第4話Neuemenschheitherstellungplan

A.D.1893.9.21 19:53

大日本帝国 奈良県



「待っていたよ、源」


 暗闇の中、瓦礫の山から立ち上がった帷子ギルバートは尋ねた。

 どこへ向けたものでもない質問に、姿を現すことで応じる。

 かなはじめ源。

 新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplan神を掴む手Die Haendeum Gott zu fangenを得た青年は、その手に黒い凶運と白い厄災を携え、威風を纏って屹立していた。

 引き結ばれた口元には決意が滲み、自信漲る双眸は雄々しく宵闇を猊下する。


「よぉ、ギル」


 低音に沈んだ声は、ビリビリとギルバートの鼓膜を震わせた。

 本能的に感じ取る。

 先程までとはまるで違う。

 ギルバートのよく知っている源だ。


「43日ぶり」

「源」


「ん?再登場が不思議か?コリャはアレだ。超法規的措置って奴だ。重複跳躍っつって、んだよ?聞ぃてんのか?」

「君が未来から来たのはなんとなく分かるよ。けどね、今僕が訊きたいことは一つだけなんだ」


「そぉかよ。で?なに訊きてぇんだ?」


 我慢出来ず、ギルバートは笑った。

 彼もまた、常人ではない。

 神を追う足Beineum Gott zu jagen

 源と同じく新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanが生んだ身体は、ゾクゾク戦慄き落ち着かない。


「源」


 満を持して、ギルバートは尋ねた。


「君は今日……肉を食べたかい?」


 源の口元が、三日月形に釣り上がる。

 刹那、世界から音が消滅した。

 風は凪ぎ、散々鳴いていた秋虫も沈黙している。


「……野暮ってぇなギル」


 誰もが音波を譲る理由は、ただ一つ。

 これから始まる戦いに関わってはならないことを悟っているからだ。


「肉を食ったかだと?……当たり前だろ、たらふく食ったよ」


 主の消えた屋敷の中で、神の手足が激突する。

 凄まじい衝撃が駆け抜けた。



 暗闇に、轟音が響き渡った。


「始まった!?」

「みたいね」


 PRDG-28にほど近い参道の片隅に、女性が二人佇んでいる。

 一人は、長髪をバッサリと切ったセミロングの正岡絵美。

 もう一人は、仏頂面の川村マリヤだった。

 二人は、ギルバートが絵美と接触する直前にPRDG-28より離脱していた。

 今は、源からの戦闘終了の通信を待っている

 源が血塗れで転がり込んで来た時、絵美は脇腹をウォーターカッターで撃ち抜かれて倒れた。

 もしあの時マリヤを肩に担いでいたらを考えると、ゾッとする。

 だから絵美は、なによりもまずマリヤを叩き起こしに行った。

 これが川村マリヤ消失の真相だった。


「で?」

「なに?」


「そのNeuemenschhe…あれ?Neuemenschhei……ああもう!ホント言い辛い。新人類組成計画ってヤツはなんなの?」

「聞いて後悔しても知らないけど、どうする?」


 挑戦的とも取れる返答に、マリヤは出来るだけ強気に頷いた。


「言ってご覧なさいよ。それくらいの度胸はあるのよ」

「あらそう……なら、そうね、どこから話そうかしら……」


 話しの切り口を求めて、絵美はICUの三日目を思い出す。

 一日先に全快した源が彼女に話した過去と、その時の表情を。


「ヒトのDNAがウイルスのDNAを含んでいるって知っていた?」

「はぁ?それ関係あんの?……なによその眼!知ってるわよそれくらい!ウイルスが増殖する時宿主細胞に打ち込むRNAが逆転写酵素で宿主のDNAに組み込まれるってヤツでしょ。専門じゃないから詳しくは知らないけど、小数点以下数パーセントでしょ?」


「甘い。もっとある」

「一々癪に障るわね、じゃあいくつよ?」


「約8%」

「はち!?そんな!?……でもそれがどう繋がるの?」


 PRDG-28のマーカーを睨む絵美は答えない。

 ヒトの遺伝子が内包すると言う、約8%のウイルスのDNA。それこそ、新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanのキッカケ。神を掴む手Die Haendeum Gott zu fangen神を追う足Beineum Gott zu jagenの元ネタだった。

 2150年、中東における第一次核大戦に次ぐ、第二の核大戦を人類は引き起こした。

 舞台はジェンムー・カシミール地区。

 前世紀からパキスタンやインド、中華人民共和国の三国が複雑に国境線を絡ませる、いわゆるトリポイントだ。

 高い山々に囲まれた険しい地形に、不安定な天候、利権の火花が頻繁に散る危険な地に、一般人はまず寄りつかない。

 しかし、世界中から後ろ指を指される難民や貧困層は違う。

 彼らにとってこの土地は、上質なカシミヤの獲れる楽園に他ならない。

 だが、一方でそこは世界の敵パブリックエネミーの温床でもあった。

 中でも目立つ存在が、唯一的明星军团イーパッケージ

 旧勢人民解放軍の残党組織で、革命で生まれた民主主義国によって分割された旧母国を裏切ってこの地に流れ着いた精鋭組織だ。

 ジェンムー・カシミールのほぼ中央に位置するザンスカール地方の標高7000M級の山、ヌンを拠点にする彼らは、2149年12月28日、怨敵の開発した新型のウイルス兵器を盗み出すことに成功したと表明する。

 それは、考え得る限り最悪の事態だった。

 当時のニュースは、シミュレーション結果をこう示している。


“彼らがヌン山でウイルス兵器を用いた場合、季節風やジェット気流に乗ったウイルスは広範囲に広がり、二次感染によって半年で人類の80%の命を刈り取る”


 世界中の有識者がシミュレーションを重ねたが、弾き出されるのは人類滅亡が五年早いか遅いかだけ。

 爆縮型核爆弾の投下に異議を唱える者は、もはや誰もいなかった。

 核大戦といっても、発射装置をポチッとやって「はいお終い!」ではない。

 先行して一般人に変装した部隊を送り、充分な索敵と救助対象者の隔離をして出来る限り爆撃圏を狭めた上で、初めて核発射のスイッチに指を掛ける。

 そこで問題になるのが先行部隊だ。

 機械による無人戦争がデフォルトになっても、これだけは人の手でしか成し得ない。

 タイミングを誤れば被爆の危険性があり、仮に逃げ果せたとしても先の季節風に乗った死の灰を被る可能性のある彼らは、しかしその任務の有意性から、非凡な屈強さと有能さを求められる。

 挙げるべき才能は身体能力や高い潜伏能力や索敵能力、更には求心力や正確な人格選別眼など、枚挙に暇がない。

 大戦参加各国は、こぞってそうした人材の育成に傾注した。

 だが、その中でドイツ連合国だけが別のベクトルの開拓を始める。

 それが被爆しても問題のない、進化した人間の作成。

 〈新人類〉の創造だった。

 理想形の一つとして、ある生物が提示された。

 ハエ目ユスリカ科に属する昆虫、ネムリユスリカ。その幼生体だ。

 宇宙線が飛び交う過酷な宇宙空間で1年近く生存出来るこの虫ならば、被爆地に置くのに最適の耐久性を有している考えられた。

 ところが、本命を試す前段階で思わぬ発見があった。

 別個体のDNAを組み込むには、都合上、一度DNAをRNAに転写する必要がある。

 その行程のテストで、偶然にも当たりを引いたのだ。

 それこそ、光速移動物質を捉え得る動体視力と、瞬間的にヒッグス粒子とタキオン粒子を置換し、重量を無視して反応出来る能力、神資質Heiligeの発見だ。

 驚異のDNAの持ち主は、かつては撮影時の採光ミスとされ、22世紀中盤に発見されるまで幻生物でしかなかった存在、スカイフィッシュだった。

 この予期せぬ成果が、新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanの方針を大きく変える。

 光速での動作が可能というだけで、様々な可能性が出て来たのだ。

 まず、新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanに対する軍のオーダーが変わる。優秀な兵士はもはや不要となり、最も期待されるのは光速稼可動の人間兵器開発が期待された。

 しかし、思わぬ要因が障害として立ち塞がった。

 特筆すべき障害は、ただ一つ。

 たった二つしかない成功例が、ある特定の人種を必要としていたからだ。


「なんなの?」


 意図してなのか、説明を止めた絵美に、マリヤは問う。

 憂鬱な顔の絵美は、そこで溜息を吐いた。



「源!やっぱいいな君は!!最高だ!」


 狂喜に撥ねるギルバートの言葉は、前半部分が右で、後半部分が左で聞こえた。


『相っ変わらず速ぇなオイ』


 舌を打ち、源は善処に努める。

 だが、いかんせん、ギルバートは速過ぎた。

 懸命に姿を追ったところで、視界の隅に捉えるのがやっとだ。

 確かに、新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanで源は光速移動物を視認出来る目を得た。

 得たのだが、実はだった。

 つまり、彼がギルバートを捉えられる画角は、片目の視界百数度だけ。

 ゆえに、どうしたって遅れる。

 相手は亜光速移動物体だ。

 首を巡らせようと無駄、身体を捻るなど論外。

 加えて片目事情には、重大な欠陥があった。

 源がギルバートに黒星を並べたのも、実はこの欠陥が大きい。

 だ。

 距離や長さという概念には、最低でも2つ以上の観点がいる。

 所狭しと移動するギルバートを片目でしか捉えられない源にとって、その距離感は「近いようで遠く、遠いようで近い」ものでしかない。

 禅問答につき合わされる感覚が、戦い続ける限り延々と続く。

 地獄以外のなにものでもない。


「ごちゃごちゃうっせえな。舌噛むぞ」


 軽口を叩きながらも、釘づけされた部屋の角から全体を睨む。

 今のところ、源はギルバートの蹴りをことごとく躱していた。

 決して、受けはしない。

 脚と腕の力には、数倍の隔たりがある。

 神を掴む手Die Haendeum Gott zu fangenであろうと、神を追う足Beineum Gott zu jagenを受けることは出来ない。

ゆえに躱す。

 手で壁を押し、床を押し、天井を押しながら。

 だが、このままではジリ貧になるのを待つだけだ。

 形勢逆転を狙いたいところだが、中々決定的なチャンスが訪れない。

 彼の腕は、すでに結構な疲労を溜め込んでいた。

 これも、神を掴む手Die Haendeum Gott zu fangenの弱点の一つ。

 脚と腕では、疲労の蓄積率が段然違うのだ。


『早く使えよ、アレを』


 思わず歯噛みした直後、予期せぬ方向からの衝撃が源を襲った。


「クッソ……!!!!」


 引っ掛けられた衝撃のまま、信じ難い勢いで土壁に激突する。

 肢体をバラバラにされるような痛みが全身を襲い、意識が刈り取られそうになる。

 揺れる意識の中で全身が脈打つのを感じ、軋む関節をなんとか動かして瓦礫を押し退けた。

 揺らぐ視界が整っていく中、その中央にギルバートが降り立つ。

 10Mと空いていない距離で揺れる肩から、彼の身体が漸く温まって来たことが分かり、思わず源は苦笑した。


『っとに化物だなコイツは』「どぉした?もぉ疲れたか?」


 精一杯の強がりは、畳み掛けを阻止するためだが、当の化物は攻め込む様子も見せずにクツクツと笑った。


「楽しい。マジで…………いぃよお前」


 ギルバートは、右手を面に伸ばす。

 淵を掴んだ手に、粘性を帯びた液体が伝った。

 よりよろと立ち上がる源の目に、怪物のその素顔を曝す。


「見ろ源!!やっぱお前じゃなきゃダメだ!!お前じゃなきゃこぉはなんねえ!!」


 喚くギルバートの顔を、窓から差す月明かりが照らした。


「……相変わらず腫れんだな」


 源の言葉は、正鵠を射ていた。

 月明かりに照らされて、青白く輝く黒髪黒目のギルバートの顔。

 その表面が、パンパンに腫れて脈動している。

 歪に膨れた皮膚は白日の下では真っ赤に染まって見えただろう。

 パーツの位置もおかしい。

 右目の位置は正常だが、左目が下に寄り過ぎている。

 鼻の位置にも違和感があった。

 本来正中にあるべきものが右下に平行移動している。

 極めつけは口。

 正中にあるべき口唇は大きく左に傾き、フェイスラインをなぞるように耳元に伸びる。

 福笑いの失敗例のような、異形ともいえる相貌。

 見る者が目を背ける顔を、しかし源は眉一つ動かさずに見詰め続けた。


「シシメンヨウっつったっけか?また脈打ってんじゃねぇか。相っ変わらず痛々しぃなぁ……」


 気遣いも配慮もない、不躾極まりない言葉を吐き続けて、それでも源は目を逸らさない。

 それがギルバートにとって、どれだけ嬉しいか。


「あぁそぉだよ源……俺はお前の前でしかこうなれねぇんだ!!お前にしかこの顔は見せれねぇんだ!!お前だけがこの顔を直視してくれんだ!!だから俺は!!俺には!!お前が必要なんだ!!分かるか!?分かるよな!?お前なら!!あぁ!?」





「純血の黄色人種と消失した日本人ロストジャパニーズねえ」


 半信半疑のマリヤの声に、絵美は素気なく頷く。


「そんななん十年も前の都市伝説に信憑背があるとは思えないんだけど。あんたまさか、ホントに信じてるの?」

「もちろん信じてなかったわ」


「“なかった”……ね」

「見たのよ」


「なにを?」

新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanの資料」


「え」


 絵美は見た。

 新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanの資料、帷子ギルバートの製作過程を。

 そこには、タブロイド誌に載っているようなことが記されていた。

 読者諸賢もお気づきのことと思うが、源と絵美は純粋なモンゴルロイドの日本人ではない。

 日本人の遺伝子が持つ表現形では、蒼眼も赤髪碧眼も実現しない。特徴的な瞳と髪の色はすべて地で、彼らは異なる人種間の混血だ。

 なぜ和名の源と絵美が異邦人の外見を有しているのか?

 その原因は、すでに我々の周りに社会問題として提示されている。

 少子高齢化問題。

 見事な壺型の人口統計図を維持していた日本国は、ついに二十二世紀初頭に新生児数が三桁を切る人口減衰に陥った。

 目に見える国家破綻の危機に戦いた日本国政府は、そこで信じられない策を採る。

 国外の難民や低所得者を積極的に誘致し、経済衰退を犠牲に後進の世代を確保するという、正に「貧乏人の子沢山」を具現化した策だった。

 この政策は、結果的には成功したといえる。世界各地から相次いだ移民は5年で20万人を越し、それに比例するように新生児の数は急上昇。危惧された経済衰退も予想された範囲に収まり、むしろ順調に右肩を上げた出生率によって後々見事な立ち直りを見せたからだ。

 しかしその結果、日本国民の肌や髪や瞳の色は激変し、日本は人種のサラダボールに変わる。もはやモンゴロイドジャパニーズが稀有となり果てた頃、ある噂がネットで話題になった。

 スレッドに冠されたその名は、〈先住日本人保存計画〉。


【激しく人種が入り混じった今日の日本では、原住していたモンゴル系日本人の価値は崇高であり、日本国政府はこれを保護しなければならない。】


 上記主張のもと、一部の右翼系政治団体主導で行われているとされる計画だ。

 具体的には、モンゴル系日本人の隔離ともその個体や受精卵の冷凍保存とささやかれ、そうして保存された人々を、ネットの住人は消失した日本人ロストジャパニーズと命名した。

 およそ五千人余りとされる消失した日本人ロストジャパニーズは全国三か所の隔離施設に収監され、そこでは日夜、モンゴル系日本人の増殖が行われている。


 だが、匿名性の高いネット上の、しかもなんら証拠エビデンスもない書き込みということもあって、あっという間にこの噂は立ち消えた。


 というのが、世の通説だ。

 だが、帷子ギルバートのサンプルスペックデータに、それはキッチリと明記されていた。


2151/08/28 前年に日本国政府より一粒当たり8000€で購入した2111年保存のモンゴル系日本人の冷凍受精卵を、サンプルとして百粒使用

 

「ちょっと……それ、ホントにマズいんじゃないの?」

「なにが?」


 絶句するマリヤに、しかし絵美は平然と返してのけた。

 だが、これはマリヤの反応が正しい。

 なんせ絵美は、二国の機密事項を一遍に知ってしまったのだ。

 いつ口封じに殺されてもおかしくない。

 にも関わらず、冷めた印象を与える目は、揺らぎもしない。


「………なんでそんな余裕なのよ?ホント殺されるわよアンタ」

「それがさ、そうはならないらしいのよ」


「はぁ?」


 眉間に皺を寄せるマリヤには理解不能なレスポンスだった。

 絵美もまた、呆れたように笑う。


「源にね、“それだけは絶対にさせねぇ”って一方的に誓われたの」



 ギルバートが吠える。

 まるで赤子が全身全霊泣き喚くように。

 目の前の男に想いを刻みつけるように。

 己の中に燻り滾る血でも吐くように。

 声の限り叫び続ける。


「お前はいぃよなぁ。外見は大して変わんねぇんだからな…………でも俺は違う!!俺がどんな割を喰ったかお前もよぉく知ってんだろ!?研究所の連中も!!修練所の連中も!!誰もかも!!俺の顔をまともに見る奴ぁいねぇ!!俺を避けてやがったんだ!!憐れんでやがったんだ!!ざけやがって!!俺をこんなんにしやがったのは奴らだぞ!!なぁ!?源!!」


 帷子ギルバートの受けた新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanを語るには、もう一つ特筆すべき点があった。

 それは、他種のRNAを組み込む際に要する塩基変換機とも呼べる接着用RNAの存在だ。

 神を掴む手Die Haendeum Gott zu fangen神を追う足Beineum Gott zu jagenも、その本質的な能力はスカイフィッシュのRNAによって発現している。

 しかし、この接着用RNAだけはそれぞれ異なる物を用いており、神を追う足Beineum Gott zu jagenを産んだ接着用RNAは、らい菌だった。

 らい菌。ハンセン病の元となるその菌に、強い毒素はない。むしろ弱いといえるそれに、大半の人間は無反応だ。

 しかし一部、この毒素に対して特異的な免疫反応を示す者がいる。この反応が暴走して、深刻な炎症を引き起こすのだ。

 そして不幸なことに、帷子ギルバートはその特異免疫体質の持ち主だった。

 その症状は外見的にも深刻で、その影響は皮膚や神経のみならず、眼や内臓にまでおよんでいた。

 その最たる例が、源のいう“シシメンヨウ”。顔面が腫れて獅子舞のような顔となる“獅子面様”だ。

 顔が血塗れになっていくその症状は、直視に耐えないほど痛々しい。

 当然のように、周囲の人間はギルバートを避ける。

 研究所に出入りする軍族研究者は、特に酷かった。

 優性論に酔うネオナチ独特の精神も手伝ったのだろうが、自分の眼で見た者しか信じない研究者は、しかし見たものに対しては実に素直な反応を返す。

 食事も入浴も就寝も隔離され、会話も直視も避けられた。


 だが、たった一人だけ、彼と向き合う者がいた。

 ソイツはいつだって挑むような視線で彼を見て、存在を認めるように彼に引っつき、楽しそうに彼と会話する。


 かなはじめ源。

 彼だけが、ギルバートを人間として扱ってくれた。

 

 だから、ギルバートは恐れた。たった一人の友人、かなはじめ源を失うことを。


「俺はお前を失うわけにいかねぇ!!一人になりたくねぇ!!」


 必死に、顔中から血を噴き上げながらそう叫び、ギルバートは手を伸ばす。



「人間兵器ねぇ……無人ロボット同士の物量合戦No one deadに変わった戦場にわざわざまた人を立たせるなんて……ホント、人間って戦争好きね」

「“逆だ。戦争が人間を愛してんだ。どうしょもなくな”」


「……なにそれ?あんたのキャラでもないし、源が言ったの?」

「アンタが私のキャラ語るとはね……でも、そうよ、私も同じ反応して、源にそう修整された」


「ふーん」

「妙な話よね、なにか腑に落ちたの。それ聞いたら」


 確かに、言い得て妙だ。

 歴史を語る上で外せない項目、その筆頭が、戦争だろう。

 武力に限らず、時には経済や電脳世界でも、戦争は人類に寄り添い続けた。


『戦争に愛された生物か……』


 源の言葉を反芻して、マリヤは気づく。


『なら、あいつらは“戦争と人類の子供”なわけだ』


 どうにも、神を辱しめると碌な肩書が貰えないらしい。


「でさ、あいつホントに勝てるの?」

「勝てる」


 絵美の即答が、反射的に懐疑を呼ぶ。


「どっから来るのよその自信……あんた達ボロ負けもいいとこだったんでしょ?」


 遠慮のない言葉に、思わず絵美は苦笑した。

 意外なタイミングで浮かんだ笑みに、マリヤは虚を突かれ、続く言葉に絶句した。


「そうよね、普通そうよ。私ですらそうだった。でも、そうね……無理矢理納得させられた身として言えるもっともらしい理由は……惚れた弱味かな」

「うわぁ」


 マリヤは技術者だが、それ以前に女性である。

 絵美が懐く好意には、わずかなやりとりで気づいていた。

 無論、彼女が意図的にその事実から目を背けていることにも、だ。

 それが装いかは判然としなかったが、源との仲が進展するのは当分先に思えた。

 それがなんだ?この吹っ切れた態度は?

 まるで長期交際の仲を語るような、呆れと喜びと恥じらいの口調だ。

 だが、不用意な発言は出来ない。


『逆パターンもあるな』


 例えば、相手への未練が断ちきれず、どうしても諦めきれない時にも、似通った台詞は出る。

 それこそ、自虐と怨嗟のどちらも込もったドロドロの言葉として。

 人の不幸は蜜の味。

 捗る想像に、少しだけ頬が緩んだマリヤに、冷や水を掛かった。


「なに一人で盛り上がっているの?」

「っ!うるさいわね……勝てる理由ってなによ?」


「一つはギルバートが獲物にウォーターカッターを選んだことよ。源曰く、奴が光速で動かせるのは脚だけなのですって。無茶苦茶な話だけど、ギルバートは飛び道具に追いつける。でも、だからこそギルバートは、それを打つ瞬間だけは速度を緩めなきゃならない。脚に比べて遅い手を動かして狙いをつける必要があるからね」

「だったらなんでウォーターカッターなんか持って来たのよ?」


「それは有島の記憶で分かっているわ。救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフ対策ですって」

救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフ対策って、あんたそこまで早く反応出来るの?」


「私単品では無理だけど、源がエスコートしてくれれば出来るわ」

「なるほど」


「ギルバートは救済の溜息サァイ・ウィズ・レリーフを恐れていた。理由は新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanにしっかり書かれていたわ。あの二人の身体にはスカイフィッシュ固有のホルモンと器官、それと酵素が備わっているのよ。重量を司る素粒子ヒッグスを超光速の素粒子タキオンに置換するTLJと同等の機能。それこそが、神資質Heiligeの正体ってわけ」


 それはつまり、光速の世界に踏み入った二人には物理学の常識とはまったく逆の現象が起きているということだ。

 一般に、速度に比例して重量は増していくとされている。

 だが、重量そのものであるヒッグス粒子を脱ぎ去った彼らは、呪縛にも似たその制約を解き、人外の速度で移動出来るようになった。

 しかし同時に、どんな微風にも影響されてしまうという弊害を持ってしまったのだ。


「まあ、あと一点こじつけるとしたら室内戦闘だっていう点ね。空間に限りのある場所での光速移動はむしろギルバートの枷になるでしょうからね。そう見積もった上で、源は私に頼んだのよ」

「なにを?」


「“お前の力を貸してくれ”って」

「でもあんた、さっきからここにいるじゃない」


 首を傾げたマリヤを横目に、絵美は笑う。


「そうね、目に見える結果が出るには、まだ暫くかかるでしょうね」





 ギルバートは手を伸ばす。


「俺と来いよ源。俺にお前が必要なように、お前にも俺が必要なはずだ」


 嘲笑うほど自虐的に。悲しいほど寂寥的に。


「周りの連中。お前のパートナーとかほざくアノ女からすれば、俺達は化物だ。化物の相棒は化物にしか務まんねぇ。そぉだろ?」


 それはまるで、許しでも乞うようで。


「戻って来い。昔みてぇにまた組もぉぜ。俺達なら〈神〉だって殺せる。ニーチェよりも確かにだ」


 震える言葉を紡ぐ凸凹の顔を、特有の粘性で血が伝う。

 それを歯牙にも掛けず、瞬きを失念したように、目を逸らさない。


『ちくしょう、知りたかなかったよ』


 まるでサボテンだ、と思った。

 過酷な環境で生きるために瑞々しい外見を捨て、触れる者すべてを傷つけずにはいられないカタチになった。

 植物というあり方そのものを変容させるしかなかった異質な存在。

 渇いて刺々しい癖に、誰よりも潤いを求めて傷つけることしか出来ない血塗れの手を伸ばし、救いを求める。


『お前こそ、随分変わっちまったな』


 好々爺の面は、昔と変わぬ帷子ギルベルトとして接するための仮面だったのだろう。喧しかった張り合いを欲し、煩わしかった触れ合いを求め、ギルバートはギルベルトを装った。

 そうして未来を潰し、現実から目を逸らし、時間跳躍してまで過去を求めた。かつての源に期待した。

 だが、それはある意味源も同じだった。

 記憶の中のギルベルト。強く優しく誇り高い、戦火を背負う立ち姿に、美しさすら感じさせる孤高の武器。源が憧れた唯一の存在。

 源は、そんなギルベルトに勝ちたい一心で今日を迎えた。


『随分歪んだな、ギル』


 だが、今目の前にいるのはそれとは違う。

 源が過去を葬った代償に、ギルベルトはこんなにも醜く卑しいギルバートに変容してしまった。


『俺のせい、か……でもな』


 だからといって、ギルバートを許す気はなかった。

 なぜなら。


「ざけんな、お前は絵美を傷つけ、辱しめ、殺そうとした。」


 キッパリかつハッキリと、聞き逃しなど出来ぬように、源は告げる。


「それだけでも俺はお前が許せねぇんだよ。分かるか?お前を裁く理由なんざそんだけで十分なんだ。さぁ選べよ、どっちでぶちのめされたい?黒か?白か?」


 問い掛けに、答えはなかった。

 耳鳴りがしそうなほどの静寂。

 誰も口を開けない。

 光速の攻防の直後からか、とろ火で炙られるような沈黙が、蜿蜒と引き延ばされていった。


「そぉか……残念だ……残念だよ源」


 意識を繋ぎ合わせるようなギルバート言葉が、氷点下の冷たさで吐き出された。

 同時に、袂に伸びた彼の手が注射器を取り出す。


「じゃあもぉ、なんもかんもいらねぇ。なくなっちまえ、こんな世界」


 ブスリと首筋に刺さった注射針の上で、不揃いな瞳が憎々しげに源を睨んだ。



 ふと、絵美が米神を押さえて表情を曇らせた。


「……そう……分かった。用意は出来ているのよね?……ええ……ええ……分かった。ありがとう。ええ、バイタルヤバそうならすぐに私に言って…………ええ、分かっているわ。ごめんなさいね、わがままばっかり……はは……ええ、頼んだわ」


 通信を終え、なお項垂れたままのT.T.S.No.3。

 落胆を隠す気がないのか、そこまで気が廻らないのかは分からないが、肩を落とした絵美の姿が随分と弱々しくかつ無防備に見えた。


「……どしたの?」

「なんでもないわ」


 睨みながら返された言葉に辟易していると、耳障りな雑音が夜風を裂いた。

 スズメバチの羽音のような電子音にも似たノイズ。

 その正体を、マリヤは知っていた。


「ちょっとどういうこと!?これタイムマシンの音よね?」

「そうよ、それがどうしたの?」


「どうしたの?じゃないでしょ!私達どうするのよ?」

「別便だから大丈夫よ」


「別便?それって」

「少し黙っていてくれる?……あと、そろそろ戻るわよ」


「戻る!?正気!?」


 苦々しい表情で、絵美は頷く。

 死ぬかもしれない場所に行くなんて死ぬほど嫌だが、機嫌の優れない監督役の指示では仕方がない。

 深く嘆息して、数歩おきに振り返る絵美の後に、マリヤは続いた。





「派手な目晦ましもあったものね」

「あぁ……してやられた」


 浮かない表情のバディと共に梁を退け、顔にこびりついた埃を払った源は立ち上がる。腹を潰すように圧し掛かっていたそれは、ゴキブリやネズミの糞や死骸とおびただしい数の綿埃を撒き散らし、ボロ家屋の中を地獄絵図に変えていた。

 入室を拒否したマリヤを手錠で拘束した絵美さえも、正直長居はしたくない。


「……っ!っくっそ!」


 埃塗れの身体を払う源が歯を食い縛りながら呻く。

 フィジカルスキャンで軽く走査しただけでも、赤字表記レッドシグナルの重篤損壊箇所がスクロールを埋めつくす程満身創痍な彼だが、のんびりしてもいられなかった。


「エリから通信は?」

「あったわ。そしてビンゴよ、2149年12月24日。中華栄民国が公表したひた隠しにしていた大禍流出日時とピッタリ合致する。間違いなく、奴はそこにいる」


「なるほどな、お前の読みは最悪の正鵠を射たわけだ」


 つい今し方、ギルバートはここを発った。

 その際の目晦ましとして、彼は梁を踵で落としていったわけだが、そうまでしたのは、タイムマシンに乗るためだ。

 なぜここでタイムマシンなのか?

 その目的は一つ。

 唯一的明星军团イーパッケージが奪ったウイルス兵器を横取りするためだ。



2058年。

 中華人民共和国国内で、共産政権中最大規模の暴動が勃発した。

 切っ掛けは、埋まらない所得格差と改善されない生活環境に業を煮やした低所得者層や地方市民が、華僑の力を借りて起こした小さな暴動だった。

 中国政府は鎮静化の、陸軍と空軍に出動を要請。

 しかし、これを一部の空軍部隊が無視したところから、話が拗れ出す。

 軍規違反を犯した部隊への判決が下る日、陸軍の一部部隊が裁判所を襲撃したのだ。

 ここまででも十分に複雑な事態にも関わらず、頭痛の種はさらに芽吹く。

 裁判所襲撃と時を同じくして、別の陸軍部隊と一部海軍部隊が、共産党本部を占拠したのだ。

 中国政府は、非常事態宣言を発令し同盟諸国に応援を要請。

 だが、これに呼応する国はなかった。

 暴動を支援した華僑が、裏で外交的手回しをしていたのだ。


「衰退が無視出来ない中国経済より、我々生え抜きの華僑が展開する経済にシフトした方がいい。中華人民共和国は敵も多い国だ、同盟国でいる事でメリットが生まれる時代は終わった。それならば、我々が目指す新しい国家に賭けた方がいい」


 期待と不安の天秤を話術とデータで引っ繰り返し、彼らは中国共産党を孤立させることに成功していた。

 しかしながら、この騒動は奇妙な収まりを見せる。

 一連の騒動すべてを裏で指揮していた人民解放軍陸軍、楊陽林大佐が、共産政権の存続希望を表明。

 同時に、「祖国消失は望まぬし、国のあり方に優劣もない。我々は別の可能性を求めての建国を目指したまでである。ゆえに、我々が求めるのはただ一つ。独立の権利のみである」として、中華人民共和国を半分に割ったのだ。

 むろん、牽制も忘れない。


「ここまでの譲歩には、もちろん理由がある。我々は核兵器に変わる新たな兵器を開発した。当然傾国の威力を持つ物だ。もし我々を軽んずる行為、および意に反する行為を人民政府や諸外国が取った場合、我々はこれを用いて軍事を行使する」


 こうして、中華人民共和国の傍らに全く別の自治形態を持つ国が生まれた。

 その名は、中華栄民国。

 初期の暴動こそ死者が出たものの、犠牲者の少ない独立を成したことにより、世界中が中華栄民国を高く評価した。

 その影響は経済面でも如実に表れ、建国から五年を待たずして中華栄民国は母国の経済を圧倒。

 あっという間にGDPで世界第三位をもぎとった。

 しかしそうなると、人々の関心は別の問いへとシフトしていく。

 核と並ぶほどの脅威とは、一体なにか?という問いに。

 その正体を突き止めようと、世界各地の団体、組織が様々なアプローチを試みるが、結果として分かったことは二つだけだった。

 一つは、その兵器が国際法に違反する細菌兵器であろうということ。

 もう一つが、それを中華栄民国政府は“大禍”と呼んでいることだった。



「まさか本当に大禍狙いとはね……」

「どぉした?予想が当たったんだ、もっと喜べばいいじゃねぇか」


 そう、絵美はこの展開を予想していた。

 有島高尾の記憶野から抽出した情報と照らし合わせ、彼らが時間跳躍した場所を割り出し、同時に現地の警察組織に周辺すべてのインフラに設置された監視カメラの映像を提供してもらう。

 ギルバートと思しき人影をひたすら探す地道な追尾と懸命な継ぎ接ぎの結果、ついに彼女は中華栄民国の旧軍本部に佇む怨敵の姿を捉えた。

 源から聞いた情報とギルバートに接触した際のプロファイリング、入手したばかりの映像証拠、揃いも揃った材料から、彼女はある結論を導き出した。


“帷子ギルバートは存在理由レーゾンデートルに疑問を持っており、そのことで世界を憎んでいる”


 当初は、まるで思春期の子供の様な犯行動機だと思った。

 だが、神も仏もいないこの世界で、それでも神と追い駆けっこをすることを運命づけられたギルバートを、笑う気にはなれなかった。

 それはもちろん、バディに対してもだ。

 気楽に絵美をからかった源の口元は硬い。

 理解は出来た。彼はこれから、単身で正体不明のウイルスをドンパチ奪い合っている中に身を投じなければならないのだから。


新人類組成計画Neuemenschheitherstellungplanで免疫は強化されているのよね?」

「あぁ、フィトンチッドで時代遅れの花粉症になるくらいだ」


「その中に大禍のデータは?」

「入ってるわけねぇだろ、サンプルは核で消滅、データは隠蔽中だぞ」


 アッサリかつキッパリと、表情も変えずに言ってのけたバディを、絵美は注意深く観察した。

 座っているのに僅かに傾いた姿勢と、呼吸音に混じる液体の気配。

 出血著しい箇所に貼ろうとセロファンを剥がす手は薬指が動いておらず、全身から噴き出す汗で患部に埃がこびりつたままだ。


「……ねぇ、やっぱり私が」

「駄目だ」


 堪らず発した提案は、言い終えることも許されずに却下された。

 聞く耳も持たない意思表示に背中を向けた源に、食い下がる。


「アンタはもう武器じゃない」


 沈黙で表す拒否の姿勢が、絵美の心を寂寥に突き落とす。


「アンタは私のバディなの!人間なの!T.T.S.のNo.2で、ストレートフラッシュの片手間ワンサイドゲーマーとして違法時間跳躍者クロック・スミスに恐れられる立派な人間なの!どうしてそれが分からないの!?」


 “本作戦において、基本的に正岡絵美は後処理に当たること。もし状況が2149年まで進行した場合も、正岡絵美は事後処理のため1893年に待機。時間跳躍者および帷子ギルバート確保はかなはじめ源のみとする”


 到着時報告ランディングレポートが告げた余りにも残酷な指示に、当初は困惑した。

 なぜなら、絵美はギルバート追跡と平行して、彼の攻略法をも独自に編み出していたからだ。

 ただ、その方法には、どうしても絵美のWITが必要だった。距離にすれば5㎞以内、時間は同時刻に。

 その条件が、崩れ去ってしまう。

 しかるべき時に源と打ち合わせが出来ればよかったのだが、ギルバートの足跡追求と攻略法考案だけで手一杯だった。

 いっそ今言ってしまえばいいとも考えたが、待ち受けるギルバートがどんな迎撃手段を採るか分からない以上、判断は出来ない。

 状況は、世界の分水嶺に差し掛かっているのだから。

 ただ、嫌な予感は拭えなかった。

 ギルバートの懐く疑問を、源もまた懐いたはずだ。

 戦争の為に造られた兵器は、平静の世では無用の長物でしかないのだから。

 ならば、源の選択は、一体どこに流れ着き、終着するのか?

 それを考えると、絵美は怖くて堪らなくなる。

 止めたいのに術がない。

 急騰するジレンマで頭が可笑しくなりそうだった。


「ちょっとなに~?外まで響いて来たんだけど」


 だから、不意に加わった女の言葉に返す言葉が見つからなかった。

 出来る限り足元を見ないようにしているのか、壁に向かって話し掛けるようにして、梁でぶち抜かれた部屋を渡るマリヤ。

 転ぶこと請け合いの歩き方に、案の定すっ転び、絶叫している。


「あ!」

「あぁあ、馬鹿だなあの女。ちゃんと面倒見とけよ」


 自力で起き上がることも出来ずにのた打ち回るマリヤに大慌てで駆け寄る絵美へそう投げ掛けて、源は立ち上がる。

 ちょうど、背後でタイミングよく、TLJ-4300SH-吽の来訪を告げる雑音がした。

 マリヤを助け起こすのに手こずっていた絵美の頭は、フル回転ですべき行いを選定する。

 どうすれば秘策を伝えられるか、彼女の思いはどうすれば伝わるのか、そして、源に存在理由を与えるのに最も有効なことはなにか。

 かくして。


「じゃ、ちょっくら行って来「源!」……あ?」


 光には到底およばない音速の制止を追って、放物線が疾駆する。


「ちょおま、結構なドSっぷりだな……っておい!WIT俺に渡してどうすん「勝って!」……へ?」


 ギリギリキャッチした反動で再出血した部分を押さえる源に、畳み掛ける。


「勝って私達を迎えに来て!ここで待っているから!絶対に生きて戻って!勝手に終わらせようとしたらこの時代に生きながら恨み続けるからね!」


 源も、そしてマリヤでさえも、ポカンとした顔で絵美を見ていた。

 まあ、それも致し方ない。

 T.T.S.のWITには、時空を隔てて通信出来る機能が備わっている。

 それを預けるのは、自ら軟禁を申し出るに等しい。

 そんな馬鹿は、まずいない。

 ただ、愚行は時に場を和ませる効果を持つ。

 今回もそうだった。

 実際、源の肩が僅かに震えている。


「……らしくねぇことしやがって、傷開いたらどぉすんだ馬鹿」


 くっくっと暫く俯いていた彼は、そのまま両手のWITに絵美のそれを加える。

 幾分和らいだ目元で笑い、源はもう一人の相棒に指示を飛ばす。


「紫姫音、同期頼んだ」

「わかった」


「んじゃまぁ、改めて言うのもなんだが、行って来らぁ」


 ひらひらと手を振った源が扉を閉める瞬間、絵美は最後の一言を投げた。

 大事な最後のピースを、たった一言で埋める。


神のご加護をGOD bless you


 刹那、源の目が驚きに瞠り、絵美は意思が伝わった事を確信する。

 時を超える雑音が聴覚を支配する中、絵美は笑った。

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