誰がどうしたとかこうしたとかいう話が伝わりやすい。
良い面においても悪い面においてもだ。
陸は小さな頃から商店街の人たちや、近所のおじさんおばさん達からよく可愛がられていたが、どんな時も「あの海ちゃんの弟くん」という名札が常に首からぶら下がっていた。
もし陸が本気でがむしゃらに勉強していたら、一浪くらいはしたかもしれないが尻尾の方で姉と同じキャンパスに通っていたかもしれない。
だがどれだけ頑張ったとしても姉に敵うはずがないと思っている限りは、がむしゃらになるのは難しいものだ。
「ほんで?わざわざ会って話さんとあかん話ってなんなん?」
陸はどんな話が飛び出すのかと内心ヒヤヒヤしていた。
なんと言ってもこの姉だ。
普通の話が飛び出すとは思えなかった。
海は背筋を伸ばしてソファに坐り直すと、隣に座ったかるたの肩を抱いた。
「そうやん、あんな、これからかるたちゃんと一緒に暮らそうと思ってんねん」
「えっ?!」
そっち方向か‥
そこまでは想像していなかった陸は目を見開いて絶句し、いやまぁそのきらいは十分にあったと、瞬時に納得し、同時にかるたをチラ見して肩を落としたのだった。
海は独特な持論で昔からイケメンを毛嫌いしており、その反動か女子に関してはかなりの面食いだった。
その結果、仲の良い女友達はことごとく美人で、そして付け加えるならば母親似の海も美人揃いの友人と混じっても全く遜色なく、まぁ昔風に言えば才色兼備、秀外恵中というところだった。
さらに付け加えると陸は残念かな、父親似であった。
そんな美人好きな海のことだから、きっとこの子も「たまたまお知り合いになれた」のではなく姉がナンパしたのだろうと陸は確信して海に視線を戻した。
「マジか、そうかー、いきなりのカミングアウトかよー。まぁ確かにそれはラインでは言えんわなー。そやけどちょっと前は一応男の彼氏おったやろ、何がきっかけで目覚めたん?」
実の姉からそんな話が出て、やはり気恥ずかしくもあり、陸は矢継ぎ早に質問した。
「やっぱりあれか?こんだけ可愛い子に追いかけられたら恋に落ちてもうた的な感じか?」
女の子に対して可愛い子だの、恋に落ちるだの、普段の陸なら死んでも言えない台詞だが、女の子は女の子でも姉の恋人で異性に興味がない相手だと思うと意識もせずに気軽に軽口が叩けた。
「そやけど、どう考えても姉ちゃんには勿体無いよなー!ほんまにこんな可愛い、」
ドカッ!!
左側頭部に海のトートバッグが命中し、陸は一瞬目の前が真っ白になった。
「アホかっ!!」
海の罵声が聞こえ、白い靄が消えると耳まで真っ赤になって下を向いているかるたが見えた。
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