第14話 暴走

「マズいぞ…こりゃ」

 邪鬼まがつきの篭手を使用してしまったなぎを、遠くで見ていた左近が珍しくも弱気な声を漏らす。額から大きな汗が流れ落ち、緊張しているのが見て分かった。

「薙、先輩…」

「おい天真!一旦引くぞ!巻き込まれたらひとたまりもないぞ!」

「−−−はっ!わ、わかりました!」

 薙の豹変ひょうへんした姿を目の当たりにした天真は唖然あぜんとした顔で立ち尽くし、動こうとせずその場に止まっていたが、インカムから聴こえてくる左近の呼びかけに、天真は即座に我に返る。

『グおオオおオオ!!』

『−−−!?!?』

 邪鬼に精神をむしばまれた薙が、雄叫びを上げたその一瞬の出来事だった。

 薙は目にも止まらぬ速度で九尾の化身に向かって一直線に駆けた。そして、その勢いのまま九尾の化身の頭部を右手で掴み掛かると、その頭部を力一杯に地面にめり込ませる。

『ギ…ギギ…ギ…!?!?』

『「グるルルるル!!!」』

 先ほどの攻撃で、身動きが取れなくなった九尾の化身に対して、薙は追い打ちをかけるようにこぶしで直接殴り掛かる。その殴打は一撃一撃が強烈で、殴られた箇所は肉がえぐれ、激しく返り血が飛ぶ。

 その後も頭部を殴り続けていたが、薙は腰に差していた一振りの黒鉄丸くろがねまるに気づくと、それをさやから引き抜き、九尾の化身の体を無作為にかつ全力で斬り込む。

「こんな薙先輩…見たことがない…。これじゃあ、まるで本物の鬼じゃないですか!」

「やってしまった…最悪の展開だ…。ああなってしまった薙を止められることなんて出来やしねぇよ」

 薙の動きを遠くから見つめる天真と左近は、どうしようも出来ず、ただ見つめることしかできないでいた。

『キエエエエ!!』

 九尾の化身は、最後の力を振り絞るかのように、前脚の鋭い爪で薙にあらがおうとする。

 九尾の化身の一撃は、まさに死力を尽くしたような目にも止まらぬ速度で薙に襲いかかる。

『−−−!?!?』

 だが、その攻撃は薙に届くことはなかった。

 薙はむしろ、その攻撃を完全に見抜いていて、右手に持っていた黒鉄丸で九尾の化身の前脚を断ち切っていたのだ。

 九尾の化身は、断末魔を上げる気力も残っていなかった。反対の薙は、怒り狂った表情をそのままに再び攻撃を続ける。


「大丈夫!?天音っ!」

「う、うぅ…。わたくしはなんとか大丈夫ですが…それよりも、薙は…?」

「何言ってんのよアンタは。人の心配する前に自分の心配しなさいよ!」

 殺生塵せっしょうじんを吸いこんだ上、九尾の化身に散々いたぶられた天音の救護に、後方で視察をしていた紗月さつきが駆けつける。

「あれは、一体…どうすればよいのだ…?」

 天音の隣で、じっと薙を見つめていたカイムが小さく言葉を漏らす。神の力を授かったとされている神魔じんまでさえ、今の薙を止めるすべはなかった。

『「グオおオオお!!沈メぇ!!」』

 先ほどまで近づいていた雨雲が上空を眺め、小粒の雨が降って来た。

 もはや九尾の化身に勝ち目はなかった。弱点である烙印らくいんを狙って攻撃をしている訳ではないにしろ、頭部を殴打され続け、黒鉄丸で全身をくまなく切り刻まれては時間の問題だった。

『「ウオおおオオオお!!!」』

 大きな雄叫びを上げながら、薙は最後に、九尾の化身の首に黒鉄丸を何度も突き刺しては引き抜き、それを繰り返すことで頭部と胴体とを引き剥がす。

 薙の周りはアヤカシの血で真っ黒に染まっていた。頭と胴体が引き剥がされた九尾の化身はもはや絶命し、少しずつ体が灰へと変わってきていた。

 勝敗は決した。絶体絶命だと誰もが感じていた相手をたった一人で、ものの数分で片付けてしまったのだ。

『「ウゥぅぅ…」』

 攻撃目標を失った薙は、九尾の化身の首を右手に持ちながらその場で立ち尽くしていた。胴体と同様、残された頭部も少しずつ灰に変わっていくのを見て、薙はその頭部を、まるで興味が失せたように遠くへ投げ捨てた。

「やった…のでしょうか…?」

「まぁ…アヤカシとの戦いは、な…」

 九尾の化身との戦いが終わっても、周りの緊張が解けることはなかった。

 獲物を失った薙は、尚もその場で立ち尽くす。雨は次第に強さを増し、アヤカシの血で濡れた体を清める。

「な、ぎ…。薙っ!」

 天音は、雨音でかき消されてしまいそうな程、か弱い声で、薙の名を呼ぶ。

 邪鬼の力を解放し、自我があるのかさえも分からない目の前の怪物に、天音は名を呼び続ける。

『「あ…!ぐウぅ…!?」』

「あなたは…一体なの…?」

 天音の声に反応し、薙の顔が天音の方を向く。豹変した薙は、天音の声に一瞬、自我を取り戻したかに思えたが、その表情は先ほどまで九尾の化身をいたぶっていた怪物のような赤い眼をしたものだった。

「な…薙…なのです…か?」

『「……」』

 薙は天音を見つめながら、重い足取りで天音に歩み寄って来る。

「だ、ダメ!もう呼ばないで!…あたしたち、どうなっちゃうの…!?」

 隣で天音の治療に駆けつけた紗月は、不安と恐怖が入り交じり、気が動転していた。今にも背を向けて全力で逃げ出したい気持ちでいっぱいで、恐怖で震えた声をしているが、それでも、紗月は怪我を追った天音をかばうように天音の体に強く抱きついて護ろうとした。

「薙先輩…」

「…」

 この状況に、身動きひとつ取れないで見ていることしかできない天真は、ただただ心配をするしかできなかった。

 近くで見ていた左近に関しては、言葉を出す気力もなく静かに事が進むのを待っていた。

『「ア…ま、ね…!」』

「な…薙…なの?」

 ゆっくりと歩み寄ってきた薙は、天音の目の前までやってきて、微かながら天音を呼んだようにも聞こえる声を発した。

 薙の意識はかろうじて残っているようで、邪鬼の意思に対して必死に抵抗している様子が言動から伝わる。

 すると薙は腰を低く降ろして、座ったままの天音と同じ高さに目線を合わせ、更に近くで天音を見つめる。

 薙と天音の距離は、お互いの吐息を感じるほど近づいていた。

「い、嫌ぁ!来ないで!!」

 荒々しい息づかいで睨むように見つめる薙の吐息は、人間の吐き出される口臭ではなく、血の気の混じった鉄臭さが酷い。

 人の暖かみを感じない、蒼白の身体が少しずつ近づいて来たことに、紗月は今にも泣きそうな声で怯えるように叫ぶ。

『「ア…まね…殺セ…グぅ!?…逃げ、ろ…コこ、から…逃ゲろ!」』

 薙はゆっくりと天音の頬に触れようとしていたが、その手の行方は頬ではなく天音の首筋を狙っていた。

「薙!…うっ…くぅ!」

 肌を伝って首筋から血が少しずつしたたって来るのが分かる。殺意のような威圧感がひしひしと伝わるも、絞殺こうさつするほどの力はなく、首に爪を立てるので精一杯といったほどの力しか入ってはいなかった。

「これで終わりなの…か…」

 天音の悲しくも苦しむ姿に、カイムはどうしようもできない自分を悔やみ、見つめるしか出来ず、嘆く。

「もう…夢なら、めてよ…」

「先輩…!目を、覚まして…くださいよ…」

 紗月と天真も、もはや成す術なく悲しみに暮れることしかできなかった。

「な、ぎ…」

 死を覚悟したのか、それとも奇跡を信じていたかは定かではないが、天音は静かに目を閉じて、事が進むのを待った。

 その時だった。

パァンっ!!

 静寂の中、突如銃声のような破裂音が辺りに響き渡り、一同がその銃声の鳴った方向に目を向けた。

『「…!?」』

「おい、薙助…いつまで寝ぼけてるつもりだ?」

 その音の行方は、メンバーの丸山左近からだった。左近は右手に構えたハンドガンを薙のいる方に向けて威嚇射撃を行った。

「さっさと起きねぇなら…次は外さねぇぞ…?」

 左近は、両手でしっかりとハンドガンを固定して、薙の頭に狙いを定める。その目は真剣そのもので、先ほどの左近の言葉は冗談ではないと、ここに居合わせた誰もが感じた。

「さ、左近さん!」

『「グルルル…さ、コん…!」』

「あっ、天音!しっかりして!!」

 薙は、掴んでいた天音の首を解くと、上体を上げて左近のいる方にゆっくりと歩む。

「なぁ、薙…覚えてるか…。あの時の苦しみを…悲しみをよ。俺たちはすべてを失った」

『「…」』

 左近は今までに見せたことのないほどの剣幕で薙に語りかける。薙は一向に歩みを止めない。

「だけど、俺たちはこうして立ち上がった!何度も!互い支えあってここまでやって来たんだ。こんなところでよぉ…立ち止まれるかってんだ…!!」

 左近は構えを解くとハンドガンを勢いよく投げ捨て、両手を広げ攻撃の手段をなくした。

「俺たちの悲願は…こんなところで終われねえだろ!相棒っ!!」

『「グアあああアアああああ!!!」』

 ゆっくりと歩みを続けていた薙の足取りは、左近の言葉と同時に勢いよく駆け抜けて来た。標的は左近であったが、左近は逃げるでもなく、襲いかかる薙を一点に見つめて、不動の構えを見せる。

「−−−っ!!」

『「−−−!?」』

 薙の右手が、左近の腹部を貫こうとしたその時だった。

 薙は攻撃を行う際に一瞬の躊躇ためらいを見せ、ほんの一瞬であったが動きが止まった。左近はそれを決して見落とさなかった。

「ぐっ!」

 左近は、攻撃を避けようとするも薙の右腕が左腹部を擦ると服を裂き、皮膚を切り裂いた。その瞬間、左近は激痛を感じ苦しい表情をするが、決してその右腕を解くことはせず、薙の右腕を両腕でしっかりとホールドして薙の動きを止めた。

めやがれええええ!!」

『「グアアああああああ!!」』

 左近は、薙の右腕に取り付けられた邪鬼の篭手を勢いよく剥がすと、薙は壮絶な悲鳴を上げると、一瞬にして全身の力が抜け落ちるように脱力していった。

 篭手から解放された薙は気を失ったようだが、血の気も戻っていき、今までの姿に戻っていた。

 剥がされた篭手は、まるで何事もなかったかのように静かに地面に落ちる。

「お…終わった…?」

 今までのプレッシャーは薄れ、緊張が徐々にほぐれてきたものの、その場にいる誰もが今までの状況に混乱して動くことができなかった。

「薙…よ、よかった…」

「え?ちょ、ちょっと天音!しっかりして!」

 薙の無事が判明した途端、緊張が一気に抜けたのか、天音は気を失うように紗月に抱えられるように静かに眠りについた。

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