《聖郭都市ロスリーブ》の飯どころ

キャトルミューティレート

《聖郭都市ロスリーブ》の飯どころ

「なんだよ、閉店だなんて聞いてねぇぞ!?」


「臨時ってか貸切か。珍しいこともあったもんだがしかたねぇ。別の店探そうぜ?」


 入り口に掛かった札を見て、ゴロツキ風情の二人は立ち尽くした。


「俺ぁ、ここでの酒だけを楽しみに! 今日まで長期依頼頑張ってきたんだぞ!?」


「おうおう、ちゃあんと別の、俺の気に入りの店紹介してやるから」


 そのうちの一人なんて泣きそうな表情をしていた……から、連れの男は背中をバシバシと叩き、宥めるようにどこかへと連れて行った。


 立ち去った彼らが入店を諦めたのは、一軒の飯どころだ。

 この世界は一大宗派のスジャティミン教団総本山。そのお膝元の《聖郭都市ロスリーブ》で、昔から続く、最近代替わりを果たした一軒の飯どころ。




「さて? そろそろ……始めますかぁ?」

 

 その、店内。

 かまどにくべたまきによる、火の勢いが収まったのを目に、底が広く浅い黒々とした鉄鍋を火の吹き出し口コンロに置いた《彼》は、気の抜けた声でそう口にした。

 一気に熱せられ、カラカラになったことで、少しばかり黒が薄くなった鍋に、革の剥がれた、ラヨームと呼ばれる草食動物の半身肉から、サイコロ状に切り出したラヨーム脂を落とす。

 熱く焼けた鉄鍋に溶け、ゆっくりと底を滑るソレを見ながら、取り付ける首かけのエプロン。固定用の紐を結ぶ、《彼》の背中は広々としていた。

 袖をまくった《彼》の腕、丸太のように逞しく、そして太い。


「いいね。ラヨームも……旬に入ってきたか」


 熱によって立ち上る、ラヨーム脂の甘く、少し癖のある香り。鼻に入れ肺を満たし、鼻を抜かせて残りの香を楽しんだ《彼》の顔は……

 

「盗賊のソレだな。どう見ても」


「何が?」


「顔だよ顔。君の顔。仮に君が斧なんて振り回そうものなら、私は迷わず君に縄をかけよう?」


 なんというか悪役顔だった。太い眉は《彼》の顔面の濃さを強調し、瞳は大きいが強い目力は、粗暴さをうかがわせた。

 顎や頬だけでなく、例えば先ほどまくった事で見えた腕のいたるところに、今は乾いた傷跡が数多く残っているから、確かに見る者が見れば悪党の首領にも見えた。


 そのことを指摘したのは、厨房とフロアとを分ける、カウンターに頬杖をついた、短髪で凛とした美女。


 その指摘に対し、ギロリと睨まれたことに、「コイツは失敬」と呟きながら、降参とばかりに両手を天に向けた美女。改めてチラッと鍋に目をやった《彼》は、すでに揃えていた食材のひとつを取り出した。


「教団騎士のお前が、いいのかよ。もうすぐ食堂での夕食の時間だろうが」


 トグリの球根。根菜にも数えられるこの野菜は、生のまま食べると辛みが強いのだが、熱を加えると香ばしく、スパイシーな味わいを引き立たせる。料理に芳醇な香りと深さを与える食材としてオーソドックスなものだった。

 六片からなるそれを、二欠片取り外し、薄皮をむくと、《彼》は包丁の腹で欠片の一つを思い切り潰した。 


「今の騎士舎食堂は人気が無いんだ。同僚にね、君のところで食事をすると言ったらうらやましがられた」 


 細かく潰したトグリの粒を鉄鍋にかける。シュワッという音と、蒸発する蒸気。


「いい香りじゃないか。ここにラヨームが入るのか。待ち遠しくてならない」


「テメェに出す一皿はねぇ」


「そう邪険にしないでくれ」 


 この場を染めていたラヨームの香りに、トグリの香りが乗り、それが二人の食欲を刺激した。思わず出た正直な思いを、《彼》が諌めたから、美女は苦笑いするしかなかった。

 

 さっと炒めたトグリの粒。これを木のスプーンで掬って小皿に移し変えたときには、すでにまな板に乗るのは、スライスの成されたトグリの実のもう一片分。

 

 水蒸気は証明だ。十分に溶けたラヨーム脂の透明な油分に、トグリの香りが乗ったことへの。

 ここにさらにトグリのスライス片を投入する。


「ねぇ、待ってる時間暇なんだ。酒の一杯でも出してくれないかな? 素揚げしたトグリのチップに荒塩をかけて……」


「ハッ! 職務中だろう? 普段堅物なお前がらしくもねぇ」


あの方・・・をお連れするのはどうせ別の者たち。連れ帰るのも。それまでこの場は私たちだけ。誰が見てるわけもない。君に見られても、私の査定に響かない。いいじゃないか。昔のよしみとして……ね?」


 彼女に言葉を紡ぎきらせることすら許さないかのように、話の途中でパン! と大きな音を立て、《彼》は手をカウンターに叩きつける。

 叩きつけるにしてはあまりに違和感ある音だった。

 理由は……たたき付けた手をカウンターから離したときに残った物、ショットグラスの底が、実際はカウンターを叩いていたからだった。


「言ったろうが。『お前に出す一皿なんざねぇ』って。それにトグリはやめとけ。口に臭いが残る。これでもかじってろ」


 小さなショットグラスは、注がれた酒で中を満たし、表面張力によって何とか容量以上の酒量を受け止める。《彼》の注ぎ方、いい要領だ。


 言葉を耳に、彼女の前に出されたのは小皿。乗っているのは、まるで枯れた、細い枝のような物が4本。重なっていた。

 飾りげのない、なんとも面白みのないソレに。女は眉を潜めるも、一つつまみ、小さくかじりとって咀嚼を始める。


「ん……」


 ずっと噛んでいくうちに、短い、喜びの声をあげ、やがてチビリと出された酒を含んで飲み込んでからは、小さな吐息を漏らした。 


「よく漬かったチキサの干し肉ジャーキー。芋がらも。噛めば噛むほどうま味が広がっていく。漬け汁にはこの酒、チスコッタを入れたのかい? だからよく合う。チスコッタ酒特有のスモーキーさだって、チキサ肉と芋がらが燻製にされたことで……」


「黙ってってろ」


「つれないなぁ」


「いったいどの口が」


 彼女の困ったような笑顔に、しかし盗賊然とした《彼》は真剣な顔を崩さなかった。

 素揚げにしたトグリのスライスも、熱したラヨームの脂から取り出し、そして手近な棚から目の細かい網細工容器をいくつか取り出した。


 真剣な顔が崩れたのは、網細工の蓋を、《彼》が取った時。容器から立つ香りに、ホウッとため息をつき、薄く笑った。


 テリーとメラコリック、クマモンにバクガモン。どれも落としたらすぐに無くしてしまいそうになるほどの、直径数マリ程度の小さな実ばかり。

 これを半球状の、やはりそこまで大きくない器に流し込むと、少量の塩と水を加え、男性の右手親指の2倍は太さのあろうかという先端の丸い棒で、潰し始めた。

 それらはスパイスだ。爽やかさに辛み、苦みなど違う特色をそれぞれ誇っていた。

 そして赤や茶、黄色、緑、それら実ごとに、色も違うから、つぶしたペースト状のそれらも色合いが美しかった。


 ゴリッゴリとした音だけがこの場に響く。よく響くのは、《彼》も、彼女も、互いに干渉していないためだ。

 そして「よーし!」と手応えを感じながらつぶやいた《彼》は、挽いた穀物の粉をその中にやはり少量追加した。そうして出来たのは、スパイスペースト。

 あらかた目、細かくすり潰したソレを、すりこぎ棒そのままに放置した《彼》は、すぐさま別の作業に取り掛かる。


「見事なもんだ。懲罰魔の面目躍如ってところか」


「うるへぇ」


 美女が感嘆としたのは、《彼》の手の中にある、白い肌を晒したダッカ芋を目にしたときだった。紫色の皮に土色の髭をもっさり蓄えるのがダッカ芋。凹凸無く、綺麗にむけているのはよく慣れている証拠だった。


「私でもそこまで手際よくいかなった」


「こいつは初耳だ。スジャティミン教団騎士団のエリートのなかでも、とりわけのエリート様が懲罰行きだって?」


 かまどのコンロは三連口。空いたコンロに、水を張った平鍋を置いた《彼》は、その上に、先のスパイス容器よりさらに大きな、蓋付の網細工を載せる。

 ムシロだ、いわゆる蒸し器。

 沸騰し、蒸気が出るのを待つのは面倒臭いと、そのまま剥いた数個のダッカ芋を放り込んでからは、最後に空いたコンロぐちに、少し深手の、ラヨームのヤックルを入れた鍋を設置した。


 これにてほとんどの事前準備が終わったのか、蓋をした後には、腕を組み、厨房内の壁に寄りかかって腕を組んだ。


「教団騎士に上がる前、騎士見習い学生だった頃に一度だけ。見習い生で振り分けられた小隊の隊長を務めた私は、訓練の一環で《ロスリーブ》城郭外の哨戒任務についたときに……」


「あ、それって……」


「発見した隣国の斥候スパイは二人、こちらは私含めて4人。『私たちで捕らえろ!』なんてね。今考えれば馬鹿な指示を下した。指示に従ったもの全員……負傷した。君だって……」


「今となっちゃ笑い話だ。生きてるんだからな。なるほど、そういうことで懲罰行きーの芋剥き当番ねぇ」


「……戻っては来ないのか? 教団に」


 フッと胸を刺すような言葉、今日一番の、彼女の真剣な眼差しに、あわや息が止りそうになった。


「っと? とっととグラス空けちまえ。今日の客が来たようだ。見られると不味いんだろう?」


 だが、《彼》は話を強引に変えて見せた。 

 状況に助けられたといえばいいのか、《彼》は気を取り直したのだ。


 先代からの趣向。この店は客との交流がよく取れるように、フロアが厨房からよく見渡せる。当然、出入り口もだ。

 それにより出入り口のスモークガラスが、大きな影によって色味を増したことで、人の気配を、《彼》は感じた。


「影幅から言って3人ってところか」


「……では、仕事に取り掛かってもらおうか?」


「どこに目ぇ付けてんだ。さっきから絶賛業務進行中だっての」


 そうして、二人は動き出す。美女のほうはキュッとショットグラスの酒を一口で飲み干した後、グラスを《彼》に寄越して席を立つ。


「聖上宮からのお越しである! 誰かいないか!」


「はっ! ただいまお迎えにあがります!」


 店外からの呼びかけに答えながら、ショットグラスと入れ替わりに彼女が受け取ったのは、水の入ったグラス。吐息の酒臭さを払拭するために《彼》が差し出した物だった。

 これも一息で飲み干した彼女は、店の入り口まで歩みを進めた。


「準備は良いかな?」


「高級店みたいな接客なんざ期待するなよ?」


 出入り口の取っ手に手をやった美女。情けのない《彼》の言葉にまた苦い笑顔を浮かべた後、これを引いた。


「教団騎士第一騎士隊所属! ユミルと申します。お待ちしておりました枢機卿猊下すうききょうげいか! それではこちら……」


 さぁ、美形女流騎士ユミルので迎えの挨拶も、もう《彼》の耳には届かない。

 気の抜けた「らっさぁせぇ~」という挨拶とともに、ラヨームの半身、その腿から肉をいでいく。


 200グムから250グムほど、目分測量で計ったその肉に包丁を幾たびかいれ、150グムから200グムまでけずり、様々な肉の筋を断ち、少し丸差を帯びたプレート型に、綺麗に成型した。

 両面ともに均一に降りかける塩と胡椒。このままで焼いてももちろん旨いのだが、今日はそれでは終わらない。

 先にこしらえたスパイスペーストを同じく両面に塗りこみ、薄く広げ、そして、先ほどはペーストに入れなかった分の挽いた粉をも肉にまぶした。


 シュンシュンと、ダッカ芋をふかした蒸し器が、音を鳴らしたのを耳にした途端だ。蒸し器をコンロから上げ、芋を取り出した。グニグニとした芋の手触りは良い蒸し具合を告げている。

 

 これを木べらで潰していくさなか、ここで先ほどから鉄鍋で暖めていたラヨーム脂を半分ばかり流し込んだ。あわせて塩と胡椒を振り、また混ぜていく。ラヨーム脂の芳しい甘い香りと重厚感が、ホクホクとしたつぶれたダッカ芋の、尖がった塩気と舌にピリッときたす筈の黒胡椒による刺激をまろみ・・・に包んでいくのだ。そこにさらに、同じく暖めておいたラヨームのヤックルを加えてまた混ぜた。


「この香り……懐かしい」


「だろうなぁ」


 本日の客、この店を貸しきった、先ほどユミルが出迎えた《枢機卿》と呼ばれた、白いローブを被った客人は、呆けたように呟く。呟いて……


「言葉に気をつけろ貴様! いくら枢機卿猊下の……」


 そしてため息を着いた。 


 その呟きに向けた、《彼》の返しに対する、護衛騎士たちの反応が悲しかったから。


「貴方たち、ここまで送ってくれて有難う」


「ですが猊下っ!」


「三刻ほど後に、また迎えに来てください……ユミル?」


「ハッ! 猊下! さぁお二方、猊下のご命令が聞けませんか?」

 

 だから、ローブの客人は立場を利用した。ユミルに命じることで、お付の騎士を店外へと排除したのだった。


 それすら、《彼》にとってはどうでもいい。料理に集中したかったのだ。今日だけは、満足な一皿をこの客・・・には食べてもらいたかったから。


 店外へと背中を押され、あわてる騎士二人が上げる声……を、新たな音が塗りつぶす。


 ジュワァッ! というは、己の存在感を高らかに告げているよう。

 とうとう、満を持して、本日の主役ラヨーム肉が、底浅い鍋舞台で舞い始めた。

 

もうすぐ上がる・・・・・・・


うん・・わかってる・・・・・


 先ほどまで、脂をゆっくり温めていた落ち着いた火ではない。薪を一本くべて、短時間に育てた豪火で、《彼》は一気に焼き上げていく。時には鉄鍋を持ち上げ、コンロの火からの距離を離すことで、肉への火の入れ方・・・・・を調節する。


 そうしてソレは放たれた。


「凄いな……」


 度の強いチスコッタ酒は、熱により気発したアルコールがコンロの炎と結びつき、高々と火柱を上げた。


 背も高く、肉も厚い《彼》の振るう鍋から、炎上がるその迫力に、ユミルも自然と声を漏らした。


 フランベという調理方法。

 がったった火柱が肉全体を包み、のぼったチスコッタ酒のスモーキーさは、ラヨーム肉にまとわりつく。


 肉の焼き加減は上々。白磁はくじのような、底が浅く広い皿に焼き上がった肉はよそられた。先ほど取り出した、素揚げトグリのスライスと、マッシュしたダッカ芋は隣に添えられた。


 湯気をたたえたラヨーム肉、表面の穀粉が焼かれたことで、綺麗にパリッと揚がったキツネ色。思い切り振りまかれるスパイスの香りは店内3人の目を細くさせた。

 

「まだだ……」

 

 それでもまだ、《彼》には終わりではなかった。どこからとも無く取り出したのは、よく潰れた数個のチェリムの実。少し前に煮られた物だったのか、崩れたそれらは赤い液体の中にホロホロ沈んでいた。

 本来は、そのまま食べるが甘酸っぱさ楽しい、一シャクチ大の果実ソレらは、たったいま肉を上げた脂広がる鉄鍋に広げられた。

 フツフツと煮詰まるチェリムの煮汁と果実、そこに加わるのは少量の砂糖に、少し多目の塩。一番最初に熱して取り出したトグリの粒も同様だった。

 真っ赤な液体が煮詰まり、黒へと色を変えていくまでに数分と掛からない。


 最後に出来上がった、チェリムソースを皿に、肉とは少し離して添えれば……


「完成だ。《ラヨーム肉のスパイスソテー、チェリムソースえ》。お前は、親父この店の料理じゃこれが一番好きだった。枢機卿になる前の話だ。誕生日……おめでとう」


「……就任式以来だね。兄さん」 


 出された料理に、そして呼びかけに、被っていたフードをローブごと脱ぎ去った少女。のぞくのは、悲しげだが自愛に満ちた笑顔だった。


「んじゃあ、仕事の時間だユミル。毒見、しておくか?」


「冗談じゃない。私をさっきの騎士二人と括って無粋と見なすな。私は外で待っているから」


「いや、少し座って待ってろ。その肉料理平らげてもらった後は、簡単な大皿料理作るつもりだった」


「だけど、一年に一回あるかどうかの、せっかくの兄弟水入らずの時間じゃないか!」


「食っていけって。同僚たちにもここで飯ぃ食ってくるって言ったんだろうが」


 ユミルは、空気を読んだつもりだった。だが《彼》はそれを許さなかった。

 本来ならユミルよりもずっと高位な存在として、言葉を交わすことすら憚れる枢機卿たる少女も、今は嬉しげな顔で首を縦に振っていた。


「んじゃ、ごゆっくり召し上がれ」


 面を食らったユミルを放っておいて、《彼》はナイフとフォークの持ち手を少女に向ける。

 少女の表情は綻んだ。それもそのはず、銀食器を手渡す《彼》の表情は、かつて少女が一番好きだった、兄の笑顔だったから。




 二刻もない。あの、再会時の得もいえぬ儚さは……

 

「ガッハハハハー! 枢機卿(カッコカリ)! (カッコカリ)ワロス!」


「ちょっ! バカッ! いくら実兄だからといって猊下になんて口きいてるんだ! それも元は教団騎士だった君が!」


 すでに酒の入った《彼》と……


「良いの良いのユミルー。兄さんが騎士団入ったのだって、シスコン拗らせてた兄さんが、私が司教に正式認定されるまで心配で堪らなかったってだけだからー」


「猊下まで!」


 今日一日だけ、素の自分に戻れる枢機卿、もとい《彼》の妹が、抑圧された感情をここぞとばかりに解放し、テンションが振り切らせたことで……


「にしても兄さんも隅に置けない! こんな綺麗な人と知り合いだったなんて。さっきだっていい雰囲気作っちゃって! これは……期待していいのかな!? ユミル? 兄さん、少しだけ変わっているけど悪い人ではありませんから!」


「え、ええっ!?」


「って思うじゃねぇか! 無いんだなぁコレがっ! とっくにフラれ済み!」


「えっ? フラれって……どういうこと?」


 崩壊していた。


「なっ? ユミル?」


「君はいったい何を!? そんな話私は知らな……」


「ホラ、教団騎士養成機関で出会った初日の、お前それで『私に近づくなっ!』って……」


「あの時のことかぁっ! あんな、下卑た笑顔で言い寄ってきた君のどこにも真剣味なんか見えなかったからっ!? 私はてっきり気持ちの悪いナンパだとっ!」


「なぁっ? 『気持ち悪い』って」


「人の話を聞いてくれっ!」


 結局、お付二人の騎士が迎えに来るそのときまで、この賑やかな空気は終わらなかった。




「さっきの話だが……」


「んが?」


「騎士団には……もう戻ってこれないのか?」

 

 そうしてこれは、彼の妹が枢機卿として、この街の中心部、《聖上宮》へと帰った後の話。

 彼女を見送ったのち、店に残った二人。

 ユミルがそんなことを言ってきたのは、宴の片づけを《彼》がしていた時のことだった。


「お付きの者が迎えに来てなお、猊下は数分時間を取り、彼らに外で待つよう伝え、そして君と抱擁を交わした。教団騎士の人間として、これを言うのははばかれるかもしれないが、猊下はやはり、君を想っている」


 静謐さと真剣さがにじみ出る凛とした表情を向けるユミルと打って変わって、《彼》の見せる笑みは苦い。


「この店は御父上から引き継いだ、君にとって大切なものだということは分かっているつもりだ。だが店か猊下か、どちらが大事か明白なはず。君が騎士団に戻ってくれば、今のように年に一回しか再会が許されない……」


「いいんだよこれで」


 言いたいことは、《彼》にもわかった。だが、この店を継ぐこと自体がその葛藤を乗り越えたものだから、心は揺さぶられたとはいえ、今の決断まで変わることはなかった。


「しかし……」


「年一回でも構わねぇ。枢機卿として、忙しくて息の詰まる毎日を送るアイツに、だが年一回は《聖上宮》を離れてくつろげる、帰る場所を残してやりたい。それに俺が騎士団にいたところで、アイツが俺に見せる顔は、妹の顔じゃない。枢機卿の顔。それじゃ結局俺は、アイツの為に何もできないってことになる」


「それは……」


 片付けの手を止めず、皿洗いからテーブル拭きまで、慣れた手つきで行いながら答える《彼》。

 盗賊、山賊に間違われやすい傷だらけの顔面なれど、口ずさむ表情は非常に優し気で、それがユミルに言葉を飲み込ませた。


「よう若大将っ! 店、まだ開いてるぅっ!?」


 そんな時だ。突然バァン! っと、店の入り口を開けて威勢のいい声と共に、男二人が入ってきたのは。


「とっくに閉店時間すぎてる。近所迷惑じゃねぇか! 悪いな若。この馬鹿今日、ちぃっと飲みすぎちまって。おい大人しくしろって!」


「あぁん? 若が悪いんだぞ! こちとらお勤めご苦労さん。気持ちよーく馴染みの店で飲みてぇじゃねぇか! なのに……店閉めてやがった!」


「貸し切りなんだから仕方ねぇ。だから別の店連れて行ってやったろうが!」


「仕事明けの酒は、若の店でじゃなきゃダメなんだよぉ!」


 彼らの全身から、容赦なく振りまかれるは酒の匂い。


「いい加減にしろ。ホラ、行くぞ! 迷惑をかけたな。コイツにゃ明日にでも、キッチリ詫び入れに来させるから」


 絡み上戸な男と、これを窘めるもう一人の男を前に、ユミルといえば困惑気味に眉をひそめ、《彼》は、やれやれと首を振りながら笑った。


「いいってそんなの。たくさん注文してたらふく食って、んでもってどっさり金を落としてくれりゃあそれでいい」


「ハッ! ソイツぁ、いつものことじゃねぇか。ま、助かった。俺たち、帰るわ。邪魔したな」


「おうっ! 最近は冷えるからな。家にたどり着く前に力尽きてぶっ倒れ、そのまま寝ちまう……なぁんてなってくれるなよ? 金づるには長く長く生きてもらわにゃ。凍死されちゃかなわねぇ」


「若、そういう時は『金づる』じゃなくて『常連』って言ってくれよ。んじゃあまた」


 そうして、《彼》とユミルの会話に割って入った男たちは消えていく。

 消えていくというよりは、連れの男が、絡み上戸の酔っぱらいを引っ張っていくという形だ。


 閉じた入り口のドア。外からは「若ぁ! ヤックラーガ一椀! チャンガのっけてカマドで焼いてくれぇ! あとチスコッタ酒を一杯!」という声が聞こえてきた。「バッカ! んな重たいもん腹にいれたら、お前絶対吐き散らかすだろうが!」なんて怒声も聞こえてきて……


「プッ! アッハハ!」


「クッ! クカカッ!」


 外からのそのやり取りが、ツボに入ったのか、店に残された《彼》もユミルも耐えきれずに噴き出した。


「君に騎士団に戻ってもらうことは、どうやら叶いそうにないらしい」


 ひとしきり笑って、落ち着いたユミルがまた言を発したときの声色は、優しげだった。


「猊下にとってだけじゃない。この店は、慕われているようだ」


「必要としてくれる奴らがいる。なんというか嬉しくってね。親父の代から来てくれる客もいる。『二代目』とか『小僧』だなんてな。『まだまだ親父の腕には遠く及ばんな!』だってさ」


「まんざらでもないくせに」


「親父が死んで、この店を継いだ。騎士を辞めてこの店の看板を引き続き掲げた時にさぁ……結構な奴らが喜んでくれたのが印象的だった。親父の死と共に、この店がなくなると思ったんだと」


「その思い入れは……強いね? そうかやっぱり私は、無粋な方だったようだ」


 ただ《彼》の妹が来るから、仕事として来ただけではなかった。寧ろ言ってしまえば、《彼》に騎士団に戻ってもらうことこそ、ユミルがこの店に姿を現し、《彼》に会いに来た目的だった。

 だけどそれは如何ともしがたい難しい要求だったようで、そのことが分かったから、ユミルはあきらめたように笑ってため息をつくしかなかった。


「だけどあれだな。気分がいいや。この店の客たちとはまた別に、騎士団が俺を必要としてくれていたとはね。感謝はしてる」


「あぁ、勘違いはしないでくれ。騎士としての君が必要なんじゃない。騎士舎食堂に立つ君が必要だったってだけさ」


「……は?」


「規律違反に命令違反。とかく悪い評判に事欠かなかった不良騎士。君は懲罰の名目でよく騎士舎食堂に回されて……そしてその日の料理は、普段の配膳されるものとレベルが違う。結構、ファンも多かったんだ。言ったろう? 『今の騎士舎食堂は人気が無いんだ』ってね」


「ちょっと待った! えぇぇっ! 騎士としての俺じゃなくて……つか、俺の懲罰行きを期待してるってそういうことぉぉぉ!」


 だが、疲れた笑顔はすぐ、明るい者へと転じて行った。

 気の置けない彼のその反応が、本当に楽しくて。


「本当残念だよ。私も……君の料理のファンだったのに」

 

 そして、覚えた懐かしさからのつぶやきは、


「は? なんか言ったか?」


「何にも。なら今後もここに顔を見せなければね。騎士舎食堂の改善はなされない。そこで食事をするのも気が滅入る。責任はとってくれ?」


「なんだよそれ。ま、そん時はしっかりガッツリ腕によりかけてやるから。だから、頑張れよ騎士の仕事。この街の平和、お前に任せたわ」


「……うん」


《彼》の耳には届かない、小さなものだった。




 この店にとって、この兄弟にとって、もしかしたらユミルにとっても一年に一回の特別な時間。

 だからこそ、《彼》は今日一日この店を貸切による閉店とした。

 客を、妹だけにすることで、自分の格別な思いを集中させることが出来るから。余人を交えることでその気持ちを薄れさせたくは無かった。


 今日の思い出を胸に、また明日から《彼》は、店を通常営業に戻す。

 気持ちを切り替え、今度は格別な気持ちを、入店する客に平等に向けることになるだろう。


 ここは一軒の飯どころ。

 この世界は一大宗派のスジャティミン教団総本山で、かつて教団騎士だった男が経営する、《聖郭都市ロスリーブ》で、昔から続く、最近代替わりを果たした一軒の飯どころ。

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