第18話 その先は……?

 明日から二日間開催される文化祭の準備もいよいよ大詰めに入った今日、朝からその準備に追われてクラス全体が余裕の無い雰囲気に包まれていた。かく言う私もその一人。

 そんな殺伐とした教室に、チャイムと共に佐和の声が響く。


「みんな、お昼になったし休憩しようよ。続きはまた午後からで大丈夫。これ、先生からの差し入れだから今から配るね。あっ、先生すみませんっ、そこ踏まないで下さいっ」


 全員が担任を睨みつつ、それでも差し入れの水にお礼を言ってお昼を食べ始める。私も一応、床で愛海と並んでお弁当を広げたものの、目は今日やるべきリストから離れない。


「早河さんも力抜いて、一旦休憩しようよ」


 肩をポンと叩かれて顔を上げると佐和だった。いつもの柔らかい笑顔で「順調だから大丈夫だよ」って言われると少しホッとした。素直に「うん」って頷く私を見て、


「なーんか二人、すっごく仲良くなったよねー? 最近、みのりん、あたしといるより佐和ぽんと一緒にいる方が多いしー」


 おにぎり片手に愛海が頰を膨らます。


「そんなことないよっ」


 って、佐和は慌てて、私は平静装って否定したけど、よく考えたら実行委員として一緒にいることは多いんだし否定までする必要は無かったかも。でも、愛海に誘われて何故か隣で一緒にご飯食べてる佐和が気になって、味は良く分からなかった。


 それに。

 今まで全然気にしたこと無かったけど、この二日間で目に入る佐和は何気にみんなに声掛けて回ってるし、差し入れとかもうちの担任なんかより遥かに絶妙なタイミングで入れてくれる。各担当の子が困って相談に来てもみんな笑顔で戻ってくし、制服のこともメリット力説して全員を納得させたのは佐和だった。

 勿論、私も分からないことは佐和に聞いて「こうするといいと思うよ」って笑顔で言われると安心したりして。


 ——意外とみんなに頼りにされてるのかな。




 全員が帰った後の教室で、私と佐和は実行委員の打ち合わせを終えた後、クラスの最終チェックをしていた。時刻はもう午後十時近い。


「今度は間違いない? 大丈夫っ?」


「ちょ、ちょっと待って。あんまり焦らせないで」


 目の前で両手を組み、各種書類とすっかりカフェの内装へと変貌を遂げた教室内を確認して回る佐和の後を、私は祈るように追う。


「……うん、大丈夫。完璧」


 確認を終えた佐和が笑顔で私を見る。


「ホント?」


「うん、本当に」


「やっ、たーっっ!」


 思わず満面の笑みで両腕を上げた私を、佐和がキョトンとした顔で見つめる。学校で一度も見せたことのない姿を見られたことに気付いて急いで手を下ろしたけど、思わず顔が赤くなった。


「わ、悪いっ?」


「あははっ。ううん、悪くないよ。早河さんお昼時間も削ってすっごく頑張ってたもんね。お疲れさま。後は二日間、無事乗り切るだけだね!」


 ——あれ、私……。


 おもむろに、客席と化した椅子を引いて座った私を、佐和が不思議そうに見てくる。


「どうしたの?」


「が、頑張った、から」


「え?」


「私、高校入って一番頑張ったんだけど。何か他に無いのっ?」


「ええっ? 他にって言われても……」


 ——何これ、何、言ってるんだろ。心臓、うるさい……。


 でも、佐和の笑顔を見た時に思ってしまった。もう帰るんだよねって。


 もう少し、一緒にいたいかなって。


 そんなこと言えないからなんか偉そうに言ってしまったけど、時間も遅いし、何より佐和を困らせるだけだ。そっと佐和を窺い見ると、ほら、一生懸命考え込んじゃってる。その姿が可愛くて思わず笑っちゃいそうになるけど、これ以上は可哀想かな。


「ご、ごめん、佐和。何でも……」


「よく頑張りまし、た?」


 佐和に、そっと頭撫でられた。


 まさかの行動に聞かれそうな位心臓が鳴り出して、佐和が触れる度にそこから体温が上昇してく。


 ——何これ、何これ? こんなの私じゃないっ。


 固まって佐和を見上げる私と、緊張して私の頭しか見てなかった佐和の目が合った。また一つ鼓動が速くなって、余計に動けなくなる。


「あっ、ごごご、ごめんっ! 僕なんかがイケメンの真似してっ。ていうか、頑張りましたはまだ早いよねっ? 明日からが本番なのに。えと、えーっと、あのっ、そのっ」


 慌てて手を外した佐和が真っ赤になって焦ってる。可愛いくて、くすぐったくて、照れ隠しに少し意地悪したくなる。


「これ、イケメン何級?」


「えっ? えっと、十段、です」


「あのアプリ、ホントにやめたの?」


「…………………………はい」


 二人の間にしばし沈黙の時間が流れる。先に耐えかねたのは佐和の方。


「やっ、やっぱり僕にはまだ早っ」


「嬉しい……」


「えっ?」


「めちゃくちゃ嬉しい……。頑張って、良かった」


 佐和に触れられた瞬間に生まれた感情は、単純に嬉しいって思い一つだった。それを思ったとおり口にするなんて。こんな風に誰かに本音のまま向き合えたのはいつ以来だろう。

 顔、熱い……。


「う、うん。ありがとう。明日も、頑張ろうね」


 恥ずかしくて机に突っ伏す私の頭を、もう一度佐和がぎこちなく撫でてくれた。えっ、撫でるんだ? って驚きつつも、それだけで明日も頑張ろうって思える。

 何だろう、何だろうこの感じ。


 ふと、佐和の手が離れた感覚に顔を上げると、


「は、早河さん、今日……」


 立ったまま真っ赤な顔で伏し目がちに私の名前を呼ぶ佐和がいた。何だろう。何を言ってくれるのかなって、次の言葉を待ってしまう。何かを期待、してしまう。

 逸る鼓動に手を置きたくても動けない。


「美乃梨。やっぱまだいた」


 突然掛かった声に佐和は「わぁっ」て、私は机をガタンっと鳴らして振り返った。


「えっ、そ、壮空っ? どっ、どうしたのっ?」


「もう遅いし、一緒に帰ろうと思って。帰れるんだろ?」


「内装すげー凝ってんな」って普通に寄って来る壮空に慌てて私は席を立ち、佐和も帰り支度を始めてる。もうこれが何のドキドキなのか分からない。二人とも顔が赤いのは気付かれて無いといいけど。


「でっ、でもっ、彼女はいいのっ?」


「あー、別れた」


「ええっ?」て私と佐和の驚きの声が重なり、思わず視線を合わせて慌ててまた外す。もうこれも、何の緊張なのか分からない。


「あっ、そうっ、そう、なんだ」


「てことで次は佐和のこと狙うから」


「えええっ?」


「冗談だって。ほら、帰るぞ、美乃梨」


「あっ、う、うん。じ、じゃあ、佐和のこと駅まで送って帰ろうよっ」


「佐和を? ……まあ、いいけど」


 何故かしてしまった提案に「良かった」ってホッとして佐和を見ると俯いてる。


「佐和? 佐和っ、帰るよ」


「あっ、ごめん。真中君、今日は柊二って呼んでくれないんだなって、ちょっと寂しくて……」


「はっ?」


「壮空、責任取りなよ」


 いろんなことが一度に起こり過ぎて頭いっぱいだけど、『今日』の続きは何だったんだろうってそれがずっと気になってる。



 ******



 壮空と二人で帰るなんていつ振りだろう。しかも駅まで往復した分、二人きりの時間が長くなって何か喋ってないと間が持たない。壮空が別れたって聞いた時はいつも少し緊張してしまう。でも今日は、いつも以上に緊張してる自分がいる。


「佐和、壮空に送ってもらって喜んでたね。あと、寒いならこっち来いよって言われた時の顔……」


「やめろ。ていうか、全部冗談だって分かってるよな?」


「ええっ、冗談だったのー?」


「その佐和みたいな反応やめろっ。佐和の話ももういい。美乃梨は?」


「え、何?」


「寒いなら俺の……」


「だっ、大丈夫! 今日そんなに寒くないしっ」


 彼女がいない時の壮空の優しさには、過敏に反応してしまう。一歩引いた私に小さくため息を吐いた壮空が歩きながら話し掛けてくる。


「美乃梨、明日か明後日って自由時間ある? 一緒に文化祭回れたらって思ってんだけど」


「えっ、あっ、文化祭ね。えっと、クラスの担当と合間に実行委員で案内係とかあるからあってないような感じだと思う。特に二日目は後夜祭の準備もあるし、終わったら片付けして何処かで着替えてそのままクラスの打ち上げに行く感じかなー。あ、そうだ。明日私、朝早いし、壮空は後でいつもの時間に登校していいよ」


「そっ、か」


「あっ、ごめんね」


「いや、大活躍だな」


「でも、少しでも時間できたら壮空のクラスも見に行くね」


 少し残念そうな壮空に悪いなって思っていると、壮空が不意に立ち止まって振り返った。


「美乃梨」


「う、うん?」


「これ、今交換しとこ」


 言うなり自分のネクタイをさっと外し、壮空が私のネクタイに触れる。


「えっ、ちょっ」


 ——近っ。


 戸惑う私に構わず、壮空が自分のネクタイを緩めに締め直してくれた。


「ん、かっこ良さ三割増し」


 そう言って優しく笑う壮空を見て、淡いリズムを刻む鼓動を感じながら、


 ——これ、何級だろ?


 浮かんだ疑問にふっと笑ってしまった。


「何?」


「あ、ううん。何でもない。佐和のネクタイは明日取りに来る?」


「いや、だから……。俺は美乃梨の使うからいいよ。つっても文化祭中は和装だけどな。それ、間違って佐和に渡すなよ」


 壮空が私のネクタイを綺麗に畳んで、ブレザーのポケットにしまう。


「打ち上げ終わったらちゃんとうちまで返しに来いよ。何時になっても待つからな」


 自分のネクタイの行方を追いながら、壮空が真顔で言ったその言葉に、私は「うん」って深く考えずに答えてた。


——佐和は「今日」の後、何て言おうとしてたんだろ。


それを思い出して。

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