第8話 開戦

 任務を受けた翌日の早朝。

 薙が率いる第4小隊は、アマテラスが所有する軍用車両で所沢市を目指していた。

 千里との話し合いを終えてすぐに、急ピッチで武装や道具の準備を行い、軽いミーティングをした。その後、解散した頃には夜も更け、身体を休める時間も大して設けることができず、今に至る。

 火天支部のある横浜市から所沢市までなら距離でみれば近いように感じられるが、アヤカシの発生以降、交通インフラが整っていない場所が多い。

 主要道路や高速道路もあるにはあるのだが、封鎖していたり瓦礫で塞がれている箇所もあるため、大回りに迂回うかいしていかないと進めず、移動に時間が掛かる。

「そういえば、今回の任務期間って3日あるんだろ?早く終わったら何か美味うまいもんでも食いに行こうぜ」

 助手席でくつろぎながら地図を片手にのんびりしている左近が、運転席の薙に話しかける。この部隊の中で運転免許を持っているのが薙と左近だけで、行き帰りを交代で運転をしている。

「まぁ、早いとこケリが着けばな…」

 左近の会話を面倒そうに聞き流しながら薙は運転に集中する。

 そんな退屈な運転とおまけに左近の下らない会話に付き合わされている薙は、バックミラー越しに後部座席に座っている他のメンバーの様子をチラチラと見る。

 薙の真後ろに座っている紗月は、口に棒付きの飴玉をいれ、背もたれと座席を思いっきり後ろに下げ、リラックスした体勢で携帯端末をいじっている。おまけに足を前の運転席に押し付けているため、時折、薙の背もたれが蹴られているのが座席越しに伝わる。

 そんな紗月の隣では、天真は行儀の良い姿勢で術師の教本のようなものを熱心に読んで勉強している。

 さらに後ろの三列目の座席には天音が目を閉じて座っている。ぱっと見では、寝ているようにも見えるが、呼吸の仕方や姿勢からして瞑想めいそうをしているのだろう。


 支部を出発して2時間弱、目的地である所沢に到着した。

 アヤカシの発生源である東京に隣接していることから、アヤカシの発生率は比較的高く、依頼を受けることも多いため、初めてという訳ではないのだが。

「なんとも殺風景な場所ですわね」

「何度か任務で来てるけど、アヤカシが現れてからは何も変わらないな…」

「ここいら一帯も昔は結構栄えてたんだがなぁ。今じゃ見る影もないぜ」

 瞑想を終えた天音は軍用車両の窓ガラス越しに外の風景を眺めると、そのあまりにも雑然とした景色に小さな言葉がこぼれる。

 現在の所沢には過去の繁栄した姿はなく、荒廃した街が続いていた。

 東京が”死のみやこ”と呼ばれるようになってから、アヤカシの被害は近隣の都市部にも被害を出すようになってきている。

 それは所沢も例外ではなく、アヤカシの発生率は年々増加傾向にあり、政府も所沢への援助をおこなってはいるものの、生活インフラを整えることすら困難な状況にまで陥っている。

「これからどうするのです?」

 目的地に着いたのはいいが、これからどうするのか天音が問いかける。

「そうだな。まずは依頼主のところに行って、話を聞いて来るとするか。一息付きたいのは山々だけど、後に回すのもそれで面倒だし、休憩は後回しだな」

 そう言うと薙はそのまま車両を走らせ、依頼主のいる役場へ向かう。

 今、薙が運転している場所は居住区と呼ばれる、人が集まり住んでいる場所なのだが、居住区というにはあまりにも陰湿な場所だった。

 多くの建物は外装が剥がれて、コンクリートがむき出しになった、まさに廃墟のような建物が多い。そして、その廃墟をベニヤ板や木材等で補強して、無理矢理住めるようにしている様は、まさにスラム街と呼んでも過言ではない。

 そのような居住区に隣接して建っている小さな事務所のような建物。立場上は役場のようなものだが、やっていることは”街の便利屋”程度のものと言って差し控えないものだ。

「第4小隊の方たちですね?いつもお世話になっております!」

 今回の依頼を出したのはここで働いている男性職員だった。彼とは面識があり、何度か依頼を受けていて、信頼されている第4小隊のお得意様に当たる。

「今回相手にしてもらうアヤカシなのですが、少々やっかいな状況になっておりまして…。あ、立ち話も何ですし、こちらへどうぞ!」

 薙達は事務所の小さな応接室に案内されて、詳しい話を聞く。

「それでは今回、討伐してもらうアヤカシなのですが、こちらになります」

 先ほどの男性職員は、テーブルの上に煎れたばかりの粗茶と、そして今回のターゲットとなるアヤカシの情報が載っている資料を手渡した。

「事前に聞いていた通り、邪猿じゃえんと、それに従える小型のアヤカシが数体か」

 彼の話では、今回の討伐相手は事前情報のとおり『邪猿』という中型クラスのアヤカシなのだが、男性職員は深刻そうな口調で話を進める。

「奴はすでに多くの下級アヤカシを従えて行動しているようで、が進んでいるように感じます」

「なるほどな…」

 縄張りを持った邪猿は勢力の拡大と防衛のために小型のアヤカシを従えて人間に被害を及ぼす。

「つまり、これ以上ほっておくと近隣にも被害が出るってことだな」

 話の経緯を聞いて左近が結論をだす。

「これ以上奴を放っとく訳にはいきません。なんとしてでも討伐をお願いしていただきたく、今回あなた方を指名しました」

 スラムを代表して男性職員は精一杯、薙たちに頭を下げる。普通の暮らしさえままならない彼らのような貧民層にとって、ここはなくてならない場所なのだ。


 話が終わった第4小隊は来客用に用意した宿に案内された。元はビジネスホテルだったらしいが、廃業した建物を再利用して、来客用に数部屋ほど管理しているらしい。

「あまり綺麗とは言い難いですわね」

「贅沢はできないさ。ベッドと布団があるだけまだマシなもんさ」

「申し訳ございません。大層なおもてなしもできず、このような部屋しか用意できなくて」

 そうは言ってもここは貧民層が集まるスラム街の一角。

 そこまできれいに管理されている訳でもなく、小汚いベッドとテーブルが置かれているだけで、それといって何かある様子でもない。

「決してきれいな場所ではありませんが、どうぞおくつろぎください」

 申し訳なさそうに役場の職員はそう言って、ホテルの鍵を3つ用意してくれていた。

 部屋は全員が集まるには最適な大部屋と、ツインとダブルの部屋が一部屋ずつ。

わたくしはこの部屋を使わせていただきますわ」

 薙が部屋割りを決めようとしたら、天音は勝手にダブルベッドのある部屋の鍵を受け取り、すたすたと部屋に向かって行った。

「ちょっと待ちなさいよ!3部屋しかないんだから勝手に決めないでよ!」

 身勝手な行動をする天音に対して、紗月が口を出すも、天音は先に行ってしまっていた。

「自由気ままなお姫様だね〜。まぁ俺っちと薙は大部屋使うとして、おふたりさんはどうする?」

 またも勝手に部屋割りを決められ、薙は一言反発しようと思ったが、呆れて任せる事にした。

「僕も薙センパイたちと同じ部屋で――」

「じゃあ私は天真と一緒でいいわね?」

「えっ!?ちょっと待ってください〜!」

 天真が薙と一緒の大部屋を選ぼうとしたら、紗月の言葉と被さって、天真は紗月に押し切られてしまった。小柄な容姿ではあるが天真も今年で15歳になる。男女の関係も年相応、分かって来ている年頃といえる年齢だ。

 さすがに同僚の女の子と一緒の部屋は恥ずかしかったのか、男だけの部屋を選びたい気持ちはあったのだろうが、紗月の方が気にしていない様子で、天真は引っ張られるように奥へと進んでいった。

「まあ、俺たちも夜に備えて休むとするか」

「そうだな。スマンな天真…」

 左近がそう言って、薙も後を追うようにフロントを後にする。


 時刻は午後10時を回って、辺りは闇夜に包まれた。場所はスラムから1キロ少々離れた廃墟群が今回の戦地となる。

「今回のターゲットは邪猿じゃえんが一体だけだが、情報通り他の小型アヤカシが多い。各自、油断は禁物だ」

 今回の目的である邪猿は警戒する様子もなく我が物顔で歩いている。体格はずっしりとした見た目で、大きさは2メートル近くある巨体だ。だがその見た目とは裏腹に、その名の通り猿のように機敏な動きをみせる。

 邪猿の周辺には小型のアヤカシが数体、邪猿を守るような感じに彷徨さまよう。

 薙が物陰からアヤカシの行動を見つつ、各員にインカムで状況を伝える。

「目的の邪猿の姿を確認」

 他のメンバーよりも少し遠くで、紗月は小型の偵察用ドローンで邪猿の姿を見つけた。

「ここからじゃ障害物が邪魔でターゲットが確認できないな。俺っちは小さいの相手にしながら移動していく」

 紗月の情報を元に左近がインカムで行動を伝達する。いつもはおちゃらけた感じの左近も作戦時は意外にも真面目で、臨機応変に行動してくれて助かっている。

「作戦前にも伝えたけど、あんた。今回は慎重に進めないといけないんだから勝手な行動はやめなさいよ」

「はあ…分かってますわよ。まったく、何度もネチネチと」

「何ですって〜!あんたがいちいち変な行動起こすからでしょ!?」

 紗月は作戦前から何度も天音に対して言っているようで、さすがに天音も呆れて命令を聞く事にしたようだ。

「あまり大声で話すな。敵にバレるぞ」

 気のゆるみを戻すように薙が2人に注意をする。今回の任務はいつも以上に期間が短く失敗が許されない。この戦いでケリを付けれたら、と薙も感じている。

「こちら天真。式神しきがみの準備が整いました」

 別の場所で準備をしていた天真から報告が届く。

「それじゃ、作戦開始と行きますか!」

 薙の号令で全員が動き出す。

 はじめに動いたのは左近だった。突如として静かな廃墟に銃声が響き渡り、周りに緊張が走る。

「まずは一匹!」

 邪猿の近くにいた、大きな目玉の形をしたアヤカシに左近の放った銃弾が当たり破裂と同時に絶命。急な襲撃に邪猿も警戒し、辺りを見渡し守りの構えに入る。

「出番だよ、影狐えいこ!」

 天真の放った、小さな狐の形を模した式神・影狐が素早く地面を走り、邪猿とその周りにいるアヤカシに斬りかかる。影狐は口元が鋭い刃のような形状になっていて、アヤカシを切り裂く。

「遅い!」

『−−−!!?』

 猿王が背中を向けようとした瞬間、物陰に隠れていた薙が全速力で邪猿に向かう。

 だが薙が斬りかかるよりも先に、邪猿に従えていたアヤカシが壁になり立ちはだかる。

「天音!周りの小さいのを頼む!」

 薙が近くで待機していた天音に命令をする。

「まったく、仕方がないですわね。行きますわよカイム!」

「承知した」

 天音の声に応じた神魔じんまカイムが攻撃態勢に入る。カイムは周囲に蒼い雷を帯び、咆哮ほうこうと同時に雷を解き放つ。

『!!!』

 解き放たれた一閃は周囲のアヤカシを消し炭にした。あれだけ紗月に念を押されただけあって、いつもよりも加減してあるようだが、それでも威力は充分にあった。

 作戦当初、天音の攻撃を邪猿に向けて放つ計画もあったが、動きの素早い相手には逆に隙を見せてしまう可能性もあったし、なによりも最前線で戦っている薙に被弾してしまう恐れもあることから計画は白紙になった。

「もらった!」

『ギャー!ギャー!』

 カイムの攻撃で怯んだ隙に、薙が右手に構えた鉄丸くろがねまるで邪猿に斬りかかる。だが攻撃は思ったよりも浅く、苦痛な叫びを上げながら暴れだす。

「くそ!動きが速くて狙いが定まらんぞ!」

 カイムの攻撃を目の当たりにした邪猿は、勝てる相手ではないと察したのか、近くにいる薙を払いのけ、逃げ足が更に速くなる。左近も狙撃を試みるも不規則的な動きについて来れず結局一発も当てる事ができなかった。

「先ほどの隙で倒せたのはなくて?さっさを追いかけますわよ!」

「すまない。次は確実に仕留めてみせる!」

 結局その日は小一時間、辺りを詮索せんさくしたが邪猿の姿は見当たらなかった。

 一旦奥の縄張りに戻ったと考えるのが妥当で、これ以上の索敵はエリア外のアヤカシと遭遇してしまう恐れがあるため今日のところは中断した。

「まったく、呆れましたわ。私の支援がありながら、あの程度の相手も仕留めれないのですか?」

「ちょっとあんた!いくらなんでも言い過ぎよ!」

「いいんだ。自分で言っておきながら…。すまない」

 天音の発言に、薙も少々頭に来るところがあったが、仕留めることができなかったのは事実であり、反論してもぐちぐち言われるのが関の山だと思い、あえて言い訳はしなかった。

「天音ちゃん。そんなに言ってやらんでくれよ。薙助もなにか考えがあって動けなかったんだろう。俺も上手くサポートしてやれなかったんだから、気を取り直してまた明日だ」

 任務の期間は決して長い訳ではなく、一日でも早く討ち取りたいという思いで自棄になっているのかもしれないが、マイペースな左近にこの場は助けられた。

「まったく…。次は頼みますわよ」

 天音も少し言い過ぎたと思ったのか、それともただ単に呆れられたのかは分からないが、その場はなにもなく収まった。

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