第8話 薙の受難

「まさか、薙も一緒だとは思わなかったぜ。折角実家に帰ってきたのに大変だな」

 昨日、自動車で送り迎えをしてくれた滝川歩たきがわあゆむは、猟銃を肩に下げながらインカムで薙に話をしている。

 薙と歩のふたりは、木々が生い茂る深い森の中にいた。周りからは鳥や虫などの鳴き声や川のせせらぎがよく聴こえる。

 お互いに猟師が身に着ける丈夫そうなオレンジ色のベストを着て、目視で確認しやすい見た目をしている。

「そうやって同情してくれるのはお前だけだよ…」

 一方の薙は、双眼鏡を片手に何かを探すようにきょろきょろと首を動かしている。そして、逆の手には機械式の丈夫な弓を手にしていた。

「きっと、全然帰ってこないのをねたまれてるんじゃないのか?」

「だからって、この仕打ちはないだろうよ」

 薙と歩はインカム越しで話をしているが、お互いに物音ひとつ立てることなく静かに標的を見つめる。


「薙?そういえば、今日はなにか予定でもあるの?」

 時間は戻り、道場で朝の訓練を終えた薙と天音は、刀華とうか百花ひゃっか、そして鋭羅えいらの4人と食卓を囲んでいた。

「いや…特に予定という予定はないけど」

 昨日と同じ広い客間で朝食を取りながら、刀華は薙に今日の予定を聞く。

 当の薙も、そもそも帰省してやることがなく、取り立ててやることもないと言った様子であった。

「よかったわぁ。実は最近、裏の山に大きなイノシシが出るようになったのよ」

「ちょっと待ってくれ!」

「何です?まだイノシシが出るってだけで、なにも話してないわよ」

 内容を全部聞く前に、何かを察した薙は、刀華の話を切った。

「さっきので大体話は掴んだ…。どうせそのイノシシを駆除して来いとでも言うんだろ?」

「ふふ、物分かりが早くて助かるわ!お願いしてもいいかしら?この村も高齢化が進んで、狩りができる人が年々減ってきてるのよ」

 刀華は悪意のない澄んだ瞳で、薙に頼みを請う。

「まさかだけど、そのためだけに俺を帰らせた訳じゃ…」

「…まさか、そんな筈ないじゃないの~。ねぇ、百花?」

 刀華は薙の問いに、一瞬の間があったが笑顔で押し切るように、それを否定した。

「勿論です。まさか姉さんの言葉を疑うとでも?そもそも、あなたは姉さんがいくら連絡をよこしても返事が遅い、返って来ても言い訳ばかりで、仕舞いには上辺だけ言葉を並べたような態度、本当に呆れて−−」

「あー!もう止めてくれ姉さん!分かった、やってくるから!」

 最終的には強引に百花を言い訳の材料にして、見事に薙の疑問は誤魔化されてしまった。

 薙はため息をつきながらも刀華の言うことを承認する。

「いつものように、物置にあるものは何を使っても構いませんよ。それと、滝くんにもお願いしてあるから、よろしく伝えてくださいね」

「はいはい」

 滝くんとは、昨日の自動車で迎えに来ていた滝川歩のことであり、お互いの家が親密な関係ということから仲が良かったりもする。

「っとなると、その間、天音はどうするんだよ?」

「そうですね…。結局、昨夜は話ができませんでしたし、天音さんの聞きたいことに答えようかしら。勝手に決めてしまいましたけど、天音さんがよろしければ、どうかしら?」

「それは願ってもないことですわ!」

「ふふっ。なら決まりですね」


「ってな感じで、俺らは仲良くイノシシ狩りだ…」

 目標のイノシシを探しながら薙は、あきれ顔で今朝の出来事を歩に話す。

「まぁ、刀華さんのことだ。何か考えがあってお前をここに連れてきたんだろうよ?」

「考えねぇ…」

 少し考えてみるも、特に何も思い浮かばなかった薙は、首を横に傾ける。

 刀華とは血の繋がった実の親子であり、同じ屋根の下で過ごした時間も多いのだが、未だに考えていることが読み取れないことが多い。

「まっ、俺はこうして昔みたいにお前と何かできるのが好きだからいいんだけど。最近は老人連中も引退して、俺一人で狩りに行くことも増えたけど、お前がいると心強いわ!」

 ため息をつく薙に、歩は元気づけようと励ます。

「なんだよ急に。気持ち悪いなぁ」

「気持ち悪いとは失礼だな、おい。昔のよしみだろ」

 あまりに素直な歩の言葉に、薙は照れくささを誤魔化す。

「それに。こうやってお前と一緒にいると思い出すよな。昔はで一緒に遊んだこととかさ−−」

「歩、それは…」

 歩が昔の思い出話を話題に上げた途端、薙は咄嗟に言葉を被せてきた。まるで、その話を思い出したくないと言ったような重苦しい口調で話を切る。

「あっ、そうだったな。お前にしてみれば思い出したくないことだったな…でもよ、やっぱり俺はあの時のことを…」

「頼む…俺の前で、その話はしないでくれ」

 過去の記憶を知っている歩は、薙に思い出してほしいと思って話そうとするも、薙は、重く暗い口調のまま話を聞こうとしなかった。

「はぁ…分かったよ。これ以上は言わないけどよ。薙にはどうしても、あの時の思い出を無かったことにしてほしくないんだ。結果はどうあれ、ハルだって苦しんでたんだから」

「…」

 歩の言葉を後に、薙は何も話すことはなく話は終わった。

「っで、話は変わるけどよ?天音ちゃんとは本当に何もないのかぁ?」

「お前なぁ。今のこの空気でその話持ち出すか、普通?」

 歩は湿ったい雰囲気を解消しようと、不意に天音のことを持ち出しはじめた。

「昨日は、ただの仲間とは言ってたけど、お前自身はどうなんだよ?高飛車っぽいし性格は気難しそうだけども、見た目は抜群に可愛いじゃんか」

「お前は知らないから適当なこと言えるけど、こっちは色々と大変だったんだぞ」

「でもよ?その割りには一緒に帰ったりなんかして。口ではそうは言っても実際のところはどうなんだよ、薙さん?」

 歩は多少強引ながらも天音をどう思っているのか聞こうとする。

「まぁ…少しは気にはなるって言うか何て言うか…」

「っと、見つけたぜ。話が後だ」

 歩は標的のイノシシを見つけると、インカムで薙に場所を知らせて、木陰に隠れながら猟銃を構える。

「ったく、お前から話振っといて…まぁいいか」

 ふたりが目を付けているイノシシは大柄な胴体と口からはみ出すほどの鋭く尖った牙は、この地のぬしと言っても過言ではない。あれに正面から突撃されるようなら大怪我では済まないだろう。

「こっちからも見えた。もう少し近寄ってみる」

「了解」

 イノシシは荒々しい息遣いをしながら周囲を歩いている。

 お互いに場所を確認しながら、攻撃の好機を伺う。薙は歩の猟銃よりも射程の短い弓であるため、標的のイノシシにさらに近づこうと試みる。

 作戦としては、殺傷能力の高い猟銃を持った歩が初手で獲物を仕留め、万が一仕留めれなかった場合の保険に薙が弓矢で仕留めるといった寸法だ。

「配置に着いた。歩、いつでも大丈夫だ」

「一発で仕留めれればいいんだけど…そこだ!」

パァンッ!

 歩が放った猟銃から乾いた銃声が森中に響き渡ると、一瞬にして付近にいた野鳥が慌てるように飛び立つ音が聞こえるが、それもすぐに止んだ。

「急所を外した!?悪い薙、頼んだ!」

「わかった!…って、マジかよ!?」

 先ほどの一撃で仕留め損ねたようで、イノシシは負傷しながらも歩とは逆方向に必死に逃げる。

 だが、イノシシが逃げた方向は、まさに薙が事前に待ち伏せをしていた場所だった。

「こうなったら急所を狙うしかないか」

 薙は、歩が万が一仕留めれなかった場合、追撃という形で即座に背後を狙う算段だったが、正面に来られては急所を狙って仕留めるしかない。

 薙は、低くしていた姿勢を中腰まで上げ、手に持っていた矢を弦に掛け弓を引く。

「もっと近くだ。外さない…」

 イノシシの方は薙が近くにいることを知らず、一心不乱になって逃げまわる。

「この距離なら…当たるっ!」

 そう言うと薙は木陰から身体を出し、イノシシに矢を向ける。イノシシの方は、正面から現れた薙に対して、逃げようとはせず突撃しようとスピードを上げる。

 次の瞬間。薙の手から矢が放たれ、イノシシの喉元に向けて一直線に飛んでいく。

ズドン!

 薙の放った矢は見事、イノシシの喉元を貫き、イノシシは足を止め絶命した。

「悪い!大丈夫だったか、薙!?」

「ふぅ…まぁ、なんとかな」

 冷静を装っているようだが、予想外の展開に背中には小さな冷や汗をかいて緊張した様子で座り込む。

 もし、あそこで急所に当たっていなかったら、スピードの乗った巨体に突撃されていただろう。いくら薙が普通の人よりも強化された神威かむいであっても、軽傷では済まなかったであろう。

「見事に急所だ。流石だなぁ」

「話はあとだ。まずは肉が傷む前に解体してしまおう」

「おぅ、そうだったな」

 感想を言い合いたくもあったが、ふたりは獲物が新鮮なうちに解体に取り掛かる。


「ありがとうな!刀華さんの無茶ぶりだったとはいえ、助かったよ」

 解体を終えると歩の運転する軽トラックで山を下って、薙の家まで送ってもらった。

「あぁ。って言っても、家に居たってやることなかったし、いい気分転換になったよ」

「へへ、それならよかったぜ。お前、昨日会った時から難しい顔してたからな」

「俺、そんな顔してたのか?」

 自覚がなかった薙は、自分の顔を触って確認しようとする。

「まっ、俺が聞いて解決できそうなことじゃなさそうだし、帰るとするわ」

「なんだよ、もう行くのか?お茶くらいしか出せないけど少し休んで行けよ」

「そうしたいのは山々なんだけど、今日はまだやることがあるからさ」

「そうなのか?それじゃ、またな。任務が終わったらまた連絡するよ」

「おう、ありがとな。明日のアヤカシ退治、頑張れよ!」

 歩は長居するでもなく、一言伝えてその場を後に行ってしまった。

「さてと…午後くらいはのんびり過ごすか。最近、どうも疲れが取れないし、何も考えないで半日くらい泥のように寝たって罪はないだろ」

 一仕事終えた薙は玄関の扉を開けて、一息つこうとしたその時だった。

「あっ、お兄さま!お帰りなさいませ」

 戸を開く音に気が付いた妹の鋭羅えいらがそそくさと薙をおもてなししてくれた。

「ただいま、鋭羅」

「お食事の準備が整ってますが、どうなさいますか?」

「そうだな…折角だし、いただくよ。その前にシャワー浴びて来ようかな」

「分かりました。それまでに支度しておきますね!」

「ん、ありがとうな」

 何かと尽くしてくれる鋭羅に、薙は頭を撫でると、まるで猫のようにうれしそうな表情をする。


「は?今度は庭の草刈りぃ!?」

 シャワーを浴びて来た薙は、義姉の百花ひゃっかと妹の鋭羅の3人で食卓を囲んでお昼を食べていた。そんな中、薙は百花の言葉に耳を疑うように聞き直す。

「ええ。以前から姉さんに言われていたのだけど、私たちだけじゃ到底終わる規模じゃないのはあなたも知っているでしょう。手伝ってもらえないかしら?」

 当の百花は、疲れ切った薙の調子をお構いなしに淡々と状況の説明をする。

「ちょっと待ってくれよ…俺はさっきまで、馬鹿デカいイノシシを狩りに行ってたんだぞ!?午後くらい休ませてくれたって…」

「何ですか。まさか薙は、あの広い庭を私と鋭羅さんのふたりだけで終わらせろと言いたいのかしら?ましてや梅雨の時期で蚊が多いと言うのに。はぁ…あなたがそこまで冷たい人間だとは思わなかったわ」

「ごめんなさい…私がもっと百花の力になれればいいのですが。不甲斐ないばかりに、百花に負担を負わせるようなことを」

「いいえ、いいのですよ鋭羅さん。薙が力になってくれないと言うなら、その分私がやればいいのですから…」

 演技なのか、素なのかは分からないが、百花は薙に対して無言の圧力をかけてくる。鋭羅に関しては、そのような高等な技を使うほどひねくれてはいないため、天然のようだが、その言葉はさらに薙を不利な状況に追い込ませようとする呪文だった。

「はぁ…分かったよ」

 薙は観念したように仕方なく承諾する。


 食後、薙は百花と鋭羅の3人は母屋の裏側にある庭にやって来た。

 3人の服装も草刈りに適した長袖シャツと長ズボンに着替えてきた。

「さっさと終わらせるかぁ…そうでもしないと、マジで今日中に終わらない!」

「頑張りましょう、お兄さま!」

「くれぐれも無理は禁物よ。小まめに給水と休憩を取りながらやりましょう」

 薙のやる気に隣に立っている鋭羅が元気よく呼応する。

 3人の前には、春の間に伸びたであろう雑草が一面に茂っていた。玄関から見える庭には砂利が敷かれているため、雑草が生えないようになっているが、人目が付かない裏庭にまではされておらず、雑草が生え放題なのである。

「まずは俺はくわで大雑把に刈っていくから、姉さんは細かく残った草を。鋭羅は抜いた草を袋に詰めていってくれ」

「ええ」

「分かりました!」

 薙の決めた役割に、百花と鋭羅は異論なく承知した。

「それじゃあ始めるか!」

 そう言って薙は勢いよく手に持った鍬で地面を耕すように振り下ろす。

 日々、肉体労働であるアマテラスの業務を行っているだけあって体力仕事は手慣れたものであるが、夜間が基本のアマテラスでは昼間の猛暑は普通の人間同様に辛いものがある。虫対策に長袖を着ているため余計に暑く、百花と鋭羅は勿論だが、一番の肉体労働を担った薙の額にも大粒の汗が噴き出している。

「やっぱり男手があると早くて助かりますね。予定よりも早く終われそう」

「お兄さまばかりに負担を掛けさせるわけにはいきません!私たちも頑張りましょう、百花」

「そうですね、鋭羅さん」

 何だかんだで引き受けてくれた薙にばかり負担を掛けさせまいと、鋭羅と百花も薙に負けじと自分の課せられた業務を全うする。


「やっと終わったぁ~!」

 時刻は18時を過ぎ、日が暮れようとしていた。

 庭にびっしりと茂っていた雑草は3人の力でほとんど抜き取られて、地面の土がはっきりと見えるほどきれいになった。

「はぁ…単純な肉体労働がこんなにも辛いものだろは思わなかった…下手なアヤカシ倒すほうがよっぽど楽だ」

「お疲れ様です。薙、鋭羅さん。お陰で今日中に片が付きましたね」

「えへへ…張り切りすぎて、ちょっと疲れちゃいました」

 一番に頑張って鍬を振っていた薙は勿論の事、丁寧に残った草を刈っていた百花も、兄の薙に負けじと小さな体で働いていた鋭羅も疲れ切って、少しも動きたくないといった様子で座り込んでいた。

「それじゃあ…薙…」

「ま、まさか…まだ何かあるって言うんじゃ…?」

 一緒になって休憩していた百花が起き上がると、薙を呼び出した。その瞬間、薙は昼間のことを思い出して、反射的に面倒な仕事を押し付けられると思ってしまった。

「何を言っているの?夕飯にしますので汗を流して来なさい。私たちは後で構いませんので」

「そ、そういうことか…それじゃあ、お言葉に甘えて…」

 百花の言葉に薙は安心した様子で、庭を後にしようとしたが。

「それで、お風呂から上がったら私たちが入っている間に、山椒の葉を積んできてください」

「はぁ…まぁそれくらいなら…」

 結局何かと頼まれることになった薙はため息をつきながら今度こそ庭を後に、汗を流しに行く。

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