第3話 邪鬼の力

「降参しよう…。こんなの始まる前から無理だって分かってただろ」

 神魔じんま使いの、天音あまねの圧倒的なまでの強さに、戦意を削がれたなぎの姿を見て、観客席に座っていた左近さこんが、突如前に歩き出してグラウンドにいる薙の前に何かを投げこんだ。

 降参の合図をしようとした薙だったが、投げ込まれた箱を見た途端、今までにないような険悪な表情で左近をにらみつけて叫ぶ。

「左近、これはどう言うつもりだっ!冗談もほどほどにしろってんだ!!」

 近くで戦っていた天真も、左近の隣で見ていた紗月さつき千里せんりも、投げ込まれた箱を見て驚きを隠せない表情だった。

があれば勝てるんじゃねぇか?」

 だが左近だけは、いつもと変わらない表情で薙を見つめる。

「ふざけるなよ!こんなことのために、を使えっていうのか!?」

「2回だ」

「はあっ!?」

 意味の分からない左近の返答に、薙は意味が分からないと言った様子で左近を見る。

「2回分、俺のおごりだ。それでどうだ」

 本当に意味が分からなかった。左近はなにを思ってその箱の中身を使えと指示したのか。

 左近の言う『おごり』とはつまるところ、休暇の日に2人で飲み歩く時の代金のことだろうと薙は瞬時に理解した。

「そういうことを言ってるんじゃないんだよ。どうしてコイツを使ってまでやらなきゃいけないんだって言ってんだ!」

 さすがに薙も左近の言葉に怒りを覚えてきた。長年一緒にいたつもりでいたが、未だに左近の素性がみえない。

「お前も見ただろ、あの力をよ…。あれなら、負けねぇ。なぁ、そうだと思わねぇか?」

 一体左近は、天音に何を求めているのか。心の内までは掴めないが、左近の言っていることも一理ある。

 神魔じんまの力を手にいれることができれば、例えどんなアヤカシが相手でも負けるはずはない。

 薙は左近の言葉に返す言葉がないと言わんばかりに数秒の間、沈黙が続く。

「なぁ天真てんま、今度飯にでも行こうか。何か食べたいものはあるか?」

 左近との会話で疲れ切ったのか、ついに薙までも意味の分からない言葉を言い出す。

「えっと、そうですね。久しぶりにお寿司が食べたいですかね。って、薙センパイ!?もしかしてを使うつもりなんですか!?」

「そうか、寿司か。なら今度の週末にでも回ってない寿司でも食べに行くか。勿論、全部アイツのおごりでな」

 そう言った薙は、左近が投げた鉄の箱を手に持ち、中を開ける。

 箱の中には篭手こてのようなものが納まるように入っていた。その篭手は漆黒をまとった禍々まがまがしくも不気味な存在感をかもし出している。

「マジかよ!?金足りるかなぁ」

 薙の言葉に別の意味で動揺する左近。

「あんた馬鹿じゃないの!?千里せんりさん。こんなのルール違反ですよ!今すぐ止めさせてください!」

 紗月が左近の胸ぐらを掴んで反発する。

「そういえば千ちゃん。この勝負、武器の投げ込みはルール上大丈夫だったかな?」

 何も考えてなかった左近に、呆れた表情をみせる千里。

「本当にお前は予想外なことをしてくれる…。まぁそんなルール決めてなかったし、いいか。どうせ、こうでもしないと勝てる相手じゃないだろ」

 そして、にやりと笑みを浮かべて千里は言葉を続ける。

「まあ、お前たちが勝って、北御門きたみかどが部隊に入ってもらった方がこちらとしても好都合だ。あいつの次の就職先探すのも面倒だしな」

 本音がだだ漏れている。一応天音の行動には千里も骨を折っていたようだった。多分、何度も上層部から言われていたのだろう。


「この力を使うのも随分久しぶりだな…」

 薙は篭手を眺めながら小さくささやく。

「結構痛いんだよなぁこれ。程々にしてくれよ」

 独り言をぶつぶつ言いながら、薙は手に持っていた篭手を右腕に装着する。

「あの方、この期におよんで、何をするつもりかしら?」

 遠目で薙たちの行動を眺めていた天音は降参の合図を待っていた。

「何かやるなら早く終わらせてくださるかしら?わたくしだって暇ではないのよ」

 気を抜いた表情で薙を見つめる天音。

「−−−!?」

 すると突然、今まで天音の隣で大人しく待っていたカイムが今まで見たことのない様な険悪な表情になる。

「どうかしましたの、カイム?」

「な、なんだこれは!?今まで感じたことのない気配を感じる。あるじよ、気を抜くな!あやつらめ、何か仕掛けて来るぞ!」

 カイムの身体は強張って全身の体毛が逆立っている。そんなカイムの様子に天音は驚きを隠せなかった。なぜなら今までこんな顔をしたカイムを天音はみたことがなかったからだ。


『「ぐっ、ぐあアアアあああ!!!」』

 薙のいる方から大きな悲鳴が響く。

 薙は右腕にめた篭手を強く抑え込みながら痛みを我慢する。全身の皮膚から汗がにじみ出る。眼球も充血して、どこを向いているかも分からない。

 あまりの苦痛に鼻血が垂れ、口からも唾液がしたたる。もう周りの声も聞こえてなどいない。

寄越よこセ!身体からだ!我ニ寄越セ!』

 だが薙の頭の中には、だけが脳に響く。きっとこの篭手が言っているに違いない。そう薙はこの篭手を付けるたびに感じている。

『「失セろ…耳障りなんダよ…!いいかラ寄越せ、その力っ!」』

 痛みな耐えながら薙は頭の中で叫ぶと戦う。

 その姿をみた天音とカイムも、今までの余裕な表情はなく緊張が走る。何が起こっているのか、ひたすら薙を見つめる。

「この霊力れいりょく!?あの男、本当に人間か!?」

 カイムが理解できないといった表情で天音に問いかける。神魔のみが感じ取れる霊力と呼ばれる力に、カイムはただ驚くことしかできないでいた。

「そんなの知しませんわ!何なのです、これは!?」

 とうとう天音も考えがまとまらなくなった。今まで普通の神威かむいだった青年からは、出ていい気配ではないものを出しているのだから。

 苦しみが収まったのか、悲鳴を上げるのを止めてゆっくりと歩き始める。

『「−−−!!」』

 それは一瞬の出来事だった。薙がアヤカシの群れに勢いよく走りだした。しかもその足の速さはもはや人間業ではない。

 光の如く速さで駆け抜けた先にいたアヤカシは、無惨にもバラバラに砕け散り絶命。

「なにが起きたの!?」

 薙の動きを見た天音が驚き、咄嗟に言葉が漏れた。

 一直線に走り抜いた先には、先ほどカイムが放った雷とよく似た痕があった。しかもその攻撃はカイムの攻撃をも圧倒していた。

 もはや倒した敵の数など数えることもできないし、今の薙がいちいち数えているとは思えない。

『「−−−!!」』

 薙はまるで殺戮さつりくマシーンの如く、アヤカシの群れに向かっては殺し、向かっては殺しを繰り返している。

 手の甲はアヤカシの血で黒く染まって、見るに耐えない見た目をしている。

「あ、天音っ!」

 カイムの突然の言葉に、放心状態だった天音は我に返る。そういえば今は勝負をしていたのだと思い出し、カイムに攻撃の指示をだす。だが、心に迷いがある天音はカイムの力を発起することができないでいる。

 神魔使いと神魔はお互いに息を合わせないと強力な力を発動することができない。いくら強力な神魔を従えていても、肝心の神魔使いが未熟では力も落ちる。

 充分に神通力じんつうりきを送ることができないカイムの攻撃は今までの攻撃が嘘のように弱いものになっている。

「主!呼吸を整えよ!それでは狙いが定まらぬ!」

「わかってますわ、そんなこと!」

 口では強がっているが天音の心は不安で押しつぶされそうだった。

 天音たちが慌てている間にも薙は残りのアヤカシを次々と一掃して行く。もう大半のアヤカシは薙がすべて倒した後だった。

「だめ…狙いが!」

 集中できない天音はカイムの攻撃を制御できずにいる。カイムの放った雷はアヤカシのいない空虚を裂く。

 アヤカシをすべて倒した薙は虚ろな目で立ち尽くす。

「主!攻撃を止めよ!敵はもう奴が片付けた!」

 だが天音は攻撃を止める指示を出さないでいる。これはただの動揺ではなく、過去へのトラウマが蘇ってのものだった。

『期待しているぞ天音。お前は北御門を支える唯一の女だ』

『そんなことも出来ないで神魔使いを名乗るつもりか!さぁ立て!』

『なんだこの様は!家元に恥をかかせるつもりか!』

『お前はひとりだ…。だれもお前を愛してくれる者なんていない!』

『天音…。ごめんなさい…』

 神魔使いの家元。幼少期から厳しく育てられた天音は常に完璧を求められた。

人前では常に完璧を求め、日々血の滲むような鍛錬をおこなって来た。誰にも負けないという偽りの仮面をかぶって、弱さやみにくさなんかはすべて心の底に隠してきた。

 天音は自分が負けるという不安に飲まれて我を忘れている。

「これはまずいな…」

 予想外の反応にさすがの千里も不安な声を漏らす。

 カイムの電撃がグラウンドの周辺を壊す。油断したら灰にされてしまうと悟った観客席の3人も攻撃が届かない場所に避難する。

 一緒に戦っていた天真も、攻撃が届かない範囲で薙と天音を見つめる。だが薙だけは獲物を失って立ち尽くす。

『「−−−−」』

 もはや、どうにもならないと誰もが思った次の瞬間。目的を失ったロボットのように立ち尽くしていた薙が天音に向かって走り出す。

「いや、来ないで!」

「止せ天音!そいつは違う!」

 こちらに向かって来る薙に、天音はカイムの電撃を向ける。

「薙センパイっ!!」

 奥で見ていた天真が叫ぶ。

 砂埃が立って何が起こったのかが分からない。


 数秒後、砂埃が晴れ、薙と天音の姿が確認できた。

 薙は天音に股がるような体勢で抑え込む。

「だ、大丈夫か…?」

 薙の右腕からは篭手が外されて正気に戻っている。

「えっ?」

 天音も我に返ることができたが、この状況に頭が追いついていない様子だ。

「よ…よかった…」

 そう言った途端、薙の体から力が抜けて天音の体を押しつぶす感じに倒れて意識を失う。

「なっ、何なのよ一体…」

 あまりの出来事の連続に天音は未だに状況がのみ込むことができないでいる。

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