第5話 月影家

「天音ちゃん!村が見えてきたぜ」

「ここが、あの鬼隠村おにかくしむら…」

 あゆむが指さした方向には、森が開けた場所に田園風景が広がる豊かな集落があった。

 そこは先ほどまでの荒廃した街ではなく、のどかな自然に囲まれた静かな村である。

「何だか、思っていたよりも随分と平和な村なのですわね」

「天音は一体どんなところを想像してたんだよ…」

 村は聖域せいいきと呼ばれる場所に指定されおり、外壁区のようなアヤカシから身を守る壁などは存在しない。

 聖域とは、アヤカシを寄せ付けない不可視の結界のようなものが発生する場所であり、主に人の営みがない山奥の山中や神仏への信仰が深い場所に発生することが多い。

 その為、昔から存在する小さな集落には、聖域となって人々を守る地になっている場所もあり、この鬼隠村もそのひとつである。

「家の前でいいか?なぎ

「ああ、助かるよ」

 歩は薙の実家の近くまでクルマを走らせる。

 道は舗装されてなく、自動車一台分ほどしか空いてないため、ゆっくり走っていても車内はとても揺れる。

「はい、到着っと」

「ありがとう。助かったよ」

「いいって事よ!むしろ、俺はクルマ出すくらいしかできないけど、なにかあれば呼んでくれよ」

「そうさせてもらうよ」

「天音ちゃんも、何もない場所だけど楽しんでってね」

「ふふ、ありがとうございますわ」

 ふたりが車から降りたのを確認すると、歩は軽く手を振ってそのまま行ってしまった。

「まぁ、無駄に広い家だけど入ってくれ」

「ここが薙のご実家なのですね…」

 車から降りた天音は静かにそう呟いた。

「少々、あなたをあなどってましたわ。まさか、ここまでとは想像もしていませんでしたわ」

 薙の実家と思われる家は、遠くまで塀が続いていて、それは普通の民家では考えられないほどに長く、どれほどの規模の家なのかが想像がつかない。

 目の前にそびえる門だけをみても、屋敷の風貌がどれだけすごいものなのかは一目瞭然である。

 それは貴族クラスの天音が驚くほどなのだから、それは見当が付きづらい。

「天音でも驚くのか?」

「当然ですわ。ですが、名のある武家ならこれくらい当然といえば当然なのかしらね」

「まぁ敷地が広いってだけで、変わったものなんて何もないんだけど。ここで話すのもなんだし中に入ろうか」

 そう言って、薙は玄関の門を開けて中へ入って行く。

 門の中は想像していた通り、広々としているようだが、母屋おもやが中央に見えるだけで、先ほど薙が言っていた通り、他はただ無駄に広いだけの庭が広がっているように見える。

 だがその広大な庭も、毎日人の手が加わっているようで、きれいに手入れがされている。

「ただいまー」

 薙が母屋の玄関の扉を開けると、「はーい!」と言う女の人の声が遠くから聞こえてきて、ドタドタとこちらに早歩きで近づいてくる。

「お待たせしましたぁ。って、お兄さま…!?」

 家の奥からやってきたのは、花柄の和服を着た小学生くらいの可憐な女の子だった。

「ただいま、鋭羅えいら。元気にしてたか?」

「はい!お兄さまも変わらぬご様子で」

 鋭羅という少女は、薙の顔を見ると一瞬驚いた表情を見せたが、薙の元気そうな顔を見て嬉しそうに微笑み返す。

「それにしても、どうしてこんな急に帰られたのですか?」

「母さんから何も聞かされてなかったのか?」

「はい。私は何も聞かされてませんが…」

 突然の帰省に、鋭羅はきょとんとした表現で薙の顔を見つめる。

「ごめんなさい、鋭羅さま。私が姉さんから伝えないよう口止めされていたからなの」

 すると薙と天音の後ろ、玄関の外からもう一人別の女性の声が聞こえてきた。

「そうだったのですか?」

「ええ。姉さんはきっと、鋭羅さまを驚かせたかったのだと思いますよ」

 その女性は、170㎝ある薙と同じくらい背が高く、柄のないシンプルな和服を着飾り、落ち着いた容姿で静かに現れた。

 冷静かつ凛々しい低い声は、どことなく高圧的にも聞こえるが、その厳しさの中に、ほんの少しの暖かみも感じられる。

「ただいま、百花ひゃっかさん」

「おかえりなさい。薙。長旅でお疲れでしょう?」

「まぁ多少はね…」

 薙は、いつもの様子では決して見せないであろう、少し照れたようなぎこちない返事を百花にする。

「帰ってきたのですね、薙」

 話をしていると、今度は家の奥からもう一人、別の女性の声が聞こえてきて、こちらに歩いて来る。

「ただいま帰りました。母さん」

「よく帰ってきましたね」

 その女性が薙の母親である月影刀華つきかげとうかであるいうことが雰囲気で分かった。

 薙は以前の電話越しとは違い、母親に対して礼儀正しい振る舞いで報告をする。

「まったく。いい加減、姉さんが心配する前に連絡のひとつくらいしてはどうなのかしら」

「わかってはいるんだけど、こっちもそんな余裕がなくて…」

「それはただの言い訳です。アマテラスの仕事は完全な受注制のはず。休みくらい自分で決めれるはずですし、電話を掛ける合間くらいいくらでもあるはずよ。それとも何ですか?寝る間もなく、任務に勤しんでいるとでも言うのかしら?」

「そ…それは…」

 百花の冷徹かつ高圧的な言葉に、薙は言い返すことができず、今にも逃げだしたいと言わんばかりに後ろにそれようとする。

「百花。そこまでにしてあげて」

「ですが、姉さん」

「薙だって、別に悪気があって連絡をよこさない訳ではないのですから」

 刀華の一声で、なんとかこの場は収まったが、百花は納得できていない様子で薙の方を鋭い目線で見る。

「ところで薙。そちらの方は?」

 刀華は薙の後ろで立っていた天音に気づいて、薙に問う。

「あぁ、自己紹介がまだだったね。彼女は北御門天音。今年から同じ部隊の所属になった仲間だよ」

「お初にお目にかかります」

 天音は小さく腰を低くして、刀華たちに丁寧に挨拶をする。

「これはご丁寧にどうも。薙ったら、女の子を連れてくるなら連絡くらいしてください。さあ、立ち話も何ですし、中に入ってください。百花。お茶の準備を」

「わかりました」

 刀華は薙と天音を家の中へ呼び入れた。

「ささ、遠慮なさらず座ってください。すぐにお茶を用意させますので」

「ご親切賜りますわ」

 薙と天音が案内されたのは、畳の敷かれた和室だった。客間だと思われるそこは、五人が座るにはとてもと言っていいほどに広い。

「それでは改めて自己紹介を。私が薙の母の月影刀華つきかげとうかと申します。ようこそ、北御門さん」

「恐れ入りますわ」

 刀華と天音はお互いに挨拶を交わす。お互い、高貴な身分というだけあって、礼儀作法がしっかりしている。

「そして、こちらが娘の鋭羅えいらです。鋭羅、ご挨拶を」

「はい!お母さま」

 刀華の隣に座っていた鋭羅は、元気に返事をすると、天音の方に身体を向ける。

「初めまして。薙お兄さまの妹の月影鋭羅です。よろしくお願いします、天音さま」

「これはご丁寧に。薙の妹君と聞き、どのような方かと想像してましたが、とても礼儀正しいのですわね」

「おい、それはどういう意味だよ?」

「言葉通りの意味ですわ」

 何故か天音は今日に限っていつもよりも冷たく感じる。

「そして、こちらが…」

望月百花もちづきひゃっかです。ここでは使用人といして居座らせていただいています」

 お茶を用意して戻ってきた百花は、その場の流れで天音に挨拶をする。

「百花は私の妹なの。つまり薙からすれば義姉あねのような関係かしら」

「ちょっと母さん!そこまで説明しなくっても」

「いいじゃないの。隠すことでもないでしょうに」

「何ですかそれは?私があなたの義姉あねでは不満だったかしら?」

「そ、そう言う意味じゃなくて!」

 意表を突かれたような百花の言葉に、薙はまたしてもこの場から逃げ出したいといった様子で顔を赤くして誤魔化そうとした。

「この度は、急な訪問をお許しください。改めて私も自己紹介を。私は北御門天音と申します。薙さんとは、同じ部隊に所属しています」

「まあ、薙と同じ部隊の!北御門と言えば、神魔じんま使いの名門とお見受けしますし、心強いですね!」

「あら。ご存じでいらしたのですか?とても光栄ですわ」

「数少ない神魔使いの家系である北御門家…もちろん承知していますよ。でしたら、天音さんも神魔を従えているのですか?」

「ええ。怖がらせてしまっては申し訳ないと思いまして、今まで不可視状態にしていましたが、そこまでご存じなのでしたら問題ないようですわね…カイム!」

「ここに…」

 そう言うと天音は突如、カイムの名を呼ぶと、何もない虚空を切り裂くようにカイムが現れる。

「紹介しますわ。こちらが私の神魔であるカイムです」

「まあ!これは神魔様までご一緒とは」

 はじめは刀華も驚いた様子だったが、順応性の速さは異常にも思えた。まさか、神魔を見たのはこれが初めてではないといった感じだ。

「わぁ!とっても大きなワンちゃん!触ってもいいですか、天音さま」

 体面に座っていた鋭羅は、カイムの姿を見るな否や驚くでもなく目を輝かせてカイムを見つめる。その瞳は、まさにカイムを一目見た時の紗月と同じ目をしていた。

 神魔という存在を知らない鋭羅には、カイムがただの大型犬に見えているようだ。

「ふふ。よろしくてよ」

「主…なんてことを!それと、我は犬ではないぞ!」

「モフモフ~♪」

「こら、鋭羅。あまり強引に引っ張るんじゃないぞ」

「うぅ…隊長殿まで」

「すまない…俺にはこれが精一杯だ…」

 鋭羅はカイムの隣に近づいては、大きなぬいぐるみに抱き着くような感じでカイムに寄りかかる。

 カイムは助けを求めるような目で薙を見つめるも、鋭羅をなだめることしかできなかった。

「天音さんとカイムさん。急だったもので、特別なおもてなしはできませんが、おくつろぎください。それと、こちらのわがままで、アヤカシの討伐まで付き合っていただき感謝の仕様がございません」

「親切なご配慮、痛み入りますわ」

「もとはと言えば、うちの息子が、少しでも顔を出してくれればいいものを…付き合わせてしまってごめんなさいね」

「なんか俺、悪者扱いされない…」

「はぁ…いい加減、母親の気持ちくらい、わかってほしいものです…」

「当然の報いです。どれだけ姉さんがあなたを心配していたか」

「鋭羅もお兄さまにいつ会えるかと心待ちにしていたんですよ!」

「…次からは気を付けます」

 全員から非難を受けることになった薙は、面目が立たなきといった感じに素直に謝ることにした。

「ところで…」

「ん?」

 刀華は天音を見るな否や、ニコニコした表情で薙に問う。

「天音さんとは、どこまでの関係なのかしら?」

「ぶっ…!」

「なっ…な、な…!」

 あまりに想定外な話題に、薙は口に含んだお茶を吹き、天音は顔を真っ赤にして動揺が全身に出ている。

「なんでそうなるんだよ!」

「だって、女の子と一緒に帰って来るんですもの…。ふふ、期待しちゃうじゃない♪」

 久しぶりに帰ってきた息子が、年頃の女の子を連れて帰ってくるシチュエーションに、刀華は期待した表情で嬉しそうに微笑んでいる。

「べ、別に。俺たちは同じ部隊の仲間ってだけで、やましいことなんて一切!な、なあ、天音!?」

「そ、そうですわ!薙さんとは今はまだ!」

「今は?…と申しますと」

「あ!いえ、それは、言い間違いですわ!」

 薙と天音は過剰なまでに必死になって反論して、頭が混乱状態だった。

「あら、そうなの?こんなべっぴんさんと一緒に帰ってきて」

「勘弁してくれ…」

 あまりにも唐突な刀華の爆弾発言に、薙と天音は汗が止まらなかった。

「ですと、天音さんはどうして他の皆さんとは別に、薙と帰って来られたのです?」

 思っていなことと違うことに疑問を抱いた刀華は、天音に事の真相を聞く。

「実は、おこがましいことは重々承知の上でお聞きしたいのですが…今回、薙さんに着いてきたのは、邪鬼まがつきの篭手についてお話を伺いたく思って同行した次第です」

「…なるほど。そうなのですね」

 刀華は篭手の名を聞いた途端、今までの冗談が嘘のように、考えるように下を向く。

「薙からは何か篭手について教わらなかったのです?」

「そう思って直接聞いてはいるのですが、どうしても口を開かず…」

「でしょうね。同じ隊の仲間と言えども、篭手の詳細は他言無用と、亡き父からきつく言われていますからね」

「そうなのですか?」

「ええ。その様子では、薙もしっかり掟を守っているのですね。感心します」

「まったく。こっちにしてみれば、面倒な掟なことだ」

「なので、私からもお答えすることは残念ながらできません」

「そうですか…」

 篭手についての情報を得る絶好の機会だと思った天音だったが、骨折り損だったようで、残念そうな顔をする。

「期待に応えてあげられず、ごめんなさい。でも、折角といっては何ですが、それ以外についてならいくらでも聞いてもらっても構いませんよ。答えれる範囲でしたらお答えしましょう」

「あ、ありがとうございます!」

 刀華は素直な天音に対し、小さく微笑み返す。

「ささ。長旅でお腹も空きましたでしょ?まずは夕飯にいたしましょう」

 そう言って刀華は、立ち上がり客間を後にする。

「百花?お夕飯の準備に取り掛かりましょう」

「はい。お姉様」

「それと薙?天音さんに浴室の案内をしてあげて。長旅で疲れたでしょうから、先にお風呂でゆっくりしてもらいましょう」

「うん。天音もそれでいいか?」

「お心遣い。痛み入りますわ」

「お母さま!鋭羅もお手伝いします!」

「ありがとう、鋭羅。でも、今日は折角お兄さんが帰ってきたのだから、一緒に居てもいいのですよ?」

「いいのですか?では、鋭羅はお兄さまと一緒にいます!」

 鋭羅はうれしそうに薙と天音の近くにより、まるで子犬のように戯れようとする。

「鋭羅?悪いが少しの間待っててくれ。今、天音を浴室まで案内するから」

「お兄さま!それでしたら鋭羅も付いて行ってもよろしいですか?」

「ああ構わないよ。こっちへおいで」

 薙は鋭羅を隣に来るように誘うと、鋭羅は満面の笑みで薙の隣に座る。

 先ほどまでの礼儀の良さとは裏腹に、年相応の兄への愛情があった。

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