第2話

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 ~2176年9月30日PM1:14 東京~


 ラウンジと隣接する着任者待機ロビーは、四畳半ほどの狭い空間だ。小さなソファが一脚と、僅かばかりのドリンクやアルコールと軽食しかない部屋だが、ソファは紗琥耶の肢体で埋まっていた。


「ん……っ………は…………ぁ」


 身悶える紗琥耶に合わせて、ソファがギシギシと揺れる。

 昼日中の職場で、全裸で堂々と自慰に耽る彼女を、咎める者は誰もいなかった。

 性感帯の感度を最大値に上げ、好みの状況シチュエーションを視覚野と聴覚野に直接叩き込み、脳内麻薬の分泌量を限界まで振り切れば、どんな麻薬や薬物もカスに感じるほど凄まじい快感の坩堝に堕ちる。

 性器を擦る手も止まらなかった。

 しかし、蜜のように甘い時間は扉の開く音で唐突に終わりを告げた。

 四十五度目の絶頂を迎えてトロンとした目を開くと、ジンワリ滲む天井が角度のある光を受けて白いグラデーションを描いている。


「……はぁ……ったく、なんで俺がテメェの相手なんかしなきゃなんねぇんだょ」


 声に目を向けると、それはそれは不愉快な顔のが扉を塞いでいた。


「カウパートロトロ垂らしながらなにじっくり見ちゃった?それとも視姦?視姦してた?」

「テメェの気持ち悪ぃオナニーなんざ、萎える要素しかねぇよタコ。とっとと行くぞ」


 扉を閉め、部屋の奥まで一気に進んだ源は壁際にぴたりと背中をつけて直立する。

 煽情的にゆっくりと下着を履く紗琥耶には目も向けず、源はT.T.S.Masterからの有り難い指示を思い出していた。


 15分前。


 腰の高さほどの大きさの自律系アンドロイドが次々と昼食を片づけていく中、鈴蝶は姿勢を正して指示を出していく。


「じゃあ源ちゃん。時間跳躍お願いね、それから絵美ちゃん」

「ちょいちょいちょい、待てや主将カピターン!俺今日休みオフだぞ!?絵美は行けねぇとして、他にも人員いんだろ!んで俺が出なきゃなんねぇんだ。休みオフなんだから休ませろよ」


「ちょっと」


 トントンと肩を叩かれた。

 見ると、ロサが怪訝な顔でアグネスを指示して口を尖らせている。


「名前くらい呼んであげなさいよ。アンタに懐いてるっぽいのに、可愛そうじゃない」


 うるさい外野は無視して、源は絵美に水を向けた。


「絵美、もぉコンディション戻ってんだろ?お前行ってくれよ」

「無理よ」


 答えは、絵美からではなくマダムオースティンから聞こえた。


「あぁ?無理?どぉいぅ」


 マダムは溜息を吐いて天井を指差す。


「Masterには報告しておいたんだけど……絵美ちゃん、貴女インフルエンザよ。今年発見された新型、Aチリ型ね。一応空調にはウイルス除去ナノマシンとワクチン浸潤ナノマシンを含ませてあるから感染者キャリアの拡大は防げていると思うけど、少なくとも今の絵美ちゃんを時間跳躍させるのは危険よ。極めて危険。歴史にない世界的流行パンデミックを生む可能性が高いわ」


 ガクリと肩を落とした絵美が、こちらに顔を向けて申しわけなさそうに口だけ動かす。


「ごめん」

『いやお前に謝られてもよぉ』


 どうにかならないかと改めて鈴蝶を向いた源に、物凄く良い笑顔が待っていた。


「管轄外の事件に首を突っ込んだ上、しょっ引かれたのは誰かな?そこから出すのにどれだけの手続きと根回しが必要なのか知っているのかな?そのために生じるコストや手間をどう補填しようか悩むところだよね?」


 嫌でも源の言葉が詰まる。

 鈴蝶は畳み掛けた。


「アグちゃんには護衛任務なんて出来ない。でも、貴方の二つ名、そのだったら?」


 源は反論材料を探して視線を彷徨わせるが、結局言葉は出なくて。


片手間ワンサイドゲーマーさん、この仕事は貴方向きだ。適任だよ」


 肩を落として頷く以外、彼にやれることはなかった。


 源に続いて横に並んだ紗琥耶が、堂々と源の股間に手を伸ばす。


「それで?固ぁい意志とナニを持って任務にイこうってわけね」

「人の記憶勝手に覗いてんじゃねぇよ」


 股間の手を振り払うが、紗琥耶は腕を全く動かしていないのに、源の手は空を切った。


「そんなんじゃアタシは感じないって、分かってんでしょ」


 溜息を吐いて抵抗を諦め、源は呟く。


Up,Down,Jack Ass上だ!下だ!この間抜け!


 直後、源の姿が部屋から消えた。

 その様子を見て、紗琥耶も溜息を吐く。


「これだから童貞や早漏は嫌なのよ、ホントふにゃチン……Orgasmイけ keepsれば the doctor者い awayらず


 そのまま、紗琥耶もまた壁に消えた。





 ポッドが降下していく。

 コリオリの法則を考慮したカーブを描く真空のレールチューブの中を、リニア式で時速2000k/hに近い速度を出しながら、一気に下っていく。

 その中に、源はいた。

 壁に寄り掛かって胡坐をかき、絵美から取り上げられる際になんとか掠め取った煙草に火を点ける。


「はぁ……行って帰って来たところで……今度は柴姫音がギャーギャー言ぃそぉだな」


 これまたしっかり絵美に取り上げられた柴姫音は、今回はお留守番となった。

 忘れてはならない事実だが、柴姫音もまた休みオフを潰されている。

 彼女の不興を買ったのは間違いなかった。

 少しご想像いただこう。

 久しぶりに休みを取ってくれた父親と過ごす休みが潰れた。その時の娘の気持ちを。

 ご機嫌を取るには、相当な代価が必要なことだろう。

 美味いはずの最初の煙草の吸引が、妙にほろ苦く感じた。


《No.2。発汗量が多いようですがどうされましたか?》


 視界に踊る文字群が余計な情報を羅列する。


「やかましぃ。問題ねぇから黙ってろよエララ」


 木星の衛星群から命名された柴姫音の代役は、正確に余計な情報を与えてくれた。


《了解しました》


 無味乾燥なAIの言葉が消えたところで、ポッドは地下980kmまで達し、動きを止める。

 やれやれと立ち上がる源の姿が、溜息と共にポッドの中から消え去った。

 無人になったポッドは急上昇を開始、真っ暗闇のチューブの中を、ポッドと同極の磁界を放つ電磁力の光だけが、時間を遡るように反発的に登っていく。





 煙草を片手にコンクリート剥き出しの壁に立った源の前に、防弾強化ガラスで間仕切りされた空間が広がっていた。

 ガラクタばかりが積もりに積もった、いっそ荒廃的とも呼べる場所に、源は叫ぶ。


「ジジィ!生きてっか!?」


 初秋の空気とさして変わらない快適な気温でありながら、ピンッと耳鳴りがしそうなほどの静けさに、体感温度が1~2度下がった気がする。

 反応はないが、構わず源は歩き出した。

 壁と同じく、コンクリート剥き出しの床に当たってコツコツとよく響く靴の音に負けないよう、先ほどより声を張る。


「耄碌すんのはまだ早ぇぞぉ」


 中央の廊下から左右に展開された部屋には、実験器具や工作器具、PCやその付属パーツが設置された棚や台で溢れている。

 入りきらなかった物は床に直で置かれ、場合によっては廊下にまで出ていた。

 それらを慎重に避けて奥へ奥へと進む源に、エララのお小言が飛んで来る。


《No.2。挑発的発言は控えるべきと進言します》


 無視して、ある区画で源は脚を止めた。

 そこには、無数のPC筐体が並んでいた。世代や年式は様々で、ガラクタと言ってもおかしくない物ばかりある。


「よぉ、ジジィいるか?」


 ちょうどFM TOWNSやX68000が並ぶ区画から、ボサボサの髪の白衣の女がフラフラと覚束ない足取りで現れた。


「お爺ちゃんなら奥よ……アンタ今日休みオフじゃなかった?」


 川村マリヤは不機嫌さを隠そうとも、よれた服を直そうともせずに機材にしな垂れかかっている。

 かつて違法時間跳躍者として源と絵美に確保されたマリヤは、今ではT.T.S.を支える技術部隊I.T.C.の兵器および時空間跳躍機管理部門に所属し、立派にサポート役を果たしていた。

 絵美が脅し文句に告げたような無休で無給な扱いなどもちろんなく、週末の休みや有休休暇、睡眠時間もお給金もたっぷりと与えられている。

 だが、今その顔はやつれて不機嫌そうに歪んでいた。


「なにやってんだお前」


 躊躇いなく煙草の灰を床に落として源が尋ねると、マリヤはよろよろと起き上がった。


「アンタに言われたくないわよ。今度はなにしでかしたわけ?」

「なにもしてねぇよ。絵美がインフルったからその代理だ」


 源は溜息と共に吐き捨てる。

 マリヤは意地の悪い顔でケタケタ笑った。


「どーせなにかしでかしてその帳消しで引き受けさせられたんでしょ!あは!ダッサ!」


 ウンザリして、源はマリヤに肩をぶつけて隣を通り抜ける。

 だが、すぐに背後からマリヤの悲鳴が聞こえた。


「マリヤったらあっちもこっちもカサカサじゃない……あそこもお肌も潤ってないとイケないぞ♪ほら、女性ホルモンエストロゲン出すの手伝ったげる」


 ド痴女の声に気分を良くした源は、振り返ることなく突き進む。

 なにが起こっているかは見なくても分かった。


「ちょっ、紗琥耶やめ……ねえ源!助けてよ!」


 色情魔に絡まれる哀れな技術者にガッツポーズでエールを送り、段ボールの積み上がった奥まった部分に足を向ける。

 三つの部屋を覗き、四つ目を覗こうとしたところで、隣の部屋の灯りに気づいた。


「おぃジジィ!くたばってんのか!?」


 手近な段ボールを蹴飛ばすと、すぐにがなり声が帰ってきた。


「五月蠅いぞ糞餓鬼!手前が絵美ちゃんの前から失せたらおっ死んでやるよ!」


 その口汚さも納得の外見だった。

 つなぎの上に白衣を纏い、鹿皮の手袋を嵌めたずんぐりむっくりした初老の男が顔を出す。

 白髪の目立つボサボサの黒髪は頭頂部で結わえられ、こちらも白いのが目立つ口髭と顎髭は一体化し、顔の輪郭を超えて顎から垂れていた。

 レンズ横のスイッチをいじれば、ブルーライトから溶接光まで、ありとあらゆる光線をカット出来る彼のトレードマークともいえる拡大鏡機能つきゴーグル越しの目が、ギョロリと源を睨む。

 彼こそが、I.T.C.の兵器および時空間跳躍機管理部門のトップ、平賀青洲だ。

 偏屈さを濾して固めたような風体は、源の胸程しかない小男に何倍もの存在感を与えていた。

 自然と、源の口元が綻んだ。

 源は青洲に親近感を持っている。

 平時はただのうるさい爺さんなのだが、彼の孤独を纏うことを止めない姿勢は好きだった。

 肉親もいなければ友人も恋人もいない路傍の石のような在り方が、妙に心に引っ掛かった。

 余談だが、こんなにも威圧的な青洲も、ゴーグルを外せば中々にナイスミドルなご尊顔をお持ちだ。


「まぁだくたばってなかったかジジィ」


 源の言葉に、青洲は首をコキリと鳴らして腕を回す。

 剣呑な雰囲気だが、源には慣れたものだ。


「血気盛んだねぇ、ジジィ。その勇ましさなら絵美も振り向いてくれるかもなぁ」


 孤独を纏う小汚い爺さんにだって、意中の人はいる。

 語るに落ちる話だが、それならそれで堂々と正面から弱みを突かせてもらうまでだ。

 だが、相手とて海千山千の御歳だ。


「Masterから聞いたぞこん畜生!手前絵美ちゃんにインフルエンザうつしやがったな!?」


 伊達に年輪を重ねていないと示すように威圧を緩めない。

 しかしながら、その威圧はてんで見当外れだった。


「あぁ?んなわけあっか耄碌が、痴呆にしたって笑えねぇぞ」


 一体どんな解釈をすればそんな話が出来上がるのかは知らないが、こればっかりは正確に知っておいてもらわねば源の気が済まない。


「俺はなにもしてねぇよ!あの女が勝手にどっかからもらって来たんだ!」


 身振りも交えて自身の潔白を主張してみるが、効果は薄かった。

 下から覗き込むように源を睨めつけ、さらにドスを利かせた声で呻く。


「だとしても、だ。手前は絵美ちゃんの相棒だろ。様子を小まめに確認しやがれ」

「あのなぁジジィ」


 光の速さで動く腕で、源は青洲の胸倉を掴んだ。


「アイツにも俺にもプライベートっつぅもんがあんだよ。テメェみてぇなストーカー気質の偏屈ジジィにゃ分かんねぇだろぉがなぁ」


 青洲は眉一つ動かさずに、胸倉を掴む源の手を払い除け、逆に源の胸倉を掴み、捩じ上げる。


「手前にゃなにも期待しちゃいねえが、手前しか任せられるヤツもいねえ。あの子の相棒は手前なんだ。だから……」


 青洲が全ての言葉を吐く前に、源は青洲の手と顔を掴み、噛みつくように歯を剥いた。


「いぃ加減にしろよジジィ。テメェで出来ねぇから俺にやれってか?ふざけんじゃねぇぞ」


 圧倒的な握力で顔を掴まれているにも拘らず、源はズイズイと壁際まで青洲を追い詰め、力を抜いて突き飛ばす。

 荒っぽいやりとりだが、いつも二人のやりとりはこんなものだし、これから違法時間跳躍者クロックスミスの夢を壊しにいく源の気分が晴れやかである必要もなかった。


「テメェの小間使いパシリなんざ死んでもご免だがな、生憎と絵美の小間使いパシリはしなきゃなんねぇ。それをしてこその相棒バディだからだ。絵美アイツ現在こっちで留守番してる。テメェはテメェで好きにしろ」


 吐き捨てて、源は手を開いて青洲から掏った物を見せつける。


「俺も俺で好きにすらぁ」


 それは片耳分のピアスだった。


「だからこいつぁもらっていくぜ」


 釣り針状のフレームに赤いフェイクダイヤをあしらったピアスを眺め、源は呟く。


「趣味悪ぃ」


 発言内容とは裏腹に、源は迷うことなくピアスを刺した。

 ヨロヨロと立ち上がった青洲は、源の右耳で揺れるそれを顎で指す。


「そいつは単品じゃ効かねえよ、こいつを紗琥耶嬢ちゃんに」


 間髪を入れずに、源の視界でプログラムが起動した。


『Mind Revise Program』


 その内容を検めようとした所で、源はその場でグルリと宙返りして後方に吹っ飛んだ。

 段ボールがひしゃげ、崩れ、中の工具が降り注ぐ。


「お爺ちゃん、今日の玩具コレェ?」


 紗琥耶のはしゃいだ声が呑気に響く中、源は工具の一つを彼女に投げつけた。

 視界を塞がれたとて、源の天性の感は的を外さない。

 だが、真っ直ぐ飛んで行く工具は、紗琥耶の身体を通り抜けて青洲の手に収まった。

 分かっていたとはいえ、収まらない感情に舌打ちして、源は残った工具を除ける。

 ちょうど、紗琥耶が左耳にピアスをつけたところだった。


《Mind Revise Program “Geis” Activated》


 途端、源と紗琥耶の二人の視界でプログラムが動き出す。

 ケルト神話にその名を遺す、ゲッシュの名を冠したプログラムの起動に、源と紗琥耶の顔が曇った。





「お願いします!私に皇議員の説得にあたらせて下さい!」


 薬効で少し軽くなった頭を下げる絵美を、鈴蝶が一蹴した。


「ダメに決まってるでしょう。自分の体調を考慮なさい」


 ラウンジ前の廊下を足早に進む鈴蝶とマダムに、絵美とロサが追い縋る。


「ですが……」


 マダムが振り返って絵美に告げた。


「絵美ちゃん。症状が軽くなっているのはあくまで薬とナノマシンの効能であって、貴女の身体が快復したわけじゃない。感染拡大も考えれば、貴女を外に出すわけにはいかないわ」


 歯噛みする絵美の忸怩たる思いを感じて、ロサは助け船を出す。


「あの、それでは私からお願いしたいのですが」

「駄目です」


 にべもない鈴蝶の言葉に、ロサは食い下がった。


「いえ、T.T.S.Master。貴女ははずです」

「……どういう意味かな?」


 立ち止まりこそしないが、鈴蝶の歩調が緩んだ。

 ロサは一気に畳み掛ける。


「医務室に運ばれたエリザベート秘書官は、先ほど『議員の意向に背いた』と仰いました。恐らく、皇議員は幸美さんを切り捨てるつもりでしょう。もしかしたらすでに動き出して警察への圧力をかけ始めている可能性もあります。議員の説得と幸美さんの保護は間違いなくあなた方の手で行われるでしょうが、この施設を出た後は丸腰です。そうなると今度は別の目的で命を狙われる可能性があります。もしかしたら、建物を出た瞬間に狙撃されるかもしれない。周辺警備が必要になります。それにはあなた方との連携を取る必要がある。ですからどうか、私との連絡係として絵美さんの協力をお願いしたい」


 息を切らせて言い終える頃には、鈴蝶の足は止まっていた。


『ダメか?』


 鈴蝶は考えるように沈黙している。

 その時間が、やたらと長く感じた。


「もし」


 だから、再び鈴蝶が口を開いた時には、そこから先の言葉は予想出来た。


「絵美さんから聞いていると思いますが、私はかつて本庁に勤めていました。事態が急変した以上、所轄署に出る幕はないでしょう。ですので、私はAlternativeに協力を仰ぎます。ご存じでしょうが、絵美さんの創った組織です。仮に皇議員の意向が変わらなかったとしても、彼女らは決して目的を見失いませんし、圧力にも屈しません。その点はご安心下さい」


 鈴蝶がロサに向けていた視線を絵美に転じる。

 顔を見ずとも、ロサには絵美の表情が分かった。

 非凡なT.T.S.のメンバーと肩を並べる絵美の、最大の武器。

 絶対に揺らがない、場合によっては手段も択ばない頼もしい指揮官の強い目で、まっすぐに鈴蝶を睨み返しているのだろう。


「分かりました……ただし!」


 ホッと胸を撫で下ろすロサと絵美に、鈴蝶は指を立てて見せた。


「参加する全メンバーに私との全知覚共有センスシェアを義務づけます。絵美ちゃん、貴女はこの施設からは出ずに私が送る全知覚共有センスシェアのダイジェストをチェックして、こちらの動静をロサちゃん達に共有。マダム、これくらいなら静養を脅かすほどではないと思うけど、どう?」


 鈴蝶のお伺いに、絵美とロサも縋りつく。

 マダムは自身に向けられる三対の目に溜息を漏らす。


「そうね、本人の意志もあるし、承認します」

「……ありがとうマダム。今度お礼をさせてね」


 マダムの言葉に応える絵美の笑顔は、老若男女をハッとさせるほど晴れやかな顔だった。


「まったく、貴女って子は……無茶だけはしちゃダメよ」


 親が子供を励ますように、マダムは絵美の頭を撫でる。

 その様子を見て、鈴蝶は手を叩いた。


「さあ、ここからは速さが肝要。マダム、あなたはエリザベート嬢の容態観察と幸美嬢の帰還時の負傷を考慮して銃創の治療等の準備を」

「承ったわ」


「ロサちゃんはAlternativeメンバーの招集と状況の共有を。私との全知覚共有センスシェア通行証パスは今送りましたので確認を。絵美ちゃん、貴女はこっちに来なさい」

「はい」


「了解しました!」


 テキパキと指示を出して歩き出した鈴蝶に続きながら、敬礼するロサを置いて、絵美はAlternativeのチャンネルを開いた。


《絵美?どうしたの?なにかあった?》

《いきなり復活したからビックリしちゃったよ。もしかして、戻りたくなっちゃった?》


 今も変わらず仲間でいてくれるメンバーの言葉に、口元が綻ぶ。

 ただ、今は旧交を温めている時ではない。


《ロサ、後はよろしく》


 それだけ発して、絵美はチャンネルを一旦閉じた。





 暗澹たる光景だった。

 天井も壁も床もコンクリートで覆われた寒々しい空間に、男女一組が、ライダースーツにピアスと完全ペアルックを決めて歩いている。

 兵器および時空間跳躍機管理部門を抜けた源と紗琥耶は、通路の突き当りで階段を下り、さらに地下へと潜っていた。

 タイムマシンTLJ-4300SHは、兵器および時空間跳躍機管理部門に置かれた四次元座標調整機たる阿號と、その指定座標に跳ぶ吽號とに別れている。

 吽號はここよりさらに下層に設置されており、二人はそこに歩を進めていた。


「・・・・」

「・・・・」


 揃いも揃って黙々と足を運ぶ彼らの目に生気はなく、僅かに開いた口からはガス漏れのように吐息が漏れるばかりだ。

 ゲッシュ。

 それはケルト神話に登場する「守らなければ酷い目に遭う誓い」のことだ。もはや呪いといっていいそのゲッシュを、魔術ではなく現代科学で青洲が再現したのだ。

 テンションが上がるわけがない。

 輪をかけて二人のテンションを下げるのが、二人に課されたゲッシュの内容だ。


・本ピアスは、帰還するまで外してはならない

・本任務中、決して任務完遂に背く行為をしてはならない

・帰還までの間、皇幸美の身を脅かしてはならない

・もしこれを破った場合。二つのピアスが共振し、両名の脳に耐え難い苦痛を与えると共に、両名の最も思い出したくない過去を眼前に展開する。


「信じらんない。ゲッシュってなによゲッシュって。なんでよりによってゲッシュなのよ……こんな貞操帯、なんでつけられないといけないのよ」


 ブツブツ呻く紗琥耶の言葉に、源も溜息を吐く。


「マグロかましてねえでなんか言えこのインポ」


 そんな罵声と共に尻を蹴り上げられた源は、いい加減ウンザリして亜光速の裏拳で反旗を翻した。

 しかしそれは空を切り、亜光速の拳から生じた衝撃波と吹き戻しでコンクリートの壁が吹っ飛んだだけだった。


「テメェが文句垂れんじゃねぇよ。大体がテメェのせぇだろぉが」


 睨めつけた源の言葉も、紗琥耶には柳に風で、そっぽを向いて別の矛先に愚痴を並べ出す。


「これ絶対絵美たんの発想だよ。この性格悪さは間違いない」

「糞ビッチが」


 どうにもならない腹立たしさに、罵詈を吐き捨てたが、彼女の意見には源も賛成だった。

 正岡絵美と言う女は、目的を前にした時、非情で情け容赦がない。

 水と油そのものである源と紗琥耶の関係を懸念して対策を打ったとしても、なんら不思議はなかった。


「あの子、いつか絶対ネコにしてやる!」


 ゾッとする言葉に戦慄する源の前に、金庫と同じ防護扉が現れた。

 扉横の壁には、引っ繰り返したお椀のような突起がある。

 突起の先端には穴が空いており、紗琥耶はその穴を覗き込んだ。

 青洲曰く、使という数世代前の網膜認証システムは、問題なく紗琥耶の身元を認識し、ガチャリとセキュリティの一段階目を解除した。

 T.T.S.は通常、二人一組ツーマンセルで任務にあたる。

 二段階目のセキュリティ解除には、紗琥耶のバディである源の認証が必要であり、両名のIDが任務執行対象者のIDと一致して初めて三段階目のセキュリティが解除された。


「どぉでもいぃが、テメェ今日ここにいていぃんか?」


 それは、気遣いの言葉のようでありながら、最も暴力的に紗琥耶の心を逆撫でる皮肉ことばだった。

 源の身体は再び吹っ飛ばされ、開き始めた金庫の扉を押し開けて、奥へ奥へと飛ばされる。

 だが、源とていつまでもやられっ放しではなかった。

 猫のように躰を捻り、地に伏して動きを止め、そのままハンッと笑って見せる。


「随分と余裕ねぇじゃねぇか。そんなに嫌なら俺一人でいぃんだぞ?」


 言われた紗琥耶は凶悪な形相で牙を剥いた。


「テメェ今すぐ殺してやろうか」


 2人は剣呑な雰囲気で互いに睨み合う。

 どちらも放つ空気は、共にのっぴきならない。

 相手を殺すことだけに専心した視線が、空間の温度をグッと下げたところで、2人の聴覚野に声が響いた。


「はい、二人共そこまで」

「いっってぇ!」


「痛っっっっっっっったい!」


 同時に、源と紗琥耶は揃ってその場でもんどりうつ。


「痛ぇ痛ぇ絵美!止めろコレ!」

「絵美たん痛いコレ!イッちゃうイッちゃう!」


「テメェはいぃ加減シモ控えろクソ痴女!」


 頭が割れんばかりの雑音ノイズが大音量で脳内に木霊する中、絵美の声だけがやたらとクリアに二人に届いた。


「じゃあ聞かせてもらいましょうか?二人共任務にちゃんと行って遂行する。幸美ちゃんには手は出さない。いいかな?」


 どこか楽しむような上機嫌な問い掛けに、源と紗琥耶の背筋に冷たいものが走る。


『おぃ、ヤベェだろコレ』

『やっぱ絵美たんの仕業だこのピアスゲッシュ


 ガンガン痛む頭と、グワングワン揺れる視線で会話して、問題児二人は頷き合う。

 下手したら、二人揃ってこの場で始末されてもおかしくない。

 正岡絵美とはそういう女だ。


「わぁった!わぁったから!」

「ちゃんと仕事するからぁ!絵美たん許してぇ!」


「……よろしい」


 雑音ノイズがピタリと止み、グワングワンと視界がいまだに余韻で揺れ、競り上がっていた吐瀉物で酸っぱくなった口の中の感覚に、二人はゲンナリしながら立ち上がる。


「おぃ絵美」

「なに?」


 ノンタイムで頭の中に応えが返って来て、源は確信する。


「テメェなんちゅうもんジジィに作らせてんだ」


 ピアスを指で弾いて、源は紗琥耶に背を向ける。

 肩と声からの力を抜き、矛を収めた。


「しかもゲッシュたぁ悪趣味な名前つけんじゃねぇか」

「絵美たんさぁ、ホントそういうヤらしいとこ直した方がいいって」


 背後から近づいて来る紗琥耶の声と足音からも、刃のような鋭さは失われていた。

 すっかり解れた二人の空気に、絵美の受け答えも滑かだ。


「アンタ達が仲良く潰し合いする安全装置セーフティーを作ってあげたんでしょ、むしろ感謝しなさいよ」

「いけしゃぁしゃぁと言ってくれんじゃねぇか」


「あら、事実じゃない」


 前を行く紗琥耶がこちらを省みる。

 目で合図を送って、二人は声を揃えた。


「限度ってもんがあんだろ」

「限度ってもんがあるでしょ」





 医務室横の手狭なスペースに設置されたリクライニングシートの上で、絵美は視覚デバイスを装備した顔を綻ばせた。

 真っ暗闇の部屋では、視覚デバイスの起動ランプだけがぼうっと灯っている。

 だが、対照的に絵美の視界は彩り豊かだった。


「ふふ、イイ感じね、そのまま二人で頑張ってちょうだい」


 いまだにギャーギャーと押し寄せる二人の文句が、赤い波となって押し寄せる。

アクティブプログラムを切り替えてこれを回避した絵美は、真昼間のオープンカフェに座っていた。

 目の前にはホワイトボードがあって、そこには白墨の文字が躍っている。

今、そこに一つの質問が投げられた。


《絵美、大体の事情は分かったけど、皇議員は粟生田外相の補佐でバルセロナよ。動静も確認したから間違いない。これってどういうこと?》

「バルセロナ?なんで?」


 その疑問は、メンバーにも共通していたようだ。


《なにしに行ってんの?G6の下拵えって時期でもないでしょ?》

《難民政策で奔走してるけど、その一環とか?》


 誰にも心あたりはない様子を見て、絵美は別のチャンネルを展開する。


「ちょっと探ってみるわ。なにか分かり次第共有する」


 そこは、おもちゃ箱をひっくり返したような空間だった。

 上下を認識する指標は、常に頭上にあるモビールだけ。

 シャボン玉やゴムボールが野放図に飛び回り、チャチな物から精巧な物までありとあらゆる人形や小物が漂っている。

 ノスタルジックな雰囲気すらあるファンタジー空間に向かって、絵美は語り掛けた。


「Hi,Silk.元気?ちょっと訊きたいことがあるのだけど。粟生田外務大臣がバルセロナに行っているそうなのだけど、なにしに行っているか分かる?」


 やや間があって、返答が文字になって踊る。


《ヤホッ☆絵美ちゃん久しぶり♪ってか、いきなり要求めっちゃハードでウケる☆でも実は、なにを隠そうあたしも粟生田外相の動きが気になってたのだ☆だから、今回はあたしの好奇心に免じてロハで教えてあげる♪》

「あら、それはいいニュースね。出来るだけ早く教えてくれるとありがたいわ。私の方でも色々探ってみるから、なにか分かったら共有スペースに貼って行きましょう」


《あらあら、あたしと絵美ちゃんの二人掛かりで調べられるなんて、粟生田さんもかわいそうね☆じゃあ外務省サイドお願いね♪あたしはユーロ連合国側のお歴々をあたってみるわん♪》


 珍しく不吉な笑いを浮かべながら、絵美は侵入クロックプログラムを起動させた。


「そうね、隅から隅まで丸裸にしてあげましょう」

《……どしたの絵美ちゃん、なんか今日過激☆》


 もしかしたら、紗琥耶の癖が映ったのかもしれない。

 そう思うと、なんだか猛烈に恥ずかしくなった。


「……ゴメン今のなしで」

《えー♪いーんじゃない、たまには☆》


 絵美は通信を遮って視覚デバイスを外す。


「やっぱ体調に引っ張られて変になっているわね、私」


 二種類のナノマシンを混成して流す通気ダクトを見上げていると、部屋の扉が開く音がした。


「あの、正岡さん」


 その声を聞いて、絵美はホッと肩の力を抜く。


『そうだ、私にはこっちの手もあったのよね』

「服部秘書官。もうお身体はよろしいのですか?」


 逆光故表情こそ伺えないが、服部エリザベート秘書官は申しわけなさそうにペコリと頭を下げた。


「ええ、マダムオースティンのお陰で大分回復しました」

「そうですか、それは重畳です。……どうぞ、こちらにお掛け下さい」


 餅は餅屋だ。そして、本件においてエリザベートほどの餅屋はいない。

 それを自覚してだろう。

 エリザベートの声には力強さが宿っていた。


「失礼します。早速ですが正岡さん、皇と私の間だけのホットラインを貴女にお譲りしますので、ぜひお使い下さい」


 その申し出は心強く響いたが、同時に、その言い方に絵美は疑問を懐いた。


「貴女、最初からそれが狙いだったのね?」


 エリザベートは小首を傾げながらも笑ってみせる。


「さて、なんのことでしょう?私は外務副大臣皇栄太の私設秘書。議員のご意向のために動くのが務めです」

「そうですか。それなら、外務副大臣様をお待たせしては申しわけないですね」


 さり気なく議員の肩書さえ切り替えて不敵に笑うエリザベートに釣られて、絵美もまた口の端を吊り上げた。

 喰えない女達が、静かな熱気を秘めて動き出す。





 地下1000km、下部マントルと呼ばれる地層。

 21世紀初頭の人類では到達出来なかったそのフロアに、タイムマシンTLJ-4300SHの片割れ、吽號はある。

 上下左右それぞれに展開する四枚のシャッターが開いた先には、半径500Mほどの半球状の空間が広がっていた。

 フロアには多数の人感センサーが機銃やレーザー銃の銃口と共に四方八方に睨みを利かす。その数、合計で二十万台。地下施設の性質上、指向に限りはなく。

 その一角が今、スーッと左右に道を開け、細い通路を作り出す。源と紗琥耶の二人は、さながらモーセに先導されるイスラエル人のようにそこを進んで行った。

 二人の向かう先、半球の中心には、四本の四角柱が屹立している。

 柱の下には溝が四方八方に広がっており、今その柱達は間隔を狭めるべく静かに移動していた。そうして8畳ほどのスペースになったところで柱は動きを止め、代わりに薄緑色の光を纏い始める。

 時を同じくして、地を這う無数の自律移動型ロボットの一つが、柱の方向に駆けていった。床の感圧センサーに触れないようリニア式に浮遊するロボットは、柱の創り出す空間の前でピタリと動きを止め、その身に載せたタラップを伸ばす。

 モーフィングのごとく変化していく景色の中、タラップが伸び切った先で大きな変化があった。

 柱が纏うのと同色の光が、床として広がっていく。

 VRの世界が顕在化したようなヴァーチャルな光景に、源と紗琥耶は眉一つ動かさずに足を踏み出した。

 だが、

 亜実体物質。それがTLJ-4300SH吽號の正体だった。

 概念と物質の境界を彷徨うは、地下に潜る際のワープ機構にも利用されている。


「相変わらずベタベタ髪が貼りつくのよねぇ……まあ?全身ヌメヌメで挿入れるにはいいんだけどさ」

「そぉか。生憎今お前に突っ込むヤツァ誰もいねぇよ」


 このフロアにいたる直前にソリッドゾルの水槽に頭の先まで浸かってきた二人は、髪はベッタリと潰れ、全身が光沢を纏ってテカテカと床の色を反射させていた。


「跳ぶぞ?」

「いつでもイケるわよぉ」


 源は視界に立ち上がる暗号通信プログラムに語り掛けた。


「ジジィ、行けんぞ。跳ばせ」


 言うが早く、床と同じ光が壁と天井を形成し、輝き出す。

 同時に、二人の身体が纏ったソリッドゾルも輝き出した。こちらは鮮やかな虹色だ。

 目が痛くなるほど強まっていく光に、二人は揃って目を瞑る。ビリビリとソリッドゾルに走る紫電を感じながら、スズメバチの羽音のような電磁波の音が、多重な層をなすのを聞き届けた。

 顔を顰める二人の輪郭はやがて光に飲まれていく。自分の手さえ確認出来ない光の渦の中、体重が徐々に消えていき、やがて質量という概念から解放された。

 いよいよ時間を超える瞬間を迎えた二人は、再び戻れるかも分からないこの時代に一旦別れを告げる。


「T.T.S.No.1。これより時空間跳躍イきまぁす」

「T.T.S.No.2。時空間跳躍してくらぁ。後ぁよろしくな」


 2176年9月30日PM1:20。

 二人の人間が、この世界から忽然と姿を消した。





 TLJ-4300SHの跳躍を見届けた鈴蝶と絵美は、Alternativeのヴァーチャルロビーでスタンドテーブルを囲み、グラスを傾けていた。


「ふぅ……とりあえず、あの二人を無事送り出せてなによりだ」


 手近なソファーに腰掛け鈴蝶が胸を撫で下ろす。

 後に続こうとした絵美だったが、僅かな逡巡が彼女の足を止めた。


「あの、本当にごめんなさい。あの二人に任せる事態になってしまって」


 喉を潤していた鈴蝶はグラスを戻して溜息を吐く。


「また貴女は……気にしなくていい。確かに分の悪い賭けではある。だけど、貴女は出目の調整だってしてくれたでしょう?」


 絵美は恐縮するばかりだが、今の彼女にはそんな表情を見せるべきでない相手もいる。


「絵美さん、署長に緊急配備の要請を容認させました」


 例えば今ログインしてきたロサだ。


「ありがとうロサ、よく通してくれたわね」


 舌を巻くほど一瞬で絵美の表情が切り替わる。

 確かな自信を纏ったその笑顔を見て、鈴蝶は絵美にT.T.S.を纏める役目を任せた自身の判断が間違いなかったと独りごちた。

 その威厳がなせる業なのだろう、ロサは忠犬のように嬉々として報告を始める。


「とんでもないです。T.T.S.Masterの署名を見て飛び上がってましたよ署長。ところであの、賭けってどういうことですか?」

「ああ、それは……」


 ニコニコと嬉しそうだったロサの笑顔が遠慮がちなそれに変わり、いよいよ小首を傾げ出したところで、絵美の笑顔に戸惑いが混じって鈴蝶まで逃げてきた。

 Alternativeの経歴は知っているし、絆の強さは今見せて貰ったばかりだ。

 今ならば、鈴蝶はAlternativeを信用出来る。立場は違えど、同じ志を持つ者達なのだと。


「話してあげてもいいんじゃない?Alternativeばかりに情報を出させるのは、不公平でしょ」

「……わかりました。実は私も愚痴を聞いて欲しかったのよ」


 おおう、と溜息が出そうになるのをグッと堪えて、鈴蝶はロサに向ける絵美の疲れた笑顔を心中大いに労った。中間管理職の悲哀は鈴蝶も知るところだ。共感に涙を禁じ得ない。

 本部の様子を見ていたロサも思う所があるのか、鈴蝶に視線を向けた。


「T.T.S.ってカウンセリングとかいないんですか?」


 これには鈴蝶も閉口するしかない。

 なにを隠そう、それはT.T.S.Masterとしての懸案事項でもあるからだ。


「うーん、元々一人常駐がいたんだけど。今長期休暇中なんだよね。代替人員の確保も急いでるんだけど、I.T.C.に入れて問題のない人格と経歴の持ち主でないと色々具合も悪いし、中々見つからないんだ」


 T.T.S.に関わる人員に求められる秘匿義務の重さは、尋常な重さではない。あ、源と紗琥耶は無視して下さい。

 常駐カウンセラーを務めるビアンカ・ヴント女史は鈴蝶の言った通り長期休暇中だが、彼女には監視員と護衛の同行とI.T.C.セキュリティAIに全感覚共有することを義務づけられていた。

 プライバシーを侵害する許されない措置だが、ゲリラ的に市井に紛れる薔薇乃棘エスピナス・デ・ロサスや他の反T.T.S.組織が相手である以上、略取や殺害の危険もあるメンバーには全員同じ措置を取らざるを得なかった。

 ちなみに、源と紗琥耶に限っていえば、この措置の対象外になっている。二人共、一人で一個師団を相手に出来る実力を備えているからだ。

 だが、それも本人の心理状態が安定しているからこそ出来る措置であり、その安定を脅かす外部要因があるのだとしたら速やかに除去されるべきだ。


「あの、Master。今後たまにでいいんで、ここで愚痴吐くのに立ち会ってもらえませんかね?」


 だから、絵美の提案には鈴蝶も同意せざるを得なかった。

 幸い、Alternativeの信頼度はこうして肌で確認出来ている。鈴蝶も立ち合うのであれば、まず間違いはないだろう。


「うーんそうねぇ……うん。また貴女に倒れられても困るし、前向きに検討してみようか」

「やった!」


 小さく飛び跳ねて喜ぶ絵美が痛々しくて、鈴蝶は心の中で土下座した。

 そんな二人の間に、オズオズとロサが入ってくる。


「それであの、賭けっていうのは」


 鈴蝶は内心舌打ちした。


『さすが絵美ちゃんの部下だっただけある……忘れてはくれなかったのね、あの問題児コンビを』


 絵美にその意図があったかは分からなかったが、いい具合に話題を逸らしてくれたのだが、主眼は見失っていなかったらしい。

 観念して口を割るしかない。


「紗琥耶ちゃんと源ちゃんの二人がT.T.S.内での実力がNo.1とNo.2なのは確かなんだけどね」


 絵美が溜息を吐いて後を引き継ぐ。


「さっき見て分かったと思うけど、あの二人は相性が悪いの」


 そう、それも決定的に。


「込み入った事情があるのだけどね、紗琥耶は源に殺意を持っているわ」


 アッサリと言ってのけた絵美の言葉に、ロサは目を剥いた。


「殺意って……そんなのコンビなんて組めるわけ」


 鈴蝶と絵美はアッサリ同意する。


「そうなのよね」

「そうなんだよね」


 ロサは言葉を失って口をパクパクと動かすだけだ。

 鈴蝶は捕捉する。


「T.T.S.は基本的に二人一組ツーマンセルで任務にあたるんだけど、組むメンバーによってチーム名が決まっているんだ。ポーカーの役に擬えてね。例えば絵美ちゃんと源ちゃんのバディは〈ストレートフラッシュ〉上から二番目の強役だね。絵美ちゃんと紗琥耶ちゃんのペアが〈クワッズ〉。絵美ちゃんとアグネスちゃんのペアが〈フルハウス〉。貴女の元上司は誰とでも強いコンビを組める優秀なリーダーよ」


 気恥ずかしそうな絵美を憧れの視線で見詰めるロサが、表情を変えて絵美に尋ねた。


「〈ロイヤルストレートフラッシュ〉はどのコンビなんですか?確かポーカーで一番強い役ですよね?」


 言われた絵美の目が少し逃げたので、鈴蝶が後を引き継いだ。


「源ちゃんと紗琥耶ちゃんのバディだよ。もちろんね」


 ロサは反射的ともいえる速度で反証する。


「それおかしいですよ。紗琥耶、さんにとってあの男は不倶戴天の敵なんでしょ?」


 その意見は、半分正解で、半分外れだ。


「そうね、だから基本的には上手くいかないの。でもね、同時にあの二人は揃って捻くれ者でもあるのよ。メンバーにはシミュレーターによるトレーニングが義務づけられているんだけど、あの二人にとっては遊びでしかない。そして、の」


 ロサは阿呆のように口を開けて呆けている。

 絵美もまた溜息を吐いた。


「源がトレーニング中になんて言ったと思う?『本気でやれよ!任務しごとじゃねぇんだぞ!』よ」


 『おぃ糞ビッチ』という接頭語を除けば、ほぼ完璧に再現された源の言葉に、いよいよロサは閉口した。鈴蝶と絵美も肩を落とすしかない。


「相対的に、あの二人は任務中にそのコンビネーションを見せることは絶対にない。だからあのバディは〈ハイカード〉の役も持ってるってわけ」


 無役ブタ最強役RSFか、まさに賭けなのだ。

 喉を潤した絵美が深々と溜息を吐く。


「一応布石は打っておいたの。だからそこまで悪い出目が出るとも思わないんだけど……現場ってなにが起こるか分からないものだから……不安しかないわ」


 気の毒そうなロサの視線を横目に見ながら、鈴蝶は絵美のメンタルケアを手厚くしてやろうと心に誓った。




~1937年5月15日AM11:20

カタルーニャ共和国 バルセロナ~


 春風が霞んでいた。

 硝煙と砂埃が舞い上がり、時折響く爆発音がそれをさらに空高く押し上げてる。散発的に飛び交う銃声と悲鳴が悪趣味なBGMとなり、美しい建物群と不気味な調和を成している。

 その建物群の一つ、カサ・ビセンスの付近で銃声とも悲鳴とも違う音が鳴り響いていた。

 人類史にその名を遺す偉大な建築家、アントニ・ガウディの処女作の隣、カルリネス通りに面するムデハル様式の修道院がその音源だった。赤外線照射機の起動音のような秋虫の音のような音は、次第にその強さを増し、やがてピタリと止んだ。

 修道院内の懺悔室から、一組の男女が出てくる。両名共に神父と修道服と神職の装いだが、立ち居振る舞いに敬虔さはない。

 ムデハル様式の礼拝堂の、幾何学模様が特徴的な意思の床をコツコツと歩く二人は、近場で響く発砲音にも眉一つ動かさず、呑気に口を開いた。


「おぉおぉ、燃え上がってんなぁ楽しそぉじゃねの」

到着時報告ランレポまぁだ来てない。遅漏過ぎるのも面倒臭いのよね」


 神様に堂々と中指を立てる言葉を吐きながら、生坊主達はつかつかと歩いていく。

 そのあべこべなコントラストが、イスラム建築とキリスト建築の融合したムデハル様式によく映えた。

 T.T.S.のNo.1とNo.2のコンビは慣れた足取りで出口まで歩を進め、源が修道院の扉に手を掛けたところで、紗琥耶に首根っこを掴まれる。


「にすんだ!」

「なに感じてんだよ気持ち悪ぃ、到着時報告ランレポ聞かねえとまた絵美ちゃんに殺され掛けんだろ、それとも調教されんのが趣味なのか?キモッチワリィ、Attention」


 答えも待たずに、紗琥耶は到着時報告ランディングレポートを起動させる。


〈私だ。手短に改めて確認すべきことだけを洗い直すよ。本件はOperation Code:G-3942。スペイン内戦真っ只中の危険時地任務Yellow-Black Stripesだ。そして、改めて説明するまでもないだろうけど、違法時間跳躍者クロックスミスは皇幸美。とんだ撥ねっ返りみたいだけど、くれぐれも無傷で確保するように。源ちゃん頼んだよ。仲違いをするようなら、の力を借りることになるよ〉


 音声が絵美の物に切り替わった。


〈はい問題児のお二人さんこんにちは。ゲッシュの拘束力は時空間移動しても変わらず作用するから忘れないように。あ、あと、ゲッシュには時空跳躍電波の常時確保機能も備わっているから、こっちで私とMasterが交代で監視するわよ。いい?〉


 問題児二人は揃ってうなだれる。

 効果覿面を予想していたのか、鈴蝶が咳払いを挟んで到着時報告ランディングレポートを締め括った。


〈えーっと、連れの男については遺伝子型DNAが見つからなくて現在調査中なんだ。跳躍調達師コーディネーターの可能性も高い。時空跳躍電波が確保されているから分かり次第追って知らせるね。貴方達二人に言っても意味ないかもしれないけど、気をつけて任務にあたってね〉


 知らぬ間に手を離していた紗琥耶が源と目を合わせると、互いに深い溜息を吐く。

 どうやら、ゲッシュは本家もかくやの効力を発揮し続けるようだ。

 だが、どんなものにも抜け道はあるものだ。


「それじゃこうしましょうか」


 紗琥耶はARでコーティングされたばかりの視界で北を指差した。


「まずは情報収集ね。アタシ北地区回るから、アンタ南地区ね。じゃ」

「ちょおぃ待て」


 慌てて引き留めようとした源だが、紗琥耶は一方的に言いたいことを言いたいだけ並べて、扉も空いていない部屋から消えていた。


「マジかよ……んっとどぉしょもねぇアバズレだな」


 残された源は天を仰いでそう吐き捨て、扉を開けた。


「おぉおぉ、燃え上がってんなぁ」


 街のあちこちから濛々と煙が立ち昇っていた。スペイン全土を呑み込まんとするファシズムと共産主義の戦火は、一月ほど前のゲルニカ空爆を経て遂にこのバルセロナに達した。

 フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ将軍率いるファシズム勢力はジワジワとバルセロナを侵食し、共産主義勢力の力を借りた反ファシズム勢との戦いは今まさに烈火のごとく燃え上がっている。

 焦げ臭さと血生臭さを思い切り吸い込んで溜息を吐いて、源は呻く。


「ダリィ任務しごとになりそぉだ」


 今回の任務は、後着型で、皇幸美はこのバルセロナに身元不明の男と到着し、どこかに潜んでいる。つまり、まずは相手を探索しなければならない。

 事前に先回りできればよかったのだが、ある理由でそれは不可能だった。


「しゃぁねぇ、戦場見物でもしながら探すか」


 振り返って十字架に手を振って、口笛を吹きながら源は扉を閉める。

 バタン!と扉の締まる音が、平穏と混沌に明確な線を引いた。


「エララ、凶運の掴み手ハードラックゲッターを展開しろ。肉眼視認化拡張現実ナナフシでコーティングすんの忘れんなよ」

《了解しました。凶運の掴み手ハードラックゲッター肉眼視認化拡張現実ナナフシでコーティングしての両手展開、実行します。展開まで3分ほどいただきます》


『遅ぇな』「了解、なるはやでよろしくな」


 柴姫音のスペックの高さをこんなところで思い知る。特別製の柴姫音とは違うエララでは、処理に多大な時間が必要だった。

 その間も、狭い通りを逃げ惑う市民が銃声と共に倒れ、怒号を上げながら兵士は走っていく。


『しゃぁねぇとはいぇ、不便なもんだ』


 咄嗟に源は落ちていた鉄パイプを拾った。

 一人の兵士が、源に向けて声を張り上げ銃を構える。

 ガラガラの怒号は言語を形作っていないが、その発声に源は違和感を憶えた。


『イタリア語?……なるほど、外国人義勇軍か』


 関係のない戦争に、他所の国から有志が銃を担いでやってくる。

 ヨーロッパではよくあることだ。

 いずれNATO軍結成に繋がるこの流れは、それでも現時点では不要なボランティア精神でしかなく、この街で燃え上がる火をより一層激しくさせていた。

 イタリア人義兵の銃から、乾いた発砲音が連射される。


『反射神経で撃ってんじゃねぇよアホが!』


 新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanという人体実験で得た神罰を免れる目Charismavogelperspektiveという源の左目は、世界の景色を一時停止させた。片目の視界105度ほどの世界が、完全に停止する。

 8発の弾丸が、こちらに迫っていた。

 その内3発は、源の身体を逸れ、虚空に向かっている。

 だが、残る5発は胸から腹に向けて大気を螺旋に引き裂いていた。

 ならば、源の取る行動は決まっている。

 鉄パイプを、下から上に鋭く一閃。

 特別製だが、それでも摩擦で焼ける素肌の痛みに耐える。

 鉄パイプもまた、凄まじい熱を持っていた。

 亜光速に近い速度で振り回されたパイプは、もはや原型を留めていない。ドロリと熔けた灼熱の鉄が、振り抜いた方向に零れていく。

 だが、効果はあった。

 形状が崩れるギリギリまで粘った鉄パイプの風圧が、弾丸の起動を全て巻き上げている。

 だが、代償は大きかった。


「っちぃな」


 焼け爛れた手の甲を苦悶の表情で見て、源は呻く。


「エララ、凶運の掴み手ハードラックゲッター展開したら治癒ナノマシンも展開させてくれ」


 言った直後に、凶運の掴み手ハードラックゲッターが手を覆った。


「……っ」


 下唇を噛んで痛みに耐え、涙目でイタリア義兵を睨む。


「ぜっけぇ後悔させてやっかんな、あの野郎」


 開始早々、任務のハードさが牙を剥いていた。




10


 ロマネスク様式とゴシック様式の混在する街並みを、紗琥耶は鼻歌を歌いながら闊歩する。


「お嬢さん♪お挿れなさい♪鉛をたくさん身体中、火照りで茹だってイク前に♪」


 源が聞けば渋面で「帰りてぇ」と呻くこと請け合いの言葉を吐く紗琥耶だが、彼女の前方と後方からは絶えず鉛玉が雨霰と降り注がれている。

 一個小隊が前方に6人、後方に6人と見事な分隊作戦を展開していた。

 その統率は、民兵に出来る動きではない。訓練された兵士達の動きだ。

 しかし、彼女が意に介することはなかった。

 現に、何発もの弾丸が紗琥耶の身体にあたり、通り抜けている。

 異常な光景に動揺した兵士達は、怒号や悲鳴が上げながら右往左往していた。

 戦場では妙な噂が広まることが多いが、その一端はこのようなT.T.S.の目撃例であることも少なくない。

 そんな中、紗琥耶はすぐ脇の路地に蹲る小猫を見つけて、道を折れた。


「ちっちっちっちっちっ、こっちおいでー」


 怯え切った子猫を抱き上げて顎を撫でてやる。

 一見意味のない行動だが、これにも立派な理由があった。


「イオ、この子の毛の付着成分、全部洗い出して」

〈了解しました〉


 よっぽどの猫嫌いでない限り、こんな殺伐とした場所で怯える小猫を見付けたら頭を撫でてやりたくなるのが人情だ。ましてや相手は華のティーンエイジャーの女子、猫に触れないわけがない。

 なにかに触れるという行為は、多くの情報を残す。例え小猫一匹取っても変わらない事実だ。


〈頭頂部より準強力粉を発見、蛋白、脂質、炭水化物の比率より、インスタント麺の原材料と類推〉

『はいビンゴー』


 あと20年は待たねば世に現れない素材を手につけた人物。未来から来た者の確たる証拠を得た紗琥耶だったが、すぐに彼女を追って来た数人の兵士による面制圧が背後から襲った。

 だが、同時に彼らは息を呑んだ。

 青ざめた。

 弾丸が通らない。

 先ほどまでは幾ら撃たれても死ななかった不死身の女は今、無敵の防弾女に代わっていた。


「あのさぁ」


 そして、あまつさえその防弾女は。


「いい加減鬱陶しいんだよね、雑兵ごときがさ」


 Gespenstと、ある兵士が呟いた。女性の声だった。

 ドイツ語で「化物」を意味する呟きに、紗琥耶は目を細めた。


「へえ、アンタたちアイツと同郷なんだ」


 スッと紗琥耶は小猫の目を手で覆い、もう片方の手を挙げる。怯えた兵士たちが身構えるより早く、彼らの後頭部が爆発した。


「助かるわ。ナチってどれだけ殺しても問題ないんだから」


 T.T.S.の規定上、普通は時空間跳躍先の現地人に手を下すことは認められていない。

 しかし、人を資材としか見ていないファシズムの兵に関して言えば、末端の歩兵レベルになれば消耗品も同然、どこで誰が死んだかなど、誰も気にしないのだ。


「イこっか♪」


 プルプルと震える小猫を撫でて、紗琥耶は路地を進んで行く。




11

~2176年9月30日PM2:41 東京~


 情報のハブ役というのは、気が休まらないものだ。

 四方八方から飛び込んでくる情報を精査し、真偽のほどを裏づけし、見やすくソートして然るべき者にリークする。

 こんなことを続けるのだから、気が休まるはずもない。

 はずもない、はずなのだが。


「ものすごいヒマね、コレ」


 ヴァーチャルロビーで、絵美は1人溜息を吐いた。

 情報を拾う者たちが有能すぎるのと、そもそもこんな仕事はとうの昔に人工知能の領分に変わっているので、なにもやることがない。

 絵美は源と紗琥耶のモニタリングをしながら情報を右から左に流す作業を淡々とこなす行為にウンザリしてきていた。


「わかっていたけどキツイものね、モチベーションの兵糧攻めは」


 しかし、彼女にはとりまとめるネットワーク以外のチャンネルもある。

 だから、とつぜんSilkが文字を踊らせて水を向けて来た時、ヒマを持て余していた絵美は内心「待ってました」と舌なめずりした。


《ねえねえ♪絵美ちゃん、ちょーっと昨晩バルセロナのコンビニで撮れた映像見つけたんだけどさ☆これとこれ♪見てくんない?》


 身を乗り出して動画に備える。


「オッケーSilk出して」


 それらは異なる時間を映した映像だった。店舗入口を見張るカメラが捉えるのは、店内の明かりが伸びた通りと対面にあるレストランの映像。

 録画時間を一瞥した瞬間から、古い方の録画に目が留まった。


「こっちは、粟生田外相と皇議員ね」


 議員二人はスペインの警官たちに護られながら足早にレストランに向かっている。

 問題は、もう一つの動画だった。

 時間は、議員二人がレストランに向かった僅か2分後。

 レストランから出てくる男が一人映っていた。

 天然パーマ気質な黒髪に、広い肩幅に筋肉質な大きな身体。落ち窪んだ眼窩からは緑色の瞳が周囲を睨んでいる。ルーマニア人とケルト人を合わせたような外見の男は、地味で特徴こそないが、確かな存在感を発していた。


《知ってるかなぁ?この男☆》

「……ええ、昔見たことあるわ。元ルーマニア共和国の国家体制維持勢の活動家。っていうか、もはや猟奇殺人者ね。“ルーマニア最後の串刺し公”ニコラエ・ツェペシュ」


 世界的に国家形態が瓦解に向かっていった2160年代初頭。ルーマニアでも国家解体の動きが出ていた。当然のことながら議論は紛糾し、政治活動は激化、仕舞いには1989年以来の革命闘争に発展する。

 個人主義や個別主義のもとコミュニティ体制を推進する国家瓦解派と、無秩序による混沌を懸念して国家体制維持を推進する国家防衛派の衝突は、かつての革命以上の熱狂を生んだ。

 各地での小競り合いが頻発していた各目1年目の冬、突如、国家瓦解派の幹部たちに対する猟奇的な暗殺事件が多発し始めた。

 直接的な死因こそ様々だが、全ての死体が口から後頭部にかけてスペツナズナイフで貫かれた、串刺しのような死体加工が施されたこの暗殺事件は、その余りに凄惨な光景から、“ルーマニア最後の串刺し公”による犯行とされ、国家瓦解派を心胆寒からしめた。

 当然、国家瓦解派は強い言葉で国家防衛派を非難したが、闘争開始から2年後にクルジュ=ナポカで行われた闘争終息協定の席で、国家防衛派は串刺し公との関係を否定。

 串刺し公は国家体制を捨てるルーマニアの、最後の伝説となった。


「でも、それは表向きの話」


 Silkが上げた串刺し公の情報に、絵美は口を添える。


「ヨーロッパ諸国のみならず、中東やアフリカ、西アジア諸国でも串刺し公のものと思われる犯行は確認されているわ」

《スペツナズナイフがブッスリ刺さってた☆と》


「ええ」


 絵美は1つの画像データを開く。

 狭い浴室で練炭コンロと共に横たわる遺体は、一見すればただの一酸化炭素中毒による自殺者のように見えるが、その口から真っ直ぐに屹立するスペツナズナイフの柄は恐ろしく光っていた。


「で、世界中の自警団や警察機関からの情報を洗って割り出された容疑者が、このニコラエ・ツェペシュってわけ」


 そこには、ニコラエの身分証の写真が載っていた。

 元NATO軍のものだ。


「ありがとう。Silk。引き続きニコラエの目的と居所を調べてみてもらえないかしら?こんな重要人物か偶然あの場にいたとは思えないし、場合によっては粟生田外相たちの身も危ないかもしれない」

《そう言われると思って現在全力で追跡中よ♪わかり次第教えるー♪》


「ありがとう、本当に感謝しているわ」


 いろいろな意味を込めた感謝を述べて、絵美はSilkとの交信を切る。

 場合によっては、と絵美はSilkに前置きした。

 それは、ある可能性に気づいたからだ。

 だが、確証がない以上、その気づきは可能性の1つに過ぎない。

 ならば、万全の体制を築くことから始める。

 まずは、その下拵えからだ。


『不謹慎ながら、楽しくなって来たわね』


 心中ほくそ笑みながら、絵美はチャンネルを変えた。


「Master、お話があります」




12


 弓削田ロサは恐々と絵美の報告を聞いていた。

 上司である絵美の知見の広さを誰よりもロサは知っている。

 だからこそ、その警鐘は深刻なものに感じた。

 ニコラエのことは知らなかったが、その残忍な仕立て上げ方は画像で確認している。

 まさか国際的な犯罪者を相手にするなんて、思いもしなかった。


《その情報は確かなんだね?》


 報告を聞いて、T.T.S.Masterは長い沈黙を挟んで問う。

 絵美の反応は淀みなかった。


《はい。加工痕跡も見当たりませんでした。確かです》

《そっか、ICPOウチの本部はなにやってんだろうね全く》


 溜息交じりの愚痴に、1拍の間を空けて絵美が切り込む。


《あの、Masterできれば》


 だが、T.T.S.Masterの反応は早く、冷たかった。


《ダメだ絵美ちゃん。さすがにそれを容認するわけにはいかない》


 僅かな間もなく絵美が返すのは、予測が立っていたからだろう。


《もし粟生田外相になにかあったら》

、だ。Alternativeの全員にも言っておく、動くな》


 今更ながら、ロサはゾッとした。

 T.T.S.Masterという立場の人間は、いったいどこまで把握し、想定しているのか。

 Alternative全員の思考を瞬時に掌握する鈴蝶の洞察の正確さと速さが、未来予見のように感じて、思わずロサは周囲を見回した。

 そうして彼女は偶然にも自分が国際線の近くにいることに気づく。

 国際線といっても、マントル層を経る超高速地下鉄道のことだ。

 地殻のさらに下、上部マントル層の中をグルリグルリと周回するリニア式の地下鉄道こそが、この時代の国際線のスタンダードだ。

 即座に、ロサは絵美との秘匿回線を繋いだ。


「絵美さん、私ちょうど国際線の前にいます。ベルリンの警察と私の所轄への口添え、お願いできますか?」


 絵美の反応は早かった。

 上司への離反など、毛頭も気にした様子もない。


《行って。後のことはどうとでもしてあげる》


 だが、やはり甘鈴蝶は凄まじい。

 すぐに直回線が割り込んできた。


《ロサちゃん。どうせ貴女たちは動くでしょうから先に言っておきます。深追いは禁物。そっちが勝手に動く以上、こっちも勝手にバックアップをつけさせてもらうけど、独行が過ぎるようなら抑止も手荒くなるから覚悟をしておくように。以上》


 一方的に警鐘を鳴らして、鈴蝶は通信を切った。

 残されたロサは、冷たい汗が背中をなぞる感覚を味わいながら、カラカラの喉になんとか1つ唾をのみ落とす。

 中断されていた絵美の通信が再開されるが、もはや頭に入ってこない。


《……てる!?ちょっとロサ!?聞いているの!?》

「……はい、委細、承知しました」


 なんとか言葉を絞り出して、絵美が感づく前に通信を切った。


「ホントとんでもないのねT.T.S.もうなんかいろいろ怖い」


 知らずに震えていた膝を手で抑えて、ロサは引き攣った笑いを浮かべる。

 冗談みたいな状況に、もはや笑うしかなかった。

 地下へとつながる国際線の入口が、地獄の口に見える。

 認めたくはないが、源との気楽なやり取りがほんの少し恋しかった。




13

~1937年5月15日AM11:32

カタルーニャ共和国 バルセロナ~


《幸美ちゃんっぽい痕跡恥ずかしいシミみっけた。そっち追うからアンタは勝手にやって》


 グラシア地区の目抜き通り“偉大な恵みの道”に面したポストオフィスの屋上で、紗琥耶からの事後報告を聞きながら、溜息を吐く。


「さっすがに早ぇな、あのクソビッチ」


 損傷した腕の具合を確かめる。

 幹細胞とナノマシンの相乗投与カクテルは抜群の効果を発揮し、大火傷した左腕は凶運の掴み手ハードラックゲッターの下で徐々に元に戻り、5分で動かせるまでになった。


「さぁてどぉすっかね。あのアバズレが先に見つけそぉなら丸投げって手もあるが……」


 握って解いて具合を確かめ、源は目を瞑る。

 五感の中で最大の情報収集量を誇る目を閉じたことによって、二番手の感覚が台頭してくる。


『……ん、こいつが使えんな』


 街の音に耳を澄ませた。

 並行して、聴覚収集レベルを上げ、オシレーションの観測を試みる。


『おぉ、バラエティ豊かに飛び交ってんじゃねぇか……三……いゃ、もっとあんな』


 ここに来るまでの僅かな距離からもわかっていたが、やはり義勇軍や外国人派兵の数が多い。

 後の世では有名な話だが、多数のナチス軍やイタリア軍がフランコ側についていた。

 対する共産勢力の中にもイギリス人やロシア人が混じっている。

 この時代のスペイン国民も気づいていることだろう。自国が世界大戦の模擬戦会場にされている事実に。


「相っ変わらず欧州人は勝手な連中ばっかだな」


 改めて、源は白人社会の不条理さにうんざりする。

 源自身、その不条理が生んだ存在だ。

 だから、一時的にとは言え頭に上った血を必死に押し下げ、更に耳を澄ませる。


「エララ、集音波帯を人の声域に限定しろ」

《了解しました》


 だが、聞こえて来るのは源にとっては聞き馴染んだヨーロッパ言語ばかりだ。


「違う!エララ、西洋言語は全カットしろ!探すのは東洋の音だ!」


 エララの返答など無視して、集音域を広げて音量を上げた。

 直後、暴力的な爆破音や発砲音に頭の内側から撃ち抜かれ、思わず源は呻く。

 だが、勝算はあった。

 この時代のヨーロッパにいるアジア人は中国人や日本人くらいのもの。

 更に言えば、

 本土での戦火に慣れていない日本人くらいしか戦場に取り残されていない。

 まあ、例外もいるにはいるが。


「……っ、義勇軍に日本人もいやがんな?エララ、声域を女に絞れ」


 頭の割れそうな音の洪水を掻き分け、遂に源は見つけ出す。

 「やめてよ!」と叫ぶネイティブの日本語を。


「エララ、今の声、どこからだ?」

《西に200mほど離れたグラシア通り方面です》


 治ったばかりの腕で膝を叩いて源は立ち上がる。


「っし!あの糞ビッチ捲るぞ」

《No.2。品性を疑われる発言は控えるべきと進言します》


 もはや腕の痛みはなかった。

 万全の状態を取り戻した源は屋根の縁に手をつき、更に片腕を放して腕一本で倒立する。

 軽く倒立腕立て伏せして感触を確かめた源は、グググ…と肘を曲げ。


「お前は小言を控えろエララ」


 一気に伸ばす。

 ポストオフィスの屋上から人影が消えた。

 少し遅れて、源を狙っていたであろう誰かが放った弾丸が空を切る。

 狙撃主は知る由もなかった。

 自身がターゲットにしていた男があの一瞬でベルリンの上空20mに跳躍していることも、そのターゲットが拾ったアスファルトの破片で正確に自身を狙っていることも。

 狙撃手は知らなかったのだ。

 源が聴覚情報の収集領域を広げる過程で彼の存在を認知していたことを。


「狙う以上、狙われる覚悟もできてんだろぉな!」


 腕一本で生んだ上昇力が重力と釣り合った時、一瞬の0加速度の中、指で弾いたアスファルトの破片が正確無比に狙撃手の頭を吹き飛ばした。

 この判断が迅速かつ的確にできるのが、源と紗琥耶の強みだ。

 しかしそれは戦場からやってきた二人だから可能なことで、絵美ではこうはいかない。

 市井を主な戦場フィールドにする絵美では、どうしても敵の命を奪うことに躊躇いが出る。生殺与奪が平穏無事に取って代わった世界では通用しない。


《No.2、対象を確認しました。皇幸美本人で間違いありません》


 地表に向かって加速する中、エララの言葉に源は目を走らせる。

 そして源自身も視認した。

 男の手を振り払おうともがく皇幸美の顰っ面を。

 だが同時に。


『っちきしょ!先越された!』


 男の死角に靄が見えた。

 その靄は、イワシの群れのようにきらりきらりと色を変えながら男の背後に迫り、そして、紗琥耶の輪郭となって実体化する。


『っのクソビッチ早ぇんだよ!』


 だが、そこから事態は更に動いた。

 男が不意に皇幸美の手を放し、実体化したばかりの紗琥耶に手を翳す。

 直後、紗琥耶が瞠目と共に霧散した。


「な!……今なにして!」


 思わず声に出る。

 失敗だった。

 男が源に視線を向ける。

 男の即応の一手目は、玩具のような銃、マイクロウェーブシューターだった。

 両手に構えられた一対のシューターが、的確に源の座標に焦点を合わせる。

 慌てて両腕を交差させたが、遅かった。

 源の身体を含む空間一帯で熱運動が活性化される。

 間もなく、源の視界は炎に包まれた。




14


『なぜこんなことになってしまった?』

『あの女に復讐するためだ』


『その通り、目標はあくまであの女のはずだ。だがこの体たらくはなんだ?』

『だから依頼を受けたんじゃないか!あの女を引きずり出すにはこれしかなかった!あの馬鹿で的外れな子供の護衛を引き受けるしか!』


『しかしその子供は明らかにお前の足を引っ張っているぞ!結果はこの有様だ!子供を持て余し、一撃で沈めなければならないあの女を取り逃した!』

「わかってんだよそんなことは!」


 石畳に叩きつけたウォッカが割れて、男はハッと現実に還った。

 ロシア人義勇軍の一個師団を潰して奪った携帯ボトルのウォッカ15本は全て空けている。

 いまだに震える手足を、身体を抱いて抑えつけ、固く目を閉じた。


『それにしても、あの男はなんだ?』


 ベネチア上空から飛来した男。

 常人の跳躍力では叶わない高さにいた。

 高度跳躍機器ジェットパックの機影も跳躍機内臓義足ディアフット特有の腰部の圧縮窒素射出調整機も確認出来なかった。

 つまり、男が自力であの高さまで跳んだということだ。

 恐らく、あの男もあの女と同じ類の存在だ。

 咄嗟にマイクロウェーブシューターで迎撃したが、手応えもなかった。

 マイクロ波凝固が少しでも起こっていればいいが、望みは薄いだろう。

 いずれにしても、ここから先の状況では、あの男も障害になるだろう。


「悪い冗談だ」


 再三したが、改めて装備を確認する。

 先ほど使用したチャフグレネードの残りはあと三発、二丁一組トゥーハンズ仕様のマイクロウェーブシューターのバッテリーは共に80%を残していた。

 場所と時代を考慮して、武器らしい武器は最小限にとどめた。ゆえに残る自前の装備は義手にした両腕に仕込んだアサルトライフルと袂の隠しナイフくらいのものだ。加えて、今しがたロシア兵から手榴弾グレネードを4個強奪できた。

 戦闘用のプログラムもバグなくしっかり動いている。

 戦いはまだまだ続けられる。

 続けられるのだが。

 人外ともいえる戦闘能力を有する2人の相手をすると思うと、まだまだ不安があった。

 男は立ち上がって周囲を探る。

 とても素面でいられなかった。


「……今度はワインが欲しい。イタリア人でも襲うか」


 なに、焦ることはない。

 このねじ曲がった時間の中では、体勢を立て直す間も十二分にあった。




15


 目を開けると、なんでもないヨーロッパの空があった。

 朦々と立ち昇る硝煙と砲煙が建物の屋根で四角く縁取られ、空気には血と火薬とコゲのにおいが混じっている。

 なんてことのない、ヨーロッパの空。

 だが、コゲくさい。とてもとてもコゲくさい。

 しかもこのにおい、どこかで嗅いだことがあった。


「髪の火、消さないと禿げるわよアンタ」

「うぉ俺のかよ!?」


 慌てて源は飛び起きた。

 嗅いだことがあるわけだ。

 人体の焼けるにおいなら、ウンザリするほど嗅いできたのだから。

 手で叩き消すが、毛先はすでに結構な量が燃えて縮れていた。


「あぁくっそ、こんなコゲてんのかよ」


 あまりの惨状に溜息を吐くと、紗琥耶が横からの口を出す。


「なにそれ?陰毛?」

「っせぇ糞ビッチ……あいつらどこ行った?」


 紗琥耶はつまらなそうに顔を背けた。

 源もまた自分の身に起こったことの全てを思い出して顔を顰めていたので、紗琥耶の感情発露は見送る。

 どうやらグラシア通りとディアゴナル通りを繋ぐ路地にいることが分かった。

 裏通りだけあって、各所で石畳も歯抜けになっており、粗が目立つ道だ。

 間隙を埋める砂には車輪が横滑りした跡や大小様々な足跡フットプリントも目立った。

 素人が見ればなんでもない通りだが、二人の目には情報の宝庫だ。


「アタシも今勃っきしたから知らない……けど」


 紗琥耶がスッと一角を指示する。

 砂地の足跡フットプリントだった。

 記憶を辿ってみると、確かにそこは幸美たち二人が先程立っていた場所だった。


「事後直後の足跡フットプリントが二手に別れてる」


 僅かな間にもしっかりと幸美と男の足跡フットプリントを記録していた紗琥耶は、分析さえもすでに終え、源に情報を共有してきた。

受け取ったデータを視覚のARコーティングに被せる。

 すぐに、二つの足跡フットプリントが帯となってペタペタと地面に浮き上がった。

 帯は片や大股でバタバタと、もう一つはふつふつと途切れながら反対方向に、それぞれ伸びていく。

 逃走というよりむしろ追跡するような印象を受ける、明らかに素人のものではない足跡フットプリントに自然と目がいった。


「で?どっち追跡トレースすんだ?」


 なんとなく尋ねる源の視線を、紗琥耶の手が遮る。


「だぁめ、そっちアタシの」

「なんでだよ」


 意外な言葉に紗琥耶の顔を見て、その嬉々とした笑顔にゾッとした。

 ゾッとすると同時に、そもそもこの状況そのものに違和感があると源は気づく。


「アレ、アタシとヤりたがってるから、ちょっと跨ってあげるの」


 一方的な宣言に開いた口が塞がらないが、口を閉じて開け直す。

 違和感の正体は明確だった。

 普段の紗琥耶なら、言葉を並べるより前に死体を持ち帰ってくるはずなのだから。


「邪魔すんなってか」


 わざわざ宣言してくるあたり、どうやら本気の警告のようだ。

 思いの外感情的になっている紗琥耶に、源は動揺する。


「アイツなにもんだ?どっかの傭兵マーシーか?」


 言ってから、自分のバカさに気づいた。


「アタシをが素人童貞にあるわけねぇだろ、んなこともわかんねぇのかインポ野郎」


 心底あきれた様子で溜息を吐く紗琥耶に腹は立ったが、自覚があるので仕方ない。

 どうやら、まだ頭がしっかりと動いていないらしい。


「で、誰なんだ野郎は?」


 紗琥耶はめんどくさそうに男の足跡フットプリントを指差した。

 詳細を調べて、また自分が馬鹿な質問をしたことに源は失望する。


「知らないけど、NATO軍アタシの古巣の靴履いてんだから多分アタシの元同僚ヤリ友でしょ。なに?アンタ髪陰毛になったら脳みそ灰になんの?」


 源同様、紗琥耶もまた特殊な事情を抱えている。

 違法ながら人間兵器として作られた彼女もまた、組織を抜けた後はそのアキレス腱として古巣に命を狙われていた。


「テメェのが先に起きたぶん若干頭回ってるだけだろ、いきがんなビッチ」


 問題はそんなことではない。


「んこたどぉでもいぃ、勝てんのか?そもそもお前どぉしてやられた?」


 訊かれた途端、紗琥耶は不機嫌そうにギロッと源を睨んだ。

 しかし、こればかりは仕方ない。

 いくら気に喰わない相手だろうが、今は相棒バディだ。

 相手は人外の力を持つ者を狙い、源と紗琥耶2人の奇襲をいっぺんに退けた手練れだ。

 そんな相手にT.T.S.No.1としてどう対処するのか、訊いておかないわけにはいかなかった。

 さてどんなもんかと眺めていると、紗琥耶が手を開いた。

 その手から、サラサラと銀色の粉が零れ落ちている。


「コレ、使われた。まさか持ち出してくるとは思わなかった」

「なるほどチャフか、ってこたぁお前今」


 チャフとは無数の金属片を散布し、電波を反射させて通信遮断を狙う軍事兵器だ。


「中身まだ詰まってねぇな?」


 違和感の正体が分かった。

 紗琥耶は動かないのではない。

 のだ。

 霧散したあの瞬間。

 本当に彼女はバラバラになったのだから。

 チャフ。

 それは




16

~2176年9月30日PM3:32 東京~


 とんでもない失態だ。

 なぜ気づけなかった。

 二つの事件が示し合わせたように起こったのに。

 なぜ思い至らなかった。

 あの時代、あの場所に跳んだ理由に。

 振り返れば、あからさまにと分かるのに。


「しかもチャフですって!? そんなピンポイントな武器どこで用意したのよ!準備万端すぎるでしょ!」


 ようやく戻った時空間跳躍通信から聞こえた会話に、絵美は戦慄した。

 敵は紗琥耶を熟知している。

 恐らく、

 そんな相手が綿密な計画を立てて彼女を引き摺り出し、打倒しにきた。

 はっきり言って洒落になっていない。

 一方、紗琥耶の秘密なぞ知る由もないAlternativeのヴァーチャルロビーでの会話は気楽なものだった。


《チャフってなに?》

《たしか電波遮断の兵器だったと思う》


《いやそれ以前に訊くことありますよね!明らかにヤバいこと聞いちゃいましたよね!》

《ヤバいことねぇ》


 直後、ロサがヴァーチャルロビーの個人サロンで問い質してきた。


「紗琥耶さんのこと、本当ですか!?」


 超高速地下鉄道からの問い掛けに、絵美の言葉は詰まった。

 他のメンバーとは違い、ロサは紗琥耶に

 それ故に、その正体には関心が高かったのかもしれない。

 絵美としても、全知覚共有センスシェアをすると決めた時点で紗琥耶の秘密がばれる可能性リスクは覚悟していたが、できれば触れずに終わらせたかった。

 しかし、その秘密が事態を左右するほど重要な要因ファクターになってしまっては仕方がない。

 意を決して絵美は口を開いた。


「事実よ。ご法に触れることは確かだけど、救命のための超法規的措置だった。それに、言い訳じみているけど、の」

「救命のためって、どう言うことですか?」


「……ちょっと待ってね」


 ここ数日、絵美の頭の片隅に常にあった苦い記憶が、鎌首をもたげた。

 それは、平時のT.T.S.ではタブーとされている話。

 同時に、全メンバーが決して忘れられない話だ。


「T.T.S.がTLJ-4300SHの設計情報奪取と発明者誘拐の阻止に失敗したのは覚えている?」

「覚えてますよ。“始まりの惨事”ですもん。一名亡くなってるんですよね、確か」


「そうね、そんな風に呼ばれているわよね」


 惨事と3事件を掛けた呼び名は、絵美自身は確認していないが、今や歴史の教科書にも載っているという。

 ロサの言う通り、T.T.S.は重要任務に失敗し、貴重な人材を一名失った。

 だ。

 だが失念してはならない。

 T.T.S.の出動形態の基本公式は、二人一組ツーマンセル

 つまり、死亡した一名にも相棒バディがいたのだ。


「……じゃあ、それが、紗琥耶さん。なんですね?」

「……ええ」


 絵美の同意に、水を打ったような静けさが広がった。


「なにが、あったんですか?」


 恐る恐るだが静かな覚悟を滲ませてロサが呟く。

 絵美としても、もう肚は決めていた。


「跳躍先に時代錯誤遺物オーパーツが仕掛けられていたの。跳躍先を強制的に変更させる装置よ」

「そんなのあるんですか?」


「ええ。恐竜とか持ち帰られたら洒落にならないからね」


 古代遺跡などで発掘される時代錯誤遺物オーパーツが跳躍時間の上限を制御する装置というのは、考古学者でも知らない歴史の真実だ。

 浪漫もへったくれもない話だが、絵美の挙げたリスクを鑑みれば当然の話だ。


「じゃあ紗琥耶さんたちは」


 息が詰まった。

 わかってはいたが、いまだにこの話をすると肺を握られるような感覚が襲ってくる。


「……跳ばされた。


 目の前が真っ暗になった。

 脳が拒絶しているのだ。

 肺が詰まってる。

 脈が速い。

 目が回る。

 頭が痛い。


「絵美ちゃん!」


 現実世界で肩を揺さぶられて、絵美の意識はヴァーチャルから浮上した。


「絵美ちゃんどうしたの!?なにしてるの!?」


 視覚デバイスを取り外されると、マダムオースティンが深刻な表情でこちらを見ていた。


生体情報バイタルヒドいことになってるじゃない。なにしたの!」


 気づくと、視界は真っ赤に点滅していた。

 発汗、心拍、血圧が異常な数値に釣り上がっている。


「ごめんなさい。大丈夫です……大丈夫、ですから」


 マダムに背中を擦られて、少しずつだが生体情報バイタルが収まってきた。


「大丈夫じゃないから私が来たんでしょう!?馬鹿なこと言ってないで寝なさい!」


 それでも視覚デバイスに手を伸ばす絵美を見て、マダムは先手を打って引っ手繰った。


「誰だか知らないけど中止よ!絵美ちゃんの体力がもう限界なの!」


 誰だろうと構わない!とばかりに怒鳴りつけるマダムの手から、再び絵美がデバイスを奪取する。


「絵美ちゃん貴女いい加減に」

「ヒロシマよ!」


 絵美がその単語を吐いた瞬間、ピタリとすべてが凪いだ。

 地殻より奥深くを進むロサにも、その様子は伝わる。

 すべて理解した。

 紗琥耶の秘密の真意も。

 絵美のトラウマも。

 全部全部理解した。


「そんな……」


 薔薇乃棘エスピナス・デ・ロサスはなんて残酷で、残忍なことをしてくれたのだ。


「紗琥耶さん……」


 言葉もなく、ロサの頬を涙が伝う。

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