第2話肉叢贄となろうとも

A.D.2171.8.25 15:55 UFCC・E ロンドン



 T.T.S.に加わるには、三度の筆記試験と四回の面接試験、そして最終実技試験を受ける必要がある。面接と試験を交互うその期間は、約1年。その間、受験者は適性を診られ続ける。

 過酷なことに、この査定は最初の面接以降一切の通知がなく、受験生は各面接および試験の中で次の査定日時や会場のヒントを探らなければなかった。

 しっかりとした集中力と僅かな手掛かりも見逃さない注意力と視野の広さ、そしてなにより切り替えの早さが要求されるという、とんでもない難易度のものだ。

 源と絵美が初めて出会ったのは、そんな査定の第二回の面接時だった。

 前回の筆記試験時に見つけた情報により、面接会場が旧英国の国会議事堂にある時計塔ビック・ベンの時計調整室だと知った17歳の絵美は、当然のように5分前にその前に立つ。

 時の流れは国をも変える。かつては先進国の名を欲しいままにしていたイギリスは、22世紀の中頃にその歴史を閉じた。当時の英国民が個人主義に則った革命を起こし、国という形態が保てなくなったのだ。

 彼らは独自の判断基準で小規模なコミュニティを乱立し、それぞれが相互の協定を築き、対立関係に陥りそうならば距離を空けることで武力衝突を避けた。

 そこにあったのは、理性的な協調と気づかいの精神であり、“いざとなれば我々は一味岩である”という敵対者達への牽制だった。

 そうした歴史を乗り越え、現在は各コミュニティの代表者会議の場として使われているここが、彼らの誇り。旧英国国会議事堂だ。

 時が刻んだ風格以外の一切を排除した荘厳なたたずまいに、思わず溜息が出る。これほど時を象徴するに相応しい存在を会場にするというのは、胸のすく思いだ。

 前試験で試験監督者からスった偽装IDを使い、幹細胞製変装マスクで堂々と登院を果たす。

 選挙戦を勝ち抜いた覚えも政治団体に履歴書を送った覚えもないが、虹彩や静脈、指紋にいたるすべてのアイデンティティを完全再現した偽装IDは、厳重な警備網を一瞬でザルに変えた。

 順調な推移に満足しつつ、鼻歌交じりに時計塔の螺旋階段に足を掛ける。

 午前中の市内観光や軽いショッピング、雰囲気だけは楽しめた不味い料理を思い出し、絵美の足取りは軽い。


 さて、読者諸賢はお察しのことと思うが、こんな僅かな項数も稼がぬ内にこの章は終わらない。

 

 トラブルは奇襲を好むのだ。


「なんの騒ぎ?」

 さきほどから、登院口付近が騒がしい。

 奇声や怒号、慌ただしい足音に混じって、悲鳴まで聞こえる。

 瞬間、絵美は葛藤する。

 彼女は決して暇ではない。

 面接開始までの時間は僅かで、今時間を取られれば、確実に遅刻する。

 無視するのが得策なのは火を見るよりも明らかだが、同時に凄まじい勢いで変な使命感が膨れ上がった。

『私これからICPO入るのよね?そこって国際レベルでの治安維持的なアレだよね?っていうかむしろ時空レベルだよね?ヤル気の見せどころじゃない?むしろ見逃した方が査定結果に響くのでは?そうよ、こんな時こそ天下のICPO様?御中?どっちだっけ?まあとにかく出番じゃない!やってやる!やってやるわ!待ってろトラブル!私がお前を一撃の下に面接開始まであと3分しかなくて泣きそうな鬱憤ごとグチャグチャのメシャメシャにのしてやる!ああ、間違いなく今から行っても間に合わね。死ねトラブル!私の焦りと絶望と共に木端微塵に砕け散れ!あははははは!』

 据わった目で肚を括った不審者は、怨念の籠もった足取りで踵を返す。お巡りさん、一番危険なのは彼女です。

 螺旋階段を駆け下り、大理石の廊下に敷かれた絨毯を、体幹を逸らして音を殺しながら駆け抜ける。近づく喧騒に腰を落とし、ついに最後の曲がり角を捉えたところで、絹を裂くような悲鳴と煮え湯のように滾るそれを聞いた。


「動くな!俺に背中を向けて一列に壁際に並べ!さもなきゃ旧英国初のトマト祭ラ・トマティーナを始めることになるぞ」


 テロが行われれば古今東西を問わず聞くであろう、お約束の台詞だった。

 リコピンにデコピンされてしまえ!と心中ブーイングを入れ、コーナーで息を殺しつつ、絵美は相手の出方を探る。

 だが、探るまでもなかった。

 勝ち誇った男の声が、朗々とルールブックを読み上げる。

「ゲームルールとプレイシチュエーションを教えてやる。外にはγスコープと電磁狙撃銃で武装した狙撃手スナイパーが四人張っている。加えて地下の支柱にC4も仕掛けた。俺の心拍との連動式信管を採用しているから俺を殺せば手前ら全員火星まで尻を蹴られるぞ」

 C4とはまた随分古風な爆薬を使っている。

 だがまあ、先進諸国が軒並み国家という枠組みを失いつつある昨今を思えば、一武装集団が用意出来た物としては上等だ。

 そう考察していると、テロリストは気になることを口走った。

「ゲームのクリア条件は一つだ。今日ここで行われるT.T.S.の承認試験。その関係者を全員ここに連れてこい!安いもんだろ?連中の命をベットすりゃ全員仲良く上がりを引けるんだぜ?」

『どこの馬鹿が垂れ流したのよ』

 T.T.S.の試験は、ICPOの秘匿事項に該当する。

 国家機密より厚いセキュリティを掻い潜って情報を得るのは、容易なことではない。

 悪転した状況に、絵美の顔は歪んだ。

『あの大見得が本当なら、ここの監視カメラ位余裕でクラックされていそうね』

 顧みると、通路奥の高い場所に燈る赤いランプが目についた。

 本職に有休申請してロンドンに来た絵美の手に、視認齟齬を誘発するツールは一つもない。

 ならば、すでに彼女は捕捉されている可能性が高い。

「おいおいノーリアクションはねぇだろ、ノリ悪ぃな。チップの買い方も分かんねぇのか?しょうがねぇな、教えてやるよ……そこの女ぁ!とっとと出てこい!警視庁凶悪犯対策本部、正岡絵美警部補さんよぉ!」

『身元まで割れているの!?』

 絵美は舌を打つ。

 いよいよ事態は最悪だ。

これも試験でしたサプライズ!って言いなさいよ誰か、もう!!』

 嫌な方向にばかり進んでいく事態に、抗う術がなかった。

 仕方なく、絵美は諸手を挙げてその身を曝した。





 対峙したテロリストは、蔑称のわりにはラフな恰好を纏っていた。

 1世紀は前の大口径リボルバーは除くとして、褐色の身体を覆う安っぽいジーンズとTシャツの姿は、コンビニで立ち読みしている無害な殿方にしか思えない。

 しかし、その出立と相反する行住坐臥を見て、絵美はのっぴきならない気配を嗅ぎ取った。

『ああなんてこと、冗談じゃない』

 無防備極まりない装いは、敵の脅しがハッタリでないことを背理的に証明している。

 事態は予断を許さない。

 絵美は改めて理解した。

 その上で、なお冷静に状況を観察し、考察する。

『本命は心拍連動型の信管。軽装備ってことは流動感知型遠隔信管ナノマシンを体液に注入している可能性が高い……にしても』

 絵美は周囲を見回す。

 滑稽な光景だった。

 襟ばかり立派な連中が、どこにでもいそうな青年の言葉と迫力に圧され、壁に張りついている。

 その数、ザッと見た限り三十人強。

 登院口で伸びているであろう警察官や議事堂内にいる他の人間も含めると、その数はネズミ算式に増えるだろう。

『よくないわね、この雰囲気』

 場慣れした絵美にはわかる。

 この排他的で、宥恕なんて微塵もない張り詰めた雰囲気は、相手が本気になればなるほど強く漂う。

 それを知っているからこそ、彼女には恐怖以外の感情が懐ける。

 戦争をモノポリーの一マスイベントにしか見ていない平和ボケとは違うのだ。

だから、せめてもの抵抗として、絵美は必死に苦笑して見せた。

 自分はまだなにかを隠している、と挫けぬ強さを示す。

「芸のないやり方ね、なにが目的?」

「訊くの早えよ、空気読んでもう少し待てって」

「どういうこと?」

「お前の他に、T.T.S.が三名と候補生が二人いんだよ。パーティーの趣旨はそいつらと合流してから教えてやるよ。犠牲ベットが多くねぇと世論リターンは増えねえだろ?」

『クソッ、切り崩せない』

 このままでは、追悼モニュメントに名を連ねるのを待つしかない。

 ならば、せめて犠牲を減らす努力をしなければならない。

「T.T.S.に用があるのは分かったわ。でも、それならここの人達を解放しなさい。関係ない人間までベットして、もし賭けに負けたらどうするの?リスクマネジメントくらい出来るでしょ?」

「安心しろ、VIP以外はお引き取り願う積もりだ。外の連中にも手筈は伝えてある。これで不満はねぇよな?いぃだろう、会場までエスコートしてやるよ。さっさと歩け」

 テロリストの意外な柔軟性に少々驚いたが、ねちっこい熱を感じさせる声に背を取られてノロノロと歩き出す。

 警官である絵美には、武装解除の体術がある。

 だが、それを行った際問題になのが、外にいるγ線視覚機を着けた狙撃手だ。

 γ線の透過性を伴った視覚装置は、遮蔽物をことごとく無視する。

 その上、獲物の電磁狙撃銃はすべてを吹き飛ばす必殺の兵器だ。

 射線に入れば、成す術もなく薙ぎ払われてしまう。

『ブラックユーモア以外は引き出せそうにないわね』

 動けない。

 相手の意に反する行動は赦されない。

 抵抗の機会を徹底的に潰した戦力配置に、戦略性の高さを感じた。

『どうにかしなきゃ、なにか、なにかないか、なにか』

 そして遂に、足元が最初のステップを踏む。

 さきほどまで、そこは希望への上り路だった。

 だが今は、重苦しい絶望を与える螺旋の檻にしか思えない。

『高低差を利用して倒す?ダメだ、全部外に筒抜ける。それだけでどうにか出来るレベルじゃない』

 不愉快なモラトリアムに、気ばかり焦る。

 結局、絵美はそこに着いてしまった。

 ビッグ・ベンの心臓部、巨大なアナログ時計の調整室。

 その入口に、特別なにかが掲示されているわけではない。

 年月を感じさせる木製扉、Adjustment roomと刻まれた20cmほどの鉄板があるだけだ。

 その無駄のないたたずまいは、しかしかえってT.T.S.の存在意義の崇高さを示すようで、絵美の背筋は自然と伸びた。

 だからだろう。

 なんの打開案も見出せていなかった絵美の中で、悪足掻きともいえる抵抗の意志が膨れ上がった。

「開けろ」

 簡潔な指示が背後から飛ぶ。

 恐らく、男は調整室内の情報も把握しているのだろう。

『そう簡単にいくものですか』

 ドアノブに伸ばす手を止め、絵美は男に話し掛けた。

「ねえ、さっき訊いた目的の答え、まだ聞いてないのだけど」

「聞きてえなら黙って開けろ」

「ごめんね、私Мでさ、焦らされると喜んじゃう性質なの、もっと欲しくなっちゃう」

 普段の彼女ならばまず口にしない甘い口調で食い下がる。

「気持ち悪い真似すんなよ売女」

 演出上さらに背中を預けようとして、頸に冷たい銃口を押しつけられた。

『ダメだ、もう回避の道なんかどこにもない』

 そう、すでに状況は決していた。

 この計画は、成すべくして成された物なのだ。

 巻き込まれた時点で術はなく、不可逆のギグは終焉に向かう。

 終焉とは、すなわち、絵美を含めたT.T.S.承認試験受験者全員の人生の幕引きだ。





 胃の中味が競り上がってくるような絶望感に、天声が告げる。

「安心しろよ正岡絵美」  その時、WPが骨伝導のノイズを拾う。

 男は艶っぽい声で嘯いた。  〈あーテステス〉

「お前はイイ終わり方アクメをするぞ」  〈準備は出来た〉

 顔は見えずとも、表情は分かった。  〈だから〉

「だから気持ち良く昇天けよ」  〈ちょっと伏せてろ〉

 そして次の瞬間!  〈わぁったな?ドMちゃん〉

 閃光と爆音が天より降り注ぎ、辺りをのた打ち回る。

 反射的に蹲った絵美の後ろで、テロリストの絶叫が上がった。

「ォあああああああああぁぁぁぁ!!」

 すべてが、瞬き一回分にも満たない出来事。

 閉じ掛けた目と塞ぎ掛けた耳を蹂躙した閃光と爆音が、絵美の危機感を刺激する。

 無意識の内に震えていた彼女の横に、誰かが降り立った。

『今度はなに?』

 焼けた視界でその姿を探す。

 だが。

「まだ立つな!」

 骨伝導だった声が今度は鼓膜を震わせた。

 すぐに、その言葉の意味を思い出す。

『ああ、最悪だ』

 それは、絵美にとって映像資料の世界の話。

 電磁銃による蹂躙の光景。

 間もなくここに、熱と運動エネルギーの嵐が訪れ、すべて薙ぎ払っていく。

 そうして、この時計塔は瞬く間に吹き飛ぶのだ。

 ネガティブなイメージに支配された絵美は再び目を固く閉じ、出来るだけ身体を球形に縮こませた。

『終わった』

 かつてない絶望に、心が諦観を受け入れる。

 走馬灯が五感を埋めつくしていく。

 自分が今なにを叫んでいるかも分からない絵美は、それでも必死になにかを訴えた。

 それだけが、自分に残せる最後のものだから。

 なのに。

 衝撃と轟音を掻きわけて、彼女の耳朶を声が打った。

 実に場違いな、間の抜けた声だった。

「おぃおぃ、ドMを自称すんなら着弾しにいくくらいの癖の強さは見せろよ」

 それに不平を漏らす暇すら、絵美にはない。

 塔全体が大きく揺れ、軋み、四方の壁と思われる瓦礫が身体を打ちつける。

 そして、金属が激しくぶつかり合う音が大きく一つ。

 ガンッ!!!!と響き渡りって。

「……え?」

 辺りは無音に包まれた。

 まるでさっきまでの混沌が嘘のように。

 ゆっくりと、瞼を上げる。

 轟音の残響に震えていた鼓膜も、ようやく落ち着いてきた。

 風が吹き荒ぶ音がした。

 視線を上げると、四角いビック・ベンの角だけが柱のように残っているのが見えた。

 焦げた空気の匂いがする。

「生きてる?」

 真実味のない現実が、絵美にそんな言葉を言わせた。

 なんとか立ち上がろうとして、伸ばした脚になにかがぶつかる。

 瓦礫でもあるかと目を向けると、それは白目を向いて倒れたテロリストの男だった。

「本当に、生きてる」

 改めてそう実感する。

 それくらい、絵美の体験と現実には誤差があった。

「よっ!」

「ふぇ!」

 不意に脇になにかが触れ、彼女の視線が起立時の高さまで上がった。

 ビックリして顧みるが、そこに人影はなく、ただ、硝煙の匂いと共に体温を感じさせる優しい声が聞こえた。

「へぇ、中々可愛ぃ声出すじゃねぇか。でもヘタレたまんまじゃ残存電荷で発生したオゾン吸っちまうかんな!立てっか?」

 言われるがままに、足を伸ばす。

 ガクガク震えてはいたものの、なんとか立ち上がることは出来た。

『あ、光学迷彩カメレオンか』

 そう考えが至ったところで、不意に胸を下から鷲掴みにされた。

「んーCもねぇな、Bくらい?」

『おい』

 とりあえず、肘鉄する。

「ごぁ!!ちょ、お前、命の恩人に肘はねぇだろ」

「うっさい!視認不能でセクハラするヤツが言うな!ってか誰がBだ!ギリCあるわ!」

「うわぁ、自分からカミングアウトしたよコイツ。必死過ぎてちょい引く」

「やかましい!力ずくで黙らせるわよ!ってかいい加減光学迷彩それ解きなさいよ!どこにいるか分かんないでしょ!」

「はははは!誰が殴られると分かって解くものか!しばらくそこで一人コントみたくやってろ貧乳女!うははははははははは、はは、は……あれ?」

 嫌味な悪役ビランみたいな台詞の途中から、絵美には見えていた。

 かかってこいや!と挑発ポーズをする作業着姿の黒髪蒼眼の男が。

 必然的に男と目が合い、形勢が覆った。

 眩しい笑顔を貼りつけて、絵美は問う。

「墓前の花はどうなさいますか?」

「え?あれ?あの、もしかして見えてます?」

「曼珠沙華がよろしいですか?それともマリーゴールドですか?」

「紫姫音ちゃん!?なんで!?なんで光学迷彩カメレオン解いてんの!?紫姫音ちゃん!?」

 それに対し、幼い少女の声が答えた。

「お花はシキミでお願いします」

「おぉ、日蓮式とは渋いとこ突くねぇ。でも違うんだ紫姫音ちゃん。今そんなお話してねぇの、分かる?どぉしちゃったのキミ?なに言ってんの?」

「シキミですね~かしこ参りました」

「オメェもオメェでつつがなく答えるじゃねぇか。でもちょっと待て、なんで俺に味方がいねぇの?俺さっき人命救助したんだよ?体張ったんだよ?なのになんだコレ?この流れなんだ?」

 果敢にも会話の流れを切断しに掛かった男に、

 まず少女が。

「その抗議❤」

 ついで絵美が。

「来世で承ります❤」

 それぞれ答えて。

「……取り置き受付はない感じですか?」

「「ございません❤」」

 結構なお手前のボディーブローが男の鳩尾に沈み込んだ。





「えぇっと、そんじゃ一人二殺ってことでいぃな?」

「二殺っていうか二封ね」

 制裁を終えた絵美と肺を全換気した男は、階段を下りていた。

 当然だが、絵美は面接を行うことは出来なかった。

 だが、先に面接を終えたという男、かなはじめ源曰く、当の面接官は。

「正岡さんね。まあ今回は状況が状況だから面接はなしの方向でいこうか。あ、でもそれじゃあ面接意味なくなっちゃうね。う~ん困ったなあ。ああ!イイこと思いついた!!代わりにこの事件を終わらせといてもらおう!!ウン!いいじゃんソレ!!よしそれでいこう!あ、でも彼女一人じゃ大変かもしれないから、いちおう手伝ってあげてくれる?ってことでかなはじめ君よろしくね☆」

 といった具合に、無責任この上ないことを言うだけ言って、タイムマシンでご帰還されたらしい。

 なんとなく絵美もそんな気はしてはいたが、やはり面接官は違う時間の住人のようだ。

 そんなわけで、絵美はなんとしても事件を解決しなければならない。

「じゃあまぁ、電磁狙撃銃無力化オリエンテーリングってことで」

「まあ、そうなるけど」

「なんだよ?手伝ってやるってんだからちったぁ感謝しろ。弾道解析情報も渡してやったろ?」

「もちろん協力には感謝しているけど」

 生きているのが不思議な事態に翻弄され、一方的に行動を決めらた絵美は釈然とせず、嫌でも反応が鈍る。

 だが、まだまだトラブルは彼女を離さず、振り回す。

 突然、少女の声が響いた。

「源!!知らない番号から非通知の着信だよ!!」

「あぁ、来るとすりゃそろそろだと思ったよ……繋げキャッチ

「はーい」

 まだなにかあるのか、とゲンナリする絵美を脇目に、源はゆっくりと手首に目を向ける。

 ノイズ交じりのスピーカーから、強気な変換音声が流れ出した。

〈ゲン……カナハジメ〉

「ピザを注文した覚えはねぇぞ、なんの用だ?」

〈今……戦、C4解除……電磁狙撃銃の効果抑…………貴様のすべての行動……想定外だっ……だが、我らは……負け……いない。電磁……撃銃の銃把は……我らが握っている……照……衛星経由に切り替えた……だが貴様……命は惜しか……そこで取引だ……志ホセを15分……ロンドン・アイに……来い〉

「あぁ?ノイズでなに言ってんだか分かんねぇよ。まぁいいや、とりあえず今からお前ら潰しに行くから待ってろ。おい、ノイズどうにかなんねぇか?うるさくてしょうがねぇ」

「んーわかった、やってみる」

〈なん……と?貴様……二……でか?正気か?ま……電磁……銃は……の手に……だぞ?さきほどはどんな魔法を使ったか知らないが、一個師団率いていようと〉

「これでどう?」

「おぉ、上等上等」

〈ねえ、聞いてる?〉

「あぁ悪ぃ悪ぃ。続きどぉぞ」

『なんか相手が可愛そうになってきた』

〈とにかく!!貴様ら二人で電磁銃装備四人を相手にするのは不可能だ!取引に応じろ〉

 実のところ、それは絵美の懸念事項でもあった。

 本来電磁銃なんて代物は、戦車や装甲車だって火線に置いておきたくない強大な兵器だ。

 そんな物を四丁も持った相手に、たった二人で挑むなんて。

『武勇伝にしても盛り過ぎよ』

 正に狂気の沙汰だ。

 でも、と絵美は源の背中を見る。

 この黒長髪男は、四方から迫り来る電磁銃を捌いて見せた。

 どのような手段を用いたかはわからないが、絵美自身生きているのだから、それは事実だ。

『でもどうやって?』

 だがその答えは、意外なほどアッサリと聞こえてきた。

「Neuemenschheitherstellungplanって、知ってっか?」

 唐突に聞こえた耳慣れない言語。

 ドイツ語だった。

 通話相手もそれを知っているのか、声が一オクターブ下がる。

〈先の第二次核大戦中、ドイツ連合国が行ったとされる兵士強化計画か?〉

正解ヤー鉄の意志ネオナチが吹かしたイタチの最後っ屁、遺伝子レベルで肉体変化を喚起する人体実験だ」

〈それがなんだ?〉

「俺がその被験者だっつったら、お前どぉする?」

〈…………〉

「現にお前見たろ?俺が電磁狙撃銃を防いだのよぉ」

〈……嘘だ〉

「はぁ?」

〈国家秘匿の実験被験者が国外に平然と出れるわけがない。研究成果の漏洩は国益に関わる上、人体実験ともなれば倫理上糾弾されるべき点は五万とあるはずだ。最悪処分とて辞さないのが普通だと、私は思うが?〉

 その話題には、絵美も覚えがあった。

 まあ彼女が見たのは胡散臭いタブロイド誌の記事なので、信憑性は皆無に等しい物だが。

 それによると、すべては2150年の第二次核大戦直後に起こった。

 21世紀末に起こった第一次核大戦に続き、再び起こった核大戦。

 再び起こった核大戦に、放射線耐性を高めた兵士の必要性を感じたドイツ連合国が、独自に始めた兵士の身体改造計画。

 それが、Neuemenschheitherstellungplanなのだそうだ。

 日本語で【新人類組成計画】と銘打たれたその計画は、陰謀論が過ぎる上、掲載したのがタブロイド誌ということもあって、与太話として扱われた。

 同誌は世界初のタイムマシン開発者に隠し子がいたなどと吹聴した過去があったため、その記事を信じる者はほとんどいなかった。

 だが、今絵美の眼前にいる男は、それが事実だと言っている。

 誰もが鼻で笑う与太話の、被験者だと。

 シレッととんでもないことを言った源は、なおも嘯く。

「俺の言葉を疑うなら、もっかい撃ってみろよ。お前らに殺される俺じゃねぇ」

 この発言には、誰でもない絵美が真青になった。

『ちょっ!!』「ちょっと待って!これ以上私を巻き込まないでよ!!」

 下っていた階段を登ろうとした彼女を、源が小声で引き止める。

「馬鹿、撃ってくるわけねぇだろ!あちらさん逃げ腰なんだぞ!それにもし撃ってきたら、ここは崩れる。だったら登ってどぉする!」

『う……確かにそうだけど』

 今の発言、どうもハッタリに聞こえなかった。

 再び通話に戻った源を見て、絵美は考える。

 正直、彼女はまだ彼を信じられなかった。

 それは、現職たる凶悪犯対策本部で培った警戒心からだ。

 数々の経済協定や戦争、自然災害を経て、日本は犯罪の面でも急速に国際化が進んだ。

 祖国を追われた元軍属や諜報員達の関わった犯罪も増え、組織間抗争はより血みどろで凄惨に、サイバー犯罪はより革新的に、それぞれ進化していった。

 それを第一線で見てきた絵美だから抱く、人間への不信感。

『念のため、警戒は怠らないでおこう』

「まぁそんなわけで、今からお前ら全員潰すから覚悟しとけ」

 絵美が訝しむ前で、源は一方的な宣言と共に通話を締めくくった。

 そして間髪入れず、彼はWITに向かって別の指令を飛ばす。

「紫姫音、今の逆探知で分かった位置情報。GPSに照合出来っか?可能なら向こぉの端末にヒモもつけて。出来るだけ複雑で緻密なのがいぃ。あ、でも対ハッキングプログラムには気ぃつけてな」

 即座に、源のWITに少女が現れた。

 腰まで伸びるサイドテールの紫髪に、ワインレッドのイブニングドレスを纏った電子少女は、軽やかな動作で身を躍らせている。


『あらかわいい……けど、これってコイツの趣味なのかな?』


「知らない!!……さっきこの人のオッパイつかんだこと、忘れないからね!」

「それは私も忘れない」

 紫姫音と絵美は互いの目を見て、頷き合った。

 どんな時代だろうと、恨みを共有する女の結託は強い。

 事態の推移を見ていた源が苦笑する中、紫姫音の傍らにポンッとメッセージボックスが現れた。

「位置情報出たよ!!あれ?えっと……ん?」

「どうしたの?」

 言葉に詰まった紫姫音に、絵美は助け舟を出す。

「……っとね、発信元が、地球上にないの」

「それはつまり……衛星発信ってこと?」

「うん、しきねもそう思ったんだけど」

 そこで途切れた紫姫音の言葉を、源が継いだ。


「Mars Colonyだな」


 コクリと一つ、紫姫音が頷く。

 Mars Colony。

 文字通り、火星上の環境を整えられた居住地区のことだ。

 つまり先の通話相手は。

「火星にいやがんのか。なるほど、今年は渡航困難周期年だったな」

 苦々しい源の呟きに、絵美はつくづくツいてないと思った。

 21世紀中頃から始まった火星移住計画は、世紀を跨いで22世紀にようやく完遂した。

 歳月を要した成果は確かにあり、今や火星の惑星地球化値クリアランスは99.8%に達している。が、残りの0.2%も火星環境調査用の研究資料区画なので、実質100%といって障りない。

 100年近く時間が掛かった要因としては、火星地球化テラフォーミングと老朽化した宇宙ステーションの再開発、増設が挙げられるが、なにより大きかったのが地球と火星の公転周期差だ。

 その影響は今日にいたっても存在し、今年こそがその渡航困難公転周期年だった。

 すなわち、火星が太陽の真裏に差し掛かる年なのだ。

 首謀者は、それを織り込んで計画を実行したのだろう。

 それゆえ、即日の敵組織壊滅は望めなかった。

「まぁでも、これで余計な可能性は潰せたわけだ。今は電磁狙撃銃の鎮圧に集中だな」

「待って、Mars Colonyを回線中継地にしているだけの可能性は?」

「それはしきねも考えたんだけど、ノイズ中和指数がその環境で想定計算した理論値より低かったからないと思う」

「そっか」

 機械は真実しか語らない。

 だが、警察官である絵美は敵の力量を考え、“どこか抜け道ないか?”と模索してしまう。

 黙考しようと視線を下げた絵美に、源が補足を差し挟んできた。

「もし地球発信火星中継の可能性を探ってんなら、そいつぁないから安心しろ。渡航困難周期年の星間通信は太陽波対策で太陽系を大外迂回するコースで行ってる。それを往復でやるとなれば、どうしたって通話にタイムラグが出来んだ。でも今回はそれがなかった、だろ?」

「う……確かに」

 それを言われては、絵美も頷かざるを得ない。

 首謀者の火星在中説が固まったところで、紫姫音がアプローチを変えた報告を入れた。

「弾道解析で出た四つの発砲予測地点の半径10km圏内にあるすべてのWITとNIT、あとクラウドサーバーにもクラックしてみたけど、事件に関与してそうな履歴は見当たらないや……」

「検索対象はどんくらいだ?」

「大体二十万機。あ、一応スタンドアローンに入ってる端末にも即席回線繋げてるから回線事業者の顧客データとの差異はあるよ」

『この子、私達と会話をしながらそこまでしていたの?』

 少女型OSAIのあまりのハイスペックぶりに、絵美は絶句した。

 かつて裏づけ捜査の過程で即席回線を設けた経験からして、それがどれだけとんでもないことかが、肌で分かる。

 だが、これでやるべきことは確定した。

「それじゃあ、やっぱり第一優先事項は電磁狙撃銃の無力化ね。もうロンドン市警も来ているみたいだし、ビック・ベンここは彼らに任せましょう」

「そぉだな」

「で、さ、やっぱり二手に別れる?」

「ん?なにか問題あっか?」

『はーい、大ありでーす』

「あのね。どうやったか知らないけど、私はアンタみたいに電磁銃の弾をぶっ叩けるような真似は出来ないし、承認試験のために警察も休んでいるからロクな装備もないの。言ってみれば一般人なの一般人。さっきは気が昂っていたから二手に別れた方が効率的に感じちゃったけど、冷静に考えたら相手電磁銃持ちでしょ?まるっきりドンキ・ホーテじゃない私。だから、その……アンタの協力がなしだと、ちょっと無理」

 正直、これは絵美にとってかなり恥ずかしい提案だった。

 まさか国際機関の特筆秘匿トップシークレットの試験会場に犯罪組織の妨害が入る想定はしていなかったし、ましてやその組織が獲物に電磁銃を選んでくる想像などしていなかった。

 それでも、この事件解決が試験に変わった以上、彼女はなんとかして事態を鎮静化しなければならない。

 ゆえにこうして恥を忍んでのお願いしている……のだが、源の肩は震えていた。

「ちょっと、なにも笑うことないじゃない!」

 さすがにプライドが傷ついて、絵美は抗議する。

 涙目になったのは、彼女だけの秘密だ。

 変わらず笑い続ける源は「悪ぃ悪ぃ」と平謝りをした後、「いやぁな」とその真意を語った。

「今のドMちゃんの言葉で確信が持てた。その心配は多分、杞憂に終わる」

「え?それって」

「まぁいぃ。一番近ぇところから行ってみっか。もちろん二人でだ。そこで答え合わせをしよぉじゃねぇの。それでいぃだろ?ドMちゃん」

 言いたいことを言うだけ言って、源は階段を下り出す。

 なんだかよく分からないが、ついて行くしかない絵美はこう言い返すしかなかった。

「ドMちゃんって言うな」





「えっと、これって」

 落日を背に受けて、絵美は思わず絶句した。

 紫姫音が挙げた四つの発砲予測地点。

 その一つ、議事堂裏の古いアパートメントでのことだ。

 屋上庭園の跡だろう乾いた土と枯れた雑草が目立つ寂しい景色の中、絵美は言葉を失っていた。

 なぜなら。

「蓋を開けてみりゃ、実働一人のテロだったっつぅわけだ」

 家庭用天体望遠鏡のような物を手で叩き、大穴をこさえたビッグ・ベンを見ながら、源は言った。

 無論、彼が叩く物は望遠鏡ではない。

 21世紀末の第一次核大戦時に製造された電磁狙撃銃だ。

 強力粘着テープで要所要所に固定された配線が、電磁銃を支える筺体に繋がっている。

 実に簡素で安っぽい、いかにも手作り然とした物だったが、必要な備品を兼ね備えた無駄のない設計だった。

「カラクリはこぉだ」

 視線をビッグ・ベンから絵美に戻し、源は口を開く。

「まず、この銃の発砲プロセスをそれぞれプログラム化する。対象の捕捉、照準、発砲の三段階だな。次にこのプログラムをアクティブにするための条件。今回は……ホセっつったか?あいつの心拍異常バイタルエラーがそれだな、そいつを定める。これでこの狙撃銃の仕込みは終わりだ。後は本人。特攻役のホセ本人への仕込みだ」

 一旦言葉を切って、源は銃の配線を一気に引っこ抜いた。

「ホセ自身が言ってたよぉに、ヤツの体内にはナノマシンがあった。そいつぁもちろん、C4の起爆信管の役割を持ってもいた、が、それだけじゃねぇ」

「それだけじゃない?」

 首を捻る紫姫音の言葉に、源は配線を放り投げ、煙草を取り出しながら答えた。

「ナノマシンには更に二つ機能があったんだよ。一つはさっきの通信者に音声を送信する機能。で、もう一つが」

 キンッ!と甲高い金属音を響かせて、オイルライターに火が燈る。

 風除けに広げた源の左手からどんな言葉が続くのか気になって、絵美はジッと彼を見る。

「こいつの銃口さきを常に本体ナノマシンにロックし続ける機能だ」

 敵組織の計画は、まさに紫煙のようなものだった。

 現れては消えていく刹那の厄災で、世界を変えようとした。

「向日葵のDNAデータ解析結果を使ったんだろぉな。定点からの微速移動物追尾システムはアレで精度が上がったかんな」

 チラリとビッグ・ベンを顧みた源の表情は、感心とも呆れとも取れるものだった。

「ホセはマジで自爆しよぉとしてたわけだ。その身に電磁銃の銃口を四機背負って、本気で世界に喧嘩を売る気だった。は、言葉にすりゃご立派に聞こえるもんだな」

「ちょっ、ちょっと待って」

 哀愁タップリの雰囲気をぶち壊すようで申しわけないが、堪らず絵美は口を挟む。

 一人ごちられたところで、ぶっちゃけ絵美には意味が分からない。

 フラストレーションのおもむくままに、絵美は畳み掛けた。

「貴方はいつこの仕組みカラクリに気づいたの?狙撃が無人だと思ったのはどうして?あの通信の意味は?」

「わぁったよ、そそっかしぃな。一個ずつ教えっから、とりあえず落ち着け」

 矢継ぎ早の質問に苦笑しつつ、源は主流煙を一気に吐き出す。

「最後の質問から行くぞ。さっきも言った通ぉり、あの通信は主犯者からのもんだ。もちろん、ホセを“同志”って言ったからには二人以上の組織なんだろぉよ。ホセの野郎、主張を前面に出して動いてやがったから、まぁ間違いなく思想共有型の組織だろぉな」

 で、次は最初と二番目な、と再び源は煙草を口にした。

「まず俺が仮定したのは、少なくとも主犯は銃のところにはいねぇってことだ。やっこさん、俺の鎌掛けにいぃ感じに引掛かったかんな」

 気づいたか?と悪戯っぽく源は笑う。

「俺ぁはヤツに“見たろ?俺が電磁狙撃銃を防いだのをよぉ”と訊いた。だが、それに対してヤツは一度も明確な肯定をしなかった。それがつまり、γ視覚機での監視なんか初めからなかったっつぅ想起に繋がる」

 で、確信に変わったのが、と源は自らの手首に視線を落とした。

「紫姫音の逆探知と」

 今度は視線を上げ、絵美を見る。

「ドMちゃんのデレ発言だった」

「どういうこと?」

「あの逆探知、役に立ったの?」

 絵美と紫姫音は首を傾げた。

 あぁ、と笑顔で紫姫音に頷く源は、そこで小さな紫姫音の頭を優しく撫でた。

「正直驚いたけどな、お前が指示する前に発砲予測地点押さえてたのには」

『“指示する前に”?AIが?』

 それは、一般に暴走とされる行為。

 普通、そんなAIは欠陥品扱いだ。

 しかも理由が。

「よかった。アレ役に立ったんだね」

 善意からだというのか。

「正直、あのデータは余計だったかな?って思ってたの。そこの……えと、どえむちゃん?が納得出来るような資料にしようとしただけだったから」

『まずいまずいまずい!データとはいえ、幼女が変な単語口にしちゃったよ!』

 まあその抗議は一旦腋に置き、絵美は疑問の消化に掛かった。

「私の発言ってのは、どういうこと?」

『あ、でも言えそうなことは言っておこう』

「ちなみに私、ドMちゃんじゃなくてジョアンナ・キュリーだってさっき言ったよね?あと、デレ発言とか余計な修飾つけないで」

 またも笑った源に『この野郎、ワザと言ってやがったな』と内心腹を立てながらも、次いで飛び出た言葉に絵美は閉口した。

「そいつぁ悪かった。で、それに関してなんだが、さっきお前はデレ、睨むなよ、弱音で俺が弾を“ぶっ叩ける”って言った。まぁ“どうやったか知らないけど”って前置きつきではあったがな。それでもお前は俺が弾を“叩いた”と思った。そぉだな?」

「それは、そうかも」

「なら逆に訊くが、そぉ思った理由はなんだ?そいつぁは多分、お前が聞いた音が打撃音に近いもんだったからだ。さぁて、そこでさっきの計画犯の発言と照らし合わせてみ、ヤツは俺のやったことをなんつった?」

「あ、そっか、“どんな魔法を使ったか知らないが”って」

「その通ぉり。ヤツは“打撃”と仮定出来なかった。なぜなら」

「ホセに打ち込まれたナノマシンの収集音域を指定音域で固定していたから?」

正解ヤー。中々頭の回転の良いじゃねぇの」

『どの口で言ってんのよ』

 正直、褒められた嬉しさより先に答えに辿り着かれた悔しさの方が勝っていた。

 同時に、やはり先の通信から、絵美はある言葉を思い出す。

「ねえ、あの計画犯はC4をどうこうとも言ってたけど、あれもアンタの仕業?」

「あぁ、あったなそんなのも。まぁそぉだよ。俺が解除した」

「どうやって見つけたわけ?」

 言いながら、絵美は腰を屈める。

 今更だが、源が敵方であれば、尻尾を出す質問になると踏んだからだ。

 だが、聞こえて来たのは、予想を裏切る答えだった。

「まぁなんつぅか、前回試験で偽造議員証パス盗り忘れてな」

「は?」

「そんでしかたねぇからリネン交換に来たリース業者装って地下から入ったんだよ。そしたら業者連中隠す途中でたまたま見つけたんだよ、C4」

「えっと」『それありなの?』「マジで?」

「マジで☆」

「どえむちゃん!紫姫音それRECしといたけど、見る?」

「な!オイオイ待てよ紫姫音ちゃん!お前それはいらねぇよ!消して!そのデータすぐ消して!」

「だから私はドMちゃんじゃないって」

 なんだかドッと疲れた気がして、絵美はその場にヘタレ込んだ。

 目の前では、相変わらず元気一杯のやりとりが続いている。

「消せ紫姫音!あれはマズイ、ホントにマズイ!俺捕まっから!」

「サムネは絞め技のところがいいかな?」

「おぉ!イィ顔してんじゃん俺!馬鹿!!動画投稿まで視野に入れんじゃねぇ!消せ!」

「じゃあ新しいドレスデータ入れてくれる?」

「あぁえぇはい入れます。入れて差し上げます。だから消せ!即刻消せ!」

 はぁ、と安堵の溜息が出た。

 呑気なやりとりを聞き流しつつ視線を上げると、そこにはマジックアワーの空が広がる。

『どこを向いてもマジックね』

 一日、というか、ここ数時間の濃度が異常に濃かった。

 こんなことが日常茶飯事になるのだろうか?と考え、絵美は少し不安になる。

『でも』

 一方で、不思議な楽観が心を支えていることに、絵美は気づいた。

『コイツが相棒なら、安心して背中を預けられるって、なんでそんなこと思ってるんだろ、私』

 変に影響力があるなぁなどと思いながら、なんの気なしに視線を戻して、絵美は異変に気づいた。


 源の姿が、どこにもない。


『まさか!また光学迷彩カメレオンか!』と身体を抱くも、予想したセクハラは来ない。

「ちょっ、ふざけてんの?」

 そんな言葉も、湿り出した夜風に吹き飛ばされてしまった。

「え?ちょっと、どこ行ったの?」

 またしても、絵美の意識の外で事態が進んでいく。





 さっきまでいたはずなのに、いつの間にか消えた即席の相棒に、絵美は愚痴った。

「なんなのよ、ふざけるのもいい加減にしてよ」

 もちろん、これは独り言に終わる可能性を考慮した文句だった。

 かなはじめ源という男が猫のように気紛れなのは、ごく短い間でも分かっている。

 それなのに。

「まったくだ。ふざけるのもいい加減にしろ」

 予期していた声と違うものがそう応え、顧みる間もなく絵美の景色が回転した。

『あれ?』

 なにが起こったのかを理解する前に衝撃が体に走り、気づいた時には、乾いた土と枯れた茎が横倒しになっていた。

 そうして、初めて絵美は自分が組伏されたのだと理解する。

「舐めやがって!テメェらの有能性を示すためだけにここまでするか!!」

 うつぶせの背中に、咆哮が圧し掛かった。

 米神に冷たい銃口の感触と、耳元でビリビリと反響する怨嗟の声。

 その二つをつきつけられて、ようやく絵美はすべてを理解した。

 彼女は追いつかれたのだ。つい数十分前につきつけられた冷酷な殺意、あのドンキ・ホーテがごときテロリスト、ホセに。

「生きていたのね……それで?告白でもしに来たの?」

 懸命に吐いた強がりは、枯れていた。

 視界はすでに霞み、指先にも力が入らない。

『本当にゲームオーバーかもしれない』

 諦観という絶望が絵美を侵食した。

「黙れ!口先だけ達者な糞野郎共が!!」

 ガツン!と鈍器が米神を打つ。

 銃底が刈り取ろうとする意識を意地で縫い止め、滴る血を感じながら、彼女は質問をぶつける。

「ねえ、なんでT.T.S.を狙ったの?」

 それは、絵美がどうしても訊いておきたかったことだった。

 人間は知性で動く生物だ。

 基本的に戦いを避けたがる。

 だから、人間が牙を剥く時、そこにはやんごとなき事情が存在するはずだった。

 しかもホセが狙ったこのT.T.S.という組織は、今最もホットな警察組織だ。

 これを狙って行動に出るというのは、大変な覚悟がいる。

 ゆえに、彼女は訊きたい。

 ホセを突き動かしたものがなんだったのかを。

 これほど大規模な事件を起こして、なにを告げたかったのかを。

「アンタがなんでこんなことしたのか、最後に聞かせてよ」

「さっきも同じこと言ってたな。また時間稼ぎか?」

「違うわ」

「なら黙って死ね」

「それこそふざけ過ぎているでしょう」

「なんだと?」

「なんで私がT.T.S.に入ろうと思ったか分かる?」

 ホセが押し黙った。

 それを肯定と捉え、絵美は続ける。

「人の思いを守りたいからよ。歴史っていうのは、とどのつまり人の思いの結晶だと私が考えるから。人はなにかを成し遂げるために行動に出て結果を生む。歴史はそうして紡がれてきた。時には悲劇を招いたこともあったけど、それは後の世代の反面教師になった。もちろん、その中には様々な主義主張があったでしょうよ。でも残るのは一つ。様々な思いが散ってきたし、色々な人が犠牲になってきた。でも、そんな残酷な結果にだって得られるものはあった。これを思いの結晶だと考えるのは、なにも可笑しいことではないでしょう?

 でもそれを、薔薇乃棘エスピナス・デ・ロサスは踏みにじり、自分たちに都合の良い世界を作ろうとしている!私はそれがどうしても赦せない!絶対にそんなことはさせたくない!だから私はT.T.S.に志願するのよ!皆の世界を守りたいから!だから!私はアンタに殺されるわけにいかないの!

 答えて!なんでアンタはこんなことしたの!?私を殺す理由はなに!?なんのために自分の命まで投げ打つの!?勘違いして欲しくないから言っておくけど、もしアンタと立場が逆でも、私は同じ質問をアンタにするわ!だから聞かせて!アンタの目的はなんなの!?」

 嘘偽りのない素直な気持ち。

 正岡絵美を突き動かす原動力を、吐露した。

 相手にどこまで届いたかは分からない。

 だが、絵美は言わずにはおけなかった。

 せめてこの世界に、聞き届けて欲しかったから。

「そうかよ」

 視界の外から、声がする。

 その声は、米神につきつけられた銃口同様、震えていた。

 だが、それは動揺の震えと違い、明らかな怒気を宿していた。

「なに様だ」

「え?」

「なに様のつもりだって言ってんだ!」

「なにを」

「歴史が人の思いの結晶!?人の行動が歴史を作ってきた!?ふざけんな!!それが思い上がりだって言ってんだ!!お前ら現代科学信奉者はなに様のつもりだ!?歴史!?犠牲!?そんなもんなくても時間は流れんだよ!!お前ら自然の主人にでもなったつもりか!?」

「ちょっと待って、私はそういうつもりで言ったわけじゃ」

 話がかみ合っていない。

 そう思った時、絵美はホセの状態に考えがいたった。

『そうだ、コイツはもう、とっくにまともじゃない』

 激高した相手に言葉が通じないことなんて、経験で知っている。

「時間法則解明の時点で満足しときゃよかったんだ!“大禍”しかり“TLJ”しかり!解き明かした途端に我が物顔で使役して、厄災しか生まれてねえ!挙句は世界の滅亡まで招きやがって!!俺達はな、テメェら現代科学信奉者と、その暴走を止めようともしなかった世の中、その両方が許せねえんだ!!テメェら全員、神に対する畏敬を忘れてやがる!!」

 顔は見えずとも、口角泡を飛ばすホセの顔が容易に想像出来る。

 それほど、ホセの口調は強く、激しく、鋭かった。

 だが絵美には、その口調よりも内容で引っ掛かりを感じる。

 中でも、飛び切りの単語があった。

「神……ですって?」

 それは、近年めっきり耳にする機会の減った言葉。

 難民や貧困層ならまだしも、SFすら現実に手繰り寄せた文明下の者は、最早いかなる苦難を前にしてもその言葉を口にしない。

『そんなもののために、こんなことをしたっていうの?』

 唖然とした。

 そんな幻影のために、自身は殺され掛けたのか、と。

「いい加減にしなさいよ」

 頭の中が、あっという間に罵詈雑言で満ちる。

 それが口から洩れていることに、遅れて気づくほど。

 湧きたつ怒りは闘争本能へ昇華し、彼女の身体を動かした。

 俯せの状態からエビ反りで足を伸ばす。

 狙いは、ホセの頸。

 かつて新体操で五輪代表確実とまで言われた絵美の身体は、その柔軟性をいかんなく発揮した。

 瞬発的な背筋の収縮が、彼女の長い脚を真っ直ぐにホセの頸筋へと導く。

 ホセは反応も出来なかった。

 ガッチリと嵌まった絵美の大腿がホセの頸を挟み込み、抵抗も許さず背中の重量感を排除する。

 捻り上げられていた腕を解き、即座に銃口を逸らした。

 乾いた発砲音が闇の手が伸びていく空に響き渡る。

 形勢は覆った。

 仰向けのホセに馬乗りになり、頸に腕を差し込んだ絵美は、喝破の叫びを浴びせる。

「神なんて曖昧な存在に縋って、努力で評価を勝ち得た人に逆恨みか!?そんな下らない動機で人を殺そうとしたのかお前は!!ああ!?」

 噛みつかんばかりの勢いを強め、絵美の語気は荒れる。

「確かに恐れは持つべきよ!!それは必要なものよ!!でもそれは神に対してなんかじゃない!!そんな無責任なものじゃない!!必要なのは、その恐れに負けて暴走する、お前みたいな心の弱いヤツが起こす馬鹿げた破壊行動に対してよ!!お前こそなに様のつもりだ!!神の代行者とでも言うのか!?こんなことが神の意志だとでも!?自分テメーはさっさと自爆して、責任も罪悪感も全部神に押しつけて、それが意義だと本当に思ってるのか!?甘ったれるな!!お前はただ人を殺そうとしただけよ!!」

 なんどもなんども、腕に力を加え直す。

 許せなかった。

 ホセがどれだけ苦しい道を歩んで来たかを、絵美は知らない。が、それでも許せなかった。

「不条理で身内を亡くしたヤツなら、全員それと同じことを繰り返すと思う!?」

 また一つ、力を加える。

「私はそんなことはしないわ!!絶対にしない!!」

 それは負けと同義だ。

「家族を奪った人間と同じになる自分が許せないからよ!!」

 だから。

「私はそんな理不尽な破壊を生む奴らを許さない!!」

『お前なんかに負けられない』

「市民を巻き込むようなことはさせない!!」

『絶対に譲れない』

「この肉叢を贄と捧げようと、絶対に!!」

『なんどだって立ち上がってやる』


 暫くの間、絵美の荒れた呼吸だけがあった。

 ホセは戦意をなくしたのか、身動き一つしない。

 時折吹き抜ける冷たい風と対照的な、熱い息が吐かれる中、絵美は言う。

「いい加減出て来たら?」

 返事の代わりに、男が一人、ホセの頭上、絵美の正面に現れた。

 かなはじめ源。

 光学迷彩カメレオンで身を隠し、一部始終を見ていたであろう男は、左に白いグローブを、右に黒いグローブを、それぞれ嵌めて立っている。

「いい趣味ね。自分はサッサと身を隠して鑑賞に回るなんて」

「二言連続で“いい”から始まってんのに、ちっとも褒められた気がしねぇな」

「当たり前でしょ」

 ホセの上から崩れるように体をどかすと、声に棘を加えて続けた。

「褒めてないんだから」

「そぉかい」

 素気なくそう言いながら、源は左手をホセの額に置く。

 身の毛のよだつような電気音と共に、ホセの体が大きく波打った。

 同時に、夕闇から橙色の輝きを伴って音速越えの弾丸が飛来する。

 今度は、絵美も動揺しない。

 見逃さない、と思う余裕さえあった。

 彼女の目の前で、源は視線だけを巡らせて、漆黒の右腕を振るう。

 複数の金属が強い力でぶつかり合う音を、聴覚が拾った。

 だが、一方の視覚は、なんの情報も捉えていなかった。

 源の拳がゆっくりと解かれ、そこから、三つの小塊が零れ落ちる。

 見逃す、などというレベルではない。

 ただ結果を見るに、この男、

「もしかして、掴んだの?」

 確信の持てない言葉は、自然と間の抜けた調子となった。

 得意気に正解ヤーと笑って、源は右手を振る。

 そこからは、ほんのり薄く煙が立ち込めていた。

「じゃまぁ、ここらでネタバレしとこぉか。紫姫音、腕解いちくり」

 黒色から一気に肌色に変わった腕を見て、源は満足気に頷く。

「俺はT.T.S.のNo.2、かなはじめ源。もちろん、未来から来た。ジョアンナ・キュリー、いやさ正岡絵美、お前をこのテロから救うためにな。ちなみにお前はこの後順調にテストをパスして無事T.T.S.のNo.3になっから、ドーンと構えてテスト受けとけ」

「へ?」

 いきなりとんでもないことをカミングアウトされ、間の抜けた声を上げた絵美は開いた口を塞げられず、眼を瞬かせ、耳を疑った。

 同時に、源の手首から感嘆する少女の声が響く。

 両者の反応は、共にしかたのないことだった。

 いまだ絵美は特殊メイクで変装している上、この自称T.T.S.No.2の言うことが真実だとするなら、それはつまり。

「わざわざ私を名前で呼ばなかったのって」

「もっちろん、演技です☆」

「あ、そう」

 壮大な眩暈に見舞われて死にそうだった。

『なんだそのご機嫌なポーズは』と一言ツッコミたいところだが、そんな元気もなくて、疑問を口にするのが関の山だった。

「ねえ、なんでアンタは遠路遥々こんなきな面倒臭い場面に来たわけ?」

「そりゃお前がさっき自分で言ったろ。あのままじゃお前が死でたからだよ」

「え?」

「まぁ俺もよく分かんねぇんだけど、未来のお前に言われたんだよ。“私的に有史以来最大の不本意なのだけど、私あの時アンタに助けられたのよ”ってな」

「私が?」

 確かに源が真似した絵美の口調は、断じて認めたくないが、彼女が使いそうな言い回しではあった。

 だが、なんというか、先の自論を展開してしまった手前、絵美は簡単に源の言葉、もとい、自分の都合で時間をいじくったことを認めたくなかった。

 しかし、首肯する未来人の言葉は容赦がない。

「ちなみにこの時代の俺も、今頃未来のお前とご対面して、そんでもってどやされてっぞ。地中海の上でな」

「え?なんで地中海?」

「この試験、最初は参加する気なくてよ、今頃は地中海でクルージング中だ」

「は?」

「で、未来のお前がこの時代の俺に未来に向けた説教してるってわけ」

「ここまでの試験は?」

「この俺が代理で出てた」

『え~~なにそれ』

 これで、とうとう絵美は未来の自身の行動を否定出来なくなってしまった。

 発せられた言葉は究極の替え玉受験という、ネタバレもネタバレ、ドネタバレだ。

 あり得ないし、あったとしても試験官への密告の危惧や罪悪感から絶対に他言しないのが一般的だろう。

 それをここまで屈託なく告げられると、抱く感情は疑心よりも虚脱になってしまう。

『まあでも、だからって納得出来るわけないでしょ』

「ねえ」

「ん?」

「そんなんでいいの?」

「なにが?」

「いやだって」

「あぁまぁ、さっきの聞きゃそぉ思うわなぁ」

『あ、そうだ、こいつ全部聞いて』「ああああれは、その、なんていうか、口を滑らせただけ」

「でも安心したぞ」

「え?」

「お前って前からこうだったんだな。安心した」

「はあ」

「真面目で、真っ直ぐで、曲がったことが大っ嫌いで」

「まあ、はい」

「そぉいうとこ好きだ」

「はあ、はあ?」

 一瞬真っ白になった頭が、ようやく言葉を理解した。

『なにを言っているの!?この人!?』

「そ、れは、どうも」

「まぁ一番変わっといて欲しかった喧しいところが変わってないのが残念だけど」

「うっさいな!そんな簡単に変われるわけないでしょ!!」

 意地と瞬発力で言い返してはみたものの、若干咽てしまった上、顔を上げることが出来ない。

 今更だが、今日の絵美はとことんついてなかった。

 特に、このかなはじめ源という男と出会って以降は。

 自力で事態を収拾出来ない無力さを甘受し、戦略的思考と分析能力の差を痛感させられ、挙句、滅多に言わない本音を聞かれてしまった。

『全部コイツのせいだ』

 恥ずかしいやら悔しいやらで気分は完全に鬱だが、一つだけ疑問が湧いた。

「ねえ、さっき“最初からこの試験に参加してない”って言っていたけど、あれ本当?」

「ん?まぁ、そぉだな?」

「じゃあなんでT.T.S.に入ったの?」

「あぁ、まぁ、今頃お前にその辺の説教喰らってるよ、多分」

「どういうこと?アンタ自身は過去改変阻止に情熱はないの?」

「あぁそれなぁ」

 それは、絵美にとって大きな意味を持つ質問だった。

 肩を並べる同僚の心構えは、ぜひ知っておきたいのだ。

 だが、返ってきた答えは想定のストライクゾーンを大きく覆す。

「歴史とか過去とかさ、正直知ったこっちゃねぇんだよ」

「へ?」

「お前さっき“歴史は人の思いの結晶”って言ったろ?俺から言わせりゃ、歴史は“究極の他人事”だ」

「究極の他人事」

「お前、尊敬する人に歴史上の人物とか挙げちゃうタイプだろ?まぁそれも分かんなくはねぇんだけどよ。それ本当かどうか分かんねぇじゃん」

「本当かどうか分からない?」

「例えば、そぉだな、お前昔新体操やってたっつったな?」

 反射的に「言ってねぇよ!」と言おうとして、直後に『ああ、未来の私が言ったのか』と考え直した。

『まったく、ややこしい』

「俺に話した時はなんだか輝かしい過去を語る感じだったけどよ、当時のお前はそぉでもなかったんじゃねぇか?」

「え?」

 ドキッとした。

 図星も図星。

 かつての絵美は、心から体操を楽しめていなかったからだ。

 警視庁に入庁したのが14歳の時。

 これは史上最年少記録だ。若いと言うより幼い少女は、世を大いに賑わし、一躍時の人として世間に持てはやされた。

 さらに翌年、15歳の少女はさらなる偉業を成し遂げる。

 全日本社会人新体操選手権。

 強豪選手に名を連ねた彼女は、そこで優勝を果たしたのだ。

 メディアはこぞってこの話題を取り上げ、2172年のウランバートル五輪への選出を有力視した。

 数多の可能性を持った少女は、日本中の期待を一身に背負う。

 しかしその重責は、結果的に絵美を苦しめることしかしなかった。

 なぜなら彼女にとっての体操とは、あくまで趣味の域でしかなかったからだ。

 天賦の才を持ちながら、それを活躍の主材としない彼女を、人々は身勝手に叩いた。

 大会出場を拒否されるようになり、通っていたスポーツジムも世間体を気にして登録を抹消し、結局15歳の少女は、ささやかな趣味を捨てる他に選択肢を見出せなかった。

 誰も理解出来ない苦しみを懐いた彼女は、業腹だが耐えた。

 それしか出来なかった。

 思春期の少女に、それはどんな仕打ちよりも酷に思えた。

「今んなってみりゃいぃ思い出ってやつだ。人は過去を美化するように出来ちまってる。偉人が現役ん時も偉大だったかなんざぁ誰も知らねぇ。知ってるヤツぁ皆死んじまってっかんな。だから他人事だ。過去なんて分かんねぇし、わかった所でいじりよぉがねぇ。その時間その場所に自分がいれたとして、残る話は一つだかんな」

 教科書に載っている歴史が改正されることがある。

 肖像画の正誤や、偽史認定で覆った類のものだ。

 つまるところ、歴史は曖昧模糊としており、時と共に風化してしまう。

 これは宿命だ。

 タイムマシンは確かに出来た。

 だが、それを用いて過去の真実を見て来たとしても、事実が変わるわけではないし、やはり観測者の先入観が介在する。

 これもまた、宿命と言わざるを得ない。

 だが、かなはじめ源という男は、そんな一切を無視した上で笑うのだ。

歴史なんて知ったことではない、と。

 この時抱いたのは、持論と矛盾するが、怒りではなく感心だった。

 歴史に無関心だとする意見が、これほど向いている職業はない。

 T.T.S.は職業上過去に向かう。

 その際、ほんの出来心で歴史に関わる者が出てしまう可能性も、0ではない。

 だが、源のような人物であればどうか。

 歴史に無関心な彼が過去に行ったなら、その危険性は激減することだろう。

『そういう意味では最適な人材なのか』

 後に知るが、T.T.S.になる人間には2つのタイプいる。

 すなわち、几帳面で責任感の強い絵美のような性格と、いい加減で責任感の弱い源のような性格だ。

 正反対な両者が組むことで、任務達成率は大幅に上昇する。

 これも後で知ることになるが、今回の事件鎮静化にはストレートフラッシュの相性調査という側面もあった。

「ちなみにな、コイツら自然至高主義者共と過激派の宗教集団が作った現代科学否定集団でよ、今日をキッカケに半年後からT.T.S.と共闘関係になんだよ。さっき俺と通信したのは紙園エリ、I.T.C.屈指の名オペレーターになる童顔毒舌ド巨乳ドSの4D女。で、このホセ・セサール・チャベスはプレゼントタイムトラブルシューターPTTSの旧米分国部隊で副隊長やってる。まぁだから、俺達が今日やったことも、あながち無駄じゃねぇわけだ」

 源は絵美の頭をグリグリと撫でた。

 払い除けるより先に手を離され、悔しいやら恥ずかしいやらで顔も上げられない。

「んじゃまぁ、俺そろそろ帰っから。後ぁよろしくな、ドMちゃん」

「は?」

 慌てて顔を上げると、もう源の姿は屋上のどこにもなかった。

 結局最後まで主導権を握ったまま、彼は一歩先を行き続けた。

『まだまだ、精進しなきゃ』

 未来の存在というハンデを差し引いても、あらゆる面で絵美は源におよばなかった。

 同僚として肩を並べる以上、こんな体たらくでは駄目だ。

 当面の間、絵美は源を目標にすることにした。誰よりも軽やかに、それでいて注意深く物事を見る彼の姿勢を、尊敬することにした。

 ただ、一つだけ気に喰わないのは。

「だからドMちゃんはやめろっつってんだろ馬鹿」

 ギュッと服の裾を掴んだのは、冷え込みが厳しくなったからだ。

 一日の中に四季があると称されたロンドンの夕暮れは、初秋を思わせるほど冷え込んでいる。

 だから、こうして身体を丸めているのだ。

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