第10話 揺るぎない想い

 任務を放り出して逃げていった天音の安否が気になったなぎは、ホテルに戻ると天音が使っていた部屋の前で立ちすくむ。

「来たはいいものの、どうすればいいんだ…」

 薙は扉の前でぶつぶつと考えながら一言が出ないでいた。小隊内での揉め事や衝突といったものは隊に入って以来なく、今まで平凡に送っていた。そのため、いざそのような境地に立たされるとどのような言葉で励ますべきなのか見当がつかなかった。

「隊長殿か?」

 すると、扉の奥から天音ではない別の声が薙を呼ぶ。

 威厳いげんのある低い声で呼びかけるのは、天音の従える神魔じんまのカイムだった。

 カイムはあるじである天音を気にして、極力小さな声で応答した。

「ああ。ちゃんと帰って来ていたか心配になって」

あるじなら疲れて眠っておる。心配するな。それよりも、我がいながらにして本当にすまなかったな…」

 どうやら先ほどの天音の失態に対してなのか、カイムが深々と謝罪する。カイムの重苦しい口調は、例え姿は見えずとも心情は充分に伝わって来る。

「何言ってるんだよ。別にカイムが悪い訳じゃ…もちろん天音だって」

「ふんっ、そなたは優しいのだな。だが、今回に関してはこちらに非があるのは明白だ。今更言い逃れはしないし、どんな処罰も受けいれよう」

「そんな、処罰なんて!」

 カイムの、処罰という言葉に薙は一瞬戸惑いを見せた。

「以前の勝負の時もそうだったが、我が主は他と比べて人一倍自尊心が強い子だ。それ故、ここに来る前から何度も他の小隊でも揉め事が起こっているのは、そなたも承知のことだろう」

 黙って聞く薙にカイムは話を続ける。

「すべてのいさかいはもちろん、主の行動に原因があるのも認めざるを得ない事実。そして我らは何度も同じ過ちを繰り返しては部隊を渡り歩いてきた」

「そんな話をして俺たちにどうしろって言うんだよ?」

 別に怒りたい気持ちではなかったのだが、薙は思いがけず言葉が漏れた。

「そうであるな。だが何故だろうか。私はお前たちとなら主も上手くやっていけるのではないかと思い込んでいた」

「…」

「おぬしたちは他と違って、変わった暖かみを感じていた。主の心は暗い牢屋に閉じ込められているように、誰にも心を開かぬのだ。その暖かさが今の主には必要だと思っていたのだが、それは、私のただの思い込みだったようだ。おぬしには散々迷惑をかけたな」

「いや、俺たちは別に…そんなもの」

 別に天音を、ましてやカイムを責めようとは微塵も思ってもいない。だが、薙はカイムの言葉に応えることができなかった。

「つまらぬ話をしたな。おぬしも疲れただろう。主は私が着いているから安心して休むといい」

 結局カイムとの話はそこで終わり、薙は自分の部屋に戻り眠りについた。


 前回の出撃の翌日。薙と左近が使用している大部屋にて、天音を除く4人のメンバーがミーティングの席に集まった。

「まぁ昨日の今日ではあるし、言いたいことはあると思うけど、今日が最後のチャンスな訳でさ…」

 集まったところまではいいものの、いつも以上に冷めた空気で話が進む。昨日までの雨は収まったが、ジメジメとした陰湿な空気までは収まってはくれず、黙って座っているだけでも嫌な気持ちにさせられてしまう。

「ちょっと薙。作戦会議の前に、あの子はどうすんのよ?結局ここにも顔を出して来ないじゃない!」

 話の途中で紗月が不機嫌そうな表情をしながら口を挟む。

「一応、今朝も扉の前で呼んではみたけど返事はなかったよ」

「どうするのよ一体。こんな調子じゃ作戦もクソもないじゃない」

「わかってるさ!だからってそんな焦ることもないだろ」

 実にこのような会話を先ほどから小一時間ほど続けているが、一向に答えは出ないで、ただ時間だけが過ぎていた。

「みんなはどう思うのよ?あいつのこと。まさか、まだ第4小隊ここに居させるつもりなの?」

 誰もがその件について口を出そうか迷っていたが、痺れを切らした紗月がついに物申した。物事をスムーズに進めたい性格の紗月は、いい加減この件について決着を付けたいようだった。

「どうって言われたってまだ結論は出せないっての」

「だからってこんな関係をずっと続けるわけ?今回は軽傷で済んだけど、次も同じことが起きてみなさいよ。命がいくつあったって足りないわよ!」

 薙はまだ迷っている。見捨てるだけなら誰だってできる。だが、昨日のカイムとの話で天音にも事情があるのも分かったし、行動ひとつでひっくり返ることだってできると信じている。

 そのため、確信が持てないだけに、薙の言葉は段々とぎこちなくなる。

「まぁそこら辺にしようぜ、さっちゃん。熱くなり過ぎだっての」

「なにも考えてないアンタに言われたくないわよ!」

「侵害だなぁ。俺っちだってしっかり考えているさ」

 薙が真剣に考えている横で左近が横やりをいれてくる。この重暗い空気の中でも、左近だけはいつもと様子は変わらなかった。

「それよりもさぁ。時間見てみろよ。おっちゃん、腹が減って死にそうだわー」

 紗月の言葉通り本当に左近は考えているのかと思ってしまう。だが左近の言う通り、時刻は昼の12時を過ぎようとしていた。

「あんた馬鹿じゃないの!こんな時に呑気なこと言って」

「どうせここに集まって話したって何も解決しないだろ?なら気晴らしに外で美味い飯でも食いに行こうぜって話だよ」

「あんたねぇ…。マジで、呆れて声も出ないわよ」

 紗月が呆れていると、もの静かに座っていた天真がすかさず手を上げて主張する。

「あ、あのぉ…僕も左近さんの案に賛成です」

「えっ!?天真まで、一体どうしたのよ?」

 あまりに意外な言葉に薙と紗月は驚いた。部隊で一番真面目な天真が、左近のふざけた案に乗るというのだ。

「たしかに左近さんの言う通り、ここままじゃ何も解決しないと思うんですよ。ならいっその事リフレッシュも兼ねて外に出ませんか?実は僕もお腹がペコペコで…」

「これで2対2だ。どうするよ薙助なぎすけ、さっちゃん?」

「はぁ…」

 薙はため息をついて呆れた顔をするが、左近と天真の言っていることの方が正しいのではないのかと思える気がしてきた。

 延々と解決しない議論と作戦会議に時間を奪われるのなら、外に出て気分を変えた方がよっぽど有意義な時間を過ごせるのではないのかと思えてきた。

「わかったよ。あまり時間もないし、行くならさっさと行こう」

「そうでなくちゃ!そんじゃ薙助、俺らは先に外で待ってるから天音ちゃん呼んで来てくれよ?」

「はぁ!?どうして俺なんだよ!?」

 さらに左近は、天音を外出に誘えと言ってきたのだ。

「当たり前だろ。女の子を一人にさせるつもりか?」

「そりゃ、まぁそうだけど…。それならお前が誘えばいいじゃんか?」

「適材適所だぜ、薙助。その役が俺っちに勤まると思うか?」

 たしかにその通りだが、薙も特別天音と親しい訳でもないし、天音がすんなり出てくれるとは思えなかった。

「頼んだぜ!隊長」

「はいはい…」

 言い訳が思いつかなかった薙は、渋々ながら左近の言葉にうなずいて部屋を後にした。


 薙は天音が泊まっている部屋の前で立ち尽くしていた。どんな言葉をかければいいのか迷って言葉が出ないでいた。

「隊長殿か?」

 すると、昨晩と同様に扉越しにカイムの声が聞こえた。

「あ、あぁ。ちょっと外に出て食事でもどうかなぁって…。その…」

 ぎこちない言葉でカイムに伝える。

「食事だと?なんと、我らを除名しに来たとばかり…」

「そっ、それは違う!」

 カイムの言葉を薙は咄嗟に否定した。多分、カイムは覚悟の上でそのような言葉を言い出したのだろう。

「ただの気分転換ってだけなんだけど、よかったら天音とも一緒に行きたいと思って、それで」

「なるほどな…」

 カイムは納得したように小さく声を出すと、数秒の沈黙のあとカイムは一言、薙に伝える。

「扉の鍵は開いている。中に入るがよい」

『ちょっと、カイム!何勝手な事しているのよ!』

 するとカイムの言葉に驚くように部屋の奥にいる天音が叫ぶ。どうやら鍵が開いているとは思ってもなかったようだ。

 薙はカイムに誘われるがまま部屋に入る。室内の奥にはベッドの上で座っている天音の姿があった。

ばふっ!

「うっ!」

 薙は天音の姿を見ようとした瞬間、薙の顔面に柔らかい何かが直撃し視界が真っ暗になる。どうやら天音が、手元にあった枕を薙に向けて思いっきり投げたのが顔面に直撃したようだった。

「こっちを向いてみなさい…。どうなるかは分かってますわよね?」

「は、はい…」

 天音は一晩中ベッドの上で横になっていたようで、服装や髪型は乱れ決して人様には見せれない状況なのだろうと薙は察して咄嗟に後ろを向く。

「いいですわよ」

 天音が返事をすると、薙は天音の方を向いてその姿を確認する。

 急いで格好を整えたのであろう。制服のブラウスには小さなしわがいくつも残っていて、いつものすらっとした赤い長髪もどことなくねている。

 そして、彼女の目元がうっすらと充血しているのも見えた。昨夜、彼女が立ち去る間際、瞳には大きな涙の粒が溢れ出ていたが、あれ以降もどうやら涙が止まらなかったのだということが伝わる。

「何ですの、もう…」

 昨日の今日で、天音の方も少しぎこちない表情でいる。目を合わせてはくれないが、チラチラと怪我をした右腕に視線は感じる。

「あ、怪我の方は気にしなくてもいいよ。まだ少し痛むけど、大した怪我でもないし、すぐに治るって」

 きっと気にしているのだと思い、薙は怪我のことをフォローした。実際は結構痛みはあり、アヤカシに攻撃された傷は放っておくと霊傷れいしょうという黒く爛れてしまう病気にも繋がる。

「…」

 だが、天音からは言葉は返って来ない。

「なぁ、天音。間違っていたら謝るけど、俺にはどうしてもキミが何かを焦っているように見えるんだ。教えてくれないか?」

「焦っている…ですか。はぁ、完全に見透かされていたのですね」

 薙の言葉に、天音は観念したように言葉を漏らすと、天音は一呼吸置いて言葉を続ける。

「薙は、わたくしの。北御門きたみかど家のことをご存じで?」

「ああ。名前だけは前から知っていたよ。北御門っていえば、神魔使いの名門で、特に天龍てんりゅう奏音かなでって言えば、神魔使いの中でもエリート中のエリートって。誰だって知っているはずだ」

「その通りですわ」

 兄の北御門天龍と、姉の北御門奏音。彼らは天音の兄姉きょうだいであると同時に、天音と同じく神魔じんま使いであることで有名だ。

 常識みたいな口ぶりで言ってみせたものの、神魔使いに興味の無かった薙は、詳しいことは天音が小隊に入隊してから改めて調べなおしていた。

 だが、名前だけなら以前から知っていたし、アマテラスに所属している者なら多分誰しもが耳にしたことのあるほどには有名人だ。

 長男の天龍と次女の奏音は、“北御門の仁王門”、または“双神”などの異名を持っていて、数少ない神魔使いの中でもトップクラスの存在と言われている。

わたくしはすぐにでもお兄さまとお姉さまの御役に…。いいえ、お兄さま達と同じ舞台に立ちたいのです。なのに、私はずっと先に進めないまま…こんなところで悠長にしていられまして?」

 天音のとてつもなく大きな想いは、口調からはっきりと伝わってくる。噓偽りのない真っ直ぐで強い想いが。

「お兄さま達は、私の年ではあなたと同じ上威じょういとなられて、隊を抜け独立をなされたと聞かされましたわ。ですが私は…」

 そこで天音の言葉が途切れた。

 アマテラスの属する者の多くは、小隊に入り、仲間と共に任務をこなすのが原則であるが、上威と呼ばれるクラスに昇格することで、小隊を抜け独立することができる。

 だが、独立する者はその中でも特に少数派であり、上威になっても小隊に残る者が大半であり、薙もその一人である。

 独立とはすなわち、仲間というしがらみから抜け出し、己が力のみで戦うということであり、神魔使いや実力のある陰陽術師おんみょうじゅつしが独立をして名を馳せている者が多い。

「すごいな…。あんなに強い人たちと対等の場所に立ちたいなんて、俺には想像もつかないさ」

「すごくなんてありませんわ…。力に目覚めてからはそれだけのために、ひたすら努力してきました。ただそれしか方法を知らなかっただけ」

 薙の言葉に、天音は自らをさげすむように笑う。

「そんなことはない。普通の奴ならきっと、背中向けて逃げていたよ…。もちろん俺だって」

 天音は軽々しくなどと言ってはいるが、彼女の言う努力とは多分、他人には想像もできない程に過酷なものだったに違いない。なぜなら、彼女が追い求めている天龍と奏音という人物がそれほどまでに強大な存在なのだからだ。生半可な気持ちで『彼らと同じ道を歩みたい』なんて普通では言えない。

「まぁ俺も周りから見れば特別なのかもしれないな。英雄の子なんて言われてもてはやされた時期もあったし、篭手の力だって他の奴らから思えば異端だって思われていたさ。でも、俺はこんな力があるからって特別になろうとか思ったこともないし、変わろうとも思ったことは一度もない」

「すごいですわね。そんな生き方もあるのですのね」

「すごくなんてない。俺は逆にすべての責任から逃げて来たようなもの。結局残ったのは逃げたことへの後悔と忌まわしいこの篭手のろいだけ」

 薙は怪我をした右腕を撫でながら、自分の言葉に対して皮肉のこもった表情で小さく笑う。

 そして薙は天音の顔を見て、再び話しだす。

「なぁ、天音はこの小隊じゃ嫌か?」

 薙は天音がこの小隊にいたいかの確認のつもりで問いただす。

「分かりませんわ。まだここに来て日が浅いですもの」

 天音は少し戸惑いながらも言葉を続ける。

「ですが、こうやって話をしようとしてきたのはあなただけですわ、薙。今まで入った部隊で私と向き合おうとしてきたのは誰一人としていませでした。誰も最後には口を揃えて『お前には着いて行けない』と言われて居場所を失うの繰り返し」

 自らの過去を哀れむように天音は淡々と、でも少し悲しそうにも聞こえる口調で話してくれた。

「俺は天音の意志を尊重するよ。ここにいたくないっていうのなら止めない。実際に俺たちの部隊にこれからも天音がいたとして、きっとお兄さん達のようにはなれない気がする…。でも、もし天音がここにいたいと言ってくれるなら俺たちは全力で天音に協力するつもりだ。もちろんこっちのルールに従ってもらうことにはなるけど」

 天音は少しの間考えて薙に顔を向きなおす。

わたくしは…それでも答えが出ませんわ。きっと他には道がないと分かっていても」

あるじ…」

 これからの方針に悩む天音にカイムも落ち着かない様子だ。

「そっか…。まぁ、こんなところで悩んでいても仕方がないし、外にでも出てみるか。少しは気晴らしになるだろう」

 そういえば天音を外に誘うのが本来の目的だったことを思い出したかのように薙は天音を誘う。

「ですが、私が居ても邪魔ではなくて。気まずくなってしまうだけですわ」

「まぁ紗月も悪気があって怒ったわけでもないんだし、謝ればわかってくれるさ」

「謝ったところで彼女は私を許してくれるかしら…」

 昨夜の一件で天音は、紗月を完全に怒らせてしまったことを思い出し、場の空気が悪くなってしまうのを心配する。

「そこは隊長の俺が保証する!確かに紗月って口が過ぎることもあるけど、あれはあれで優しいところもたくさんあるんだよ」

 落ち込む天音に、薙は手を差し出す。根拠なんてひとつもないが、紗月がどんな人間なのかは誰よりも把握しているつもりでいた。

「薙…分かりましたわ」

 今まで一匹狼だった天音だったが、自分にここまで尽くしてくれることに少し歯がゆさもあったが、その反面でうれしくも感じていた。部隊から外れてくれと言われたらまた振り出しに戻るだけ。

 結果はどうあれ、今回だけは彼に託してみようと思い、天音は薙の差し出した手を握り返し立ち上がる。

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