最終話 譲らない、譲れない
『要らないならこの手、美乃梨から離して』
そう言った瞬間、わずかに力の入った美乃梨の左手に希望を託す。俺が好きだって伝えた途端に頰を伝った涙が、今も途切れることなく溢れてくる。
それが、嬉し涙ならいいのに。
伝えるべきことは全部伝えた。
「次の彼女作らないの?」って明るく聞く美乃梨に答えは半分出てたのに、境界が曖昧だった幼馴染の一線を越えたくなった。
たった一度のキスで始まる現実は、お伽話みたいな永遠の幸せじゃなく、きっと長い苦しみなのに。
何度も「柊二が好き」って口にする美乃梨がはっきり答えをくれたのに、身勝手でも本当のことを知って欲しくなった。
何一つ俺の想いを言わないまま、届かない心を隠し続けるのは痛いから。もう二度と、カノジョなんて作る気はないから。
誰よりも、何よりも、美乃梨が好きで大切だってことだけは、忘れないでいて欲しくて。
今になって、全身が震えてるのに気付く。
この胸の鼓動が俺の全部をさらけ出して、好きだ、応えて欲しいって美乃梨に向かって切願する。
望みは無い。
分かってる。
きっと美乃梨はこの手を離す。
今日でちょうど十七年。毎日見てきたから。美乃梨が傍にいて欲しい相手が、これから先、助けて欲しい相手が佐和だって分かってしまう。
それでも、もう要らないって言われるまではあがいていたい。
「ダメって言ったら、
簡単に離れてしまうことの無いよう、さっきよりもしっかりと手を繋いで階段を下りる。
一段。また一段。
一階まで来ると、いつか「
お互い無言で玄関へと向かう。俺の後ろで少し抵抗を感じる美乃梨の足取りは、迷ってくれているんだろうか。
けれど。
俺の家のリビングに着くまでには、分かり切った答えを受け入れなきゃならない瞬間がきっと来る。
来て、欲しい……。
そうじゃなきゃ明日、美乃梨を笑顔で送り出せない。
佐和に美乃梨の全部を預けられない。
それくらいの決心つける時間は欲しい。その間位、手を繋がせて欲しい。
本当は手を離さなきゃならないのは、美乃梨に選ばせるようなまねさせてる、いつまでも子どものままの俺の方なんだから。
「……壮空、このままで入るの?」
俺の家の前で、美乃梨が初めて聞いてきた。振り返って美乃梨を見る。止まらない涙を自分で拭う姿に、胸が痛んで抱き締めそうになった。
でも、もうできない。
口では覚悟決めたようなこと言っといて、美乃梨のそんな姿を見たら脆く決心が鈍る。心が揺らぐ。
本当にこの手を離されたら、そしたら俺は、黙って佐和に美乃梨を頼めるだろうか。惨めに、泣いて縋ったりするだろうか。
それでも、自分の気持ち伝えた時点でもう後には戻れない。そこだけは揺るぎようがない。
もう一度黙って手を引いて、俺は歩き出した。外気温の低さなんて感じない。白く弱々しく漂う息を見て、美乃梨が寒くなければいいとだけ背中越しに思う。
玄関で美乃梨がブーツを脱ぐのを待ってやる。震えてるのか脱ぎにくそうな様子に無言で手を貸してやった。
顔を見るのが怖い。
美乃梨が小さく鼻をすする音に、堪らずカットソーの腕で涙だけ拭いてやる。
「壮空……」
消え入りそうな声の美乃梨と目が合う前に、もう一度立ち上がって歩き始める。見慣れたはずの自分の家が緊張で全く知らない場所に思えてくる。
廊下を通り、リビングへと通じる最後のドアまで来た時、
「やだ……」
今度ははっきりとした美乃梨の声がして、後ろ手に美乃梨が立ち止まったのが分かった。
繋がれた手から、全身が冷たくなっていく気がする。何の否定? 非難され、そのまま拒絶されるんだろうか。
ゆっくりと後ろを向く。
俺のコートにすっぽりと包まれた美乃梨が、顔を伏せて泣いている。
俺の後ろ、閉じたドアの向こうからは、暖かな空気と微かに親たちの笑い声が流れて来る。どこかこちら側とは違う世界のように。
「な、にが……?」
掠れた問いが出た。繋ぐ手の力加減が自分で分からない。
もう俺なんか要らないって言われたら。
そしたら、そしたら俺は……。
片手で目元を隠す美乃梨が、口を開いた。
「要らないなんて、思うわけないじゃん……っ。分かんないよ。この手を離したら、私は壮空が嫌いってことになるの? もう一生、話しもしてくれないの? 離さなかったら、壮空の彼女になるってことなの? 壮空の傍にさえいられなくなるのなんて、私だって嫌だよっ。でも、誕生日のことも、しゅ……佐和とのことも、傍にいられるかどうかも、手を離す離さないで全部決まるの? そんなの、どうしていいか分からない。怖くて、今すぐどっちかなんてできないよっ」
ありのまま美乃梨が訴えてきた。
俺が怖がってたことを嫌だと否定してくれて。
柊二を佐和って言い直してくれて。
——俺、一番大事なこと忘れてた。
ぐっと美乃梨の手を引いて、リビングへと続くドアを開けた。
「……そ、らっ?」
「えっ? ちょっと何やってんの、あんたたちっ?」「壮空っ、お前、美乃梨ちゃんに何した!」
驚く美乃梨にも親たちにも構わず、繋いでいた手を離した。
俺から。
がらんと空いた手を見つめる美乃梨。どうしてって顔に書いてある。
ごめん、美乃梨。
本当の俺は全然かっこ良くなんてない。
ダサくて、自分勝手で、いつまでも未練がましくて、ただ、美乃梨が好きで。
できもしないのに、美乃梨の全部を守ってやりたくて。
どうしようもなく、美乃梨が好きだから。
いつでも、俺の隣で笑っていて欲しかったんだ。
「俺が、泣かせた……っ」
だから、俺が泣き止ませる。
美乃梨を抱き締めて。強く強く抱き締めて。
俺は、俺は美乃梨が好きだから。
もう誰に知られても構わない。
誰にも隠したくない。
佐和に知られたとしても、謝る気も、臆する気も、ごまかす気も一つも無い。
「……ごめん、おじさん、おばさん。その服、全然似合わねーってちょっとキツく言い過ぎた。ホントはすげー似合ってたのに、美乃梨が可愛過ぎて正直に言えなかったから。だから、俺が責任取ってちゃんと泣き止ませる」
「ええ? 美乃梨、そんなことで泣いたのっ?」「ていうか、あんたたち、いくつになっても小さい頃のままねー」
母親たちは呆れて、父親たちは若干複雑そうな顔で見てくる。それでも俺は全然構わない。
「ごめん、美乃梨。これからも俺、ずっと傍にいていい?」
そっと囁くと泣きながら美乃梨が頷く。
抱き締める腕に力が入る。頭を撫でる。
美乃梨の髪からほのかに、俺が好きだって言ったシャンプーの香りが心までくすぐってくる。
「……なぁ? 俺たち明後日、隣街に新しくできたクリスマスツリー見に行っていい? 夕方の誕生日会までには帰るし」
美乃梨が懸命に顔だけ動かして俺を見る。撫でる手を止め両腕で抱き締めまま、美乃梨の頭越しに俺だけ両親たちの方を向く。
「おー、いいね、じゃあみんなで……」って言い掛けた親父を遮り、続けた。
「俺、たまには二人で行きたいんだけど」
美乃梨が小さく反応したのが分かった。それ以上に、俺の心臓の方が余裕無く乱れてるの、美乃梨は気付いてるよな。顔にはほとんど出ないだけで。
美乃梨が近くにいると、いつもこうなのに。
「美乃梨に、見せてやりたいから。誕生日だし。俺がちゃんと守るし、行ってもいいよな? 高校生にもなってそんなとこ親同伴で行く方が恥ずかしいし」
これは佐和への宣戦布告。
明日は譲る。
でも、今度会ったら正々堂々言うから、そしたらもう誰の前でも遠慮はしない。
「せっかく許可出たし、行こ、美乃梨。右に置いてあった
「あれは、普通の水色だよ」って言いつつ、美乃梨の目からまた涙が溢れる。
あー、だから、俺は笑って欲しいんだって。
「……でさ、今年はサプライズで親たちにクリスマスプレゼント渡すってどう? ツリー見に行くついでに店寄ってさ。二人からって、サンタコスとかして。明日の夜、作戦会議しねー?」
俺の耳打ちに、美乃梨が泣き笑いの顔で「うん!」って答えた瞬間に掴まれた服の裾が堪らなく愛しくて、今度は本当のキスがしたくなる。
明日行くなって言いそうになる。
後でメッセージを送ろう。
なるべく早く帰って来いよって付け足して。
おじさんが帰ろうかって言い出すまで、今日はもう泣き止んでも離してやらない。
美乃梨に届くまで、かけ引き無しで、俺は美乃梨が好きだって言い続ける————。
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