第9話 守るべき家

「あいつ、一体どこに行くつもりなんだ?」

 薙と天音は、同じ支部所属で、第7小隊の隊長の茂庭朝陽もにわあさひの後を尾行していた。

「この先なんて、精々小さなスラムが立ち並んでいるくらいしかないような気がしますけど?そんなことに一体何の用が…」

 外壁区の巨大な壁を抜けると、そこは一帯が更地と化していて、高い建物などはなく遠くまで見渡すことができる程に殺風景とした場所だった。

 これもすべてアヤカシが発生し、人類が住処すみかを奪われた結果である。

 そんなアヤカシだが、太陽の光が何よりも苦手であり、太陽が昇っている昼間はアヤカシの気配は一切しない。そのため、昼間であれば壁の外を歩くことも危険ではない。

「ここは…」

 外壁区の巨大な壁を抜け、外を歩くこと20分。

 朝陽が立ち寄ったその場所は、火天かてん外壁区の近くに立ち並ぶ小さなスラム街であった。

 そこは以前、任務で訪れた所沢のスラムによく似ており、荒廃した街の建物を再利用して使われた、何とも殺風景な町並みだった。

 外壁区の周辺には、アヤカシが寄り付きにくくするための見えない術が施されていることもあり、壁の周辺は遠くのスラムよりも比較的安全な場所であることから、壁の中に入れない者たちが集まってスラムを形成することがある。

 そんな場所でも最低限だが人が生活を営むことができるほどの設備はそろっていて、アヤカシのいない昼間の時間ということもあり、少しばかりだが人の賑わいもあり、露店も数件ほど並んでいた。

「あっ!建物の中に入っていきましたわ」

 すると朝陽はスラムの小さなビルのドアを開けて中に入っていった。

「もっと近くへ行ってみましょ」

「天音。それ以上近づくと見つかってしまうぞ…」

 薙と天音は、忍び足で朝陽が入っていった建物の近くまでやってきた。


「おかえりなさい、朝陽」

「ただいま姉さん。これ、いつも少ないけど生活の足しにしてくれ」

「もう、気にしなくても大丈夫なのに…本当に受け取っていいの?」

「当たり前だろ。むしろこんなことでしか俺は返すことができねえ」

 朝陽は建物の中で一人の女性と話をしていた。微かながら会話は聞こえるものの、部屋の中で何がおこなわれているのかまではわからなかった。

「あっ!朝陽お兄ちゃんだ!」

「おかえり!朝陽お兄ちゃん!」

「おお!お前ら、元気にしてたか?」

 会話の途中で、奥の部屋から子どもが数人、朝陽に寄りかかる。朝陽もまんざらでもないように子どもたちと振る舞っている。

「すまんな、ちょっと待っててくれよ」

 すると朝陽は子どもたちから離れて行き、入り口の方へ歩いてきた。

「おい、お前ら!一体何のつもりだぁ?こそこそしてないで出て来きな!」

 朝陽は入り口の扉を開けて、薙と天音を見つめる。

「あっ!?朝陽!いや、これには深い訳が…」

 急なことに、薙は戸惑いながら何か良い訳をしなければと慌てる。

「別に、何となく分かるっての。お前がこんな後を付けて来る奴じゃないってことくらい。どうせそこの脳筋娘に言われてついて来させられたんだろ」

「んなっ!?」

 そう言って朝陽は、背中を見せて逃げようとしていた天音の襟を掴んで取っ捕まえた。

「ったく、どうせ俺の弱みでも握ろうとでも思ってたんだろ?」

「そ、そのようなことは…」

 面白半分でついてきたとも言えず、天音は反省したように黙り込む。

「冗談だよ。まぁ、こんな荷物もって壁の外に出りゃ、誰だって気になるか」

 呆れたように朝陽は、右手に掴んでいた天音の襟を放してやった。

「それにしても、いつから気づいてたんだよ?」

「外壁から出る辺りから何となく付けられてた感じはしてたけど。まさか月影、てめぇだったとは思わなかったけどな」

「成り行きとはいえ、後をつけるような真似なんかして悪かったよ」

 朝陽のプライバシーに関わることだと思い、薙は頭を下げて正直に謝った。

「別に気にしてねえよ」

 隠すつもりでもなかったことだったのか、朝陽は二人をとがめることはなかった。

「あら?お客さんかしら?」

 話をしていると、先ほどの建物から朝陽と話をしていた三十代くらいの女性が扉をあけて顔をのぞかせていた。

「客って訳でもないけど。まあ俺のツレみたいなもんだよ」

「もしかしてアマテラスでお世話になっている方かしら?いつも朝陽がお世話になってます!」

「止してくれよ、姉さん!こいつらは別の隊の奴らなんだから、世話になるような事なんてないっての!」

「そうなの?あら、ごめんなさいね〜」

 朝陽は先ほどの女性と楽しそうに話をしているが、端からみると母親と息子のようでもあった。

「朝陽、ここって一体?」

 薙は、今まで気になっていたことを朝陽に問いかける。

「ああ、ここか?ここは俺がアマテラスに入る前まで暮らしていた孤児院だ」

「孤児院ですって?」

 朝陽の返答に隣にいた天音が驚く。

「朝陽。こんな場所で話すのもあれだし、中に入ってもらったら?」

「まあ姉さんがそう言うなら」

 朝陽が姉さんと呼ぶ女性の言葉に従い、三人は孤児院の中に入ることにした。

「まさかお前が孤児院出身だったとはな…」

「まあ、隠すつもりはなかったけど、話す機会もなかったからな。今のところ俺の隊の連中くらいしかこのことは教えてない」

 アヤカシが発生する前の大恐慌の時代から、孤児は年々増え続け社会問題にもなるほど問題視されていた。それは不況から、子供を授かっても育てることができず殺すことができず捨てられたり、強姦などの理由で望まれず産まれてきたりと理由は様々だが、この十数年で孤児として産まれたものも決して珍しいものではなかった。

「俺は物心ついた時から親の顔を知らねえ。愛されて産まれたのか、それとも…」

 朝陽は言葉を濁られたが、それは後者を指しているのだろうと誰もが察した。

「はじめのうちは確かに思い悩んださ。俺を産んだ親ってのはどんな奴なのかとか、俺を捨てやがった親を許さねえとか」

「朝陽…」

 朝陽から発せられる知られざる過去に薙と天音は言葉を出せなかった。

「でも、俺はこの孤児院でみんなと過ごしていくうちに、いつの間にかそんなことを考えなくなってしまったな。俺の中じゃ、この孤児院こそが俺の家であって、俺の守りたいと思った家族なんだから!」

 朝陽の過去はきっと誰もが悲惨だと思うものだろう。それでも朝陽は一筋の希望を見つけ、自らの不幸を否定した。

「まあ、恩返しって言うより、どちらかといえば借りを返すって意味合いの方が大きいか。そんで、こうやってたまに顔を出しては支援してるってことだ」

 朝陽自身はそう言っているが、朝陽の顔を見る限りでは、この孤児院が好きで心配しているのだと察してしまう。

「あと顔出さないと姉さんが心配してわざわざシェルターの前まで来ることもあったからなあ」

「だってあの時は半年も音沙汰なかったんだから心配くらいするわよ」

「先ほどから気になってましたけど、あなたはこの猿の姉なのですの?」

「猿って誰だよ、おい」

 朝陽がと呼んでいる女性のことが気になった天音は直接聞いてみた。

「あらやだ、紹介が遅れてしまいましたね。私は篠原香しのはらかおりといいます。朝陽とは本当の姉って言うわけではないのよ」

「姉さんは俺が物心つく前から孤児院にいて俺の世話をしてくれていたから、いつの間にかそう言うようになってたな」

「そうなのですね...」

「孤児院なんて結構閉鎖的な場所だし、毎日顔合わせるんだから本当の家族なんかよりよっぽど家族って感じがするんだよ。現に俺のことを兄だって慕ってくるのもいるくらいだ」

 孤児院で暮らしている子供の大半が本当の家族というものを知らない。だからこそ同じ屋根の下で暮らす仲間はいつしか家族に似た形になっていくのだろう。

「どうせなら本当の弟になってもいいって言ってるのに朝陽ったら照れちゃって」

「こいつらの前でそんなこと言わないでくれよ。こんなこと、周りに知られちゃ俺が困るっての」

 今までぶっきら棒だった朝陽も義姉である香の前では、支部では見ないような笑顔で楽しんで話していた。


「まあ折角ここまで来たんなら飯でも食って行けよ。別に構わないだろ、姉さん」

「もちろんよ。でもシェルターの中ほど美味しいものなんて作れないから、お口に合うかしら?」

「お気遣い結構ですわ。このような状況下なんですから、文句は言いませんわ」

 天音の意外にも思えた大人の対応に、薙と朝陽は少し驚いた表情をみせた。

「な、なんですの!?そんなにわたくしの言葉が意外だったかしら」

「そりゃあ意外も意外だろ。わがままのひとつやふたつ、出るもんかと思ってたぜ」

「失礼ですわね!私だって高貴な身ではありますが、分をわきまえているつもりでしてよ」

 今更だが、天音は言わずと知れたお嬢様だが、食べものに関して文句を言っているところを見たことがなかった。

 正直、食堂や購買のメニューも決して不味まずくはないが美味いといえるものではない。それでも天音なりにこの貧しい生活に適応しようとしているのだろう。

「その人たちって朝陽兄ちゃんのお友達?」

 話をしていた朝陽の横に、まだ幼い男の子が隣の部屋からやってきた。

「まあ、そんなもんだな」

「ってことは、アマテラスの人たちなのか!」

「そういえば、拓斗たくとはアマテラスに憧れてんだったな」

 すると拓斗と呼ばれる男の子は、うれしそうに目を輝かせていた。

「うん!僕、大きくなったら朝陽兄ちゃんと同じアマテラスに入るんだ!」

「そうだったな。拓斗、そこのお兄さんは俺と同じくらい強いから色んなこと教えれもらいな」

「そうなのか!?色んなこと教えてもらいたい!」

「お、おい...」

 薙は朝陽の唐突な振りに一瞬ためらったが。

「はあ、いいよ。こっちにおいで」

 子供の純粋なまでのまなざしにあきらめて話をしてあげることにした。

「おまたせ~。今日のお昼はお好み焼きよ!」

 昼食の準備をしていた香がホットプレートを持って戻ってくると、奥の部屋からぞろぞろと子供たちがやってくる。

「おいおい、何人いるんだよ」

「たしか二十人くらいはいたような。これだけいりゃ、食費も馬鹿にならないだろうによ。姉さんたちも苦しいはずなのに、よくやるよ」

 シェルターの外で二十人もの子供を育てるのにどれだけの金と労力が必要になるかなんて想像もつかない。それでもこうやって身寄りのない子供たちを守っている孤児院に、薙と天音はただただ驚くことしかできなかった。

「別に遠慮なんてしなくて大丈夫ですよ。むしろ遠慮してると子供たちが全部食べてしまって食べれなくなっちゃうかも」

「それじゃあ、折角だしいただこうか」

「そうですわね」

 香の言葉に甘えて、二人は昼食を共にした。いつもは隊のみんなと食べることが多かったが、これだけの団らんで食事をするのは初めての経験だった。

「なんと美味な!驚きましたわ」

「当たり前だろ!姉さんの作るお好み焼きは絶品なんだからよ!」

「今日は久しぶりに朝陽が帰ってきて、お客さんまで来てくれたんだし、いっぱい焼くわよ!」

 香の厚意に、全員が腹が膨れるまでお好み焼きを食べた。少しやりすぎたというような顔をしていたが、誰もが楽しそうに食べていたのを見て、自分の中で納得させた。


「朝陽。今日は帰ってきてくれてありがとね」

 帰り際、香が玄関まで三人の見送りに顔を出した。

「別に構わないって。むしろ最近は来れる頻度が少なくなってごめん」

「いいのよ。あなたが元気なら。朝陽のお陰でまたこっちも軌道に乗れそうだわ」

 アマテラスは、常に死と隣り合わせの仕事が多い。香も久しぶりの朝陽の顔を見れて元気が戻ったようだった。

「月影さんと北御門きたみかどさんも、またお越しになってください。きっと子供たちも喜びます」

「わかりましたわ」

「またいつか、戻ってきます」

「なにが戻ってくるだよ。お前らは、ただこそこそ着いてきただけだろ」

「朝陽!そんなこと言わないの!まったく、いつまで経っても子供のままなんだから」

 朝陽の屁理屈に、香は本当の弟をなだめるように頭をぽんぽんと叩いてみせる。

「子供扱いするなよ。ったく、次はお前らも札束包んで来いよ!」

「朝陽っ!」

「わかってるって。まあ姉さんも無理はすんなよ。辛くなったらいつでも頼ってくれていいんだからな」

「うん。それじゃあ気を付けて、行ってらっしゃい」

「おう!」

 そう言って、朝陽たちは孤児院を後に、シェルターの方向に歩いて行った。


「いつまでも子供と思ってたけど、次からは子供扱いできないなあ」

「ママ…どうして泣いてるの?」

 香の隣に立っていたひとりの男の子が、香の顔を見て心配そうに聞く。

「ごめんね。でも、もう大丈夫だから。さあ、お家に入ろっか」

 そういって香は悲しみの涙を、服の袖で拭き、孤児院に戻っていった。


「わ、悪かったわね」

「はあ?なんだよ急に」

 シェルターに向かう途中、天音は唐突に朝陽に一言謝った。

「その…尾行なんてしようとして」

「なんだよ、そういうことか。前にも言ったが気にしてねぇっての」

 尾行したことに対して、朝陽は本当に気にしていない様子だった。

「まあこれが俺の戦う理由のひとつってやつだ」

 朝陽は少し照れ臭くも、尚真剣な表情で話しを続ける。

「俺はもっと強くなりてぇ。隊のみんなや孤児院だけじゃない。多くの人たちをアヤカシの脅威から守るために。だから俺は戦って強くなる。ただそれだけだ」

「朝陽…」

 薙は朝陽の真剣な表情に言葉を失う。

「だけど、なんだ。俺も少し意固地になり過ぎてたかもな。倒す相手は同じなのに、手柄ばっかり意識してよ」

 朝陽は、天音の誠意に自らの行動を反省した。

「絶対倒そうぜ、月影、北御門」

「あぁ」

「もちろんですわ!」


「俺もこのままじゃいけないよな」

「薙?」

「え?いや、なんでもないさ」

 朝陽の言葉を聞いて薙は自分に言い聞かせた。今まではただ食うためだけに戦っていたが、これからは違うのだと。

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