第5話 ある証明

A.D.1893.9.21 20:23 大日本帝国 奈良県

A.D.2149.12.24 10:27 中華栄民国 上海



 虎穴に飛び込む心持ちで、源はTLJ-4300SH-吽から抜け出た。

 もっとも警戒していた開帳直後の急襲がなかったのはいいが、それで気が緩むわけもなく、目の前の光景に一層緊張の糸を張る。


「ブラックプールならぬブラッドプールだな、まるで」


 旧中国科学院上海分院跡地に造られた中華栄民国軍事科学研究所は、六角形の研究棟が片側二面で隣接し、鳥瞰すれば施設そのものがハニカム構造をしている。

 パーテーションで区分けされた研究室は可能な限り天井を共有する形で出来ており、四散する薬品類の刺激臭と大破した薬品棚、砕け散った実験器具で満たされ、正に蜂の巣に迷い込んだような錯覚を与えた。

 カーキ色と黒迷彩、異なる二色の服が彼我の区別なのだろう。

 死屍累々の兵隊達の亡骸が、見える範囲すべての光景を埋めつくしている。

 ある者は上下で身が割れ、ある者は肩毎頭部を吹き飛ばされ、ある者は頭から潰されている。

 肉片と骨片の間を縫いで歩きながら、源は確信した。


『違ぇねぇ、こんな真似が出来んのはギルだけだ』


 ニチニチと靴底で伸び、そこら中に飛び散る血の匂いの中、まともな形状を残したカーキ色の服を着た人間の頭部を探す。首に巻かれたNITと呼ばれる情報端末を取り外し、ついでに、予備の弾倉を二つかすめ取る。


「紫姫音、作戦オペレーションMAPとコイツの最後の風景を吸い出してくれ」

「わかった、できしだいかぶせるね」


 本作戦が現状況にいたった時点で、源はT.T.S.からの援助を一切受けられなくなっていた。

 主な理由は二つ。

 一つは跳躍先が軍事施設であり、妨害電波が様々な波長で入り乱れて連絡阻害を起こすため。

 もう一つが、T.T.S.No.2殉職時に機密事項が漏洩しないためだ。

 カーキ色は唯一的明星军团イーパッケージの誇りと団結の証。姿を歪めた母国に模範を示すべく活動する彼らの作戦オペレーションファイルは、施設内の地図だけでも闖入者たる源にとって強力な味方になる。


「すいだしできた!」

「さすがに早ぇな、仕事の速い、出来たレディだ」


 視覚にマップが降り、施設の全景がイメージに起こる。

 宙に浮いた矢印に従うと、死体がゾンビのように生き生きとその身を起こした。


「セクション3の方向だな……おぉ、荒れてる荒れてる」


 再現されたものとはまるで違う、亡き兵士の事切れを生の映像で共有し、源は爪先の向きを変える。同時に、紫姫音の報告が飛び込んだ。


「かんしカメラのマスターキーだっしゅにせいこうしたよ!グンジケイビボウヘキってマジでやっかい……うつすよ」

「か~くいぃ~」


 連続して褒めて見せたのに、紫姫音のリアクションは薄かった。彼女にもまた、思うところがあるのだろう。

 しかしながら、源の軽口にも理由はある。映し出された大禍の保管場所は、研究施設の最深部。一区画を丸々金庫にした施設内でも群を抜いて特殊な場所だったのだ。

 使用している金属は、源の持つ凶運の掴み手ハードラックゲッターと同種。

 核だろうが容易に凌ぎ切る箱を相手に、ギルバートは果敢に蹴りを入れていた。


「案の定な展開だな、テメェがどんな扱いを受けていたのかさえ忘れてやがる」


 かつて、源もギルバートも、大禍のように手厚い保護の下にあった。

 国家機密そのものである二人は、その人道的非合法性を鑑みれば、もしかしたら大禍以上の待遇だったかも知れない。

 決して表に出してはならない存在として生まれたモノ同士、惹かれ合うようにして集った三つの異形。

 しかし今、その一つは本来の在り方を大きく逸脱してしまった。

 それを止める役は、同じ異物にこそ相応しい。

 だから、源は紫姫音に命じる。


「紫姫音、アイツが憂さ晴らしみてぇに蹴り入れてるサンドバック、開錠出来っか?」


 その言葉の意味を、紫姫音は知っている。


「源、ヤクソク、ちゃんとおぼえてるよね?」

「当ぉ然だろ」


「じゃあなんでキンコあけなきゃいけないの?」

「紫姫音、お前は俺のなんだ」


「……ズルいよ源」

「そぉか?俺よかズルい奴がいんだろ一人」


 右手に加わった三つ目のWITをタップして、源は笑った。


「俺をクロックかなにかと勘違いしたT.T.S.の姫がよ」


 生還を前提に預けられたそれは、性質の悪い呪物のようにも思えるが、源は紫姫音に問う。


「そぉいやコイツの中身を訊いてなかったな、どのタイミングでどぉやって使うんだ?コレ」


 使い方が分からなければ意味がないので、そう訊いたのだが。


「え?」


 紫姫音が表情を引き攣らせる。


「源がつかえるものはなにもはいってなかったよ」

「……は?」


 瞬間、思考が停止した。

 今この電子幼女なんつった?から先に脳内の話題が移らない。

 使えないのなら、「絶対に帰って来い」という脅しの意味しかないことになる。


「あ、そぉ、うん、分かった……とりあえず、金庫頼むな」

「はぁ……わかった。ボウヘキのカズはんぱじゃないからじかんかかるだろうけど、やってみる」


 いよいよ呪物めいて来たWITを呆然と見て、今一度絵美の言葉を思い返す。

 “神のご加護をGOD bless you


『あぁ、そぉ言うことか』


 そして源は、余計なことを考えるのを止めた。





「ちょっと!どーゆー積りよ!WITアレなきゃ私達帰れないでしょ?」

「あら、源を誑かしていても見るものは見ていたのね」


「そんなことどーでもいーでしょ今は!」

「どーでも良くはないわよ」


「あー言えばこー言うみたいな切り返し止めてくんない!」


 自由になった両手をブンブン振り回して熱弁するマリヤを、実に適当な態度でいなしつつ、絵美は梁に腰掛けた。

 WITを渡した以上、今絵美に出来ることはなにもない。

 だからこうして羽を伸ばしているのだが、バディへの心配が貧乏揺すりとして漏れていた。


「別に良いでしょう、会話にリズムは重要よ」

「それこそどーでもいーわよ!あんた本当に正岡絵美なの?皮被った源じゃないわよね?」


「唐突になんてこと口走っているのよアンタ」

「は?……あ!いや、そんな意味で言ったわけじゃ」


「なに想像しているのよ下品ね」

「うるさいわね!あんたが言い出したんでしょーが!」


 今にも噛みつかんばかりの剣幕で怒鳴り散らすマリヤをよそに、絵美は天を仰ぐ。


「いつの時代も空は高いものね」

「ちょっと、聞いてるの?」


「聞いているでしょ、文句も言わずに」


 二人を取り囲むように、虫が鳴いている。

 朽ちた家屋に差し込む月光だけを光源に聴いていると、場違いにも、そこはかとなく幽玄とした心持ちで花鳥風月を味わえる。

 足元こそ落ち着かないものの、そこ以外は実に悠然たる態度に感じるものがあったのか、マリヤは嘆息して絵美の隣に座った。


「暢気なもんね」

「井戸に住んでいると、やれること少ないのよ」


「え?」

「知らない?井の中の蛙、大海を知らず」


「えっと……知らない」

「日本の諺よ。井戸に住んでいる蛙は広い海を知らない。世間知らずってことね」


「あーなるほど」

「これ続きがあるのよ。あまり有名ではないけどね。井の中の蛙、大海を知らず、されど天の高さを知る」


「天の高さ……」

「井戸から見たら、さぞ空は高く感じるのでしょうね」


「そりゃ地下だからね……さっきからなにが言いたいの?」


 直後、絵美が笑った。

 表情を窺っていたマリヤの背に、悪寒が走るような笑みだった。

 心にもない表現をすれば、まるで小動物をいたぶる子供のようなそれは、純粋ゆえに恐ろしい、狂った笑顔だった。


「例えどれだけ海が広かろうと、終末のラッパが鳴り響いて天罰が下れば逃げようがない」


 饒舌な狂喜の女は、そこで唐突に表情と話題を変えた。まるで神に告白するように、穏やかな声と表情で切り出す。


「少し、思い出話をしてあげる」

「え?」


「T.T.S.の承認試験を受けた時、死に掛けた話」


 いきなり不穏な流れに傾いた話題に、絵美に対する得体の知れない恐怖が膨らむ。

 相手の思考が分からない度し難い恐怖が、自然と従順な態度をマリヤに強いた。


「アンタ憶えている?2171年にロンドンで起きた占拠事件」

「憶えてるわ。犯人も被害者もいない謎の事件って言われたアレでしょ?T.T.S.が絡んでるって噂が広まって、どのメディアも砂糖菓子を見つけた蟻みたいに報じてた」


「そうね、T.T.S.絡みってだけでバリューは充分だったのでしょうけど、お蔭で色々隠すのに苦労したものよ……まあその成果もあって、連中も私が渦中にいたことまでは嗅ぎつけなかったけども」

「そう……良かったわね」


「現場の画像を見たことは?」

「崩壊寸前のビッグ・ベンなら嫌というほど見たわよ」


「今からあれを再現するわ」

「なんですって?」


 耳を疑った。

 ロンドンで起きた旧英国国会議事堂の占拠事件は、現代のオカルトとして有名だ。センセーショナルなビック・ベンの画像は嫌でも人を集め、情報も集めた。

 だが、橙色の光が時計塔の大半を吹き飛ばすのを目撃した誰もが、犯行組織や被害者を知らないこと、橙色の光の正体と思われる電磁狙撃銃やその弾さえも発見出来ないこと、周辺一帯のWITやNITの通信記録は丸ごと消失していたことが分かり、今でもこの事件は最も人気のトピックの一つとなっている。

 マリヤも一技術者として調べたことはあるが、それに目の前の女が関わっていたのは知らなかった。

 それを再現すると言う。


「源はそれ知ってんの?」

「知らないけど気づくわよ。そのための一言だったのだから」





 腹に響く重い打撃音が間断なく、徐々に強くなっていた。

 非常灯のみが照らす不気味な静寂の中にあって、その音は殊更高圧的かつ無慈悲に響き渡る。

 施設内の電気回線や自家発電区画は、唯一的明星军团イーパッケージの作戦初期の段階で破壊されており、今は災害時にも内臓電力で作動する物だけが動いていた。

 ゆえに。


「っと、まぁたこの類かよ」


 突如飛来した紫電を纏った二本の棘を躱しつつ、地上から20cmの高さに滞空する掌大の小型ヘリに対峙する。

 プロペラを四枚で滞空するソレは、警備用の自律起動型ロボットで、機体上部に取りつけられたレールが飛ばす二本一組の電極で相手を拘束する。

 ロボットヘリが次の電極をリロードするまでの僅かな間隙を突いて、源は唯一的明星军团イーパッケージからくすねたマガジンを向ける。

 迷わず最上部に顔を出す弾丸を指で弾いた。

 その気になれば光速で動く源の指は、銃のスプリングよりも速い。音速にやや遅れを取る速度で放たれた弾丸は、見事に機体中央を捉えていた。


「ほんとにロボットとめなくていいの?」

「あぁ、今は大禍の開放が優先だ」


 空になったマガジンを放り投げた源は、あと二つ角を曲がれば怨敵と再会することを確認する。

 足を止め、相棒に問うた。


「紫姫音」

「なに?」


「大禍解放まで、あとどんくらい掛かる?」

「もうすぐでおわる」


「そぉか、よろしく頼む」


 決着の時が迫っている。

 予想外の絵美の行動で、源の思い描いていた結末は大分ズレて来てしまっていた。

 正直、源はギルバートと大禍を使って心中する心積もりでいた。

 ただ、それではバディを明治時代に置き去りにすることになってしまう。

 紫姫音は源自身の生命活動とリンクして起動しているため、後始末を任せることは出来ない。

 これはT.T.S.の内部情報を護るための仕様であり、仕方がない。

 だから、源は何としてもギルバートに生きて勝利しなければならなかった。

 しかも、この勝利には重大な意味が加わっている。

 “神のご加護をGOD bless you

 現実主義者リアリストな絵美が放った、あまりに他力本願ファンタジーな言葉。

 そこに込められた意味は、WITを調べた紫姫音の報告で理解した。正直なところ呆れたが、絵美らしい遣り方は実に愉快だった。

 それにどう応えるべきなのか。


『なぁに、簡単なことだ』


 身の振り方を考える時は、いつだってこの考えに立ち返って来た。


『俺は武器だ。武器は使用者の意のままじゃなきゃなんねぇ』


 正岡絵美は、明確な意思でかなはじめ源を送り出した。

 ならば、源は神を掴む手Die Haendeum Gott zu fangenとしてではなく、T.T.S.No.2ストレートフラッシュの片手間ワンサイドゲーマーとしてギルバートに勝てなければ意味がない。


『アイツのために戦い、アイツのために勝つ。そんだけだ』


 幸い、絵美は逆転のカードまで用意してくれている。

 これで勝てないようでは、そもそも絵美のバディである資格がないということだ。


『厚かましぃ期待に応えんのも武器の役割だぁな……そんじゃ』

「いっちょやってやっかね」


 決意と頭の中に渦巻いていたあらゆる感情を洗い流す溜息に乗せ、決意も新たに肺に深く酸素を送り込む。

 熱を帯びた身体中の患部から心音を辿り、耳を澄ませる。

 自らの奥底から湧き上がる地鳴りのような脈動が、生命体としての証明を叫んでいた。

 ふと、絵美の言葉がフラッシュバックする。


“アンタはもう武器じゃない”『……そぉでもねぇさ』

「紫姫音終わりそぉか?」


「うん、カウントダウンひょうじするよ」

「よろしくどぉぞ」


 呟いて、歩み始める。


『だって俺ぁな』


 同時に光学迷彩カメレオンを起動させ、源の姿は景色に溶けた。マガジンパックを持った両手を孔雀の雄のように低く上げ、歩調を強める。

 口元が、自然と緩んだ。


『俺ぁこんなにもお前の武器になれて喜んでいる』


 間もなく、大禍の入ったパンドラの匣が開く。





 突然開放されて動揺したのか、ボロボロの扉を前にギルバートは棒立ちになっていた。


「どぉした、早く入れよ」


 だが、どこからともなく聞こえた源の言葉に即応し、あまつさえ音速越えで飛来した9mmの雨を捌き切って見せたのは、さすがだった。


「俺を振った野郎が、今更一体なんの用だ?」

「おぃおぃ俺ぁノンケだぜ、ゲイセクシャルでもバイセクシャルでもねぇ。テメェと一緒にすんなや」


「なぜ追って来たと訊いている。俺と仲良くあの世までランデブーしてくれんじゃねぇのか?」


 ガチャ、と重い特殊金属の取っ手が廻った。

 ギルバートの重い蹴りに耐えて見せた扉は、建つけにさえ支障をきたしていない。

 同時に、源が無警戒に姿を現した。


「じゃ確かめてみよぉや、果たして大禍は俺達を殺せんのかどぉか」


 扉を抑える源の右腕にWITが一つ増えていることを目敏く見つけたギルバートは、しかしその意味を考えることはしなかった。

 正真正銘、ギルバートは先頭を切ってここにやって来た。

 蹴散らした唯一的明星军团イーパッケージやロボットの数は、源の比ではない。

 仮に源がなにかを仕込んだとて、さほど脅威にはならないだろう。


「どぉした?運命のご対面を前にオシッコでもしてぇのか?」

「冗談の質が良くねぇのは相変わらずだな」


「あぁそぉかい、ならもっととびっきりのを見よぉじゃねぇか」

「……あぁ」


 源の言葉に引っ掛かるモノを感じつつ、ギルバートは源の支える扉を潜った。



「ねえ、アンタは大禍についてどんな風に聞いているの?」


 再び、絵美が話題を変えた。


「どんな風にって訊かれても……」


 思いつくことは、さほど多くはない。

 中華栄民国が独立を認めさせるために用いたウイルス兵器で、公共の敵唯一的明星军团イーパッケージが奪ったことで核大戦を生んだ、言わば戦犯。ということくらいだ。

 そう告げると、絵美は肩を竦めた。


「そうよね。私も同じことしか知らないわ」

「あーそう」


「オカシイと思わない?」

「え?」


 切れ長の目が下からマリヤを覗き込む。

 すべてのパーツが美しく、洗練された配置で成された顔は、同性を恋愛対象に置いていないマリヤでさえドキリとさせられる。


「中華栄民国が独立表明して、核大戦を経て20年あまりが過ぎたのに、分かっていることはそれだけなのよ?中華栄民国政府関係者以外の人間。例えば唯一的明星军团イーパッケージの連中は、どうしてなにも語らずに死んでいったのかしら?」


 なんとなく、絵美の言いたいことが分かって、マリヤは唖然とした。


「あんたまさか……」

「そう。大禍なんて物は、本当はどこにもないのではないか、と私は考えているの」


「さっきの“神のご加護をGOD bless you”にはそんな意味もあったの?」

「ええ、まあね」



 果たして、なにもない真っ白な空間がそこにあった。

 薬品棚どころか実験器具もない部屋は、どこまでが部屋なのかさえ判然としない。

 マトリョシカ式の多重セキュリティを想定していたであろうギルバートは、呆然と立ち尽くしていた。


「大した野郎だな、楊陽林って奴ぁよ」


 この部屋に入った瞬間から、源は爆笑していた。

 滑稽だった。

 ありもしない脅威に怯えて袂を分かつ覚悟をした中華人民共和国も、その脅威を掠め取ろうとした唯一的明星军团イーパッケージも、ブラフに踊らされて核大戦まで始めた世界も。

 そして、核大戦を契機に造られた自分達さえも。

 全員揃って、楊大佐の言葉に踊らされていたのだ。

 これを笑わずしてなんとする。


「大佐は脅威ってもんの一番重要な部分をよぉく知ってたんだな」


 脅威を与えるもっとも重要なこと。

 それは、脅威の情報を広めることに他ならない。

 正体不明のウイルス兵器と言うセンセーショナルな話題は、いつだって人々の関心を引く。

 憶測と噂で次々と広がって行く架空の脅威は、いつしか人々に真実味を持った常識として知れ渡り、公然の脅威へと成り上がる。


「そぉしていよいよ外敵の排除にすら使われて、大禍は大義名分の一役すら担ったわけだ」


 なのに、蓋を開ければ真実はこうだ。


「おぃコラ、ギルバート。なんとか言ぇや」


 今一番馬鹿を見たモノに、嗜虐的な笑みで問い掛ける。

 ガックリ脱力したギルバートには、もはや精気すらなくなっていた。

 気持ちは、分からないでもない。


『生まれた理由さえ否定されるってのは、案外来るもんだな』


 争いの火種を訪ねたら、争いのいらぬ独立の証に辿り着く。

 皮肉にもほどがあった。


『問題はコイツがどう壊れっかだな』



「問題」

「え?」


「生きて行く上で一番欠かせないものはなに?」

「……食事と排泄と睡眠と運動、あとは」


「どれもしなくても何ヵ月か生きられるわ。正解は呼吸」

「……正解させる気のない問題ってフェアじゃないと思うわ」


「あら、それは御免なさいね。じゃあ第二問、大気の主要四成分の中でもっとも重い気体はなに?」

「舐めてんの?二酸化炭素に決まってんでしょ」


「正解。さすがね」

「なんなのよ突然、イライラするわね」


 言いたいことが分からず、痺れを切らせたマリヤは喰って掛かる。

 怪訝な表情の彼女に対し、それでも絵美は不敵に嗤った。


「アンタもそうだけど、人間は愚かね。自分が一番偉いものだと根本的に誤解している。そんな人間に、“神罰”は下るのよ」



「なぁ、源。俺達は一体なんだ?なぜ生まれた?人が戦場から消え、鉄屑共が互いを喰い合う時代に、なぜまた俺達が戦場に立たにゃなんなかった?分かんねぇんだよ、それがどぉしても俺にぁ分かんねぇんだよ」

「知るかんなもん」


「神を追う脚を与えられた。じゃあ神ってどこにいんだよ。俺ぁ一体誰を追えばいぃんだよ。答えてくれよ源、俺ぁ誰と戦えばいぃんだよ。お前は一体なにと戦ってんだよ」

「今お前と戦ってんだろぉが」


「生きてく理由がねぇんだよ、あんなにも戦うことを強いられて来たのに、それがなくなっちまったんだよ、誰も彼もが俺を化物扱いして、辛くて辛くて仕方がねぇんだよ。どぉしてこんな風になっちまったんだよ、お前といた時のあの時間に戻してくれよ」

「冗ぉ談じゃねぇ、俺ぁ今が気に入ってんだ。武器でいられる今を、手放す気はねぇよ」


「……羨ましい限りだ。俺には出来ねぇよ。だが……クソ!もぉいぃ。全部いらねぇ。お前と死ねりゃ、それ以外なにも望まねぇ」

「人の話聞ぃてなかったんか?俺ぁ死ぬ気はねぇ」


「釣れねぇこと言うなよ、お前と俺の中じゃねぇか。だからつき合ってくれよ。な?」

「ヤダよ馬ぁ鹿」


「頼むよ源、なぁ!!!!源!!!!」


 キィィィィィと、ギルバートの手から、耳障りな圧縮音がした。



「恵まぬ雨の降り注ぐ間際、断罪の風は吹き荒れる」

「なにそれ?聞いたことないわよ?そんなの」


「当たり前でしょ」

「はぁ?」


「私が思いついたのだから」 



 その時。

 源が右手を差し出したのを、ギルバートは知らない。

 さらに言及すれば、その右手が、右手首のWITが、光輝いたのを、ギルバートは知らない。

 ギュワァ!!と轟音にも似た風切り音が、部屋を埋めた。

 直後。

 そこここから、風船を叩き割ったような音が炸裂して。


「グ………ガ…ァ……………………!!」


 ギルバートの身体が、見えないなにかに押し潰された。

 それは、かつて絵美を追い詰めた脅威。

 あの英国国会議事堂でのナノマシンテロの再現だった。

 新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanは凄まじい能力をギルバートに与えた。

 その一つが、光速移動物体すら捉えるという驚異的な動体視力だ。

 だが、この事実には誤解し易いところがある。

 手に入れたのは動体視力。

 視力そのものは上がっていない。

 ゆえにギルバートはこの攻撃を察知出来ない。

 いくら動体視力を上げようとも、無色透明な空気は察知出来ない。

 そんな当たり前の事実を、しかし絵美は見逃さなかった。


「でも、どうやって……」


 マリヤの疑問は、しごく真っ当だった。

 対象の認定、捕捉、発砲の三つのプロセスが、一体どこに当てはまるのかが分からない。


「私ね。肩を打ち抜かれたのよ、あのウォーターカッターで」


 正岡絵美は淡々と語る。


「その時ね、僅かだけど見たの。ギルバートの袖口から覗く射出口のノズルを。一番近くであの圧縮音を聞いていたのも私だし、視覚野と聴覚野の記憶は綺麗に取り出せたわ。型名はCIC3846750WS。キルチネルインダストリアル社製の軍用高圧水流射出機。通称オフコードは【恵まぬ雨レイン・ウィッチ・イズ・ノット・ギヴン】。それがギルバートの獲物よ。後はその圧縮音のデータを、対象、特定刺激としてプログラムするだけ」


 目まぐるしく展開する事態に流されつつも、しっかりと断片的かつ僅かな手掛かりを拾い集め、そこから正解を導き出す。

 光速の世界に生きるギルバートと、凡人の絵美。

 絶対的な彼我の実力差を、努力と執念と閃きで埋め、遂に彼女は欠片ほどの勝機を拾った。

 広大な砂漠の中からダイヤを見つけるような無謀な仕事を、まるでルーチンワークをこなしたかのように語る絵美に、マリヤは戦慄を覚える。

 ヒマワリの遺伝子情報より開発されたプログラムで制御したナノマシンを用いた遠隔攻撃。

 救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフの自動多重射出機構【断罪の暴風ストーム・オブ・カンダムネイション】。

 かくして、咎人を裁く暴風は吹き荒れた。


『超クールだろ?これが今の俺のバディなんだぜ』


 思っていた何倍もイカした攻撃に、思わず口元が緩んだ。

 駆け出す。

 濃度3%を越え、二酸化炭素はその毒性の牙を剥いた。

 震える足でなんとか踏ん張ろうとし、所在なく手を伸ばすギルバートに、源は告げる。


「ギル!!お前は今を生きてなさ過ぎる!!俺は自分の手で過去と今に線を引いた!!だからもう、俺は過去に取り合わねぇ!!お前の背中は見ねぇ!!俺は前だけ見て!!バディと!!正岡絵美と!!進むって決めたんだ………よ!!」


 言葉の締め括りと共に、つんのめるように源は破滅との握手シェイクハンズ・ウィズ・ダムネーションを突き出した。

 ギルバートの頬に、白い拳が喰い込み、紫電が部屋中に広がっていく。

 ギルバートの袂から、翁面がこぼれた。

 二人の足元に落ちたそれは、燦燦たる輝きに呑まれ、暴走する紫電に焼かれ、音もなく静かに砕け散る。


「お前だって、きっと変われんだ。俺に出来たんだからお前にだってきっと……な。もぉ、誰も追わなくていぃんだよ」


 ギルバートの身体は、力なく崩れ落ちた。

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