T.T.S.
@AmonoOki
File.1
第1話明治絢爛捕物絵巻
A.D.1892.9.21 18:00
大日本帝国 奈良県
1
ゴォォーーーン!!
伝統と格式をのせた重厚な鐘の音が、4つ目の音を紅い斑鳩山に響かせた。斜陽を浴びた世界は時節と共に美しく燃え、秋雲と秋茜の群を高く高く押し上げる。
冬に向けて枯れ葉を焼き払う焔の中、民家の庭先に植わった1本の柿の木があった。
世界最古の木造建造物群の1つ、法隆寺西院伽藍を望む幹の中腹に、男が一人座っている。寸胴短足が基本公式の時代にしては、広い肩幅を持つ大きな身体。決して太くはない引き締まった肉づきは、長身痩躯を絵に描いたよう。髭こそ剃っているものの、肩に届くほど伸びた黒髪を結いもせず、それでも素材がいいのか、それなりの雰囲気を持った相貌になっている。くたびれた市松模様の小袖に、皺の目立つ色落ちした藍色の袴。草履を引っ掛けた片足は、ぶらりと投げ出していた。だらしなくみすぼらしい出立に唯一彩りを添えるのは、彼の手にある大振りの柿だけだ。
悦に入った軽薄な笑いを浮かべて、柿を一口齧りつつ、男は詠う。
「柿食えば 鐘が鳴るなりぶっ!!……ゲホッ!ほ、法隆寺」
ゴォォーーーン!!と響く5つ目の鐘の音に頭を打たれたように、男はうなだれる。
「んでよりによって渋柿なんだょ」
二重瞼に滲む涙を拭いながら、男は柿を放り投げた。
男の名は
齢22を迎えた公務員だ。
コォォ~~~ン……最後の最後に打ち損じた音がオチを強調して、思わず法隆寺を睨んだ。
「ったく、文明開化の残り香が漂ういぃ雰囲気なんによぉ」
「アンタさ」
源の傍らに女が一人現れた。
右胸まで垂らした三つ編みと、キツイ印象を与える切れ長の目が美しく映える鼻筋。シャープな輪郭の美しい顔立ちをしている。鶯色の小袖は濃紺の袴を柔らかく飾り、白い足袋履きの草履が純潔さを引き立てる。パッと見は、麗しい大和撫子だ。
だが、彼女もまた、時代にそぐわぬモデルのような高身長だ。
「もう少し労働意欲に燃える気はないの?」
ただでさえ鋭い目を一層尖らせて腕を組む彼女の名は、正岡絵美。
源と同じ22歳の公務員であり、かの俳人、正岡子規の血縁子孫でもある。
美しい顔立ちの威嚇は中々に迫力があったが、源は飄々としたものだった。
「環境問題に関心の高い俺はそぉなんでもかんでも燃やさねぇんだよ。っつぅか労働意欲って可燃物なんか、知らんかった」
『この野郎』
顔を引き攣らせた絵美が言い返そうと口を開いた時、少女の声が遮った。
「たいき時間はじゆうでしょ!なにモンクいってるの?」
キンキン響く声を追って、二人は源の左手首にある腕輪を見た。
すると、源の左手首に嵌まっていた腕輪が消え、彼の膝の上に黒い日傘を差した一人の少女が躍り出る。
「いつもいつもリユウつけては源のとこきてるの、紫姫音しってるからね!」
ツーサイドトップに結った紫髪に、黒いヘッドドレス。前髪を髪と同色のスワロフスキーのピンでとめ、白いシャツの胸元を黒いリボンが飾っていた。パニエこそないものの、フリルの多用された黒いロングスカートに編み上げブーツを履いた姿は、20世紀後半に日本が生んだサブカルファッション、ゴシック・アンド・ロリータそのものだ。
一から十まで時代錯誤な少女は、レースの手袋で絵美を指す。
「源には亜金がいるの。絵美はプライベートまで源といっしょにいちゃダメなの。わかる?もしかして源がウワキするとおもってるの?バカなの?スジガネにプラチナつかってるレベルのバカなの?」
「わかった。私が悪かった。ごめん紫姫音ちゃん許して」
手で眼元を覆いながら罵倒を遮った絵美は、源にギロリと視線を送った。阿吽もかくやの迫力に、さすがの源も首を竦める。
「あ!源!絵美のミカタするの?いいよ、なら亜金にチクってやる!それで亜金におもうぞんぶんおしおきされちゃえばい」
少女の声と姿が消え、腕輪を撫でる源と戦慄く絵美だけが残った。
「あぁ静かんなった」
一悶着終えて安心し、猫のようにあくびをする男を、しかし絵美は許さない。
「この馬鹿源!略そうか?このバーゲン!!!!」
「んだよ次はお前がお冠か?っつぅか人を安売り呼びすんな、ワゴンに乗って化けて出んぞ」
「やかましい!!当たり前でしょ!!アンタ今をいつだと思っているの?19世紀よ19世紀!
賢明なる読者諸賢もお察しの通り、彼らは1893年に生きる人間ではない。
彼らが生きる本来の時間は、2169年。
つまり、二人は276年もの時を隔てた時間に住まう未来人だ。
2
2166年。超光速運動素粒子タキオンの発見と生成、および質量を司るヒッグス粒子との組み換え実験に成功した人類は、カー解のブラックホールにおけるリング状の重力特異点の物質通過に成功。夢にまでみたタイムマシンシステムを開発した。
しかし、この発明はパンドラの匣にしかならなかった。
――この世界で現在を生きる皆さま、初めまして。我々はTLJ-4300SHの設計情報の奪取、およびその発明者を誘拐した世界民意代行組織です。“
我々をいかなる組織と定義するかは、皆さまの解釈にお任せします。
ですが、どうか私見に固執せず、議論を重ねてください。
その結果“
なぜなら、今日ほど個々の主張が力をもつ時代は過去になく、また、我々が観測しうる限り、未来にもないからです。
ディストピアがやってくるわけではありませんが、そう遠くない未来、我々はこれまでにない規模の種の危機に直面します。
いくら綺麗事を並び立てようと、種の保存という大義の前に人権はありません。
ですので、せめて今だけは、皆さまには貴重な自由を謳歌していただきたいのです。
そしてどうか、我々をしっかりと見ていただきたいのです。
それが、我々の目的であり、目標、なすべきことです――
このメッセージと共に、名もない組織がタイムマシンの独占を表明したのだ。
同時に、組織は一般人を対象にした時間旅行の提供を発表する。
民衆やメディアは、この組織をタイムマシン完成発表論文中の言葉「薔薇色の世界の訪れ」を引用して、“
いかにタイムマシン関連の話題とはいえ、なぜこの組織がここまで人々の関心を集めたのかというと、最初の声明につけ加えられた文言がじつに興味深かったからだ。
――我々を阻むというならば、T.T.S.諸君の挑戦は大いに歓迎する。 coノH――
この呼び掛けに応えたのが、世に公表されずに組織されたICPO内にある特務機関だった。
堂々と指名されてしまった以上、彼らも背に腹は変えられなかったのだ。
――
だが、我々は
彼らの行っていることは、人類のみならずこの世界そのものを危機に曝している。
その点を、皆さまにはご了承いただきたい――
SF評論家や物理学者からの参考見解も付加されたこの声明と共に、T.T.S.は世間にその身を曝した。
彼らの告げる“この世界そのものを危機に曝していること”はシンプルだった。
それは、タイムマシンの私的利用によって起こりうる数々の弊害。
いわゆる“親殺しのパラドックス”などの一般的な矛盾事項だった。
T.T.S.はそれらを一括りに、“現在破綻”と表現する。
重ねてT.T.S.は、ICPOに寄せられた国際犯罪のうち、
公開された事案は三つ。
一つは、主要国首脳会議における日本国総理大臣の暗殺事件。
もう一つが、世界で五台造られたタイムマシンのうち、四台が爆破された事件だ。
両事案は
それゆえに、公式機関の認定には大きな意味があった。
世界はその事実を痛感したのだ。
T.T.S.が一連の事件を秘匿していた理由は、世界中で渦巻いたシュプレヒコールによって顕在化した。
意図せず人質となっていた恐怖に、人々は混乱していたのだ。
しかも、残る一つの事案が、その混乱をさらに深めることになる。
その絶望的な事実の開示は、民衆に対するT.T.S.の誠意だった。
だが、皮肉にも民衆は
三つの事案は人々に強く自覚させたのだ。
『ヒトが時を支配した。時間旅行が可能になったのだ』と。
そんな人々に、
追い打ちをかけるように、ある国の諜報機関が時空間跳躍によって内部文書を破棄していた事実が判明。これによって、世論のタガは完全に外れた。
人々はタイムマシンに雪崩れこみ、T.T.S.は
そうして、3年たった今もなお、世界は
3
「なんで紫姫音ちゃん荒れているの?」
「知らねぇ、服かぶってるのがいてムカつくとかワケわかんねぇこと抜かしてた……で?今回の職人さんは何名様で?」
柿の渋みが残っていたのか、唾と共に吐き出された源の言葉を、絵美は溜息で受けた。
「
源の手を取り、絵美がそう呟いた途端、二人の身体に骨伝導音が流れ出した。
〈おはよう諸君!今回の任務もどうやら骨が折れそうだぞ。……ねえどうかな紙園君?今のイイ感じに聞こえた?あ、でも向こうが朝とは限らないか、なら……お、おはこんばんちわ!あ、スッゴイ古いね、マニアしか分かんないね、ごめんごめ……え?なに?尺そんなない?マジで?あ、じゃあ早速いきまーす。今回の【あの馬鹿みたいな募集に釣られちゃったお馬鹿さん(笑)】は……ダラララララララララララ……え?マジで本当に時間ないの?ドラムロールいらない?あ、そう。じゃあさっさというね、今回の
っち側から……あ……た、大変だよ紙園君、僕の資料破れちゃっ〉
尻切れトンボの
「あははは!ご機嫌だなぁ
「どいつもこいつも仕事をなんだと思っているの、馬鹿しかいないの?
言わずもがな、前者が源で、後者が絵美だった。
「はぁ、愚痴ってもしかたないか。アンタのほうはどう?ちゃんと任務内容入っている?……っても、紫姫音ちゃんご機嫌斜めだし……ああもう!」
今もなお笑い続ける源の傍らで、絵美は段々腹が立ってきた。跳躍先が過去である場合の初歩的注意点“未来物の持ち込み”を平然とやっておいて、なんでコイツはヘラヘラ笑ってやがんだ、と。
「源」
「へ?なに?」
なにがツボだったのか、眼に涙を滲ませた源が絵美を見て、そして。
「……あのぉ、絵美さん?」
表情を凍らせた。
「なに?」
「あのぉ、これ確認なんすけど」
「なに?」
「大変憤慨してらっしゃいます?」
「知りたい?」
「いや、いぃで「教えてあげる」……あぁ、そぉ?」
広い法隆寺の境内に、鈍い音が二発響いた。
音源には、鈍器のような物で頭部を損傷した黒長髪の男と、赤毛の女の姿があったそうな。
T.T.S. 了
「……ご用件はいかがなもんで?」
腫れ上がった患部を摩りながら見上げる源に、絵美は腕輪を指示した。
「WIT起動させて」
「はぁ?紫姫音
「しかたないでしょ、こっちには今のリハみたいな音声しか入っていないの。そっちに入っているの確認しなきゃ」
「面倒臭ぇなぁ、あの
前評判をアッサリ覆して、源は腕輪型のデバイス、通称WITのスイッチに手をのばす。
「ほ、本当に起動していぃんか?」
いちおう念のため石橋を叩いて渡る精神で前もって手を止め、絵美に確認した。
「う、うん。いいよ、大丈夫」
冷静沈着さを取り戻しつつあるようなので、源は意を決してスイッチを押す。
来たるべきけたたましい罵詈雑言に備え、精神的耐ショック姿勢を取った絵美の耳に、
「……あれ?」
予想した罵声が来ない……どころか、姿さえみせない。
拍子抜けして源をみると、彼も彼で慌てていた。
「ん?おい、紫姫音?……おぉい、紫姫音さぁん?」
「……なあに?」
ようやく聞こえてきた声は、これまた随分不機嫌そうに響いた。
ちょっとおっかないので、自然と絵美は身構える。
「んだよ起動してんならさっさと反応しろ」
「しらない。絵美となかよししてればいいじゃん」
「どぉでもいぃから、早く本指令のデータ開け」
「ヤダ!」
これにはさすがの源も泡を食った。
「はぁ?お前俺の
「しらない!源なんて絵美とチュッチュしてればいいじゃん!」
「アホなこといってねぇで早く開け。ユーザー指示だぞ」
「しらないもん!」
どうにもご機嫌斜めな現在音声のみの彼女の名は紫姫音。腕輪状になった情報端末の総合インターフェイスだ。AI型の総合インターフェイスは2170年代では一般的であり、さして珍しいものではない。
だが、紫姫音が一般的な規格かというと、それは違う。
彼女は人間の脳を機械的に忠実に再現した新型のAI。機械らしさを捨てた生物に近い反応を返す新型のインターフェイスである。
亜生物型総界面人工知能。通称、
もともと介護や教育の現場での利用が主として作成されたため、可愛らしくデザインされた外見が多い
それゆえ、こうして臍を曲げてしまうこともあるのだが、そこはインターフェイス。ユーザーからの指示は絶対であり、刃向った場合にはユーザーがペナルティーを科すシステムがある。
強制的に実体化した紫姫音に、源は薄い笑顔で告げた。
「……
「ひゃぇ!?うっひゃ!うっひゃひゃひゃひゃ!!!!」
「どぉだ?とめて欲しけりゃさっさと本指令のデータを出せ」
「ひゃひゃひゃっはぇ、……イヤ、だぁ……うひゃ……」
「ほぉ、まだ言うか、だが身体は正直みたいだなぁ……いぃだろぉ嬢ちゃん。そんなに欲しけりゃくれてやるよ。追加信号Strong」
「いひぃ!いやぁめぇ、てぇうっひゃ!!……ゲホッ!ゴホッゴホ!!!!」
「おぉおぉ愉快なことんなってんなぁ、どぉだ?開く気になったかぁ?」
「片づいたら教えて……」
幼気な少女をくすぐり、あまつさえ悶える姿を楽しそうに笑って見ている成人男性という通報必至の光景を前に、そっと絵美は距離を取るのだった。
〈さきほどは馬鹿が失礼しました。I.T.C.紙園エリです。本件はOperation Code:G-3842。
ジャズシンガーにはうってつけのハスキーな女性の声が、二人の聴覚野に流れ込んだ。
直後、法隆寺近辺の地理情報や対象出現位置のARデータ、日の入り時刻などの気象情報がインストールされ、視界をコーティング。対象出現までのカウントダウンが出現した。
情報が揃ったところで、「状況開始」といきたいが、とりあえずストレートフラッシュは打ち合わせのために顔を見合わせる。
「いい具合に毒舌ね、エリちゃん。ノッてる」
「もぉ
「それ、本人が聞いたらなにされるか分かったものじゃないわよ……さて、どっちやる?」
「ん~じゃ、今回は確保のほぉでいこぉかねぇ」
「あら、珍しくヤル気?」
「誰かさんに労働意欲を燃やせとか言われたんでなぁ」
あらそう、と絵美は源の手首を指示してつけ加える。
「ついでに遵法精神にも目覚めて欲しんだけど、無理な相談?」
すっかり沈黙した紫姫音は、処罰信号の効果でグッタリしていた。
こうして疲労まで感知、蓄積するのが
しかしながら、そんなハイテク極まりない物を19世紀に持ってくる無神経さに、絵美は改めて呆れた。
ちなみに彼女のWITのOSは作戦開始前にAI化以前の型に換装している。
4
彼らを捕獲する際、その役割は二つに分かれる。
即ち、確保と人払いだ。確保の重要性はいうに及ばず、人払いという仕事もT.T.S.では重要な役割を担っていた。
過去の改変には、通例として二つの可能性が提唱されている。
一つは、時間跳躍者による過去への干渉。先の“親殺しのパラドックス”などはこれに当たる。
そしてもう一つ。これは過去へ飛ぶ際に忘れがちな存在ではあるが、跳躍した先に待っている世界の住人もまた、同じ“人間”であるということだ。時間跳躍者の廃棄物や拾得物から過去の人間が独自の研究で未来の姿を歪めてしまう可能性も、考慮しなければならないのだ。
ゆえに、T.T.S.のメンバーは物凄く気を遣って任務に赴く。普通は。
だからまあ、「じゃあ源はなんなんだ」と問われるとちょっとアレなので、今回馬鹿は脇に置いておくが、絵美は血液検査までして気を遣う。それこそ、跳躍先の時代に開発されていない新薬などを血中に含んだまま持ち込んでしまう可能性があるからだ。
そして、人払いという仕事の本質はこの二つ目の可能性にある。
時間跳躍先で当時の人々に事態を隠すにはどうすればいいか。答えは、至極単純。極力当時人との接触を避けることだ。この重要な役の担い手こそが、人払いである。
現地人を遠ざけ、異なる時間の人間の接触を最低限にする。それには、少数精鋭による部隊の編制こそが望ましく、結果生まれたのが
「でも大丈夫かぁ?この前の香港マフィアごっこ捕まえた時とは時流が違ぇぞ?いくら末期とはいえ、19世紀の日本なんざ男尊女卑が当たり前だ。公務によって、って言い分は通用しねぇぞ」
「そうね、女性の社会進出なんて一部の富裕層にしたってあと数十年は待たないと果たされないし、邏卒は……もう警察だっけ?それも通用しないか、なんて口実にし……!!」
言葉の途中で息を呑み、一点に目を留めた絵美は囁く。
「言っている傍から見られていたわ。とりあえず行って来る。確保、よろしく……You see?」
「I see」
身を起こしつつ絵美の出動を見送り、同時に、彼女の追跡対象を確認した。
小袖袴に学帽を被った小柄な男が角を曲がるところと、その進行方向に拡張現実の
「んじゃまぁ、絵美センセの有難ぁいお言葉に甘えて、こっちも参ろぉかねぇ」
尻から滑り降りながら、マーカーと正反対の方向へと足を向けた。
「明治絢爛捕物絵巻の第一章にして最終章、スタートだ」
ゴォォーーーン!!と背中で聞く鐘の音が、試合開始を告げるゴングのそれに聞こえて、源の脚には力が込もった。
5
正岡絵美は走る。
学帽の男は、結構な健脚の持ち主だった。もう400~500mは一定速度を保ち、かつノンストップで参道をジグザグと疾走している。
だが、正岡絵美はあらゆる面において一般女性ではない。飛び級に飛び級を重ね、14歳で警察組織に入庁、体操で五輪代表候補に名を連ねた経歴を持つ彼女には、充実した体力と持久力、そして強靭な精神力がある。相手がいかなる性別であろうと、どれだけ粘る者であろうと、彼女が遅れを取ることはない。
『……にしても保つわね』
もう何本目になるか分からない路地へ差し掛かったところで、絵美は声を張り上げた。
「あの、すみません、少しだけお話を」
「いえ、その、ワタクシは、決して盗む聞かむとあの場におったワケではなく……万古不易に満ちたる西院伽藍の物見に参じただけで!」
『はい……いま“盗み聞く”って自白しちゃいまし……』「うっわ……やられた。手が出せない」
男の曲がった角に追いついた時、おもわず閉口した。
爪先の方向に、遊山に来たのだろう群衆がいる。その数、およそ三十人。
学帽の男は、その中にすっかり溶け込んでしまった。
イヤでも顔は渋くなる。
『江戸時代からこの国にはお伊勢参りみたいな集団旅行の文化はあったのよね。完全に忘れていたわ……それにしても、この大人数は厄介ね』
でも……、と絵美はなんとか左後方まで追いやったマーカーを顧みた。
『これであの男は集団に固定出来た。あとはこの集団の動きを封殺できれば、確保の瞬間を目撃されることはなさそうね。まあ彼らがいい子にしていてくれる保証もないのだけど……だから』
276年前の空気を肺に注ぎつつ、絵美は天を仰ぐ。茜色だった広い空は、段々とその色を藍色に変え、宵時の加速を悟った虫たちが喝采を送っていた。
逢魔ヶ刻。悪魔と人が出会う時間。業にまみれた
「面倒が増える前に片づけてよ、源」
相棒の腕は知っている。与えられた僅かな時間だろうと、彼は任をまっとうするだろう。
だから、その点に関してはなんの心配もないのだが、腑に落ちないことが1つ。
『どうしてこうタイミングよく集団に出くわすかな?』
6
淋しい口元を煙草で埋めて、源は歩く。
未来から持ち込んだ煙草を平然と過去で吸うなど、職業倫理上等の行動だが、生憎というか幸運にというか、お咎め役は不在だ。
だが、決してもう一人がいなくなったわけではない。虫達と共に鼻歌交じりの源の耳小骨を、マナーモードのインターフェイスが揺さぶった。
[ねえねえ、
「お前話聞ぃてなかったんか?あの書生だかなんだかが相当粘ってんだよ。だから少し時間潰してたんだ」
でもまぁ、と源はその場で爪先の向きを変える。
「どぉやら動きを固定出来たらしぃな、こっちも仕事すんぞ」
[りょーかい♪]
出現までのカウントダウンは、もう5分を切っていた。
源は絵美に万感の思いで礼を言いたくて、しかたがない。
視界で、
「変態紳士なんてガラじゃねぇんだがなぁ」
[ただのヘンタイだもんね]
「言いやがったな臍曲げ小娘が」
そうは言っても、今は任務中だ。モラルは障害にならない。
渇いた草の匂いと秋虫の合唱を掻き分けるように、源は簾を捲った。
視覚に上書きされていた厠全体の色が剥がれ落ちる。
「へぇ、やっぱマメだなぁ昔の日本人は」
基本文化レベルが低いので、陰部を擦る縄や桶に溜まった汚物の臭いやそれに誘われた大小様々な蠅もいはしたが、それを差し引けば、厠は綺麗な使われ方をしていた。
入ってすぐ右の手水場や、茣蓙を敷けば問題なく横になれそうな滑らかな土の地面は、強く文明化された社会を窺わせる。手水場は曲がり角に位置しており、そこを左に折れると正面に小さな窓が、左壁際には三つ並んだ個室が、それぞれ確認出来た。どれも綺麗な木目の板で区切られている。
そして、そんな個室群の一番奥にそれはあった。
ショッキングピンクに明滅する奇妙な木目は切り替わったマーカーの証。
「さすがは“東洋の紳士”の国ってとこだなぁ、婦人用だけど」
益体のないことを言っていると、カウントダウンの表示が赤く点滅を始め、同時にあの音が聞こえてきた。虫の羽音のような、整体師の使う赤外線投射機の稼働音のような、ブーンともジーとも聞こえる、不自然な音。それは、TLJ-4300SHという科学の結晶が人の空想を捉えた音。
『おいでなすった』
カウントダウンが3分を切った。怪音を警戒した秋虫が一斉に凪いだ中、源は三つある個室の一番手前に忍び込み、紫姫音に指示を飛ばす。
「ApplicationSoft IndexよりASI
[ASIよりShake Hands With Damnationを実行。これより展開します。表層の高圧電流にご注意下さい。源はさわってもいいけど]
「よぉし、その喧嘩買った」
骨伝導の返答に顔を引き攣らせると、左腕で変化が起こった。
彼の手首。WITから先が、虹色の光に呑まれて消えている。まるでそこに次元の穴でも開いたように、物理的にあるまじき光景が広がっていた。にもかかわらず、源は眉一つ動かさずに腕を虹の中に突っ込んでいく。
いよいよ肩口まで虹の渦に突っ込んだ彼は、今度は逆にそれを引き出しに掛かった。再顕現していく腕に疑問は持たない。例え、再顕現していくそれが異様な色をしていたとしても、だ。
腕を漂白し、血管のみを染色したようだった。白い下地に蔓延る無数の赤黒いライン。左腕を完全に覆ったそれは古風な着物との不和が違和感を越えて異常さを感じさせた。
不気味なこのグローブは、高圧電流で咎人に罰を与え、断罪へと導く手。
源がT.T.S.に許可を取って使用する武器の一つだ。
拳を固め、解いた源は、そこであるアイディアを思いついた。
悪戯を思いついた子供の目で腕輪に告げる。
「なぁ紫姫音」
[ん?なあに?]
「お前ちょっと参加してみねぇか?」
[え?でもそれってキヤクイハンになるでしょ?いいの?]
「大丈夫だって、俺とお前と神さんの秘密ってやつだ」
[なんかよくわかんないけど、オモシロそうだからやる♪]
「さっすが俺の
カウントダウンが30秒を切った。間もなく、愚かな
7
川村マリヤは沈黙に包まれた厠に立った。聞き耳を立てるが、他に気配はない。
慎重に個室から出て、窓の外を確認してみる。閉まる個室の戸の音を聞きながら眺めた最古の木造建造物群は、輪郭を黒く染めて幽玄と鎮まっていた。
個室を振り返れば、使い方すらよく分からないトイレに蠅が集っている。
そんな文明の差を前にして、ようやく実感が湧いてきた。
『ホントに来れたんだ』
ろくな照明器具のないご時世なので、光度は期待していなかったのだが、見回した厠は中々どうして、それなりに物を視認出来た。黄昏時の名の通り、人がいることがわかっても、その表情までは読み取れない程度の明るさだ。
しかしながら、刻一刻と暗さが増すのは自明の理。今の内に残る二つ個室をチェックする。
『誰もいない。ホント、中々に好条件ね』
そう満足した時だった。外から、カロンコロンと下駄の音が近づいてくる。
慌てて元いた個室に踵を返した。
さきほどまで近未来感に溢れていた室内は、時代相応のトイレへと様変わりしていた。
プンと立ち込める悪臭に眉を顰めながらも、息を殺して様子を探る。
今彼女は、時代のドレスコードを守って袴こそ履いているものの、短い金髪を隠す黒髪のウィグを被っていない。もしこの時代の人間と鉢合せをしてしまったら、確実に違和感を与えてしまう。色々と不都合が生じるのは、火を見るより明らかだ。
冷や汗の浮いた背中を浅い息で鎮めていると、案の定何者かが這入ってきた。
響く下駄の音から、音源の歩幅の小ささが伺える。
沈着冷静な自身を取り戻すため、ルーチンワークとしてマリヤは目を閉じ、音源を探った。
『十代になるかならないかってとこかな?』
職業柄、マリヤは老若男女の身体平均値を把握している。ゆえにこの推測には確信があり、果たして、彼女の予測は正鵠を告げていた。
「お父上。そこにいらして下さいませ。お心変わりは嫌でご座いますよ?」
出入口に向けた幼い声は、戸惑いと恐怖に震えている。意志が薄弱していくのが見えるような声音に、若い男の声が応えた。
「ああ、お前が出て来るまでここにいるよ。だから早く行っておいで」
「絶対に、でご座いますよ」
念を押す少女の声が、グッと低くなった明度の中に溶けていく。
覚束ない下駄の音を響かせて、コンコン、と薄い密度のノックで個室に問い掛けた。痛々しいほど怯えながらも礼儀作法を弁えた行動に、良家の匂いを感じた。
「もし、どなたか入っていらっしゃいますか?」
当然、この問いに対する答えはなく、彼女は半ベソを掻きながら用をたし、月明かりの下に待つ父親と合流する。
はずだった。
ゴンゴン!
『!?』
ノックが、返った?
そんなはずはない!と危うくマリヤは叫びそうになった。
この厠には、彼女以外誰もいなかったはずだ。
それなのに、ノックは返された。
『どういうこと?』
自身の想定と余りにも違い過ぎる現実に、胸騒ぎがする。
「た、大変失礼いたしました。どうかご無礼をお許し下さい」
扉の向こうでは、マリヤとは別の意味で少女が畏縮している。
足音は隣の個室に移動し、同じ工程が繰り返される。
「もし、どなたか入っていらっしゃいますか?」
コツコツ!
尋ねるためのノックと、返礼のノックの音。
『どういうこと?』
確認した。
確認したのだ。
確かに見て回り、そして確証した。
ここが無人であると。
では、少女と交信したのは一体なんだ?
自然と身体が震えてくる。
『なんで?なんでノックが返ったの?私が見た時、ホントは誰かがいたの?でもいなかったじゃない?どうなってるのよ?』
「もし」
突然浴びせられた声に、マリヤは我に返る。
『まずい!早くウィグを!!』
無意識に掴んでいた縄から手を放すと、顔を顰めたくなる臭いがした。
しかし、今はそんな些事に構っている場合ではない。
「ホ、ホントごめんねお嬢さん。私今入ったばかりで……怖いかもしれないけど、少し待っていてもらえるかしら?」
適当な言葉を並べつつ、震える手で数滴の薬品を頭皮に垂らした。
すぐに、首元の通信デバイスであるNITが反応した。
骨伝導に乗った幼い男児の声が、的確な指示をくれる。
[頭皮細胞群の分化全能性を回復。並びに分化指向性の変更を確認。これより、急速分化を開始します。頭部を大きく振って下さい]
指示通りにすると、髪が一瞬で濡れ烏の羽色に生え変わり、地毛の金髪を覆いつくした。怪盗ルパンも形なしの変装にさほど反応も見せず、マリヤは伸び続ける黒髪を急いで纏める。
『こんな薄気味悪い場所、ホント、すぐに出てやる』
出来る限り沈着たろうとするマリヤの耳朶を、しかし次の瞬間、ゾッとする声が打った。
「父上、おりました」
それは、聞き紛うことなき少女の声。
だが、違う。
なにかが違う。
決定的に、潜在的に、さっきまでとは百八十度。
違う。
つい今まで、少女は怯えた声をしていた。
幼い時分に誰もが抱く、暗闇への恐怖に彩られていた。
それがなんだ?
なんだ?
この嗜虐的な声は。
「父上の仰る通りでした」
ケラケラとけたたましい声で少女は嗤う。
そこに、異常なサディスティックさを滲ませて。
「少し多めに戸を叩いただけで、あっさりと馬脚を現しましたよこの女。まったく愚かでございますね。私自身が二度叩くことをナゼ考慮しないのでしょう。理解に苦しみます」
「そうだな。だがいいじゃないか、これで晴れて材料は揃ったのだ」
「左様でございますね。それでは、いかがいたしましょうか?」
言葉の意味が呑み込めず、マリヤの思考はホワイトアウトした。
『なんの話をしているの?材料?二度叩いた?どうして?』
無数に浮かぶ疑問符が、状況判断にエラーばかりを並べた。
それでも危機感は募り、思考は藁をも掴む勢いで手掛かりを求める。
冷静の保持に焦燥し、焦燥が堆積して憔悴に導いていく。
『なんだか分からないけど、絶対ヤバい』
だが、そんな苦渋もここまで。
運命は、少女の狂声にあっさりと告げられる。
「やはり人肉も新鮮な方が美味なのですか?」
『人……肉?』
その瞬間、マリヤの思考がなにかを掴んだ。
聞くだに忌むべきその単語が、気掛かりだった言葉をゆっくりと結び、最悪の像を起こす。
グニャリと景色が歪み、手足の感覚が遠退いた。
カラカラに乾いた口の中が、ザリっと不快な音を立てる。
バイタルアプリが異常を検知し、フルオートで起動。視界に赤い明滅を加える。
気がつくと、親子の声は扉の前から響いていた。
「当然だ。出来るだけ傷をつけずに捕えろ」
「かしこ参りました。ふふ、申しわけございません。私、初めての支度ゆえ、どれほど怯えるものかと心が躍ってしかたがありませんでしたが……ふふふ、これは予想以上です」
「ああ、面白かろう。なにせ源平の頃より我が一族に伝えらし秘伝の鍋だ。今日はお前の婿殿が元服を迎えた記念の日。いずれはこうした材料調達から一人で成さねばならんからな、しっかりとやり方を覚えておくのだぞ」
『鍋にする?』
「はい父上。ご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします」
『なにを?』
個室の扉に、なにかが打ちつけられる。
その音が、マリヤの思い描く最悪の結末を確信に変えた。
『ああ……私を……か』
二度三度と打ちつけられる打撃に、蝶番が嫌な音を立てる。
無駄と理解しながら、マリヤは扉から離れた。
心拍が、呼吸が、汗腺が、生命の危機を叫んでいる。
もはや声は出ない。
呼吸すら、上手く出来ない。
拍動は収まりをみせず、自分でも分かるほど手足が冷えていた。
バイタルアプリの警告灯が血のように真っ赤に広がっていく。
血染め視界に浮かぶリストに、過剰ストレスが加わっても、どうしていいか分からない。
それでも、扉の向こうから男が問い掛けてくる。
「ああそうだ。お嬢さん、一応キミの希望を聞いておこう。お前さんは黒と白、どちらがいい?」
「……イヤ」
蝶番がガチャガチャと鳴き続ける。
その音が、呪詛のようにマリヤの神経を蝕んだ。
『イヤよ』
耳を塞ぎ、目を閉じて、マリヤはへたり込む。
もはや彼女の逃げ場は自分の中にしかなかった。
それでも、狂気は途切れない。
「開けなさい、お嬢さん。もう帳も降りたのだから手間を取らせないでくれ」
「早く開けて下さい。逃げ場なんてないのですから」
「早く開けなさい」
「開けて下さい」
「開けろ」
「開けろ」
「開ケロ」
「開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ『死にたくない』開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ『死にたくないよ』開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ「イヤ!」開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ「やめてよ!」開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ「もうやめて!」開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ「やめっててば!お願いだから」開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ「お願い……だから……」開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ開ケロ
「……え?」
気がつくと、すべてが収まっていた。
扉を叩く音も、それを急かす声も、まったくない。
すっかり暗くなった厠には、虫の声さえ鳴り出した。
状況が分からない。
頭の中がボンヤリとしている。
『いなくなったの?』
恐る恐る目を開くと、ビロードのような濃い闇があった。
それだけで、また頭が真っ白になる。
拘束されたのか?と一瞬考えたが、手も足も問題なく動く。
そうして触れた土壁のザラリとした感触が、僅かな安心感を与えてくれる。
しかし、動けなかった。
動こうとさえ思えなかった。
動いたら、すべてが終わると感じた。
やつらがここを離れたかなんて、分からない。
それがハッキリするまで、マリヤは動く気にはならなかった。
『ここにいればまだ安全、よね』
ホッと胸を撫で下ろした。
その時。
木戸を突き抜けて現れた白い腕。
それは、まるで血色を感じさせない白色で、表面に赤黒い蔦のような物が絡みついていた。
悲鳴も嗚咽も悲嘆も瞠目も許さず。
それは真っ直ぐに彼女の首筋を掴み、そして。
「そんじゃ、白で詰みな」
諸行無常の言葉のままに、マリヤの意識を刈り取った。
8
「やり過ぎ!!」
とっぷり陽の暮れた星空の下で、雷が落ちた。
節操のない電飾とは違う、謙虚な天然の照明が柔らかく世界を包む中、腕を組んで猊下する絵美の前には、三つの人影が正座していた。
だが、それだけにしては、源は少々やり過ぎた。
今でこそ堂々と不貞腐れるマリヤだが、目覚めた直後は酷いもので、涙と鼻水でぐちゃぐちゃのパニック状態で絵美に縋りつく始末だった。
一体どんな捕まえ方をしたらここまで怯えるの?とマリヤに尋ねたところ、源が就任規約に抵触する方法を取った可能性が浮上し、絵美さんのお説教タイムが始まったわけだ。
『なぐさめるの、それはそれは大変だったぞ☆』
「紫姫音ちゃん?なにしているの?アナタがやっていいのは源のサポートだけよ?賢くて可愛くて優しい紫姫音ちゃんはきっと分かってくれると思うけど、これはT.T.S.の職務規定に関する重要な質問なの、規定要綱ダウンロードしているアナタなら分かるでしょう?」
撫で声で柔らかく加工しているが、言い逃れを完全に封じた内容と、曖昧さを認めない切れ長の眼力が幼女に切り込みを入れ、真実を探る。
源ならば2秒も耐えられないが、紫姫音は違った。
臍を曲げた子供特有の面倒臭い頑なさで、ぼそりと呟く。
「だって……」
『なるほどね』
芳しくない反応を見た絵美は、瞬時に電子少女の心理状況を察した。
即座にTPOをアジャストさせ、テンションのベクトルを変える。
「大丈夫。私は源の
一言一句を染み込ませるようにゆっくり告げる。
手応えは、すぐにやってきた。
「源が……やってみろって……」
秘密の共有は口封じの初歩であり、
ならば、解法は単純。
その輪に加わればいい。
かくして道は開かれ、結果一人の男が辞世の句を練り出す。
『なんだそれ
お前のキャラは
どこ行った』
「ふーん」
ギロチンの刃が、目の前でゆっくりと上がっていく。
小動物なら一発で心臓麻痺しそうな視線が源を捕えた。
「源くん❤」
「……はい」
桜が散り、青葉が芽吹き出した交際2ヶ月目。やっと相手の性格がわかり出し、どんどん互いを好きになる、正に人生の春。その僅かな期間しか聞けない甘い声が、逃げ道を潰す。
抵抗が一瞬で諦観に変わった。
「どういうことだか、絵美じっっっくり訊きたい❤」
「……はい」
連日の熱帯夜。勇気を出して誘った夏祭り。大音量の打ち上げ花火と喧騒を遠くに聞きつつ、どちらからともなくした初めてのキス。直後に発せられた官能的ですらあるヴォイスが、確実に神経を擦り減らす。
もはや腹を決めるしか……無理だ。怖いものは怖い。
「変に誤魔化そうとしたらぁ、ヴァイオレンスが止まらないぞ❤」
「……はい」
ロマンチックは止まらない。季節は巡り、人肌恋しい冬の日。惹かれ合う二人はいよいよ一つに。煽情的な声が、一切の望みを捨てよと告げる。
ああ、いい人生だったとも。
「全部吐け」
「……はい」
天に七本のラッパの音が響き渡った気がして、源の視界は涙に滲んだ。
「あの、俺、間違って連れて来ちゃったじゃなぃスか、紫姫音」
「そうね。とりあえずグーパン一発ね❤」
「あ、え?もぉ増えんスか?」
「ご不満?じゃあ二発ね❤」
「え!?いやぁあ、りがと、ございます。そ、それで、ですね。あの、続けても?」
「さっさと喋れ」
「はい。あの、俺のWITって擬似人体変換出来んスよ」
「そうね……で?」
先を促しておいてなんだが、大体結末が読めて、絵美は眉根を寄せた。
「せっかくなんで演出を、と思って……紫姫音と食人親子ごっこやってみました☆」
「よーし、ブッコロ❤」
打撃音と粉砕音に沈む断末魔が、モザイクを要する凄惨な光景を生み出していく。
「源、ごめん」
嬲り殺しに変わった制裁行為にドン引きしつつ、紫姫音は主にこっそり詫びる。
彼女が源と契ったのは確保手段の隠蔽だけで、絵美との取引にも制裁の妨害は含まれていないため、見ていることしか出来なかった。
「ふーん」
「なあに?」
傍らから聞こえた女の含み笑いに、紫姫音は視線を転じた。
ぶつかったのは、川村マリヤの探るような眼差し。
口元だけの笑顔に、紫姫音の表情は自然と引き締まった。
「いやー中々変わったわねー」
「なにが?」
「ホント、表情豊かになって。よかったね♪紫姫音ちゃん♪」
「?」
「まだ思い出せないか。まーでも、あれと一緒なら心配ないね」
指示に従い主を見ると、サッカーボールキックを何度も受けて身体を丸めていた。
さすがに倫理コードに抵触しそうな光景でビックリしたが、同時に放たれたマリヤの言葉に関心を引き戻される。
「
「え?」
紫姫音の受容器は人のそれと大きく違う。
彼女の身体は人体を模して気球のように膨らむ擬似人体。
聴覚器官は高感度の集音マイクだ。
聞き逃しはない。
だが、今の言葉だけは聞き逃すべきだった。
コーヒーに一滴のミルクが落ちたように、紫姫音の心を不安が食む。
『紫姫音が、だいじなそんざい?』
紫姫音には、源と出会う前の記憶がない。
彼女のそれは、初めて源と出会った瞬間、厳密に言えば、源が紫姫音の手を取った瞬間から始まった。
それ以前のことは、前世を想像するように分からない。
『それって』
源と出会う以前の記憶。
普段ならば、それはどうでもいいことだった。
今の生活が気に入っている彼女にとって、過去に縛られることに意味はない。
紫姫音は源が大好きだ。
面倒臭がりで文句を垂れながらも、紫姫音の言葉に耳を傾けてくれる。勢いとノリで突っ走るお調子者だが、紫姫音の身を誰よりも案じてくれる。
そんな源が大好きだ。
彼女にとって、世界は常に源と共にあった。
彼失くして世界はなく、己はない。
それほど、紫姫音は源から多くを与えられた。
『紫姫音がうまれた、りゆう』
だが、過去との溝が埋まったわけではない。
少女は自然と考えるのだ。
『紫姫音のうまれたリユウ……しりたい』
そう言葉を紡ごうとして、でも、幼い機械は躊躇ってしまう。
その一言で源と別れることになったらどうしよう、と。
「ほら、AIプログラマー、行くわよ!」
「はーい」
決定的な機を逃した亜生物は、ただ沈黙するしかなかった。
9
ポイントPRDG-28。未来への退路は、斑鳩山を背負った空き家だった。
現役の民家にはない独特の陰鬱さ湛えたそこは、かつてはそれなりの階級の者の家だったようで、広大な敷地には巨大な平屋と立派な蔵が建っていた。
自身のWITに向け、絵美は小さく指示を飛ばす。
「ASIからGospel Receptorを起動」
彼女の視界にゴシック体をのせたメッセージボックスが現れた。
〈ASIよりGospel Receptorを実行受信レベル40%インジケーターの表示を開始します〉
5秒ほど表示されたメッセージとバトンタッチして、彼女の手元にビール瓶大の円錐形が浮かび上がった。
絵美の手の動きに反応してクルクル動くそれは時空跳躍電波の補足度合を示すインジケーターで、網目状の円錐とその中で揺らめく橙色の不定形物は、それぞれ時間の穴と時間跳躍電波をそれぞれ模式化している。
しばらく回した末、絵美はある一点でピタリと手を止めた。
円錐の頂点から底辺に向けて真っすぐ橙が伸びている。
「
〈固定完了受信レベル 85%ダイアルナンバーを入力して下さい〉
インジケーターに重なる形で現れたイコライザーの問いに、紙園エリの
「776」
〈776〉がイコライザーに刻まれ、簡略化された時空間連絡手段の準備が整った。
「テステス、こちらG-3842就任中のT.T.S.No.3正岡絵美。1892年9月21日18:57よりダイヤル776で通信中。受信レベルに問題はありますか?応答願います」
絵美の言葉にビクリビクリと波打つイコライザーが、
〈こちら2176年8月2日13:26よりI.T.C.紙園エリ。ダイヤル776の受信を確認。感度に障りはなく良好。G-3842の要綱を確認します。当通信はT.T.S.No.2
「はい」
〈了解しました。T.T.S.No.3は報告をお願いします〉
「No.3了解。T.T.S.No.2
〈I.T.C.了解。
「No.3了解。ふー……あれ?」
最低限のやりとりを終えた絵美は、自身のWITの処理が若干遅れていることに気づき、プロセスを改めた。
『なにこれ?』
WITのプログラムメモリの中に、見知らぬプロトコルがある。
思わぬ異物の発見に、表情が曇った。
『視覚誤認情報の暗号変換プログラム?なんのために?国際人権規約に則った
もしそうならば、確認がいる。
源のWITと照らし合わさねばと視線を転じて、思わず固まってしまった。
マリヤが源に抱き着いている。手錠で固定された手首を源の首に回し、抱き寄せ、耳元に吐息を吹き掛けるように。
「……」
不意を突かれた光景に一瞬意識が飛んだが、ボソボソと囁くマリヤの声に現実に引き戻された。
「……分かった?」
ピロートークさながらの艶声に、源が目を剥く。やがて彼の視線は至近距離でマリヤのそれと出合い、そして。
「源、帰還準備お願い。マリヤの番は私が変わるから」
絵美が口を挟む形で二人の空間を遮った。
「近えよ。ほら源、早く」
「あ、あぁ」
『なによその反応は』
切れの悪い源の態度に、絵美は懸念を懐く。
T.T.S.の面々にもそれぞれの過去があり、時には
歯切れの悪い今の源に釘を刺しても効果が望めない。
よって、必然的にマリヤを牽制することになった。
「源になにを言ったの?バディに変なこと唆すのはやめなさい」
敵対の意志を剥き出しにして、絵美は唸る。
だが、それをせせら笑ったマリヤは涼しい顔で牙を剥いてきた。
「あ、なに?あんたT.T.S.だったの?なんかギャアギャア言うだけのモブだとばっかり思ってた」
ふてぶてしく胸を張るマリヤに、絵美の機嫌は、なお悪くなる。
『調子に乗るなよこの短足』
絵美の中で女のプライドが発火した。
「私はアンタなんかに認められたくてT.T.S.やっているワケじゃないの。私は私のために、アンタみたいな馬鹿を捕まえたっていう結果が欲しくてこの仕事に就いているの。知らないなら教えてあげるけど、T.T.S.は
「絵美待て、ちょっと落ち着け」
「源は黙っていて」
なだめる源の声が返って神経を逆撫でる。
だが、突っ撥ねたところでマリヤの思う壺。
再び強い糾弾が返ってきた。
「あ~あ~、自分でバディがどうのとか言っといて気づかわれたら撥ねつけるってホントどうなの?言動不一致よあんた。ねー源、こんなのといると優秀な腕がホント台なしになっちゃうからさ、私とつき合ってよ、ね?」
チラチラ向けられる侮蔑の目線が、惨たらしく絵美の自尊心を踏み躙る。
建前も体面も放り投げて、彼女は唸った。
「うるせぇって言っているだろ短足女!」
直後、バチィ!!という音と共に、マリヤの背後で紫電が走った。
それは、源がマリヤ捕獲に用いた
ぼんやり霞む景色の奥から、源の声が響いた。
「ごめんな絵美。俺は大丈夫だ。だからもぉ、お前は口を汚すな」
表情の全容こそ窺えないが、聞こえる語気には冷静さが戻り、僅かに窺える口元はいつも通りの微笑みに縁取られていた。
ふと、絵美は既視感を覚えて目を細め、忘れられないあの日を見詰める。
「そう」
それは、源と絵美が初めてバディを組んで動いた、乾いた夏の日。
時間は、今この時より、279年も後のこと。
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