第17話 隠してきた想い

「あー、ホントに間に合うかなー?」


 翌日の放課後、私と佐和はクラスメイトたちが帰った後の教室に全体的な進捗状況を確認する為一旦戻って来た。それが終わったらまた実行委員の仕事に取り掛からないと、とても間に合いそうにない。

 ポツリと不安を口にする私に、佐和がクスリと笑う。


「少し休もうか」




「……って、信じられる?」


「や、やっぱりすごいね真中君て……」


 休むと言いつつ、一般来校者向けのパンフレットを折る作業をしながら、私は昨夜の壮空そらとのやり取りを愚痴ってやった。


 佐和が真っ赤になって慌ててる。いつもの佐和の顔にホッとして、つい笑みが漏れる。


「佐和は素直に顔に出せて可愛いよね。羨ましいなぁ」


 二人きりっていう安心感も手伝って、無意識に本音も少し。


「ええっ。それ言ったら早河さんだって十分可愛いと思うけど」


「なっ、何それ? いいよ、別に。自分で分かってるし。可愛いなんて私には似合わないっ」


 焦る私を佐和が不思議そうに見つめる。


「何で? 真中君と話してる時もそうだけど、真中君の話題になった時もいつも思うよ? 本当は嬉しいのに平静装ってみたり、悲しいのに強がってみたり、よく見たらバレバレなのに必死に好きなの隠してるところ、僕は可愛いって思うよ」


「嘘っ! そ、そんなことないしっ」


「ほら、そういうところ。すごく可愛い。もっと素直に出してもいいんじゃないかな」


 佐和に柔らかな笑みで純粋に言われて顔が熱くなる。


「か、可愛いとか今更……」


「僕は可愛いじゃなくて、かっこいいって言われるようになりたいなぁ……」


 ポツリと呟いた佐和を、今度は私がきょとんと見つめる。


「佐和が?」


「あっ、や、ごめん、何でも……っ」


 こちらも交替して今度は佐和が赤くなって焦ってる。佐和でもそんなこと思うんだってじっと見ると、慌てて佐和は窓の方に顔を背けた。


「あっ、あれ? 外、雨降ってる!」


 言うなりそのまま窓まで走る佐和に、


「えっ、嘘っ?」


 って続きつつ、ふと微かな期待が胸に湧いた。

 もし、土砂降りだったら……。

 笑顔の壮空を思い出す。


『ん、走って行く』


 ——あの言葉は、甘えてもいいのかな。


 もう暗くなった窓の外を祈るように見上げる。でも、きっと「傘無いと帰れないから連絡しただけだからっ」て、言っちゃうんだろうな。


 そんなことを思いつつ窓際まで着くと、


「あっ、待って早河さん! 今は来ないで!」


 佐和が突然、すごい勢いでカーテンを引いた。


「えっ、何?」


 私から見て窓側全体の右半分だけ引いたカーテンを背に、その向こうを隠すように佐和が立つ。


「もっ、もう少し後で見ようよ! 帰る前とかっ。今見ても、ほらっ、しょうがないしっ」


 佐和の下手な言い訳に何を隠したんだろうって逆に気になって、「分かった」って安心させてから隙を突いて外を見た。


「あっ! い、今はダメだよ、早河さん!」


 佐和の後方、右奥に見える昇降口を出てすぐの場所。あれは、壮空そらだ。

 雨を確認するよう片手を宙に出した後、優しく笑う壮空に、きゅうっと喉の奥から甘い夢が流れてくる。

 けれど壮空は、パッと開いた白っぽい傘の子に声を掛けられるとそのままの表情で……彼女を見た。少し会話をした後、二人は一つの傘の下、寄り添うように正門へ向かって歩き出す。


 カーテンに触れていた手に、知らず力が入った。


 いつもの光景。朝は私と登校して、帰りは彼女と帰ってく。もう見慣れてるじゃん。


 壮空はどっちの時間が楽しいんだろう。

 どっちの時間が好きかな。

 私には触れないあの瞬間も、彼女なら迷わず抱き締めるように守るのかな。屋上で、階段で、私にしてくれたみたいに。



 そんなの当然、好きな人の方が楽しいよね。



 窓から見える壮空は掌で包めそうな程小さくて、窓越しにそっと触れて「ばいばい」って心で呟いてみる。指先から伝わる窓の冷たさがゆっくりと全身を巡って、私の内にもしとしと雨を降らせる。


「……だから、気を遣ってくれなくても大丈夫だよ、佐和。もう何年も見慣れてるし、もっとすごいとこだって見ちゃってるしね」


「早河さん……」


 私の横で、自分が傷付いたような顔で気遣う佐和に、笑顔を見せる。


「それに最近、思うんだ。壮空が優しくしてくれるのは、もしかして愛着みたいなものかなって。例えば小さい頃から捨てられないぬいぐるみと一緒。って、あー、また勝手に想像してるね。よしっ、続きやろ」


 気合いを入れて机に戻る私に佐和が、


「ちょ、ちょっと待ってて!」


「絶対だよ!」と叫びながら教室を走って出て行く。なんかこの前も聞いたなぁってクスクス笑いながら、一人で作業の続きをする。


 静まり返った教室に、雨の音が忍んで来る。


 ——帰りは、止めばいいのに。


 止んで無くても、もう……。

 一瞬浮かんだ想いを、頭を振って打ち消す。

 佐和に早く帰って来て欲しい。余計なこと考えなくて済むように。


 外の雨の音が、聞こえないように。



 しばらくして、息を切らした佐和が戻って来た。手には紅茶。そして喋ると吐きそうな顔。


「こっ、これ……っ、元気、出るかなっ、思っ……」


「ふっ、ふふふ。あはっ。今日は紅茶なんだ?」


 思わず笑ってしまった。


「あ、あれ? 違った?」


「ううん。丁度飲みたかったから、ありがと」


 佐和の優しさはじわりと私を温めて心が緩む。私には無いもの。

 だから目の奥が熱くなって、薄っすらと視界を滲ませる。


「……ずっと、そうなの?」


「え?」


 息を整えた佐和が、突然真剣な顔で訊ねてきた。見慣れない顔にまた戸惑ってしまう。


「早河さん、これからもずっと好きなの隠して傍にいて、真中君の代わりの誰かと付き合って、一人で、泣くの?」


「佐和? どうしたの急に」


「誰かを好きになる気持ちも、それが叶わない気持ちも、僕には想像でしか分からない。だから相談されたら何でも答えられるよ? けど、痛いよ……」


 痛い。


 苦しそうに紡ぎ出した佐和の言葉は、いつも私の想いと背中合わせだった。壮空を好きだと思えば思う程、その痛みは増していって、容赦なく私を刺す。


「何でだろう。この前から早河さん見てたら、僕、この辺りがすごく苦しくて痛くなるんだ」


 佐和が自分の胸の辺りを右手でグッと掴んで辛そうな顔をする。その目から、一筋の涙が流れて乾いた床へと落ちて行った。


「ちょっ、何で佐和が泣いてるの……?」


「ごめん……。分からないけど、どうしてうまくいかないんだろうって。早河さん、真中君のことこんなに好きなのに、頑張ってるのに、ずっと辛い思いしてるのに、それだけは僕でも分かるのに、どうして伝わらないのかなって思っ、たら……」


 私の気持ちを代弁して流す佐和の涙は、私とは対照的にとても綺麗なものに見えて、一番純粋だった頃に私も戻って行く感覚がする。


「何もできないのが悔しくて。ちゃんと気持ち理解してあげられないのも、今、気の利いた一言が言えないのも、すごく情け無くて、すごく痛いよ……っ」


 そう、かな? 佐和は私より私の気持ちを知ってる気がする。私の心を解す方法を知ってる気がする。


「届けばいいのに」


「え……」


 ビクリと心が震えた気がした。


 どうして佐和が知ってるの?


 誰にも言っていない、私だけの想い、積み上げた感情で蓋をして、隠してきたもの。硬い硬い鉱石の奥、今溶かして取り出したら、脆く壊れてしまいそう。


「早河さんの気持ち、ちゃんと真中君に届けばいいのに。吹っ切る為じゃない早河さんの好きが届いて……真中君が、早河さんのこと好きになればいいのに」


「も、やめて……佐和」


「ううん、やめない」


 小さく震える私に佐和が初めて見せた、拒絶の言葉。


「分かったから、やめてよ、佐和っ」


「だから、今泣いてるのは僕のせいにしてよ、早河さん。僕には今、それしかできないから」


「何、で? 何、それ……」



『壮空が私のこと、好きになればいいのに』



 佐和から聞いた自分の想いはいたくシンプルで、あまりにも純粋で、酷く、身勝手で。


 あの中二の夏、笑顔の壮空に「そうだね」って返した言葉と引き替えに閉じ込めた想いだった。決して叶わない期待だった。


 佐和は私の心に共感し過ぎる。


 だから気付いてしまう。

 私はいつからか、終わらせることばかり考えてたんだなって。苦しい恋しかしてなかったんだなって。


 だから、したくないのに、自覚してしまう。



 少し、疲れちゃったなって。


 この長い長い片想いに。



 二人で静かに、でも競うように泣いた後、佐和のくれた紅茶を分け合って飲んだ。


 甘過ぎるイチゴみるくよりもほんのり甘く、渋みの残るストレートティー。この渋みが私なら程よく包んでくれる甘さは佐和だ。それぞれ補い合って一つに溶け合い、誰かの心を解してく。

 それが今の私には丁度良い。


 その後で、文化祭準備の途中だったことを思い出して「間に合わないじゃん」って顔見合わせて笑い合って。

 帰りには、雨上がりの肌寒い秋の夜の下、水たまりを避けながら付かず離れずの距離で正門までの短い時間を二人で歩いた。

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