第6話 Time Trouble Shooters
A.D.1893.9.21 21:14 大日本帝国 奈良県
コロコロとコオロギの声が響く屋敷に、時代錯誤の物が顔を覗かせていた。
TLJ-4300SHがLEDで闇に沈んだ世界を照らし出す。
その傍らに、蛍火のような灯りが燈った。
一瞬の明滅の後、それはくすんだ橙に沈み、代わりにのっぺりとした白煙を生む。
「ね~、一本くれな~い?」
ボンヤリと紫煙を見届けていた源の耳に、そんな声が飛び込む。
転じた視線の先に、手錠を嵌めた川村マリヤがいた。
不届きな
「ね~、一本~」
「頼み方がなってねぇ」
「え?」
「人に物をねだる態度か?それが」
「……」
「はい、もぉ一回」
「お煙草一本いただけないでしょ~か?」
「ちょい可愛く」
「……く、下さいニャン♪」
「気持ち悪ぃ。却下」
「殴るわよ」
「ジョークだ……取りたきゃ勝手に取れ」
「どこに持ってんのよ~?渡してくれたってい~じゃない」
「かったりぃんだよ。こっちゃ派手にバトった後だぞ」
「やっぱり疲れるもんなの~?光速で動くと」
「ぶっちゃけ着火すんのも億劫だ。頭も痛ぇし……良いことなんざ一つもねぇ」
「ふ~ん、やっぱ代償もあるんだ」
「元々はスカイフィッシュの能力だかんな、結構無理して人型に当て嵌めてんだろぉよ。お蔭でこっちは大迷惑だ……っ痛ぅ……」
「ん~ここにもないな~」
「話聞けよ」
顔を顰める源を無視して、マリヤはベタベタと源の身体中をまさぐった。患部に触ってもお構いなしで、手に血がつこうと気にも留めない辺り、どうやら本気で煙草が欲しいようだ。
「も~どこよ~煙草~」
「あ、馬鹿、そこじゃねぇ」
「え?」
マリヤの手に引っ掛かって、源の胸ポケットからオイルライターがこぼれ落ちた。
カキン!と乾いた音で地を跳ねたライターは、続く2バウンド目を軟物質に阻まれて音もなくその運動を止めた。
ライターが当たったのは、直垂の上。
ワインオープナー状の拘束具を足腰に巻かれた彼が、今にも起きるのではないかと二人は息を呑む。
「……」
「……」
だが、まんじりともせず臥床を続ける姿に、そっと胸を撫で下ろした。
「……なにやっているのよアンタ達」
背後からした絵美の声に、二人は飛び上がった。
しな垂れかかるマリヤと、それを遮るでもなく煙草を咥える源の姿が、果たして絵美の目にはどう映っただろう。
「いや、絵美これはな……」
「マリヤ!アンタいい加減にしなさいよ!!どうしてアンタはそう……あ!源!また煙草吸っているの!せっかく未来遺物洗浄したのにやり直しじゃない!!」
「……お母さんみたいね」
「……だな」
煙草を取り上げ、バタバタと室内に飛び散った灰の回収作業に移った絵美を、二人は好き勝手に評した。
お咎めのなさに肩透かしを受けた源は、未来遺物の除去作業を急ピッチで進めていく絵美を、ボーっと見守る。口調にイラつきもない様子を見るに、戦闘に参加出来なかったことに後ろめたさを感じているようだった。
『まったく、ありがたいバディだよお前は』
自然と柔らかな笑みを浮かべる源を、傍らからマリヤがつついた。
「んだよ?」
「そんな露骨に嫌がんなくてもいいじゃん。なに見惚れてんのよ、キモッ」
「喧しい技術者だな、用があんならさっさと言え」
「じゃー聞くけど」
枝毛でも気になるかのようにサイドの髪を撫でたマリヤは、目に力を入れて源の目を見る。技術者としての探求心もあるのだろうが、なにより結末を知りたいのだろう。噛みつくような迫力があった。
「大禍って本当にあったの?」
チラリとこちらを伺った絵美と目が合うも、源は表情も変えずに即答する。
「あったよ、当然だろ」
真実は伏せた。
T.T.S.の職務規定には、現在破綻防止の以外にも大事なものがある。
例えば、混乱を招く過去の暴露の禁止だ。
大禍の有無は、国際情勢に直結する重要案件だ。
いたずらにパワーバランスを崩すことは出来ないし、警察機関として、自らトラブルを生むわけにはいかない。
真実は、源と彼の報告書を読む上層部のみが知っていればいいのだ。
「ふ~ん、そう」
マリヤが納得したかは分からないが、ある事情で、それ以上の懸念は杞憂だった。
訊きたいことを聞いて満足したのか、ようやく静かになったマリヤにホッと胸を撫で下ろす。
だが、沈黙はすぐに去った。
「……失礼いたします」
真っ暗闇の廊下から掛けられた声に、三人は跳び上がった。
「誰?」
腰を落とし、低い声音で問い掛ける。
手負いの源をこれ以上戦わせるわけにはいかない。ここはなんとしても絵美が対処しなければならない。
源から返してもらったWITで密かに
声の主が誰かは見当もつかない。
敵か味方か…身を堅くしていると、緊張が伝播したのか、突然男は狼狽えの声音を上げた。
「な、なにやら誤解されておるようですが、小生は貴方方と諍いを起こすつもりはご座いません」
「え?」「ん?」「あ…」
その口調と声音に、三者三様の反応が返った。
「おいこら待てやこのバーゲン」
足首を掴まれた。
絵美自身、うっかり忘れるところだった。
43日前。
川村マリヤを確保するにあたって、絵美は人払いを行った。
その際、一人だけやたら苦労を掛けられた相手がいた。
確か、西洋ズボンに浴衣をつっかけ、学帽を被った。
「小生はただ、あるものを譲っていただきたいだけで……!!」
そう、この男だ。暗い暗い闇を照らす
絵美の記憶が確かなら、彼の足取りは物見遊山の集団に紛れたきり分かっていない。
いや、厳密に言えば、そういうことになっている、といった方が正確だろう。
「あの、譲っていただきたいというのは……なにを?」
「句を下さい」
「「へ?」」
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
その瞬間、場の空気は凍りついた。
誰もなにも言わないのに、誰もが一人の男に視線を送っている。
「えぇっとぉ?そりゃつまりどぉいうことだ?」
半ば開き直り、源は顔を曝して書生に尋ねた。
すぐに、書生の顔が輝き出す。
「おお、貴方は!!……さきほどは大変お世話になりました。それで、その、重ね重ね世話になって申しわけない限りですが。貴方の詠んだあの唄を、出来れば小生にお譲りいただけないでしょうか?」
「あぁ、うん。あれねぇ……元々俺のじゃないっつぅか……なんつぅか……」
「さ、左様ですか。あまりに小生の琴線に触れたゆえ、他人の作品と思えず」
しどろもどろに言葉を濁す源の前に、突然マリヤが会話に割って入った。
「あの~他人じゃないんじゃありませ~ん?」
例によって超至近距離で書生を眺めていた彼女は、真相をアッサリと解き明かす。
「正岡常規さんですよね~?」
「は?え?なぜ小生の名を?」
「正岡常規!?」
その名を聞かされて、すぐに反応出来る者は少ない。
雅号たる子規であれば別だが、常規の名をすぐに思い出せるのは血縁者くらいだ。
例えば、正岡絵美のような。
『ふふふふふ……ぜーったいに許さない❤』
ギラリと禍々しい瞳で源を見据えた絵美は、そっと記憶置換の用意を始める。
WITに落とされたT.T.S.の時間保全ツールの一つ。
記憶野への直接介入音波。
まさかそれを自身の御先祖様に使うことになろうとは夢にも思わなかったが、背に腹は変えられず、覆水は盆に返らない。
「あの、ちなみにこれまでどちらへ?」
「ああ、あちらの御仁に匿っていただきまして」
『おい馬鹿やめろ!こっちを指すな!!』
「そうですか。アイツにね。どうも、お世話になりました」
「は?いや、むしろ小生がお世話になった方でして」
『違ぇよ俺に言ったんだよ今の“お世話になりました”は』
さも雑談に耽るように、それとなく絵美は子規を部屋から連れ出す。
外したWITを子規の側頭部に近づけ、彼の意識に狙いを定めた。
子規の脳内から今日の真実を消し、歴史的事実としてあるべき過去を作る。
それがどれだけ惨いことで、どれだけ酷いことかは絵美にも分かっている。
勝手な人生を押しつけ、正しき未来の贄とする行為に、人権もなにもあったものではない。
「ごめんなさい」
「え?あ……れ……?」
WITを押し当てられると同時に、子規は昏倒の中に沈んだ。
これでいい。
これで未来は守られた。
今この瞬間から、正岡子規にとって“柿食えば~”の句は夏目金之助への返礼に化ける。
そしてもう一つ、分かったことがある。
絵美は源に一杯喰わされていた、ということだ。
その証拠に。
「あ、そうか、やっと分かった。私のWPにあったあのプロトコル、更新記録が跳躍先経過時間内だったのがどうも気になっていたのだけど」
「へぇ、そんなことが……」
蒼い顔をした源が、震えながら頷く。
今回、T.T.S.は帷子ギルバート確保のため、超法規的措置の名の元に重複跳躍を断行した。これは該当任務執行者たるストレートフラッシュの一人、
結果任務は無事達成されたわけだが、一つだけ絵美には気に掛かっていることがあった。
「そういえば、マリヤ確保前に紫姫音ちゃん“服かぶっているのがいてムカつく”って言っていたんだっけ」
そう、だから紫姫音はご機嫌斜めだった。
そしてその言葉は、嘘ではなかった。
自分と似たような、否、もう一人の自分そのものが任務を引っ掻き回していたのだから。
今考えれば、紫姫音はマリヤの確保に名乗りを上げたのも、それが理由なのかもしれない。対等な存在がしていることを真似て、咎められる理由はないのだから。
「常規の逃走に合わせて視聴覚データを過去の私に流し込み、架空の観光客をでっちあげる。でも常規がその幻想から飛び出したら意味がないから、一時的に彼を隔離したけど、結果として気体麻酔を吸わなかったからノコノコ出歩いてここに来た……と」
「す、鋭いご指摘ですね」
「ありがとう……で?」
「えっと……その……すんませんした」
「声 小 さ く な い か な あ ?」
「はい……スミマセン」
「うん❤許さない❤」
容赦なくバイオレンスタイムに突入したストレートフラッシュに、マリヤは溜息を吐く。
「あ、そうだマリヤ」
「え?な、なに?」
「アンタ帰ったらT.T.S.の技術開発部門で二重の意味の無休(給)で働いてもらうからよろしく」
「はあ?なんで私が?」
「獄中に閉じ込めるだけじゃアンタ暇潰しにセクハラし放題だろうから無休だろうが無給だろうが働かせてやろうっての。なにか文句あんの?」
「え~無休かつ無給って……」
さすがに冗談だろうが、しかしマリヤはその提案をどこか容認していた。
なんとはなしに、このコンビを見ていたい思ったのだ。
『退屈しのぎに源にちょっかい出すのも楽しそうだしね~』
それを思えば、T.T.S.も悪くはない。
薄汚れた思いを懐きつつ、決意を新たにしたマリヤの前で、源への断罪は終わった。
「だいじょ~ぶ?生きてる?」
「大丈夫、この後エリちゃんから受ける罰は精神系だから❤」
「Oh……あんたも色々大変ね~」
「……だよなぁ」
「全然そんなことないけどね」
「……手厳し~お母さんだこと」
そうして、TLJ-4300SHは動き出す。
《今》を作り続けるために。
扉が閉まる直前、源は新たなメンバーに満身創痍の手を差し出す。
ボロボロの締まりのない笑顔は、それでもどこか力強く、頼もしさを感じさせた。
「まぁ、そんなこんなで、これからよろしくな」
ようこそ、T.T.S.へ。
焉
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