第7話 朝のひととき

「んっ…んん…」

 薙は朝日の光に起こされたように目を覚ます。

 昨日の帰省の疲れと寝不足も相まってか、いつも以上に気持ちよく眠れたようで、薙は寝ぼけ目をこすりながら布団をはぐ。

「あれ…?天音…?」

 部屋を見渡すと、隣の布団で寝ていた天音の姿はなく、布団ときれいにたたまれていた。

 時計の針はまだ午前5時を回ったばかりであり、目が覚めるにはまだ早い。

「ん…むにゃ…」

 薙の布団の中には、昨夜一緒に寝たいと言ってきた妹の鋭羅えいらが隣に布団を敷いて寝ていたのだが、いつの間にか移動して来ていて隣の薙の布団で気持ちよさそうに眠っていた。

 薙は、別段心配する必要はないとは思うも、こんな早朝に天音の姿がないことに疑問を感じて探すことにした。

 そう思い立つと薙は、鋭羅を起こさないよう静かに布団から出て部屋を後にした。

(どこに行ったんだろ…)

 寝ぼけ目をこすりながら、薙は天音がいないか家の中を見て回る。

 家の中が無駄に広いため、単に迷子になっている可能性もあり得るが、天音に限ってそんなことはないだろうとは思うのだが、やはりいないことが気がかりで無駄に心配してしまう。

「道場に明かりが?」

 薙が立ち止まった場所は、母屋から通じる廊下の先にある古い道場だった。

 月影家は代々武家ということもあって、木造の古めかしい道場が建てられている。

 今となっては道場を使う人間はいないようだが、義姉の百花ひゃっかがきれいに掃除をしているようで、見た目以上にきれいに感じる。

 そんな場所に朝から電気が付いているのを疑問に感じた薙は、少しだけ開いている扉の隙間から首を覗かせてみた。

「あ…」

 するとそこには、後ろを向いて静かに座禅を組んでいる天音の姿があった。

 その姿は寸分の乱れもなく静かであり、息づかいすらも感じ取れないため本当に息をしてしるのかも怪しいほどだった。

 そんな天音の姿に驚いたのか、それとも見とれていたのかは定かではないが、薙はじっと彼女の姿を見つめていた。

「覗き見とは感心しませんわね、薙?中に入ってはいかがかしら」

 すると、道場の中から突然声がして、薙は一瞬身体を強張らせたようにびくっとさせた。どうやらそこにいることが天音にバレていたようだった。

 扉の隙間から覗いていたはずなのに、見事に見抜かれていた薙は観念したように扉を開けて中に入る。

「ま、まさか気づいてたのか…?」

「当然ですわ。何ならあなたが寝室を出て、家の周りを歩いていたこともお見通しですわ」

「そ、そんなところから!?まったく、凄まじい集中力だな」

 天音は薙が道場に入って来ると、組んでいた足を崩して楽な姿勢に直した。すると、今まで姿を消していたカイムも姿を現して天音の横に座る。

「ごきげんよう、薙」

「まだ起きたばかりといった様子だな、隊長殿」

「おはよう、天音、カイム。邪魔しちゃったかな?」

「お気になさらず。ちょうど休憩しようと思っていましたので」

 いつから座禅を組んでいたのかは不明だが、天音は顔色一つ変えることなくいつも通り表情をしていた。

「まだ朝も早いのに、一体いつからやってたんだ?」

「2時間ほど前からですが?」

「ま、マジかよ…」

 2時間という言葉に、薙は更に驚かされた。あえて聞かなかったが、あれだけの集中力を維持できる精神力と忍耐力は、ほんの数日で習得できるものではない事くらい、素人の薙でもわかった。

神魔じんま使いにとって精神統一は最も重要とされていることのひとつですの。私たち神魔使いは神魔と心を通わせることで、初めて強大な力を振るうことができるのですから」

「神魔と…心をひとつに」

 その言葉を聞いて、薙はあることを思い出した。

 それは、天音と初めてあったあの日。勝負という名目で競わされたアヤカシ討伐の一件だ。

 天音はあの時、邪鬼まがつきの力を前に、完全に意識が乱れていた。

 負けてしまうことを考えて心が乱れた瞬間、カイムの力が突如として暴走した。あれはすなわちそういうことだったのだ。

「我々神魔は、神の御業みわざを持って生まれた悪魔だ。それを自在に操るにはそれ相応の能力が求められる。神の力と安易に口にするが、使い手は使い手なりに血のにじむような努力を積んできているのだ」

 カイムは説教じみた口調で薙に語り掛ける。その言葉は薙の心に、何かを突きつけられたようにも感じられた。

 神魔使いとは、その強大な力だけを見られ、内面的なことに関して興味を示す者は少ない。それ故に神魔使いは、その力のためだけに周囲は愛想良く接し、時にその力をねたむ者も少なくない。

「持つ者にしか分からない悩み…と言ったところか」

 薙は首の後ろに手を置いて、再度、神魔使いのすごさを思い知った。

「まるで他人事のように仰ってますけど、薙もそれなりに努力をなさってるのではなくって?」

「どうかな…人並みには努力しているつもりだけど。でも、どうして?」

 薙の不思議そうな顔を見ると、天音はおもむろに道場の内面を見つめながら言う。

「何となくですが、この道場を見ていて、そう感じたのです。ひとつひとつの傷や汚れ。そのすべてが、ここを使っていた者の努力を物語っているように感じたので」

「別に、俺一人がここを使ってた訳でもないから一概には言えないけど、天音からそう言ってもらえるなら光栄だよ」

 誰よりも努力を惜しまない天音からの言葉に、薙は少し自信が付いたようにうれしそうに微笑み返す。

「よろしければ薙もご一緒にいかがかしら?こうやって朝に訓練をするもの、いいものですわよ」

「そうだな…」

 そういうと薙は立ち上がると、壁に掛けていた一振りの木刀を手に持って素振りをしてみる。

「ふんっ!」

 薙は上段に構えた木刀を一気に振り下ろすと、ぶぉん!と空気を切り裂くような音が広い道場に響く。

 薙の剣筋はそれほどまでに力強い振りだった。

「おお、なんと力強い振り。流石だな隊長殿」

「そ、そうかな?」

 素直なカイムのおだてに、薙はまんざらでもない様子ではあったが、少しばかり照れくささが顔に出ている。

 どうも神魔に褒められるのに慣れないようで、照れるように頭を掻いてそれを誤魔化す。

「そうだな…。あるじよ?折角なら、隊長殿に剣の稽古をしてもらってはどうだ?」

「え?」

 するとカイムは、薙のその腕を見込んで、天音に稽古をつけるよう頼みこんだ。

「唐突にどういうことだよ、カイム」

「ちょ、ちょっとカイムっ!?」

 不意のカイムの言葉に、天音は顔を赤くして動揺していた。

「何を隠すことがある。これを機会に剣の腕を磨いてみたらどうだ、と言っておるのだ?」

「で、ですが…」

「今までは片っ端から私の力を放てば済んでいたが、今ではそうは行かぬであろう?苦手にせず、少しは挑戦してみるのだ」

「そう言われましても…」

 天音は、今まで聞いたことがないような弱音にも聞こえる小さなうめき声を吐いていた。

「っということだ、隊長殿。あるじに剣の稽古をつけてほしいのだ」

「ちょっと、カイム!まだ承諾したとは言ってませんわよ!」

「決まったようなものだろう。いい加減観念するのだな」

「ちょっと待ってくれよ!一体どういうことなんだよ、カイム」

 一方的に話を進めるカイムに、薙は詳しく事の経緯を尋ねる。

「それはだな、隊長殿。一度、主と剣を交えてみればわかる」

「お、おう…」

 なんだか勝手に話が進んで行き、薙は困惑した表情をしながらも、天音と剣を交えることになった。

「いっ、行きますわよ。薙」

「お、おう!いつでもいいぞ」

 カイムの言われるがままに、薙と天音は表面に立ち、お互いに剣道用の竹刀を強く握る。

「え、えーいっ!」

 天音は竹刀を大きく振りかぶって薙に向けて振り下ろす。

(来る…!)

 薙は、天音が竹刀を構え振りかざしたのを見て、受けの構えに入る。

「…あれ?」

 だが、天音が振りかざした竹刀は、受けようとした薙には届かず、空を切り裂いていた。

「あっ!当たって!くださいっ!」

 その後も天音は薙に向かって竹刀を振るうも、一向に当たる気配はなかった。これは単に薙が本気を出しているのではなく、真に天音の実力だった。

「はあ…はあ…分かりましたでしょ?」

「な、なるほど…」

「そういうことだ。主は昔から剣だけはいくらやっても上手くいかなかったのだ。同じ部隊の誼(よしみ)だ。稽古をつけてやってはくれないか?」

「俺は全然大丈夫だけど…天音はどうなのさ?こういうのは無理強いさせても上達なんてしない。カイムはそう言うようだけど、俺は天音の意思を尊重するよ」

わたくしは…今までも何度か挑戦はしてきましたが、上手くなった試しがありませんし。今更上達なるんて」

「そんなことはないって!さっきので大体の課題が掴めた。しっかり稽古していけば実践でも使えるくらいにはなる」

 内心、これ以上の努力は無意味だと諦めていた天音に、薙は経験者なりの正当な理由を付けて天音を励まそうとした。

「そうなのですか?」

「あっ…、ああ!もしも、天音にその気があるのなら絶対になれる!やるからには俺もできる限りのことは協力するよ」

「そ、そこまで言うのでしたら…少しは試しても」

 天音はそこまで乗気にはなれなかったが、薙の言葉を信じて、少しの間だけ訓練を付けてもらうことにした。

「それじゃあ、まずは構えからかいこうか」

 薙は天音の横に立って、親切かつ丁寧に説明を付けながら天音に教える。

 天音もぎこちないながらも、教えてもらう側としてしっかり頭に入れながら竹刀を振るう。

「うむ。主も、大分仲間というものを意識するようになってきたな」

 カイムはふたりの特訓を見ながらしみじみと独り言を漏らす。

 今まで誰とも関わりを持とうとしなかった天音が、こうやって同じ部隊の仲間に溶け込み、剣を教えてもらうまで親交を深めることができた。それはカイムに取って、娘の成長のように喜ばしいことだった。

「やはり、私の目に狂いはなかった。こやつらなら、天音を孤独という檻から解放してくれると信じていた」

 天音が心を閉ざし、誰とも通じようとしなかった時もカイムだけはいつも一緒だった。だが、それ故に一番心配していたのもカイムだった、

 そんな天音が仲間と打ち解けあい、時にはぶつかり合う光景はカイムに取って一番の喜びといえるのだ。

「や、やりましたわ!カイム。やっと薙に剣が届きましたわ!」

「さすがは私の見込んだ男だ」

 子供のように無邪気に微笑む天音の素顔に、カイムはまるで父親のような目線でうなずき返す。

「ふふ。お取込み中ごめんなさい。朝食の支度ができましたのだけど、お邪魔だったかしら?」

 すると、扉の前でニコニコとほほ笑む刀華とうかの姿があった。彼女の目も、まるで子供を見つめる母親の目であるが、刀華の場合はむしろ意味合いが少し違うようだ。

「もうこんな時間か。どうする天音?」

「そうですわね。忘れないうちに体にしみ込ませたいのが本音ですが、待たせてしまうのも恐縮ですし仕方ありませんわね」

 そう言って、ふたりは特訓を中断して道場を後にする。

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