第17話 別れの朝

「ふぅ。何とか身体からだの調子も元に戻って来たな」

「そうですわね。回復に集中した甲斐あって、今は特に身体が軽いですわ」

 なぎが目を覚ましてから3日が経った日の早朝。

 第4小隊の5人は、月影家の道場で軽く身体を動かしていた。

 特に薙と天音は、先の戦闘で最もダメージを負い、身体的負担も大きかったこともあり、後遺症などの不安も少なからずあった。そのため、ふたりは身体の隅々まで入念に身体を動かして故障がないかの確認を行う。

 そんな薙と天音だが、目が覚めてからは徹底的に身体に考慮した休息を取ることで、短期間で元の状態まで回復することができ、今後の任務に支障がでるほどの怪我なども見られなかった。

 神威かむいの身体は特殊な薬物投与によって常人では考えられないほどに頑丈で強靭な肉体を持っているのだが、回復速度も普通では考えられないほどに早い。

「まぁ、目立った外傷が無かっただけさいわいだったよな。薙助なぎすけ篭手こての力を使ったとは言え、結局はいつもの筋肉痛くらいだしな」

「ったく、一応病み上がりなんだからもう少し加減しろよ。本調子とは言ったけど、まだ完全には治りきってないんだからな」

 左近は、ふたりの回復を嬉しそうに話しながら薙の背中を大きくバンバンと叩く。

 当の薙は、未だに篭手の力を使った影響で生じた全身の筋肉痛が傷むようで、能天気に背中を叩いて来る左近を軽く払う。

 篭手の力は、使用者の能力を極限まで高めることができる反面、極度に全身の筋肉を働かせるため、使用後は全身筋肉痛で動けないこともしばしばあった。

「…」

「薙センパイ…?」

 そんな能天気に笑う左近の顔を見て、薙は突然、何かを思い出したかのように暗い表情になる。

 そんな薙の様子に、天真は心配そうな声を漏らす。

「そんな顔すんなよ。前にも言ったろ?こんなのかすり傷だって」

 薙は篭手の力で暴走していた時、微かながら記憶が残っていて、左近に深手を負わせてしまったこと。そして天音をこの手であやめてしまいかけたことを、曖昧だが覚えていたようだった。

 そのことに関して薙は目を覚めて以降、そのあやまちに深く落ち込んでいた。それは薙の意思ではなく邪鬼まがつきの意思であることは、その場に居た誰もが分かっていたことであり、むしろ邪鬼の意思に最後まで抗ったことを誰もが称賛した。

 だが、結局は篭手の衝動を抑えることは叶わず、篭手の力を発動し暴走してしまった。それが、薙に対して一番の汚点になってしまったのだ。

「薙…?きっと今のあなたに、先のことを攻めるなと言っても無理な話でしょう。ですが、あの場面で篭手の力に頼っていなければ、きっとわたくしたちがここにいることもなかったと思いますわ。ですから今は終わったことの後悔よりも、あなたの力で皆が生き残れたという結果を重んじてほしいですわ」

「みんなが生き残れたことに、か…」

 自らの過ちに心を閉ざす薙に、天音は、優しく言葉を掛ける。

 今回の一件で天音の中で、仲間というものを一層意識付けするきっかけになったように思えた。

 薙はその言葉に、釈然としない部分もあるように感じているが、今はこの煮え切らない感情を抑える為に、心の片隅に留めておくことにした。

「さてと。まぁ、こうして薙助と天音ちゃんも完全復帰できたことだし、さっさと帰る準備を進めるか。流石にこれ以上、長居するもの悪いしな」

 暗い雰囲気を流すかのように、左近は支部への帰還の話に戻した。

「そうだな。別にウチはそこまで気にする人間はいないけど、早いとこ支部に戻らないとな。こんなとこで悠長にしてられない」

 左近の意見に対して、薙も賛成する。正直、今のこのぐちゃぐちゃな心情で今後の事など考えたくもないのだが、そうも言っていられず、このまま長々と実家に止まっているのも意味がないと感じていた。

「よし。そうと決まればすぐにでも動くか。2時間後には出発できるように支度を整えよう。みんなもそれでいいな?」

「ええ。構いませんわ」

「いいんじゃない?」

「僕も異存はありません」

 薙の決定に、周りも賛成した。正直なところ支部にいるよりも遥かに居心地が良いのはたしかなのだが、長居してしまっては迷惑だと誰もが思っていた。

「それじゃあそんな予定で、各自荷物の確認をしておいてくれ。母さんたちには俺から伝えるよ」

 直近の予定が決まって、一先ずホッと気持ちを落ち着かせると、薙は皆の顔を見る。

「改めて言わせてもらうけど、本当ありがとう。今回は特に厳しい状況だったけど、みんなが力を合わせてくれたお陰で、誰一人欠けることなく任務を達成することができた」

 最後に薙は、今回の任務での一件について改めて皆に謝辞を送る。

「何よ、改まっちゃって…。そんなの、当たり前のことをやっただけよ」

「そんなこと言っちゃって。あん時は、さっちゃんが一番ビビってたじゃんか?」

「はあ!?そ、そんなことないし!ってか、余計なこと言うな、このバカ左近!」

 紗月は、薙の言葉に真摯しんしに受け止めるも、左近が横でふざけたように口を挟んで来る。

「薙、それは私たちも同じ気持ちでしてよ。今は赤紋種せきもんしゅという脅威が続きますが、共に力を合わせて乗り越えて行く時ですわ!」

「そうであるな。今回の一件で、大いに知らしめられたわ。我らも一層の精進をせねばならぬな!」

「一層の精進ですか…そうですね!もっと皆さんのお役に立てる様、力を付けないと!見ていてください、センパイっ!」

「あぁ、みんな。これからも一緒に乗り越えて行こう!」

 薙は仲間の顔を順番に見て行き、皆の覚悟と更なる団結力を再確認できた。

(俺たちならやれる!どんな逆境だって乗り越えてやる!)

 皆の気持ちがひとつになったのを実感し、薙は心の中で強く唱えた。


「薙?忘れ物はございませんか?」

「うん、多分大丈夫かも」

 あれからちょうど2時間が経ち、薙たちは支部への帰るため月影家を離れるべく、左近たちが行きに使った軍用車両に荷物を積み込む。

「皆様、この度は本当にありがとうございました。特別な持て成しもできず、皆様にはご足労をおかけしました」

 家主の刀華とうかが深々と頭を下げながら、皆に感謝を送る。

「いいや。むしろこんなに長居させてもらって、こちらこそ助かりました」

 左近が隊を代表して、刀華とうかたちに礼を言う。予定よりも大分、長居させてもらった上に毎日寝床とご飯まで用意してもらった。隊長である薙の実家とはいい、ここまで手厚くしてもらっては、頭を下げるのはこちらの方だ。

「薙、あちらに帰っても元気にやるのですよ」

「分かってるよ」

 最後に刀華は、薙の顔を見つめる。

「食事はしっかりバランス良く食べるのですよ?任務も大事ですが、たまには休養を取って自分の時間も大切にしなさい。寝不足はしないで、しっかり睡眠を取るのですよ」

「それも分かってるから…」

 側を離れる息子に刀華は、私生活での注意点をしつこいように伝える。それを聞く薙は、未だに子供扱いされていることに嫌気が差し、敢えて真面目に聞かない振りをする。

「それと…」

「いい加減にしてくれよ!母さ…ん…?」

 いつまでも終わらない母親の話に、薙が苛立ちを見せたその瞬間、刀華は薙の身体を優しく抱きしめる。

「それと…また顔を見せに帰って来てくださいね。絶対ですよ」

「う、うん。分かったよ…」

 急なことに薙は恥ずかしそう顔を赤らめながら、刀華の言葉に薙は小さく返事を返した。

 薙が倒れて戻って来たあの日。隣にいた鋭羅えいら百花ひゃっかも当然ながら心配そうな顔をしていたが、一番心配だったのは母親である刀華であるのは誰が見ても明白だった。だが、そんな一大事でも人前では冷静に対応していたのは誰でもない刀華であった。

 今までいつも通りの冷静な表情で振る舞っていた刀華も、別れ際になって抑えられない気持ちを薙にぶつけたのだろう。

 刀華は本当に使えたかった内容を薙に伝えると、それ以上のことは何も言わず離れた。

「まったく。そんなこと言って連絡を寄越よこした事が一度でもあったかしら?」

「本当、返す言葉もありません…」

「そのくらいにしてあげて、百花。薙だってもう子供じゃないのだから」

 反論する余地がない薙に、刀華の隣に立つ百花がいぶかしげな表情で薙を見つめる。

「ふん、姉さんが心配するよりも先に連絡のひとつでもなさい。どれだけ姉さんがあなたの心配をしているのか分かったでしょ」

 最後の最後まで百花には釘を刺すように再三言われる。

「肝に銘じておきます。それじゃあ、義姉ねえさんと鋭羅えいらも元気で」

「はい!お兄さまも、お身体には気をつけてください」

 薙は家族に最後の挨拶を行うと、軍用車両の助手席に乗り込む。

「天音さまも、是非ともまた入らしてくださいね」

「痛み入りますわ。またお会いできる日を楽しみにしまいます!」

 天音も続いて乗り込もうとする手前、刀華は天音に短い挨拶をして微笑み、天音も心良く笑みを返して車に乗り込む。


「あ、あの!鋭羅さんっ!」

 周りが最後の挨拶を済ませ車に乗り込もうとした途端、天真は突然、鋭羅を呼ぶ。

天真てんまさま…?」

 天真は、そっと鋭羅に近づくと、鋭羅の目を真剣に見つめる。

「先日は、その…ありがとうございました!鋭羅さんのお陰で、何とか前を向いてやって行けそうです!」

「そ、そうですか。天真さまのお役に立てたようで良かったです」

 天真は、先日の薙の寝ている間での会話について、鋭羅に自分なりの感謝を伝えようとしていた。

「あの、もし良かったら、これを受け取って欲しいのですが」

「これは…お守りですか?」

 天真が手に持っていたのは、手のひらに納まるほどのサイズのお守りで、純白の布袋に包まれたものだった。

「はい!これは僕が陰陽道おんみょうどうを学んでいた時に教えてもらったものなんですけど、実はアヤカシ除けにも効果があって…って、ごめんなさい。こんなことで贈り物をするなんて、気持ち悪いですよね…あはは…」

 天真は、鋭羅に対して素直な気持ちをぶつけようと考えついたことだったのだが、あまりの急な出来事に、鋭羅は嬉しさの反面、驚いような表情を見せていた。

 鋭羅の表情に気づいた天真は、自分が今何をしていたかを改めて見つめ直すと妙な気恥ずかしさに駆られ、言葉を止めうつむいた。

「あ、違うんです!これは…素直に嬉しいのです。殿方からこのような素敵な贈り物をされるのに慣れていなくって。その…ありがとうございます!」

 そう言って鋭羅は、満面の笑みで天真の顔に微笑み、お守りを受け取る。

「おいおい、さっきの見ましたかぃ、お兄さん。ウチのモンが妹さんに贈り物なんかしてましたぜ?」

「あらあら〜。お兄さん的にはどうなのこれぇ?」

「何だよ、お前ら、ニヤニヤして気持ち悪いなぁ。とは言っても意外だな。あの2人、いつの間にあんな仲良くなったんだ?」

 天真の意外な一面に、左近と紗月はニヤニヤした顔でその一部始終を見ていた。

「すみません!遅くなりました!」

 要件を済ませた天真は急いで軍用車両に乗り込んだ。

「そんじゃあ、帰りますか!」

「あぁ、そうだな!」

 左近はそう言ってキーを回してエンジンに火を付けた。

 刀華たち3人は、薙たちが乗る軍用車両の影が小さくなるまで大きく手を振って彼らを見送った。



 それはさかのぼること数日前。第4小隊が廃校舎にて赤紋種せきもんしゅの九尾の化身と戦っていた時だった。

 廃校舎の屋上にて、その光景を眺めるひとつの黒い影があった。

「あれが真の邪鬼まがつきの力、か…。なんて禍々まがまがしい妖気を発しているんだ」

嗚呼ああ、なんと恐ろしい。何度この目で見てもおぞましいことこの上ない…。我を一度ならず二度もおとしいれた、あの力!」

 その影は以前、蒼鬼そうきを倒した時にいた、配下に幻影げんえいと呼ばれていた者だった。

 ひとつの体でふたつの声色と人格を宿し、歳の行った女性と若い青年の声を使い分けながら独り言のように話をする。

 邪鬼の篭手に支配された薙の姿を目にし、青年の声の方は驚いた表情を。逆に女性の声は、恨めしそうな甲高い声を上げる。どうやら、女性の声の方は、昔に何やら因縁があるような口ぶりだ。

「だからこそ、あの力が僕たちには必要だ」

「絶対的な強者、力の権化とも言うべき邪鬼の力…今は恨めしく思うが、あの力を手中に納めることができれば、すべてが変わる!」

 女性の声は、こみ上げて来る怒りを抑えながら言葉を交わす。

くるしいだろ、薙…。この世界はいつだって残酷で儚い。だからこそ、薙には僕たちの力になってほしい」

 青年の声は逆に、冷静にその光景を見つめる。

「そして、この世界をから奪い返すために…!」

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