第19話 後夜祭のジンクス

 十一月上旬。実行委員で円陣組んで「新しい未来へ」をテーマに、秋晴れの下、いよいよ文化祭が始まった。正門前のアーチでは、青と白のバルーンアートと、私と佐和で作成した大きな羽根を広げた少女が光輝く天上へ向けて両腕を伸ばすモザイクアートが出迎える。校内は中も外もお祭りムード一色になって、誰もが心踊ってる様子。


 その中を走って教室まで戻ると衣装とメイク係の子が「早河さんっ、佐和君っ、早く着替えてー」って待ち構えてた。開始早々、二人で校内を一回りしてアピールする作戦。私たちは急いで制服を手渡す。


「あ、そうだ、佐和。私、ネクタイは壮空そらに借りたから。だから佐和のは無くさないように持ってて」


「えっ? ……あ、そう、なんだ」


「どうかした?」


「そっか、そうだよね。ごめん、気が利かなくて。制服も真中君に借りれば良かったね」


 自分のネクタイを受け取りながら、佐和が顔を伏せて笑う。そもそもネクタイは男女兼用だから別に交換しなくてもいいんだけど。


「佐和?」


「そんなの、もう絶対……」


「佐和っ」


「あっ、ごめん。何?」


「今から借りに行ってる時間無いし、だいいち壮空の制服、私には大き過ぎるの。裾とかどんだけ捲ればいいのってムカつくから絶対借りないよ」


 私の言葉に今度は微妙に顔を曇らせる佐和。


「うん、僕のはほとんどそのまま着られるもんね……。すき焼き食べたら僕も背が伸びるかな?」


「そんな訳ないでしょっ」


 校内を回って帰ると既に教室前には列が出来ていた。佐和とプラカード持って歩いてると「あの二人誰っ? 特にあの美少女!」ってかなり注目浴びてたから効果はあったみたい。お互いの姿に照れながらも笑い合う。でも、


「あっ」


「早河さん、どうしたの?」


 丁度うちのクラスに向かって来るお客さんを見て私の足が止まった。「美乃梨!」「美乃梨ちゃんっ?」って驚きの表情で寄って来るのは、


「おじさんっ、おばさんっ、お父さんたちも……来て、くれたんだ」


 壮空と私の両親たち、それから、


「美乃梨、それ誰意識してんの?」


 和装姿の壮空だった。私に一番に気付いたのも壮空。そう言えば今日、お父さんたちの案内を壮空にお願いしてたっけ。壮空の和装はすごく見たいっ。でも、両親にも壮空にも、この格好じゃない時に来て欲しかった!


「……私じゃなくて衣装とメイクの子が勝手にっ」


「だから誰?」


 しつこく追求してくる壮空と「壮空、あんたも女装しなさいよっ」て言いつつ写メ撮りまくってる両親たち。私は真っ赤になって壮空を睨む。悔しいから絶対に引かない。


「そ、壮空だけど、文句あるっ?」


 精悍な目元にマスカラも重ねて、頭にはサラサラの茶髪のウイッグ。軽く着崩した制服は本当に目を開けたら「真中君イメージしたから」ってドヤ顔で言われて私も驚いたんだからっ。そりゃ身長は足りないけどっ。


 私の答えを聞いた壮空が、また不意にネクタイに触れてそれを口元に持って行った。近過ぎる距離に戸惑いを隠せない。その行動にも。


「……だそれ、……い過ぎ」


「な、何っ? 苦情なら……」


「ばーか。一生その格好してろ」


「なっ、何でバカ? どういう意味っ?」


 一瞬見えた壮空の笑顔はすぐに私の前にかざされた手で隠された。「次、俺のクラス行くぞっ」てカフェに入ってなくて騒ぐ両親を連れて、壮空は背を向け強引に行ってしまったから、それ以上確かめようが無かった。


『ん、走って行く』

 あの時と同じ表情だった気がしたけど。


 壮空とまともに話せたのはこの時だけで、「早河さん、接客手伝った方がいいみたい」って次々入る佐和の指示で裏方として忙しく働いてるうちに、あっという間に二日間が過ぎていった。



「……やっと、後夜祭だー。文化祭実行委員ってこんな大変だって知らなかったー。ほとんど休み無しじゃん」


「そう、だね……」


 ぐったりしてほぼ気力だけで動いてる私に対して、黙々とキャンプファイヤーの準備をする佐和。口数も少ないし元気も無さそうで気になった。


「どうしたの、佐和? クラス委員で校内警備の仕事もあったし、さすがに疲れた?」


「う、ん……。いや、早河さ……」


「そこ危ないっ!」


 佐和を遮り響いた警告に、佐和の後ろで崩れかけた木材が目に入った。私は咄嗟に佐和を突き飛ばして、自分は逃げられないなーって冷静に思ってた。

 けれど、突然力強く腕を引かれて、気付いた時には地面に手を付いた状態で上から佐和に守られてた。カランと乾いた音を立てて、佐和の体から二本の木材が落ちる。


「佐和っ? 大丈夫っ?」


 心臓が嫌な音で鳴って、目の前の佐和の顔を覗き込む。そんな私に返って来たのは、


「早河さん、何やってるのっ? 今のは僕に守られててよ!」


 見たことのない位真剣な顔で怒る佐和の声だった。思わず「ご、ごめんなさい」って素直に謝ってしまう。驚きと安堵でじわりと滲んでしまった涙を見て、今度は佐和が「わぁっ、ごめんねっ」て慌てて謝る。


 また理由の分からない鼓動が高まる。心の内から熱くなって、本格的に泣いてしまいそうになった私の頭に佐和がそっと手を伸ばして来た。その時、


「そこー、こくる元気あるなら大丈夫だなー? とりあえず傷の手当てしてもらって来ーい」


 同じくキャンプファイヤーの準備をしてた他の実行委員の声と笑い声が上がった。見ると、木材と言っても本当に薄くて短い板きれ二枚で大怪我になんて到底なり得ない。二人で大赤面した後「ちっ、違いますっ」て言い残し、私たちは慌ててバックヤードに逃げた。


「あ、ありがと、佐和。助けてくれて」


 佐和の腕のかすり傷に絆創膏一枚貼りながら改めてお礼を言う。でも、言うのも恥ずかしい位の場面を演じたことに、二人ともなんだかぎこちない雰囲気になってしまった。


「ぼ、僕こそごめん。変なこと言っちゃって……」


「えっ、う、うん……」


 たぶん、佐和のことだから純粋に思ったままを言っただけなんだろうけど。思い出すと佐和の顔が見られなくて、絆創膏も実は一枚貼るのに失敗してる。


「あっ、ほ、ほらっ、キャンプファイヤーの火着いたよ。き、綺麗ー」


 不自然に席を立つ私。


「……ねぇ、早河さん。知ってる? 文化祭のジンクス」


「えっ? あー、うん。キャンプファイヤー見ながら告白すると……ってやつだよね?」


 ——昨年、壮空を誘おうと思って挫折したし……。でも、何でそんな話。


 ポツリと言い、顔を伏せたままずっと様子のおかしい佐和になんか緊張が高まる。もしかして、佐和。いやいや、まさかっ。


「うん。……あのっ、早河さんごめん、僕っ」


 決意したように勢いよく立ち上がった佐和が、何かを見て固まった。


「佐和……?」


 ビクリと身構えてしまった私が動かない佐和の視線の先を追うと、二人組の女子に声を掛けられてる壮空がいた。今は制服に戻ってるから、あのネクタイは。

 小さく胸が鳴る。


 一年生かな。あの様子はきっと告白だろうなって複雑だけど思う。昨年も見た光景。壮空が一昨日別れたって話はあっという間に拡散したから、たぶん他にも告白した子はいるんだろう。

 私は今朝、疲れ過ぎて寝ちゃってる間に壮空が送ってくれてた「明日も頑張れよ」ってメッセージがあるのに気付いて、スタンプ一個返しただけだなって思い出す。


「早河さん、行っておいでよ!」


「えっ? 行くって、何?」


「真中君のところ」


「壮空って……ええっ? な、何でっ?」


 急な佐和の応援に意味が分からなくて私はただ戸惑った。


「早河さんが素直になれば絶対大丈夫だからっ。昨日、十段受かった僕がついてる!」


「十段って、アプリはあれほどっ」


「僕は、早河さんの本当の笑顔が見たかったんだ。両想いになった、早河さんの……。それなのに、僕が蔑ろにするところだった」


「何それ、何の話……?」


「ごめんね、早河さん。やっぱり僕じゃ、役不足だったね。ううん、僕なんて全然必要無かった。だから早く行って!」


「佐和、待って」


「ほら、早くっ……」


 つまりは壮空に告白しろって言ってるんだなって分かって、何故か胸がチクリと痛んだ。佐和が見せる笑顔もどこか違和感を感じる。


 じっと見つめ合った後、視線を彷徨わせたのは佐和の方。だから確かめたくなる。


「佐和、本気で言ってるの?」


「……っ」


 言い淀む佐和に私は何て答えて欲しくて聞いたんだろう。でも、今の佐和には応援されたくない。


「佐……」



「……クラス企画、最優秀賞は、二年三組!」


 スピーカーがハウリングを起こす程の大音量で突然クラス名を呼ばれ、私たちは同時に後夜祭のステージ上を振り仰ぐ。いつの間にか後夜祭も最後のプログラムになってた。


「表彰状と副賞の授与があるので、二年三組の実行委員二名はステージ上に上がって下さーい」


 マイクで委員長が呼んでる。


「……ありがた迷惑」


 ボソッと呟いた声がハモってしまってもう一度佐和を見ると、困ったような顔で笑ってる。


「行かなきゃ、ダメかな? 早河さん、誰か別の人と……」


 ——まだ言うか。


「私は上がっちゃダメなの?」


「ええっ、違うよ!」


「じゃあ、行く。私と佐和が実行委員なんだし、誰とも替わらないから」


 さっさと歩き出す私の後を佐和が慌ててついて来る。その時の佐和がどんな表情をしてたのかは知らない。


 それから後夜祭が終わるまでステージで、降りたらクラスメイトに囲まれて、続けて委員長に微妙に謝られて、その後、後夜祭と教室の片付けに追われた私たちはゆっくり話す時間も無かった。

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