第9話 母の想い

 庭の草刈りを終えたなぎは、百花ひゃっかの言うとおりにシャワーで汗を流し終えると、山椒さんしょうの葉を採りに行くために玄関を出て庭を歩く。

「ふうっ、いい風だ。本当、生き返るようだ」

 夜も更け辺りが暗くなると、山から下りてくる涼しい風が吹き込んでくる。薙はその心地いい風に身をゆだねるように全身で感じていた。火照った身体が徐々に冷えていくことに満足そうに足取りを進める。

「はぁ、久しぶりに実家に帰ってみればイノシシ狩りに草刈りに雑用に…本当、母さんは一体何を考えてるんだか」

 薙は山椒の木の前まで来ると、山椒の葉を採りながらぶつぶつと独り言を漏らす。

 刀華とうかとは、アマテラスに入隊するまでの間、同じ屋根の下で一緒に暮らしていた家族なのだが、そんな薙でさえも、刀華の考えていることを読み解くことができないでいる。

 刀華の行動は、決して悪気がある訳ではなくすべてが善意であることは伝わるのだが、それに行き着くまでの行程に謎が多過ぎるのだ。

「もう疲れて何も考える気が起きない。明日は任務も控えてるし、今日はさっさと飯食って寝るとするか」

 考えるだけ無駄だと感じた薙は、袋に山椒の葉を適当に入れて家に戻ることにした。

「ただいまー」

「お帰りなさい、薙」

「あ、天音っ!?ど、どうしたんだよ、その格好?」

 薙は玄関を後に客間に入ろうとしたら、そこには刀華と共に食事を客間に運ぶ手伝いをする天音の姿があった。しかも天音は、私服の上に白い割烹着かっぽうぎを着て、頭には三角巾を後ろで縛っていた。

「どうと言われましても、お世話になっている身分ですし、お手伝いくらいは当たり前ではなくて?」

 天音は一宿一飯の礼ということなのか、何食わぬ顔で家の手伝いをしていた。

「どうかしら、薙?天音ちゃんの割烹着姿は?」

 すると、天音の後ろから嬉しそうに刀華が顔を出した。

「ど、どうって言われても…」

「私のお古ではありますが、サイズも丁度良いですね」

「とてもお似合いです、天音さま!お兄さまもそう思いませんか?」

 すると、お風呂を終えて夕飯の準備をしていた鋭羅えいらと百花も現れて、何故か天音の格好について、迫るように薙に問いただして来る。

「まぁ、似合ってると思うけど…って違うだろ!?なんで天音が家事の手伝ってるんだよ?まさかだと思うけど母さんの差し金じゃ」

「何よ、その言い方~。まるでお母さんが悪者みたいじゃない!確かに、お手伝いを頼んだのは事実だけども、天音ちゃんは素直に引き受けてくれたわよ?」

「そ、そうなのか?」

 刀華の言葉に薙は少し驚いた。だがよくよく思い返してみると天音は、今までもこういった面倒ごとや頼みごとに対して意外にも素直に受け入れることも少なくなかった。

 薙の中で天音はお嬢様という認識が強く、面倒ごとは極力避けて通るようなイメージを持っていたのだが、それは完全に間違った解釈のようだった。

「薙ったら折角の帰省ですのに、一日中外で仕事をしていたらしいので、わたくしも何か力になれればと思い、午後からは微力ながらお母さまのお手伝いをしましたの」

 どうやら刀華の言葉が真実であったらしく、薙はそれ以上詮索するのをやめた。

「天音ちゃん、本当に素直でうれしいわぁ…誰かさんと違って。ふふ、お陰で今日は腕によりをかけて頑張っちゃった♪」

「どうして俺、そこまで言われなきゃいけないんだ…」

 苦労をした割りに酷い扱いの薙は釈然としない様子だった。

「ですがわたくし、家事というものが初めてだったもので、本当にお役に立てたのでしょうか?」

 天音は今まで調理の経験が無いようで、いささか不安があるようだった。何時いつぞやに、天音が皮をむいたリンゴもそれは親切にもきれいなものとはいえなかった。

「ふふ、そんなことありませんよ。それに、料理とは技量ではなく、最後にものを言うのは気持ちです。きっとみんなにも伝わりますよ」

「そ、そうだと良いのですが」

 刀華の励ましに、天音はぎこちなく返事をする。

「それでは夜も更けてきましたし、お夕飯にしましょう!」

 刀華の掛け声で、早急に準備を進め、皆で夕飯を囲んだ。

 昨夜の夕飯も、急遽こしらえたものにしては豪華だったが、今日は更に手間をかけたような料理がずらりと並んでいた。

 季節の山菜をふんだんに使った炊き込みご飯や煮物・お浸しから、主食には豚の生姜焼きにトンカツ、冷しゃぶといった肉料理もありボリューム満点だ。

「さぁ、たんと召し上がれ!」

「「いただきます!」」

 一斉に合掌をして、皿に盛った料理に箸をつける。

「うん!やっぱり母さんの作るご飯は格別だなぁ」

「昨日のお夕飯もとても美味でしたが、劣らない美味しさですわ」

「お母さまの料理は何を食べても美味しいです!」

「今日はみんなに頑張ってもらったし、お母さんもいつも以上に腕を掛けちゃった」

 皆の美味しそうに食べる顔に、刀華は作り甲斐があったという感じに喜ぶ。

「これは、今朝薙が捕らえたイノシシのお肉でしょうか?臭みもなく、丁寧に下ごしらえできている。姉さん、今日は一段と力を入れたようですね」

 百花は豚肉を使った料理を口にすると、その肉が猪肉であると的確に当てる。

「ええ。折角薙が捕ってきたのだから、上質な部位は新鮮なうちに食べないとね!」

「天然ものだけあって脂身も少なくてまろやかだな!これは箸が進む」

「ジビエと言いますと、養殖物と比べて癖の強いイメージがありましたが、一口で見方が変わりましたわ!」

 豚肉に劣らないまろやかな味わいと歯ごたえに、一同口を合わせてお肉の味を楽しむ。

「ふふ…喜んでもらえて何よりだわ!」

 皆の美味しそうに食べる姿に、料理を作った刀華は満面の笑みを浮かべる。

「むぅ…何故我のだけ生肉なのだ…?」

 食卓の上では豪勢な料理が振る舞われている中、天音はカイムの目の前に無言で皿を置く。その皿の上には、何も手を付けていない生の猪肉に塊だけが乗っていた。

「あら?それなら自分の胸に訊いてみてはどうかしら?」

「主…まだ根に持っておるのか」

「さぁ、どうかしら?たまには飼い犬を躾ておかないと、わたくしもこれ以上噛まれたくはありませんから」

 カイムの疑問に対して天音が機嫌の悪そうな様子でカイムに話をしている。どうやら午前中の間に何かあったのだろうと薙は感じ、そこまで詮索しなかった。

「むぅ…別に生でも食えぬものではないが、せめて焼いてくれてもよかろうに。うむ、この野性的な味、懐かしいものを感じさせる!」

 カイムは呟くような声で小言を漏らすも、皿の上の猪肉を豪快に噛み付いて口の中に入れる。

「そういえば、天音さん。冷めてしまう前に皆さんに食べてもらいましょう!」

 刀華が天音に合図を送ると、天音はいつもの様子とは違う調子でたどたどしい表情になる。

「や、やはり、このようなお粗末なものを、食べさせる訳には」

「何を言っているのですか!お粗末だなんて。薙も喜んでくれますわ!ねぇ…?」

 天音の後押しをする刀華が一瞬、薙の目を見て『分かっているでしょうね?』と言わんばかりの目線を向け、薙は何かを察した。

「あの…薙?よろしければこちらを食べてみてくださいませ」

「これは?」

 すると、天音は薙の前に一つの小鉢を差し出した。それは、きれいに焼き上げられただし巻き卵だった。

「あのですね…これは、お母さまに作り方を教わりながら作ったものでして…よろしければ味見をしていただけないかしら…」

「これ…天音が作ったのか?」

「ええ。ですが、料理はそこまで得意という訳ではないもので、上手に出来たかどうか…」

 天音は、自分の作ったものに自信のないような様子でぎこちなく話す。見た目と形はそこまで気にならないが、出し巻き卵にしては少し焦げが目立つもので、火力調整が苦手なのが目にみて分かるものだった。

「そう言う事なら…いただきます」

「あっ!」

 薙は特に何かを口にする事なく、天音が差し出した小鉢の出し巻き卵を箸で一口大に切ると、それを口に入れて味わうように食べる。

 あまりにも突拍子もなく箸を付ける薙に、天音は一瞬躊躇ったような声を出した。

「…うん!美味しい!出汁も効いてるし、見た目以上に焦げも気にならない」

 薙は天音の作った出し巻き卵を絶賛した。表情からもお世辞ではないことは明白だ。

「ほ、本当ですか!?はぁ…よかったですわぁ〜」

「ふふ…やりましたね、天音さん」

 薙の言葉を聞いて天音は肩の荷を降ろしたような溜め息を付いてホッとした様子だった。

「よろしければ私もいただいてもいいかしら?」

「私も食べてみたいです!」

 薙の感想を聞いてた百花と鋭羅も、後に続くように天音の出し巻き卵に口に入れる。

「ふむ…姉さんの協力があったとは言え、これだけの出し巻き卵が作れるのですから、もっと腕を磨けば美味しい手料理が作れると思いますよ」

「とても美味しいです!天音さま」

「皆様…!」

 百花と鋭羅の言葉に、天音は少しだけ自信が付いたような気がした。

「さぁ!料理はまだまだありますから、いっぱい食べてください!」

 それからも賑やかな夕食の時が続いた。



「なんかこんなにゆっくり美味しいご飯を食べたのって久しぶりな気がするよ」

「そうですわね。わたくしとしたことが、少々食べ過ぎてしまいましたわ」

 美味しい料理にありつけた薙は満足そうにお茶の啜りながら夕飯の余韻に浸っていた。いつもは小食である天音も、普段より多く食事をしたことで動きたくないと言った様子だった。

「ふふ。満足してもらえたようで何よりだわ。薙もいつもの調子に戻ったようですし」

「え?いつもの調子って、何のことだよ?」

 刀華の意味深な言葉に、薙は疑問を浮かべる。

「あなた、自分のことなのに気づいてなかったの?昨日からずっと、上の空と言いますか、何かをずっと考えているような顔をしていましたよ」

「何かを考えていた…」

 刀華の言葉を聞いて、薙は昨日までの自分の頭の中を思い浮かべていた。

 ふと思い返すように薙は過去をさかのぼると、先日の朝陽と銀次の話以降ずっと赤紋種せきもんしゅのことで頭がいっぱいになっていた。昨日も紗月さつきあゆむにも指摘されたことを思い出したが、無意識のうちに煩悩のように考えていたようだった。

 刀華は、久ぶりに顔を合わせた時からその変化を感じとっていたのだ。

「まさか、はじめからわかっていたのか…」

「勿論よ。なにせ、あなたのお母さんなのだから。全部お見通しよ」

「だから、今日は朝からあんなことをさせたのか」

「それはどうかしら?でも、お陰でいい気分転換にはなったでしょ?」

「まぁ。お陰で考える暇もなかったよ」

 母親の粋な計らいに、余計なことに考えず、身体を動かせたことに薙は嬉しそうに笑う。

「さあ!今日はもう疲れたでしょう?明日は任務もあることですしゆっくり休みなさい」

「あぁ、そうするよ。それと…ありがとう」

「ふふ。お母さんは何も変わったことはしていませんよ。いつも薙の為を思ってやっているだけ」

「そっか…うん」

 薙は頷くように小さく答えると、それ以上の言葉はなかった。

 それからはもう少し程腹休めにしばしの談笑をした後、それぞれの寝床につくことにした。



「って、なんかいい話みたいにまとめられたけど、今日は普通に疲れたな。まったく、母さんも人使いが荒いって言うかなんていうか」

「紗月が仰っていたことが今になってわかった気がしますわ。とても親切なお母さまだとは思いますけど、つかみどころが見当たりませんわ」

「ウチの母親ながら返す言葉がないよ…。まぁ毎回悪い結果にはならないのは確かなんだけど」

 薙と天音は昨夜と同じ寝室で、お互い別の布団で横になりながら真っ暗な部屋で話をする。

 鋭羅は、刀華のいらぬ計らいにより別の部屋で寝ることになり、今は薙と天音のふたりだけの空間だった。

「そういえば、天音の方は今日どうだったんだ?午前中は母さんと話をしていたそうだけど」

「そうですね…なにか有益な情報が聞き出せるかと思いましたが、話の大半は貴方のお母さまののろけ話を延々と聞かされただけでしたわ。分かった事と言えば、貴方の家庭は心底円満だったということでしょうか」

 天音の方も、期待していたものとは大分かけ離れたものだったようで、落胆したような声が聞こえてきた。

「仕舞には夕飯の仕度まで手伝うことに。しかも、カイムまで余計なことを言うものですから」

「何を言うておるのだ?今は屋敷にいた時とは違うのだぞ。少しは料理くらい出来なくては今後の生活に困るのはあるじなのだぞ。最近の主の食生活と来たら購買のちんけなものばかりで…」

「あー、もう!わかっていますわよ!まったく、寝る前にまで言わないでくださるかしら」

 料理に苦手意識を持っている天音に対して、カイムが何度も責め立てることに天音は手で耳を塞いで聞こえない素振りをみせる。

 どうやら先ほどの夕飯での揉めあいはこれが原因だったのだろう。

「まぁ母さんには明日、俺から伝えとくよ。何か悪かったな、折角の来客なのに」

「いいえ、別に不満があった訳ではないので、そこまでしてくださらなくても結構ですわ。むしろカイムも仰っていますが、これも経験と思えば悪いものではありませんでしたので」

「そう言ったであろう。何事も苦手にせず、挑戦することが大切なのだ」

「カイム?これ以上歯向かう様でしたら、お次は…分かっていますわよね?」

「むぅ…」

 口うるさいカイムに、まるで脅迫のような言葉を投げると、カイムはため息を吐くように小さくうなずいて言葉をなくす。

「…」

「…」

 話が一段落すると、先ほどまでの談笑が嘘のように静まり返る。

 薄暗い空間ということもあり、お互いの顔は見えずとも、ぎこちないような顔になっているだろうとは思っているに違いないと互いに感じでいた。

「あの…薙?」

「ん?」

 この静寂とした空間を打壊しようとしたのは天音だった。天音はぎこちないような口調で静かに話をする。

「今回、私も先入りしたいと申し出た件。断ろうと思えば断れたはずですのに、どうして承諾してくださったのですか?」

 どうやら、今回の天音の先入りの件について、天音は疑問に思っていたらしい。

「そうだな…確かに最初は俺も驚いたけど、何って言えばいいんだろ。天音からそうやって俺たちの輪の中に入って来てくれたのがうれしかったから、かな?」

 薙は、その理由を言葉にするのに少し抵抗感があったが、ありのままのことを伝えようと言葉を選びながら話を続ける。

「少しずつ一緒に行動する時間も増えて来たけど、どうしても最後の一歩ってところでお互いに壁を作っていた気がしたんだ。そんな時に、天音から俺たちに対してその一歩踏み出そうとしてくれた。理由はどうあれ、俺はそれに応えたいって思ったんだ」

「薙…」

 薙の素直かつ直球な言葉に、天音は顔が真っ赤になっているのが暗闇でもはっきりと分かってしまうくらいに動揺していた。そしてそれを隠すように、天音は薙の寝ている布団とは真逆の方向に身体と首を向けた。

「お、俺。何か変なこと言っちゃったかな…?」

 仕草は見えなくとも、天音が薙と反対方向を向いたことに、薙は自分が言った内容に自信をなくしてしまいそうになる。

「そ、そのような事はありませんわ!お心遣い、とても感謝してしますわ!」

 天音はそう言うと、恥ずかしさを更に隠すようにして、布団で顔を隠すように、そのまま静かに寝る事にした。きっとこれ以上薙と話をしていたら正気でいられないで寝る事ができないと思ったからだ。

「おやすみ、天音」

「おやすみなさい」

 そうしてお互い、静かに目を閉じて寝る事にした。

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