第9話 一日が終わって

 自分の部屋に戻ると、嬉しさで感情が込み上げてきた。


 唯一の特技が活かせるのだ。


 冒険者ギルドで否定された特技が!


 ベッドの上で大の字になって仰向けになりながら、明日はどういう弾き方をしようかと考える。


 ピアノが俺の1番得意な楽器だ。


 そしてヴァイオリンも小さい時に習っていたこともあり弾く事ができる。


 そういう経緯があり弦楽器は少し練習するとある程度は弾けるようになる。


 ピアノを使って演奏をするのが1番なのだが、それは今の状況を考えると叶うはずもない。


 音楽と触れ合うことができるだけでも素晴らしい事なのだ。



 そして夕食の演奏を振り返る。


 リュートは今まで弾いたことがなかったが弦楽器に分類される。


 少し触ればそれなりに弾けるとは思ってはいたけど……。


 あんなにうまく弾けるとは思わなかった。


 俺は自分の演奏に及第点をつける。


 そして気になることもある。


 あの時、食堂にいた全員がノリが良すぎたということだ。


 喧騒としていて酒も入っていたということもあるが、あの盛り上がりは異常だった。


 聴衆全員が同じ感情で盛り上がったという感覚。


 俺の演奏が聴衆の心を掴んだのかなと、勘違いしそうになってしまう。


 (そんな事、ありえないけどね)

 

 自惚れ注意報だ。



 おっと! 興奮で脱線しすぎてしまったようだ!


 明日はどういう曲を弾くのかを考えていたんだった。


 次の日に弾く曲を考えるなんて幸せすぎる。


 今日は激しい曲を弾いたので、明日はワインが似合うような落ち着いたバラードにしよう。


 この場にいる全員を俺の虜にしてくれるわっ! 

 

 おっと! 興奮で暗黒面がだだもれになってしまったようだ。


 これはクールダウンが必要だと思い、シャワーを浴びるため更衣室に向かった。


 少し温かいお湯を頭から流すと気持ちが良かった。


 もしかすると疲れていたのかも知れない。


 俺はしばらくの間、温い目のお湯を頭から浴び続けたのだった。



 シャワーを浴び終えて、緩い服に着替えた。


 再びベッドに大の字で仰向けになる。


 次に明日のスケジュールを考えなければいけなかった。


 午前中はギルドでの新人研修を受けて、昼からはクエストを出来るだけこなす。


 それが終わると鉄屑武具店でナイフのメンテ。


 夕食までの空いた時間にできれば図書館で情報収集。


 最後に風の乙女亭で夕食と楽器演奏。


 時間に余裕がないハードスケジュールの様な気がする。


 内容がハードではないのはまぁ、その、なんだ仕方がない。


 

 そして1日経っての所持金を確認する。


 ギルドカードに触れると、文字が浮かび上がる。


 仕組みは分からないが便利なものだ。


 表示されている所持金の項目には30000となっていた。


 明日からは、出来るだけこの所持金を減らさないようにしなければならない。



 今日は色々と慣れない事をした。


 ベッドの上で身体を伸ばしてストレッチをする。


 その時、目をよぎる白い影があった。


 ドキドキしながら影の方に目を向けると、窓にかかっている白いカーテンがなびいていた。


 ティアンネさんがこの部屋は事故物件で、何かが出ると言うものだから過剰反応してしまう。


 俺は自分の小市民具合に少しため息をついて目を閉じた。


 すぐに睡魔に襲われて抗うこともなく眠りについた。


 窓が空いていないのに、カーテンが動いていたことを気づかずに……。


        ☆


 翌日、予定していた時間に目を覚まし、服を着替えて階段を降りる。


 カウンターいたティアンネさんに挨拶をして食堂に入っていく。


 今日もティアンネさんは朝から快活だ。


 俺もその快活さにつられて元気になる。


 テーブルを選び椅子に腰をかけると、ウェイターさんが朝食を運んで来てくれた。


 パン、ベーコンエッグっぽい料理、フルーツジュースっぽい飲み物だ。


「いただきますっ!」

 

 手を合わせ、そう言って食事に手を付ける。


 その時、周りからの視線が俺に集中した。


 その掛け声はなんだ? みたいな雰囲気だ。


(君達、食事を作ってくれた方に感謝しなさい)


 心の中でそう思いながらパンを口に運ぶ。


 その時、厨房の奥にいたティアンネさんの旦那さんであるシェフと目が合う。


 シェフは良い笑顔でサムズアップをしていた。


 食べて思うのは美味しい! そして薄味であるということ。


 素材の味はすごく生かされていて最高の風味だ。


 それに合わせて調味料が乏しいのだろう、味が薄いのである。


 もしこの場に日本の調味料が用意できれば、料理革命が起こるかもしれない。


 俺は起こりえない事を思いつつ飲み物に手を伸ばす。


 フルーツジュースは非常に美味だった。


 素材の活用100%の賜物だろう。


 食事を終えてロビーに戻る。


 昨日の支払いをしようと、ティアンネさんに声をかけた。


「宿泊、食事代合わせて2500マルクだよ」


「えっ!? 3000マルクではないんですか?」


「昨日の演奏が大好評でね! それで演奏代金を差し引いたのさ」


 1演奏500マルク。


 これは俺が今まで生きてきた中で、初めて自分の演奏で得た報酬という事になる。


 その事がとてもうれしく思え、小さくガッツポーズを作った。


 それを見ていたティアンネさんは温かい視線を送ってくれていた。



「今日も頑張っておいで!」


 ティアンネさんに激励されて風の乙女亭を後にした。


 冒険者ギルドに向かう。


 昨日、色々と歩き回ったので迷うことなくもたどり着いた。


 俺はギルドの重厚な扉を開けて中に入る。


 冒険者ギルドの中は早い時間にも関わらず、少し慌ただしい様相だ。


 新人研修の参加を受け付けてもらうため、カウンターの列に並ぶ。


 当然、アンナさんが受付をしている列に、だ。


 並んでいて気付いたのだが、どういうわけかこの列だけ他に比べて1.5倍くらい人が多い。


(やっぱりアンナさんは見た目が大人しい系なので丁寧に対応をしているからかな)


 そう考えていると順番が回ってきた。


 あれ? 回転が早い?


 後で聞いた話だが、アンナさんは事務手続きの手際が非常に良い。


 それをよく知っている冒険者はアンナさんの列に並ぶ。


 そういう理由でアンナさんの列が見た目だけは渋滞するということだ。


 他にも渋滞する理由があるらしいのだが、それは聞かなくてもわかった。


 ちょっとあり得ないんですけどというくらいの彼女の容姿である。



 順番が回ってきた俺は、アンナさんに挨拶と昨日の地図のお礼を述べた。


 そして研修の手続きをしてもらう。


 本当に動きに無駄がない。


 風が木々の間を淀みなく流れるようなスムーズさだ。


「研修が終わったら、声をかけてもらえますか?」 


 それは研修の手続きが完了して、俺がカウンターから離れようとした時だった。


 周りから異様な殺気を感じる。


 俺はそんな殺気に声が出ず、頷く事だけしかできなかった。


 アンナさんはそんな俺の答えにニコリと微笑んで、次の受付を始める。


 俺はカウンターから離れる。


 アンナさんは言葉を反芻しながら考えていた。


「研修が終わったら……」「研修が終わったら……」「研修が終わったら……」


 彼女いない歴=年齢の俺としては、期待が有頂天になってしまう。


 まぁ期待だけするだけで何も無いんですけどね。



 受付を終えた俺は、それでも期待をしながら地下にある研修室に向かった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る